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「月下の戦闘」

 日が落ちて、夜の闇が訪れた深い森。

 ただし、満月に近い月の光が雲間から差して、木々が開けた山道にはそれなりの視界が確保されていた。


 アスファルトで舗装された、山の麓からダムの管理棟へと続く道。

 そこから外れた、狭いけもの道とも呼べる山道を一人の少年が歩いていた。

 少年はカーキ色のつなぎを着て、脇には銃のホルスターのように黒いバンドをつけ、そこに短い筒状の物を収めている。

 それ以外に何も身に着けていない軽装で、少年は足元の悪い道を不慣れな足取りで、山の中腹に向け歩みを進めていた。


 タンッ……!


 乾いた銃声が一発、唐突に静かな森に響く。

 少年は胸に紅い鮮血の花を咲かせると、糸が切れた操り人形のように、パッタリとうつ伏せに倒れ込んだ。


 シン……と静寂が続く。

 倒れた少年の体からはドクドクと血が溢れ、地面の土に黒い血だまりが広がっていく。

 だが、それ以外に変化はない。

 誰かが駆け寄るでもなく、悲鳴が上がることもない。

 ただ、少年が倒れ伏しただけの状況。


 そのまま、数分が過ぎる。

 ガサリと、近くの茂みが揺れ動いた。

 姿を現したのは、迷彩服に小銃を下げた完全武装の一人の兵士。

 プロフェッショナルな動きで周囲を警戒しつつ、倒れた少年へと距離を詰める。

 その挙動はどこか無機物を思わせる、生気を感じさせない機械兵のようだ。


 そして、周辺を警戒したまま少年の状態を確認すべく、うつ伏せに倒れた体を蹴り返そうと近づいた。


 その時。


 パシッ……! とフラッシュのように蒼い光が煌めく。

 続いて夜闇を斬り裂く、一条の閃光。

 兵士は、ドサリとその場に崩れ落ちた。


 膝立ちの姿で蒼い光剣を構えているのは、胸元を自らの血で赤黒く染めている、射殺された筈の少年。


 タタタタタタ……!!!


 直後、少年は三方向からの自動小銃による連射を一身に受け、マシンガン・ダンスさながらその身を躍らせた。

 容赦のない射撃は少年の頭部と胸部を完全に破壊し、人の形を失うまでに連射が続く。


 ダン!! ダン!!


 小銃の連射音と異なる銃声が、断続的に響いた。

 ドシャ、と樹上から少年を蜂の巣にしていた射撃手の一人が地面に落ちる。


 ガサササッ!! ザァァァッ!!


 続いて森の木々の枝が、葉が擦れる音を響かせうねりを上げて動き出した。

 枝の動きに弾かれ、もう一人の射手の体が宙に投げ出さる。

そこに生き物のように複数の木々の枝が襲いかかった。

 兵士は大木にその身を強かに打ちつけられ、意識を奪われる。


 次いで、血だまりに沈んだ少年の体が淡く輝いた。

 まるで巻き戻しの映像を見ているかのように、少年は人の形を取り戻していく。


「……!!」


 少年の様子を離れた場所で目撃していた分隊長に、感情は無かった。

 だが、次々に部下を倒された状況を理解する判断力はあった。

 その分隊長の脳に直接、撤退して味方の分隊への合流するよう命令が届く。

 斃れた部下たちに背を向け、兵士がその場を離れようとしたその時。


「……よくも……っ……!」


 抑えられた、しかし強い怒りに震えた呟きとともに。

 黒髪の少女の旋風のようなハイキックが、兵士の延髄を打ち据える。

何が起こったのか認識もできないまま、兵士は意識をブラックアウトさせた。


  ***


「な……なんだ、今のは!? 何があった!?」


 ダムの巨大な堤体の上。

 周囲に敷かれた結界の中心で、神楽は狼狽する。

 秘術によって意識を統一した兵士達の感覚は、例えるなら脳内にあるモニタールームで並行的に捉えることができていた。


 のこのこと現れた命蒼刃の使い手。

 素人らしい身のこなしでトボトボと歩く彼を、自らの手足となった零小隊があっさりと捕え、身に着けていた命蒼刃を奪い取るはずだった。

 だが、銃撃に倒れた使い手が回復する隙に取り押さえるつもりが、いつまでも甦らない。

 業を煮やして近づいた瞬間に、あっという間に分隊の一つがほぼ壊滅させられてしまったのだ。


「私も現場に向かいます。現場にいた方が、敵への反応は早くなるでしょう。分隊のひとつを、私に指揮させて下さい」


 術の効果を一時的に解かれ、神楽の傍で小隊への指示のサポートをしていた女兵士が立ち上がった。


「……わかった。連中は小賢しい作戦を立てているみたいだ。第三分隊の指揮権を一時的にお前に譲る。ボクはお前を中継して、気配断絶の式を継続していてやる」

「よろしくお願いします」


 女兵士は無駄のない動きで傍らの銃を拾い上げると、一瞬、勾玉の鎖に縛られ倒れている男児と、ニヤニヤとこちらを見ている傭兵に視線を向けた後、神楽に背を向けて森へと駆け出して行った。


「どうした? お手並みを拝見させてもらえるんじゃなかったのか?」

「黙っていろ」


 傭兵の嘲笑を背に受けながら、神道使いの少年はギリッと歯を食いしばった。


  ***


「……こんなの……耐えられないよ……!」

「葵ちゃん、僕は大丈夫だから」

「でも、武士が」

「落ち着け葵。まだ一つ目だ。敵はまだ三個分隊はいるんだぞ」


 武士に抱きつき、声を震わせる葵。

 翠はその葵の髪を撫で、傍らでハジメが早くも弱音を吐く葵を小声で叱咤していた。


『何をしてるの? 早く移動して。三人は、武士から離れて』


 各々が耳につけた小型インカムに、継の声が響く。

 離れた場所に停めた車内から指示を出す継に、各々の居場所を教える発信機も兼ねた、横浜のホテルでも使用した御堂組謹製の代物だ。


「でも、継さんっ……こんな作戦は、やっぱり」

「葵ちゃん」


 武士を抱く葵の手を、武士は両手で握る。


「……武士」

「僕を信じて。……ハジメ、翠さん。葵ちゃんをお願い」


 静かに葵の腕を自分の体から外すと、武士は立ち上がり三人に背を向け、森の中へと歩き出した。


「待って、武……」

「葵ちゃん」


 追いかけようとする葵を、翠が腕を掴んで止める。


「ちゃんと作戦通り、武ちんをフォローしてあげて。でないと、武ちんが可哀想だよ?」

「翠姉……」

「……行くぞ葵。お前が命蒼刃の力をコントロールしねえで、誰がやんだよ」


 苦しそうに顔を歪めた後、葵は頷いた。


 夜の闇は深く、戦闘は始まったばかりだ。


  ***


 上小内ダムの管理棟と、そのすぐ傍にある巨大な堤体。

 そこを囲む森に、北狼・零小隊は展開していた。


 気配を断つことのできる零小隊だが、近いレベルで隠形できる相手への感知能力が高いわけではない。

 だが、彼らはその欠点を補う科学装備を手にしていた。

 かつて、新宿のビルで武士たちを襲撃した際にも使用していた、生体反応をキャッチすることのできる特殊センサーだ。

 この装備により、零小隊は敵に察知されることなく敵を探知できる、強力なアドバンテージを手にしていた。


 しかし、この装置にも欠点はある。

 人間とその他の小型動物との判別が難しいこと、そして探知できる距離が半径百メートル程と短いことだ。

 この深い森で敵と誤認してしまう野生動物は少なくなく、また生体センサーの有効距離を相手に把握されている場合、その有用性は半減してしまう。


(知られている……な)


 森の中を駆けながら、彼女はそう判断した。

 でなければ、不死身である偽りの英雄を囮にし、本隊は生体センサーの有効範囲外に隠れ、囮を攻撃する零小隊の位置を把握した後に急襲する、などという作戦を立てられるはずがない。


(そうか……元北狼の少年兵、九龍直也が連中と合流しているのだ。彼ならば、生体センサーの事を調べられても不思議ではない)


 彼女は現場で零小隊の指揮を執る為、神道使いの少年・神楽の術の効果を一時的に低減され、自律思考を取り戻していた。

 あの未熟という言葉でも足りない、考えの浅い小坊主に貴重な北狼の一部隊を預ける鬼島司令の考えは理解できなかったが、だからこそ、裏にあるであろう意図を予測すれば、今はその小坊主の指示に従うよりなかった。


(おっと……これ以上思考を続ければ、小坊主に意識を読まれる、か)


 彼女は神楽と共に立てた刃朗衆・御堂組の迎撃作戦に意識を集中する。

 神楽の指示に従った結果ならば、それがどんな結果であれ、すなわち鬼島司令の意図通りなのだ。


(期待してるよ……刃朗衆)


 本人も気づいていなかったが、彼女の頬は僅かに緩んでいた。


  ***


「またやられた! ……何故だ、どうしてボクの零小隊が!」


 ダム管理棟のすぐ近く、巨大な堤体の上。

遮るもののない大きな橋のような場所の中央で、神楽は癇癪を起して叫んだ。


 神楽の横には勾玉の鎖で封印している灯太が転がされ、少し離れた場所に傭兵・深井隆人が立っている。


「……イラつくなよ、坊主。ちゃんと指示を出してやれ。お前がリーダーなんだろう?」

「うるさい、やっている! ……第二分隊、結界の防衛に後退しろ! ……くそ、紅葉の奴、なんでそんな場所にいるんだ……ああ、そうか。偽りの英雄は囮だから……本隊を探しているのか!?」


 掌をこめかみに当ててブツブツと呟きながら、意識を繋いでいる北狼部隊へ指示を飛ばしている神楽。

 その様子は昨晩、紅華とテレパシーで会話しながらその戦闘をサポートしていた灯太と容姿も合わせて酷似していた。


「さすが兄弟だな……」


 深井は神楽と、縛られて狸寝入りをしている灯太を見比べてボソリと呟く。

 灯太が既に意識を取り戻し、その特殊能力で密かにこちらの状況を敵に伝えていることを深井は確信していた。

 だが、それを神楽に教えてやることはしない。

 それは深井の部下を侮辱し、後は自分に任せろなどと豪語した神楽への大人げない意趣返し、という訳でもなかった。


(黙っていた方が、後が面白そうだからな……それに)


「おい、坊主」

「なんだ! 話しかけるな!」

「さっき行かせた、あの女隊長……紅葉って名前なのか?」

「だからなんだ!?」

「いや……なんでもねえよ」


 深井はニヤリと笑う。

 何者かは知らないが、あの女隊長は零小隊の中で、明らかに異質な存在感だった。

 おそらくは、鬼島大紀の真の意図を汲んでいる者だ。

 だとすれば神楽がここで下手を打ったところで、それもあの男の計算範囲内なのだろう。

 だったら自分は、来るべきチャンスを物にするだけだ。

 鬼島大紀は、深井に自分の好きなようにすればいいと言った。

 兵士の傷は戦いでしか贖えない、とも。


 だったら深井は、己の右腕を奪った男と、部下の魂に傷をつけた男への復讐の牙を研いでいればいい。


 特に、右腕の奪った男との再々戦は。


「もう、すぐ目の前だからな」

「うるさい! なんなんださっきから……なっ!!」


 堤体の端から、凄まじいスピードでこちらに駆けてくる二つの人影。

 人影の一つは杖を、一つは日本刀を手にしている。


「いつのまにっ……!」


 ダムの堤体は巨大で、端から中央まで一キロはある。

 その距離をおよそ人とは思えないスピードで、神楽の体感では数十秒ほどで至近まで駆けてきた。


「くっ……狙撃兵!!」


 タンッ…… タンッ……


 山間に木霊するライフルの銃撃音。

 だが、二つの人影は軽やかなステップで銃撃を躱し、なおも近づいてくる。


「なんでっ!!」

「坊主から殺気がダダ漏れだ。タイミングが分かれば避けるのなんだ容易いんだよっ!」


 深井が神楽の前に飛び出し、手にしていた自動小銃を構える。


「……灯太ァァァ!!」


 杖の人影が、あらんかぎりの声で叫んだ。

 雄々しい女性の声が山間に木霊する。


「……姉貴!!」

「なにっ!!」


 神楽の背後から、封印されていたはずの灯太の魂の気配が立ち上る。

 爛々と輝かせた少年の瞳は、最愛の「姉」、紅華をその視界に捉えていた。


「バカなっ……なんで」


 困惑する神楽の前で、


「バカか、遮蔽物のないこんな場所にノコノコ出てきやがって」


冷静に深井が小銃のトリガーを引く。


 タタタタタ……!!


「炎盾!!」


 紅華が振りかざした杖を中心に、紅い光幕が形成され、銃弾のことごとくを蒸発させる。


「ちっ……なんでもアリだな、おい」


 舌打ちして深井は、銃弾の無駄だと銃口を降ろした。


「……狙えるか、紅華!! 管理棟の屋上だ!」

「わかってる!! 朱焔杖!!」


 その直後、熱線が夜の闇を斬り裂く。

 遠く、狙撃兵が配置されていた管理棟の屋上を焼き払った。


「くそっ、コイツいつの間に封印を……!」


 勾玉の鎖は確かに灯太に巻き付いたままだ。

 だが灯太の魂の力が明らかに復活していることに、神楽は動揺する。


「坊主! もう一度、灯太を封じろ! ここは俺が止めてやる!!」


 深井は手にしていた小銃を捨て、嬉しそうに大型ナイフを抜き放った。


「なめるな傭兵風情が!! 力が戻れば貴様などっ!!」


 もう数十メートルというところまで駆けてきた紅華が朱焔杖を振るい、深井に向けて熱波を叩きつける。


「……はっ」


 鼻で笑う深井。

 直後、その身は炎に包まれる。

 はずだった。


「……なにっ!!」


 深井が右腕を一振るいすると、炎は闇に溶けるようにかき消された。


「テメエらだけが、トンデモ兵器を使えるってのは不公平だろう?」

「……なるほど。それが田中が言っていた霊波天刃を弾く右腕か」


 九龍直也が閃光の如き速さで間合いを詰めて、備前長船兼光を一閃する。


 ギイン!!


 深井隆人の持つ大型の軍用ナイフ、特注のマリンコンバットがそれを受け止めた。


「魔女の品ってのがムカつくけどな。こうして役に立っている以上、文句は言えねえな!」

「魔女だと……?……!! 紅華、今のうちに!!」

「分かってる!」


 紅華は弧を描くように駆け、縛られた灯太の前に立つ神楽に詰め寄る。


「ガキが、よくも灯太をっ!」


 朱焔杖を振るい、紅華が神楽を殴打しようとしたその瞬間。


「!! ダメだ、姉貴っ!」


 灯太が叫ぶ。


「どいつもこいつも……」


 いつの間にか神楽が手にしていたのは、神鉄を鍛えた刀身にびっしりと神字が刻まれた、降魂の儀式に使われる直刀の神剣。


「ボクを……舐めるんじゃあないっ!!」


 ダムの堤体に神剣を突き立てる。

 同時にコンクリートの地面が輝き、複雑に描かれた文様が円状に浮かび上がり、灯太と紅華の足元を走った。


「があああっっ!!」

「うわああっっ!!」


 叫び声を上げる紅華と灯太。

 その魂の封縛は、先に灯太が受けた簡易封縛と桁の違う、圧倒的な呪力だ。


「ぐっ……く、そ……」


 朱焔杖を淡く包んでいた紅い光が消える。

 そして、灯太は崩れ落ち、紅華は膝をついた。


「小賢しい真似をしやがって……完全な結界が完成すれば、お前達なんてボクの敵じゃあないんだよ」


 突き立てた神剣を引き抜いて、神楽が胸を張る。

 発動した結界は剣を抜いても輝きを失わず、灯太と紅華は力を失ったままだ。


「灯太っ! 紅華っ!」

「よそ見をしている場合か坊やっ!!」


 深井が刀を受け止めていたナイフを跳ね上げ、直也を蹴り飛ばした。

 咄嗟に自分から後方に飛んだ直也はその威力を半減させるが、それでも大きく飛ばされ、地面に転がって距離を開けられる。


「命蒼刃の方を囮にして、灯太のテレパシーを頼りにテメエらが突っ込んでくると読んではいたが……こんなに早えとはな。さすがだな、九龍の坊や」


 ナイフを突き出して直也を睨みつける深井。


「なんだって?……深井、あんたは分かってて……!!」


 その後ろで、神楽は深井がすべてを察していたことに怒りの声を上げる。


「怒るなよ坊主。結果オーライじゃねえか。後は俺がここで、九龍の坊やを倒せば終いだ」

「……ふざけるな」


 神楽は倒れている灯太に歩み寄ると、神剣の切っ先を灯太の首筋に突きつけた。


「おい、起きろ、朱焔杖の女。封印は解いてやる」


 地面を走っている文様の一部が、その輝きを揺らがせる。

 呼応するように紅華が意識を取り戻し、膝をついたまま、まだどこか虚ろな瞳で神楽を見上げた。


「なん……だと……?」


 紅華と視線を合わせると、神楽が口が裂けたかのように、歳に似合わない邪悪な笑みを浮かべた。


「朱焔杖の使い手、麒麟の紅華。お前が九龍直也を殺すんだ。さもなくば……朱焔杖の管理者を、この場で殺す」


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