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「蠢く者たち」


 暗闇に彼は浮いていた。


 彼が眼下に見ているのは、泣いている男児とその母親。

 母親の方は血の海に沈み、もはや息をしていなかった。


 彼は、自分の選択は間違いっていないと信じていた。

 だが、その行動の結果。

 かえって運命を捻じ曲げてしまった。

 世界線に影響を与えてしまった彼の魂はこの世の理を外れ、受けられるべき恩恵も受けられない孤独な魂となった。


「ふふふ……後悔しているのかい?」


 彼が浮いている闇の空間に、唐突に長い髪の老婆が現れた。

 老婆は白装束姿で、髪を前に垂らして顔を隠している。

 だが、口元が大きく歪み、下品な笑みを浮かべていることだけは見て取ることができた。


「……巫婆フーポウか」

「残念だったねえ? 思い通りにならなくて。これで予言の英雄は誕生しなくなってしまった。楽しい楽しい狂った歴史の始まりさ。あははは……」


 老婆は愉しげに笑う。

 すべてを侮蔑する下卑た笑い。

 彼は眉をひそめたが、やがて冷たく言い放った。


「構わないさ。決まりきった歴史をなぞるだけの世界なぞ、面白くもなんともない」

「……ふん。人間風情が運命を操ろうなど、思い上がりさね」

「そうかな。貴様の掌からも、その運命の糸は零れ落ちたようだぞ?」

「なに?」


 老婆は足元の光景を見て、やがて驚愕に長い髪に隠された眼を大きく見開く。


 ――だからせめて、わたしの力を

 ――わたしの力も、あなたの中に

 ――母さん

 ――あなたも、大好きなものを守って

 ――母さん!!


 倒れた女性の体から発せられた青い光が、男児の体を包み、そして吸い込まれていく。


「バカな! あの女がどうして、この世界に!!」

「予言通りの英雄が生まれていた方が、貴様にとっては良かったんじゃないのか? 巫婆フーポウ

「おのれ……」


 老婆はギリと、悔しげに歯を食いしばる。


「おのれ……御堂征次郎!!」


 闇に浮かんだ男は、ふっと笑う。

 その笑いは自嘲であったが、老婆はそれを自分を蔑まれたと思い込んだ。


「儂にも予想がつかなかった事だが……この世界は貴様に屈さぬよ」


 男の姿は闇に溶け込むように消え、おって老婆の姿も消えていった。


  ***


 日の傾いた夕刻。

 上小内ダムの堤体近くに建てられた、監視塔の上に、すらりと立つ人影があった。

 ビジネススーツをかっちりと着込み、ショートカットの髪を揺らし、見る者がいれば恐ろしく冷たい印象を与える笑みを浮かべる女性。

 足を滑らせれば転落死する危険な場所で、女は事もなげに眼下を見つめている。

 時折ダム周辺を見回っている兵士達から、彼女の姿は確実に見えている筈だった。

 しかし何故か、その異質な存在が兵士たちから認知されることはなかった。


「ふふ……むしろ感謝するわ。充分に愉しいことになりそうじゃない」


 魔女は赤く染まる夕闇の下で嗤う。


「邪魔はさせないわ……アーリエル」


  ***


「えっ……白坂さんも来るんですか?」

「うっす。さっき目を覚ました組長から、自分もこっちについて行けと命令されました。なんででしょうね? 自分、言っちゃ悪いですけど、あんま役に立つとは思えないんすけど」


 頭に包帯を巻いた白坂は、相撲取りのように恰幅のよい体を揺らして笑う。


「怪我は大丈夫なんですか?」

「ああ、大したことなかったっす。葵さんの手当てが良かったんすかね」

「僕がちゃんと治せていればよかったんですけど」

「気にしないでくださいっす。でもこうしてお話できてるんで、次は治してもらえるくらいの付き合いに、なったかもしれないっすね」


 病院の駐車場で、ダムに向かうメンバーが作戦の最終確認と装備の確認をしている時に、白坂が武士に声をかけてきた。


 征次郎が目を覚ましたのは良い知らせだったが、白坂が同行するという指示には首を傾げざるを得なかった。

 彼が自分で言った通り、白坂には特筆した戦闘能力は無いはずだ。

 この情勢で、むしろここの防衛や御堂組の立て直しに人手が必要なはずだろう。


 だからこそ、ダムへ向かうメンバーは武士、ハジメ、葵、翠、直也、紅華の六人に絞られ、通信機を介しての後方支援も継と柏原のみになったのだ。



「まあ、運転手ぐらいはできるっす。よろしくお願いするっす」


 そういうと、白坂は巨体を揺らして武士たちが乗り込む予定の車に駆けていった。

 そういえば車を運転する人がいなかった、と武士は思い至る。


「……武士君」


 待っていたかのように、武士に声を掛けてきたのは芹香だった。

 俯きがちに、手にしていたビニール袋を差し出す。


「お握り、握ったんだ。車の中でみんなと食べて」

「ありがとう。……芹香ちゃん、さっきはごめんね。キツい言い方しちゃって」

「ううん、仕方ないよ。私が空気読めなかっただけだし。……でも」


 俯いていた顔を上げる。


「空気を読まないってことも、時には大事だと思うの。周りに合わせて、大事なコトを決めるのに流されちゃうのは良くな」

「僕は流されてない。芹香ちゃん、この話はもう止めよう?」

「……うん」


 途中で強い口調で遮られ、芹香は素直に言い募るのを諦める。

 その代り。


「葵ちゃんと何かあった?」

「……」


 武士が今一番触れてほしくないことを、一番口にしてはいけない芹香が聞いてしまう。

 一休みして落ち着いていた武士は、「誰のせいだ」と文句を言いこそしなかったが、口を開けば暗い感情をぶつけてしまいそうで押し黙った。


「仲良くしてね。命蒼刃って、葵ちゃんと武士君の心の繋がりで、力を強くするんでしょう?」


 武士の地雷を適確に連打する芹香。

 武士は無意識に、握った拳をさらにギュッと強く握り絞めた。


「……わかってるよ」

「?」


 武士が不機嫌な理由が分からない芹香は、少し考え込むと、意を決して口を開く。


「……でないと、お兄ちゃんにつけ込まれるよ?」

「は? え?」

「言っちゃった」


 ペロ、と舌を出す芹香。


「なにそれ。どういうこと?」

「私が今まで言ってたことと矛盾するんだけどね。戦うことは別にして、葵さんには、確かに武士君が必要なんだと思う。お兄ちゃんみたいな人とだと……なんだか、血で血を洗う裏社会一直線! みたいなコンビになっちゃいそう」

「……そうか。使い手が本当の英雄の九龍先輩だったら、葵ちゃんは悩まずに済んだはずだもんね」

「え? いやいや武士君。それも良くないよねって言いたいんだよ? 私」

「僕は偽物の英雄だもんね」

「いやいやだから、そういう事じゃないでしょ! 武士君で良かったことも、あるでしょ! 間違いなく!」

「どうして?」

「考えてみてよ。あのお兄ちゃんと、あの葵さんだよ?」

「強い二人の組み合わせで、僕なんかよりお似合いだと思う。白霊刃の予言通りの組み合わせでしょ?」

「……僕なんか、って台詞。久しぶりに聞いた気がする」


 芹香は額に掌を当てる。


「ちょっと、しっかししてよ武士君。私が言うのもすごーく変な話だけど、それで葵さんは幸せになれると思う?」

「……」

「武士君の目的って、葵さんと一緒に戦うこと? 違うんじゃなかったっけ? 昨日ファミレスで話してた時、武士君は『葵ちゃんの傍にいたい』って言ってたけど、それは一緒に『戦うこと』が目的だから? それなら本当にお兄ちゃんの方がいいけど?」


 違う。

 戦うことは手段であって、目的ではない。

 「助けて」と言った葵を助けたいのだ。

 「戦いたくない」と言った葵を、過酷な運命から救いたいのだ。

 その為に、ともに戦う必要があるだけだ。

 葵は、助けたい自分を否定したわけではない。

 武士にも戦ってほしくないと、そう思っただけなのだ。


「もしそうなら、私は今からでも空気読まないで、武士君が戦いに行くなんて絶対に許さない! って騒ぎまくるよ」

「……芹香ちゃん」


 芹香も悩んでいた。

 灯太を助けるためとはいえ、本当は武士が戦場に向かうのを止めなくてはならないのではないかと。

 もともと、その為に芹香は彼らに会いにきたのだ。

 高速道路での武士の戦いを見て、もうあんな真似をさせてはいけないと強く思った。

 しかし同時に。自分や葵たちの為に戦う武士の迷いのない姿勢を間近で見て、彼の決意を簡単に否定することはできないと、思い悩んでいたのだ。


 ボゴォッ!!


「武士君!?」


 パタパタと地面に鼻血が落ちる。

 武士は自分の顔面にパンチを入れていた。


「バカだ、僕は」

「武士!? 何があったの!? 敵襲!?」


 命蒼刃の発動を感じ、離れた場所にいた葵が駆け寄ってくる。

 一瞬で治癒されていた武士は、駆けつけた葵の手をぎゅっと握った。


「えっ?」


 あまりに唐突な武士の行動に目を丸くする葵。

 中庭での言い合いの後、武士と距離を取ってきた葵だったが、武士の怪我を感じた瞬間、すべてを忘れて駆け寄ってきた。

 回復の力にも、低下した様子は微塵も感じられなかった。


「……葵ちゃん、僕は」


 武士が非日常の戦闘の中で、あやうく忘れそうになっていた想いを言葉にしようとした、その時。


「武士ー! 出発する時間だ、車に乗れよ!」


 遠くからハジメが声を掛けた。


「もう! ハジメ君のバカー!」


 芹香が大声で怒鳴る。


「はあ!? なんだよ!」

「ほんっとにもう……。ねえ、二人とも」


 芹香は、繋がれたままの武士と葵の手に、自分の両腕を重ねる。


「灯太君を連れて、ちゃんと帰ってきてね」

「うん」

「あ、ああ……」


 頷く武士の横で、状況をまるで飲み込めていない葵は目を白黒させている。

 困惑する葵の顔を覗き込み、芹香は笑う。

 その時、葵は気が付いた。

 芹香の唇が、小さく震えていることに。


 武士を、クラスメイトを、戦場に送り出そうとしている事実。

 このブロンド髪の少女は、その事実を飲み込めていない。

 だけど、そんな気持ちを押し殺している。

 笑いながら、苦しんでいる。


「帰ったら、落ち着いて、ちゃんと色々話そうね。またファミレスででも」

「あ」

「……!」


 芹香の言葉で、武士と葵はつい数か月前の約束を思い出す。

 あの時には芹香はいなかったが、渋谷のビルの屋上で。


(みんなで力を合わせて、こんな状況を終わらせよう。それで朝までファミレスで、くだらない話で盛り上がろう)


 どうして忘れていたんだろう。


 昨日、吉祥寺のファミレスで三人で話をした。

 もちろん内容はくだらないことではなく、シリアスなものだった。

 望んでいた時間ではなかった。

 芹香は前の約束を知らない。

 だが、またファミレスで皆で話をしようと笑っている。


「うん」

「……ああ」


「武士ー! 葵ー! 何やってんだー……って、いってーな! なにすんだ!」

「空気読みなよ、バカハジメ」


 いつまでも来ない二人をまた呼んだハジメが、横の翠に平手で頭を叩かれていた。


「じゃあ、行ってくるね。芹香ちゃん」

「芹香……ごめんなさい」


 手を繋いだまま、武士と葵は車に向かって走り出す。

 残された芹香は手を振りながら、自分の頬に流れるものに気が付き、服の袖で拭う。


「葵さんいつのまに私の事、呼び捨てになったんだろう。……お兄ちゃん、皆をお願い……」


 祈る少女は、同時に祈ることしかできない自分を嫌悪する。

 結局また、いつものように兄に頼ることしかできない自分を、ひどく憎む。


 そうして、少年少女たちは別れ、出発した。

 残酷な戦場へ。

 もう会えなくなるのかもしれない。

 そんな思いを、互いに心の奥底に沈めながら。


  ***


「芹香さん」

「はいっ?」


 武士たちの車を見送った後。

 急に背後から声を掛けられて、芹香は驚く。

 声を掛けてきたのは、御堂組の組員の一人だった。


「組長がお呼びです。病室に来てもらえますか?」

「えっ……ハジメ君のお祖父さんが、私を、ですか?」


 運命のタングラムが、また形を変える。

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