「届かない声」
「命蒼刃の力……どうして継さんは治らないんだろう」
「前に何度も試した時と同じだろ? 気にすんなって。……って方が無理か、武士には」
廊下を歩きながら、ハジメは肩を落とす武士を慰める。
「ま、ちょっと仲良くなったぐらいで誰でも彼でもポンポン治せるって、んなチート能力じゃねえって事だろ」
「うん……」
「そうだ。チート能力って言えば」
背中をバンと叩きながら、ハジメは武士の顔を覗き込んだ。
「聞いたぞ。霊波天刃で、敵を倒したって? やるじゃねーか」
「倒したっていうか……なんとか凌げたって感じだよ。結局、深井って人を車で轢いたの柏原さんだし。……あの人大丈夫かな」
「え? 車で? 轢いた? 柏原さんって……ちょっと突っ込みどころ満載過ぎっから後で聞くけど……深井って、まさか深井隆人か?」
武士が口にした名前に、ハジメの顔色が変わる。
「え? う、うん。確か芹香ちゃんがそう言ってた。葵ちゃんも驚いてたけど、有名な人なの?」
「有名っつーか……なんで、深井隆人が関係してくる?」
「九龍先輩が雇った傭兵だって」
「はああ!?」
直也の名前を聞いて目つきが険しくなるハジメに、慌てて武士は両手を振って否定した。
「いやいやいや、先輩が僕らを襲わせたわけじゃなくて、なんか、裏切られたみたいなんだよ!」
「あの傭兵が、雇い主を裏切る……?」
険しい表情のまま、ハジメは顎に手を当て首を捻る。
「後で九龍本人から、詳しく話を聞く必要があるな……ま、とにかく。武士があの伝説の傭兵を退けたってのは、マジですげえな!」
顔を上げるとハジメはいつもの表情に戻り、再び武士の背中をバンと叩いた。
「そんなこと……葵ちゃんがブーストしてくれたお蔭だし」
「ブースト、な……。どうだった? 実戦で使ってみて」
「うん、すごいよ。けど……葵ちゃんが心配。魂の力に限界はないって話だけど」
「ああ。アニキも言ってたけど、あんまポンポン使わねえ方がいいな」
命蒼刃の性能確認と、訓練の過程で使えるようになった、命蒼刃の回復力と速度を飛躍的に上げる能力。
管理者である葵が使用時に戦闘不能になることを差し置いても、全員が「多用しない方がいい」という見解で一致した。
葵は「武士が自分の命を軽く考えるようになってしまう」という理由だったが、他の仲間たちが怖くなったのは、葵の魂の力が枯渇することだった。
もちろん、翠がこれまでどんなに碧双刃を多用しても、使い手である翠自身が負傷して集中力を失うなどの事が無い限り、いわゆる「ガス欠」のような事態に陥ることはなかった。
仕様書でも、「魂の力は無限」とされている。
しかし、訓練でブーストを使用した際の回復速度には波があり、どんなに葵が集中しても回復の速度が上がらなかった時には、葵は説明し難い虚脱感を訴えていた。
(そんなに都合が良すぎる能力があるはずない……もし、葵ちゃんが取り返しのつかない事になったら)
魂が無くなる、など想像もつかない事態だった。
「うわっ……ここも、すごいね」
移動していた二人が階段に差し掛かって、壁のコンクリートを崩して露出した鉄筋に巻き付いている樹の根を目の当たりにし、武士は驚く。
「ああ。これ見てっと、マジで魂の力とやらは無限なんじゃねえかって思えてくんな。復活した翠の力、マジでヤバかったぜ」
「こっちも激戦だったみたいだね……ハジメ?」
「なんだ?」
「ミドリ虫、じゃなくて翠、なんだね」
「なっ……なんだよ、べつに初めてそう呼んだわけじゃねーだろ」
「そうだけどさ」
取り戻した碧双刃の力。
それを語るハジメになんとなく誇らしげな響きを感じた武士は、友人の彼女に対する心境の変化を察した。
慌ててそっぽを向くハジメの様子に、武士はすっかり遠くなった日常がふいに戻ってきた感覚を覚え、頬が緩む。
「どーでもいいこと言ってねーで……着いたぞ。ジジイと時沢さんの病室だ」
「お疲れ様でございます。ハジメさん、武士さん」
御堂組の組員二人がドアを守っている病室に、武士達は到着する。
「お、お疲れ様です……」
組員二人の挨拶に武士は頭を下げると、再び緊張した面持ちになった。
「さてと。時沢さんは回復できるのは実証済みだけど……ジジイに効くかは、分かんねえな」
「うん……」
「そうなったらそうなったで、気にすんなよ。武士のせいじゃねーんだからな」
ハジメはどう言って、三度、親友の背をバンと叩いた。
***
「今回の作戦。麒麟の最終目的は何? お前、何の為に、こんな無茶な単独行動をしてるの」
拘束衣で上半身を封じられ、ベッドに横たわる紅華に、車椅子の上から継が詰問する。
紅華の横では、心身ともに完全復活した翠が腰に下げた二本の曲刀をチャリッと鳴らす。
そして葵は、継のすぐ隣に立って油断なく紅華を睨みつけていた。
「本気で、九色刃を奪う気があった? あの呉近強が、こんな無理のある計画を立てるなんて、思えないけど」
継の問いに、紅華は答えない。
彼女の燃えるような瞳は、問いかける継を見つめている。
話は聞いている。
今の紅華にとって、御堂組と交渉をもって、なんとか自分の身を自由にするしかない。
この状況で強行突破など不可能で、沈黙しているだけで状況が好転する見込みなど皆無なのだ。
つい、先程までだったら。
(灯太……灯太! どうしたの、力を貸して! チャンスなの……灯太!)
慣れ親しんだ魂が、念話に応える気配はない。
「……いつまで、沈黙している? 話を聞くと言ったのは、お前だろう」
何度目かの継の言葉に、紅華はようやく念話を諦め、意識を戻した。
「……だからこうして、話を聞いている。答えるとは言っていない」
「はあ? ふざけたこと言ってんじゃ」
「翠、ちょっと黙って」
声を荒げようとした翠を、継は押さえた声で制する。
「言っておくけど、紅華。呉近強にはお前に話していない、真の目的がある。でなければ、お前みたいな戦闘しか能がない人間、サポートがあったにしても、単独で送り込むはずがない。その真の目的が何か。まだわからないけど、それがお前の日本への復讐という目的と、本当に一致しているとは、限らない」
「……」
「呉に何を言われた? 全部、話せ。そうすれば僕が、奴の目的を暴いてやる。このまま奴に従うか、考えを改めるか。それを分かってからでも、いいでしょ」
黙したまま、相変わらず紅華は答えない。
呉近強に洗脳され、心酔しているという紅華。
その名を出せば、紅華の精神を揺さぶることができると考えた継だったが、あてが外れた格好だ。
「埒が明かないな……葵」
ため息をつくと、継は脇に立つ葵に視線を向ける。
「話してやって。灯太のこと」
「え……? 継さん、知ってるの?」
唐突に継が口にしたもう一人の人名に、今度は紅華の目の色が明らかに変わった。
体を起こしかけるが、辛うじて平静を装うように再びベッドに身を沈める。
だが、その視線は今度は葵をじっと捉えていた。
「灯太? あの子がどうしたの?」
その横で、翠が素直に首を傾げ、葵に問いかける。
「うん。芹香から聞いた話、翠姉にはすぐに話すつもりだったんだけど……」
本当にいいのか、という風に葵は継の顔を伺う。
継は頷いた。
「構わない。この女に教えてやる必要がある。今がどういう状況か」
促され、葵は翠の顔を見た後、紅華を睨みつけながら口を開いた。
「紅華。お前は灯太がCACCにいると思っているんだろう?」
「……どういう、意味だ?」
「灯太は今、日本にいる。九龍直也……鬼島首相の息子を頼って、朱焔杖の契約を解除する為に」
紅華の目が大きく見開かれた。
その横で、翠が驚愕の声を上げる。
「灯太が日本に!? え、九龍のとこに!?」
「うん。灯太は、刃朗衆に戻るつもりはないんだって。だから、私たちじゃなくて、あの男を頼ったって」
「そんな……だからって、どうして」
「待て……待て!」
紅華が混乱しながら、葵と翠の会話に割って入る。
「鬼島首相の息子……? 灯太は、日本の味方をするつもりで……?」
「違う。九龍直也は鬼島と敵対してる。灯太はそれを知ってコンタクトを取った」
葵は苦い思いを噛みしめながら、紅華に説明する。
灯太が頼った相手が、幼い時とはいえ姉弟の誓いを交わした自分たちでなく、九龍直也だったという事実は、葵にとって認めがたいことだ。
「日本政府側でも、刃朗衆側でもない九龍が、九色刃を調べていた。それを灯太が見つけた。それで連絡を取り合って、朱焔杖の契約を解除の為に、灯太は日本に帰ってきた」
「そうか……アイツ、芹香っちの為に命蒼刃使おうとしてたから、契約解除の方法を調べてたもんね。そうか、灯太が日本に……」
翠の呟きを遮るように、
「バカを言うな!!」
紅華が叫んだ。
「契約の解除? できるはずがない!」
「それは」
「葵、そこまででいい」
神道の儀式について説明しようとした葵を、継が止めた。
紅華を動揺させただけで、継は現時点での目的を達成したようだった。
「ここから先は、九龍本人の口から、説明してもらう。アイツに責任、あることだから」
「責任?」
継の要領を得ない話し方に、葵は首を傾げる。
「……紅華」
継の呼びかけに、紅華は今にも噛みつきそうな表情で睨み返す。
「お前、朱焔杖を通して、管理者と意識を繋げる事ができる。そうでしょ?」
「……!」
灯太と二人だけで秘密だったことをあっさりと告げられ、紅華は息を飲む。
継にとっては、その反応が答えだった。
「そうして、管理者の協力を得て初めて、朱焔杖の力、完全開放できる。そうだね?」
「……」
「そうか……それで!」
翠が、納得がいったと声を上げる。
彼女はホテルでの紅華との初めての戦闘、そして病院の屋上での死闘を思い返した。
完全に虚を突いたはずのハジメの銃撃を、あっさりと防いだ炎の盾。
そして、灯太の名を呟き、朱焔杖から抜き放たれた炎の剣。
あれは、管理者である灯太が遠距離から紅華の戦闘を知覚し、サポートしていたのだ。
「……で、どう? 紅華。今もその力、使える?」
継が表情を変えず、抑えたトーンのままで紅華に問う。
「なんだと?」
「その気になれば、朱焔杖をここに、呼べるはずじゃないの? ハジメたちから聞いたけど、遠くにある九色刃も、使いこなせば、呼び寄せられるんでしょ」
「……」
「……そうか」
再び翠が口を挟む。
「地面に深く埋められた碧双刃でも、あたしは呼び寄せることができた。だったら鎖でグルグル巻きにした程度で、この女が朱焔杖を呼べなくなるはずがない……てことは」
言葉を切って、翠は紅華を見た。
紅華はギリっと歯を食いしばり、継を睨み続けている。
「今は、灯太が魂の力を使えないってこと。契約が解除されたか、それとも……まあ、それは九龍に話してもらおう」
そう言うと、継は膝の上のパソコンに視線を落とした。
「……遅いな、九龍。ちょっと見てくる」
そう言うと、車椅子を操作して出口の方に向ける。
「継さん、わたしが行く」
「いや、どうせ入口で、御堂と揉めてるんでしょ。僕が行った方が、話が早」
葵の視線が紅華から離れたタイミングで、突如、紅華の体が跳ね飛んだ。
「!!」
紅華の腰から下に掛かっていた布団が跳ね飛び、横に立っていた翠の視界を覆う。
「チッ!」
翠はとっさに碧双刃を抜き放ち、視界を塞いだ毛布を切り払う。
「ハァッ!!」
紅華はベッドからおよそ3メートル程の距離を跳ねた。
上半身を拘束され、横になった状態から、腹筋と脚力だけで。
骨折して立つこともままならない筈の、その脚で。
部屋を出ていこうとした、車椅子の継に遅いかかる。
「……なめるな!」
一瞬反応が遅れたとはいえ、驚異のスピードでハイキックを繰り出し、紅華を迎撃しようとする葵。
だが、織り込み済みだった紅華は、空中で右脚を曲げて、ハイキックをブロックする。
そのまま体を回転させると、葵に匹敵する足技で左脚を振り抜き、葵の頭部を蹴りつけた。
「がっ……!」
「うわっ」
倒れ込んだ葵の身体が継の車椅子に激突し、継は床に投げ出される。
「葵ちゃん! このっ……」
「動くな!!」
腕を使えずそのまま床に転がった紅華が、簡易ギブスを添えられた足を倒れた継の首に巻きつかせ、締め上げる。
「ぐ……!」
「継君!」
「継さん!」
叫んだ翠と葵の、動きが止まる。
継が首を締め上げる紅華の足を外そうともがくが、尋常でない力が紅華の脚に込められ、それを許さない。
骨折している脚でできることではなかった。
「なんで……両足は折れていたはずなのに!」
信じられない挙動を見せた紅華に、翠は驚きを隠せない。
「お前たちは、本当に九色刃を使いこなせていないな。敵の体まで治癒させてしまうとはな」
紅華の言葉に、翠は思わず葵の顔を見る。
葵は分からない、と言う風に首を横に振った。
「そんな、命蒼刃の光は……」
ブーストで強化され、確かにこの部屋の全員を照らしていた。
だが、武士と十分な繋がりを持っているはずの継を、武士は癒せなかったのだ。
たった2度目の接触で、しかも敵として相対していた紅華との魂の繋がりなど、継と比べてはるかに薄いはずだ。
それがどうして、癒されている?
「動くなよ、二人とも。この男の首の骨など、一瞬で砕ける」
紅華の言葉は、ハッタリではないだろう。
継の顔色は、どんどん赤く変色していく。
「やめろ!」
「ならば、朱焔杖をここに持って来い」
紅華は脚の力を緩めずに、叫ぶ葵に向かって交換条件を突きつける。
「早くしろ。でなければ……首の骨を折る前に、この男は死ぬぞ?」
「……バカか」
ぼそりと、翠が呟く。
「な……に?」
「翠姉?」
翠が手にした碧双刃を、チャリッと鳴らす。
「動くな!」
「動かないよ。動く必要もない」
突如、紅華の腕を封じていた拘束衣から数本の蔦が生えて、紅華の顔に絡みつく。
「……っ!」
「はぁっ!!」
紅華の視界を奪ったその隙に、葵が紅華の身体を蹴り飛ばし、壁に叩きつけた。
「ゲホッ……ゲホッ……!」
「大丈夫!? 継さん!」
息を吹き返す継。
壁に叩きつけられた紅華は、拘束衣から更に生えてきた蔦が両足に二重三重に巻きつき、厳重に拘束された。
そして、視界を塞いでいた蔦がほどける。
「誰が、九色刃を使いこなせていないって?」
視界を回復した紅華と目が合った翠が、にやりと笑い言い放つ。
「キサマ……」
「拘束衣に、種を仕込んでおいたのよん」
「翠姉、すごい、碧双刃で斬ってないのに……」
これまで、直接植物に触れなければ効果を発揮しなかった碧双刃の能力。
だが、翠は遠隔で紅華の拘束衣に仕込んでいた植物を操ってみせた。
これまでの翠の能力を知っていた葵は、感嘆の声を漏らす。
「にゃはは~。進化したのよん♪」
「ゲホッ……助けるの、遅い、翠……油断し過ぎ、馬鹿」
「にゃは……ごめんごめん」
調子に乗っていたところを、継に釘を刺される翠。
「……刃朗衆……!」
憎しみのこもった燃える眼で、紅華は翠たちを睨みつける。
そして。
「……来いっ! 朱焔杖!!」
鬼気迫る声で、叫んだ。
葵と翠は反射的に身構え、周囲を警戒する。
だが、いずこからか熱線が放たれることも、熱風が吹き荒ぶことも、紅い杖が飛来してくることもなかった。
「……朱焔杖っ! ……灯太、灯太! ……どうして……」
炎を操る異能力で、あの弱肉強食の国をのし上がってきた。
麒麟でその戦闘能力を見込まれ、呉近強に認められ、ここまで生き延びることができた。
自らが依る術としてきた。
そして。なによりも。
力だけでなく。
たとえ居場所は遠く離れようとも、片時もその気配を感じない時はなかった、似た境遇で育った、出会った頃よりすっかり口の悪くなってしまった少年。
その魂が、感じられないことが、斉藤紅子の胸に穴を開ける。
「灯太……!!」
最悪な想像をしてしまう。
九色刃の契約解除は不可能と、聞かされていた。
唯一方法があるとすれば、管理者・使い手の死亡。
鬼島の息子などという者が、一人の少年の命などを大事にする筈がない。
朱焔杖を手に入れる為に甘言を用い、灯太を呼び寄せたに違いないのだ。
そして、唐突に途絶えた灯太の魂の力。
紅華に考えられる事態は、ひとつしかなかった。
「紅華……」
碧双刃の力で蔦に拘束され、芋虫のように床に這いつくばった紅華がもらす苦しげな声に、翠はつい半日前までの「力を失った自分」と、七年前の「弟を守れなかった自分」を思い出す。
今の紅華が襲われている感情の波は、かつて自分が沈んだ仄暗い海と同じものだと、確信していた。
「……紅華。灯太は」
葵に助け起こされ車椅子の上に戻った継が、這いつくばる紅華に話しかけた時。
「灯太は死んでいないよ。麒麟の紅華」
黒のライダースーツを着た、背の高い鍛え上げられた日本刀のような気配を放つ青年が、部屋に入ってきた。
右には長物の入った袋を抱えたブロンド美少女を、後ろには痩せぎすの疲れ切った表情の中年男性を引き連れて。
「だから力を貸せ。そうすれば、必ず俺が灯太君を助け出そう」
九龍直也が、揺らがぬ自信とともに宣言する。
「……結局、妹に得物を預けて連れてきてるシスコンが、何かっこつけて」
横でボソリと呟いた葵の言葉を、継は聞かなかったことにした。




