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「役者たちは暁に集う」

「……灯太?」

「うん、ボクの名前。日本人だよ」


 CACC内のスラム街で華那マフィアの一員として暮らしていた紅華が、連合国の特殊組織『麒麟』に連れ出された後。

 組織の施設内で、当時十五歳だった紅華は、六歳の少年・灯太に初めて会った。

 少年は痩せぎすの体で白い貫頭衣のような服を着せられ、車椅子に座っていた。


「……日本人……」

「うん。紅華さんと同じで、麒麟に誘拐されたの」


 久しく耳にしていなかった祖国の言葉で日本人と告げられて、紅華は反射的に憎しみの気持ちを抱く。

 だが、目の前の少年の異様に細い手足、そしてげっそりと痩せこけた頬、沈鬱な表情を見てなお、憎悪の念を持ち続けることはさすがに難しかった。

 それよりも、その陰りのある瞳に親近感を抱く。

 諦めにも似た、空虚な双眸。


「……君も、日本に見捨てられたのか」


 紅華は、直感的にそう感じた。


「見捨てられた? うん……そうかもしれない。けど、お姉ちゃん達はボクを守る為に戦ってくれた。それでもこうなった運命だから、仕方ないんだって思う」

「お姉ちゃん達? ……運命?」

「紅華さん」


 灯太は、施設の部屋の中央にあるテーブルの上に置かれた、赤い杖に視線を向けた。

 誘われて杖を一瞥する紅華に、灯太は低いトーンで言葉を続ける。


「ボクはこれから、あの杖に仕込まれた刀で、あなたを刺さないといけない」

「……」

「そうしろって、命令されてるの。説明は聞いてる?」

「……うん。アレはクソみたいなあの国が開発した魔剣で、契約ってのに成功したら、私は炎を操る力を得るっていうんでしょう? バカな話だわ」

「うん。失敗したら死んじゃうんだ。ボクは今までこの契約に何度も失敗して、この手で、ここの人たちを、何人も殺しちゃった」

「えっ……」


 自分の半分以下の年齢であろう幼子の口から、何人もの人間を殺めたとの告白を聞いて、紅華は驚愕する。

 自分も幼くして華那マフィアの一員となり、汚れた仕事をいくつもさせられてきた。

 だが目の前の少年は、その自分よりもさらに幼い年齢であるにも関わらず、まるで物語の中の存在でしかないような魔剣の契約と為として、殺人を強要されてきたというのだ。

 刃で心臓を突き刺せば、人は死ぬ。

 九色刃などという魔剣など、現実として存在する筈がない。

 旧日本軍が開発したなどというホラ話につき合わされ、少年の何人ものCACCの人間の命をその手で奪うことになり、その心は死ぬ寸前なのだ。

 空虚な双眸に、少年の魂は消え去る寸前であることが見てとれた。


「日本人なら、契約が成功する可能性が高いっていうんだけど……信じられないよね」

「……ああ」

「だから、紅華さん。逃げて」

「え?」

「ボクはもう嫌だ。人を刺す、あの感じ……たくさんの血が流れて、ボクの手にも伝ってくる。目を見開いて、血を吐いて、憎々しげにボクを見つめてくる、あの顔……」

「……逃げて、と言われても」

「紅華さんが入ってきたドアと、反対側のこっちのドア。まっすぐ抜けるとボクの部屋があるの。そこの窓から逃げて。僕はこんな体だから、自分の力で逃げるのは無理だろうって、鍵もかかってないんだ」


 幼さに似合わず、聡い判断をしている灯太だったが、紅華もさすがにその言葉を鵜呑みにする訳にはいかなかった。


「逃げられるはずないよ。ここの会話だって聞かれているんでしょう?」

「魂の契約の邪魔になるかもしれないからって、近くには人はいないんだ。ここの話も聞かれてないと思う。管理者と使い手を二人きりにして、魂の繋がりを強くする為だって」

「……いや、駄目だよ。無理だよ」


 紅華は一瞬考え込むが、すぐに首を横に振る。


「ここの連中は、マフィア程度の相手じゃない。連合評議会に関係のある、国の組織なんでしょう? そんな甘い相手じゃないよ。それに」

「なに?」

「仮にわたしが君の部屋から逃げたとして、君は……灯太君はどうなるの? 君の部屋を通って逃げたりしたら、連中には君が逃がしたってはっきり分かる」

「僕はいいんだよ」


 灯太は視線を冷たいコンクリートの床に向ける。


「僕の手はもう、血塗れだよ。生きてちゃ駄目なんだ」

「……」

「だけど、紅華さん。せめてあなたには、僕と同じになってほしくない。もし契約に成功したとしても、その後には」

「灯太っ!」


 気づけば紅華は、車椅子の少年の頭をその豊かな胸にかき抱いていた。


「……駄目だよ。諦めたら駄目だ。あんな国の為に、わたしたちが犠牲になるなんて。絶対に駄目だ」

「紅華さん?」

「この部屋に来る前、契約について説明した男……呉近強という人が言ってた。契約に成功すれば、わたしは、わたし達は、あの国を焼き尽くすことができる力を手に入れることができるって」


 少年を胸に抱いた腕に力を込める。

 二人の魂の力がひとつになれば、復讐の力を得られるという。


「このままじゃわたしも灯太も、あの国に見捨てられて、悲惨な人生を過ごすだけだ。今ここから逃げられたとしても、それはなんにも変わらない」

「紅華さん……?」

「だったら賭けよう? 灯太。それで、一緒に生き延びよう?」

「……一緒に」

「一緒にだよ、灯太」


 ともに幼くして異国の地に連れ去られ、光の当たらない世界に放り出された少年と少女。

 コンクリートに囲まれた死の匂いが染み付いているその部屋で、紅華と灯太、二人は出会い、魂の契約を交したのだ。


 ***


「灯太っ……!……つっ……」


 紅華は叫び、ベッドから跳ね起きようとしたが、その反動で全身に走った鋭い痛みに、顔を歪めるだけだった。

 目だけで体を見れば、全身の怪我は応急処置されているようだったが、両腕は特別な布でできた拘束具で封じられている。


「目ぇ覚めたか、放火魔女」


 ベッドの前では、あちこちに包帯を巻いた姿でハジメが椅子に座り、銃を向けていた。


「無駄なことは考えんなよ。全身の打撲に骨折、その体で何ができる? 朱焔杖も別室で鎖でガチガチに封じてる。呼んでみろよ? 多分来ねえから」


 冷たいトーンで警告してくるハジメの横では、同じく包帯姿で、腰に二本の曲刀を下げたゴスロリ少女が、真っ白な顔色で椅子にぐったりと座っていた。

 だがその瞳だけは爛々と光らせて、油断なく紅華を睨みつけている。

 ゴスロリ少女の右腕は失われていた。

 そして、その失われた右腕はゴスロリ少女の、翠の膝の上に置かれている。


 紅華が朱焔杖の仕込み刀を抜き放った一閃で、斬り飛ばしたのだ。

 なお、切断面は高温で焼き尽くされていて、結合手術など不可能だった。


「……わたしは何故、生きている」


 状況を理解し、ぼそりと呟く紅華。

 先の戦闘で、紅華は朱焔杖の仕込み刀を抜き放ち、管理者である灯太の力も借りて、未だ制御しきれていないその全能力を解放し戦った。

 

 翠は碧双刃の新しい力に目覚め、ユーカリの大樹を操って炎を防ぎ、その大樹の枝で紅華を押し潰そうとした。

 紅華は炎盾で樹竜の攻撃を防いだものの、灯太から魂の力の供給が突如、途絶えてしまった。

 結果、紅華の体は圧倒的な質量で圧し潰されてしまった筈だった。


(なにがあったの……灯太!)


 覚醒してからずっと、念話で呼びかけているものの、灯太からの返事はまったくない。

 たとえ念話をしていなくても、朱焔杖の力を使っていなくても、契約してからずっと感じ続けていた、灯太の気配。

 それを今はまるで感じないのだ。

 内心、紅華は相当に焦っていた。


「……この翠さんの腕を舐めないでよねん。こっちをここまでズタボロにしてくれたアンタを、簡単に殺してやるかっつー話よ」


 青白い顔色のまま、翠が言い放つ。

 実際、翠はすべての力をユーカリの大樹に注ぎ込んでいた。

 防御能力を失った紅華を、樹竜は確実に圧し潰す筈だった。

 だが咄嗟にその力の流れをコントロールし、致命的なダメージを与えることを避けられたのは、朱焔杖と碧双刃の魂の力が交錯し、僅かに感じた懐かしい気配のお陰だった。


(灯太……)


 翠たちが灯太と生き別れたのはもう、七年も前の話だ。

 絶対に忘れまいと誓いつつも、どうしても薄れていく記憶。

 激しい戦闘の最中、ほのかに感じた少年の気配に、翠はその記憶を、そして魂を強く揺さぶられた。

 結果、魂の力を根源とする碧双刃が反応してくれたのだ。


(それとも、お姉ちゃんの仕業?)


 翠はもう一人の姉妹が眠る、自分のお腹を優しく撫でた。


「……碧双刃の力は、破壊の力だけじゃないってことよん。あんたの火炎放射器と一緒にしないでねん」

「『破壊の力だけじゃない』って、中二かてめーは」

「うっさいな、『ダブルイーグル』」


 翠の言葉尻を取って軽口を叩くハジメに、翠は彼が気にしている恥ずかしい二つ名を揶揄して応じる。


「なっ、テメエ、それを言うか」

「実際、その通りでしょ。この病院が無事なのは、誰のお陰?」

「……ぶっ壊したのも、半分はテメエの樹だろうが」


 この病室は、激闘を繰り広げた病院の一室だった。

 紅華が周囲を見回すと、壁が崩れ、鉄骨が剥き出しになっている部分もある。

 そして、その周囲を支えるように、太い太い樹の根が巻き付いていた。


 屋上に現出したユーカリの大樹の根が、暴走した朱焔杖の炎と暴れ回った大樹自身の根によって倒壊する寸前の建物を、ガッチリと支えているのだ。

 外から見たら、屋上に生えている樹の根が病院全体に巻き付いている、ファンタジー世界さながらの異様な光景を目にすることができるだろう。


「結果、誰も死なずに済んだんだから、感謝なさい? ハジメ」

「へいへい」

「……そう。誰も死んでいない。なんで? 紅華」


 突如、病室にハジメのものではない男の声が響く。

 膝の上にノートパソコンを乗せ、車椅子で病室に入ってきた継の声だった。


「……兄貴」

「紅華。お前はジジイを、御堂征次郎を狙って、この病院に潜入した。時沢さんが駆けつける前、潜入する過程で、ガードマンや看護師を倒してるけど、一人も殺してない。なんで?」


 これは継も知り得ないことだったが、紅華が御堂征次郎と相対した時、病院のスタッフを殺したのかと問われ、紅華はそれを肯定していた。


 だが、実際には誰も殺されてはおらず、気絶させられていただけだった。


「……」

「御堂組の人間が、CACCにいたお前に会いにいった時。お前は彼を殺してる。だから、お前は、もうこっちの人間を殺すことを躊躇わない、もう『戻れない』人間だって、僕は判断した。でも違った。なんで?」

「……」


 継の問いかけに、紅華は答えない。

 継にとって、この質問は大事だった。

 紅華という人間を、今後こちらとなんらかの共闘関係を結べる人間か、否か。

 それを評価する上で重要なことだったのだ。

 紅華は黙して答えない。

 だが、その沈黙と感情を見せない表情に、継はなんらかの答えを得たようだった。


「……まあいい。紅華、だいたい察してると思うけど、抵抗は無駄だから」


 継は話題を変える。


「今、この病院に、御堂組が集結してる。対鬼島の根回しとか、全部後回しにして、防御に徹することにした。相手が麒麟でも、北狼でも、簡単にこの守りは破れない」

「兄貴」


 どうしてそこまで内情を話すんだ、と抗議しようと声をあげたハジメを、継は片手を挙げて制し、言葉を続ける。


「警察も消防も、ここには来ない。ここは『そういう場所』。だから混乱に乗じて脱出とかできないから。ついでに言えば、お前が連絡してた、麒麟の情報部隊。特定して、偽の情報を流してる。そっちの助けもないよ。お前は、完全に孤立してる」


 紅華にとって厳しい情報を、畳み掛けるように話す継。

 だが紅華は変わらず無言、無表情のままだった。


「……ちっ」


 継は舌打ちをして横にいるハジメと翠に視線を移した。


「ハジメ、翠。もうすぐ武士君達が、こっちに着くから」

「ようやくか。遅かったな」


 ハジメがホッとしたような声を上げるが、続いた継の言葉に顔色を変える。


「来る途中、高速道路で、敵の襲撃を受けたって」

「襲撃!?」


 翠は思わず立ち上がったが、片腕を斬り飛ばされ、傷口は焼かれて大量失血こそしていないものの、体力は大きく削られている。

 貧血を起こしかけ、ふらりと倒れ込んでしまった。


「翠!」


 とっさにハジメがその体を支える。

 銃口を紅華に向けていた為、片腕だけで翠を支えなければならなかった。

 ハジメとて、紅華との戦闘で全身火傷に浅くない切り傷を負い、ダメージを食らっている。

 転倒は避けたものの、激痛にハジメは顔を歪めた。


「ご、ごめん、ハジメ、大丈夫……?」

「落ち着けミドリ虫……兄貴も、んな言い方すんな。大丈夫だったんだろ?」

「武士君の霊波天刃で、なんとか脱出できたって。全員無事。全員、こっちに向かってる」

「……へえ。すげえな、アイツ」


 ハジメは嬉しそうに、糸目を更に細めて笑った。


「……全員? 葵ちゃんは分かるけど、他には?」


 翠が継の言葉の一部を拾って、怪訝そうに聞き返した。


「芹香・シュバルツェンベックと柏原さん。それと別口で、九龍直也も、こっちに向かってるから」


 淡々と答えた継の言葉に、ハジメと翠はまた驚く。


「芹香はともかく、九龍の野郎も……? なんで?」


 継はノートパソコンを操作しながら、ハジメの問いに対して、ニヤリと笑った。


「情報も、人も、集まってきた。……ここまでやられっぱなしだったけど、そろそろ反撃しないとね」


 そろそろ夏の空が明るくなり始める時刻。

 役者達が、集まりつつあった。


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