「ハイウェイ・バトル(1)」
「自分は白坂剛志っす。時沢の兄貴から、継の坊ちゃんの指示に従うように言われました。継さんからの伝言っす! 自分の運転で、ダッシュでオヤジの病院に向かうようにとのことっす!」
継の電話を受け、吉祥寺の駅前に向かった武士たち三人を待っていたのは、黒塗りのクラウンを堂々と駅前ロータリーに止めて直立不動の姿勢を取り、妙な体育会系の敬語で年下の武士達に話しかけてくる、三十代半ば程の御堂組組員だった。
白坂と名乗ったその男とは、ビルで何度か顔を合わせたことはあったが、直接会話をするのは今回が初めてだった。
非常に大柄で、相撲取りのように恰幅のよい白坂。
オールバックの髪型とダークスーツでヤクザっぽさを演出しているが、円らな瞳に丸い団子鼻。その愛嬌のある顔つきと体格が、他の組員たちと異なる柔和な雰囲気を醸し出していた。
「よろしくお願いします、白坂さん。急ぎましょう」
「そうっすね。では、さっそく後ろに乗って下さい……って、あの、すんません、そちらの方は?」
白坂の言葉に、武士と葵が振り返る。
そこには、黒塗りクラウンの後部座席に一番最初に乗り込もうとする芹香がいた。
「芹香ちゃん?」
「……芹香さん?」
「…………どうも! こんにちは! 私、武士君と葵さんの高校のクラスメイトで、芹香・シュバルツェンベックといいます。よろしくお願いします」
「は、はあ……どうも」
無駄に快活に自己紹介するブロンド美少女の勢いに、押される白坂。
「じゃあ、急ぎましょう! ハジメ君のお爺さんが危ないんですよね? 早くしないと!」
「え、あ、ちょ、あの……!」
指示されていなかった人物が、勝手にさっさと車に乗り込んでしまい、戸惑う白坂。
助けを求めるように、武士の顔を見る。
「ちょっと、芹香さん」
先に動いたのは葵だった。
車内を覗き込んで、抗議の声を上げる。
「なんであなたがついてくるの? 関係ないでしょう」
「そんなことないわ」
「なんで? これは御堂組と刃朗衆の問題。九龍の妹に何の関係があるっていうの。それとも何か企んでいるの?」
「……葵さん」
詰問する葵に、芹香は朗らかな笑みで答える。
その表情を葵の肩越しに見て、思わず武士は背筋が冷たくなるものを感じた。
「なに?」
「こんな往来の、しかも駅前の人が多い中で。御堂組がどうとか大声で話すのはどうかな? 今テレビで話題になってるその名前を、いかにもヤクザなこの車の前で口にするのって、さすがにマズイんじゃないかな?」
「……」
ぐうの音も出ないほどの正論に、口を噤む葵。
再び昨日灯太に指摘されたことの意趣返しを葵に決めることができて、芹香は満足げな笑みを浮かべていた。
それに対して浮かべている葵の憎々しげな表情に、あああ……と二人の間の溝が音を立てて深くなっていくことを感じている武士は狼狽する。
「ど、どうするっすか? 武士さん」
同じように狼狽している白坂に問われ、武士は困窮する。
本当は年長の白坂にビシッと間に入ってほしい思いがあったが、彼はどうやらそういうタイプの大人ではないらしく、武士の指示を待っているだけだ。
「とにかく、芹香さんの言う通りこのままだと目立ってしまいます。急がないといけませんし、一旦出発しましょう。芹香ちゃんは車の中で説得して、途中で降りてもらいます」
「よくわかんないけど、わかったっす!」
頷くと、白坂は運転席に回り込んで乗車した。
「武士」
「葵ちゃん、仕方ないよ。行く途中で説得しよう」
「わかった、先に乗って」
葵は周囲を警戒しながら、武士に先に車内に入るよう促す。
「うん」
続いて葵が乗り込んで、車は出発した。
そして、少し離れた場所に停車していた車が、充分な距離を取ってから発車する。
それは武士達の車が角を曲がって姿を消して後の動きだったため、葵にその不審な車の動きを察しろというのは酷なことだっただろう。
「武士君。大丈夫?」
「え?」
「無理してない?」
横に座る武士の膝の上に手を置いて、その顔を覗き込む芹香。
最後に周囲を警戒する為だったとはいえ、武士を先に乗り込ませて、みすみす芹香の横に座らせてしまった自分の失策に葵は舌打ちをした。
「無理なんかしてないよ」
「本当に? これから紅華さんがハジメ君のお祖父ちゃんを襲ってるのを止めに行くんでしょう? 戦いになるかもしれない。怖くないの?」
「怖いんだったら、芹香さんはさっさと降りて」
武士が答える前に、葵は口を出す。
本当に空気を読まない芹香の発言に、葵の苛々は募る一方だった。
「武士はそんなに弱くない。もう一度、紅華とも戦っている」
「葵ちゃん!」
「やっぱり……昨日、紅華さんと戦いになったんだね」
半ば予想していたことだが、ショックを受けて俯く芹香。
「それはその、行き違いで」
「今度こそ、武士はわたしが守る。わたしたちが力を合わせれば、今度こそあの女を斃せる」
誤魔化そうとうする武士の言葉を遮って、葵は断言した。
顔を上げて、芹香は覚悟を決めている葵を見つめる。
「『斃す』。……話し合うんじゃ、ないのね」
「さっきも言った。あの女にはもう、話し合う余地はない」
芹香の視線を正面から受け止める葵。
「ふたりとも、ちょっと待ってよ」
間に挟まれている武士が口を挟もうとするが、更に葵はそれを遮る。
「だから、戦う力のない素人の芹香さんに出る幕はない。わかったら、高速に乗る前にさっさと車から降りて」
「それを聞いたら、なおさら私は降りることはできないよ」
「どういうこと?」
「わたしが、紅華さんに灯太クンの気持ちを伝える。それで、ハジメ君たちとの戦いを止めさせる」
「できるはずがない」
「できる。わたしには戦う力は無いかもしれないけど、わたしは灯太クンと直接話した。あの子は本当に、お姉ちゃんのことを心配してた。絶対になんとかしてあげなきゃいけないんだ」
「……お姉ちゃん?」
芹香の口から出てきた聞き逃せない単語に、葵が引っかかる。
「ちょっと待って。『お姉ちゃん』? お姉ちゃんっていうのは」
「紅華さんのことよ」
「……どうして紅華が、お姉ちゃんなの?」
「灯太クンが呼んでいたのよ。紅華姉、って」
「……」
視線を下に落とし、顔から表情が消える葵。
幼い灯太と姉弟の誓いを交わしたのは、翠の自分の筈だった。
それなのに何故、灯太は紅華を姉と呼ぶ?
小さくないショックを受けて、葵は肩を小さく震わせていた。
「葵ちゃん……」
葵の気持ちを察して、震える肩に手を掛けて声をかける武士。
しかし、それ以上の言葉が出てこなかった。
「CACCで、姉弟みたいに育ったんでしょう? 信用できる人が少なくて、姉弟みたいに信頼し合うのは自然なことだと思うけど?」
「いや、あの、芹香ちゃん……」
灯太と葵たちの昔の事情までは知らないから仕方ないとはいえ、芹香の空気を読まない発言が落ち込む葵に追い打ちをかける。
「なに?」
「うん、あのね、ええと……」
訳が分からないといった表情でポカンとする芹香に、武士はなにをどう説明したらいいかと頭を抱える。
「よくわかんないっすけど……大変すね、武士さん」
白坂が運転席からまるで他人事のような声をかけた。
気まずい空気のまま、車は最近できたばかりの新しいインターチェンジから高速道路へと入っていった。
新青梅街道に沿う形で近年開通したばかりの高速道路を、車は走る。
一路、既に時沢にハジメ、翠が向かっている青梅の病院を目指す。
時間的にいって紅華ともう交戦が始まっている可能性が高い。
急がなくてはならなかった。
「ウッス。お三方とも、狭くないっすか? 武士さん、あれだったら助手席に移って下さいよ?」
「あ、ありがとうございます……」
「ウッス。最初は羨ましかったっすけど……モテるのも、考えものなんスね」
「……茶化さないで下さい、白坂さん……」
大型のクラウンの後部座席は広く、3人が並んで座っても決して狭くはない。
しかし、しばらく沈黙が支配した車内の気まずさに、白坂なりに気を使って声をかけたのだった。
凛とした黒髪美少女とグラマーなブロンド美少女に挟まれて、武士は座っている。
三十五歳独身・彼女いない歴イコール年齢の白坂にとって、美女二人を両脇に侍らせる男子高校生は、最初は嫉妬の対象以外何者でもなかったが、今では武士に同情の念を禁じ得ずにいた。
詳しい事情を白坂は知るものではなかったが、間に挟まれた少年が困りに困り果てていることだけは伝わってきている。
「……前に座るなら、芹香さんどうぞ。胸が大きいから狭くて大変でしょう?」
「葵ちゃん!」
落ち込んで俯いていた葵が、唐突に八つ当たり気味に嫌味を言う。
「……心配しないで。葵さんこそ前に座って? 素人の私に出る幕ないって言ってたでしょう。いざという時、戦える人が助手席の方がいいんじゃない?」
「芹香ちゃん!」
落ち着いたトーンで応戦する芹香。
ついに、武士の我慢も限界に達した。
「あああ、もう! 二人とも、いいかげんにしようよ! こんなケンカしている場合じゃないんだよ」
「……」
「……」
「あああ、もう……芹香ちゃん!」
不貞腐れているように黙り込む二人。
武士は芹香の肩を両手でガシっと掴んだ。
「……はい」
「葵ちゃんはこう言ってるけど、僕だって紅華さんと戦いたくなんかない。なんとかする。信じて!」
「たけ…」
「葵ちゃんちょっと黙ってて」
「はい」
珍しく有無を言わせない武士の口調に、葵は素直に黙り込む。
「武士君。信じてるよ、信じてないわけじゃないんだよ。紅華さんを説得するんだよね? だったら私も一緒に」
「でも危険なのは事実なんだ。紅華さんは麒麟に洗脳されてる。朱焔杖からは容赦のない熱線が飛んできて、当たったら死ぬんだよ! 僕は肩を撃ち抜かれて、脚を斬り飛ばされた。僕が迂闊なことを言ってしまったからだけど、僕じゃなかったら、死んでいたんだ。命蒼刃がなかったらもう終わりだったんだよ!」
「……」
さすがの芹香も、武士の勢いに押し黙った。
それは口調の強さだけの問題ではなく、一度実戦を経てきた武士の言葉に重みがあったからだ。
「僕は死なない。不死身の体だ。だから体を張って紅華さんを止める。それから、説得してみせる。だからお願い芹香ちゃん。僕を、僕たちを信じて待っていて」
「……わかった」
広いとはいえ、それでも車内という限定空間。
至近距離で武士は芹香に詰め寄り、その鼻先は触れ合わんばかりだった。
普段は引っ込み思案な武士が、その普段にない距離感に気が付かないほど懸命に、芹香を説得した。
肩を撃ち抜かれ、脚を斬り飛ばされる。
言葉にすると簡単だが、それが現実となるのなら、これほど恐ろしいことはない。
目の前のクラスメイトはその経験を経てもなお、再び彼女の前に立ち、彼女を救うと宣言しているのだ。
その言葉の重みが伝わらないほどには、芹香も傲慢ではなかった。
「わかった。そうだね、私が行っても足手まといになるよね。わかった」
「……ありがとう」
ホッと肩をなで下ろす武士。
その手を、芹香は包み込むように握った。
「でも、お願い。近くまでは行かせて? 戦い……にならないのが一番だけど、紅華さんが落ち着いたら、私にも話させてほしいの。灯太クンの気持ちを伝えたいんだ」
「芹香ちゃん……気持ちはわかるけど、危険だよ」
「そうだ。他にも麒麟の部隊が、近くにいるかもしれない」
葵が武士の援護をするが、芹香は食い下がる。
「大丈夫。自分の身ぐらい守れるよ」
「どうやって? さっきも言ったけど、あなたは」
「素人だっていうんでしょ? だけどわたし、コレを持ってるから」
葵の言葉を遮って、芹香は手にしていたショルダーバッグの中を開けて二人に見せた。
「……これって」
「……芹香さん、こんなものどこで」
中に入っていたのは、コルトM1908ベスト・ポケット。
小口径の女性用として需要の多い護身用の拳銃だった。
暗い車内。カバンの中で鈍く光る銃ははっきりとは見えなかったが、それでも武士には、ハジメのすぐ横で本物の銃を見続けてきたこともあり、それがモデルガンなどではない本物であることが理解できた。
「とある人からね、貰ったの」
「……ダメだよ、芹香ちゃん! こんなもの!」
反射的に、武士は芹香の手からバッグごと銃を奪おうとうする。
しかしそれより早く、芹香はカバンを両手に抱え込んだ。
「わたしは、誰かに守られているだけなんて嫌だ! 自分の身くらい自分で守れる。綺麗ごとばっかり言う気はないよ。これはその証拠なの」
「だからって、そんなの……!……芹香ちゃん、まさかそれ、九龍先輩が?」
「まさか。お兄ちゃんはわたしが銃を持つなんて、認めるはずがないよ」
「だったら、誰から……」
「お兄ちゃんの仲間。傭兵だったんだって」
芹香はカバンを抱えながら答える。
今日の朝。灯太とともに儀式場まで送られる車の中で。
芹香は深井隆人から「いつ敵の襲撃があるか分からねえからな」と、護身用にこのコルトを渡されていたのだ。
「傭兵?」
怪訝そうに眉をひそめる葵。
「九龍が、そんなものを雇っているのか」
「うん。なんでも前にお兄ちゃんが戦って、腕を斬っちゃった人なんだって。前に、わたしが灰島君に攫われたときに」
「えっ……」
「……」
武士と葵は、灰島とのビルの一件で深井とは顔を合わせていない。
だからそれがどんな人物かは知る由もないが、直也があのビルで敵対したというのなら、それが灰島の関係者であったことは想像できた。
「……芹香さん」
「なに?」
「その銃、よく見せてくれない?」
葵がすっと手を伸ばす。
「ダメだよ。取る気でしょ」
「違う。嫌な予感がする」
「え?」
プロの傭兵が、例えどんな善意が存在したとしても、ずぶの素人に銃を渡すことなどあり得ない。
あり得るとすれば、なにかの企みが必ず在るはずだ。
「芹香ちゃん」
「……うん」
葵の真剣な眼差しに、無視できない何かを感じた芹香が、素直にカバンを差し出そうとする。
その時だった。
「伏せるっス!!」
白坂が叫ぶ。
「きゃあっ!!」
車が急に横に振られる。
直後、横に強い慣性がかかり、武士と芹香は葵に寄り掛かるように体を押し付けられた。
ガォン!!
猛烈な衝撃が車を襲う。
「キャアアアアっ!」
「うわああっ…!」
「くっ…!」
側面から、大型のバンに体当たりされたのだ。
「武士さんっ、皆さん、掴まってて下さいっ……ッス!」
白坂が叫びながらハンドルを左右に切る。
「くっ……これは……」
葵が車外を見て、絶句する。
前、後ろ、右、左。
武士達の乗るクラウンは、四方を同じ型のバンに取り囲まれていた。




