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「魔女の誤算」

「余計な真似を……!」


 憎々しげに吐き捨てた後、体の内に残る重ね当ての痛みを堪えながら、深井はなんとかその巨躯を起こす。


「遊んでいる時間はないんだよ。さっきも言っただろう? コイツの魂の力は強い。さっさと司令が用意してくれている結界内に連れていかないと、いつまでも簡易封縛じゃ抑えてられないんだ」


 灯太を封じている勾玉の鎖をジャラリと鳴らして、神楽は私闘に興じていた深井を責める。


「だからさっさと九龍にトドメを刺せ。オッサンは朱焔杖の方に行かなきゃなんだろ?」

「ふざけるな」


 神楽としては、作戦通りの行動を促しただけだった。

 しかし、その言葉は深井の苛烈な怒気をもって応じられる。


「う……」


 殺気のごとき威圧感に、神楽は気圧されて後ずさった。


「九龍の坊やを殺せだと? このまま? テメエはこの俺にハイエナみてえに他人の邪魔が入った決闘のおこぼれに与かれってのか」

「し……指令は、任務の障害になるなら九龍直也を倒せと仰ったんだ! こいつを生かしておいたら、後々九色刃を集める邪魔になる! 殺せる時に殺すのは当たり前だろ!」

「……ガキが」

「……うう」


 深井から放たれる底知れない威圧感が、神楽を襲う。

 自分は何一つ間違ったことを言っていない。

この傭兵風情が、負けたクセになんで偉そうにしているんだ……!

 深井のプレッシャーに身を竦まされた神楽は、その言葉を舌に乗せて吐き出すことができなかった。


 深井の携帯電話に着信が入る。

 無言で端末を操作し、メッセージに目を通すと再び神楽を睨み付けた。


「俺の部下が到着した。神楽、テメエはさっさと灯太の坊主を連れて結界とやらに行け」

「……く……九龍は……」

「……追ってくるなら、嬉しいね。今度こそ決着だ」

「あ、遊びでやってるんじゃないんだぞ!」


 神楽は理解のできない深井の威圧に逆らいながら、なんとか叫ぶ。

 だが深井は、その抗議の声を鼻で笑った。


「だからテメエはガキなんだよ、神楽」

「は?」

「遊びでなきゃ、やってられねえだろうが。こんな殺し合い」


 仄暗い笑みを浮かべる深井。

 手にしていた携帯が再びメッセージの着信を知らせる。

 端末を眺めた深井は、更に口角を上げて笑った。


「ちょうどいいね。……朱焔杖を貰いにいく途中じゃないか。良くやってくれたよ。妹さん」


  ***


「……直也くん……直也くん!」


 呼ぶ声に目を覚ます。

 目の前に映った顔は、直也が良く知る冷たい微笑みの女性だった。


「結女さん? ……く!?」


 ぐらりと視界が歪む。

 まるで自分と世界の境目が曖昧になり、空間に精神が溶け出していきそうな錯覚を覚えた。


「落ち着いて。自分の存在を強く意識して。あなたは九龍直也、北狼の元少年兵。日本国首相鬼島大紀の息子で、日本を戦争の災禍から救う為に、九色刃を集めて英雄となる為に戦っているところよ」


 耳から入ってきた結女の言葉が、音の鎖となって直也の精神と世界を繋ぎとめる。

 曖昧だった自分と世界の境目が、明確に規定された。


「結女さん、俺はいったい……」

「戻ったみたいね、よかった。直也くんは、神楽の秘術で魂に直接ダメージを喰らっていたのよ」

「魂にダメージ……あの勾玉の鎖か」

「彼は天才よ。どんなに肉体を鍛えた屈強な人間でも、あの技には対抗する手段はないわ」

「そんなことはありません。あの鎖にさえ捕まらなければ……。!」


 朦朧としていた直也だったが、今自分が置かれている状況をようやく思い出すと、慌てて周囲を見回し自分がまだ儀式場の洞窟にいることを確認し、腕時計で時刻を確認する。


「まだ、30分も経っていない……! 結女さん、灯太は!? 神楽と深井は!」

「私がここに駆けつけた時には、倒れた直也くんの他に誰もいなかったわ。……直也くん」


 跳ねるように飛び起きた直也に、結女は深く頭を下げる。


「ごめんなさい」

「結女さん」

「まさか、あの二人が裏切るなんて……。私も騙されていたの」

「そうですか。あの二人の真の雇い主は、やはり鬼島のようですね」

「ええ」


 ギリ…と歯を食いしばり、悔しさを露わにする結女。

 それは、これまでの常にクールでどこか余裕を見せていた新崎結女の表情とは異なる、生の感情があった。


(あの男……! 自らが呪縛を脱するだけでなく、他人の呪詛も取り除くなんて)


「鬼島は、灯太くんがCACCから直也くんを調べていた事を知っていたんだわ。直也くんが神楽という九色刃の契約を解除する術を手に入れれば、それを頼って朱焔杖の管理者は来日すると、読んでいた」

「俺と灯太は奴の掌の上で踊らされていたというわけですか」

「そう。その為に、私を通じて神楽を直也くんを渡した。……迂闊だったわ。あんな子どもに、私たちを騙す芝居ができるとは思わなかった」


 結女は己の迂闊さに歯噛みするが、それは神楽の芝居を見抜けなかったからではない。己の術を鬼島に破られたことへの屈辱感だ。


「芝居、ですか」


 結女の言葉に引っかかるものを感じる直也。


「なに?」

「彼は、とても芝居をしているようには見えませんでした。俺を敵と認識しながら、神楽はそれでも本気で俺の指示に従おうとしていた。そこに矛盾を感じていなかった。嘘が感じられなかった。そう、まるで催眠術か何かで操られていたかのような。その催眠術が何かのきっかけで急に解かれた、そう見えました」


(まあ……それぐらい洞察できて当然ね)


 結女は直也の言葉に頷く。


「ありえない話ではないわね。神楽は北狼の少年兵でもあるわ。兵士育成プログラムの課程でなんらかの催眠処置を施されていて、連中にとって都合良く忠誠の対象を無意識下で切り替えられた、なんて可能性もありえるわ」


 しれっと答える結女は、その答えに素直に頷く直也に、生来の本性である氷の微笑を浮かべた。

 直也はその笑みに気づかず、もう一人の裏切り者のことに思いを至す。


「それに、深井隆人……。あの男まで、鬼島についていたとは」

「そちらについては、完全に私のミスよ。前に直也くんに腕を切り飛ばされたところを私に助けられて、恩義を感じてくれていると思っていたのだけれど。所詮、犬は犬でしかないということね。ごめんなさい。こうも簡単に鬼島の誘いに乗るとは思わなかった」

「それでも彼の裏切りに不自然な点を感じないではありませんが……、今は考えている暇もありません。結女さん、ここへはどうやって来ましたか?」


 話題を変える直也。

 神楽と深井。二人を手配したのは、騙されたと認めているものの目の前にいる新崎結女だ。

 追求し、確認しておくべきことは多くあったが、今はその時間がなかった。 


「車よ」

「すみませんが、乗せていってもらえませんか。急いで行かなくてはいけない場所があるんです。俺のバイクはおそらく潰されているでしょう。そもそも奴らが俺を生かしておいた理由も分かりませんが……」

「構わないけど……直也くんのバイク、潰されてなんてなかったわよ?」

「……本当ですか?」

「ここに来たとき、車をそのすぐ横に止めたもの」


 眉をひそめる直也は、しかしすぐに得心した。


「なるほど、俺を殺さないわけだ……。追ってこいというのか。深井隆人」


 直也は薄く笑う。

 その笑みは、本人がおよそ知るところではないが、再戦を期した深井が浮かべた笑いと驚くほど酷似していた。


「どこに行こうというの?」


 命を賭した戦いの連鎖に身を投じることに、無自覚に暗い悦びを覚えている直也。

 その彼の堕ちていく魂を見て、愉悦の笑みが零れそうになるのをなんとか堪えながら、結女は尋ねた。


「青梅です。そこの御堂組系の病院で、紅華が刃郎衆、御堂組と戦っています。そこに深井が向かっているんです。朱焔杖を狙って。……紅華は、おそらく敗れているでしょうが」


 灯太が、朱焔杖の管理者の特別な力を用いて紅華の戦いをサポートしていた。

 その彼に余裕はまったくなく、よほどの接戦だったのだろう。

 そして、そのサポートが神楽の横槍で唐突に消失した。

 おそらく、紅華はハジメ達に敗北しているはずだ。

 直也はそう考えていた。


「だが、生きている可能性はある。これから刃郎衆と御堂に連絡を取って、鬼島の手が迫っていることを伝えてから、後を追います。紅華を確保できれば、使い手は管理者の魂を感知することができる。神楽に連れ去られた灯太の後を追えるはずです」


 直也は、かつて武士が葵の居場所を探し当てたことを思い出していた。


「でも、神楽がその前に朱焔杖と灯太の契約を解除してしまっていたら、意味がないわね」

「ええ。だから急がなくてはいけません」


 直也の言葉に結女は頷く。


「わかったわ。バイクは生きてるから、青梅の方には直也くんが一人で向かって。私は、神楽の居場所を私なりに探してみるわ」

「わかりました。お願いします」


 直也は軽く頭を下げると、駆け出して洞窟を出ていった。

 結女は後を追うように、ゆっくりと歩き始めた。

 その表情には、いつもの氷のように冷たい微笑み。


「私に任せておいて、直也くん。すべて貴方の願い通りにしてあげるわ。……あんな男に」


 しかし、その微笑みが僅かに歪む。

 魔女が見せる生の感情。

 受けた屈辱への怒り。


「たかが人間の、小国の王ごときに。わたしの愉しみの邪魔はさせない」


 もし彼女の呟きを耳にする者がいたとすれば、一瞬で魂すら凍りつき、砕かれていただろう。

 その怒りは、冷たく燃え上がっていた。


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