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「時沢VS紅華」

 時沢が屋上に出ると、中央に紅い杖を持った紅華が一人、こちらに背を向けて立っていた。

 一見、無防備な背中だ。

 風に吹かれ長い黒髪を風に泳がせるその姿からは、彼女がCACC秘密組織の特殊戦闘員などとは、誰も思えないだろう。


 ストラップを付けた短機関銃を肩から下げ、油断なく右手で構えた時沢は、紅華のその姿に一瞬敵意を失いかける。

 しかし、彼女は時沢の父替わりとも言える大恩人である御堂征次郎を痛めつけ、脚を焼いた非道な女だ。

 その行為自体は、決して許すことはできない。

 また、彼女はCACCで最初に説得に行った御堂組の構成員を殺害している。

 紅華は被害者であるが、同時に見逃すことのできない敵であった。


「綺麗な、場所」


 屋上に着いた時沢に一瞥することもなく、紅華は目前に広がる山々、繁る森を眺めながら独り言のように呟く。


「……なんだ?」

「綺麗な場所だと言った。都心から少し離れただけで、こんなに豊かな自然がある。森も川も汚染されていない。CACCの都市近くの森林は酷いところよ。工場が無秩序に環境規制も無視して乱立して、有害物質を排出し続けている。こことは比べ物にならない。本当に、この国は美しい。住み着く人間以外は」


 振り返る紅華。

 その表情は、悲しみや憎しみ、怒りなどの感情がない交ぜになりすぎて、フラットな無表情に落ち込んでいた。

 あらゆる色を混ぜると、真っ黒になってしまう絵具のように。


「……国をつくるのは、そこに住む人間です。まだ美しさが保たれているこの国は、住んでいる人間の心根の証明じゃないんですか?」

「笑わせる」


 時沢の言葉を、紅華は一笑に伏す。


「お前……名前は?」

「どうしてそんなことを聞く?」

「お前は私の名前を知っている。私は知らない。不公平だろう?」


 屋上に着くなり即座に決闘になると考えていた時沢は、予想に反し饒舌な紅華にやや驚いていた。

 話し合いの余地などなし、問答無用の決闘が始まると考えていたが、もし紅華にこちらと対話する意志があるのなら、それを時沢の方から閉ざす意味はなかった。

 征次郎へ行った非道に対する怒りをなんとかねじ伏せて、彼は答える。


「時沢顕悟」

「いつから御堂組にいる?」

「物心ついた時からです。私は赤ん坊の頃に、借金を抱えた親に捨てられた。海外の人身売買組織に売られようとしていたところを、御堂組に救われました」

「……ふうん、御堂組に」


 風がそよぐ。

 紅華の髪がなびく。


「紅華。いや、あえて呼ばせてもらます。紅子さん」

「……」

「さっきも言いましたが、十一年前、CACC独立派に誘拐された君たち家族を、国際関係を重視して見捨てるように世論と政府を誘導したのは御堂組です。もしあの時CACCと日本が事を構えていれば、戦後ようやく落ち着き始めていた国家間紛争がまた再燃する可能性があった。だから、表立って君たちを救う為に動くことはできなかった」

「……だから?」

「その代わりに組長は、私を含む御堂組の戦闘員と刃朗衆に指示を出して、君たちを救出するためにCACCに潜入しました」

「……そう、刃朗衆も」

「結果は知っての通りです。私たちは失敗した。君を救うことはできず、君の両親も死なせてしまった。それについては、謝罪してもしきれるものではありません。しかし決して私たちは、日本は、君を見捨てたわけではありません」


 沈黙が場を支配する。

 紅華の、憎悪を、隠すように。


「……じゃあ、時沢顕悟。もしかしたら、お前と私の立場は逆だったかもしれないわけだ」

「……?」

「御堂組が、外国に売られようとしていた赤ん坊のお前の救出に失敗して、CACCで私の救出に成功していたら、ここに立つお前と私の立場は、逆だったのかもしれない」

「……そうかもしれません」

「そんな私を、お前は殺すのか?」


 言葉の刃がするりと、時沢の精神の急所に滑り込んだ。


 紅華が地面を蹴った。


「……っ!」


 朱焔杖の力を使うことなく、生身で駆け寄り距離を詰める。

 唐突な紅華の行動に、会話の中で虚を突かれていた時沢の反応は遅れた。

 朱焔杖の打撃が時沢を襲う。


 ガギィ!!


 辛うじて、その一撃を時沢がイングラムの銃身で受け止めた。

 しかし間髪入れず、紅華の膝蹴りが時沢の鳩尾を穿つ。

 鍛えられた彼の筋肉はそのダメージを最小限に抑えたが、紅華は短く構えた杖を半回転させ、時沢の顎を目がけて振り上げた。


「がっ……!」


 時沢は大きく後ろに跳ね飛ばされるが、それは杖の一撃によるものだけでなく、衝撃を逃がす為の跳躍でもあった。

 軽過ぎた手応えからそれを察した紅華は、体ごと回転し杖の反対の先端を鋭く突き出し、距離を取ろうとする時沢を追撃する。

 大きく体勢を崩していた時沢はそれでも体を捻って、足刀蹴りで杖の打突を横に捌いた。

 バランスを崩された紅華がたたらを踏む。

 その隙に地面を転がった時沢が、ストラップを振り回してイングラムのグリップを掴み銃口を紅華に向けた。

 同時に紅華は朱焔杖の仕込まれた刃を抜き放つように構え、熱線を放つ体勢を瞬時にとった。


 一瞬の攻防。


 至近距離で時沢の銃口は紅華を捕え、紅華は朱焔杖の熱線を躱しようがない距離に時沢を捕えた。


「……話術で私の隙を作るとは。正直君の精神力を舐めていました。麒麟の紅華」

「思い上がるな。お前ごときにそんな面倒をする必要はない。戯れだ」


 朱焔杖は、仕込み刃を鞘から抜かずとも熱風を放ち、対象を燃やすことができる。

 紅華はこの距離で時沢の全身を焼くことは容易かった。

しかし銃口を間近に突きつけられたこの状態では、同時に引き金が引かれて銃弾が紅華の体に風穴を開けるだろう。


「……なぜ、近接戦闘を仕掛けた?」


 膠着状態で、時沢が問いかける。


「なんだと?」

「さっきのタイミングで朱焔杖の力を放たれていれば、私は躱せなかった。射撃ができる朱焔杖に、近接戦闘を仕掛けるメリットはありません。何故ですか?」

「……言っただろう。戯れだ」

「その手で私を討つことに拘ったのか。執念ですか? それとも本当は動揺しているのか」

「黙れ」

「日本は君を見捨てていません。御堂も、刃朗衆も。救おうとする手を拒んでいるのは君自身です。呉近強に操られた君自身の妄執だ!」

「黙れと言っている!!」


 激昂とともに、紅華は突きつけられたイングラムの銃口を弾き飛ばそうと朱焔杖を振るう。

 その行動を予測していた時沢は、打ち込みに逆らわず体を流し半回転して回り込み、裏拳を紅華の後頭部に打ち込んだ。


「がっ……」


 重い一撃をまともに喰らった紅華はほんの一瞬、意識を手放す。

 その隙を見逃す時沢ではなかった。

 鋭い回し蹴りが朱焔杖を持つ紅華の腕を捕え、紅い杖が宙を舞い、屋上のコンクリートの床に遠く転がった。


「ちっ……!」


 転がって体勢を整える紅華。

 膝立ちで顔を上げた先には、油断なくイングラムの銃口を向けた時沢が見下ろしていた。


「終わりです。麒麟の紅華」


 短い黒い銃身が、月明かりを弾いていた。

 無手になった紅華に、短機関銃を構える時沢。

 勝敗は決した形だ。


「投降しなさい。悪いようにはしない」

「……じゃあ、どうするつもり?」

「ゆっくり話をさせてもらます。君の敵意は麒麟に操られている。長い間の怨念がそう簡単に消せるとは思わないが、私の責任で、何年かかっても必ず君を本来あるべき『斉藤紅子』に戻してみせる。それが組長の願いでもある」

「そして、今度は日本の為に刃朗衆として朱焔杖を振るえと?」

「……」


 言葉に詰まる時沢。

 確かに、白霊刃の予言は紅華にそれを求めている。

 それはすなわち、御堂組の意志だ。


「……綺麗事は言いません。それは、その通りです」

「呉大人の言った通りね。お前たちは所詮、偽善者だ。私を助けたいなどと言っても結局は予言を遂行したいだけだ。そんなお前たちの言葉で、私は揺らぐことはない」


 ゆらりと立ち上がる紅華。


「無駄な抵抗はやめなさい。朱焔杖を持たない君に何ができる」


 冷静に言い放つ時沢の言葉に、しかし紅華の口元には嘲るような笑みが浮かんだ。


「九色刃をよく知るはずの御堂組で……これか」

「何?」


 すっと、紅華が腕を上げる。

 掌を、遠く転がる朱焔杖に向けた。


「甘いんだよ、お前たちは」

「……!」


 突如、転がった朱焔杖から猛烈な熱風が吹き荒んだ。

 燃え上がる程ではないが、無視できない熱量が時沢を襲う。


「なっ……!」


 次の瞬間、朱焔杖が弾かれるように跳ね飛んだ。

 それは見えない糸で高速で引かれたように飛翔し、差し出された紅華の手に収まる。


「バカなっ……!」

「死ねっ! 時沢顕悟!!」


 振るわれた朱焔杖から、熱風が衝撃波となって時沢を襲った。

 その体は炎に包まれ、遠く後方に大きく吹き飛ばされる。


「あははははは!」


 狂気のように、燃える瞳を持つ女は笑った。


「バカな男! 私を、まともに九色刃を使いこなすこともできない刃朗衆と同じに考えるからこうなる! 私と灯太が、どれだけ朱焔杖を手に地獄みたいな戦場を潜り抜けてきたと思ってるんだ!」


 人の形に燃える塊が、コンクリートの屋上に転がる。


 しかし。


「……何?」


 炎の塊が蠢く。


 タタタタタッ!!


 イングラムM10が火をいた。

 紅華は咄嗟に横に跳ね飛んで、その射線から身を躱す。


 人型の炎の塊が立ち上がり、服を掴んで腕を振るった。

 一振りで炎が消え去り、そこには端々が炭化してボロボロになりながらも、炎のダメージから持ち主を守った銀色の防火布を持った時沢が立っていた。


「バカな……っ!」

「特殊災害用に開発された、超難燃性アラミド繊維の防火布です。何の対策も無しに、朱焔杖の前に立つと思いましたか!!」


 ダークスーツの下に、時沢は特別なその防火布を仕込んでいたのだ。


「ふざけるな! そんな布きれ、もう次の炎を防げ……」


 紅華が朱焔杖を構えるより早く、時沢がイングラムを構え引き金を引く。


「っ!!」


刹那のタイミングで、淡い光に包まれた朱焔杖を中心に赤く輝く光幕が半球杖に形成された。

 イングラムから放たれた9ミリパラべラムの弾丸は、光幕に着弾し次々に蒸発していく。


「……なめるなっ!『炎盾』にそんなものが通じるか!!」

「その盾、360度すべてに張れるんですか?」

「……っ!!」


 時沢の言葉の意味を察する紅華。

 しかし、連射が続くイングラムを前に、どうすることもできない。


「……ハジメさんっっ!!!」

「死ねっ!! 紅華!!」


 階段に通じるドアが蹴り開けられ、二丁のデザートイーグルを構えた御堂ハジメが飛び出す。

 そこは、短機関銃を炎の盾で防いでいる紅華の背後。


 ガンガンガンガンガン!!!


 50口径の大型拳銃から放たれる破壊の暴風が、紅華の体を背後から襲う。

前方に爆ぜるように飛ばされた紅華の体は、『炎盾』に接触。そこから火柱が垂直に数メートルの高さまで吹き上がった。


「うおっ……!」


 異常な現象に驚愕するハジメ。

 火柱は燃え上がり続け、周囲を煌々と照らす。


「ど、どうなってるんだ、これ……」

「……紅華さんが死んで、朱焔杖の力が暴走しているんでしょうか……?」


 ハジメと時沢は、遠巻きに火柱を見つめ、警戒を続ける。

 だが火柱はその火勢を徐々に緩め、炎の中心に地面に倒れた黒い人影が見え始めた。


「……なんとか……やったか」

「お疲れ様でした、ハジメさん。よく堪えましたね」

「……人が悪いぜ、時沢さん。『合図をするまで、何があっても姿を見せるな』って。あんたが焼かれたとき、マジで死んだと思ったっつの」

「ああ。この布のこと話してませんでしたね」


 時沢が紅華を追って屋上に向かう前に、病院についたハジメと時沢と合流していた。

 そこで二人は、短い時間で示し合わせていたのだ。


 会話する二人の横で、炎の柱がどんどん小さくなっていく。


「紅子さん……。残念です」

「……仕方ねえよ。時沢さんはやれるだけやったって」

「そんなことはありません。最後にハジメさんの手も汚してしまいました」

「それこそ仕方ねえよ。俺は覚悟してっから大丈夫。まあ、ここに武士がいなくて良かった。あいつがいたら、どんな事になってたか」

「それは確かに。……! ハジメさんっ!!」


 唐突に、時沢がハジメに覆い被さるように飛びついた。


「な……」


 ガォォォン!!


 直後、爆発的に火柱が膨れ上がり、四方に炎が炸裂する。


「がぁっ!!」


 横倒しになってハジメは吹き飛ばされ、コンクリートの地面に強く体を打ちつけた。

 爆発の中心で、炎が収束する。


 その中心に立つのは。


「……ごめん灯太。結局、力を借りちゃったね」


 その体に傷ひとつ負わず。

 服にひとつの焦げもなく。

 この場にいない少年に向かって話しかける、無傷の紅華だった。


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