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「十一年前の決着を」

「殺るなら、早く殺りなさい。人が来たら面倒なことになる」


 征次郎が平坦な声で、しかしハッキリと告げる。

 発せられた言葉には怯えや命乞いの響きは一切含まれていなかった。

 その潔さが癇に障り、紅華は目の前の老人をすぐにでも骨も残さず焼き尽くしたくなる衝動に駆られる。


「人など来ない。銃声を聞きつけて助けが来るのを期待しているのでしょうけれど、無駄なことよ」

「……殺したのか」

「いけない?」


 僅かに老人の眉が動いたことに微かな動揺を感じ、紅華はニッと笑う。

呉の指示は、御堂征次郎を人質に命蒼刃を手に入れること。

 今すぐ殺すわけにはいかない。

 だが目の前の老人は、長い間恨みを抱き続けてきたこの国の象徴のような男だ。

 少々の恨みを晴らさせてもらうことに、紅華が暗い悦びを抱いてしまっても、仕方のないことだろう。


「貴様を守っているということは、貴様を狙う者に殺されても仕方のないということだろう?」

「今この病院に御堂の関係者はいない。医師や看護師、民間の警備員だけだ」

「それが何だ? 自分のせいで一般人が死んだ事がそんなに不満か? 貴様が? 笑わせる……本当に」


 紅華は実際に笑っていた。

 これが笑いごとでなくて、いったい何なのだろう。


「貴様がこの国の為と称して、いったい何人の罪のない人間を虐げてきたと思っている? 殺してきたと思っている?」

「だからといって、これからも殺し続けてよいとは考えていない。答えなさい、紅子さん。この病院のスタッフを殺したのか」


 赤い杖が、老人の頬を打ち据える。

 口を切って、赤い血がベッドを汚した。


「その名で呼ぶなと言っている!!」

「……まだ息のある者もいるのであれば、私をさっさと殺して手当てをするなり、助けを呼ぶなりしなさい。君がこれ以上、罪を背負う必要はない」

「黙れ!」


 再び杖が振るわれ、老人を打ち据える。


「今更、何を善人ぶっている!? 貴様らは私たちを見殺しにした! パパとママを殺した! 灯太を異国に見捨て、地獄に突き落した! その貴様らが今更何を言う!」

「申し訳ないことをした」

「なっ……」


 率直に放たれた謝罪の言葉に、紅華は絶句する。


「君のご両親。刃朗衆の……灯太君。そして何より君自身に、本当に申し訳ないことをした」

「!!……ふざけるなぁっ!!」


 三度振るわれた杖が老人の肩を打ち据え、骨が砕ける音が響いた。


「そんな……そんな言葉で済むか、済むもんか!! 貴様は、貴様たちは、自分たちが安寧を得る為だけに、私たちに犠牲を強いたんだ!! 自己責任とかいう訳の分からない言葉でパパとママを貶めて、私を見捨てて平和とやらを享受し続けたんだろう!!」


 叫びながら紅華は、苦悶に喘ぐ征次郎をベッドから蹴り落とす。


「お前たちは悪だ!! 偽善者だ!! 私があの国でどんな惨めな思いをして生き延びてきたのか、スラムで薄汚い男達に慰み者にされてきたかのか!! 殺さなければ死ぬしかない世界を、灯太と二人でどんな思いで生き延びてきたか!! 貴様に分かるのか!!」

「……きっと……分かりは、しない……のだろう……君たちの、地獄を……だから、すまないと……詫びる、しか……ない……」


 床に這いつくばり、苦痛に顔を歪めながら、御堂征次郎はそれでも紅華の言葉に正面から答える。

 その真摯な態度が、更に紅華を激昂させた。


「貴様の詫びになんの価値がある! 返せ! パパとママを返せ! 灯太と私に、普通の人生を返せ!」

「……その為に……帰って、きなさい」

「……何?」

「帰ってきなさい、紅子さん……君は……呉近強に、利用されて……っ!!」


 紅華に背を踏みつけられ、征次郎の言葉が遮られる。


「舐めたことを言うな」

「……君の気が済むのなら……私を、殺しなさい……だが、その後、どうか……君の仲間の話を聞いて、ほしい……」

「仲間?」

「刃朗衆の……子ども達……九色刃の運命と戦ってきたのは……君だけではない……」

「あのガキどもに何がわかる。私の仲間は麒麟だ。そして呉大人だ。貴様たちを滅ぼすものだ」

「それでは、君が救われない……紅子さん」

「いいかげんにしろ!!」


 更に老人を痛めつけようと杖を振りかぶるが、これ以上の打撃を与えては、征次郎の命を奪いかねない。


「くっ……この、なんで……!」


 紅華は、憎い相手を打てば打つほど、憎悪が増すだけのこの状況に苛立ちを覚える。


「もう喋るな、御堂征次郎。貴様には人質になって貰わなくちゃいけないんだ」

「人質……だと?」

「貴様と引き換えに、命蒼刃を刃朗衆に要求する。安心するといい。目的を達成したら、貴様は私がきっちり殺してやる」

「……呉近強の、指示か」


 紅華は答えないが、その沈黙は肯定以外の何物でもなかった。


「紅子さん。君は一生、呉近強の道具でよいのか」

「だからその名をっ……!」


 ガガガガガガ!!


 ベッドに面した窓ガラス一面に轟音と共にひびが入る。

 狙撃を防ぐための防弾ガラスにダメージを与える、近距離からの連続した銃撃。

 銃弾は貫通こそしなかったが、ガラスの強度を大きく落とし、突入してきた人影により粉々に砕かれた。


「くっ……!」


 紅華は最初の銃撃音に跳ねるように反応し、床に転がる征次郎を盾にするように引き起こして、壁際に退いた。


「……紅華さん。組長を放して下さい」


 突入してきた人影は、ダークスーツに身を包み、短機関銃イングラムM10を構えた頬に傷を持つ男。

 御堂組組長御堂征次郎の懐刀、時沢だった。


  ***


 爆音を上げてバイクが走ってきたバイクが、ほとんど車通りのない曲がりくねった山道の途中で止まる。


「……翠、どうだ?」


 フルフェイスのヘルメットを被ったハジメが、エンジンを切って問いかける。

 後部席にまたがっていたゴスロリ少女がメットを外して、バイクから降りた。

 目を瞑り、間隔を研ぎ澄ませる。


「……うん。このあたりだと、思う」

「思うって、頼りねえな!」

「うっさい! 微妙な感覚なのよ! ……で、あれが継君の言ってた病院?」


 やや離れた場所、木々の向こうに見える建物を見て、翠が尋ねる。


「ああ。碧双刃の反応もあるってことは、あの女がジジイ狙ってここに来てるってのは間違いねーな」

「でも……あの建物からは碧双刃の反応は感じないよ。もっと手前……ほんと、この辺りだと思う」

「持ち歩いてるわけじゃねーのか、それともこの辺にあいつがいるのか……?」


 ハジメは周囲を警戒するが、今のところ敵の気配は感じない。


「ハジメ、とにかくお祖父さんのとこに行こう。今は病院に組の人達いなくて、手薄なんでしょ?」

「ああ。けど……」


 その時、ハジメの携帯が振動して着信を知らせる。


「もしもし……!……わかった。もう近くだ、すぐに行く」


 電話での短いやり取りを終えると、ハジメは翠を見つめた。


「翠、病院はもう襲われてる」

「マジで!? 急ごう!」

「待て」


 慌ててバイクに跨ろうとした翠を、ハジメが制する。


「どしたの!? 急がないとお祖父さんが」

「翠、お前は碧双刃の回収を優先しろ。ジジイのとこには俺が行く」

「なんで!? あの女が相手じゃ、ハジメ一人じゃ……!」

「碧双刃がこの辺にあって、あの女は病院に行ってる。これはチャンスだ。お前はソイツの片割れを取り返してから、こっちに来い」


 ハジメは顎で翠が腰に下げた一本の碧双刃を指す。


「!……でも、そこまで正確に場所が分かるわけじゃないんだ。すぐに見つけられるか……」

「せっかく用意した切り札も、力が使えないんじゃ意味ねーだろ。いいからさっさと探せ」

「けど!」


 紅華は奪った碧双刃をこの辺りに隠し、征次郎の襲撃に向かったのだろう。

 確かに、今が戦わずに碧双刃を取り返す好機だ。

 しかし、その為にハジメ一人を紅華の前に立たせるわけにはいかなかった。


「安心しろ。兄貴が連絡してくれた。ジジイんとこには先行して時沢さんが向かってる。あの放火魔の相手は、時沢さんと俺がする」

「トッキーが?」

「任せろよ。御堂組のダブルイーグルと、御堂四天王の一人が組むんだからな」

「し、四天王? 初めて聞いた。あと三人いるの? あんなのが?」

「ステゴロの時沢。チャカの時沢。ヤッパの時沢。シノギの時沢」

「全部トッキーじゃん! え? 一人で四人分??」


 思わず突っ込む翠の髪を、くしゃっと掴むようにハジメは撫でる。


「とっとと見つけて、こっち来い。あてにしてっからよ」

「……わかった。時間稼いでて」


 時沢の実力は知っている。

 体術の訓練では、葵と翠、ハジメの三人がかりで戦っても彼一人に勝てなかったのだ。


「おう。じゃあ先に行ってるぜ」


 メットを被り直し、ハジメはバイクのエンジンを掛けて、走り去った。

 翠は再び目を瞑り意識を集中する。


 待ってて、ハジメ。

 力を取り戻して、すぐに助けに行くから!!


  ***


「貴様、昨日の……御堂組の戦闘員か」


 紅華が征次郎を盾に、問いかける。

 腕と朱焔杖を征次郎の首に絞めつけるよう当てて、いつでも老人の細い首をへし折れる姿勢だ。

 いや、そんなことをしなくとも、朱焔杖の力で一瞬で征次郎を燃やすことができるだろう。


 時沢は短機関銃イングラムM10の引き金をギリギリまで引き絞った状態で、銃口を紅華に向けている。

 当然、射線には征次郎も重なっている為、このままの状態では撃つことはできなかった。


 だが、紅華も時沢の引き金に掛けられた指を見て、ちょっとした衝撃ですぐに発砲されてしまう状態であることを察する。

 もし朱焔杖の熱線で時沢を打ち抜いたとしても、衝撃で引き金は引かれてしまうだろう。

 そうなれば、紅華は回避できたとしても征次郎が被弾し、人質として使えなくなってしまう。


「紅華さん、もう一度言います。組長を放してください」

「そう言われて、おとなしく放すと思うか?」


 二人は征次郎を挟んで睨み合う。


「……紅華さん。確かに当時、御堂組は世論を操作して、日本政府が紅華さんの家族を見殺しにする決断をさせました」

「……」

「しかし組長はそれでも、あなたたち一家を救おうと、御堂の戦闘員をCACCに送ったんです。その一人が、私でした」

「……」

「作戦は失敗しました。御堂組は、いや、私は君を救えなかった。罪は私にあります。だから」

「だからなんだ。この老人に罪はないとでも言うつもりか。助けようとしたんだから、許せとでも言うのか」

「……決着を、つけましょう」


 静かに。

 絞り出すように、彼は言い放った。


「あなたはもう斉藤紅子ちゃんではなく、CACCの秘密組織、麒麟の紅華だ。そうしたのは私であり、御堂組だ。だから、あなたは私が止めます」

「……いいだろう。相手をしてやる」


 紅華が応えた直後、征次郎の両足が燃え上がった。


「ぐぉ……!」

「組長!! 何をする!!」

「騒ぐな」


 炎はすぐに消えるが、征次郎の膝から下が焼けただれ、骨が見える程の状態にまでなっている。

 征次郎はとても歩けるような状態ではなくなった。


「安心しろ。どの程度焼けば人が死ぬか、私は把握している。このままここで戦えば、御堂征次郎も巻き込むだろう? だから場所を変えよう。老人には、ここでじっとしてもらうために、ちょっと足を焼かせてもらっただけだ」


 紅華が暗い笑いを浮かべる。


「そこまで堕ちたか……紅華!」


 ギリッと歯を食いしばる時沢。

 さすがの征次郎も苦悶の表情を浮かべ、言葉も出せない。

 だが、時沢を見つめて目で語る。

 その言葉にならない征次郎の思いを、実の父親のような存在でもある彼の思いを、時沢は受け止めた。


「……ついてこい、御堂組。屋上なら、戦いやすいだろう」


 紅華が先に立って、時沢に背を向けて病室を出て行く。

 時沢はその背後から撃つこともできたが、相手は炎を操る異能者だ。

 室内で火を放たれては病院全体が火事となり、重傷を負った征次郎は脱出できず、また数少ないとはいえ入院している患者やまだ息のある病院スタッフにも被害が出るだろう。


「組長、申し訳ありません。少しだけお待ち下さい」


 そう言って征次郎と視線を交わすと、時沢はイングラムを構え直し、病室を出て紅華の後を追った。

 十一年前の自分の失敗に、決着をつける為に。


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