「灯太の苦悩」
「儀式はまだ始まらないのかっ!」
呪符が張り巡らされた洞窟状の空間に、灯太の声が響いた。
儀式場には灯太の他に、灯太と同じ顔をした神道使いの少年・日野神楽と、傭兵・深井隆人、そして鬼島首相の息子であり敵対者の元少年兵・九龍直也がいる。
神楽は、呪符はすべて張り終えた後、儀式場の中心にある六芒星の形に繋がれたしめ縄の真ん中に座し、瞑想していた。
深井は儀式場に通じる洞窟の外、入り口付近に立ち、外を警戒している。
直也は日本刀の入った袋を肩に下げたまま壁際に寄り掛かり、スマートホンで外の仲間と情報のやり取りをしているようだった。
「九龍さん、いつになったら始めるんですか」
瞑想している神楽に問いかけても反応が無い為、灯太は直也に聞き直す。
直也はスマートホンの操作を終え、顔を上げた。
「灯太君、待たせてすまない。……日野、どうなっているんだ」
六芒星に歩み寄り、神楽に問いかける。
それまで灯太の声を無視していた神楽は、煩わしいといった表情で目を開けた。
「……そっちこそ、お仲間との連絡はいいのか? 九龍直也。あちこちから報告を受けたり、指示を出したりしてたみたいじゃないか?」
「俺の様子を見ていたということは、その瞑想は本当は必要ないってことか」
(なんだ……?)
話しながら、直也は神楽の態度に違和感を感じていた。
直也が芹香を駅まで送りに一度洞窟を出る前までは、神楽は口は悪くとも、儀式の準備に対しては真剣で必死に取り組んでいた。
だが、戻ってきてからの神楽は、それまでとどこか様子が異なっていた。
一見、変わらずに準備を進めているように見えたが、それまでの必死さが消えて余裕を持ち、こちらを見下しているような表情さえ浮かべるようになっている。
「どういうことだ日野。儀式の準備は済んでいるのか」
「……ああ、もう済んでる」
「だったら」
「だったら早くしろ! 何をもたもたしているんだ、早くボクの朱焔杖との契約を解くんだ! 早くしないと……!」
会話に割って入る灯太。
直也が戻ってきてから様子が変わっていたのは、神楽だけではなかった。
灯太は壁際に座り込み、目を瞑り何かブツブツと呟いていたかと思うと、突如立ち上がって、儀式はまだか早くしろと、急に焦り始めた。
これまでの冷静沈着な様子が消えている。
「早くしないと何? 灯太オニイチャン?」
お兄ちゃんという言葉を強調し、灯太を挑発する神楽。
灯太は舌打ちする。
「……麒麟や北狼が、ここを嗅ぎ付ける可能性があるだろう?」
「どうなの? 九龍直也」
苦々しく答える灯太の言葉を受け、神楽は答えを直也に振る。
「俺も警戒しているが、今のところ奴らの動きは見えない。……確かに無駄な時間を過ごす余裕はないが、どうしたんだ灯太君、急に。焦る必要が、理由ができたのか?」
「それは……今、言った通りだ。麒麟や鬼島首相を侮っている間に、もし敵が……」
灯太は言葉を濁す。
(くそっ……。どこまで隠すべきだ、この力……)
灯太は逡巡していた。
〈念話〉。
朱焔杖を介し魂の力を以て、一切の距離、障害を無視して紅華と灯太が意思疎通できる能力。
すべての九色刃の管理者と使い手が使えるかは不明だが、灯太が紅華との長い付き合いの中で、魂の繋がりを強めることによって開花した能力だ。
灯太はこの念話能力を強化し、更に戦闘に使える能力を生み出してた。
今のところ、刃朗衆も知らない力のはずだ。
灯太はこの能力を、麒麟にも伏せており、紅華にもこの能力だけは呉近強にも隠すように厳しく言っていた。
この力は『切り札』になると、考えているのだ。
朱焔杖との契約を解除し、念話能力を失ったとしても。
朱焔杖の力を失って麒麟を完全に抜ける為には、刃朗衆の一定の協力が必要になると考えられる。
刃朗衆には所属しないが、利用はさせてもらう。
その為の交渉材料として、九色刃の仕様書に書かれていないこの力の詳細は、重要な情報として価値があると考えたのだ。
(くそっ……あのバカ姉貴……!!)
念話で紅華と交わした会話が、思い出される。
(御堂征次郎を襲えだって!? 呉が姉貴にそう命令したの!?)
(そうなの。刃朗衆は組織の大部分を鬼島に潰されていて、今は御堂組に頼りきってる。御堂組さえ潰せしてしまえば、九色刃の奪取は容易くなるというお考えよ。さすが呉大人ね!)
(ね! じゃないよバカ姉貴! どうしてそんな危険な真似を姉貴一人で! 御堂組のトップならその警護だって並みのレベルじゃ……!)
(それが、今が絶好の好機なんだって。昨日のホテルの件が御堂組の仕業にされて、その対応で組織が大混乱だそうよ。トップのガードにも人員を割いていられない状況で、御堂征次郎が滞在する病院も、ガードが甘くなっているみたい。麒麟の情報部隊が掴んでくれたネタよ)
(だったらその情報部隊が殺ればいいだろ!)
(実戦部隊じゃないのよ。灯太もそれくらい分かるでしょ? 我儘を言っては駄目よ?)
(我儘とかそういう問題じゃねえ!)
(それに、呉大人はこれはすべてを掴むチャンスだと言ってたわ。御堂征次郎と碧双刃を人質にして、刃朗衆をおびき寄せる。さすがに御堂のトップを奴らは無下にできない。御堂組ひいては刃朗衆の壊滅と、命蒼刃の奪取。それを同時に行えるのよ。呉大人の深慮遠謀、本当に流石ね!)
(全部、姉貴一人に押し付けてるだけだって!!)
(私は、呉大人の期待に応えてみせる。灯太はCACCで大人しく待っててね。いつものサポートは必要ないから)
(話を聞け! バカ姉貴!)
灯太は、幼少期から長く朱焔杖の管理者を続けてきた事もあり、「魂の力」のコントロールに卓越していた。
魂の波長を感じることができる使い手に対しても、自分の居る場所を誤認させることさえできるのだ。
呉近強に心酔している紅華に、今、自分が麒麟を抜けてCACCを脱出し、日本に密入国していることを悟られるわけにはいかなかった。
今、紅華は呉近強の指示で御堂組のトップを襲撃しようとしている。
その作戦が成功し、御堂征次郎の身に紅華の手で害が及んでしまったら。
朱焔杖の契約を解除し麒麟を抜けたとしても、灯太と紅華が刃朗衆の協力を得ることは不可能になってしまうだろう。
九龍直也だけの協力で、麒麟の追撃を防ぎきれる保証はない。
灯太の計画では、九色刃の特殊能力をエサに、刃朗衆と麒麟を喰い合わせる予定だったのだ。
念話でしつこく作戦の中止や延期を説得したが、呉近強に支配されている紅華は折れることはなかった。
彼女を止める為には、作戦の前に朱焔杖の契約を解除し、力を失わせるしかない。
そうなれば、紅華も無茶な作戦を強行することはないだろう。
しかし。
最悪なのは、戦闘の途中で紅華が力を失ってしまうことだ。
そうなれば、急に戦力を失った紅華が致命傷を受けてしまう可能性が高い。
そんな危険な真似をする訳にはいかなかった。
「……灯太君?」
押し黙った灯太に、不審の声を掛ける直也。
灯太は沈んでいた思考の海から、いったん顔を上げた。
「とにかく、準備ができた以上は儀式を先延ばしにする理由もないはずです。一刻も早く始めて、終わらせて下さい」
「……日野」
「ダメだよ」
促す直也の言葉を、神楽は即座に否定する。
「何故だ!」
「落ち着いてよ、オニイチャン。何を焦っているのか知らないけど、ボクは意地悪で言ってるわけじゃない。儀式は決まった時間にならないと始めることができないんだ。月の位置が関係する。早くとも、今日の深夜にならないと始められない」
「深夜……!?」
「そんなことは初めて聞いたよ、日野」
驚愕する神楽の横から、直也が鋭い視線で神楽を射抜く。
神楽は薄く笑うだけだった。
「ごめんごめん。儀式場が完成してから分かったんだ。ここは思ったより地脈の流れが弱くてね。月の加護も借りないと、魂降の儀式は行えないみたいだ。その確認が、ちょうど今できたとこなんだよ」
神楽の言葉が真実かどうか、神道の秘術に精通していない直也や灯太には分かりようがなかった。
「……くそっ!」
地面を踏みつけ悪態をつく灯太。
「灯太君。俺の知り合いに、多少なりとも神道の秘術について分かる人がいる。その人に確認を取るから、少し待ってくれ」
「そんなことしてる間に、バカ姉貴が……!」
「それは紅華さんのことかい?」
直也の問いに、灯太は再び黙り込む。
すべてを九龍直也に打ち明けるべきか、否か。
灯太はこれまでCACCで、麒麟という組織で、周囲のすべてを疑うことで生き抜いてきた。
目の前にいる男は、あの鬼島首相の息子であり、九色刃の獲得を目論む一勢力だ。
念話能力の話をした途端に、やはり契約解除は止めて、その能力を研究させろなどと言い出す可能性もある。
(くそっ……考えろ、どうするのが最善だ!?)
灯太はまた、孤独な思考の海に落ちる。
「……話す気になったら言ってほしい。灯太君、どうか俺を信用してくれ」
直也の言葉は、灯太の耳には届いていなかった。
そして。
その二人の様子を、神道使いの少年・日野神楽が。
少し離れたところから、義手の傭兵・深井隆人が。
黙ったまま見つめている。
傭兵の方はともかく、幼い少年の方は口元に笑みが浮かぶのを抑え切れていなかった。
***
東京都青梅市。
町から離れた山中に、その病院はひっそりと建っていた。
そこは御堂組が管理する病院で、一般の入院患者はほとんどいないにも関わらず、最新の医療設備や滞在施設が整えられている。
御堂組の関係者の他、息のかかった政治家や権力者達が、世間から身を隠したり、実際に病気や怪我を秘密裏に治療する為に利用されてきたのだ。
御堂征次郎は二ヶ月前に危篤に陥り、なんとか回復した後から、この病院に転院して滞在を続けていた。
ネットの環境さえあれば、都内や全国に散らばる組織に指示を出したり情報を受けることは可能なのだ。
病状が安定した後も、大事を取って病院に居続け、渋谷の御堂組本部ビルを離れていた事は、状況がこうなった今となっては幸運なことだった。
一般の患者がほとんどいないので、医師も看護師も特別な事情が無い限り極端に少なく、情報漏えいの心配も少ない。
またこの病院の存在目的上、警備システムとガードマンは充実している。
それに加えて、御堂征次郎が滞在している間は御堂組の戦闘要員も病院を警備していたのだ。
何もなければ、防御は完璧であったのだ。
だが。
昨日の横浜のホテル事件で、鬼島首相の策略に嵌り御堂組の存在が世に晒され、組織の存続危機に陥ってしまった。
御堂組は対応に追われ、征次郎は身辺警護していた組員も対応に駆り出され、今はもともとの病院の警備のみに頼る形になっていた。
その夜。
病院のVIPルームのベッド上で、征次郎はいつものようにノートパソコンを操作していた。
夜も更けて病院のスタッフは最小限になっており、人の気配は更に少ない。
定期的に看護師と病院のガードマンが見回りに来る他は、病室を訪れるものはいなかった。
いない、はずだった。
コンコン、とノックの音が響く。
「誰だ」
征次郎が短く誰何する。
巡回の時間ではなかった。
ガチャッ……パタン。
訪問者は、誰何の声には答えずにドアを開けて室内へと入ってきた。
ベッド前のカーテンに遮られ、征次郎はまだその姿を見ることはできない。
だが、征次郎は躊躇わなかった。
ダンダンッ!!
枕元に置かれていた拳銃を、老いたとはいえ慣れた手つきで手に取り、カーテンの向こうの人影に向かって二連射する。
訪問者の方からも征次郎の様子は見えておらず、躱しようのない射撃のはずだった。
しかし、訪問者は僅かな気配を察知して身を横に投げ、銃弾を避ける。
直後、カーテンが一瞬で燃え上がり、炎が征次郎の視界を覆った。
「うおっ……!」
さすがの征次郎も小さく驚愕の声をあげる。
刹那。
一瞬で炎が掻き消え、黒のスウェットスーツのような服に身を包んだ人影が飛び込んできた。
老人は辛うじて反応し、飛び込んできた人影に銃口を向けようとする。
しかし、振るわれた赤い杖が、その銃を弾き飛ばした。
人影は征次郎に馬乗りになる形でベッドに飛び乗り、杖の先を老人の咽喉もとに突きつける。
「……失礼。ご老体にこのような乱暴な真似をするつもりはありませんでしたが」
女性の声。
征次郎の上に乗り紅い龍の意匠を施された杖を構えるのは、大きな瞳に燃えるような意志を示す眼光を放つ美女。
「まさか、いきなり発砲されるとは思いませんでした。さすが齢九十を超えているとはいえ、日本最大の広域暴力団でもある御堂組のトップですね」
「……紅華。いや、斉藤紅子さんか」
突然の襲撃に動揺することもなく、征次郎は目の前の女の名を冷静に確認する。
紅華は、反射的に征次郎の顔に唾を吐いた。
「その名で呼ぶな。吐き気がする」
顔に唾棄されても、老人は視線を逸らさない。
怒りも湧かなかった。
かつての愛らしい少女が今、目の前でこうなってしまった事は、すべて自分の咎だと知っているから。




