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「吉祥寺にて(2)」

「久しぶりだね、葵さん」

「……こんにちは、芹香さん」


 女子2人が、どこかぎこちない挨拶を交わす。


「芹香ちゃん、夏休みに入ってからは、会うの初めてだね。元気だった?」

「うん! 武士君は……大丈夫?」


 朗らかな挨拶をする武士に、芹香は快活に返事をするが、とはいえ目の前で彼が腹へ膝蹴りから顔面へ肘打ちという二連コンボを喰らうのを見てしまった直後なので、その後にはトーンが落ちた心配の声が続く。


「あはは。もう治った」


 武士にとっては、この程度の打撃を受けることは訓練で日常茶飯事で、葵と実戦組手を行うことも多かったことから(最初は遠慮がちだった葵も、武士を強くする為と割り切ると、訓練では容赦のない攻撃を繰り出すようになった)、まったく大した事ではなかった。

 まして、命蒼刃の力が発動し、怪我は一瞬で治癒するのだ。


「治ればいいってものじゃないでしょ? 武士君、もしかして葵さんに苛められてる?」

「まさか!」

「……そんなことしてない。さっきのは……」


 慌てて否定する武士の横で、葵は小さくなりながらも、向けられた疑惑に対し言い訳をしようとする。。


「さっきのは、なに? 人前で叩くとか蹴るとか、よっぽどだよね?」


 言い淀む葵に対し、腰に手を当てて口を尖らせ咎めるような口調で再度問う芹香。

 いつの間にか立ち位置が、武士と葵の間に割って入って葵を見つめている。

 まるで、武士を庇っているかのような恰好だ。


「……ええと」


 ただの照れ隠しですと素直に答えるほどには、葵の神経は太くなかった。

 そもそも、確かに武士には悪いことをしてしまったが、それをなぜ芹香に責められ、芹香が武士を守るかのような位置に立っているのか。

 葵は、理不尽を感じていた。


「せ、芹香ちゃん、さっきのは本当にじゃれ合ってただけだって! それより、ごめんね、急に呼び出したりして」


 二人の間に妙な空気が流れているのを察し、武士がつとめて明るい声を出し間に割って入る。

 武士にとっては本当にいつものコミュニケーションでしかなかったので、こんなことで葵と芹香が険悪になってはたまらない。

 まだまだ人付き合いに慣れてなく、照れ隠しが下手な葵の可愛い顔をもっと見たいと思ってしまった武士が悪いのだ。


「大丈夫。久しぶりに会えて嬉しい、メールありがと。ハジメ君も元気?」


 芹香の方も、不必要に険悪な雰囲気を引きずるつもりはなく、もし武士が本当は困っているのならと心配しただけだった。

 武士の様子を見て自分の心配は杞憂だったかと安堵し、芹香も気持ちを切り替える。


 気持ちを切り替えることができていない人間が一人、残っているが。


「うん。あいかわらずだよ」

「そっか。……えっと、『夏休みの宿題を教えてほしい』んだったよね?」

「……うん、そう」


 やや不自然なアクセントで『夏休みの宿題』を強調した芹香に、彼女が何らかの事情を知っている事を、武士は把握する。

 芹香も、答えた武士の一瞬の間から、やはり言葉通りでない意図があることを察し、お互いの思惑が一致していることを確認する。


「じゃあ、どっかお店でも入ろっか」

「そうだね。なんか僕たち、ちょっと目立っちゃってるみたいだし……」


 武士は小声になって、周囲を見回す。

 冴えない男子高校生が、黒髪の清楚系美少女(ただし暴力系)とブロンド髪のハーフ美少女に挟まれ、あたふたしている状況。

 通行人や同じく待ち合わせをしている周囲の人々から、ちらちらと視線を感じ続けていた。


「……そだね。どこ行こっか。武士君たち、お腹空いてる?」

「ちょっと待って、芹香さん」


 移動しようとする芹香に、葵が声を掛ける。


「どしたの?」

「芹香さん、一人で来たの?」

「そうだけど」


 葵は周囲を見回す。

 それまで葵たちに好奇心で注目していた何人かが、視線を逸らした。


「何? どうしたの?」

「誰かにつけられたり、してない?」

「してないと思うけど……ふふっ、葵さん」


 葵の言葉に、芹香は吹き出す。


「なんか今更じゃない? あんな大騒ぎしてて」


 葵はボッと赤面する。

 確かにあんな衆目を集める真似をしておいて、今更つけられていないかも何もない。

 素人の芹香に自分の失態を指摘され、護衛の任を負っていた葵の面目は丸潰れだった。


「あ、葵ちゃん! 大丈夫だよ、これだけ目立っても何もないんだから」

「え? あ、ごめんなさい。葵さん、私そんなつもりじゃなくて」


 ド凹みする葵を二人は慌ててフォローするが、その行為は更に彼女を追い詰めている。


 そのため、遠目に芹香の行き先を確認している一人の男に気づくことができなかった。


  ***


 駅からやや離れた場所にある大通りに面したファミレスに三人は入った。

 出入り口のすぐ脇の席を陣取る。

 通り側はガラス張りになっており、不審な人物の来店があればすぐに察知できるポジションだ。


 夕飯時で店内はそこそこ賑わっていたが、隣の席は女子学生の4人組で大声での長話に興じており、武士たちの会話に興味を持つような可能性は皆無に思える。

 さし当り、きわどい会話も問題なく行える場所を確保することができた。


「こういう大事な話をする時にはね、まず周囲を確認することが大事なの。人に聞かれる状況で、大事なキーワードをポンポン言っちゃわないようにね」


 横浜のカフェで灯太にバカにされたことが堪えたのか、芹香がしたり顔で注意する。

 葵は内心で何を知ったようなことをと思ったが、しばらく自分に発言権がないことを自覚し、黙っていた。


「どーしよっかなー。あ、カルボナーラいいなあ~」

「葵ちゃん何頼む? そういえば僕たち、時沢さんの差し入れちょっと齧ったくらいで、ちゃんとした食事しばらくしてないよ」


 凹み続けている葵を気遣って、メニューを見ながら武士が声を掛ける。


「私はいらない。武士は何か食べて」

「え? でも」

「食欲ないの」


 葵はいつまでも凹んでいられないと、気を引き締めた。

 これから、今は九龍直也の指示で動いているだろう芹香の口から彼の真意、麒麟の情報、紅華の居場所の手がかりを引き出さなくではならない。

 芹香の方も、さっきの口ぶりからこちらの意図を想定した上で、武士の呼びかけに応じているようだった。

 直也は御堂組のサーバに忍び込むような真似をしているくらいだ。

 どんな意図があれ、素直に情報交換をできる状況とは思えない。

 これは一種の戦いだ、と葵は考えている。

 芹香・シュバルツェンベックは武士にとって大切なクラスメイトだ。

 武士に、芹香に対して厳しい追及を求めるのは酷だろう。

 また、武士を前にして力ずくで聞き出すような真似もできない。

会話の中での心理戦。

 コミュニケーション能力にはまるで自信はないが、それでも自分が戦うしかない。

 その厳しい戦いを前にして、のんびり食事をするような気分にはなれなかった。


「ダメだよー葵さん。ちゃんと食べないと。ダイエット? 私たちの歳でそんなことすると、将来かえって不健康になっちゃうんだって!」


 気負っている葵が落ち込んでいるように見えた芹香は、彼女なりに気を使った明るい話題を振ったつもりだった。

 それがバカにされたように感じた葵は、冷めた目線を返してしまう。


「……違うよ。私にはダイエット、必要ないから」

「そうだよ葵さん細いし! じゃあサンドイッチでも……ん?……私『には』? 『には』ってどういう意味かな?」

「せ、芹香ちゃん?」

「べつに。芹香さんは何を食べるの? カルボナーラって言ってた? やっぱり胸が大きいと乳成分がたくさん必要なのかな」

「あ、葵ちゃん?」

「…………やっぱり私、お腹空いてないな。カフェオレで」

「ダメだよ芹香さん。ダイエット? かえって不健康になるから、気を付けて」

「……うふふ」

「ふふ……」


 ウェイターが水を置きにやってくる。

 注文を聞かれるより先に、武士が口を開いた。


「すみません! カルボナーラにクラブハウスサンドにハンバーグセット! あとドリンクバー3つで! 以上です!」


 強引に状況を打開する武士だった。


  ***


「葵ちゃん。いつ食べられるか分からないから、ちゃんと食べようね」

「はい」

「芹香ちゃん。僕たちちょっと色々あって、今は葵ちゃん余裕ないんだ。許してね」

「こちらこそ、ごめんなさい」


 一時はどうなることかと思った武士だったが、とりあえず大人しくなってくれた二人に、安堵する。


「えっと、じゃあ、話をしようか。ええと、芹香ちゃん」

「『夏休みの宿題』、だったよね」

「うん」

「まかせて。武士君が詰まってるのって数Ⅱのテキストでしょ? あれ難しいよね、1学期でまだやってなかったよね」

「芹香ちゃん!!??」

「冗談です。ごめんなさい」


 目玉が飛び出しそうな勢いで突っ込む武士に、芹香は素直に謝罪する。

 頭をペコリと下げた後、顔を上げた芹香は真剣な表情になっていた。


「『夏休みの宿題』。武士君のメールにあったその言葉に、お兄ちゃんは反応してた。それって、きっと『朱焔杖』と『紅華』さんを『麒麟』から取り返す作戦のことだよね」


 芹香の口からいとも簡単に、立て続けに飛び出したキーワード。

 武士と葵は思わずガタッと反応する。


「葵さん。すごく私のこと警戒しているみたいだけど、安心してね。私は全部を話すつもりで来た。武士君たちに会ってる事、お兄ちゃんには言ってない。だから、武士君たちにあった事も私に全部教えて。この前みたいに、みんなの思いがすれ違って、誰かが悲しい思いをするのはもう嫌なんだ」


  ***


 運ばれてきた料理になんとか口にしつつ、武士達は情報を交換する。


 朱焔杖とその使い手の紅華について持っている情報は、かなりの部分で一致していた。

 だが、武士たちがまず驚愕したのは灯太の事だった。


「朱焔杖の管理者が、日本に来てるの!?」

「うん。麒麟を抜け出して、密航してきたの。武士君たちが紅華さんに会ってた頃だと思う。横浜にいた灯太クンを、私が迎えに行ったんだよ」

「それで灯太は!? 灯太は無事なの!? ちゃんと生きて、ちゃんと、ちゃんと育って……」


 立ち上がらんばかりの勢いで、葵が問い詰める。

 幼い頃、自分たちが未熟だったばかりに、麒麟に攫われてしまった灯太。

 予言通りだったとはいえ、師匠がチャンスをくれたにも関わらず自分たちは灯太を守ることができなかった。

 継の話では灯太は来日していないということだったので、灯太を助けるチャンスはないと落胆していたのだ。


「うん、元気だった……って言ったらいけないんだろうけど。CACCで辛いことは沢山あったとみたいだけど。普通の男の子みたいに、ケーキを食べて美味しいって、笑ってたよ」

「そう……、ちゃんと、生きて……」


 葵は椅子の背もたれに寄り掛かり、両手で口を押さえる。

 もちろん「無事」ではないのだろう。

 苦難の連続だったのだろう。普通の日本人の少年として、得られるはずだったたくさんの幸福を、多く失ってしまっているのだろう。

 それでも生きていて、芹香に笑ったという。

 葵は言葉にならない感情が溢れ出して、泣き出してしまいそうだった。


「良かったね、芹香ちゃん」


 その横で、武士も優しい声を掛ける。


「でも芹香ちゃん。どうして灯太君は九龍先輩を頼ったの? 麒麟を抜け出してきたんだったら、紅華さんみたいに洗脳されてる訳じゃないんだよね? だったら刃朗衆に……」

「灯太クンはね、刃朗衆に戻るつもりはないんだって」

「……どういうこと?」


 葵が顔を上げて聞き返す。

 芹香は、灯太から直接聞いた彼の思いを説明する。

 『麒麟』の為にも『刃朗衆』の為にも戦うつもりがないこと。

 朱焔杖の契約を解除し、紅華とともに自由の身になることが目的であること。

 その為に、『CACC』『日本政府』『麒麟』『刃朗衆』いずれの陣営でもない直也を頼ったということ。


「どうして、灯太君は九龍先輩のことを知っていたの?」

「CACCで日本の情報を集めている時に、九色刃について調べているお兄ちゃんの事を見つけたんだって。すごいよ。灯太クン、お兄ちゃんのことたくさん知ってた。きっとパソコンとか、いっぱい使えるんだろうね」

「でも、灯太……そんなことができるなら、どうして私か翠姉に連絡をくれなかったんだろう……」


 幼かったとはいえ、灯太とは翠とともに『魂の繋がった姉弟』の誓いをした関係だ。

 刃朗衆には戻らないとしても、頼ってくれるのは自分たちで良かったはずだ。それがどうして九龍直也なのだと、葵には納得がいかなかった。


「それは分からないけど……。きっと、お兄ちゃんが九色刃の契約を解除する方法を持ってるからだと思う」

「九色刃の契約を解除する!?」


 武士と葵が揃って驚愕する。


「そんなことできるの?」


 武士達が思い出すのは、神道使いの少年だ。

 北狼を率いて、鬼島首相の指示で神道の秘術を用い、葵と命蒼刃の契約を解除しようとしていた。

 その思考を察したかのように、芹香は頷く。


「前に、葵ちゃんが契約を解除されそうになったことがあったよね? あの時の男の子、覚えてる?」

「忘れるわけがない」

「だけど、あの子は死んじゃったって……九龍先輩がそう言ったって、翠さんに聞いたよ?」

「え? そうなの? ……元気だったよ? 今はお兄ちゃんを手伝ってくれてる」

「あのガキが生きてて……九龍直也の仲間になっている?」


 葵は信じられない、と唖然とする。

 だが、その後の芹香の言葉にはもっとインパクトがあった。


「それでね、その子の名前は神楽クンっていうんだけど、神楽クンと灯太クンは兄弟だったんだよ! すごいそっくりで!」

「えええ!」

「えええ!!」


 開いた口が塞がらない武士達。

 思わず店に響く大声を上げてしまう。

 慌てて口を押さえる2人だったが、特に葵のショックは大きかった。


「そんな……あのガキが、灯太の……そうか、出雲の神道衆……」


 灯太の出自を思い返してみれば、ありえない話ではなかった。

 また、年の頃を考えても不自然なことではない。

 それにしても。


「全然、気が付かなかった……似てるとも、思わなかった……」

「葵さんが灯太クンと別れたのって、えっと、もう七年くらい前なんでしょ? 男の子って顔変わるっていうし、仕方ないよ」


 芹香が、ショックを隠し切れない葵のフォローをする。


「と、とにかく落ち着こう、葵ちゃん。これ飲んで」


 武士に勧められるままに、差し出されたお冷を飲む葵。

 いろいろとショッキングな情報が多いが、まずは話を進めなくてはならなかった。


「それで芹香ちゃん。九龍先輩はあの子の、神楽君の力で朱焔杖と灯太君の契約を解こうとしているんだね?」

「うん。今は儀式場の準備をしてる。私も今日、そこまで灯太クンを送っていったんだ」

「……九龍の目的は、なに?」


 コップを置いた葵が、まっすぐに芹香を見つめる。

 芹香は黙り込んだ。


「どうやって九龍があのガキを……灯太の兄弟を仲間にしたのかは置くとしても。九龍はどうして、灯太の望みを叶えようとしているの? 慈善事業をしたいわけじゃないでしょう」

「ちょ、葵ちゃん」


 強い口調で問いかける葵に、武士が慌てる。

 後から事情を聞いて許したとはいえ、直也は一度は自分だけでなく、武士を殺そうとした男だ。

 葵は、たとえ真の予言の英雄であるとしても、直也に対して根深い不信感を持っていた。


「契約を解除した朱焔杖と手にして、いったいあの人は何をするつもりなの?」

「……お兄ちゃんの、目的」


 そこまで言って、芹香は一度ドリンクバーのアイスカフェオレを啜り、一息つく。

 そして、キッとまっすぐに葵と武士を見つめた。


「今日、私が武士君たちに伝えたかったことは、それなの。お兄ちゃんは今はまだ話さない方がいいって言ってたけど。私は、また誤解でお兄ちゃんがみんなと戦いになっちゃいそうで、怖い」

「芹香ちゃん」

「お兄ちゃんは、九色刃を集めようとしてる。朱焔杖の契約を解除できたら、今度は命蒼刃と武士君の契約を解除して、自分が新しく使い手になろうとしてる」


 ギッと葵の眼光が鋭くなる。

 普段の芹香なら怯んでしまいそうな、殺気にも似た気迫。

しかし芹香は脅えることなく、それを受け止めた。

 そして、言葉を続ける。


「それは、武士君を戦いの運命から解放する為に。優しい武士君を元の世界に戻す為に。その為に自分が英雄になろうとしてる。ねえ葵さん」


 今度は芹香の強い意志が、葵を射抜く。


「葵さんはこのまま、武士君に戦わせていいの? 確かに命蒼刃の力で死なない体かもしれないけど。だからってこのまま、お兄ちゃんの代わりに英雄として、日本を救うために戦い続けてほしいの?」


 痛いところを突かれ、怯んだのは葵だった。


「芹香ちゃん、ちょっと待って。僕は」

「武士君ごめん。今は葵さんに聞いてるの」


 いつもの明るい芹香とは違う、鋭い口調で武士の言葉を遮る。


「私は……」

「葵さん、武士君は普通の高校生だったんだよ。私も、葵さんや翠さん、ハジメ君の境遇は聞いた。力になってあげたいと思う。けど人の生き死に関わるような戦いに、武士君は向いてないと思う。葵さんもそう思うでしょ?」

「待って」

「私は」

「お兄ちゃんは覚悟してる。あの人の息子で、これまで軍隊にもいて、これからもあの人と戦うつもりの人生だったからって。でも武士君は違うでしょ。葵さん達のことは、刃朗衆とか予言とか、本当に可哀想だと思う。だけど、お願い。武士君を巻き込まないで」


「芹香ちゃん!!」


 立ち上がり、大声で武士は叫んだ。

 店中に響く声で、何事かと周りの客たちが武士達を見る。


「……すみません」


 店員や周りの客に頭を下げ、武士は座った。

 そして、苦い表情をしている芹香を見つめる。


「芹香ちゃん、僕は巻き込まれたなんて思ってない。葵ちゃんの力になりたいって思ってる。僕の意志でだ。だから、たとえ九龍先輩が代わってくれるって言っても。代わる方法があるとしても。僕より九龍先輩の方がよっぽど英雄にふさわしいのは分かっていても。それでも、僕が、葵ちゃんの傍にいたいんだ」


 迷いのない視線。

 迷いのない言葉。

 直也が予想した通りの反応が、武士から返ってきた。

 もちろん芹香とて、武士があっさりと「分かりました、後はよろしくお願いします」と英雄の役割を直也に返すとは思っていなかった。

 高校に入ってからの短い付き合いとはいえ、武士の性格をよく知っていればこそ、なおさらだ。


 そして、だからこそ。

 芹香は、たとえ武士に嫌われても。

 葵を残酷に傷つけることになっても。

 芹香は直也の意志に同意し、二人を説得しにきたのだ。


「葵さん。どうなの?」

「芹香ちゃん、やめて」

「葵さんの答えを、聞かせてほしいの」

「お願いだから、芹香ちゃん!」

「武士君はあなたのものじゃないでモガッ」


 芹香は一瞬、自分が何をされたのか分からなかった。


 葵の前に置かれていたクラブハウスサンドが、武士の手によって芹香の口に捻じ込まれていた。


「ふぁっ……ふぁけしふん……」

「芹香ちゃん。食べて、その間に落ち着いて?」


 吐き出すわけにもいかず、モグモグとサンドイッチを食べるしかない芹香。


「武士……私は」

「何も言わないで、葵ちゃん」


 俯き、肩を震わせている葵。

 武士はその肩に手を置く。


「今は何も言わないで。ううん、何も考えないで。僕が、そうしてほしいんだ。お願いだから」

「……」


 パタパタと、葵の膝に雫が落ちる。

 武士は見ないふりをした。


「……んー! んー!」


 気づくと、芹香がサンドイッチを咽喉に詰まらせ、もがいていた。

 慌てて武士がカフェオレを差し出す。

 詰まったサンドイッチを飲み下し、芹香はようやく落ち着いた。


「だ、大丈夫? 芹香ちゃん」

「……うん。さすがに、こういう止められ方をするとは思ってなかった……殴られるくらいは、覚悟してたけど」

「そんな……」


 芹香が嫌われ役を買って出てでも、武士の身を案じてくれていたことは分かる。

 その気持ちは嬉しかったが、少なくとも今の葵を前にして、話してほしくはなかった。


「芹香ちゃん。教えてほしいことがあるんだ」

「なに?」

「九龍先輩は、麒麟と連絡を取ってるの?」

「えっ……?」

「継さんが、九龍先輩がCACCと通信している形跡を見つけたって」

「お兄ちゃんが……? それって、灯太クンがまだCACCにいた時の、灯太クンとの通信じゃないのかな? ネットでコンタクトしてたみたいだから」

「ああ、そうか……」


 納得できる推測だった。

 しかし、だとすれば。


「じゃあ九龍先輩にも、今は紅華さんの居場所は分からないかな?」

「それは、知らないんじゃないかなあ……」


 麒麟の本隊と繋がりがあるわけでないのであれば、直也にもそれは知りようがないだろう。


「あ、でも」


 芹香が何か思いつく。


「一緒にいる灯太クンにだったら、分かるんじゃないかな」

「え?」

「だって紅華さんは朱焔杖の使い手で、灯太クンは管理者なんだよね? 確か、武士君も命蒼刃の魂の力で、葵ちゃんの居場所が分かったって……前に言ってなかった?」

「あ」


 武士と葵が、顔を見合わせる。

 確かにそうだ。

 九色刃を通して、管理者と使い手は魂の力を通わせる。

 その副作用として、相手の居る方向や距離を感じ取ることができるのだ。


「芹香ちゃん、これから灯太クンのいるところまで、案内してくれない?」

「え? え? ちょっと待って、それは……」

「お願い、紅華を見つけないといけないの。碧双刃を取り返さないと、翠姉が」


 身を乗り出して懇願する葵に、芹香は困惑する。


「翠さんが、どうしたの?」

「紅華さんに、碧双刃の一本を奪われたんだ。それで、翠さんはすごく動揺して、精神的に追い詰められてる。取り返したいんだ。それに」


 葵の代わりに答える武士。


「それに?」

「紅華さんのことも助けたい。麒麟の道具になって日本に復讐するなんて、止めさせたいんだ。だからもう一度、会って話したい」

「武士。それは無理だと思う」


 葵が口を挟んだ。


「今日も話したけど、紅華は強い。説得しながら戦ってられる相手じゃない。それに、話してみて分かったでしょう? あの女は完全に、麒麟に支配されてる。こっちの言葉なんて届かないんだ。殺す気で戦わないと止められない。でないとまた、昨日みたいに武士は」


 そこまで話して、はっと葵は芹香を見る。


「昨日? 昨日って紅華さんに武士君たちが会った時? 何があったの?」

「なんでもないよ、芹香ちゃん。紅華さんとの話し合いに失敗しちゃったんだ。だから今度こそ、もう一度話せば、きっと……」


 慌てて武士は取り繕うが、大体の状況を察した芹香は首を横に振った。


「でも、葵さんは殺す気じゃないと止められないって言ったよ」

「それは……」

「ごめんなさい、武士君。葵さん。やっぱり灯太クンのところには、連れていけない」

「芹香ちゃん」

「……」

「大丈夫、お兄ちゃんに任せて。紅華さんは麒麟から解放されるから、心配しないで」

「どうして?」

「神楽クンの儀式が行われて朱焔杖の契約が解除されれば、紅華さんは戦う力を失くすでしょ? そうすれば、紅華さんも麒麟を抜けざるを得なくなるって、灯太クンは言っていた」


 今、武士たちを儀式場に連れて行ってしまえば、直也の計画が壊れてしまうかもしれない。

 武士も葵も、直也の考えに賛同はしていないのだ。

 どんな対立に発展してしまうか、分かったものではなかった。


「そうかもしれないけど、でも」

「少なくとも、紅華さんと話し合いができるくらいには、落ち着くと思う」

「碧双刃はどうなる?」

「灯太クンに私から話しておくよ。麒麟を離れたら、九色刃は紅華さんにとって用無しになるでしょ? 返してもらえるように、お願いする」

「それで返してもらった碧双刃は、九龍の手に渡るの?」


 葵が芹香を睨む。

 悪意の視線ではない。例えるなら、大切なぬいぐるみを奪われまいとする、子どものような必死な視線だった。


「葵さん、それは」


 その時だった。

 武士のポケットで、スマートホンが振動した。


「ごめん、ちょっと待って……もしもし、継さん?」


 タップして電話を始める武士。

 継からの連絡のようで、葵と芹香もいったん話を止めて、横で聞き耳を立てる。


「はい……はい……えっ!? 本当ですか!?」


 武士の顔色が変わった。


「はい……はい……青梅ですね、はい……今は吉祥寺です。はい……はい……とりあえず駅前に、はい……分かりました」


 電話を切る。

 即座に葵が詰め寄った。


「何があったの!?」

「継さんが、麒麟から紅華さんへの指示メッセージを見つけたって」

「じゃあ、あの女の居場所が分かったの!?」

「居場所というか、これから紅華さんが向かう場所なんだけど……」


 青い顔をしながら、武士は継からの連絡内容伝える。


「ハジメのお祖父さんが狙われてる。今、征次郎さんは青梅にある御堂組の病院にいるから、行ってくれって。ハジメと翠さんももう向かってる。急ごう葵ちゃん、駅前に、継さんが御堂組の車を回してくれてる!」


 事態は、武士達が想像のしていなかった方向に転がろうとしていた。



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