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「残念だったね、いろいろ終わってからね」

 御堂組の本拠地が使えなくなり、武士達が臨時の隠れ家として使用している、八王子のホテルの一室。

 打ち合わせの後、武士は葵を伴い芹香・シュバルツェンベックと接触すべく2人で外出した。


 芹香から待ち合わせの回答メールを受けて、武士は最初、一人で向かおうとした。

 全員で押しかけて、直也と繋がっている芹香に余計な心配や不安感を抱かせては可哀想だと考えたのだ。

 確かに芹香も武士一人が相手の方が、きわどい内容も話しやすいだろうと思われた。

 だが、麒麟の狙いが命蒼刃であり、その使い手も狙われていることが判明している以上、戦闘力に乏しい武士を一人で外出させる訳にはいかなかった。

 一人だけ護衛をつけようという話になり、ハジメは当然自分がついて行くつもりだった。

 自分が武士を心配していることもあるが、時沢が御堂征次郎のフォローの為に先に出て行ってしまった今、継を除いて武士について行ける人間は、ハジメの他には翠か葵。

 翠は碧双刃の片割れを奪われ戦闘力の大半を失っており、またその為に極度の情緒不安定になっている翠を置き去りにして、葵が外出できる筈もなかった。

 消去法で考えてもハジメがついて行くしかない。

 だが、継がストップをかけた。


「ハジメは駄目。待機してて」

「なんでだよ、兄貴」

「御堂組の関係者として、ハジメは面が割れてる。今は必要無い限り、出歩かないで」

「必要あるだろう、武士を一人にするわけには」

「武士君の護衛には、葵が行けばいい」

「……!」


 継に名指しされた葵が、目を見開く。


「兄貴、それは」

「確かに、使い手と管理者がセットで奪われたら、終わり。でも武士君一人よりは、はるかにマシ」

「俺が言いたいのは、そういうことじゃなくて」

「あたしのことは気にしないで」


 ハジメの言葉を遮り、ベッドに蹲っていた翠が顔を上げて口を挟んだ。


「だって、葵ちゃんにとって一番大事なのは武ちんでしょ?」


 卑屈な台詞と共に薄ら笑いを浮かべ、葵を見る。

 突然の翠の口撃に、葵はたじろいだ。


「翠姉、そんな」

「違うの? 武ちんが会う相手があの芹香ちゃんじゃ、違う意味でも心配だしねん。頑張って、葵ちゃん! 力を無くしたあたしなんかに構っている暇はないよ!」


 前半の台詞だけ聞けば、いつもの葵をからかう軽口だ。

 口も笑顔の形に歪んでいる。

 だけど。

 目がまったく笑っていない。

 最後の『あたしなんか』という言葉が強調されて、「自分を見捨ててさっさと男と出て行けば?」という台詞にしか聞こえなかった。


「……翠姉」


 泣きそうになる葵。

 気を抜けばその場で崩れ落ちそうになる。

 里で出会ってから8年。長い時間を共に過ごしてきた。

 魂の姉妹と誓い合った。

 こんなふうに悪意を向けられる経験は、初めて出会った時以来だった。


「葵ちゃん」


 ショックを隠せない葵の背後から、武士が心配する声を掛ける。

 葵を傷つけた当の翠は、鼻を鳴らすと再び膝を抱え蹲った。

 黙ってやりとりを見ていたハジメが、大きくため息をつく。


「葵、今だけだ。気にすんな」


 そんなことは、葵にも分かっている。

 しかし頭で理解していても、心がついて行かなかった。


「ハジメ。継さん。わたしはやっぱり、翠姉と一緒に……」

「ダメ。マスコミが御堂組の関係者を探してうろついてる。ハジメは紅華の手がかりを掴むまで、ここにいて。武士君の護衛は葵」


 継がパソコンから目を離さないまま、断言する。


「だけど」

「……いや。翠のことはこっちに任せろ、葵。お前は武士と行け」


 なおも食い下がろうとした葵だったが、ハジメも兄に同意した。


「ハジメ?」

「近い人間関係の奴の方が、傍にいて何もできないこともある。大丈夫、兄貴があの女の手がかりを掴めば、翠と一緒に俺が動く。碧双刃さえ取り戻せば、全部元通りだ」


 そうして、二人とも後ろ髪を引かれる思いで、武士と葵はともに部屋を出て行った。


 部屋には、パソコンで紅華の手がかりを探す継、ベッドの上に蹲る翠、所在無げに銃等の装備を点検しているハジメの三人が残されていた。


 継のキーボードを叩く音と、ハジメの銃を整備する無機質な音が響く他は、物音のしない重い空気がホテルの一室を支配する。

 しばらくした後。


 ガンッ。


 翠がベッドの横の壁に、頭をぶつけた。


「……ミドリ虫?」


 怪訝な顔で振り返るハジメ。

 振り向きもしない継。

 翠は、乱れた前髪で顔を隠しながら、継に問いかける。


「……ボンボン兄貴。あの女の手がかり見つかった?」

「まだだ」


 手を止めずに短く応える継。

 露骨に舌打ちすると、翠は静かにベッドから降りて、部屋の出口へと向かう。


「待て、どこに行く?」

「隣の部屋。あの女の手がかりが見つからないんじゃ、ここにいても仕方ない」


 問いかけるハジメに振り向きもせず応えると、葵がおいて行った隣室のキーを手に、翠は部屋を出て行った。


「……どうすりゃいいんだ、あの女」


 天井を仰ぎ見て、困惑の声をハジメは吐き出す。


「俺に任せろって言ったのは、ハジメ。なんとかして」

「なんとかって兄貴」

「あのままじゃ、紅華を見つけても、戦力にならない。逆上して襲いかかっても、あっさり返り討ちにあうだけ。メンタルケアは、ハジメがしておいて」


 手を止めず冷静な声で言い放つ継に、ハジメはもう今日何回目か分からなくなっているため息をついた。


「敵と戦う方が万倍もマシだよ、ったく」

「ハジメなら、できる」

「何を無責任に……」

「僕の時も、ハジメが立ち直らせてくれた」

「……兄貴?」


 キーボートとマウスを操作する手を止めず、パソコンを向いて表情を見せない兄の後姿を、ハジメは見る。

 継はトントンと、車椅子に座る自分の足を掌で叩いた。


「僕が事故で、この体になった時」

「……何言ってんだ。俺が何を言っても、あの時の兄貴には届かなかったじゃねーか。さっき葵に言った近い人間の方が何もできないってのは、兄貴の時の自分を思い出して言ったんだぜ」

「そう思ってるのは、ハジメだけ」


 沈黙に、キーボードの音だけが響く。


「チビ女のこと、気に入ってるんでしょ」

「……なっ! 兄貴、何言って」

「隠しても無駄。他人とは思えないんでしょ」

「俺が、どうして、あんなミドリ虫を」


 焦るハジメに、継は変わらないトーンで言葉を続ける。


「生まれついた環境のせいで、陽の当たらない道を歩く人生を強要された。それでも、守りたい人間を守る為に、手を汚す。自分も、他人も、善悪も顧みないで。それでも笑ってる。笑ってないといけない。似たもの同士」

「兄貴、俺は」

「ごめんね、ハジメ」

「なんだよ」

「僕がこんな体にならきゃ、ハジメにそんな思いさせることはなかった」


 珍しくセンチメンタルな台詞を吐く継に、ハジメは押し黙る。

 かつてこの兄弟の間にあった問題。

 それは、現在進行形の問題ではあるのだが、二人の間で、一応の解決を見ている。

 それは、先送りしているだけとも言えるのだが。


「……兄貴、俺は」

「ストップ。そこから先は、あのチビ女とでも話したら?」

「ミドリ虫と、傷でも舐め合えってか?」

「心的ストレスへの対処法は、ストレスの元となる障害を取り除くこと。それができないなら」

「できないなら?」

「……他者が共感して、孤独感を埋めてやること」

「結局、その場しのぎに傷舐め合ってろってことだろ」


 ハジメは自嘲気味に笑う。

 継も、背を向けてパソコンに向き合い表情を見せないが、少しだけ肩を震わせて笑ったようだった。


「……今はその場をしのげれば十分か」


 ハジメは独り言のように呟くと、時沢が持ってきた翠の着替えの入ったかばんを手に、隣室へと向かった。


 電気も付けず、カーテンも閉められ薄暗い部屋。

 そのベッドの上で、翠は簡易パジャマ姿で一人、蹲っていた。

 その傍らには、開いた状態のアタッシュケースが置かれ、碧双刃の片割れが無造作に入っている。


 翠は、どうしようもない無力感と孤独感に苛まれていた。

 自分が、ひどくみっともない八つ当たりを繰り返していることは、自覚している。

 だが、碧双刃を失いこうまで動揺し、感情が制御できなくなるとは自分自身でも思ってもいなかった。

 あまりの情けなさに自分を責め、そして逃げ場を失った感情が他者への攻撃として溢れ出る。

 悪循環だった。


 何をしている、さっさとあのクソ女を見つけて。

(自分では何もできずに、御堂継に任せきりなの?)

 見つかりさえすれば、すぐにあの女を殺して、碧双刃を奪い返してやるのに。

(碧双刃の力もないのに、それができるの? 仲間だけに戦わせるの?)


「……うるさい……っ!!」


 ベッドに突っ伏し顔を埋めて、叫ぶ。

 身勝手な考えを抱く自分自身も、消し去ってしまいたかった。


 トントン、とノックの音が響く。

 翠は飛び起きて、ドアの前に駆け寄った。

 ドアを開けるなり叫ぶ。


「あの女の場所が分かったの!?」

「……落ち着け。訪問相手の確認もしねーで、ドア開けんじゃねーよ」


 呆れ顔のハジメがそこに立っていた。

 素人同然の翠の対応を責めるが、そんなことは彼女にとって瑣末な事だ。


「そんなことどうでもいい! 紅華の場所がわかったのかって聞いてんの!」


 ハジメのシャツの襟首を掴んで、その顔を引き寄せる。

 身長差が大きい為、ハジメは腰を曲げて屈むことになったが、乱暴な翠の態度に彼が大人しくしているのもここまでだった。


 無造作に自分の襟首を掴んでいる翠の手を取ると、力づくで捻りあげ、後ろ手に取る。


「あう……っ」


 あっさりと腕を極められて、小さく悲鳴を上げる翠。

 手を放しながら、ハジメはその小さな背中を突き飛ばし、翠を部屋の中に押し込んだ。


「廊下中に聞こえる声で何叫んでんだ、バカ」


 冷たく言い放つと、ハジメも部屋に入り、後ろ手にドアを閉めた。

 床に倒れ込んだ翠は、キッと顔を上げ、ハジメを睨み付ける。


「なにすんのよ!」

「それはこっちの台詞だ。甘い顔してればつけ上がりやがって。ただの素人みてーに泣き喚くテメーに、いつまでも優しくしてやれる程、こっちは暇でもなければ余裕もねーんだよ」


 這いつくばる翠を見下ろし冷然と言い放つハジメ。

 その厳しい表情を正面から受けて、翠は視線を逸らした。


 そんなことは、言われなくてもわかっている。

 けれど、どうしようもないのだ。


 床に座り込んだまま、俯き言葉も出せない翠の横を抜けて、ハジメは部屋の中に入りベッドに座り込んだ。

 横に置かれている、碧双刃の片割れを眺める。


「……一本だけだと、本当に使えないのか」

「そうよ」


 顔も見ず翠は答える。


「試したのかよ」

「試したに決まってるでしょ」

「どうやって?」

「どうやって……? なんでそんな事」


 何をいまさらと、ハジメを仰ぎ見て聞き返す。

 薄暗い部屋で、それでもカーテンの隙間から漏れる陽の光にハジメの表情は逆行となり、翠からは見え難かった。


「いいから答えろ」

「……植物の繊維が縫いこまれてる、あたしの服を斬ったのよ」

「そしたら?」

「魂の力が、流れていかなかった」

「ふうん。でもよ、お前あの力使ってた時、一本で斬っても木とか草とか生やしてたじゃねーか」

「碧双刃は、使い手が二振りを手にしてで初めてその力を発揮すんの。仕様書にも書いてあるし、あたしが何年、コイツと付き合ってると思ってんの? 力が流れ込む手応えは、あたしが自分で分かってる。その一振りだけ手にしても、何の反応もしないのよ」

「仕様書とか手応えとか知らねーけどよ。テメーの気合いが足りねえだけじゃねえのか?」

「なっ……」


 あまりにも乱暴なハジメの物言いに、翠は怒りに手が震えた。


「何、適当なこと言ってくれてんのよ! あんたに何が分かって」

「魂の力に上限はねーんだろ?」


 叫ぶ翠を遮ってハジメが問う。


「その力を能力に変えて、植物に与えるのが碧双刃なんだよ、その為には二本の碧双刃が必要で」

「そう仕様書に書いてあったからか? 武士は仕様書にない命蒼刃の力を引き出したぞ」

「実際に試してみて言ってんのよ!!」

「一度だけか? 閉じ篭ってメソメソ泣いてる暇があんなら、一本でも力を引き出す方法がねーか、何度も試してみろよ」

「まるで手応えがないんだよ! ハジメ! さっきからあんたに何が分かるっていうんだ!!」


 ベッドに座るハジメに向かって、翠が飛び掛かった。

 再びハジメの襟首を両手で掴み、押し倒す。


「あたしは生まれてこの方、碧双刃を使うためだけに生きてきた! 見たこともない姉妹を犠牲にして! 使い手になってからは片時も、この力を手放したことはなかった! あたしの一部なんだよ! 碧双刃の事はあたしが一番よく分かってる! 一振りだけじゃ使えないんだよこれは!」


 仰向けに倒れ込んだハジメの上に馬乗りになって、翠は叫び続ける。


「あたしは碧双刃の力をなくした! 九色刃を敵に奪われる刃朗衆になんて、一切の価値がないんだよ! あたしは、あたしは、きょうだいを、生まれるはずだった命を犠牲にして、あたしなんかが生まれたからには、義務が、お腹のきょうだいの分も使命を果たす義務があんのよ……」


 パタパタと涙が落ち、下にいるハジメの顔を濡らす。

 間近に泣き叫ぶ翠を見て、ハジメは視線を逸らすことなく、その瞳を見つめていた。


「……のうのうと仲良く務めを果たしてるあんたら兄弟に、何が分かるっていうのよ」

「わかんねーよ、わかるはずねーだろ。テメーみてーな特殊な環境。この世にテメーの気持ちが本当にわかる奴なんか、一人もいるはずねーだろ」

「――っ!」


 息を飲む翠。

 その隙に、覆い被さるような姿勢になっている翠の襟を、下から今度はハジメが掴んだ。


「けどな」


 グイと引き寄せ、触れんばかりに顔を引き寄せる。


「テメーはあの時言ったよな、俺たちは共犯者だって」


 それは、葵が敵に奪われて救出に向かっていた夜のこと。

 誰を犠牲にしても、罪を負っても、翠は葵を、ハジメは武士を救うために戦うと確認し合ったときのこと。


「テメーの目的はなんだ。刃朗衆の任務なんざ知ったことか! 見た事もねえテメーの姉妹なんざ知ったことじゃねえ! テメーは葵を刃朗衆の使命から解放する為に戦ってんじゃねーのか!」

「それはっ……」

「だから俺はテメーを信用してんだ。俺だって御堂組の為だけなんかじゃねえ。葵の力になりてえ武士の為に、俺が力になってやりてえ人間の為に戦ってんだよ。その為には、他人の事なんか知ったことか! 会ったこともねえテメーの姉だか妹のことなんか、どうだっていいんだよ!」

「どうだって、いい……?」

「テメーが刃朗衆の使命を果たすかとか、姉妹の代わりになれてるかどうかなんて、どーでもいいっつってんだ! 俺にとって大事なのは、テメーが俺と一緒に、武士や葵の為に戦えるかどうかってことなんだよ。俺の共犯者なんだろうがテメーは!」

「……だから、その為には碧双刃が必要なんだよっ!」

「だったら取り返さなきゃなんねーだろうが! そうやって取り乱してりゃ返ってくんのか。やれることは山ほどあんだろうが! 俺を失望させんな、翠!」


 ハジメにまともに名前を呼ばれ、翠は心の虚を突かれたように我に返った。

 ベッドの上で、互いの胸ぐらを掴んで揉み合うように叫び合った。

 その為、特に簡易なパジャマ姿だった翠の胸元は大きくはだけてしまっている。

 我に返った翠の自分の胸元を見る視線でそれに気づき、慌ててハジメは手を放して、後ずさるように翠の下から這い出た。


 翠は胸元を押さえ、ハジメに背を向けてベッドに座り込む。


「わ、わりい……」


 ハジメは慌てて立ち上がると、翠を見ないように回り込み、持ってきて床に投げ出されていたカバンを掴んだ。

 中には、翠のいつものゴスロリ衣装の替えが入っている。

 顔を背けながら、カバンを翠に突き出した。


「い、いいかげん、着替えろ。こいつはテメーの『戦闘服』なんだろ。そんな情けねえ恰好で碧双刃使ったって、力が入るわけねーだろ。いつもの悪趣味な恰好にさっさち着替えて、気合い入れ直しやがれ。それで何度でも碧双刃が使えねえか試してみろよ。その間に兄貴が、必ずあの女の居場所を見つけ出す。そうなったら、テメーの力が必要なんだよ」


 翠は差し出されたカバンを受け取ると、胸に抱える。


「……それでも、どうしても、力が使えなかったら?」


 ポツリと、呟く。


「そんときゃ仕方ねえ。けど、残った一本持ってついて来いよ。一緒に戦って、碧双刃の片割れ取り返すんだよ。テメーはあんな力無くったって戦えんだろ。訓練してきたのはオカルト兵器の使い方だけじゃねーんだろ?」

「……うん、そうだね」


 背を向けたまま問いかけるハジメに短く答えると、翠は渡されたカバンを開いた。

 多種多様の植物の繊維や種子が埋め込まれた、翠特製のゴスロリ衣装を取り出して、ベッドの上に広げて置く。


「じゃあ、着替えるね」

「え? ちょ、ま」


 ハジメの背後で、パサリと布が床に落ちる音がした。

 それが翠が来ていたパジャマを脱ぎ捨てた音だと、ハジメは認識する。


「ま、待て待て待て! 俺、出てくからそれから」

「待って」


 出て行こうとするハジメの腕を、後ろから翠が掴んだ。


「ここにいて」

「……は?」

「一人にしないで」

「……え? いや、ちょっと、待……」

「葵ちゃんを武ちんと一緒に行かせたのは、あんたでしょ。責任とって、一緒にいて」


 そういうと、翠は後ろからハジメの腕を引っ張った。

 細い腕のどこにそんな力があったのかと思うくらい、強い力で腕を引かれ、ハジメはそのまま振り返ってしまった。

 目の前には、パジャマの上を脱いで上半身を露わにした少女が、カーテンから漏れる陽光をバックに、立っていた。


「み、翠……」

「うん。翠だよ、ハジメ」


 ハジメは視線を逸らすこともできない。

 ささやかな膨らみを隠そうともしない翠が、一歩前に出る。

 ほんの少し手を伸ばせば振れそうな距離に裸体を晒す少女に、ハジメはまったく動くことができなくなっていた。


 翠は手を伸ばして、硬直しているハジメの頬に手を触れる。

 手を通してハジメの震えが伝わってくる。

 翠はくすっと笑った。


「ハジメ、経験ないの?」

「ななな、何言ってんだバカ、バカ女! ミドリ虫!」


 急に語彙力を失ったハジメが喘ぐように、かろうじて叫ぶ。


「その虫を前にして動けなくなってんのは誰?」

「う、うっせえ。誰がそんな貧相な体に」


 翠が更に一歩近づく。

 胸が直接触れそうになったハジメが反射的に退き、背中をドンと壁にぶつけた。

 さらに翠が迫り、ハジメは壁際に追い詰められ逃げ場を失う。


「かわいいねえ、ハジメ君。お姉さんが遊んであげようか?」

「ざっけんな! なんだよ、テメー余裕あんじゃねえか! だったら」

「ないよ。ないから、一緒にいて」


 翠の両手が、ハジメの両腕を掴む。

 そして翠は、その額をハジメの胸に押し当てた。


「ハジメ、嬉しかったよ。あたしにあんな事を言ってくれたのは、あんたが初めてだ。でも、それでも、怖いんだよ」

「……翠」

「力を無くしたら、あたしは葵ちゃんを守れない。碧双刃の使い手でもいられなくなる。そうして予言に沿えなくなったら、あたしには生きてる意味がなくなるんだよ」

「……テメーが生きてねーと、俺が困んだよ。俺一人にあのメンドくせえ連中のお守りを押し付ける気か」


 ハジメの乱暴で優しい言葉に、翠はまた笑う。


「ハジメには、お兄さんがいるでしょ」

「いるけどよ」

「ねえ。ハジメが戦う理由って、武ちんの為だけじゃないでしょ。それって、お兄さんの為?」

「……どうしてそう思うんだ」

「さっきハジメが切れたのって、あたしがハジメのお兄さんの事を言ったからな気がする」


 上目遣いに、翠がハジメを見つめる。

 答えを待つ沈黙に、ハジメが堪えきれずに口を開いた。


「俺たちの名前、不思議に思わなかったか?」

「え?」

「兄貴の名前が継。『継ぐ』って意味で、弟の俺の名前がハジメ。『始める』って意味」

「……うん」

「俺が始めて、兄貴が継ぐんだそうだ」

「え?」

「俺も何のことか分からなかった。ただ、そう決まっているって言われた。最近になって、ようやくわかったよ。俺たちの事も、きっと九色刃……白霊刃か? そいつに予言されてたんだな。でなきゃ、長男と次男にそんな名前はつけねーだろ」


 思わぬハジメの告白に、いつのまにか翠は顔を上げて背筋を伸ばし、ハジメの言葉を正面から受け止めている。


「詳しいことはわからねえ。でも御堂組を最終的に継ぐことになるのは、兄貴のはずなんだよ」

「でも、だけど、継は」

「ああ。事故で腰から下が動かなくなった。だから今の兄貴には、御堂を継ぐ気はねえんだよ。そん時は兄貴落ち込んでたよ。ジジイからは期待されてたからな」

「……その事故って、どんな事故だったか聞いてもいい?」

「よくある話だよ」


 ハジメはゆっくりと自分を掴む翠の手を外して、壁際から逃れた。

 ベッドに座り、横を向く。


「ちょっとした抗争があってな。そん時に兄貴がミスった。俺がそれをカバーしようとして、今度は俺の方がピンチになった。その俺を庇って、兄貴が怪我を負ったんだ」


 淡々と語るハジメの口調に、返って翠は根の深いハジメの思いを感じた。

 継がハジメを庇って怪我を負ったという単純な話ではなく、そもそもの原因は継だったという事だ。

 後悔、罪悪感、恨み、責任感。

 兄弟の間には、簡単には表現できない感情が渦巻いたことだろう。


「兄貴は、御堂を継ぐのは俺だと決めた。ジジイの方も、俺にはとてもそうは思えねーけど、人から聞くとどうやら俺に組を継げる人間になってほしいらしい。けど、そんな筈はねえんだよな。白霊刃が予言している御堂を継ぐ人間は、兄貴なんだから」

「それって、予言から外れようとしてるってこと?」


 翠はハジメのすぐ横に腰掛け、問いかける。


「あの九色刃至上主義みてーなジジイが、そんなこと考えるはずはねーんだがな」


 話しながらハジメは僅かに腰を浮かせて、翠から距離を取った。


「まあ、ジジイはまったく俺の事は認めてねーからな。俺が組を継ぐ事にはならねーよ。俺も継ぐ気もねえ。こんな仕事も、まあ、したかねーよ。けど兄貴の方は、俺に組を継がせようとしてる。……俺は兄貴を守れなかったからな。せめて、兄貴の思いだけでも叶えてやりてーとは思ってる」

「お兄さんの思い?」


 逃げたハジメを追うように、翠は体をくっつけてその横に座り直す。


「そ、それはまあ、俺が守れなかったせいで不自由な体になっても、せめて家の役に立とうっつー兄貴の力になりたいっつーか……おい翠、お前いいかげんに、そんなくっつくな!」

「ハジメ」


 逃げようとするハジメに腕を伸ばし、その背に手を回す。

 バランスを崩してベッドに倒れ込むハジメの胸に顔を乗せて。

 しなやかな筋肉に包まれながら、小さいけれど柔らかい、女性らしいラインのその裸体を、ささやかな双丘を押しつけるように。


 翠は、ハジメを抱きしめた。


「み……み、み、翠……」


 硬直するハジメは、呼吸のできない小動物のようだった。


「ハジメ、ありがとう」

「な、なな、なにが」

「こんな無様を晒したあたしと、まだ一緒に戦おうとしてくれて」

「て、てめえが……」

「ん?」

「てめえが、俺を共犯だっつったんだろーが」

「うん」

「一人で逃げようったって、させねーよ」


 それなりに翠を受け入れる言葉を吐くが、ハジメの手は動かない。

 硬直したままだった。

 翠は笑う。


「てめー……なに笑ってんだ」

「いやあ……ハジメ君、本当に経験ないんだなーと思ってねん」

「……ざっけんな!」

「にゃはは~」


 ハジメは翠を突き飛ばそうとするが、それよりも早く翠は起き上がった。

 惜しげもなく肌を晒して、横になったままのハジメを見下ろす。


「ここでハジメを食べちゃうのは簡単だけどねん。それは、あたしが力を取り戻してからにするよ」


 ベッドの上のゴスロリ衣装を手にして、次いで残された碧双刃の一振りを手にする。


「あの放火魔女から、必ずコイツの片割れを取り戻す。でなきゃあたしは自信を持ってハジメに……!?……」


 台詞の途中で、不意に翠は怪訝な表情を浮かべ、黙り込む。


「おい、どうした?」

「待って」


 立ち上がったハジメを、翠は短く制する。

 目を瞑って、意識を集中する。


「……あっち」


 翠は窓の方を指さす。


「ハジメ、あっちの方角は!?」

「は? ……西、だろ」

「……あっちだ。遠い……けど、外国とかじゃない。都内の……奥の方?」

「お前、まさか」


 半信半疑のハジメに、翠は力強く頷いた。


「分かる、碧双刃の場所。……たぶん、近くに行けばもっと正確に!」


 前に、葵が命蒼刃を手に御堂組のビルを抜け出した時。

 使い手である武士には、命蒼刃の力が流れ込む方向が分かっていた。

 同じようなことが、二振りの碧双刃の間でも起こっているのだろう。

 冷静さを取り戻した使い手である翠が、その僅かな波長を感じ取ったのだ。


「マジか!? よくやった、ミドリ虫!」

「まかせなさいって! って、誰が虫よ!!」


 ハイタッチを交わして、いつもの掛け合いが交わされる。

 調子を取り戻した翠に、ハジメは安堵した。


「よし、兄貴に伝えてくる。近くには紅華もいるはずだ。これ以上ねえ手がかりだ、兄貴も外に出るなとは言わねえはずだ」

「うん」

「テメーはさっさと着替えて準備してろ。いつまでも貧相な体晒してんじゃねーよ」

「ガン見してたクセに!」

「しっ……してたけどしてねえ!」


 抱えた服で胸を隠しながら挑発する翠に、一秒で矛盾する捨て台詞を吐いて、ハジメは部屋を出て行こうとする。


「あ、ちょっと待って!」


 その前に、翠に制止された。


「なんだよ」

「残念だったね、できなくて。いろいろ終わってからね」


 年の割に幼い顔立ちだったはずの翠が、年齢以上に妖艶な表情で微笑む。

 そのあまりの艶めかしさに飲み込まれ、ハジメは言葉を失った。


「あ、いや、あ、う」


 否定も肯定もできず、ハジメは立ち尽くすことしかできない。

 彼の様子に満足した翠は、いつもの表情に戻って笑った。


「にゃははー。冗談はこれくらいにして、継君にお願いして調達してもらいたいものがあるんだけど」

「え、冗談? あ、いや……なんだ?」


 翠のペースに翻弄されつつ、ハジメは問い返す。


「ふふっ。ちょっと手に入りにくい品種なんだけどねん。あの女に対しての切り札になるから」


 翠は今度は挑戦的にニッと笑う。

 それは勝機を伺う戦士の顔。

 反撃開始の合図だった。


 ***


「……兄使いが、荒い」


 ふて腐れたような表情を浮かべながら、継はキーボードを叩いていた。


 部屋に戻ってきた弟から、碧双刃の使い手が気力を取り戻したことと、おおよその碧双刃の位置が分かりそうだと告げられた。


 継はハジメと翠の外出を許可し、碧双刃の場所、つまり紅華の居場所を突き止めたら、手を出さずまずは自分に連絡を入れるよう指示した。

 葵と武士にも連絡を入れ、一緒に向かわせる為だ。


 ハジメと翠は了解すると、支度を整えすぐに部屋を飛び出して行った。


 二人を送り出すと、継は翠に頼まれた植物を手配する。

 確かに珍しい品種だったが、幸いなことに西東京エリアにある園芸店で確保することができた。

 二人にメールで連絡を入れ、途中での回収を指示する。


 同時並行で、麒麟と紅華の通信記録を探す作業を再開した。


 翠の碧双刃感知で、エリアがかなり絞られた。

 紅華が持っているであろう情報端末がどんなものであれ、オンライン接続する手段は限られている。

 そして情報管理が進んでいるこの日本において、警察や公安のシステムを利用すれば、無線であれ有線であれ、不審なアクセスを探知することは(それはそれで公園の砂場からたった一粒の砂を探すが如き困難ではあるが)継にとって不可能なことではなかった。

 継は少しずつ状況が前に向かい始めていることに手ごたえを感じつつ、一方でふて腐れたような表情には理由があった。


 僅かな間に、気力を取り戻した翠。

 妙に距離感が縮まったかのように思える、その翠と自分の弟。


(お前ら……もしかして)


 自分が必死で仕事をしている間に、隣室で男女の青春が謳歌されていたのではないかという疑惑を抱き、御堂継は不機嫌だった。



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