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「みんな、嘘つき」

 ホテル襲撃事件から、明けた翌日。


 武士たちが八王子のホテルで作戦会議を終えようとしている頃。

 奥多摩の山奥、しかし最寄の小さな駅からそこまでは離れていない場所にある隠された地下の空間で、出雲の少年神道使い・日野神楽が『儀式』を行う準備を続けていた。

 中央の六芒星のしめ縄は完成し、周囲の岩肌に張られる呪符も隙間が無い程に張り巡らされている。

 だが、いまだ完成型ではないのか神楽は脚立に上り詔を上げながら、呪符を更に高い岩壁に上張りし続けていた。


「まだかかるのか? 命蒼刃の時と同じような空間は、もうできているように見えるが」


 神楽が詔を終えて一枚の呪符を張り終えた合間に、壁際の大岩に腰掛けていた九龍直也が声を掛けた。

 腰かけた岩には、専用の袋に入った日本刀も一緒に立てかけられている。


「素人は黙ってて。念には念を入れる必要があるんだ。前回のような事にはしたくないんだろう?」


 憎々しげに神楽は応える。

 さすがに神道の秘術にまでは精通していない直也は、神楽の言葉を信用する以外に術はなく、黙り込むしかなかった。

 今、「儀式場」には直也と神楽が二人きりだ。

 直也がこの場に来たのと入れ違いに、新崎結女は去った。

 鬼島首相に呼び出されたという。

 首相の私設秘書という立場で直也のスパイを続けている為、呼び出しに応じないわけにはいかなかった。


 今度こそ、成功させましょう。

 あなたこそが、本当の英雄なのだから。


 危ない橋を渡りながら力を貸してくれている結女の為にも、失敗する訳にはいかないと直也は決意を新たにしていた。


「うわー。すごーい、ひろーい。お札がいっぱい! 天井もたかーい。あれ、ここの明かりって、どうなってるの?」


 しばらく神楽の詔だけが響いていた静謐な空間に、場違いに明るい声が響いた。


「……上向いて口開けてると、お間抜け女子高生がバレバレだよ」

「む。灯太クン、もう本性隠そうともしないね。昨日の天使のように愛らしいオトコノコは何処に行っちゃったの?」

「そんなの最初から、あんたのお花畑な脳内にしかいない」

「ひどい。もう一度会いたい」


 ここは昼休みの学校かというくらい、明るい声が儀式場の空間に反響して響き渡る。

 灯太と芹香、儀式場に入ってきた二人の少年少女の横で、一緒に入ってきた深井が呆れたような表情を浮かべながら、髪を短く刈り込んだ頭をボリボリと掻いていた。


「芹香」


 直也は立ち上がり、姦しい声を上げて喋っている芹香に声を掛ける。


「あ、お兄ちゃん、おつかれさま! ちゃんと任務通り、灯太クンを案内してきました!」


 ビシッと敬礼のポーズを取る芹香の横で、


「案内したのは深井さんでしょ。芹香は車に同乗してただけじゃん」


 灯太が冷たいトーンで吐き捨てた。


「ひどい……頑張ったのに」

「なにを? 芹香がしたことって、ボクとケーキ食べただけでしょ。実質ボクを警護してくれてたのは深井さんなわけで」

「そうだけど。どうして深井さんにはさん付けで、私は呼び捨てなの?」

「相手のレベルに合わせてるだけだよ」

「それって私が子どもの灯太クンと同レベルって言いたいの?」

「同レベルって……芹香、本気で言ってる?」

「え、それってどういう」

「灯太君」


 放っておけばいつまでも不毛な言い合いを続けていそうな二人の間に、直也が落ち着いた声で割って入った。

 灯太はすっと表情を変えて、正面から直也を見据えた。

 身長差があるので、必然的に灯太が見上げる形となる。


「……はじめまして、九龍直也さん。この度はありがとうございます」

「いや、こちらも打算があってのことだ。気にしなくていい」

「よく分かっています。妹さんを寄越したのは、ボクの事を信用しているという証明をして下さったと。そう思っていいのでしょうか?」

「それは、もちろん」


 妹に手伝わせろとごねられたから、とは言えない直也は当然のように頷いた。


「妹さんを人質に、ボクが九龍さんに一方的な要求をするとは考えませんでしたか?」


 年齢にそぐわない厳しい口調での言葉。

 直也はごく僅かに眉をひそめるが、内面はともかく穏やかな表情は崩さない。


「その時は相応の態度を取るだけだよ。見張りもつけていた訳だしね」


 直也の視線を受け、深井は肩を竦めた。

 灯太は探るような目で直也と深井を見比べる。


「なるほど。しかし、深井隆人も裏切る可能性はあるでしょう。彼はただの傭兵だ。例えば、ボクが金を積んで買収してしまう事だって考えられる」

「彼は一流の傭兵だ。依頼主を裏切るような真似はしない」

「どうでしょう。深井さんは、『金払いが良ければ俺はどこへでも行く』と言っていましたよ」

「それはそうだろうね。だけど、契約期間内にはそんな真似は絶対にしない」

「あなたはそこまで彼の事を知っているんですか? 聞けば、あなたは深井さんの腕を切り飛ばした相手だそうじゃないですか。彼がそのことを恨んでいるとは考えませんでしたか?」

「おいおい。本人を目の前にどんな会話だ、これ」


 深井が半笑いで口を挟む。

 灯太は軽く頭を下げた。


「すみません。ボクは追われる身で、単身ここに来ています。知らない人を無警戒に信用する訳にはいかないんです」

「ま、当然だな」


 深井は再び肩を竦める。

 直也も厳しい顔で頷いた。


「灯太クン! 大丈夫だよ、お兄ちゃんは昔っからいろんな凄い人達と知り合いで、ずっとうまくやって来たんだから」


 脳天気な芹香の言葉に、灯太は額に手をやってため息を吐く。


「九龍さん」

「すまない。芹香、少しだけ静かにしていてくれ」

「……あれ、なんで……」


 兄をフォローしたつもりだった芹香は、真顔で直也に頼まれるとあからさまに落ち込み、口を噤んだ。


「灯太君。確かに俺は深井さんのことも、日野君のことも詳しくは知らない。だけど、俺と彼らを繋いでくれた人のことは、昔から良く知っている。信頼できる人だ。君にとっては答えになっていないと思うが、どうか信用してほしい」

「……『日野』」


 直也の言葉に出てきた名前を、灯太が呟く。


「日野神楽。俺たちの切り札になる、九色刃の契約を解除する術を持つ神道使いだよ」


 そう言って、直也は灯太の背後に視線を高く上げた。

 その視線を追って、灯太が振り返る。

 高い脚立の上に座っている神楽が、詔と呪符を張る手を止めて、こちらを見下ろしていた。


「……うるさくてまったく集中できない。あんたら、ボクに儀式をやらせる気は本当にある……の、か……」


 神楽の言葉は、途中で小さく掻き消える。

 彼を見上げる灯太も、目を見開いて驚愕している。


「な? よく似ているだろう」

「はい。俺も深井さんからメール貰ってなかったら、もっと驚いていましたよ」

「……うわ! 灯太クンが、もう一人いる!! ……あれ、君ってこの前の……! そうか、灯太クンが似ている人って!」

「芹香」

「お兄ちゃん! あの子って前に葵さんに酷いことした子でしょ!? なんであの子が、あ、改心したの? でもなんで灯太クンに似て、え? え?」

「芹香。いろいろ言いたいことはあるだろうけど、少し黙って」


 芹香が騒がしい声をあげるが、当の神楽と灯太には届いていないようだった。


 鏡写し、とはまさにこのことだった。

 服装が同じであれば、どっちがどっちか判断することは難しいだろう。

 それほどまでに、二人は似ていた。


「……気持ちワリぃ。なんだ、お前?」

「それはこっちの台詞。日本語でこういうの、キモいっていうんでしょう?」


 脚立から降りてきた神楽が、灯太の前に立った。

 不機嫌そうに顔をしかめる神楽。

 そして同じく不快さを隠すことなく眉をひそめる灯太。

 その表情まで、瓜二つだ。


「……まあ、予測はしてたよ」


 神楽が視線を外して、唾棄するかのように吐き捨てる。


「白霊刃に予言された、朱焔杖の管理者。生まれてすぐに、出雲から刃朗衆に引き取られたんだったっけ?」


 神楽の問いかけに、灯太は答えない。

 沈黙を肯定と受け取った神楽は、構わずに言葉を続ける。


「時期的に考えて、あと、すげえムカつくけどその面からして、お前はボクの弟だろうね」

「きょ、兄弟!! わあー、すごい! 運命の再会だ!」


 手を叩いて、嬌声を上げる芹香。

 本来なら、記憶もない時期に離れ離れになった兄弟の再会とは、芹香の反応の通り感動的なことなのだろう。

 しかし。


「芹香。だから少し静かにして」

「えっ……」


 直也が愚かしい程に純粋な反応をする芹香を小さい声で、しかし有無を言わせない迫力をもって諌める。


「……出雲の神道衆か、君は」


 ボソリと、神楽を見ながら灯太は呟いた。


「元、だよ。あんな古臭い組織、ボクはとっくに捨てた。今は鬼島司令の切り札、北狼のオカルト専門部隊の隊員だ」


 神楽は子どものように、いや実際に子どもなのだが、自らの立場を誇って胸を張る。

 出雲を捨てた自分は、より上位の人間なのだと。


「北狼の人間がどうして九龍直也に力を貸す?」


 だが灯太はそんな彼のプライドはどうでもいいと、話を進める。


「……事情があるんだ。お前は黙ってボクに従えばいい。そうすれば、朱焔杖の契約を解除して、ただの一般人に戻してやる」

「その事情っていうの、詳しく聞かないと信用できない」

「黙れ。弟は黙って兄の言うことを聞いていればいいんだ」

「……誰が弟? 血縁関係があるのは否定できないだろうけど、君の方が弟の可能性だってある」

「そんな可能性はない」

「どうして?」

「決まっている。ボクの方が優れているからだ」

「何を根拠に?」

「出雲で一番の力があって、そして自らの意志でそこを出たボクと違って。お前はむざむざと刃朗衆に連れ去られ、麒麟に攫われて、あげく九龍なんかを頼ってこうして逃げ出してきている。どっちが優秀かなんて、比べるまでもない」

「ボクが出雲からに刃朗衆に連れ出されたのは、予言があったからだ」

「だからなんだ。予言に従うことしかできない、バカどもの仲間ってだけだろ」

「その予言に抗う為に、こうしてここにいる。それに君、予言の内容を知っているのか」

「内容? だからそれは朱焔杖の」

「白霊刃は、その年に出雲で生まれた霊力の強い子どもが、朱焔杖の管理者になると予言した。そうしてボクが連れて行かれた。多分双子だっただろうボクたちのうち、君じゃなくてボクの方を」

「……このやろう……」

「優れている方が兄だなんて、ガキみたいな事はボクは言わないけど。もし、仮に、君と同じレベルで話をするんだったら。ボクの方が兄に間違いないね」

「ふざけんなっ! このガキ!」


 叫んだ神楽が、懐から数珠状に繋がった勾玉の鎖を引き出して構えた。


「君だってガキだろう」


 すまし顔で、さらりと灯太は嘲笑う。


「黙れ、今この場でお前を封印してやってもいいんだぞ!」

「……やってみなよ」


 すっと目を細める灯太。


「やめろ日野、灯太君も」


 直也が一触即発になった二人の間に、割って入る。

 張り詰めた空気が流れる。

 その緊張感を破るように。


「……あははっ」


 堪えきれず、芹香が笑い出した。

 同じ顔をした二人の少年が、同時に芹香を睨む。


「何がおかしい」

「何がおかしい」


 ハモった二人が憎々しげに互いの顔を睨み付ける。

 その様子に、芹香が更に声を上げて笑った。


「……芹香」


 いつまでも笑う芹香に、いいかげんにしろと直也が声を掛ける。


「ごめん、ごめん……お兄ちゃん。だって、二人とも仲がいいんだもん」

「どこが!!」

「どこが!!」


 再びハモる兄弟。

 同じように顔を歪め、顔を背けた。


 その様子を見て、芹香はまた笑った。

 先程までの声をあげる笑いではなく、まるで弟たちに向けるかのうような、優しげな微笑みだ。


「……灯太クン。猫被ってた最初の時よりも、ずっと子どもに見える。ううん。年齢と同じくらいって意味。話している内容は深刻なことなんだろうけど。えっと、神楽君? 兄弟同士でこうやって喧嘩できて、良かったね。会えて、良かったね。だって兄弟なんだもん。灯太クン。日本に帰ってこれて良かったね……」


 途中から涙声になった芹香は、スカートのポケットからハンカチを取り出して瞳を拭った。


「……くだらない」


 芹香の涙に毒気を抜かれたのか、神楽は勾玉の鎖を懐にしまうと、灯太に背を向けて歩き出し、再び脚立に上った。


「ボクはボクの仕事をするだけだ。儀式の準備を続ける」

「待て。ボクの話は終わっていない」

「後はそこの九龍に聞け。お前の相手をしている暇はない」


 言い捨てると、神楽は懐から呪符を取り出し、詔を再開した。


「灯太君」


 なおも神楽を見上げる灯太の背に、直也が声を掛ける。

 灯太は振り返ると、落ち着いた声を出した。


「もういいです、九龍さん。どちらにしろボクは、ここまで来てあなた達を信用しないなんて選択肢は残されていない。どうかよろしくお願いしま……っ!」


 言葉の途中で、灯太は唐突にコメカミを掌で押さえる。


「どうした、灯太君」

「……いえ、なんでもありません。すみません、まだ疲れが残っているみたいです。儀式にまだ準備が必要なら、ボクは少し休んでいてもいいですか?」

「それは構わないが……」

「では、すみません」


 灯太は一礼すると、直也や神楽たちから離れた岩壁まで歩いていき、こちらに背を向けて座り込んで、岩壁に肩と頭を預けた。


「……深井さん」


 直也が呼びかけるが、深井は静かに首を横に振る。


「ここにいてもらう方がいいな。もっとマシな場所で休ませてやりたいが、万一敵襲があった時、儀式場と坊主の両方を守るのはやり難い」

「……わかりました」


 頷くと、直也は傍らに立つ芹香に向き直った。


「芹香」

「何? お兄ちゃん」

「手伝ってくれてありがとう。芹香の役目はここまでだ。駅までは俺が送ろう。深井さん、少しの間だけここを頼みます」

「わかった」

「え? 帰れってこと?」

「芹香の任務は、灯太君をここに連れてくることだ。芹香は任務を達成した。ありがとう」


 本来であれば、直也は芹香に儀式場に来てほしくはなかった。

 情報が漏れないよう注意を払ってはいるが、麒麟や北狼がいつ襲ってきてもおかしくはない場所だ。

 しかし、芹香の頑固さと押しの強さを知る直也は、半端なお手伝いごっこをさせても芹香は納得しないであろうことも分かっていた。

 だから、ここまでは許した。

 しかしこれ以上、芹香の身を危険に晒し続けることはできない。


「……わかった」


 厳しい直也の顔を見て、これ以上の我儘は通らないと悟った芹香は、大人しく頷いた。


「ねえ、お兄ちゃん。帰る前に、一つだけ教えてほしいの」

「もう話せることは殆ど話したと思うけど」

「昨日、灯太君から聞いたんだけど。お兄ちゃんが、こうまでして九色刃を集めたい理由ってなに?」

「必要だからだ」


 もっとも根本的な質問に、直也は間髪入れず短く簡潔に答える。

 下手に間を開ければ、余計なことを勘ぐられることを知っているから。


「だ、だから、どうして必要なのっていう意味で……」

「戦争を起こそうとしているこの国の首相が、軍事力として使う為に九色刃を集めている。放置はできない」

「……本当なのかな、それ」

「……どういう意味だ」


 わざと原則論的な、建前論のような回答をし、芹香が望む質問の答えとは異なる意味での回答する直也。

 けむに巻こうとするその答え方に、「そうじゃなくて」と突っかかってくるかと直也は思っていたが、芹香はその根源的な動機の部分に食いついた。


「いろいろお兄ちゃんに教えてもらって、最近はニュースとかも気を付けて見るようにしてるけど。本当にあの人、戦争なんかしようとしてるのかな」

「ニュースになる真実なんて、ごく一部だよ。それにあの男の暴走は白霊刃も予言していることだ」

「もし、仮にだよ? 本当にあの人の思うままにさせていたら戦争になっちゃうとして。九色刃って戦争の役に立つのかな?」

「え?」

「だって、武士君の力は自分が死ななくなるってだけでしょ? 私の病気も治してくれたけど、それは誰にでもできるわけじゃないみたいだし。それって、戦争の役には立たないでしょう?」


 芹香が命蒼刃の力を『武士君の力』と表現したとき、直也の表情に僅かに緊張が走った。

 芹香はその微妙な変化に気がつかない。

 それこそが、直也自身が無意識下に封じ込めている動機の核心であるのだが。

 この兄に限って、そんな俗な思いが根にあるなどとは芹香にはまったく想像することができていない。


「それに、翠さんの碧双刃? あれも樹とか草とか生やすだけだし、今回の朱焔杖っていうのも、火を操るってだけなんでしょ? なんか、マンガの世界とかだったら凄い力なのかもしれないけど。現実だったら、ミサイルとか爆弾とかには勝てないでしょ? 軍隊を動かす力があるあの人に、今更そんな力が必要だとは思えないんだけどな」


 芹香の言葉を、直也は黙って聞いていた。

 この二人には分かりえないことだが、芹香の言っていた内容は、まさに横浜のホテルで紅華と武士達が話していた内容と同じだった。


 刃朗衆や紅華は、確かに現時点で九色刃を個々の戦闘レベルでしか使用できていない。

 素人の芹香が指摘するまでもなく、現在までの使用法では軍隊が持つ通常兵器で代用できる程度の代物だ。


 だが、紅華が言及した麒麟の考えと同様に、直也も使い方次第では戦略レベルの活用も十分に可能と考えている、

 情報戦においてもっとも重要な『未来の情報』をもたらす白霊刃。

加えて、限定的である可能性は高いとはいえ、不治の病をも癒す力を有していた命蒼刃。

 死の病に怯える高齢の施政者は、世界中に数多く存在する。

 彼らに対しては、外交交渉において命蒼刃の力は強力なカードとなりえる。


 直也が手にしている九色刃の情報、および運用方法に関する考え方は、おそらく鬼島首相も同様の筈だ。

 九色刃は、芹香が考えている程度の軽い存在では断じてない。

 独占されれば、間違いなく世界のパワーバランスを大きく崩す存在足りえる。

 そんなものを、断じて鬼島に渡すわけにはいかない。

 それが直也の考え方だった。


 表面上は。


「はっ。お嬢ちゃん。頭イイねえ。確かに九色刃なんざ、実際の戦争じゃあものの役に立たねえ」


 二人の横で話を聞いていた深井が、感心したような声を出す。

 もちろん、むしろ芹香の扱いに困っている直也へのからかいの意味でだ。

 ちなみに、神楽は離れた場所に立つ脚立の上で、詔に集中している。

 もし彼の耳に、敬愛する鬼島大紀を直也が悪く言っている事が聞こえてしまったら、また面倒なことになってしまっていただろう。


「深井さん、混ぜっ返さないで下さい。……芹香」

「はい」

「現実に、あの男は北狼を動かして命蒼刃を狙った。あいつの意図がどうであれ、目的が九色刃であることに間違いない。それに予言では、『九つの力束ねし救世の英雄』が『災禍招き宰相』を倒すと言っている。戦争を止める為には、九色刃がどうしても必要なんだ」

「それって、お兄ちゃんが一人でやらなくちゃいけないことなの?」


 直也の顔をのぞき込むように、顔を近づけて問いかける芹香。

 咄嗟に直也は表情を消す。


 芹香の質問の真意は、「また何か、隠していることがあるのではないか」だった。

 以前、自分の病気を治す為にとった直也の行動は、芹香にとってはトラウマになっている。

 また兄が大事なことを隠して、思いあまって暴走するのであれば今度こそ止めなくてはならないと考えていた。

 九色刃を集めて鬼島首相を止める為に、刃郎衆も御堂組も動いている。

 そこから、前の事があって気まずいだろうとはいえ、直也は距離をとって独自で動いている。

 芹香はその直也に、違和感を持っているのだ。


 だが、瞳の奧の心を覗き込もうとしてくる芹香の視線に、直也が感じたものは、芹香の意図とは異なるものだった。



 なぜ、英雄が自分だと思っている?

 命蒼刃が選んだのは田中武士だ。

 お前が英雄である必要はないだろう?



 そう問われているように、直也には思えた。


「……芹香、もう行こう。いつまでもここで話をしていたら、神楽の気も散るだろう。送っていく」


 直也は芹香の問いには答えず、視線を逸らして言った。

 なおも問い詰めようと言葉を発しかけた芹香だが、ふと思いつき、言葉を飲み込んだ。


「……わかった。でも、送らなくていいよお兄ちゃん。ここで灯太クンを守ってあげて」

「そういう訳にはいかない。せめて、人のいる所までは」

「大丈夫だよ。この後、人と会う約束もあるし」

「人と会う? 誰と」

「武士君。ここに来る途中でメールがあって、なんでも『夏休みの宿題』を教えて貰いたいんだって」


 それは本当のことだった。

 この儀式場に向かう途中の車内で受け取った武士からのメール。

 内容は、今日中にどこかで会えないかというものだった。

 会いたい理由として、本当に「夏休みの宿題を教えてほしい」と書いてあったのだ。

 昨日、カフェで芹香が灯太から聞いた話。

 今頃、武士や葵たちが紅華に接触しているだろうということ。

 そしてこのタイミングで、宿題を教えてほしいなどという理由で連絡してくること。

 芹香には想像もつかないが、なにがしかの意図があることは察しがついていた。

 そして案の定、目の前で直也が一瞬固まっている。


 直也は、柏原が御堂組のハッキングに成功した際に抜き取ったファイルの中に、まさに「夏休みの宿題」と題されたファイルがあったことを覚えていた。

 ファイルの中身は、朱焔杖奪還に向けた作戦に関するものだった。

 このタイミングでの、芹香への接触。

 「夏休みの宿題」というキーワード。

 ブラフの可能性もあるが、直也の動きが御堂組に漏れていると考えられた。

 芹香を、武士たちに会わせてはならない。


「芹香。この2、3日は、本当に麒麟や北狼を警戒する必要がある。田中には申し訳ないが、今日はこのまま帰って、しばらく家にいてほしい」

「わかった。そのかわり、教えて? お兄ちゃんの本当の目的」


 表情に出さずとも、内心で焦る直也。

 その間隙につけいる芹香。


(やるもんだ、お嬢ちゃん。あの九龍の坊やを動揺させてやがる。まあ、妹が坊やの弱点っつーだけか)


 その様子を、蚊帳の外で深井は静かに観察していた。


「……わかった。本当の事を話そう。だから、約束は守ってくれ」

「もちろん」


 苦虫を噛み潰したような顔で、直也は言葉を吐き出す。

 芹香は頷き、続く直也の台詞を待った。


「……俺は田中を解放したいんだ。彼には鬼島の相手は荷が重い。俺はいいんだ。訓練は受けてきたし、何よりあの男の実の子だ。責任もある」


 直也は言葉を重ねる。

 これまでさんざん、自分の本心を無意識下に押しとどめる為に、積み重ねてきた言葉を。


「田中を巻き込んだのは俺の責任だ。あんな優しい彼に、荒んだこの世界は似合わない。芹香もそう思うだろう? 命蒼刃の運命から解放してやらないといけない。戦わなくてはならないのは、俺なんだ」


 本心だ。

 本当のことだ。

 直也は、そう思っている。


「だから、日野神楽の秘術でまずは朱焔杖の契約を解除する。それができれば、田中の契約も安全に解除できるということだ」

「それって、灯太クンで実験するっていうこと?」


 責める口調になる芹香に、直也は素直に頷く。


「言葉は悪いが、そういうことになる。以前、葵さんの契約解除に日野は失敗しているからね。九色刃の儀式による契約解除は、これが初めてのケースになんだ。だけど、そのリスクは灯太君本人にも最初から伝えている。これは合意の上でのことなんだ」


 神楽の耳に入ったら、「ふざけるな!」と発狂しそうな内容だ。

 芹香は、岩壁に寄りかかって休んでいる灯太の姿を遠目に見つめる。

 不確かであっても、利用されるだけの運命から紅華とともに逃れたい。

 それは灯太の意思なのだろうと、昨日カフェで話した灯太の様子を思い出し、思った。

 一息呼吸ついて、改めて直也に向き直る。


「今の話、そのまま武士君達に話せばいいのに」

「田中は、素直に俺の提案には応じないだろう。自分の力で葵さんの役に立ちたいって、思っているみたいだからね。それに、一緒にいる御堂がまず俺を信用しない。アイツは、田中こそが予言の英雄だと考えてる。それを邪魔しようとする俺は、御堂にとって敵になるだろうね」

「そんな、落ちついてちゃんと話せば」

「それには時間がかかる。信用してもらうためにはね。俺には前科があるから」


 露悪的な直也の物言いに、それは自分のせいだ、と芹香は内心で歯がみする。


「そして、俺たちにはその時間がない。いずれちゃんと話すとして、俺は俺で計画を進めておく。これが、俺が考えている本当のことだよ」


 直也の言葉を正面から受け止め、芹香は頷いた。

 嘘をついているようには思えない。

 芹香はそう感じた。

 もっとも、それは直也も同じ思いであったが。

 人は時として、知らず自分自身に嘘をつくことを、彼らは知らない。


「だから芹香。今日は田中に会わないでくれ。このタイミングで連絡してきたということは、彼らも何かを察しているということだ。まだこちらの動きは、知られたくない」

「……わかったよ、お兄ちゃん」


 芹香は笑顔で頷いた。

 ひとつの決意と共に。

 直也は彼女の笑顔にほっと胸をなで下ろす。


「ありがとう。じゃあ、せめて近くの駅まで送らせてくれ。洞窟を出て少しした場所に、バイクを止めてある」

「知ってるよ。深井さんの車も、お兄ちゃんのバイクと同じ所に停めてるから」

「そうか。……深井さん、見苦しいところをお見せしました。すぐ戻りますので、少しここをお願いします」


 直也が軽く頭を下げると、一部始終を見ていた深井はパタパタと手を振った。


「いやいや。仲睦まじい兄妹愛を見れて、オジサンは心洗われる思いだよ」


 そう言って深井はニッと笑う。

 時として、近すぎる人間同士よりも、少し距離を置いた観察者の方が相手を理解し得る場合がある。


 深井は確信していた。

 芹香・シュバルツェンベックは間違いなく、この後で田中武士と会う。

 それは、深井隆人にとって都合がいいことだった。


「では、行ってきます」

「はいよ。行ってらっしゃい」


 深井に背を向け、洞窟の出口に向かって直也が歩き出す。

 後を追う芹香が、一瞬深井を振り返った。

 深井はそれに気がつくと、義手の親指と人差し指を伸ばして鉄砲の形にして見せる。

 その後、人差し指を口の前に立てて、「喋るなよ」と合図を送った。

 芹香は薄く笑って頷き、直也の後を追って儀式場を出ていった。



 直也と芹香が儀式場を出た後。

 深井が、座り込む灯太に注意を向ける。

 灯太は座り込み、目を瞑っていた。

 一見して眠っているようにも見えたが、体の筋肉の緊張具合から、深井は少年が覚醒していることを確信する。


(……なんだ?)


 ごく僅かに、唇が動いている。

 声を発してはいない。だがそれは、何らかの意思ある動きに見えた。


(誰かと会話しているのか? いったい、どうやって)


 あるいは小型の通信機でも仕込んでいるのかと思ったが、ここに来る途中、深井は車載の電波探知機で、灯太が通信機の類を持っていないことを確認している。

 だとすれば、朱焔杖の管理者であることに由来する超常的な力を使っているのか。

 ともあれ、灯太はその何者かとの会話にかなり集中しているようで、近くまで歩み寄っている深井の様子に、気づいている気配はない。


(なら……今がチャンスか)


 深井は灯太から離れ、今度は脚立の上で詔を上げながら呪符を貼っている神楽の近くに歩み寄る。

 地面に転がっている砂利のような小石を拾い、神楽目がけて、軽く投げた。


「痛っ……!?」


 一瞬何が起こったか分からず、詔を中断する神楽。

 すぐに地面で自分を見上げている深井がニヤニヤこちらを見ているのに気づき、石か何かを投げたられたことに思い至った。


「なにをする! お前、ボクが今、どれだけ難しい準備を」

「静かにしろ坊主。儀式は準備はもう、適当でいいんだよ」

「はあ? 何を言っている?」


 あきれた声を出す神楽に、今度は石ではないものを深井は投げる。

 とっさに、神楽はそれをキャッチした。


「なんだ……ボイスレコーダー?」


 深井は口を歪めて笑うと、降りてこいと手招きをする。


「どこか外れで、そいつを聞いてこい。坊主の本当のご主人様からのありがたーいお言葉だよ」

「本当の、ご主人?」

「それで目が覚めたら、俺と打ち合わせだ」

「はああ? お前何を言ってるんだ」


 深井が突然言い出したことに訳が分からない神楽は、しかし一旦、脚立を降りて地面に降り立った。


「いいから。九龍の坊やが戻ってくる前に打ち合わせとかないといけない事が山ほどあんだよ。ったく。なにが『いくつか頼み事』だ。山のようにあるじゃねえか」


 深井は天を仰いで、予め聞いていたボイスレコーダーに吹き込まれたあの男からの任務の面倒さを、嘆く。


 しかし、笑っていた。

 彼は笑っていた。

 面白い戦いが待っている、と。


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