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「暗躍」

 直也の部屋。

 先程まで柏原が操作していたパソコンから、けたたましい警告音が鳴り響いた。

 モニターには緊急メッセージを示すウインドウが立て続けに開かれ始める。


「……柏原さん!」

「はい!」


 柏原は即座にパソコンの前に座り直し、高速でキーボードを叩き始めた。

 モニター上ではメッセージウインドウが次々と表示されては消え、表示されては消えを繰り返している。


「くっ……」


 柏原の額に脂汗が浮かぶ。

 横でモニターを凝視している直也も状況を理解し、繰り広げられる激しい電子戦を固唾を飲んで見守った。


 時間にして十分程度だった。

 嵐のように連続表示される警告とコマンド入力のウインドウがようやく落ち着き始め、最後に柏原が叩きつけるようにエンターキーを押すと同時に、横で見ていた直也が、サーバーのケーブルを手で物理的に引き抜いた。


「あ、危ないところでした……」


 椅子の背もたれに寄り掛かり、脱力する柏原。

 直也もとりあえずの危機を脱したことに、ため息をついた。


「大丈夫ですか、柏原さん。こちらのネットワームが分解したように見えましたが……」

「あれは囮です。残ったソースを解析しても、こちらの特定はできないでしょう。なんとか逆ハッキングも防ぐことができましたし……さすが継君です」

「柏原さん。せっかくの白星にケチがつきましたね」

「とんでもない!」


 からかうような口調の直也に、柏原は抗議の声を上げる。


「見つかったのは、私じゃありません。こっちはとばっちりですよ」

「とばっちり、というと……」

「御堂組のサーバーに、第三者から集団ハッキングが仕掛けられました。かなり乱暴な侵入方法でしたが、物量作戦とでもいいますか……。それに気が付いた継君が侵入者を撃退するさなかで、こちらも見つけられたんです。それが無ければ、まだまだ気づかれることはありませんでした」


 自分に落ち度はなかったと胸を張る柏原だったが、それに構わず、もっと重要な懸案事項を直也は口にする。


「このタイミングで、御堂のシステムに集団ハッキングを仕掛ける勢力といえば……」

「間違いなく、鬼島首相の……昔、私がいた情報処理部隊でしょうね。かなり雑になっていましたが、見覚えのある手口がいくつかありました」

「本気で侵入するつもりではなく、示威行為という訳ですか」

「いえ。もちろんその意味もあるでしょうが、巧妙な本命の攻撃も紛れ込んでいました。……本気で御堂組を攻めていますね、鬼島首相は」

「……『彼ら』に注意するよう、情報を入れておきます。こちらの動きは御堂組とは関係ない。悟られていることはないでしょうが」


 直也は柏原から離れると、別回線に繋がっている自分のパソコンを操作し始める。

 そしてキーボードを叩きながら、自分自身に確認するように、呟く。


「計画を急がないと。御堂組が鬼島に陥落すれば、刃朗衆は行き場を無くす。そうすれば、命蒼刃はたやすくあいつの手に……」

「焦りは禁物ですよ、直也さん」


 年長者らしい言葉を柏原は投げかけるが、直也は静かに首を振る。


「いえ、今しかチャンスはありません。北狼が動きにくくなっているとはいえ、抵抗勢力である旧清心会系の要である御堂組が弱体化すれば、一気に形勢は逆転される。今はまだ公安や検察に影響力を残しているが、今回の件で反鬼島派の発言力は低下するでしょう。灰島のホテルの件。表面上は鬼島と同じ思想の愛国ヤクザの暴走ですが、御堂組が鬼島にハメられたのは、事情を知る人間からすれば明らかです。負け組についていく程、彼らが機運を読めないとは思えない」

「それは、確かにそうですが……」


 元司令官であり、既に国防軍には絶大な影響力を持つ鬼島首相。

 北狼部隊の非公式な治安出動の発覚により、国内でのその活動は制限されつつあるが、それと関わりなく警察組織等の国内組織への首相の影響力は拡大し続けている。

 前首相を中心とする旧派がそれを食い止めていた状況だったが、要の御堂組に楔が打たれた格好だ。

 鬼島首相の国内支配が完成すれば、刃朗衆の生き残りもいつまでも彼の攻撃を躱し続けることは困難になるだろう。


「そうなる前に朱焔杖、なにより命蒼刃を手に入れなくてはなりません。せっかく九色刃の契約解除のカードを手に入れたんです。今しか、使うチャンスはありません」


 九色刃の契約解除のカード。

 その言葉に、柏原は眉をひそめる。


「直也さん。そのカードですが……私はまだ不安です。彼女は、結女さんは信用できません」


 『彼ら』へのメッセージを打ち終わった直也は、苦言を呈する柏原に振り返った。


「柏原さん」

「結女さんは、私たちと鬼島首相のダブルスパイ、だけじゃない。刃朗衆にも情報を渡していたトリプルスパイです。しかも、刃朗衆に入り込んでいた件は私たちに隠していた」

「柏原さん。その話はしたでしょう。結女さんは、葵さんを俺に会わせる為に、刃朗衆に情報を流していたんです」

「あの結女さんだったら、もっとうまくやれた筈です。それに、首相の私邸での一件。直也さんに命蒼刃を渡す時に、『彼』は死んだと結女さんは言ったんでしょう? 実は生きていたなんて……。もしあの時、『彼』が生きていたことを直也さんが知っていれば、武士君たちと同士討ちになる選択はなかった」

「『同士討ち』……ね」


 その言葉に含むことがあるように、直也は反芻する。


「直也さん?」

「いや。柏原さん、あの時の俺は切羽詰まっていた。それで急いでいた結女さんが『彼』の生死を誤認してしまったとしても、無理はありません」

「彼女がそんな迂闊な人間とは、とても思えません。私には結女さんが、わざわざ状況が混乱するように動いていたように思えます」

「そんなことをして、彼女になんのメリットがあるんですか?」

「それは……」

「結女さん自身も鬼島のキーを持ち出したり、危ない橋を渡っていたんです。俺の個人的な目的の為にそこまでしてくれたあの人を、俺は疑いたくない」


 直也にとって、結女は古くから相談に乗ってくれ、力を貸している姉のような存在だった。

 冷静に聞いて柏原の言い分ももっともだったが、だからと言って献身的なまでに直也に尽くしてくれていた結女を、どうしても疑う気にはなれなかった。


「それに今回の計画は、結女さんが繋いでくれた『彼』の力が必須です。今更、信用しないなんて選択肢はありえない」

「それでも、『彼』が私たちの味方をする理由が分かりません。そこを信用する根拠を結女さんに委ねる危険性を、直也さんは」

「だから、実験をするんです」


 柏原の言葉を途中で遮って、直也は答える。


「まずは『彼』の力で朱焔杖の契約を解除して、朱焔杖を手にいれます。それが成功すれば、『彼』も儀式のことも信用できると言えるでしょう」


 迷いの無い直也の言葉に、柏原は説得の難しさを改めて認識し、小さく息を吐いた。


 大切な妹、芹香の命の脅かしていた病魔は、命蒼刃の力で消滅した。

 しかし、直也の目的は揺らがない。

 命蒼刃の、武士の使い手としての契約を解除する。

 そして葵を管理者としたまま、自身が使い手となり予言通り不死の英雄となる。

 そして、九色の力を束ね日本の平和を守る。

 芹香が暮らしていく争いのない世界を守る為に。


 真の英雄は田中武士ではない。

 自分なのだから。


 ***


 ショッピングモールに入っている、カップルや女性たちで賑わういわゆるオシャレカフェの前。

 柱の陰のベンチに腰掛ける一人の男が、スマートホンをいじっていた。


(……MGに対して、KSの干渉あり。当方への影響はないと考えるが、充分注意されたし、ね。注意すべきは麒麟の追手だと思うがね)


 紺のスラックスに白いTシャツ。そして同じく紺のジャケットを羽織った四十代後半の男。

 その要素だけを切り取れば、会社の夏休みに家族連れでショッピングモールを訪れたお父さんが、買い物に行った妻子を待っているとでもいった状況だろう。

 だが、2メートル近くある長身。服の上からでもそれと分かる筋肉の鎧で覆われた巨躯。目つきがやたらと鋭く、軍人や傭兵のような雰囲気を持つその男は、決してただの「休日のお父さん」などである筈がなかった。

 そして、この夏の日に白い手袋で覆われている、右手。

 男がその右手の指でスマートホンのタッチパネルを叩くと、コツコツと乾いた音がした。


(しっかし……なんつー店に入りやがる。嫌がらせが。さすが九龍の坊やの妹だ)


 男は、自分が尾行や陰ながらの護衛等には向いていない容姿であることは自覚していた。

 このおしゃれなショッピングモール内に連れもなく一人でいること自体、違和感だらけなのだ。

 護衛対象の2人がケーキメインのオシャレカフェに入っていくのを見届けると、彼はついて行くわけにもいかず、仕方なく店の前の柱の陰、ベンチに陣取ってスマホをいじる振りをしつつ、周囲への警戒を行っていた。

 何の躊躇いもなく窓際に座り、窓の外からの攻撃に対し無防備となる護衛対象2人の素人っぷりに舌打ちするが、窓の外は向かいのホテルのテロ騒ぎで警察や消防が集まっている。

 外からのアクションに対しては考慮する必要はなさそうだと考えた。

 傭兵稼業を辞めたのち、ボディーガードの経験も数多くこなしてきた彼は、今回のように護衛対象に気づかれてはならない任務も何度も経験している。

 慣れてはいるが、だからこそ自分の容姿がけっして町中の隠密行動に向いていないことを知っていた。

 ときおり、通りすがりの一般人から不審そうな目で見られる事は、苦にはならないものの、決して気持ちのよいものではなかった。


(まあ、雇い主の命令には従いますけどね……っと)


 カフェの入口で、支払いをする護衛対象の少女を見つけ、追って出てくる少年の視界に自分が入る前に、男は柱の陰に隠れた。


「ごちそうさま! お姉ちゃん」

「どういたしまして。美味しかった?」

「とっても!」


 支払いを終えた芹香が、灯太とともに店を出てきた。


「この後はどうするの?」

「ええとね……」


 芹香はスマートホンを取り出し、直也に指示された行き先を確認する。


「今日は、お兄ちゃんが用意した安全が確保できている部屋があるから、まずはそこに連れて行くね。一晩ゆっくりして、旅の疲れを癒してね。密航って大変だったでしょう?」

「まあね」


 この人通りの多い中で「密航」などという不穏当な言葉をあっけらかんと使う芹香に、男は苦笑いする。

 まあ、この微笑ましい姉弟のような二人の会話に誰かがそんな言葉を聞き取ったとしても、少年の密入国が事実だと看破できる人間はそうはいないだろうが。


「明日また、私が迎えにいくから。それで、ある場所に連れて行くね?」

「ある場所?」

「儀式場だよ。九色刃の契約解除の」

「あー、お姉ちゃん……」


 反応を見る為にわざと話を振ったとはいえ、重要なキーワードを往来でポンポンと気軽に話す芹香に、灯太は半ば呆れたような声を上げる。


「ん? なに?」


 笑顔で小首を傾げるブロンドのハーフ美少女。

 灯太は手のひらで額を抑え、俯き深いため息をついた。

 困った女だ、とでもいう風に。


「え? え? なにその反応!?」

「いや、お姉ちゃん。お店の中でもそうだったけど、周り確認してた? ボクはちゃんと周囲を確認してから喋ってたけど」

「ん……」


 そこでようやく芹香は、他人に聞かれる距離で迂闊な発言をするなと、灯太が自分を責めていることに気が付いた。


「あー、えーと、そのー……ごめんなさい」

「もういいや。よくわかった。芹香が骨の髄まで一般人だっていうこと。腹芸してるボクが馬鹿みたいだ」

「……呼び捨て? あ、ちょっと灯太クン!?」


 自分をおいて、スタスタと先に歩き出した灯太に驚き、芹香は慌てて追いかける。

 灯太はまっすぐに、近くの柱の陰に立っている大柄の男に前に歩いていった。


「な……」

「こんにちは深井隆人さん。あの小娘、まったくあてにできないんで。申し訳ないんですけど隠れ家までの護衛、コソコソしなくていいんでちゃんとお願いできますか?」


 灯太は少年らしい向日葵のような笑顔で、毒舌とともに深井に微笑んだ。


 ***


 深井が万一の時の為に用意していた黒塗りのバンに乗り、深井の運転で灯太と芹香は移動する。

 目的地は差し当たっての灯太の今夜の隠れ家。

 運転席にはもちろん深井が座り、助手席には灯太。

 後部座席には、ついさっきまでの灯太が猫を被っていたことと、その猫の皮を脱いだ灯太に自分が無能扱いされたことを憤慨しつつ、それも仕方がないかと凹んでいる芹香が、背中を丸めて膝を抱え座っていた。


「ふざけたガキだな。いつから気が付いていた?」

「義手で筋骨隆々の元傭兵が、いくら遠くからでも金髪ハーフの女子高生をずっと見張っていたら、嫌でも気づきますよ。まあ、あなたが通りすがりのただのロリコンだった可能性もありますが」

「そんな可能性はない」


 後部座席で一瞬身を固くする芹香の気配を感じ、理不尽な疑惑を掛けられたことに苛立ちを覚えながら、深井はぶっきらぼうに否定する。


「……ん? 義手? おじさん義手なの?」


 座席の間からにょきっと首を出し、芹香がハンドルを握る深井の手元を覗き込む。


「……ああ。俺の右手は義手だよ。さっき俺のこと電話で確認した時に、お兄様に言われなかったかい? 俺の腕は、お嬢ちゃんのお兄様にぶった切られたんだよ」

「…………え?」


 唐突な深井の言葉に、芹香は一瞬理解が追いつかない。


「ついでに言うと、お嬢ちゃんと俺は初対面じゃない。覚えてないかい? もう二ヶ月くらい前か。ほら。灰島のクソガキがお嬢ちゃんを」

「…………あ!」


 芹香は思い出す。

 クラスメイトの灰島義和に脅され、無理矢理、新宿の廃ビルに連れて行かれたとき。

 ヒステリーを起こした義和に顔を殴られそうになった時、止めてくれた灰島のSPがいた。


「あの時の……なんで!」

「いろいろあってな」

「そのいろいろは、ボクも聞きたいですね? 深井さん」


 横から笑顔で灯太が口を出す。


「元フランス外人部隊のエース。退役した後は日本国内でSPとして警備会社を転々とする。灰島義一郎議員のSPをしていた今年の六月に、九龍直也に右腕を切り落とされ、この世界から本格的に引退……と思ってました。それがどうして、よりによって当の九龍直也の下で働いているんです?」

「びっくりするくらいに事情通だな、坊主」

「この世界であなたの事を知らなければ、モグリですよ。ボクを誰だと思ってるんですか?」

「流石はCACCの虎の子情報組織、麒麟のメンバーっつーことか」


 なにやら男同士、お互い裏のことまで知ってるぜ的な会話を繰り広げられ、ポツンと置いて行かれる芹香。

 諦めて後部座席の背もたれに背中を投げ出すが、目の前のガタイのいい男性の腕を、兄が切り落としたという事実を聞かされ静かにショックを受ける。

 自分が迂闊にも灰島義和の罠に嵌ったせいで、兄はまた、人を傷つけていた。


「それで? あなたが九龍直也の下で働く理由は?」

「俺は根っからの傭兵だ。金払いが良ければどこへでも行く。それが例え、俺を倒した相手でもな」

「なるほど。合理的な答えです」

 キキキ…と右腕の義手を軋ませながら答える深井を、灯太は笑顔で注意深く観察する。

 しかし感情を読ませないすまし顔で運転を続けるその横顔からは、彼の真意をうかがい知ることはできなかった。


 ――深井隆人。このまま、終わっていいの?


 深井は、直也に敗北した自分を救い、この特別製の義手を与えた冷たい微笑みの女の言葉を思い出す。


 ――あの少年に負けて、それがあなたの輝かしい戦歴の最後についた黒星。

 ――それでいいの?


 あの蝙蝠女の口車に乗ってしまうことに、憤りや疑念がないわけではなかった。いや、憤りと疑念だらけだ。

 しかし。


 ――私なら、用意してあげられるわ。

 ――九龍直也に腕を飛ばされ、もう一度燃え上がったあなたの闘争本能。

 ――それを満たしてくれる、闘いの場所。


 良からぬことを企んでいることに間違いない魔女の甘言。

 分かっていても、彼は逆らうことはできなかった。


「……おい、坊主」

「灯太です。なんですか?」

「お前はなんで、そんな神楽のガキに似てるんだ?」

「カグラ?」


 聞きたことのない名前に、灯太は本気で首を捻る。


「……いや、なんでもない」


 深井は黙って、車を走らせ続けた。



 クルクルクルと、それぞれの運命が、思惑が、交錯する。

 悲劇のパーツが、揃い始める。

 そして。


 ***


「しっかり準備なさいな、神楽」

「……うるさい」

「朱焔杖の管理者と使い手、灯太と紅華の魂の絆は、五年間の実戦で培われた強さよ」

「……わかってる」

「あなたはこの前の、契約したばかりの命蒼刃の力ですら御しえなかったんだから。きちんと準備しなきゃだめよ」

「うるさい、うるさい、うるさい! この前のは、結界の中にケータイなんかがあったからだ! すこし黙ってろ!」


 地下の広い空間。

 むき出しの岩壁の半分ほどに、隙間も見せないほどの密度で呪符が張り巡らされていた。

 空間の中心には六芒星の形で杭が打たれ、しめ縄が繋がれて結界が形作られている。

 ただし、一部のしめ縄はまだ繋がっておらず、六芒星は未完成のままだ。


 脚立を壁にかけ、詔を上げながら呪符を張っている少年がいた。

 十歳になるかならないかという年端もいかない少年は、神社の宮司など神職につく者の正装である黒袍に白袴という服装だ。


 そしてもう一人。

 壁際の大岩に腰掛ける女性がいる。

年の頃は二十代半ば。スレンダーでスタイルのいい体にビジネススーツをかっちりと着ている。

 ショートカットのやり手美人キャリアウーマンといった風情だが、その薄く浮かべる微笑みは氷のような冷たさで、その美貌すべてを台無しにしていた。


「直也クン……いえ、『ご主人様』からメールがあったわ。司令が御堂への攻撃を強化している。チャンスは一度きりだから、入念な準備を頼むとのことよ」

「うるさい! 誰が主人だ! あんな奴……」


 手を止めて叫んだ少年は、途中でその言葉を飲み込む。

 女がゆらりと立ち上がり、冷たい気配で少年を圧倒したのだ。


「……神楽」

「だ、黙れ、その名前で呼ぶな新崎! ボクのことは神道使いと」

「黙るのはあなたよ、日野神楽ひのかぐら

「く……」


 神道使いの少年・神楽は、新崎結女の表現することのできない圧力に負けて、言葉を失う。


「くそ、このボクがなんで、なんでボクのことを撃ったこんな女に……」

「感謝なさい。私があの時、暴走しようとしていたあなたを撃って止めてあげたから、あなたはまだ、世界に見捨てられずにいるのよ?」

「何を言って……」

「出雲の神道使い。あなたは力を持っているにも関わらず、誰にも存在を認められなかった。日陰に居続けろと。光を浴びることなく、賞賛を受けることなく、影の存在でいなければならなかった……」


 冷気を帯びた魔女の言葉が、少年を取り込む。

 身に着けたはずの神道の守護は、新崎結女が発する魂に直接刻み込む呪詛の前に、意味を為さない。


 ――誰もあなたを認めない。

 ――どんなに力を持っても。どんなに為すべきことを為しても。

 ――あなたの父親も。出雲の一族も。この国の誰も。この世界の誰も。

 ――だけど、『彼』だけは認めてくれる。

 ――『彼』だけが、あなたの生きるよすが

 ――だから、あなたが『彼』の役に立つ為に。

 ――私が、力を貸してあげる。

 ――私に従いなさい。

 ――すべては、あなたの為。あなたが『彼』に、世界に認められる為。


「……わかったよ! 儀式の準備は、必ず刻限までに終わらせる! 九龍直也にそう返信しておけっ!」


 神楽は忌々しげに叫ぶと、再び岩壁に呪符を張る作業に戻った。


 魔女は。

 新崎結女は笑う。


 鬼島大紀はもう面白くなくなった。

 愛娘の命を奪おうとしていた病は消え去り、外国が独占する特効薬の原料を力づくで奪う必要がなくなった。

 彼は冷静さを取り戻し、戦争への欲求を失いつつある。

 彼の意識は今、九色刃の力を持ってこの国の軍事力を強化し、抑止力を持って隣国との戦争を回避し、限定的な平和を長く続けることにある。


 つまらない。


 ならば。

 もう一人の彼の子ども。九龍直也に私の愉しみを奪った責任を取ってもらおう。

 大いなる力を彼に渡して、これからももっともっと愉しませてもらおう。 


 想像するだけで愉悦に悶え、堪えきれず笑いを漏らす魔女。

 その脳裏に、天に屹立する蒼い光柱の映像がよぎった。


 ――田中武士。


 そもそも、鬼島大紀を操る鍵となっていた少女の不治の病を癒した力。

 あの女の力をその身に宿す少年。


 邪魔はさせない。

 まだまだ、みんな愉しく踊ってもらうわよ。



 パズルのピースが、揃おうとしていた。



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