表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
55/120

「血涙」

「武士君たちは、無事にホテルを脱出できたようです。はああ……よかった」


 ヘッドフォンで無線を傍受しつつ、ネット経由で情報の精査をしていた柏原が、安堵のため息を漏らした。

 報告を受けて、九龍直也が呆れ声で呟く。


「落第は免れたか。まあ、追試はあるみたいだけど」


 ここは、都内マンションの一室。

 高校生としての身分の直也が暮らす部屋だ。

 ただし、内部には御堂継の部屋ほどではないものの、パソコンや通信などのIT機器が並べられている。

 およそ普通の高校生の自室とは考えられない規模の専門機材が、その一室には揃えられていた。


 柏原がそれらの機器を使い、朱焔杖を中心とした一連の事件の情報収集、解析をしていた。

 現時点でもっぱら進行中の出来事は、灰島議員の政治資金パーティが行われたホテルで発生した火災、およびテロリストによる襲撃が疑われている事件だ。


「しかし……継君の技術には舌を巻きます。ホテルの管理システムを乗っ取ってハジメ君たちの作戦をフォローをしながら、警察消防のラインにも介入して、突入のタイミングを遅らせるなんて。やはり彼は最高のハッカーです」


「けどその結果、防御が疎かになって、こうして柏原さんに御堂組のシステムへの侵入を許しているじゃないですか」


「そこは、私の腕を褒めてくれていいところですよ? 直也君」


「そうでした。さすがです、柏原さん」


「……まったく心が篭っていない気もしますが、ありがとうございます」


 かつて、鬼島のシンクタンクで情報処理担当の仕事をしていた柏原誠一は、凄腕のハッカーだ。

今は鬼島のもとを離反し、直也個人の仲間となって働いている。

 御堂組で情報処理を行う継とは、かつて柏原が鬼島側にいた際に何度も電子戦を繰り広げた、ライバルのような関係だった。

 過去の戦いではそのほとんどが継の勝利だったが、今回、直也から御堂組が刃朗衆とともに朱焔杖奪還に動くタイミングを知らされ、その隙を突く形で潜入に成功したのだ。

 敵味方の関係だった鬼島のシンクタンク勤めの時と異なり、今の柏原は、御堂組とはいわば共通の敵を相手としている、共闘関係にある。

 そんな継たちのシステムに侵入することは心苦しかったが、直也が彼らのサポートをする為には必要なことで、仕方がなかった。

 かつて苦しめられた継のシステム防壁を、虚を突いたとはいえ完璧にすり抜けられた達成感も、確実にあったが。


「だけど今回、御堂組は完全にしてやられましたね」


 柏原はモニターを眺めながら呟く。


「事件の速報を伝えるニュースサイトで、既に広域指定暴力団・御堂組の名前が挙げられています。『今回の騒ぎは、鬼島首相と党内で対立関係のある灰島議員と、CACC連合評議員の呉近強と接触することを嫌った御堂組の介入があったと思われる』……」


 御堂組は旧清心会系、つまり鬼島が首相の座を奪う前に与党内で勢力を握っていた側だ。

前首相の派閥である清心会は、CACCとの関係は良好とまではいかないまでも、対話ができる関係を維持してきた。

 鬼島首相と敵対こそすれ、CACCと接触を持とうとする反鬼島派を攻撃する理由など、九色刃の件さえなければ御堂組にあるはずがなかった。


「まあ一般社会では、御堂組はただの愛国ヤクザにしか見えないですからね」


 直也はキッチンで淹れたコーヒーを柏原に差し出すと、自分の分のマグカップを手に一口啜る。


「ハジメ君たちが、現場に証拠でも残してしまったんでしょうか」


「あの男ならそういうヘマはしそうですが、関係ないでしょう」


 目の前のパソコンのマウスを操作して、直也はいくつかのニュースサイトを巡る。


「情報が出回るのが早すぎる。鬼島に狙われていたのは間違いない。……これで御堂組はもう、迂闊に動けないでしょう。組そのものに捜査の手が入ることはあの老人が阻止するでしょうが、派手に動くことはもうできない」


「組織としての動きを、まんまと封じられたわけですか」


「灰島を泳がせ、朱焔杖の情報を御堂に流す。たったそれだけでね。自分の父親ながら、恐ろしい男ですよ」


「でも、ハジメ君たちの作戦が成功して、朱焔杖が刃朗衆の手に戻る可能性もあったわけでしょう? 首相にとっても、賭けのようなものだったのでは?」


「〈麒麟〉の強さを、〈北狼〉は知っている」


 トーンの低い直也の呟きに、柏原は背筋に冷たいものが走るのを感じる。

 直也の言葉は、かつて北狼の少年兵だった自らの経験から語られる重さがあった。


「今の刃朗衆と御堂組では、〈麒麟〉には絶対に勝てない。あいつはそう確信してたはずだ」


「なるほど……。朱焔杖の引き渡しも御堂組の妨害も、ともに失敗すると読んでいたわけですね」


「朱焔杖の引き渡し自体は、端から問題にしていなかったと思いますよ。肝心の〈管理者〉が引き渡されない時点で、評議会はともかく〈麒麟〉には最初から朱焔杖を渡す気がないということですからね」


 元の声のトーンに戻り、直也はコーヒーを啜る。

 こうしてみると、直也は一見ただの高校生だ。

 目の前でネットを眺めながらコーヒーを飲む直也を見て、柏原は改めてそう思う。

 しかし実際は、彼は国防軍の特殊部隊〈北狼〉の元少年兵で、常識外の戦闘技術と実戦経験を持つ兵士だ。

 そして、日本を戦争の災禍へと導こうとする現首相の父親を打倒する為に、こうして柏原を含む独自のネットワークを作り上げ、その卓越した頭脳を持って戦っている。

 普通の高校生活を送りながらだ。

 聞けば高校では生徒会長で剣道部主将で、剣道全国大会二連覇だという。


(しかもイケメンとか……スペック高すぎだよな、この子)


 若干関係のない感想を持ちながら、柏原は直也の淹れてくれた飲む。

 そして、心の中の〈直也ハイスペックリスト〉に、「コーヒーを淹れるのも上手い」の項目を追加した。


「管理者といえば……」


 二口啜ったコーヒーカップをデスクに置き、直也に話しかける。


「灯太君の迎えは、本当に直也さんが行かなくでも良かったんですか?」


「今の俺は北狼に監視されています。鬼島にわざわざ朱焔杖の管理者も日本に来ていると教えるようなものですよ」


 朱焔杖の管理者が、直也の端末に何重にもプロテクトを掛けたメッセージを送ってきたのは、つい先日のことだ。

 九色刃の存在を知り、鬼島の敵対者であり、刃朗衆とも御堂組とも異なる者。

 その直也の端末にメッセージを送ることができる時点で、その情報能力だけでも只者ではないことの証明だった。


「けど、だからと言って妹さんお一人を向かわせるのは……心配じゃないんですか?」


「心配? 心配ですよ?」


 ゆらり……と直也の周りの空気が歪むような錯覚を覚える。

 しまった、と柏原が迂闊な発言を後悔してももう遅い。


「心配じゃないわけないじゃないですか。でも芹香、聞かないんですよ。俺が何を言っても。『お兄ちゃんの手助けをする』って。『もうお兄ちゃんだけに戦わせない。お兄ちゃんがこの危険な世界で戦うっていうなら、私にも手伝わせて』って。バカなことを言うんじゃないって話ですよね。俺が何の為に戦うのかって話ですよ。あいつの母親は十八年前のEU動乱で悲惨な目に合って、その後に生まれた芹香と一緒に日本に逃げてきたんです。せめて芹香には、戦争のない平和な日本で穏やかに生きてほしいって思うわけじゃないですか。そのために俺は、戦争したがるバカ親父を倒そうと戦ってるわけじゃないですか。それなのにどうして、肝心の芹香がこっちの世界で俺の手伝いとか言い出すんですか。本末転倒、主客転倒ってまさにこういう状況の為にある言葉ですよね。四字熟語万歳」


「な、直也さん? キャラクター変わってませんか? ……そんなに嫌なら、どうして言われるがまま手伝いをさせて……」


「どうして? どうしてって聞きますか? 芹香、俺を許さないって言うんですよ。柏原さん。俺こういう話できる人いないんですよね。柏原さんが唯一信用できる大人なんで、愚痴ってもいいですか。愚痴りますね。芹香は、いくら自分を助けたいからって田中たちを殺そうとするなんて許せないっていうんですよ。そんなお兄ちゃんは嫌いだっていうんですよ。俺だって悩んで悩んで悩み抜いた訳ですよ。だけど芹香は、だったらなんで当事者の自分に最初に相談しないのかって。言えるわけがないじゃないですか。『ちょっと刺したら不死身になる剣があるから、お前刺されてみない? ああ、邪魔になる野郎がいて殺すしかないけど、もうしょうがないよね』とか、言える訳がないじゃないですか。だったらもう、芹香に嫌われてもいいからやるしかないって思うじゃないですか。でもやっぱり、面と向かって嫌いだって言われれば、それは凹みますよね。いや、いいんです。いいんですよ。芹香さえ幸せなら、俺は芹香に嫌われたっていいんです。だから俺は言ったんです。『許さなくてもいい』って。柏原さん。男には、血の涙を流しても耐えなくちゃいけない時ってありますよね。俺は心の中で血の涙を流しながら、『お前がこの世界に関わることは許さない。例えお前が俺を許さなくても』って、そう言ったんです。そう言ったら芹香、なんて言ったと思いますか? 『だったら武士くん達の仲間になって、一緒に戦う』ですよ! あんなド素人と甘々ボンボンと小娘二人に、芹香を任せられるわけがないじゃないですか。だから俺は仕方なく、本当に仕方なく……芹香が俺の手伝いをすることに、同意したんです。……ああもちろん、安全対策は完璧です。今日も、信頼できる護衛が陰でちゃんとついてます。……ああ、でも、柏原さん。やっぱり俺、心配です……」


 柏原は、心の中の〈直也ハイスペックリスト〉に「極度のシスコン」と書き込んだ。

 そんなものがハイスペックでも、どうしようもないが。


 ***


「へくしゅ!」


「大丈夫? お姉ちゃん。冷房強すぎる?」


「大丈夫、……ちょっと、悪寒がしただけだから。灯太クンは優しいね」


 芹香は身震いすると、目の前のホットコーヒーを飲んだ。

 真夏だが、冷房の強い喫茶店ではいつも芹香はホットを頼む。

 そして、やっぱり直也が淹れるコーヒーが一番美味しい、とほくそ笑むのだった。

 相思相愛な兄妹だったが、悪寒の正体には気づかない芹香だった。




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ