「敗北」
スプリンクラーが作動する。
あちこちから火の上がっているパーティ会場だったが、紅華が手加減をしたのか、火の勢いそのものは決して強くない。
多く設置されているスプリンクラーだけで、延焼は防げそうだった。
シャワー状の水しぶきは、会場で向き合う四人の男女にも降り注いでいる。
ずぶ濡れの武士たちに対し、紅華のチャイナドレスは同じようにスプリンクラーの水を浴びながら、一向に濡れていく気配を見せない。
「朱焔杖ドライ乾燥機……? 便利だねん、それ。」
翠は唇を舐めながら軽口を叩くが、内心では冷や汗をかいている。
武士の肩を打ち抜く強力な熱線。
広範囲への発火現象に、服はいっさい焦がさずに巻きついた蔦のみを焼き払う炎。自分の服を乾燥させる微細な熱量調整。
(どこまで完璧に、九色刃を使いこなしてるのよ、この女……)
翠は、紅華が自分以上の使い手であることを認めないわけにはいかなかった。
「武士」
葵が抑えつつも、切羽詰まった声で武士に呼びかける。
「もう手段を選んでいられない。全力でいかないと……殺される」
「葵ちゃん」
「だね」
翠が同意し、碧双刃を構える。
「ちょ、二人ともちょっと待って! 紅……紅華さん!」
危うく紅子と呼びかけそうになり、それが彼女の神経を逆なでしたことを思い出し、武士は慌てて言い換える。
「紅華さん、九色刃を貰うっていうのは、〈麒麟〉の指令なんですか?」
「言うまでもない。九色刃はお前たちには過ぎた玩具で、鬼島には決して渡してはならない戦略兵器だ。お前たちのようなガキどもが持っていたのでは、いずれ鬼島に奪われ、我が国に損害を与えるだろう。その前に、〈麒麟〉が貰い受ける」
淀みなく迷いなく紅華は答えた。
「『我が国』っていうのは……」
「もちろんCACCだ。私は連合国民であって、日本人では断じてない」
武士の反問にも、燃える瞳の紅華はあっさり断言する。
もう、この国の人間ではないと。
「武ちん。無駄だよ」
「武士、ここは私たちで抑える。武士は脱出して」
翠と葵は、武士の前に守るように立つ。
「そうはいかない。田中武士は命蒼刃の貴重なサンプルだ。手足を切り取って、命蒼刃とともに持ち帰らせてもらおう」
残忍な言葉とともに、紅華は朱焔杖を構えた。
「!――右から薙ぎ払いっ!」
武士が叫んだ。
反射的に葵と翠は飛び下がり回避するが、射線を読んだ当の武士は回避が間に合わず、右足を熱線で焼き切られる。
「がああっ……!」
「武士!!」
「葵ちゃん! 今は奴を!」
「――この女ぁ!!」
武士に駆け寄りそうになったところを翠に一喝され、葵は武士を傷つけられた激情を闘志に替え、紅華に向かって駆ける。
「命蒼刃の管理者! 無手でこの私とやりあえると思うか!」
再び朱焔杖を構える紅華。
「させるかっつーの!!」
空中に放られた二つの木片が、翠の碧双刃によって切り裂かれる。
「ヒノキの棒っ……×4!!」
裂帛の気合いと共に魂の力が注ぎ込まれた木片は、棒状に体積を膨れさせて、如意棒のごとく紅華に向かって伸びていく。そのスピードと威力は、迫撃砲の砲弾そのものだ。しかし。
「破ッ!!」
朱焔杖の一振りで、翠得意の技は破られる。
紅華に迫った最強の檜の棒は、一瞬で炎に包まれ焼失した。
「ちっ……」
半ば予想通りの結果に翠は舌打ちするが、今の攻撃は端から時間稼ぎだ。
「やああっ!!」
翠が作った隙に間合いを詰めた葵は、一撃必倒の威力で空中から回し蹴りを繰り出す。
「シッ!」
紅華はたやすく、杖術でそれをいなす。
葵は着地を待たずに逆足での足刀蹴りを放つが、紅華はそれも体を捻って躱すと、杖を下から振り上げて葵の顎を狙う。
首を捻って杖の一撃を躱すが、続く紅華の膝蹴りは避け切れず、葵は頭部を蹴り上げられ飛ばされる。
「がっ……!」
床に転がる葵にトドメの熱線を放とうとするが、その熱線は矛先を変える。
「……チッ」
熱線は、翠が放った檜の棒の第二射を再び焼き払った。
「相性悪すぎだって……!」
翠は遠距離攻撃を諦め、床を蹴り駆け出す。
同時に葵が跳ね起きて、紅華との距離を詰める。
挟み撃ちの形となって、紅華は襲われる。
「来い! 刃朗衆!!」
葵の体術、翠の双刃。
凄まじい連撃に、紅華は杖術を持って応じた。
斬撃、蹴撃、打突、斬撃、蹴撃……。
二人の猛攻を紅華は捌き、躱し、抑え、反撃する。
(強い……)
(この女……九龍直也かっつーの!)
幼少期より常軌を逸した訓練を受け続けていた少女二人の戦闘能力を、紅華は凌駕していた。
「ぐっ……葵ちゃん……翠ちゃん……」
武士は激痛にあえぎながら、三人の激闘を見ている。
膝から切り飛ばされた下の足が、床に転がっていた。
肩を打ち抜かれたときは数瞬で回復できたが、完全に切り飛ばされてしまった足は、修復に時間がかかっていた。
焼き焦げている膝の断面から白い蒸気が噴き出し、骨が少しづつ再生され、筋肉が徐々に盛り上がってくる。
命蒼刃を介して流れ込んでくる葵の「魂の力」をエネルギーに、失われた足が再生されつつあるが、完全に「足が生える」のには時間がかかりそうだった。
「はあああっ!!」
戦う葵が腰の後ろに差している、命蒼刃が淡く輝いている。
葵は今、命蒼刃に魂の力を吸われながら紅華と戦っているのだ。
訓練されてきた状況であり、また肉体的な力を奪われているわけでないとはいえ、大きなハンデには違いなかった。
(葵ちゃん……!)
武士は痛みに耐えながら強く拳を握りしめ、歯がゆさに床を叩く。
紅華を救いたいと大言を吐いたクセに、葵や翠ばかりを苦境に立たせ、自分はあっさりと無様に倒れ、何の役にも立たずにいる。
あまりの情けなさに自分自身が許せなかった。
『……武士君! 田中武士!!』
「……は、はい!」
激痛でインカムからの継の呼び掛けに気づくのが遅れ、武士は慌てて応じた。
『そちらの状況、把握している。今、時沢さんとハジメが、そっちに向かってる。君は、動ける?』
「ぐ……あ、足の再生がまだ……す、すみませ……」
辛うじて焼け残り、スプリンクラーの水も浴びずに済んだ一台の隠しカメラから。継は状況をモニターしていた。
『分かった。なら君は、紅華に呼びかけて。なんでもいいから……彼女の心、揺さぶって』
「こ……心を、揺さぶる?」
『説得、したいんでしょ? 紅華を。なら、今呼びかけて。とにかく、あの女の集中、乱して。でないと、チビ女たちは勝てない。殺されるよ』
「く……」
『そうなれば、誰も救われない。武士。君は何の為に、そこに行ったの?』
継の意図を武士は理解する。
紅華は強く、このままでは葵と翠は勝てない。
今の紅華は近接戦闘で朱焔杖の力を使えずにいるが、一度距離を取られれば、あの回避困難な熱線が再び放たれるだろう。
乱戦になれば、武士の回避指示が間に合うとは限らない。かなり危険な状況なのだ。
紅華が、斉藤紅子が葵と翠を殺す。
九色刃の運命に巻き込まれた彼女たちが辿る、悲劇の結末。
「……紅子さんっ!」
激痛を堪え、武士は叫ぶ。
葵と翠を殺させない。
そして、紅華を助けることも諦めない。
武士はそのために、ここにいるのだ。
「紅子さん! 〈麒麟〉はあなたを道具にしているだけです! 朱焔杖との適合者として日本人のあなたを攫って、いいように使っているだけなんです!」
「……だからなんだ。何も分かっていない日本人のガキが、知ったような口を聞くな!」
葵と翠のコンビネーションに対して互角以上に戦いながら、紅華が叫ぶ。
「ただ利用されているだけでも、私は構わない。麒麟と私の利害は一致している。……この国を滅ぼす。与えられたこの力を使って!」
「道具で構わないって? つまらない女だねん!」
インカムで継の話を聞いていた翠が、会話に割って入る。
戦闘力では紅華に敵わない。
ならば、精神面で揺さぶるしかない。
「それはお前たちも同じだろう、刃朗衆」
繰り出される杖による突き。
回避して掬い上げるような斬撃。
同時に逆側からの前蹴り。
体を半回転させて同時攻撃を回避して杖の打突。
「くっ…!」
葵は辛うじて腕でガードするが、衝撃が骨まで響く。
追い打ちの熱線を狙うが、翠の斬撃を受け止める為に杖を抜くことができない。
「そもそも刃朗衆、お前たちは何の為に九色刃を使っている。御堂征二郎、ただ白霊刃の予言のままに動くことしかできない老人の意志に従うだけの、ただの道具だろう!!」
「違う!」
葵の回し蹴り。
紅華はたやすくそれを受け止めるが、織り込み済みの葵は逆足での空中二段蹴りを放つ。
しかし紅華はしゃがみ込んでそれをも回避し、続く斬撃を狙っていた翠に杖による足払いを掛ける。飛び下がりそれを回避した為、翠は連撃を行うことができない。
着地した葵が叫びながら、再び仕掛ける。
「私たちは自分の意志で戦っている! 鬼島を倒し、日本がCACCと戦争をしない為に! 誰も殺させない為に!」
「ならお前たちとも利害は一致しているわけだ! CACCの連合上層部は、とにかく鬼島首相が邪魔だ。その為の手を打っている。私たちと戦争をしたくないのなら、お前たちは黙ってその武器を捨てたらどうだ!」
「その武器を麒麟が拾うってわけ? ふざけるなってーの!」
翠の連撃。葵の連撃。ともに紅華には届かず、
「ぐっ……」
「かはっ……」
杖術による紅華の攻撃が、少しずつ二人にヒットし始める。
「紅子さんっ!!」
武士が叫ぶ。
「そうです、僕たちは戦いをしたくない! CACCと日本が戦争にならない為に、利害が一致しているっていうなら、こんな戦いは止めましょう! 紅子さん、僕たちは戦いたい訳じゃないんです!」
「だから……その名で呼ぶなと言っている!!」
武士の目に、紅華を中心に赤く輝くオーロラのように広がる光が映る。
「!!――二人とも下がって! ガード!!」
武士の叫びに弾かれるように葵と翠は飛び下がり、両腕で顔の前を防ぐ。
直後、衝撃波のような熱風が朱焔杖から放たれた。
「があっ!」
「くっ……!」
「ううっ……!」
猛烈な熱波に煽られて、葵と翠は弾け飛ばされ、床に転がる。
深刻なダメージは回避できたものの、服のあちこちが焦げて、露出していた皮膚の表面が火傷を負って変色している。
動こうとすると激痛が走り、立ち上がるのもやっとだ。
「葵ちゃん! 翠さん!」
「だ、大丈夫……」
「さっきの……あたしの蔦を焼き払った技……くそっ!」
二人は紅華と大きく間合いを開けられる。
小さくないダメージを負い、再び距離を詰めるのは至難の業だろう。
そして、朱焔杖はいつでも熱線を放てる距離だ。
紅華は朱焔杖を構え、笑う。
「CACCとお前たちは、確かに鬼島を共通の敵として一致しているかもしれないな。だけど私は違う。さっきも言った。私は、私と母さんと父さんと、そして灯太を見捨てたこの国を滅ぼす。呉大人と一緒に」
「……なんだって?」
「朱焔杖」
龍の意匠が施された赤い杖を、紅華は眺める。
「こんなもの、言ってみればただの火炎放射器と一緒だ。通常兵器で十分代用できる。テロくらいになら使えるかもしれないけれど、それなら爆弾で十分だ。CACCの連合本部は九色刃の力をその程度に考えて、日本の反鬼島勢力にこれの譲渡を考えた」
ヒュンッと杖を回転させ、再び構え直す。
「だけど、〈麒麟〉は違う。九色刃の可能性を知っている。白霊刃は未来を先読みできる。貴様らと違い、未来を変えるための道しるべとして使えるんだ。それに、お前の持つ碧双刃」
朱焔杖を翠に向けて突きつける。
「その力、刃朗衆はただの戦術兵器としてしか使っていないが、本来は植物、つまり人間の食料となる穀物の成長をも自在に操ることができる戦略兵器だ。敵対国を飢饉に陥れることができ、同盟国には豊穣の大地を約束できる、大いなる力だ。そして」
足を押さえて蹲る武士に朱焔杖を突きつける。
「九つの力を統べ、世を救う英雄となる命蒼刃の力。その不死の力はあの人、呉近強にこそふさわしい」
「――なるほど。あなたのその妄執は、すべてあの男に植え付けられたわけですか」
会場のドアから、男の声が響く。
「時沢さんっ!!」
ホテルマンの帽子を脱いだ時沢が一人、そこには立っていた。
その表情は悲壮で、ある決意が滲んでいる。
「許してください、紅子さん。十一年前の救出作戦で私たちがあなたを、あなたとご両親を助け出すことができれば、こんなことにはならなかった」
「……誰だ」
「詫びて済む話ではありません。あなたを助けたいという気持ちは、田中君には負けていません。けれど、呉近強にそこまで支配されたあなたは、もう戻れないのでしょう」
「支配? ……そうね。私はあの人に支配されている。それでいい。私は、私と灯太は、あの方の道具。それでいい」
紅華の口から出た言葉に、葵の翠が絶対に聞き逃せない名があった。
「灯太をっ……!」
「……灯太を返せ!!」
「黙れ刃朗衆!!」
叫ぶ二人に、紅華がそれ以上の怒りをもって叫び返す。
「幼い灯太に非道な契約をさせ、麒麟に攫わせたのは貴様らだ!!」
怒りとともに朱焔杖を鞘から抜き放ち、すべてを焼き払おうとしたその瞬間。
「――!」
ガンガンガンッ!!!
銃声が連続して鳴り響く。
破壊の暴風が紅華を襲い、その肢体をミンチのような肉塊に変える。
――はずだった。
「な……っ!!」
「ハジメ!!」
控え室に通じるドアから突入してきたハジメが、二丁のデザート・イーグルを連射していた。
避けようのないタイミングでの不意打ち。
激昂していた紅華は、殺気に反応することもできないはずだった。
「なんだ……と……」
紅華の周りに、赤く輝く光幕が半球杖に形成されている。
紅華の体を粉々にするはずだった銃弾はすべて受け止められ、一瞬で蒸発していた。
「これは……『炎盾』?」
紅華が手にしている朱焔杖が淡い光に包まれており、高熱の盾は朱焔杖によって発生していることは明らかだった。
しかしその使い手である紅華自身が、その盾の発生に驚いている。
「えっ……なに?」
紅華が頭を押さえる。
「うん……うん……わかった。ありがとう」
何者かと会話している様子で、言葉を紡ぐ。
その声のトーンとは、つい先程まで武士たちと会話していた調子からは想像もつかない程、柔らかいトーンだった。
「なんだ……、通信機か?」
「ハジメ!」
「武士、無事か! ……てお前、足が!」
「もうすぐ生えてくるから! それより」
「生えてくるって、お前……ちょっと待て、話は後だ」
何者かと会話している紅華に、ハジメは油断なく銃を向ける。
紅華は片手を頭に当てている。
その耳には通信機らしきものは見えず、携帯電話を持っている様子もない。
「うん……うん……大丈夫。こっちのことは心配しないで」
「――!」
ガンガンガンッ!
前触れもなく、ハジメが銃を連射する。
「ハジメ!!」
「黙ってろ武士!!」
しかし、またも発生した『炎盾』がすべての弾丸を蒸発させる。
紅華は会話しているままだ。
「なんだ……?……オートでバリア張れるっつーのかよ……」
「わかった。また後で」
紅華が武士たちに向き直った。
その表情からは、先ほどまでの険が取れている。
「時間切れだ、刃朗衆。それに」
紅華はハジメと時沢の顔を交互に見る。
「……御堂組。ホテルは消防と警官隊に包囲されている。あの豚のSPが息を吹き返して、呼んだのだろう。突入を始めたそうだ」
「……兄貴」
ハジメが通信機で、継を呼び出す。
『……その話は本当だ。あと五分もしないうちに、その部屋に突入してくる。早く脱出して』
「……確認できたか?」
紅華がハジメと継の会話を聞いていたかのように問いかける。
「このまま警官隊が突入してきたら、面倒なことになる。私は一度、引き揚げよう。お前たちも逃げるといい。警察には鬼島の手が回っている。捕まると面倒なのは、お互い様だろう?」
人が変わったように、紅華は穏やかな口調で提案する。
「ただし……行きがけの駄賃は、貰って行こう」
「――翠さん!!」
武士が叫ぶ。
翠は動こうとするが、熱波に打たれたダメージで体に痛みが走り、反応が遅れる。
「くっ……!」
放たれた熱線は、衝撃波を纏っていた。
碧双刃の一本が弾かれ、宙を舞う。
紅華が駆け出す。
「させるかよっ!!」
ハジメが銃を連射するが、銃弾が見えているような動きでそれを避け、避けきれない銃弾は朱焔杖で弾く。
「ちっ……テメエは九龍か!」
紅華は弾け飛んだ碧双刃を空中で鮮やかにキャッチした。
「碧双刃の一本は頂いていく。また連絡するよ。お前たちが無事にここから脱出できたらね」
捨て台詞と共に、紅華が朱焔杖を一振りする。
熱波と共に周囲に炎が撒かれ、紅華の姿を包み隠した。
「くっ……!」
「待て!」
「待って!! 返して!! あたしの碧双刃!!……く」
後を追おうとした翠が、体を走る痛みに膝をつく。
「翠姉!」
「翠さん、無茶しないで!」
「だけど! あたしの碧双刃が!!」
あまりに取り乱す翠の姿に、ハジメは違和感を持つ。
確かに碧双刃の一本が奪われたのは重大な事態だが、翠の性格上、ここまで取り乱すことには違和感があった。
かつて葵が敵に攫われた時以上に、動揺している。
しかし、それをのんびり追及している暇はなかった。
「ハジメさん」
「時沢さん、わかってる。兄貴、脱出ルートは」
『ルートC。急いで、もうすぐ使えなくなる』
「武士、歩けるか?」
「なんとか……足、生えた」
「さすがびっくり人間。葵は?」
「私も、なんとか大丈夫。けど、翠姉が」
「ハジメ! クソボンボン、何してんのよ! 早くあの女を追わないと! あたしの碧双刃が」
「落ち着けミドリ虫! その火傷だらけの体であの化け物と戦えるか!!今は撤退だ。取り返すチャンスは必ずある!」
「だけどあれは! 碧双刃は! あたしの半身で!」
「翠さん、失礼します」
音もなく側に立っていた時沢が、静かに翠の首筋を打ち据えた。
「翠姉…」
「すみません」
傍らに立つ葵に謝罪し、時沢は倒れ込む翠を抱え上げた。
「翠さんは、私に任せてください」
「よし、急いで脱出する。しんどいだろうけど、ついてきてくれ」
炎の勢いが強まる中、ハジメが継の指示に従って先導して走り出す。
武士、葵、翠を担いだ時沢がそれに続いた。
この日の戦いは、武士たちの完全な敗北で終わった。
***
「……たく、無茶しやがって。バカ姉貴が」
消防隊、警官隊に囲まれて大騒ぎになっているホテル。
幹線道路を挟んで立つその反対側のビルで、喫茶店の窓側に座る少年が、コーラフロートを飲みながら独り言のように呟いた。
少年は、年の頃は小学校高学年ほど。
まだまだ幼さが残る風貌で、女子中高生からは可愛い!と連呼させそうな愛らしさがあった。
だが、先ほどの吐き捨てるような独り言は、その愛らしい少年の風貌にそぐわない口調だ。
「すごい騒ぎだねー、何があったのかな?」
テーブルの前に、手洗いに立っていた少女が戻ってきた。
少女と言っても、少年よりは年上の、高校生ほどの年齢だ。
日本人離れしたスタイルと美貌で、シンプルなワンピースに長いダークブロンドの髪が揺れている。
「なんかねー、火事みたい。消防車が来てる」
少年は、独り言とは打って変わり外見にふさわしい、あどけない口調でダークブロンドの少女に答える。
「え、火事! 大丈夫かな」
「大丈夫じゃない? 消防車いっぱい来てるし、煙もそんなに見えないし。ねえねえ、それよりもさ」
「ん?」
少年は、テーブルに肘をついて体を乗り出し、少女に顔を近づける。
「お姉ちゃん、本当に、間違いないんだよね?」
確認の問いかけに、少女は頷いて笑った。
「うん。私はお兄ちゃんに頼まれて、君を迎えに来たの。芹香・シュバルツェンベックっていいます。よろしくね? 灯太クン」




