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「瑕を癒す為には」

 渋谷の外れにある御堂組のビル。IT機器に囲まれた継の部屋で、葵と翠の過去語りが途切れると、短い静寂が6人の間に訪れた。

 キィ……と継の座る車椅子が軋む音が、静かになった室内に響く。


「……それは、つまり」


 武士が静寂を割るように、静かに口を開いた。


「刃郎衆はその日、〈麒麟〉が灯太君を誘拐しに来ることを知っていて、わざと見逃したっていうこと……だよね?」

「そうだよん」


 翠は軽薄な口調で肯定する。しかしそれを聞く武士には、その響きとは裏腹な彼女の苦い思いが感じられる。


「白霊刃の予言に曰く、『大陸の幻獣によって、朱き杖と幼き管理者は奪い去られる。その日までに血の契約を終えよ。かの者は異国にて真の炎の使い手と出会い、魂の盟約を結ぶ。いずれの日にか二人は日の本へと帰還するだろう』ってね。灯太の誘拐は、朱焔杖が使い手を得る為に必要なことだったってワケ」

「翠姉、予言の細かい文言が違う」

「意味が通じればいいっしょ」

「そうだけど」

「このチビ女にそんな細かい記憶力あるわけねーだろ」

「うるせーバカボンボン。ま、そういうわけで予言成就の為に、刃朗衆は〈麒麟〉が灯太を攫いに来る前までに朱焔杖と契約しておく必要があったってわけ。だから出雲で生まれたばかりの、これまた予言で指名された灯太を里に連れてきて、4年間で無理矢理、血の契約を終わらせたってわけ。誘拐に間に合うように。予言の為に、予言のぉー為に、よーげんのーたぁーめにぃー」

「翠姉、そういう言い方やめて」


 妙な節をつけて自嘲気味に「予言の為に」を繰り返す翠に、葵は諌めるように口を挟む。だが、強い口調ではなく本気で責めている様子はない。

 諌める葵に向かって舌を出している翠の方も、本気で予言に拘る刃朗衆に疑義を抱いているわけでも、また抱いていないわけでもなかった。


二人にとって、これまで自らの中で何度も何度も振り返り、反問してきた事なのだ。

 思考停止しているわけではない。

 だが、そこで立ち止まるのであれば、何の為にあの時、灯太をみすみす守れず、今までという長い時間を過ごしてきたのか。


「まーまーまー。で、その誘拐は日付まで正確に分かってたのねん。刃朗衆は予言通りの朱焔杖の使い手を得る為に、わざと当日の警備を薄くした。趣味の悪い師匠は、どうせ防いじゃいけない敵襲があんならってんで、まだガキだったあたしらに『病院』を守らせたって訳。〈麒麟〉なんつー、CACCの精鋭を相手に、九歳と十歳の小娘に何かできるわけもない。師匠たちはあたしらだけを陰ながら守りつつ、腑抜けてたあたしらに実戦訓練を受けさせたってこと」

「テメーは居眠りブッこいてただけなんだろ?」


 反対向きに座った椅子の背もたれを胸で押しながら、ハジメがからかう。


「ざっけんな。〈麒麟〉の工作員と血で血を洗う激闘を繰り広げたっつーの」

「本当かぁ?」

「翠姉、陽動だった私の方と違って、灯太を狙った方は主力だった。一撃で眠らされても仕方ないよ」

「だーかーら、結構いい線まで戦ったんだって、あたしは!」


 翠はムキになって否定する。


「へいへい。……つーか話だけ聞くと、お前らの師匠ってすげー女だな。スパルタっつーか」

「んな生やさしいもんじゃないよ。敵襲を利用してガキだったあたしらの実戦訓練とか、異常だよ。ドSだよ。下手すりゃ殺されてたんだわたしら」

「でも師匠はきっと、試したんだと思う」


 女師匠を悪しざまに言う翠を、葵が遮る。


「またその話? 葵ちゃん」

「師匠達も、灯太を攫わせることには納得いっていなかったんだと思う。でも、予言を成就させるという戒律を破るわけにはいかなかった。だから、私たちに託したんだ。普通に考えて子どもだった私たちに何とかできた訳がない。でも、灯太と姉弟だった私たちに、予言の運命に抗うチャンスをくれたんだと思う」


 あの、強い師匠。

 死と紙一重の訓練を幼い二人に強要した恐ろしい師匠。

 けれど、時折弟子たちに向ける申し訳なさそうな視線を、葵は感じていた。


「そろそろ、いい? 本題に戻りたいんだけど」


 継が、いいかげん飽きてきた、とでも言いたそうに不機嫌な声を出す。


「昔語りはもう十分でしょ。とにかくそういうわけで、朱焔杖とその管理者は攫われた。朱焔杖も、その時に持ち出されたんだろ」

「うん。『病院』の特別なセキュリティがかかった部屋に管理されてたんだけど」

「予定通り、その日はセキュリティが外されてたか甘かったかしたんだろ。話を先に進めるよ」


 葵の言葉を待たずに、継はパソコンを操作しながら話し始める。


「白霊刃の予言通り、朱焔杖は〈麒麟〉の手に渡った。奴らは九色刃の情報をある程度集めていたみたいだけど、使い手の契約は当初うまくいかなかった」


 継の操作で、モニターに膨大な量のテキスト文書が表示された。


「九色刃の仕様書か」


 ハジメが呟くと、継が頷いた。


「命蒼刃のスペック確認でさんざん読んだろうから、詳しい説明は省くよ。知っての通り使い手との契約は、基本的に管理者が相手を刺せばいいだけだ。けど、管理者側に『契約する』という意志がなければ成功率が低く、また使い手の魂との間に適合率と呼べるものが存在する」

「それだけど……もし、適合しなかった場合には、刺された相手はどうなるの?」


 おずおずと手を挙げて質問する武士は、


「死ぬよ。普通に刃物に刺されて死ぬのと一緒」


 あっさりと継に答えられ、ぞっとする。

 もし武士と命蒼刃との適合率が低ければ、つい一月半前に武士は葵に刺されて、あっさり死んでいたわけだ。


「九色刃は、戦時中に日本とドイツが共同開発した軍用兵器。そのせいか知らないけど、日本人とドイツ人だけ、総じて九色刃との適合率が高いみたいだね。魂に人種があるなんて笑わせる話だけど、仕様書にはそう書いてあるし、実際にそうみたいだ。事実、奴らは自国の人間を朱焔杖の使い手にすることができなかった。人種による適合率があるという事に気が付くまで、幼児だった灯太少年が何人のCACCの人間を刺し殺すはめになったのかは、想像したくないね」


 過激な言葉に武士は思わず息を飲み、思わず葵と翠の方を見てしまう。

 そして、二人のどこを見ているわけでもない遠い視線に、短慮な自分の反応を後悔した。


「後は、皆も想像ついている通り。麒麟は日本人を相手に実験することを思いつき、自国のスラムに暮らす行方不明扱いになっている当時十五歳の斉藤紅子を見つけた」


 パソコンのモニターに、再びスラム街に立つ少女の姿が映し出される。


「奴らにとって運が良かったことは」


 それまで長く沈黙していた時沢が口を開いた。


「紅子ちゃんが華那マフィアに、日本が斉藤一家を見捨てようとしたことを吹き込まれて育ち、強く日本という国を恨んでいたことでしょう」

「吹き込まれたっていうか、日本が彼女とその両親を見捨てたのは事実だけどね」

「……そんな言い方は、ないんじゃないかな」


 武士は、継のあんまりな物言いが引っ掛かり、口を挟む。


「時沢さんは、果たせなかったとしても、命をかけて紅子を助けようと戦ったんでしょう? それなのに見捨てたなんて言い方……」

「武士君、いいんです」


 他ならぬ時沢が、憤る武士を制する。


「事実ですから。それに継さんは、自分に言っているんですよ。自分というか、御堂組が斉藤一家を見捨てたと思っているんです。自分のおじいさんが」

「あ……」


 時沢の落ち着いた言葉に目を伏せて何も言わない継に、武士はまたしても自らの浅はかさを思い知る。

 その様子を見て、継はふうっと息を吐いた。


「いちいち凹まないで、田中武士。その単純な君の感情が今回の『宿題』を解く鍵になるかも知れないんだから」

「え?」


 ぽかんとする武士をおいて、継は話を進める。


「時沢さんが言った通り、紅子が日本を憎むように育てられていたことは、奴らにとって幸運だった。それに、まだ十五歳だったこと。訓練すれば充分に物の役に立つ兵士に育てられる。日本を敵とする、〈麒麟〉のメンバーにできる」


 ひどい話だ、と武士はモニターに映る荒んだ瞳をした少女を見ながら思う。

 幼い頃に旅行に行った外国で、テロリストに誘拐される。

 日本では、犠牲は仕方がないという世論が起き、両親は戦いに巻き込まれて死んでしまう。

 現地のマフィアにおそらくひどい扱いを受けながら、日本を恨みながら育つ。そして、国の特殊工作機関にまた攫われ、その手先とされてしまった。


「灯太と紅子の契約は成功して、彼女はそのまま〈麒麟〉のメンバーとなり、紅華というコードネームを与えられた」


 話しながら継がマウスを操作し、モニターの画面が切り替わる。

 映し出された写真はグレーの戦闘服に身を包み、朱焔杖を振るって何者かと戦っている写真だ


「この写真はつい先月、CACCに潜伏している御堂組の組員が紅華と戦った時の写真だ」

「御堂組が、紅子と戦った?」


 声をあげたのはハジメだ。継はそれに応える。


「予言を知っているジジイの指示だよ、ハジメ。もちろん初めから戦いに行ったわけじゃない。御堂組が紅華の情報を掴んで、ジジイは予言にあった朱焔杖の使い手が現れたと思った。それでCACCにも潜伏している組の人間に指示して、紅華と接触させたんだ。朱焔杖と灯太と一緒に、日本に戻るように説得するために」

「で、説得に失敗して戦闘になったってわけか」


 継は頷く。


「接触した組員はこの写真データを送った後、紅華に殺された」

「殺され……!」


 さらっと出てきた言葉に、慣れていない武士は息を飲む。

 人を殺した。

あの、一番最初の写真では、あどけない笑顔だった少女が。


「その後も御堂組は、何度も紅華に接触を試みたけど、無駄だった。紅華は日本を恨んでいる。自分と家族を見捨てた日本。マフィアの教育の他に、〈麒麟〉も洗脳したんだろうね。おそらく彼女が刃朗衆の、日本の味方になる可能性はもうない」

「そんなの、おかしい!」


 武士の横で、声を上げ立ち上がったのは葵だった。


「おかしい、だって予言では、灯太がCACCに渡って〈真の炎の使い手〉と契約するって! その朱焔杖の使い手が敵になるなんてありえない!」


 葵にとって予言は絶対だった。

 紅華が予言にある使い手でないとすれば、それは予言が違えたということだ。


「灯太がCACCで契約したのが紅華だったら、それは予言にある使い手の筈だ! それが刃朗衆の敵になるなんて」


 重ねて声を張る葵の腕を、そっと掴む手があった。


「……翠姉」

「葵ちゃん。でもさ、予言と違う人物が使い手になった例が、他にもあるよ?」


 葵は息を飲み、そしてゆっくり横に座る少年を見た。

 自分が契約した、予言とは違える命蒼刃の使い手の少年。


「葵ちゃん」

「そんな」

「チビ女の言う通り。ジジイも同じことを考えた」


 チビ女と呼ばれて睨み付けてくる翠を無視して、継は続ける。


「既に白霊刃の予言が外れた例がある以上、紅華もまた、予言された使い手ではない可能性がある。実際に紅華はこちらの手の者を殺した。〈麒麟〉が洗脳したんだったらなおの事、もう紅華は、こちらの敵でしかない」

「そ、そんなことはないんじゃない? 洗脳だったら、ちゃんと治療とかすれば、解けるんじゃ……」

「残念だけど、武士君。マンガみたいに洗脳ってのは、簡単にどうにかできるものじゃないんですよ」


 武士の淡い希望を、時沢があっさり切り捨てる。


「洗脳って言葉が、誤解させますね。じゃあ武士君。君がそう優しいのは、本当は洗脳なんですよ。本当は君は残酷な人殺しなんです。さあ、優しく育った洗脳を今から解いてあげるから、残酷な人殺しに戻って下さい。……って、そう言っているようなものなんです」


 時沢の例えは強引で乱暴だったが、言わんとすることは武士にもわかった。

 紅華は11年間、日本を憎み続けて育った。

 そう教育され、洗脳され、その素地もあった。

 そんな彼女を、簡単に説得できるわけがないことは、理屈ではわかる。

 だけど。


「だからジジイの宿題は、あくまで朱焔杖の奪還。『可能であれば』その管理者・使い手とともに奪い返し、刃朗衆の戦力に加えること。あくまで『可能であれば』」


 継の言葉で、部屋に沈黙が下りる。

 ……可能であれば。

 紅華の生い立ちを考えれば、その言葉の意味が、彼らにとって重い。


「ちなみに言っておくと、紅華はたぶん相当強いよ。彼女に殺された御堂組の組員は、ジジイの信頼も厚い相当なやり手だった人だ。そんな凄腕を相手に、説得なんて余地が果たしてどこまであるだろうね」


 再び降りる沈黙。

 破ったのは葵だった。


「灯太は、絶対に取り戻す」

「管理者の来日は確認されていない。たぶん灯太はCACCに残っている。魂の繋がりに距離は関係ないから」


 葵の言葉に継が即座に応じる。葵は唇を噛み、押し黙った。


「灯太め……お姉ちゃん達を差し置いて他の女と繋がるなんて、浮気者め」


 翠の呟きに、継は眉をひそめる。


「二人とも、今回は管理者のことは考える必要はない。余計なことは考えないで」

「わかってますよー」


 翠は葵の腕を抱いて、肩に頭を乗せた。

 三度の沈黙の後。


「さて、どうするよ。武士」


 しばらく会話に入ることが少なかったハジメが、武士に向かって問いかけた。

 不意をつかれて、武士は目を丸くする。


「な……、なんで、僕に聞くの?」

「ふーん」

「なんだよ、ハジメ」

「じゃあ、お前、今度の作戦には置いていくからな。まあお前はそもそも、刃朗衆でも御堂組でもない。こんな『宿題』に参加する理由はないしな」

「ふざけるなよ!」


 思わず武士は立ち上がる。

 しかし、五人の静かな視線を集めて、続けようとした言葉を武士は飲み込んだ。


「そうだよな武士。言ったんだよな、お前。九龍に代わって英雄になるって。九つの力を束ねる英雄、だっけ? 九色刃の力は全部必要だから、朱焔杖を取り戻す為に、お前は戦わなきゃな」

「違うよハジメ。そんなことの為に戦いたいんじゃない。ハジメ、わかってて言ってるんだろう?」

「わからねーよ。俺たちは、冷たい現実的な人間だからな。兄貴も言ってただろ。お前の単純な感情が鍵だって」


 そう言ってハジメは継に視線を送る。

 継は表情を変えないが、否定はしなかった。


「ハジメ?」


 武士は、ハジメの言わんとすることが分からない。

 けれど、武士に何を言わせたいのかは分かった。


 自覚はしている、自分の甘さ。

 それはここにいる、自分以外の厳しい戦いの人生を歩んできた全員を、あるいは追い詰めてしまうのかもしれない。

 けれど。

 思ってしまう。

 考えてしまう。

 そして、それが間違っているとはどうしても思えない。


「……助けたい、紅子さんを」


 ハジメはニヤリと笑う。

 葵は静かに微笑んだ。


「何を言い出すんだか、武ちんは」


 翠は苦笑する。


「では作戦を頼みます。継さん」


 時沢が当たり前のように、継に促す。

 継は車椅子の背にもたれ、深くため息をついた。


「まったく。甘ちゃんに背中を押されないと決断できない、駄目人間ばっか」


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