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「過去の瑕痕・4」

 女師匠が翠に向けて、引き金を引く。

 銃声が山中に木霊し、翠は枯葉が多く落ちる地面を無様に転がった。


「あ……あっぶね! 危ね!」

「射線回避が遅すぎる。こんな見え見えのモーションで撃ってるのに、一射目から体勢を崩してどうする?」


 女師匠は片手でグロッグを構え直し、再び地面に転がる翠に向かって連射する。


「死ぬっ! 死ぬって……!」


 芋虫のように転がりながら、翠は地面を爆ぜる銃撃の連射をかろうじて避け、大樹の陰に身を隠した。


「殺す気ですかっ! 実弾ですよねえ!?」

「本当に殺す気なら、銃なんて面倒なモノ使うか、バカ」


 女師匠の非常識な戦闘力を知る翠は、その言葉が真実であることを知っている。

 銃を使うと戦闘力が落ちる。

 その言葉が真実であると知る翠は、そんなのはただの化け物だ、と木陰で身を震わせる。


「やああっ!!」


 樹上から、隠れる翠に銃口を向けている女師匠に向かって、葵が落ちてきた。

 回転しながら、頭部に向かって落下速度を加えた踵落としを狙う。


「アホか」


 女師匠は頭上を見もしないまま、自らの頭より足を大きく振り上げ、葵の踵落としを迎撃する。

 女師匠のハイキックを横から受け、葵の蹴り足は軌道を逸らされ、体勢を崩す。

 しかし、葵は猫のような柔軟さで地面に降り立つと、


「ハアッ!」


 そのまま足払いをかける。

 しかし女師匠はそれより速く、踵落としを迎撃した蹴りとは反対の脚を跳ね上げ、葵の顔面を蹴り飛ばした。


「がッ……」

「遅すぎる」

「葵ちゃん! このっ……」


 堪らず翠が木陰から飛び出し、葵のカバーに入ろうとするが、


「わひゃあ!」

 ガァン!


 女師匠は突進してくる翠に迷わず発砲。

 咄嗟に仰向けに倒れて被弾を避けるが、目の前を鉛玉が通過した実感に、翠は背筋が凍る。


「さ、避けなきゃ死ん……グェ!」


 地面に背中から倒れた翠の腹を女師匠が容赦なく踏みつけた。


「翠姉っ!」


 蹴り飛ばされていた葵が起き上がり駆け寄ろうとするが、女師匠は銃口を翠の額に押し付けて葵を睨みつける。


「動くなっ!」


 鋭い声が、殺気の塊のような気配となって壁のように葵の動きを止めた。


「……この、無能な弟子どもが」


 女師匠は失望のため息をつくと、翠の額から銃口を離し、腹を押さえつけていた足をどけた。


「終わりだ、終わり。今日はもう終いだ。今のお前らじゃ、何百回やっても私には勝てないよ」

「……んなこと言ったって、師匠……」


 翠が腹を押さえながら、手にした木剣を杖のように突いて起き上がる。


「そもそも飛び道具を持ったプロ相手に、不意打ちでもない限り勝てるわけないじゃないっすか」

「バカかお前は。何の為の2対1だ。おい、葵」

「片方が銃を持っている敵の意識を引いて、その隙にもう一人が接近して不意打ちする」


 促され、教わったことを葵は淡々と口にする。


「銃を持った相手と戦かう場合の連携の基本は、何度も教えてきただろうが」

「いや、その通りにしようとしましたよ? けど師匠には全然通じないじゃないっすか」

「どこがその通りにした、だ。コンビネーションがバラバラで、連携のタイミングが悪すぎる。葵、頭上からの不意打ちは悪くないアイデアだけどね、気配がダダ漏れで居場所が筒抜けだバカ。落ちてくるタイミングも、私が翠を撃ってる途中で来い。完全にターゲットが物陰に隠れた後に攻めてきても、こっちは簡単に迎撃できるに決まってるだろ」

「そ、それは……翠姉が師匠をポイントまでおびき寄せるから、それまで待ってろって……」

「はあ? あたしおびき寄せたでしょ?」

「逃げまくってただけでしょう? 本当なら、もっと隠形しやすい場所で待ち伏せできる筈だったのに、いつまでも来ないから、仕方なく私は移動して、それで師匠に察知されて」

「そんなピンポントに誘導できないって!」

「でもそれが、翠姉の任務だったでしょう?」

「葵ちゃんだって不意打ち外した訳で、おあいこだよね?」

「それは翠姉が誘導に失敗したから!」

「黙れ、二人とも。打ち合わせ不足だ。それにまず、自分たちの力量に合った作戦を考えろバカども」


 葵と翠の責任の押し付け合いを、あっさり女師匠は切り捨てる。


「それに翠!」

「は、はい!」

「カバーに出るのが遅すぎる。葵の奇襲がタイミングを外していたことは、お前の位置からはすぐ分かっただろう。だったら、葵が姿を見せた時点でフォローに入れ。少なくとも葵を迎撃した瞬間にお前が飛び出してきていたら、二撃目の足払いは回避に留めて、反撃まではできなかった。接近する貴様への対応が遅れるからな」


 女師匠は、今の戦闘におけるそれぞれの立ち位置を、両手で示しながら二人の連携の悪さを指摘する。


「そうすれば、葵は三撃目を打てた。それは回避できても、接近してきた貴様に背後を取られただろう。ほらみろ、二人で接近されたらもう、銃のアドバンテージなんて無くなるんだよ」

「はい。すんませーん」

「葵、お前もだ。二撃目は無理に当てにくる必要はなかったんだ。初撃を躱された時点で攪乱に徹して、翠のフォローを待つ手もあった」

「はい。でも、翠姉が攪乱、私が本命って決めていたので……」

「役割ってのはな、状況に応じてスイッチすんだよ。 何の為の二人一組ツーマンセルだ。何の為にお前らは、この一年つるんでたんだよ」


 葵と翠、灯太の三人が兄弟の誓いを立ててから、一年が経過していた。

 翠は、勝手に葵を灯太に会わせたことを女師匠に叱られたが、特にそれ以上の措置は取られず、三人の仲は刃朗衆で公認のものとなった。


 葵、そして本人が自覚はしていなかっただけで相当に追い詰められていた翠の精神状態は、ある程度改善され、刃朗衆にとっては目論見通りの結果となった。

 そこで、葵と翠の師匠は、それまで個別に行ってきた戦闘訓練を合同で行う方針に切り替えた。

 コンビネーションで戦う訓練。

 しかしそれは、女師匠の想像以上に難航していた。


「お前ら、仲良くなって腑抜けたな。緊張感が感じられねえよ」

「そっ……そんなことはありません、師匠!」


 女師匠の言葉を、葵は色めきだって否定する。


「翠姉や灯太と会って、私は仲間を、刃朗衆をもっと大事に思うようになりました! みんなを守るためにも、私は強くなりたいと思ってます! 訓練だって、必死にやっています!」



 こんなことで、また翠や灯太との関係を絶たれたくない。

 その一心だった。


「違うよ、そういうこと言ってんじゃ……」


 言いかけて、ふと女師匠はあることを思いつく。


「そうか……明日か」

「なんですか? 師匠」

「なんでもない。おい翠、お前は今朝儀式をして、次は明後日だな?」

「そうですけど」


 急に話が飛んで、きょとんとする翠と葵。

 二人の顔を見て、


「我ながら悪辣だな」


 自らの思いつきを女師匠は自虐的に笑った。


「へ?」

「なんでしょうか?」

「連携の悪いお前らに、実地訓練をしてやる。これから任務を与える」

「!……はい!」


 任務と聞いて、葵は背筋を伸ばす。

 嫌な予感に、翠は眉をひそめた。


「今夜から明後日の夜明けまで三十六時間、お前らには灯太の警護を命じる。灯太が暮らす『病院』を、お前ら二人だけで守るんだ。その間のどこかで、私が灯太を狙って『病院』を襲撃する。無事に私から、灯太を守ってみせろ。それができなければ、コンビ解消だ。灯太との面会も禁じる」




 灯太は、生後すぐから朱焔杖との契約の儀式を始められ、四歳で契約を終えた。

 通常よりハイペースでの採血は幼い身体に深刻なダメージを与えていたが、この一年で少しずつ、改善の兆しが見えてきた。

 葵と翠が、訓練以外の時間を(翠にとっては訓練と契約の儀式以外の時間を)灯太とともに過ごし、灯太を甲斐甲斐しく世話して、またリハビリを手伝ってきたことも大きかった。

 五歳になる頃には、灯太はなんとか立ち上がることができる程度には、体力はついてきた。


「普通の赤ちゃん、一歳くらいで立つんだよね。僕は、遅いね」

「比べることじゃないよ、灯太。はい、もう座っていいよ。ゆっくりね」


 訓練任務を言い渡され、葵と翠はまだ日の高い内に『病院』に戻ってきた。

 二人は任務に備えて建物内を見回り、武器や食料の準備、監視カメラ等確認を終えた後、日課となっている灯太のリハビリに付き合っていた。

 特に葵は、これまでの人恋しさを払拭するがごとく、灯太のリハビリにはいつも真摯に付き合いながら、交流を深めている。


「今から、ええと……明日の明日の朝まで、ずっと葵お姉ちゃんと翠お姉ちゃんと一緒なんだよね」

「そうだよ。嬉しい?」

「うん! 二人の先生が襲ってくるのは、ちょっと怖いけど……」

「大丈夫だよ。 訓練だから、師匠が実際に灯太に何かするわけじゃない。それに、私が絶対に、灯太を守るから」

「信じてるね、葵お姉ちゃん!」

「まかせて」


 葵は、灯太の全面的な信頼と親愛を感じて、思わず頬が緩む。

 自分がこんな感情を抱くことなど、一年前までは考えられないことだった。


「そこは『私が』じゃなくて、『私たちが』でしょう? ……って、おおう」


 部屋に入ってきた翠が、葵の顔を見て頓狂な声を上げる。


「なに?」

「いや、いつの間にか、ちゃんと笑うようになったなあと」

「え……? 私?」

「他に誰がいるの。ねえ?」

「うん。笑った葵お姉ちゃん、かわいい」

「かっ……かわいい!?」


 不意を突いて出てきた灯太の無邪気な賞賛に、葵は動揺する。


「いいよ灯太。女の子は素直に褒めるんだよ? 喜んで男になんでもしてくれるようになるからねん」

「わかった!」

「ちょっと、翠姉! 何を言ってるの!」


 どこから仕入れたのか、十歳の翠はマセた台詞で二人をからかった。


「ま、葵ちゃんが笑えるようになったのは、灯太とあたしのお陰だね。ちゃんと、ありがとうと思うように」

「お、思ってるよ……」

「ふふん。じゃあ、コンビをやめさせられないよう、頑張らないとね」


 そう言うと、翠は手に持っていた耳に掛けるタイプの小型通信機を、葵に投げて寄こした。

 受け取ると、葵は緩んだ顔を引き締め、黙って頷き通信機を装着する。


「はい、灯太もこれつけて。耳に引っかけるんだよ」

「なに? これ」

「通信機。これで、離れててもお姉ちゃんたちとお喋りできるからね。眠くなったら自分のベッドで眠っててもいいけど、コレは外さないように」


 翠は、いまいち使い方を分かっていない灯太に代わり、通信機を灯太の耳に掛け、電源を入れる。


「さて。もう六時。日も落ちて、『今夜』になったね」

「翠姉。頑張ろう」

「当たり前っしょ。じゃ、打ち合わせ通りに。連絡はこまめにね。じゃあ灯太は、部屋に戻ってご飯を食べて。一人で眠れる?」

「うん。お姉ちゃん達は?」

「大丈夫。どちらかは必ず、灯太の近くにいるからね」

「本当に?」

「本当だよ。ねえ、灯太。葵ちゃん。あたし達はなに?」


 翠は微笑みながら、問いかける。

 灯太と葵は顔を見合わせて、口を揃えた。


「血よりも濃い、魂のつながった、きょうだい!」


 灯太は笑い、葵も僅かに口の端を持ち上げながら頷いた。

 それが、幼い三人が揃って笑い合った最後となった。




 『病院』はL字型の三階建てで、部屋数はさして多くはない、町の少し大きな診療所、といった規模だった。

 古い神社の敷地内にあり、町外れという立地もあってL字型の外側は、鬱蒼とした木々に囲まれている。

 対して内側は神社に面していて、ある程度は視界は開けていた。


 一見、『病院』はただの素朴な古いコンクリートの建物に見える。

 しかし、中には当時最新の医療・研究施設があり、契約中の九色刃も管理されている。

 当然、そこには最新鋭のセキュリティシステムがあった。

 普段、『病院』に詰めている刃郎衆の研究班が夜に退出した後は、警備には戦闘員の人間が残る。

 ただし今夜から三六時間は葵と翠の訓練ということで、研究班も戦闘員も退出し、建物の中には葵と翠、そしていつも病院で暮らす灯太の三人だけとなっていた。


 刃郎衆の戦闘員達の詰め所へと通じる警報機は切られ、内部の管理室での防犯モニターによる監視だけが、葵たちに使えるセキュリティシステムとして認められていた。

 監視モニターは極力死角の無いように設置されていたが、それでも特に木々が茂る敷地の外側は、どうしても外敵の接近を間際まで察知できない可能性がある。

 葵と翠は、一人が管理室での防犯モニターのチェックし、残る一人が特に敷地外側の巡回警備にあたり、交代で警備する作戦を立てていた。

 灯太の部屋は三階の敷地側、L字型のちょうど角にあった。

 防犯モニターの管理室は一階の入り口脇にあったが、葵たちは昼間の内に、灯太の部屋の斜向かいの空き部屋に、モニターのみ移設していた。

 モニターを監視しながら、何かあればすぐに灯太の部屋に駆けつける事が出来るようにだ。


(そもそも、建物の中にも絶対に入れない)


 巡回警備にあたっている葵は、外側の林に睨みを効かせながら、覚悟を決める。

 女師匠は、侵入する自分を例え倒せなくても、発見し一撃を加えることができたら、それで任務成功とみなすと言っていた。

 師匠は、強い。

 無事に侵入を発見できたとしても、まともに戦えば、一対一で一撃を加えることなどできないだろう。

 そこで、片方が師匠を発見したら通信機で連絡を応援を呼び、その間は時間稼ぎに徹することにしている。

 女師匠は、二人のコンビネーションを重要視しているのだ。

 そのための訓練で、一人で対応するなど愚の骨頂だった。


 モニター監視と巡回を葵と翠が二時間毎のローテーションで繰り返しながら、時刻は深夜の二時を回った頃。


 葵は、建物の外、敷地の外側でコンクリートの壁に背を預け、地面に座り込み目を瞑っていた。

 まだ九歳の少女だ。体力的に、まったく眠らずに気を張り詰めて徹夜での警備など、常識で考えれば不可能だった。

 しかし、刃郎衆の戦闘員、工作員となるべく訓練されてきた葵と翠は、浅い眠りにつき体力を温存しつつ、外敵の気配に反応して覚醒できる訓練を受けている。それは眠っている最中に、唐突に女師匠にぶん殴られ続けてきた成果だった。


 半覚醒の状態で目を瞑り、屋外に座り込んでいた葵は、ふとした違和感に目を開いた。


(虫が、鳴いていない)


 林の奧、周囲に目を凝らし、気配を探る。

 おかしい。違和感がある。

 感じられ気配は、これまで何度も夜中に唐突にぶん殴られてきた、女師匠のものとは明らかに異質だった。

 例えるなら、闇に潜み、静かに獲物の油断を待つ肉食獣の群れ。

 気配はごく薄くだが、林の奧の至る所から感じられた。


(敵は……師匠一人じゃないの?)


 想定外の事態に、幼い葵は動揺する。


「……翠姉」


 声を抑えて、通信機で翠に呼びかけたが、しばらく返事がない。

 最悪の想像をしてしまい、葵は背筋に冷たいものが走る。


「まさか……翠姉、翠姉、ちょっと……翠姉!」

『ふにゃっ……! お、起きてるよ、眠ってないよ!』


 明らかな寝起きの声でようやく返ってきた翠に声に、葵は安堵しかける。

 だが、そもそもそんな余裕はないことをすぐに思い出した。


「翠姉、モニター八番から十三番。暗視カメラ、何か映ってない?」

『えっ?……なにも、見えないけど……』

「翠姉、敵は師匠じゃない。それに……一人じゃない」

『えっ……どういうこと? だって師匠は』

「林の方から気配がたくさん、一人二人じゃなくてそれに−−」


 葵の報告の途中、不意に通信機にザザッと雑音が入った。

 そして、通信が途絶する。


「え? 翠姉? 翠姉?」


 今度こそ、無音だった。

 通信機を確認すると、リンクが切られたサインの赤いランプが点灯していた。


(まさかっ!)


 ……ガシャン……


 嫌な予感に葵が建物を振り返り、三階を見上げるとほぼ同時に。

 灯太の部屋とモニターを置いた部屋の方から、微かに硬質な、ガラスの砕けるような音が聞こえた。

 見た目は古くとも、『病院』のセキュリティレベルは高い。

 窓ガラスはすべて防弾の強化ガラスだ。

 それが割るのならば、専用の特殊な装備が必要な筈だ。

 訓練のためとはいえ、師匠がそこまで用意し、刃郎衆にとって重要なこの建物を破壊するとは考え難かった。

 つまり。


(これって……本当の、敵!)


「灯太! 灯太、起きて!! 今すぐ逃げるの!!」


 パニックを起こした幼い葵は、一人では立ち上がるのがやっとの灯太に向かって通信機で叫ぶ。


 直後。


 林の陰から、暗視カメラの赤外線を吸収する特殊スーツに身を包んだ男たちが、葵に向かって獲物に襲いかかる狼の群れのように飛び出してきた。

 その数は、五人。

 いずれもその手に、月光を跳ね返して光るアーミーナイフが握られている。


「……くっ!」


 葵にとって、初めての外敵との接触だった。

 おそらく灯太と翠が敵に襲撃されている中で、自らの目の前には、明らかにプロフェッショナルの男達が五人、ナイフを持って迫ってくる。

 その異常事態に、葵の心は恐怖とパニックで凍り付く。

 しかし、幼少時より訓練を受けてきた体だけは、心とは関係なく反応した。


 冷たく明確な殺意を持って、幼い少女の小さな体を目がけ突き出されくる無数のナイフ。

 それらに対して、葵の体は躊躇うことなく前に出る。

 小さい体を更に小さく屈めて、襲撃者達の刺突の下をかいくぐった。


『何……!』


 男達の隙間を抜けると、葵は飛び上がり一人の後頭部を狙って回し蹴りを放った。

 男はさすがの反応で回し蹴りを腕で防いだが、幼い少女の体から放たれたとは思えない重い衝撃に、一瞬体勢を崩す。

 その隙を、戦闘マシーンと化している葵の体は見逃さない。

 受け止められた蹴り足を基点に、反対の足が鞭のようにしなった。

 空中での二段蹴りが、男の頭部を強く撃ち抜いた。


『気をつけろ!』

『油断するな! この小鬼は強い!』


 襲撃者たちは異国の言葉で叫ぶと、蹴り倒された男を除く四人が葵を囲むように、素早く距離を取る。


「……!」


 囲まれて、脱出経路を探して男達を見回す葵の足下で、蹴り倒された男が即座に立ち上がって、ナイフを切り上げた。

 鍛えられた戦闘のプロの意識を一撃で刈り取るには、葵の蹴りのまだ、威力が足りなかったのだ。


「くっ!」


 殺気に反応して葵は驚異の反応速度で飛び下がるが、襲撃者の鋭い攻撃は躱しきれず、腕を浅く切り裂かれ鮮血が飛び散る。

 下がった後ろには別の男が、葵の細い首に鍛え上げられた腕を回して、きつく締め上げてきた。


「ぐっ……か……」


 声を上げることもできない。

 急速に暗転していく視界に、男のナイフが鈍く光る。


『悪いな、刃郎衆の小鬼。俺たちも任務だ』


 異国の言葉でその意味は分からない。

 だが、目の前のナイフが数瞬後には自分の体の肉を切り裂き滑り込み、いとも簡単に葵の命を奪い取られるであろうことだけは、理解できた。


(こんなところで……灯太も、翠姉も守れないで……っ!)


 だが、その死の刃は葵の体に届くことなく地面に落ちる。


「……ゲホッ……ゲホッ!」


 きつく締め上げられていた男の腕が急に緩み、葵は地面に投げ出された。

 むせながら、葵がなんとか呼吸を整えようとしながら、闇夜の下で見たものは。


「一応はプロの襲撃に気がついて、ガキなりに一矢報いたみたいだからな。赤点にはしないでおいてやるよ」


 鍛えられた肢体を持つグラマラスな女師匠が、長い髪を振り乱しながら男達を次々と打ち倒していく姿だった。



 四方八方から襲い来るナイフをかいくぐり、掌底、前蹴り、裏拳、肘打ち。

 一人あたり2、3発の打撃で、男達は次々と意識を刈り取られて、沈められていく。


『このっ……!』


 最後に残った男が、腰の後ろに手を伸ばし銃を抜いた。

 しかし。


「遅え」


 あっさりと銃は女師匠に蹴り飛ばされ、返す足で側頭部を蹴り抜かれる。

 倒れた男の喉元に、女師匠の爪先がねじ込まれた。


『がは……』

『おい、喋れるな』


 女師匠は、足で咽喉を押さえつけた襲撃者を見下ろし、彼らと同じ国の言葉を口にする。


『確認する。貴様ら、〈麒麟〉だな?』


 女師匠の言葉に、襲撃者の目は驚愕で見開かれる。


「ありがとう。その反応で十分だ」


 女師匠は男の咽喉を足で捻り潰した。



「し、師匠……これは、いったい……どういう……」

「いつまでも、こんな所にいていいのか、葵」

「え?」

「灯太を守らなくていいのか? こいつ雑魚は囮だ。腕の立つ本隊が、『病院』内に侵入している」

「な……、なんでそれを知って」


 そんなに平然としているんですか、と。最後まで女師匠を問い詰めている暇はなかった。

 葵は弾けるように駆け出し、『病院』内に駆け込む。

 階段を駆け上がり、三階の灯太の部屋を目指す。


 無事でいて。

 無事でいて。

 無事でいて。

 灯太も。

 翠も。

 私に笑顔をくれた二人。

 人間らしい感情をくれた二人。

 血よりも濃い、魂の繋がりのきょうだい。

 お願いだから。

 お願いだから。


 葵が三階にたどり着くと、灯太の部屋の前にカーキ色の戦闘服の男が一人、立っていた。

 思わず葵は身構えるが、彼は顔に見覚えのある刃郎衆の戦闘員だった。


(……よかった! 師匠と一緒で、灯太と翠を守ってくれたんだ!)


 安堵して、それもきっと、怖い思いをしたであろう灯太を早く抱きしめてやろうと、葵は彼の横を通り抜け、灯太の部屋に駈け込んだ。



 誰もいないベッド。

 その脇で、翠が床に突っ伏して泣いている。



「翠姉……。……灯太は……?」


 喉の奥から絞り出すような声で、泣いている翠に問いかける。

 その声に、翠は顔を上げて葵に気がつく。

 翠の顔は、涙と鼻水でぐしゃぐしゃだ。


「葵ちゃん……ごめん……ごめんなさい……」

「翠姉……謝ってって、言ってないよ……。灯太は? って、聞いてるの」

「……あたし、守れなかった……」

「守れなかったって……どういう、意味……」


「灯太は、CACCの特殊工作組織『麒麟』に攫われた。ここにあった朱焔杖と一緒にね」


 後を追ってきた女師匠が、葵の背後から声を掛けた。

 音として聞こえてきた女師匠の言葉が、葵の頭の中で意味を成すのに少しの時間がかかる。


「……っ! 何をのんびり言ってるんですか!! だったら早く、追いかけ」

「今日が予言の日だったんだっ!」


 後ろに立つ刃郎衆戦闘員が、葵の言葉を遮って声を荒げた。

 翠だけを守り、灯太は奪われるがままにするよう命じられていた彼は、拳を握りしめながら俯いている。


「予言って……?」

「白霊刃の予言だよ」


 女師匠が、感情を感じさせない落ちついた声で答える。

 残酷な真実を。

 刃郎衆の罪過。

 予言の成就の為には、如何なる犠牲も厭わない。

 その愚昧なる戒律。


「白霊刃は予言していたんだよ。今日この日に、『大陸の幻獣』が紅き杖の幼い管理者を奪い去るってね。それが、朱焔杖の使い手を得る為に必要なことなんだとさ」


 幼い葵と翠は、九色刃の運命に抗うことはできなかった。




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