「過去の瑕痕・3」
ゴスロリ少女の発した言葉の意味が、葵には分らなかった。
(仲良くなる?)
(さっさと使命を果たせ?)
後半は分かる。
使命を果たすことなんて当たり前のことだ。
しかし。
仲良くなる?
誰と誰が?
「なあに? なんか言ってよねん。あたし一人で喋ってバカみたいじゃん。口がきけないの? ……聞けないのか」
翠は自分の肩に木剣の一本を乗せて、トントンと叩く。
「気に食わないんだよねー。シツゴショウ? ココロのビョーキ? 自分一人がカワイソーなお話の主役みたいな顔してさ。師匠に心配されて。里の人みんなに大事にされて。……命蒼刃がどんだけのもんだってのよ」
幼いゴスロリ少女の脚が大地を蹴った。
弾丸のように翠は飛び出し、一気に葵との間合いを詰めて右手の木剣を振りかざす。
「……!」
葵は条件反射でカウンターを取った。
右足のハイキックは、木剣が振り下ろされるより先に翠の手首を打ち、その斬撃を止める。
「しっ!」
間髪入れず、翠は左手の木剣を腰溜めからコンパクトに振って、葵の脇腹を狙う。
流れるような二連の攻撃に、しかし同じようなコンビネーションを直前に見ていた葵は、地面に残した左足で飛び跳ねる。
初撃を止めた右足を支点に空中でスピン。
走り高跳びのダッチロールのような要領で木剣の二撃目を避けながら、左足を翠の側頭部に叩きこんだ。
「……ってえ」
派手に吹き飛んだ翠は、しかしほとんど自らの意志で跳んでおり、蹴りの威力を逃がしている。
「話せないんじゃ仕方ないよねっ!」
蹴られ慣れしている翠は跳ね起きると、二振りの木剣を振りかざし、再び葵に襲いかかる。
左右からの同時攻撃。
右の薙ぎ払い、左の突き。
左の突きは途中で変化して、体ごと捻っての背面斬り。
「マンガで読んだんだけどさ、男の子たちってこうやって……!」
バックステップで同時攻撃を躱す。
右の木剣が跳ね上がってくるが、その手首を前蹴りで受け止める。
重心がずれたところに狙い澄まして飛んできた左の突きを体を捻じって躱す。
突きは斬撃に変化して葵の背に迫るが、それより速い回し蹴りが、翠の胸を蹴り飛ばして、距離を取る。
「言葉じゃなくて拳で、友情を交わすんだって……さ!」
間違った情報を披露しながら攻撃してくる翠に、その木剣のどこが拳だ、と思いつつ蹴りで応戦する。
拳はまったく交わされず、もうすぐ夕闇が迫る山中で、二人の女児がその年齢では考えられない身体能力で戦っていた。
同じ師匠を持つ二人だが、その戦い方は大きく異なっていた。
翠は碧双刃を想定した二刀流。
葵は蹴り技を中心にした体術。
武器を持つ翠が圧倒的優位にある筈だったが、寝食と九色刃との契約以外のほとんどの時間を訓練に費やしてきた葵は、翠の攻撃をいなし続け、互角に近い戦いを演じていた。
「少しはやるじゃん。もうそんなに戦えんならさ、何を悩むことがあんのさ?」
翠は、葵を軽く叩きのめし、力関係をはっきりさせるつもりだった。
「そのまま刃朗衆の戦闘員になって、さっさと英雄を刺せばいいだけじゃん!」
葵は自分より一歳年下だと聞いていた。
一歳とはいえ、年下は年下だ。
師匠の命令で仕方がないとはいえ、この自分だけが不幸です、とでも言いたそうな根暗な子と付き合う以上、最初にはっきり自分が上だと、教えておかなければならないと思ったのだ。
「なんの問題があんの? なんか大変なことある?」
誰もがお前を甘やかすわけではないのだ、と。
「精神的なストレス? なにそれ? 美味しいのー?」
刃朗衆で暮らす翠は、同世代の一般の女児と比べてはるかに精神的な成長は早かった。
しかし、それでもその思考はまだまだ幼稚であった。
「あたしらは刃朗衆の子ども。誰だって、普通に幸せじゃあないんだよっ!」
葵を襲いながら、気づけば翠は普段から抑えていた感情を叫んでいる。
「使命の重さに耐えられない? 心の支えがない? だから言葉が話せない病気になった? ふざけんな。腹ん中に半分死んでる妹抱えて、訳のわかんない武器にその妹の血を吸わせながら生き続けるあたしよりも、あんたの方が不幸だって言いたいわけ!?」
葵の動きが止まる。
「耳を塞いでも、お腹の中から聞こえてくる『どうしてあなただけが生きてるの』って声に、毎日震えて眠るあたしの気持ち、あんたに分かる!?」
同じ刃朗衆の子ども。
碧双刃の使い手、翠の話は葵も師匠から聞いていた。
聞いてはいたが、自分と同じように過酷な運命を抱える者に対して、何かを思ったことも、考えようとしたことも、葵は一度もなかった。
「病気になってる暇なんてあんの? さっさと使命を果たして、この子を、あたしから切り離してよ!!」
動きが止まった葵に向かって、木剣が振るわれる。
「誰か……あたしのことだって、誰か助けてよ!!」
とっさに葵はその斬撃から身を躱すが、飛び跳ねた先の地面は、大きく傾いていた。
「……!」
「しまっ……」
追い詰め過ぎてしまったことに翠は気づくが、もう遅い。
葵は、転がるように山の急斜面を五メートル以上滑落する。
沢の下の岩場に頭部を強打して、意識を失った。
葵が意識を取り戻すと、そこはコンクリートの壁がむき出しの、飾り気のない部屋に置かれたベッドの上だった。
窓はなく、ぶら下がった電球が頼りない明りで室内を照らしている。
(ここは……)
この殺風景な部屋の雰囲気を、葵は知っていた。
九色刃の契約の儀式に使われていた建物とよく似ているのだ。
(私は……そうだ、あの黒い服を着た女の子に襲われて、足を踏み外して沢に落ちて……)
ベッドの上で体を起こすと、ズキンと頭が痛む。
頭に手をやると、包帯が丁寧に巻かれていることに気が付いた。
体も確認すると、ところどころ痛むが、手当はされている。
骨折などもしていないようで、とりあえず重度の怪我は負っていないようだった。
「……お姉ちゃん、目、覚めた?」
か細い男の子の声がして、葵は顔を上げる。
ドアのない入口から、幼い男の子が車椅子に乗って、翠に押されて部屋に入ってきた。
刃朗衆の里で、女師匠と契約を行う関係者以外とほとんど接点がなかった葵だが、それでも里に暮らす人々の顔は大体知っている。
その中では、葵は見たことのない少年だった。
当時八歳の葵よりも更に幼い、年の頃は四歳程の幼児。
顔色は悪く、頬は痩せこけ、目玉だけが爛々と光っている。
ただし、その口元は柔らかい微笑みの形が浮かんでいて、病的な印象の少年から、陰鬱さはそこまで感じられない。
車椅子の後ろからは、ゴスロリ少女が睨むように葵を見ている。
「……あんた、吐き気は? 自分の名前は分かる? 手足は動く? 骨は折れてない? 死ぬの? 死なないの? どっちなの?」
畳み掛けられる質問に、少年は驚いて翠を見上げた。
「翠お姉ちゃん、怖い。怒ってるの?」
「ごめん、ごめん。大丈夫、怒ってないよ、灯太」
慌てて翠は、少年に向かって愛らしい笑顔を見せる。
ついさっき葵を襲っていた狂気の笑顔からは、想像もつかない柔らかい笑顔だ。
(……灯太)
その名前に、葵は聞き覚えがあった。
(ああ……そうか)
病的な顔色。ガリガリに細い手足。
車椅子に乗っている。
おそらく、自力で歩くことは困難なのだろう。
「で? どうなの? あんた」
翠の問いかけに、葵はゆっくりと口を開く。
そして。
「……大丈夫」
はっきりとした言葉が、音となって、その口から発せられた。
あまりにあっさりと戻ってきた葵の声に、翠は目を瞠る。
「あんた、口が……どうして」
特に葵の抱えるストレスが解消される何かがあったわけではない。
翠が木剣で殴り掛かって、葵が沢に落ちただけだ。
まさか、頭を打ったショックで失語症が治るわけではないだろう。
「君、名前は?」
驚く翠には答えずに、葵はベッドから降りて少年の前にしゃがみ込み、話しかける。
「灯太。四歳!」
「トウタ。上の名前は? ……ないんだよね?」
「うん」
「私たちと、一緒だ」
「うん、イッショだよ」
灯太は嬉しそうに笑う。
つられて、葵も微笑んだ。
聞かされてはいたのだ。
同じ予言と戒律に縛られ、戦っている子どもたちがいることは。
「お姉ちゃんたちと一緒。ボクはね、シュエンジョウのカンリシャなんだよ」
灯太。
古式神道を使う出雲の集団から、彼は新生児のうちに刃朗衆に連れてこられた。
そして白霊刃の予言により、僅か4年で九色刃・朱焔杖との契約を終える。
生まれたばかりの重要な時期から、継続して多くの血を失ってきた代償は大きく、灯太は身体の発達に大きな障害を負っていた。
「眠ったの?」
灯太少年は初めて葵に会ったことを喜び、自分の事を、まだまだたどたどしい言葉でひとしきり喋った。
葵にとっては慣れない他者との会話だったが、相手が4歳児であることから、緊張もせずにうんうんと相槌を打ちながら、話を聞くことができた。
後半で灯太はうとうとと船をこぎ始め、そのまま車椅子に座ったまま、あっという間に寝息を立て始めてしまう。
体力が無いのだ。
「はしゃいで疲れたんでしょ。あんたの話は、灯太も上の連中から聞かされてたからね。実際に会えて、嬉しかったんでしょーね。なんせあんた、予言の英雄に力を与えるヒロインじゃん?」
二人のやり取りを横で見ていた翠は、嫌味たっぷりに葵を揶揄する。
棘のある言葉に葵は反論しようとするが、今の皮肉に似合わない、やさしい手つきで灯太を撫でている翠を見て、言葉を飲み込む。
「あんた。特に怪我とかしてないんでしょ。だったらそこ、どいて」
翠があごで葵が座っていたベッドを指し、葵は立ち上がる。
翠は眠る灯太を車椅子から抱え上げると、静かにベッドに寝かせた。
「……この子のベッドだった?」
「そうだよ。気絶したあんた担いでここ来たら、寝てた灯太が起き上がって、ここに寝かせろって言うからさ」
「担いでって……あなたが、私を? ここまで、一人で?」
「あ、いや……」
翠は慌てて顔を背ける。
「ここ、『病院』でしょ? 山の訓練所から、ここまで私を、担いだの?」
九色刃の契約が行われる医療・研究施設がある建物は、刃朗衆の隠れ里がある田舎町の外れにある古い神社の敷地内にあり、そこを葵たちは通称『病院』と呼んでいた。
葵と翠が戦った訓練所は、町の更に外れの山中にあり、『病院』からは距離にして4~5キロは離れている。
その距離を、目の前の葵とほとんど歳の変わらない小柄な少女が、自分を担いで歩くというのは、並大抵のことではないはずだった。
「べつに……訓練所に寝かせといたら、師匠が戻ってきてバレるでしょ? その、あんたを襲ったこと」
「……『師匠』。やっぱりあなた、『碧双刃の翠』で間違いない? 」
「うっわ! 呼び捨て! やめてよね!」
振り返り、本気で嫌そうに翠は葵を睨む。
「なによ今更? あたし最初に名前言ったよね? 大体あんたあたしより、いっこ下でしょ? 呼び捨てとか舐めてんの? 潰すよ!?」
「碧双刃の使い手になるあなたが、なんで私のことを襲ったの?」
呼び捨てされたことに拘り凄んだ翠だったが、葵の単純な疑問を受けると、ついと視線を逸らして、顔を背けた。
「悪かったわよ」
「謝れって言ってない。なんでって聞いてる」
顔を背けたままこちらを見ない翠に、葵は重ねて問い質す。
しばらくの沈黙が続くが、翠は何も答えない。
「……私と仲良くなるって言ってた。どういう意味? 私は戒律で、誰とも仲良くなってはいけない」
「……あああ、もう!」
頭を両手で掻いて体ごと葵に向き直ると、翠は開き直って素直に答え始めた。
「師匠の命令だよ! あんたが失語症とかいうのになって、このままじゃ使い物にならないからって、あたしがあんたの友達になって、心の支えになってやれって言われたんだよ! あたしは碧双刃の契約途中だから、命蒼刃の使い手になることはできないんだって! だからあたしは、あんたと仲良くなっても大丈夫なんだって! だから、これも任務なんだよ、任務!」
一気に喋りまくると、再び翠はそっぽを向いた。
翠は自分で、葵に対し何でこんなに動揺しているのか理解できていなかった。
いきなり襲いかかって、葵を沢に落としてしまったことの罪悪感はある。
しかし、どうにもそれだけではないことには、気づいていた。
――病気になってる暇なんてあんの?
――さっさと使命を果たして、この子を、あたしから切り離してよ!!
――誰か……あたしのことだって、誰か助けてよ!!
(あのときあたしは、何を言った?)
自分だけが不幸だと、そんな顔をしてココロのビョーキとやらになっている葵に、翠はイライラしていた。
上下関係を叩き込むついでに、その性根を叩き直してやろうと思っていた。
だけどいつの間にか、「自分こそが可哀想な人間なのだ」と、叫んでいたのだ。
自分自身が、翠が苛立った人間そのものになっていた。
葵は、いってみれば八つ当たりされただけだ。
(そっか、そういうことか)
ようやく納得した翠だったが、だからと言って素直に葵に詫びれるほどには、翠は成長していない。
「そうか、そうだね。任務だよね。私と仲良くなる理由なんて、他にあるはずがない」
平坦な声で葵が呟いた。
見ると、葵が目の前の地面を見つめながら、肩をかすかに震えさせている。
「ちょ、なに落ち込んでんの? あたしはそんなつもりで」
そこまで言って、翠は息を飲んだ。
戒律に縛られ必要最低限の人間との接触を禁じられてきた葵。
そこに、仲良くなると宣言した自分が現れた。
だが、それはただの任務なのだと告げられた。
そのショックは、大きいはずだ。
(なにやってんだ、あたしは! 八つ当たりして! 同じ立場のこの子を傷つけて!)
「いや、あのさ、ウザいな。やめてよね、また失語症とかになるの? 師匠に殺されるっつーの。めんどくさいなー」
しかし、翠の口から出てくる言葉はその思いとは裏腹の、傷口に塩を塗るような言葉だけだ。
(あー! 違う違う! 「ごめんね」だ! 「本当に仲良くなろう」だ!)
「……私が失語症になったら、仲良くしてくれるの?」
「へ?」
静かにパニック状態になっていた翠だったが、予想外の葵の言葉に思考が止まる。
「違う、えーと……。私がまた失語症にならないように、仲良くなり続けておくって事には、ならないかな」
「へ? へ?」
予想外の言葉が続く。
「いくつもの九色刃と契約はできない。じゃあ私は、他の九色刃の契約者とは仲良くなっていいんだ。朱焔杖の管理者の灯太とも、仲良くなっていい? あ、でも、灯太はそんな任務は受けてないのか。でも、翠は、任務があるんだよね? 私と友達になる任務」
「いや、あの、その、そうだけど……」
(どんだけ、任務が大事だよっ!)
心の中で翠は叫ぶ。
そもそも、その任務がプレッシャーで心の病気になっていたんじゃなかったのか。
そこでふと、翠はある疑問に思い当たる。
「ねえ、あんた」
「なに?」
「なんで、急に言葉が戻ったの? あたしがやったことって、あんたに襲いかかって、沢に落として、ここに連れてきて灯太に会わせただけだよ?」
振り返って、ベッドに眠る顔面蒼白の幼児を見る。
かなり大声で葵と翠は話していたが、灯太は静かに寝息を立てていた。
「……自分でもよくわからないけど」
葵は眠る灯太を見つめながら、声のトーンを落として続ける。
「翠は」
「だからさっきから呼び捨てやめろ。あたしの方が年上」
「じゃあなんて呼んだらいいの? とにかくあなたは、その、お腹の中にいる双子の姉妹にごめんなさいって思いながら、生きてる」
唐突に心の芯に触れられて、翠は押し黙る。
「それに灯太も、何もわからないうちに刃朗衆に連れて来られて、ありえない早さで血を抜かれて契約させられて、一人では歩けない体になってる」
「……あたしやあんたと同じ、白霊刃の予言だって。五歳になる前に契約を済ませろっつーね。なんでか知んないけど」
「その話、私も聞いてた。……聞いてたんだ」
葵は胸を押さえ、強く強く拳を握り絞める。
「翠は言ったよね、自分の方が不幸だと思ってるのかって。うん、思ってた。思ってたんだよ。翠や灯太の話を知っていても。だけど、違う。そうじゃない。翠も助けてほしいって、叫んでた。いっぱいいっぱい苦しんでた。灯太も、あんなに手も足も細くて。私はあのくらいの頃には、山を駆け回ってた。友達はいなかったけど、森の中で木登りもできて、夕焼けも見れて、動物と一緒に追いかけっこもできた。でも灯太は、歩くこともできない」
肩を震わせて、一言一言、噛みしめるように葵は話す。
自らの思いの愚かさを悔いるように。
「いや、あんた、そんなこと言ったって……」
翠は、いかに自分が葵に酷なことを要求していたかを思い知らされた。
葵は、その自分と同じように苦しんでいる他者に会ったこともなかったのだ。
会ったこともない人間の心を思いやれというのは難しい話だ。
実際に翠も、葵をただの自己中心的な考えの引きこもりだと思っていた。
こうして話してみて、ようやくわかる。
それがいかに、「仕方のない」ことだったのか。
「私は、果たさなくちゃいけない。そうしないと、翠も、灯太も、いつまでもこのままなんだ。翠の言った通りだよ。ココロのビョーキになんか、なってる暇はないんだ。そう、思ったんだよ」
(……マジ、で?)
翠は背筋に冷たいものが走る。
師匠は言っていた。
葵は責任感が強い。
だから刃朗衆の使命を過度にプレッシャーに感じて、精神を病んでしまったと。
今、葵は言葉を取り戻した。
しかしそれは、プレッシャーが和らいだわけでも、心の支えを得て持ち直した訳でもなく、自分たちを助ける為には戦わなくてはならないという、使命感で心を持ち直しただけなのだ。
翠はそう思った。
実際には、もちろんそれだけではない。
刃朗衆の使命や戒律で苦しんでいるのは自分だけではなく、同じような子どもが、同じように苦しんでいる。
その事実を実際に会って初めて実感して、それだけで幼く脆い葵の心の支えに、充分なったのだ。
だが翠には、目の前で使命に対して決意を新たにしている葵が、ただただ自分や灯太の為に、無理矢理に心を立ち直らせたようにしか思えなかった。
(あたしは、こんな子に向かって、助けてとかほざいたんだよな……)
「私は、弱いんだ。気持ちが。こんなこと分かりきってることなのに、失語症とかになって。だから、翠。私みたいな子は嫌だと思うけど、刃朗衆の任務だし、私とこれからも、仲良くしてくれないかな。そうしたら私、これからも頑張れ」
いきなり翠に抱きしめられ、葵の言葉は途中で遮られる。
「え? え? いきなり何……」
強く、強く抱きしめられる。
「い……痛い痛い! なんか翠の服についてるキーホルダーみたいのが擦れて痛いよ!」
「キーホルダーじゃない! アクセサリ! あと呼び捨てやめて! あたしの方がいっこ年上!」
「じゃあ、なんて呼んだら……」
翠は葵の肩を掴んで、その顔を間近に覗き込む。
「な、なに……?」
「仲良く? なるよ。当たり前じゃん?」
「……ありがとう。めんどくさい任務だと思うけど、よろし」
「ざあっけんなぁぁぁぁー!!」
翠は叫び声を上げると、更に強い力で葵を抱きしめた。
「痛い! 痛い! なんか尖ったの刺さってる!」
「……なあに、お姉ちゃんたち、どうしたの……?」
二人の叫び声に、さすがの灯太も目を覚まして、ベッドの上から声を上げる。
「ご、ごめん灯太、起こしちゃって……ちょっと翠、静かに」
葵は力づくで翠を引きはがそうとするが、
「だから、呼び捨てやめてってば!」
翠は更にそれを遮って、葵に組み付いてくる。
「どうしたの? 喧嘩? やめて、やめてよ……」
眠っていたところを大きな声で起こされ、更に二人が取っ組み合いをしている状況に、体を起こすこともできない灯太がベソをかきだす。
「あああ、ごめん! ごめん、灯太!」
さすがに翠は慌てて葵から離れ、灯太のベッドに駆け寄ってその頭を優しく抱く。
「灯太、大丈夫。喧嘩なんかしてないよ」
「本当に?」
「うん。翠お姉ちゃんと葵ちゃんは、仲良しになったんだよ」
言いながら、翠は灯太の頭を優しく撫でる。
「ねえ灯太。あたしと灯太はこの『病院』で、九色刃との契約の儀式をしている時に会って、仲良くなったよね」
「うん」
「何になったんだっけ?」
「きょうだい!」
「そうだね。あたしがお姉ちゃんで、灯太が弟。なんて言うんだっけ?」
「ちよりもこい、たましいのつながり!」
葵は二人のやり取りを見て、心の底から羨ましいと感じる。
いいなあ、と。
「ねえ、灯太。もうひとり、きょうだいが欲しくない?」
「えっ……」
翠の言葉に一瞬キョトンとする灯太だったが、すぐにその意図を察して、パアッと輝くような笑顔を浮かべると、傍らに立つ葵を見つめる。
「え?」
「やったあ!」
ベッドに横になったまま、灯太は快哉をあげる。
「葵ちゃん。あたしのことをなんて呼んだらいいかって聞いたよね」
「え……う、うん」
「刃朗衆の任務だったらね、うん。友達にでもなったらいいだけだ。でも、これは任務じゃない」
そういうと、翠は手を伸ばして葵の首を掴み、引き寄せる。
「わっ……」
灯太のベッドの枕元に、翠と葵は突っ伏すような形になる。
そうして翠は、灯太と葵の頭を抱いた。
灯太もその細い細い腕を、二人の姉の首に回して、幸せそうに微笑む。
状況が飲み込めていない葵に向かって、翠は花が咲くような笑顔を浮かべて言った。
「あたしたちは友達なんかじゃない。血よりも濃い魂の繋がりの、きょうだい。葵ちゃん、今日からあたしのことは『翠姉』と呼ぶように!」




