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「過去の瑕痕・2」

「……弟? 葵ちゃんと翠さんの?」

「もちろん、血が繋がってるわけじゃないけどね」


 武士の問いかけに、葵は答え翠も頷く。


「そだね。灯太のことも、ちゃんと話さなきゃだね」

「刃郎衆の子どもか。……お前らみたいに、生まれたときから朱焔杖との契約を決められてたのか」

「そうだよ。少しはマシなバカのハジメ君」

「うるせえ。さっさと詳しく話せ」


 翠のからかいに、しかし今度のハジメはあまり乗らない。

 横にいる武士も、真剣な面持ちを崩さずにいる。

 刃郎衆の子ども。

 目の前にいる二人の女の子が、どんな半生を送ってきたか知っているからだった。

 そして、その灯太という少年も、おそらくはきっと。


 少し苦しそうな表情を浮かべた後、意を決したように顔を上げ、葵は武士を見つめた。


「詳しく話すとなると、私たちの話にもなっちゃうんだけど。聞いてくれるかな」

「もちろん」


 即答する。

 おそらく、彼女は話すことで辛い過去を思い出すのだろう。

 それは心苦しい。

 葵に辛い思いをさせたいわけではない。

けれど。

 相手と本気で向き合う以上、知らないということは罪だ。

 それは、芹香・シュバルツェンベックに関わる九龍直也との戦いの中で学んだことの一つだった。


「手短に……って言いたいとこだけど。まあ、知っといた方がいいだろうね」


 継はパソコンのマウスから手を離し、横に座る時沢を見る。

 時沢も静かに頷いた。


 そして葵が、静かに口を開いた。




 八年前。

 当時の葵は八歳だった。

 不死と回復の力を持つ九色刃・命蒼刃の管理者になることを予言に定められていた少女は、刃朗衆の隠れ里でおよそ普通とは呼べない、陰惨な生活を送っていた。


 二日に一度、九色刃の管理者となる契約の為に一定の血を抜き取られ、命蒼刃に捧げられる。

 これは葵が生まれた直後から始められ、一度の採血の量こそ少なかったが、休むことなく続けられていた。

 そして刃朗衆の戦闘要員となる為の厳しい教育と訓練の日々。


 命蒼刃は、〈使い手〉を不死にするという性質上、内外の人間問わず狙われやすい存在だ。

 誰も、死ぬことのない体という誘惑には弱い。

 九色刃の存在は外部には秘密であったが、内部の人間にその誘惑に負けてしまう者が現れることが、危惧された。

 その為、葵は必要最低限の人間を除き、他者との接触や交流を禁止された。

そしてそれは、彼女の親も同様だった。

 親や他人との交流を制限され、ただ戦闘技術や任務の遂行義務だけを教え込まれる日々。

 戒律を守らなければならない。

 仲間を守らなければならない。

 しかし、仲間を信用してはならない。


 葵の生活は、暗く、厳しく、孤独で、逃げ場もなく、踏み外せば谷底に落ちるだけの、細く冷たい鉄の橋を素足で一人で歩み続けるようなものだった。

 常に足元だけを見て歩く。

 横を歩む者は誰もいない。

 終わりは見えず、いつまでも冷たい鉄の橋が続く。

 振り返っても、戻る岸は見えない。

 いっそこの足を凍えさせる鉄の橋から身を投げてしまえば楽になれると、何度も少女は考えた。

 しかしそれは、自分だけを殺すのではない。

 将来、予言の英雄に力を与える役目である自分が死ねば、この国に住むすべての人が、悲惨な戦争でその命を落とすのだ

そう、何度も教え込まれた。

 それは幼い精神に刷り込まれた、呪いそのものだった。



「おめでとう、葵。命蒼刃に、君の魂の情報は充分に刻まれた。蒼の刃との契約は交わされ、君は晴れて命蒼刃の管理者となった」


 隠れ里である田舎町の外れにある、古い神社。

 その敷地内にある建物の中には当時最新の医療・研究施設が揃えられており、葵は二日に一度、そこで血を抜かれ続けていた。

 いつもの採血を終えたある日、刃朗衆の研究班の男は言った。


「よく頑張ったね。これが君が契約を交わした九色刃・命蒼刃だよ」


 柄と鞘が蒼い短刀を手渡される。

 特に何かの意匠が施されているわけでもない、シンプルな懐剣を葵は手にした。

 ピタリと掌に吸い付くような感覚を覚え、確かにそれは、自分の体と、心と一つになっているものだという説得力がある。

 しかしそれは同時に、葵の運命を呪縛している根源でもあった。


「これからは、肌身離さずそれを持っているように。儀式は済んでいるから、物理的な距離などもう関係はないけれど、常にともにあることで、魂の繋がりは強化されるからね。大事にするように」


 葵は、男の目の前で刀を地面に叩きつけたくなる衝動に駆られる。

 実際にそうしてしまおうと、本気で思った。

 だが、幼い少女の手は僅かも動くことはできなかった。

 刃朗衆の戒律と自分の役目という呪いは、葵の心身を既に深く蝕んでいた。


「どうした? 嬉しいだろう? もう血を抜かれることはないんだぞ。それになにより、予言の成就にまた一歩近づいたんだ。何か言いなさい」


 男の、悪意はないがそれだけに無慈悲で残酷な言葉。

それに答えようと、葵は口を開く。

開くが、言葉が出てこない。

ヒュウヒュウと、咽喉から息が漏れる音がするだけだ。


「どうした? おい、葵?」


 葵は懸命に喋ろうとする。

 しかし、言葉という音にならない。

 研究班の男は訝しむが、それは不思議なことでもなんでもなかった。

 幼い葵の小さな体の中には、話したい、叫びたい言葉は山のようにあった。

 しかし、刻み込まれた呪詛がそれを許さない。

 刃朗衆の戒律。

 日本を戦争の災禍から救う予言の英雄に力を与えるという役目。

 その責任を負った少女。


「ありがとうございます」

「私は頑張ります」

「命蒼刃の力を必ず、英雄に渡します」

「それが私の使命です」

「そしてこの国を、必ず守ってみせます」


 そんな言葉以外を発してはならなかった。

 だから葵には、言葉を口にすることができなかったのだ。

 八歳を超えて命蒼刃との管理者の契約を終えた日。

 葵は失語症になった。



 その日、山の中にある刃朗衆の施設の庭で、葵は孤独に訓練を続けていた。

 戦闘技術の訓練には、刃朗衆の戦闘要員の一人が『師匠』として専任で当たっていたが、一週間経っても回復の兆しを見せない葵の失語症への対応を協議する為、場を外していた。


 丸太を人型に組み合わせ、藁を巻いただけの案山子が、地面に突き立てられている。

 葵は、頭部、咽喉元、脛、金的、人体の急所に恐ろしい速度と正確さで蹴りを繰り出す。

 八歳の少女が体を回転させながら、ガンッ! ゴッ! と鈍い音を響かせ、無言で案山子を蹴り続けている。

 その姿は、一般的な感覚でいえば相当に異様な状況だ。


 言葉を話せなくなった葵だが、特に不安感を抱いてはいなかった。

 任務の邪魔をする敵を蹴り倒すのに、言葉は必要ない。

 戦闘ではなく工作員として活動には問題だが、体に問題はないらしいから、いつかは治るだろう。

 もとより、時期が来るまでは訓練に明け暮れるしかない日々だ。

 誰と話す必要もない。

 話すことも許されていない。

 かえって少し気楽になったくらいだった。

 どうせ話す相手もいない、言葉なんてそもそも必要ないのだ。


 バキン!


 打撃訓練用の案山子の首が、へし折れて地面に落ちる。

 葵は一息つこうと、施設の中に戻ろうとしたその時だった。


「……!」


 建物の影から、小さな人影が葵に向かって飛び出してきた。

 影は両手に二振りの長物を持ち、振りかざして飛び掛かってくる。


 -敵だ!


 葵は素早くサイドステップで初撃を躱す。

 僅かな時間差で回避した先に襲ってきた二撃目を、体を捻って驚異の柔軟さで避ける。

 間髪入れず、葵は体の捻りを最大限に活かし、着地ざまの人影めがけ丸太をへし折る強烈な足蹴りを繰り出した。

 だが、黒い影は葵の想定よりも更に小柄で、また着地に合わせて深くしゃがみ込まれた為、破壊の蹴撃は人影の頭上を通り過ぎてしまう。

 人影は、蹴り技を放った直後の葵に足払いを掛ける。

 バランスを崩された葵は、そのまま流れに逆らわず倒れこみ、地面に転がって人影から距離を取ろうとする。


「逃がさないよん!」


 人影は飛び跳ねるように起き上がり、地面に転がる葵の頭部を狙って手にした武器を突き出した。


(女の子っ!?)


 葵は襲撃者の声に驚くが、訓練された体は敵の攻撃に自然に反応する。

 首を捻って最初の突きを躱す。


「こっちぃ!」


 しかし敵は、武器を二振り持っている。

 逆の手から顔面めがけて突きが繰り出された突きを、葵は両腕をクロスさせ、そのまま手の甲で挟み込むように受け止め、押し上げた。

 突きは軌道を逸らされ、葵の頭の上を通り過ぎ、地面に突き刺さる。


「ぐふっ……!」


 人影が呻き声を上げる。

 覆いかぶさってきた形になった人影の鳩尾を、葵が下から蹴り上げたのだ。

 間合いのない距離の蹴りで十分な威力はなかったが、敵の隙を作るのには充分だった。


 葵は地面を転がり、襲撃者から距離を取って立ち上がる。

 そして、襲撃者の姿を見て目を見開く。


「やるなあ……チクショウ」


 腹を押さえながら立ち上がった人影は、黒いゴスロリ衣装にツインテール、葵よりも小柄な体格の、幼い少女。


「この翠ちゃんの不意打ちを凌ぐなんて、さすがは命蒼刃の管理者って訳? 生意気ぃ!」


 当時九歳の翠との出会いだった。



「命蒼刃の管理者と、友達になれぇ!?」


 刃郎衆の戦闘要員であり、戦闘技術の師匠である目の前の女性から唐突な命令を聞いて、ゴスロリ衣装の女児は素っ頓狂な声を上げる。

 翠の師匠は、同時に葵の師匠でもあった。

 つまり翠と葵は兄弟弟子であったのだが、その時まだ、二人は直接顔を合わせていなかった。


「師匠なに寝ぼけたこと言ってんすか? あれでしょ? 命蒼刃の管理者って、戒律のせいで友達作れない、ネクラなヒキコモリガールでしょ? なんであたしがそんな暗い子と友達にだあっっ!!」


 勘弁してよ、という風に肩をすくめていた翠の顔面に、女師匠が唐突に前蹴りを繰り出す。

 反射的に翠は手にした木剣でガードするが、勢いはまったく防ぎきれず、後方に吹っ飛ばされ壁に激突した。

 肺の中の空気が押し出され、床に這いつくばり悶絶する。


「……はっ……が……し、師匠……ノーモーションで顔面キックは……勘弁してくれませんか……」

「勘弁して欲しいのはこっちだ。翠」


 女師匠は、地味なグレーの作業服を着ていても強調される、豊かな胸を反って翠を見下すように立つ。


「これは任務だ。葵は一週間前に、管理者として命蒼刃との契約を終えたばかりだ。アイツは雑な性格のキサマと違って、責任感が無駄に強いガキだ。使命の重さに耐えきれず、心が病んでいる」

「雑な性格って、師匠が言いますか…」

「何か言ったか」

「何でもありませんっ!」

「失語症という病気だ。あのガキは言葉が喋れなくなった。精神的なストレスが問題だとさ。キサマがさっき言った通り、葵には戒律のせいで心を許せる相手がいない。少しは重圧から解放してやろうと訓練を休みにしてやっても、あのガキ、毎日朝から晩まで案山子相手に自主トレしかしやがらねえ」

「え? 訓練休み!? ずっりぃ! あ、師匠……自分もなんか……急にストレスで心が……ぎゃんっ!」


 無拍子で間合いを詰め翠の側頭部に回し蹴りを入れる女師匠。

 受ける側にとってはほぼ瞬間移動からの蹴りに近いそれを、翠はそれでも腕でガードする。

 しかし、スマートながら筋肉質で、膂力は他の刃郎衆戦闘要員の男性に勝るとも劣らない女師匠に対し、九歳の翠の体格では絶望的なまでの体重差だ。

 翠は再び吹き飛ばされ、今度は横の壁に激突して崩れ落ちる。


「なんなら負傷入院でもして、ゆっくり休むか? クソチビ」

「マジで……すんませんでした……」


 それでも翠は、一度頭を振るとあっさりと跳ね起きた。

 自ら地面を蹴って蹴られる方向に飛び、蹴りの威力をある程度殺している。

 翠にとって、女師匠との暴力的なやりとりは、日常茶飯事なのだ


「とにかく、葵はこのままだと壊れて使い物にならなくなる。誰かがあのガキの心の支えになる必要があるんだ。かといって、誰でもいいわけじゃない。そいつが不死の体を得る野心に取り付かれたらまた面倒だ」

「師匠がなったらいいじゃないすか。その女の子の師匠でもある訳でしょ?」

「私が? 心の? 支えに?」

「すみません。無茶ぶりでしたー……て、だからってあたし?」

「キサマは碧双刃との契約途中だ。葵と違い、まだまだ契約に時間がかかる。キサマ自身が契約するわけではないからな」


 女師匠はそう言うと、翠の腹を指さす。

 さっきまで軽口を叩いていた翠の表情に、さっと陰が落ちた。


 翠の体の内に眠る、彼女の双子の妹。

 受胎より日の浅いうちに、双子の胎児のうち翠の成長を促進させられ、もう片方の胎児は成長促進させた翠の中に埋め込まれた。

 妹は『胎児型奇形腫』と呼ばれる腫瘍の一種となり、生まれた翠の体内に宿ったのだ。

 そして、翠が生まれてすぐに、その小さな腫瘍に管が繋がれ、2日に一度ずつ、ごく僅かな血が抜かれ、碧双刃に捧げられ続けることになった。


 小さい胎児様腫瘍からの採血だ。一度の採血量に限界がある為、通常なら五年程で終わる管理者としての契約が、碧双刃の場合十年以上はかかると見込まれていた。


「だが、魂の繋がりは碧双刃との間で確実に進んでいるらしい。九色刃の重複契約は不可能だ。つまり、腹の中に他の九色刃との繋がりを抱えたその状態で、キサマが不死への願望を持ったところで、命蒼刃の使い手となる契約は不可能らしい。だから無駄な事を考えるなよ」

「考えませんよ」


 不死身なんて、冗談じゃない。

 翠は心の中で唾棄する。

 こんな人生で不死身になんかなったところで、楽しいことなんかありはしないだろう。


「つまり、キサマが一番適任なんだ。九色刃の契約者になった者と、これからなる者。年も近い同性で、環境も似ている。仲良くなれるだろう。いくら仲良くなったところで、キサマに不死の力を奪われる心配もないしな」

「……絶対ヤダ」

「なんだ?」

「いえ、なんでもありません。師匠、それは任務なんですか」

「そうだ」

「なら、了解です」

「素直だな?」

「すぐに引き受けるか、ボコられてから引き受けるかのどっちかでしょ。だったら素直に引き受けますよん。りょーかいっす。了解。で? その失語症? の葵サンは、今は山の方の訓練所っすか?」

「ああ。多分まだ自主トレ中だろう」

「了解っす。じゃ、さっそく挨拶してきますよー」


 手にした二振りの木剣を脇に刺し、ゴスロリ少女は手をひらひらと振ると、普段自分が使っていた訓練施設の一室から出て行った。


「……キサマもこのままじゃ潰れるからだよ、クソチビ。……ごめん。本当にごめん」


 残った女師匠が、幼い少女達に過酷な運命を背負わせている大人として、懺悔の言葉を呟いていたことは、翠は知る由もなかった。



「つーわけで。あたしは九色刃・碧双刃の使い手になる予定の、名前は翠。ま、さっさとあたしと仲良くなって、失語症とかさっさと直して、さっさと任務に戻ってさっさと使命を果たせよ」


 葵の目の前に立つ、小柄なゴスロリ衣装を着た少女。

 両手に木剣を二本握りしめ、笑いながら葵を見ている。

 その目だけはまったく笑っていなく、憎しみすら籠もっているように見えるが。


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