表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
42/120

「英雄の選択」

 霊波天刃。


 それは、命蒼刃の使い手だけが使える能力。

 刃に封じられた使い手の魂が、使い手の精神に共鳴して発生する刃。

 殺意を抱いた相手だけを切ることのできる力。


「田中、君に俺を倒せると思うか? 前に一度、戦ったことがあっただろう」


 直也は静かに言うと、備前長船を一振りする。

 刀身に付いていた翠やハジメの血が振り払われて、弧を描いて床に飛び散る。


「……ありましたね。そんなことが」


 暁学園の剣道部の稽古で、武士は過去に一度、直也と戦った。

 打ち合いにすらならず、直也が開始直後に一本を決めて、それで終わりだった。

 武士には直也の動きすらまともに追えなかった。


「俺とまともな勝負になると思うのか? 自惚れるのも―」

「怖いんですか、僕が」


 武士の持つ『霊波天刃』の青い光が、燃える炎のように揺れる。


「な、に?」

「僕は決めたんです。必ず葵ちゃんを助けるって。僕があなたに勝たなければ、あなたは葵ちゃんを殺すんでしょう? そんなことは、させない」


(武士はさ、人を助けるときに力を出すタイプなんだよ。俺はそう思うぜ)


 ハジメが言っていた言葉を、直也は思い出す。

 御堂組の手練で、武士の訓練を担当した時沢も、武士は他人を守る時に卓越した運動神経を発揮すると言っていた。


「いいだろう。場所を変えようか。ここは狭くなって戦いにくい」


 そう言うと直也は武士に背を向けて歩き出す。

 窓に向かうとハジメの銃撃で割れた庭に通じる窓から、外へと出た。

 武士は後を追って歩き出す。


「武士くん……」


 自分の前を通り過ぎる武士に、芹香は声を掛けた。

 掛けたが、その後に続く言葉が出て来ない。


「芹香ちゃん。悪いけどハジメの足を手当てをしてくれないかな。何かで縛ったらいいと思う」

「う、うん……」

「九龍先輩は、僕が絶対に止める。僕だって芹香ちゃんの病気は治ってほしいけど、ごめん。芹香ちゃんの意思を無視して、葵ちゃんを犠牲にするなんて、絶対に間違ってる」

「でも、お兄ちゃんは武士君まで……」


 芹香の為になら殺そうとするだろう。

 その言葉のあまりの恐ろしさに、芹香はそれ以上口を開く事ができない。


「大丈夫。僕は死なないんだから」


 武士はそう言うと再び歩き出し、直也の待つ庭へと出た。


 広い芝の庭の真ん中で、直也は待っていた。


 武士は青く輝く光の刀を手に歩み寄る。

 二人は近づくと、まるで剣道の試合のように互いに中段に構え、剣先を合わせた。

 形だけをみれば、剣道の試合と同じだった。


 しかしこれは「試合」ではない。

 二人の男が命を賭した「戦い」だった。


「田中。いくら命蒼刃の力で不死身でも、首と胴体を切り飛ばされて動けるかな」


 直也は冷酷に、残酷に告げる。


「君を動けなくさせた後、葵さんを殺す。生き延びるのは芹香か葵さんか。真の英雄は俺か君か。決着をつけよう」


「ヤアアアッ!」

「ハアアアァッ!」


 二人の裂帛の気合いが響く。


 先手を取って動いたのは九龍直也。

 前の稽古のときと同じく、初太刀で全てを決めるつもりだった。

 駆け引きもなにも必要ない。

 自分と武士の間にはそれだけの実力の開きがあると直也は信じていた。


 正面からの神速の面打ち。

 血塗られ切れ味が落ちているとはいえ、真剣によるそれは武士の頭蓋を叩き切るだろう。

 その風景を信じて疑わなかった。


 ギィィィン!


 武士は、前にはまるで反応できなかった直也の面打ちに『霊波天刃』で反応した。

 空気を震わせる異音を響かせて、直也の備前長船を打ち払った。


「なっ!」


『霊波天刃』に触れた瞬間、備前長船は武士の刀の振りを超える勢いで大きく弾かれる。

 予測を超える衝撃に危うく刀を手放しそうなった直也は、強く柄を握り直して距離を取り、構え直した。


(なんだ、今のは)


 ただ刀を打ち払っただけなら、これほどの衝撃はなかったはずだ。

 直也は信じられない物を見る目で、武士の持つ光の剣を見た。


 驚いているのは、武士も同様だった。


(見える!)


 直也が仕掛けてくる刹那、直也の剣先から白い光が伸びてきたのだ。

 思考よりも先に手が動いた。

 ビクッと跳ねた武士の手首の動きで、『霊波天刃』の刀身は大きく跳ね上がる。

 白い光の後を追うように打ち込まれてきた直也の斬撃を、大きく弾いた。


 前に葵と戦ったときと同じように、直也の攻撃する先が光の筋となって、実際の動きよりも先に見えたのだ。

 その時は命蒼刃の管理者と使い手の関係だったからこそ、見ることができたのだと考えていた。

 しかし今、直也の攻撃も同様に察知することができる。

 あの時と同じなのは、武士が葵を守る為に、あらんかぎりの集中力で戦っていることだ。


 しかし、攻撃の先を事前に察知できてなお、直也と武士の戦闘能力の差は大きい。

 武士が直也の初太刀を弾けたのには、理由があった。


 『霊波天刃』の光の刀身には、重さが存在しない。

 短刀である命蒼刃の重さだけで、備前長船と同等の大太刀を振るう事ができた。

 そしてその威力は、触れただけで対象を強い力で弾き飛ばすことができる。

 それは、想像を超えるアドバンテージだ。

 例えば。SF映画やロボットアニメに出てくるようなビームの剣が実在したとしたら、たとえそれを振るうのが子どもや老人だったとしても、通常の剣でそれに勝つのは至難の業だ。

 重さがなければ、剣を振るスピードは尋常ではなくなる。

 それでいて切れ味は通常の剣以上となれば、これほどの有利さはない。


 そして武士は達人ではないが、素人ではない。


「イヤァッ!」


 直也が気合いを発する。

 その剣先から白い光が武士の手元に走る。


(―小手が来るっ!)


 実際の直也の刀が神速で伸びてくるより早く、武士は反応し『霊波天刃』を横に振るう。

 本来、目にも留まらぬ速さで武士の手首を切り落としていたであろう斬撃は、再び金属が軋むような音を響かせて大きく弾かれた。

 弾かれた切っ先から、白い光が再び武士に向かって走った。

 武士はそれに合わせて『霊波天刃』を縦に切り上げる。

 弾かれた勢いを利用して体を半回転させ、切り返すように振り下ろされた直也の斬撃は三たび弾かれる。


  ギィン!ギィィィン!


 直也が切り込み、武士が弾く。

 打ち合うこと数合、直也は大きく下がって間合いをとった。


「俺の打ち込みを先読みしているのか」


 『霊波天刃』の威力や剣捌きの速さはともかくとして、その反応の早さに違和感を覚えた直也は、驚きをもって問いかける。

 対して武士は不敵な笑みを浮かべた。


「先輩の打ち込みが、分かりやすいんですよ」


 ハッタリだ。

 しかし、少しでも戦いを有利にする為には、どんな手でも使わなくてはならない。

 九龍直也は銃を持ったハジメ、碧双刃を操る翠、それに葵をたった一人で退けている。

 いくら〈霊波天刃〉があるとはいえ、通常ならば武士が敵う相手ではないのだ。

 葵と戦ったときのように、直也が神速による連続攻撃を繰り返してきたら、いつかは弾ききれなくなる。

 命蒼刃による不死の体とはいえ、一撃でも食らえば痛みで動きが止まる。

 次の瞬間には首を刎ねられているだろう。


「……いくら訓練を受けたとはいえ、たった一週間かそこらで俺の動きを先読みできるようになるとは思えないが……」


 直也は慎重だった。

 葵のように連続攻撃で押し切る手段を選ばない。

 しかし、代わりにとった戦法は、武士にとってより最悪な方法だった。


「なら、今度は田中の方から打ってきてもらおうか」


 直也は備前長船の切っ先を下げて、剣道でいう下段の構えをとった。


「下段……?」


 武士は、かつて道場に通っていた時のことも含めて、剣道の試合で下段の構えをとる剣士など、見たことがなかった。

 それもそのはずで、下段の構えは上段のように攻撃に特化した構えでもなく、中段のように相手との間合いを計り、攻撃にも防御にも優れた構えでもない。

 強いて言えば防御に有利な構えであるが、それとて中段のように間合いを計って距離をとることができる中段の構えに比べて、極端に有利とはいえない。


 つまり、誘っているのだ。

 武士の打ち込みを。

 武士は戸惑う。

 躊躇う。


「どうした? 田中武士。俺を止めるんだろう? 『霊波天刃』は使い手の殺気に反応する技だと聞いた。その蒼い刃が発生している以上、君は俺に殺意を抱いているはずだ」


 直也は下段の構えのまま動かない。

 武士の額に、脂汗が浮かぶ。

 武士は剣道部の稽古で直也と戦う前に、ハジメから受けたアドバイスを思い出していた。


(あいつの剣道は、基本的に『後の先』だ。相手に先に動かせ、そこを見切って先に打ち込む)


(打ってこない相手には隙を見せて、先に打たせてるんだ。そうやって相手の防御が薄くなったところを、更に早く動いて一本を決めてる)


(あいつの動きは速いけど、あれは体のスピードだけじゃない。相手の打ち気を、殺気を感じて、それに反応して先に打ち込んでんだ)


 その直也が、防御に徹して待ち構えている。

 いくら『霊波天刃』による高速の打ち込みを放てるとはいえ、それだけで直也の反応速度を上回ることができるのだろうか? 武士には自信がなかった。

 失敗して、自分が斬られるだけならいい。

 しかし、自分が戦闘不能になったら、その後に待ち構えているのは。


 直也による、葵の殺害。


 それでは、誰も救われない。

 芹香は例え病気が治って生き延びることができても、葵の命を犠牲にした人生を良しとはしないだろう。


「……そんなことも、わからないのか」


 ボソリと、武士は呟く。

 しかしその呟きは直也には届かなかった。


「どうした予言の英雄? その光の剣は、触れただけで俺の斬撃を弾き飛ばした。そんなもので人間の体を切ったら、一撃で肉体を粉々に破壊できるだろう。その刃を俺に突き立ててみればいい」


 直也は武士を挑発する。

 その顔には、暗い笑みさえ浮かんでいた。


「……違う」

「なにがだ」

「こんなの、九龍先輩じゃありません。先輩は英雄で、正義の味方のはずです。芹香ちゃんの為にと言いながら、芹香ちゃん本人の気持ちを無視して、葵ちゃんに犠牲を強要する。そんなのは、僕が憧れた英雄ナインじゃありません!」


 武士は直也に向かって、心からの叫びをぶつける。

 しかし、直也は眉一つ動かさない。


「ナインっていうのが何のことか知らないが、言葉は要らないんだよ、田中。君が考えることぐらい、俺だって考えた。何年も何年も考え続けた。その上での結論だ。言葉では俺は止まらない。例え芹香の言葉でもだ」


 その言葉は、平坦なトーンで語られた。

 激情に任せた叫びではない。

 だからこそ、冷静な直也に説得が通じるようには、思えなかった。


「何度でも言う。俺を止めたければ、殺すしかない。打ってこい田中。……まあ、俺としては、このままでも構わないけれどね。葵さんはあの出血だ。多少手当したところで、病院で本格的な処置を受けない限り、失血死は時間の問題だ」


 冷たい予言だった。

 直也は『霊波天刃』を発動させている命蒼刃の柄を強く握りしめる。

 打ち込まなくてはならない。

 直也を殺すのではなく、悪夢を止めるために。

 しかし下段の構えで隙を見せる直也に、本当の意味での隙は欠片も見あたらなかった。

 二人は睨み合ったまま、時間だけが過ぎていく。


「お兄ちゃん……」


 芹香は同じ庭の少し離れた場所から、睨み合う武士と直也を見つめていた。


 瀕死の翠が、それでも再び発生させた薬草・紅景天による包帯でハジメの胸と足の傷を応急処置した後。

 生死の境を彷徨いながらも、消え入りそうな声で乞う葵に逆らいきれず、芹香は葵の体を支えて、武士と直也の戦いが見える場所まで移動した。


 また、ともに重傷であるはずの翠とハジメも、互いに体を支え合いながら移動し、芹香と葵と同じように、武士の背中側から二人の戦いを見つめていた。


「おい翠……お前、例の木とか草、出せねえのか、よ……」

「……檜もノットウィードも、品切れ……」

「じゃあ、庭に生えてる、芝とか、使え……」

「無理。距離が、ありすぎる……もうあそこまで、届かない……」

「……使えねえ」


 ハジメも翠も、とっくに肉体的な限界を超えていた。

 室内から庭まで出てきただけでも、驚異的な気力だ。

 葵に至ってはろくに口も聞けず、ただ壁により掛かって武士を見ているだけで精一杯だ。

 いや、その目にはもう、はっきりとは映っていないのかもしれない。


「あんたこそ、銃は」

「弾切れ」

「使えないの、一緒じゃん……」


 翠もハジメも、なんとか武士の手助けをしたかった。

 しかしその手段が無い。


(俺も翠も、この傷じゃ九龍に近づくこともできねえ。この場にいる人間で、まともに動ける奴なんて……!)

(ハジメの銃も、あたしの草も打ち止め。まだ残ってる飛び道具なんて……!)


 翠とハジメは顔を見合わせる。

 そして、二人の前に立って武士たちの戦いを見つめている、ダークブロンドの少女の後ろ姿を見た。




 直也は武士が考えているほど、自分の戦い方に自信があるわけではなかった。

 さすがの直也も、光の剣と戦った経験はない。

 実力の差は大きいとはいえ、竹刀の振りは速い方だった武士が、重さはないが攻撃力は高いという非常識な刀で打ち込んでくるのだ。

 確実に後の先を取れるという確証はなかった。


 直也は銃弾を弾く技量は持っているが、剣による斬撃は銃の軌道のように直線ではない。

 軌道の途中で、手首の返しでいくらでも変化する。

 直也は目の前の武士に集中するしかなかった。


 一方の武士も、いつまでも掴めない打ち込みのタイミングに、気持ちばかりが焦っていた。

 何度も打ち込みを想像しても、それよりも先に直也の備前長船に胴を薙ぎ払われるイメージしか沸かない。

 武士にとって、直也の動きがまるで見えなかった剣道部の稽古でのイメージが強すぎた。


(何か、方法があるはずだ。何か……)


 武士は必死で考える。

 脳裏に、稽古の際のハジメの言葉が、再び浮かんできた。


(あいつの動きは速いけど、あれは体のスピードだけじゃない。相手の打ち気を、殺気を感じて、それに反応して先に打ち込んでんだ)

(もう天才の域だよね)

(だから、お前にも勝機はある)

(そんな、勝機って…)

(いいか、前に俺はお前の剣に殺気がないから駄目だって言ったけどよ。逆に殺気のない武士に、九龍は反応できないんだ)


 殺気。

 武士は目の前で輝いている蒼い光の剣を意識する。

 武士は直也を殺したいと思った訳ではない。

 葵を助けたい、その為に直也を止めたいと思っただけだ。

 それなのに『霊波天刃』は発現して、今も輝いている。

 つまり武士が意識していないだけで、強い殺気を持っているということなのだろう。


(つまり、殺気を持つ『霊波天刃』の攻撃は、必ず九龍先輩に反応されるっていうこと……?)


 しかし、『霊波天刃』の力無しに、武士が直也に対抗できるはずもない。


 二人は互いに、手詰まりだった。




「どうして、どうしてこんな……?」


 自分の兄とクラスメイトが、生死を掛けて戦う。

 その間で一人、芹香はただ呆然とするよりなかった。

 どうしてこんなことになったのか。


(「どうして」?……よく言う。分かり切っているじゃない。私のせいだ。私を助ける為にお兄ちゃんは戦って……)


 止めなくてはならない。絶対に。


「お兄―!」

「芹香」


 叫ぼうとした芹香を、ハジメの小さいが鋭い声が止めた。


「……ハジメ君?」

「芹香。お前の力を貸してくれ」

「えっ……」

「芹香・シュヴァルツェンベック。俺は今から酷いことを言う。けど、もう他に方法がねえんだ」




「あら、動かなくなっちゃったわね」


 氷の女が呟いた。


 鬼島邸の屋根の上。

 そこから新崎結女は、武士たちの戦いを見ていた。

 刃朗衆を凌駕する隠形で自身の気配を絶ち、自らの悦楽の為に、苦しみながら戦う若者達を覗き見していたのだ。


「…仕方ないわね」


 クスリと氷点下の笑みを浮かべると、結女は神道使いの少年を撃った短銃を抜く。

 そしてポケットから取り出した消音器を、慣れた手付きで銃口に取り付ける。


「誰にしようかな……っと」


 サプレッサーを取り付けた銃口で、まるで子どもの遊びのように武士や葵たちに順番に、狙いを付ける。

 武士たちのいる庭から結女のいる屋上まで、直線距離でゆうに一〇〇メートル以上あった。

 普通なら、その距離を女性用の小型拳銃で狙えるはずもないのだが。


「……あら?」


 芹香に銃口を向けたところで、芹香は興味深そうな声をあげる。

 続いて、その口角が吊り上がった。

 涎でも垂らしそうな、その整った顔立ちに不釣り合いなほどの下卑た笑い顔。


「そう、そう来るの……いいわよ……さすがあの人の娘! 直也クンの妹!」


 結女は快哉を上げそうになるの堪えるのに必死だった。




「葵ちゃん…!」


 気がつくと、完全に血の気が引いた真っ白い顔で葵は気を失っている。

 翠は二本の碧双刃を杖のようにして体を支え、葵の方に歩み寄った。

 葵の体に巻き付かせた薬草からは、大量の血が滲み出していた。

 背中に深く突き刺さった刃は、葵の重要な動脈を断ち切ってしまったのだろう。

 いくら翠が薬草の止血効果を碧双刃で強化しているとはいえ、切れた血管を繋ぐ効果まではない。

 施設の整った病院で専門医の緊急手術を行うしかないのだ。


「葵ちゃん、葵ちゃん……しっかりして……!」


 自らも肩を貫かれた傷から血を滲ませ、翠は妹同然の葵の傷を手で押さえつけた。

 しかし、後から後から滲み出てくる血は、一向に止まる気配は無かった。


「葵ちゃん!」

「……時間切れみたいだ。田中」


 直也は呟く。

 自分の犯した罪を確認するように。


「九龍先輩っ!」


 武士は『霊波天刃』を構えながら叫んだ。

 武士の向きからは、葵の様子は伺えない。

 しかし聞こえてくる翠の声に、葵が危機的状況を迎えていることだけは伝わってきた。


「葵ちゃんを、病院に……っ!」

「行かせないよ、田中。君が背を向けたら、俺は後ろからでも斬る。まあ……とっくに隙だらけだけどね、君は」


 直也は下段に構えていた備前長船を、大きく振りかぶった。

 攻撃に特化した、上段の構え。

 武士は直也の斬撃に備えて構え直すが、背後から聞こえてくる切羽詰まった様子の翠の声に、その心は千々に乱れていた。

 とてもではないが、直也の斬撃を弾けるとは思えなかった。


「終わらせるよ、田中。すべての罪は俺が背負おう」


「―そんな事させない」


 透き通るような声が響いた。

 直也がよく知るその声に、思わず彼は視線を向ける。

 その視線の先は、武士の後ろに立っているダークブロンドの髪を揺らす少女。

 ブラウンの瞳が、直也を捉えている。

 芹香の手によって引き絞られた弓に、木製の的を射るための鋭い鏃の矢が番えられていた。

 狙いは、九龍直也だ。


「芹、香……?」

「そんなことをしたら、お兄ちゃんの心が死んじゃうんだ! そんなの私は――絶対に嫌だ!!」


 ハジメが芹香に頼んだことだった。

 しかし、弓を引いているのは芹香自身の意思だ。

 直也が罪を背負ってでも自分を助けたいというのなら、自分も兄を傷つけるという罪を背負ってでも、直也を止めてみせると。


 芹香に背を向けている武士には、後ろで芹香が何をしているのか分からない。

 しかし、目の前で直也は今まで見た事のないような、困惑の表情を浮かべていた。

 そこには、それまで武士が欠片も見つけられなかった直也の隙があった。


(―今しかない!)


「ヤアアッ!」


 気合いの声とともに、武士はほとんど反射的に、直也の間合いに飛び込んだ。

 『霊波天刃』を小さく振りかぶる。

 狙いは直也の腕。


「ハアアッ!」


 しかし、直也も本能的に反応した。

 上段に構えていた備前長船を、飛び込んできた武士の脳天を目がけて振り下ろす!


「―っ!」


 二人の気合いの声に、芹香の弓を構えた手元がビクンと跳ねた。

 同時に矢を番えた右手の指が、芹香の覚悟を待たずに離れてしまう。


(しまっ…!)


 暁学園の弓道部で卓越した腕前を誇る芹香は、日本刀を構える直也の腕を狙っていた。

 小さい的でも、この距離なら外さない自信があった。

 しかし、芹香は当然人に向けて矢を射った経験などない。

 まして極度に追い詰められたこの状況で、武士達の気合いの声に思わず手が、矢羽根を放してしまった。


 動揺して放たれた矢が狙いを逸れどこに向かうか、芹香は刹那の時間で把握する。

 射線は、飛び込んだ武士の頭のすぐ横を通り抜け、直也の額に向けて伸びていた。


 直也は、時間の流れが極端に緩やかになった感覚に襲われる。

 妹の手から放たれた矢が、自分を目がけてまっすぐに飛んできていた。

 武士の『霊波天刃』と芹香の弓矢の、同時攻撃。

 芹香の矢を弾けば武士の『霊波天刃』に腕を砕かれ、武士を斬れば芹香の矢に脳天を射抜かれるだろう。


(お前を助けようとして、お前に殺されるのか)


 それも悪くないと彼は思った。

 きっと芹香は泣き、苦しむだろう。

 矢を放った芹香は絶望的な表情を浮かべている。

 頭を狙ったわけじゃないのは、直也には分かり切っていた。

 これで自分が絶命したら、芹香はきっと己を許すことができなくなる。

 だけど。

 自分は。


 戦ってきた。

 戦い続けてきた。

 実の父親に軍の特殊部隊に入れられ、実際の戦場でも戦った。

 御堂ハジメと同じく人を殺めたこともあった。

 それも、これで終わる。

 愛する妹の手で終われる。

 それは甘美な誘惑だった。


(芹香、すまない。だけどお前だけは!)


 武士を斬り倒せば、その分だけ葵の救命措置は遅れる。

 管理者が死ねば、命蒼刃の再契約ができる。


 直也は飛んでくる芹香の矢には構わずに、武士に向かって刀を振り下ろした。


 飛び込んだ武士の耳元を、後ろから弓矢が通り過ぎていく。


「――!」


 その鏃は、まっすぐに直也の額に向かっていた。


(お兄ちゃん!!!)


 背後から、芹香の震える魂の叫びが武士の精神に響いた。

 実際に叫ぶ間などない。

 あり得る筈が無い。

 しかし武士は感じた。

 芹香の悲鳴を。


 田中武士は、人を助けるときにその力を発揮する。

 蒼い光の刃が閃いた。


 武士の〈霊波天刃〉が跳ね上がり、直也の斬撃よりも速く、武士の背後から飛んできた弓矢を切り飛ばす。

 そして直也の備前長船は、武士の体を袈裟斬りに切り裂いた。




「……武士君!」

「武士ッ!」


 噴き出すように血を流し、地面に崩れ落ちる武士に芹香とハジメが叫び声をあげる。


「田中……?」


 刀を振り切った直也は、喘ぐように声を漏らした。


「俺を……助けた、のか」


 『霊波天刃』の光の刃が消えた。

 長い刀身を消した命蒼刃が、淡い発光を始め、血の海に沈んだ武士の体が回復を始める。

 袈裟斬りにされた武士の傷が塞がっていく。

 しかし、その回復の進み方はこれまでと比べて明らかに遅い。

 葵の命が消えようとしている証だった。

 武士が、目を開ける。


「九龍、先輩……」

「何故だ田中! どうして俺を助けた!」

「僕は、嫌なんだ……誰かが死ぬのが……もう誰も、僕の前で死んでほしくない」


 それは、過去に大切な人を失った事のある人間の言葉だった。


「母さんが、死んだんだ……」


 武士は、まだ回復が終わらない中、血を流しながら立ち上がる。


「目の前で……僕のせいで、死んだ」


 そして直也を正面から睨みつけた。


「だから僕は、もう目の前で、誰も死なせたくない。誰も、誰もだ! あなただって!」


 武士は命蒼刃を手放し、血まみれの両手で直也の襟首を掴む。


「葵ちゃんを病院に連れて行け! 九龍直也! それから、誰も犠牲にしないで契約を解除する方法を探すんだ!」

「し、しかし…」

「方法はないと思ってたけど、あの神道の儀式だってあったじゃないか! 他にも、探せば絶対にあるはずだ!」


 その気迫に、直也は圧倒された。

 直也は諦めていた。犠牲を払わずに、大事なものを守る方法などないと。


 しかし、武士は諦めなかった。

 自分の目に映る人を皆守ることを。

 そして、今も諦めていない。

 過去に、大事な人を失う事があっても。

 直也に向って叫び続けた武士は、大量の出血に遅くなっている回復が追いつかないのか、力を失ってガクンと前に倒れる。

 直也は抱き止めるように、倒れてきた武士の体を支える。

 その手から、血まみれの備前長船が地面に落とされた。


「芹香、救急車を呼んでくれ。俺は葵さんを、屋敷の外まで運ぼう」

「……!……分かった、お兄ちゃん!」


 芹香は急いで、ポケットから携帯電話を取り出す。


「九龍、てめえ……」

「信じて、いいの?」


 ハジメと翠が、戸惑いながら問いかける。

 武士を地面に座らせた直也は、静かに頷いた。


「御堂。翠さん。二人も病院に行け。その傷は浅くない」


 そう言うと、直也は真っ白い顔で気を失っている葵を担ぎ上げようと、手を差し伸べた。


 タンッ…


 夜明けが近く、白んできた空に乾いた音が響く。

 葵の体がビクンと跳ね、胴に巻かれた緑色の薬草の包帯が、赤い花が咲くように弾ける。


「……え?」


 回復途中の体で蹲っていた武士が、呆然と呟く。


「狙撃っ……!」


 直也は叫んで、銃声のした方角を見上げた。


「つまらない結果」


 小型拳銃による遠距離射撃という離れ業を行った結女は、下から姿を見られないように、素早く屋上の真ん中まで身を翻す。


「まあいいわ。経過はどうあれ、あの子が死ねば、直也クンはまた悩むでしょう。管理者のいなくなった命蒼刃を手に入れれば、彼はきっと……」


 屋上から立ち去る結女をもし見るものがいれば、彼女を普通の人間と思う者はきっといないだろう。

 それは、人間の運命を掌で弄ぶ、悪魔メフィストフェレスそのものだった。


「くそっ! どこだ、どこからだ!」


 ハジメは周囲を見回す。

 直也も銃声の方向に殺気を探るが、気配の一片も感じ取ることができない。


「葵ちゃん、葵ちゃん、そん、な……嘘……嘘だ……」


 翠は縋るように、葵の体を抱く。

 しかし銃弾は正確に、葵の心臓を撃ち抜いていた。 


「いやあああっ!」


 芹香が携帯電話を取り落とし、悲鳴を上げる。

 回復の途中だった武士が再び倒れ伏し、傷が開いておびただしい量の血が流れ始めたのだ。

 命蒼刃の力が途絶えた、当然の結果だった。


「葵…ちゃん…」


 それでも武士は顔を上げて、葵に向かって手を伸ばす。


「武士君! やだ! 嫌だ、こんなの嫌ぁぁ!」


 血まみれの武士に駆け寄って、芹香は叫ぶ。


「芹香、ちゃん…」


 武士は、自分の体を抱きかかえる芹香に、手を伸ばした。


「武士君! 死なないで、死なないでお願い!」


 芹香はその手を握って泣き叫ぶ。


「芹香、ちゃん、お願い……命蒼刃を……」

「え……」

「……お願、い……」


 芹香は頷くと、すぐ近くに落ちていた命蒼刃を拾い上げ、武士の伸ばした手に握らせた。


「僕は……僕はもう、絶対に、死なせない……!」


 命蒼刃が、淡い青い光を放ち始める。


「武士……?」

「田中? まさか……」


 ハジメと直也は、芹香の胸に抱かれた武士が、手にした命蒼刃を発動させる姿を目の当たりにする。


「死なせるもんか……絶対に……死なせるもんかぁぁぁぁ!」


 轟音。

 芹香は、抱いた武士の体に雷が落ちたのかと思った。

 網膜を灼くような強い光が視界を覆う。

 その光の色は、命の蒼。






 ――母さん

 ――タケシ。ごめんね

 ――いやだ。死なないで

 ――ごめんね、タケシ。わたしは、悪魔の声に耳を貸して

 ――世界よりもあなたを選んだ

 ――え?

 ――そのせいで、タケシ。わたしのかわいい子。あなたには辛い運命を歩ませる

 ――そんなのいいから、母さん、死なないで

 ――だからせめて、わたしの力を

 ――わたしの力も、あなたの中に

 ――母さん

 ――あなたも、大好きなものを守って

 ――母さん!!






「なに……?」


 屋敷を去ろうとしていた結女は、響き渡る轟音に振り返る。

 そこには、空まで届こうかという蒼い光の柱が屹立していた。


「この光……この感覚、まさか、あの女が……」


 結女は光の柱から感じる魂の波長に、ギリッと歯噛みする。


「ここにきて……邪魔をするか……『アーリエル』っ!!」


 結女は蒼く輝く空を見上げながら、ひとり吠えた。




「な……」


 ハジメの焼けつくように痛んでいた胸と足から、痛みが引いていく。


「嘘……」


 翠の肩から滲み出ていた血が引いていく。

 全身に残っていたすべてのダメージが、嘘のように消えて行く。


「武士君……?……武士君!」


 芹香の腕の中で、武士の袈裟に斬られた体の傷が猛烈な勢いで塞がって行く。

 武士は命蒼刃を握り締めて、立ち上がった。

 そして。


「翠姉…?」


 葵は瞼をゆっくりと開け、自分の体を抱く、姉のように慕っている少女の名を呼んだ。


「葵ちゃん!」

「この光は……?」

「武ちんだよ! 武士ちんが……武ちんが、命蒼刃を……!」

「武士が……?」


 眩い蒼い光の中心を、葵は見る。

 すべてを癒す蒼い光の根源に、武士は立っていた。


 そして。


 その蒼い光は、先天性の白血病を患っていたダークブロンドの少女にも、強く強く照らされていた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ