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「お前が英雄の力を奪ったからだ」

　背中に命蒼刃が突き刺さり、葵は翠にもたれかかるように倒れる。

　翠が視線を上げると、直也が頭を押さえながら、ゆらりと立ち上がって右手を差し出していた。

　命蒼刃を投擲したのは、もちろん直也だった。

「こ、この……」

　翠は葵を抱きかかえながら、なんとか碧双刃を構えようとする。

　しかし直也はダンッと床を蹴って間合いを詰めると、翠を貫いたままの備前長船の柄を握って、更に押し込む！

「があっ！」

　突き抜けている刀の切っ先が、翠の背後の壁に突き刺さる。

「ぐっ……く、そ……」

　翠は刀で壁に縫いとめられ、磔にされた。

　痛みに碧双刃を手から取り落とす。

　翠は壁から刀を抜こうともがくが、その度に自分の体を貫いている刀が肉を斬り、激痛が走る。

「ぐあっ…！…あ…！」

「暴れないでくれ、翠さん。余計な死人は出したくない」

　直也が心の底から申し訳なさそうな顔で、翠を見る。

「ふざ…け、るな……！」

「償いはする。葵さんを失う代わりに、俺は必ず鬼島を倒す。その後でなら、俺は君たちに殺されてもいい」

「何を、言って…いる…！　お前の目的は、いったい……」

　直也は翠の問いに答えずに、床に倒れている葵の背に突き刺さっている命蒼刃に手を伸ばす。

「……待て！　やめろ！　やめてお願い！　それを抜いたら……！」

　翠の制止を無視して、直也は命蒼刃を葵の背中から引き抜く。

　栓を外されたように、その傷口から血が噴水のように溢れだした。

「葵ちゃん！！」

「……その出血では、死んでいくのに時間がかかるだろう。せめて、すぐ楽にしてやる」

　直也は命蒼刃を逆手に持ち替える。

「やめろ！！　九龍やめて、お願いなんでもする！！　命蒼刃の力が欲しいのなら、あの神道使いの力を使って契約を解除すればいい！！　あたしも協力する！だから！」

　翠の血を吐くような絶叫が響く。

「神道使いは死んだ」

「え……」

「だからもう、これしか方法はない。……すまない」

「……やめてぇぇっ！」

　絶叫。

　しかし、直也は惑わない。

　迷わない。

　覚悟は、何年も前から既に決めている。

　彼女を助けるためになら、いかなる犠牲も払うと。

　たとえ地獄に落ちようとも。

「お兄ちゃん！」

　響いた声に、刃を振りかぶった右腕が止まる。

　自分を兄と呼ぶ、その声。

　振り返ると、直也にとってこの世の何者よりも愛おしい妹が美しいダークブロンドの髪を揺らし、悲壮な顔で立っていた。

銃音と、続けざまに響いてきた異音に駆けつけてきた武士と芹香。

二人は音が聞こえてきた広いホールの中、まるで林のようになっている樹と草をかき分けて辿り着いた先に、どこか予想しながら、それでも信じたくなかった光景を目の当たりにした。

「葵ちゃん……？」

　血の海に沈む葵。

　壁に刀で磔にされた翠。

　命蒼刀を今にも突き刺さんと、振りかざす直也。

　芹香の横で、武士は絶句する。

「……葵ちゃん！翠さん！」

「来るなッ！！」

　叫んで駆け寄ろうとする武士を、直也は命蒼刃を葵の首に突きつけて制止する。

「九龍先輩……！」

　瀕死の葵を人質に取られ、武士は足を止める。

「どうして……こんな」

「どうして？」

　地の底から響くような暗い声で呟くと、直也はギラリと武士を睨みつける。

「田中。お前が英雄の力を奪ったからだ。お前が命蒼刃の力を奪ったからだ！　お前が、お前さえいなければ、こんなことにはならなかった！　誰も傷つくことなく、芹香を助けることができたんだ！」

「……っ！」

「命蒼刃の力で芹香を助けて、その後で俺は、不死の力など無くても鬼島を倒せばいい！　そうしてすべての帳尻を合わせるつもりだったんだ！　それを！　お前が！」

「誰がそんなことを頼んだの！？」

　芹香が直也の言葉を遮って叫ぶ。

「私の病気を治してくれって、私が一度でもお兄ちゃんに言った？　こんな、お兄ちゃんに人殺しをさせてまで、私は生きていたくない！」

「芹香」

　涙を流しながら、胸を押さえて芹香は叫ぶ。

「それとも……それとも、私がいけなかった？　私が………子どもの時から、お兄ちゃんに頼っていたから、助けてって言わなくても、私はお兄ちゃんを追いつめて……」

「芹香、それは違う！」

　直也は即座に否定する。

「これは俺が決めたことだ。芹香を助けると、俺が勝手に決めたことなんだ！　ＨＬＡが一致さえしていれば、俺は芹香に骨髄を移植できた。でもそれが出来なかったから、他のどんな手段を使ってでも君を助けると決めた。これは俺が勝手に決めたことなんだ。芹香、君が追い目を感じる必要は――っ！！」

　直也は唐突に言葉を切って、葵の首筋から命蒼刃を離して、横に振るう。

　ガンギィン！

　響いた銃声と金属音とともに、直也の手から命蒼刃が弾き飛ばされる。

「……御堂ッ！」

　直也の視線の先には、シャツを自らの血で真っ赤に染めたハジメが、翠が生やした樹木の上で、切り飛ばされなかった方の銃を構えていた。

　ハジメの殺気を感じた直也は、その驚異の反応速度で銃弾を弾いた。

　しかし、両手で構えられる日本刀とは異なり、片手で持つしかない短刀の命蒼刃で受け止めた為に、デザートイーグルの威力を受け切れず命蒼刃を弾き飛ばされてしまったのだ。

　弾かれた命蒼刃は、武士たちとは反対側の、直也から数メートル離れた窓側の床に転がった。

　弾丸を弾く事のできる直也も、素手でそれをすることは不可能だ。

　ハジメに銃を向けられ、直也はうかつに動けなくなる。

「葵ちゃんっ！」

　武士は弾かれたように駆け出した。

　血の海に倒れている葵に駆け寄り抱き起そうと手を伸ばすが、

「待って！　武ちん！」

　日本刀に貫かれて壁に磔にされたままの翠に、止められる。

「下手に動かすと、出血がひどくなる！　それよりも服か何かで傷口を押さえつけて！　それで体が潰れるくらいでいいから、強く傷口を圧迫するの！　とにかく血を止めて！」

　叫ぶ翠の肩口からも、突き刺さった刀を伝い、どんどん血が滴り落ちている。

「翠さん……！」

　武士は一瞬、翠の刀を抜く方が先が迷う。

　傍目には翠の方だってかなりの重傷だ。

「あたしのことは構わないで！　これは抜いた方が出血するの、いいから葵ちゃんを早く！」

「……わかった！」

　武士は頷くと、翠の指示通りに、上着を脱いで葵の傷口に押さえつける。

「たけ…し…？」

　うつ伏せになった葵が、うっすらと目を開けて呟く。

「葵ちゃん！　しっかりして！」

「たけ…し…ごめん、私……また、勝てなかっ…た……」

「そんなこと……！いいから喋らないで！」

　武士はあっという間に赤く染まるシャツを、懸命に傷口に押し当てる。

「あ、あたし、救急車を…」

　芹香は携帯電話を取り出すが

「無駄だよ芹香。ここに救急車は来ない」

　直也の言葉に、その手を止める。

「なんで！」

「ここに住所は無い。救急車もパトカーも、この敷地には入って来れない。鬼島の私邸は、そういう場所に設定されているんだ。奴が秘密を守るためにね」

「そんな……！」

　芹香は絶句する。信じられない話だったが、思い返せば、継にこの場所を調べてもらった際、ここは地図には載っていない区画だった。

「おい、九龍」

　ハジメが多量の出血に足元をふらつかせながら、声を掛ける。

「聞いてたぜ。芹香は病気なのか。それをお前は命蒼刃で助けようとしたってのか」

　銃口は直也から外さない。

「でもこんなやり方で、芹香が本当に救われるとでも思ってんのかよっ！」

「……そう思ってるのなら、俺を撃てよ。御堂」

　直也は言い捨てると、床に転がった命蒼刃に一瞬視線を移す。

「動くな」

　それを察知したハジメは警告を発する。

　しかし、直也は動じない。

「俺を止めるなら撃つしかないよ。俺は生きている限り、命蒼刃を諦める気はない。葵さんを病院に連れていきたければ、今、俺を殺してから連れて行け。その代り芹香も死ぬ。彼女は病気なんだ。カレイド型骨髄性白血病で、あと二年もすれば発病して、死ぬ」

「……だから、葵を殺して命蒼刃の今の契約を解除しようってのか。新しい九色刃の管理者を立てるには、五年かかるんだそ」

「二年で済むんだ」

「……何？」

「そういう方法があったんだよ。鬼島のデータの中にね」

「……だからテメエは、急に焦り始めたのか」

　ハジメは歯を食いしばり、苦々しい表情を浮かべる。

　ハジメとて、芹香が死ねばいいと思っているわけではない。しかし。

「だからって、こんなやり方認められっかよ」

「だから、そう思うなら俺を撃て御堂。だけど、それは芹香を撃つことと同じだってことを忘れるな」

　ハジメは、苦渋の顔で芹香を見る。

　芹香は首を振って叫ぶ。

「違う！　私は納得しているのよ、自分の病気のことは！」

「……他に方法はねえのかよ」

「ない」

　直也は即座に断言する。

「すべての可能性は考慮した。俺が何年も掛けて出した結論だ」

　そう言うと、直也は命蒼刃の方へ一歩踏み出した。

「止まれ！　九龍！」

　ハジメが銃を向けたまま叫ぶ。

「それに、御堂」

　しかし直也は止まらない。

　一歩。一歩。ゆっくりと落ちている命蒼刃に近づく。

「俺がいなくなったら、誰が鬼島を倒すんだ。予言の真の英雄は、俺なんだろう？　俺がいなければ、鬼島を倒せない。鬼島を倒せなければ、日本はまた戦争を起こして、巻き込まれて、大勢の人が死ぬんだ。葵さんには本当に悪いと思う、けど葵さんを犠牲にする分、俺は必ず―」

「『目的の為なら人を殺しても構わないなんてやり方、俺は絶対に認めない』」

　直也の言葉を遮り、武士は葵の傷を押さえながら、ハッキリとした口調で言った。

「な…に？」

　直也は動揺する。それは、武士の言葉ではなかったからだ。

「九龍先輩。覚えてますか。初めて新宿のビルの屋上で会ったときに、九龍先輩が言っていた言葉です」

　自分の言葉に、直也は刺された。

「……黙れ」

「どうして、みんなが助かる方法を考えないんですか！？　葵ちゃんを犠牲にしても他の人間が平和になれば、それでいいんですか」

「黙れ」

「きっとあるはずですよ！　何か違う方法が！僕だって―」

「黙れ田中！　お前に何が分かる！　何ができる！！」

　叫んだ直也は、弾かれるように武士に向かって駆け出す！

「っ！　てめえ！」

　ハジメは駆け出した直也に発砲しようとするが、射線上、直也の奥に武士達が重なって撃つ事ができない。

「くっ！」

　ハジメは樹上から飛び降りると、射角を取る為に横に走った。

　直也は武士に向かって突進すると、葵の傷を抑えて手が離せない武士の顔面を蹴り飛ばし、葵から引き剥がす。

「がっ！」

　歯を叩き折られる蹴りを喰らって、武士は後ろに転がる。

「武ちん！」

「お兄ちゃん！　やめてぇっ！」

　翠と芹香の叫び声が響く。

「九龍っ！」

　射角を取れる位置に移動したハジメが、直也に銃口を向ける。

　しかしそれより早く、

「ぐああっ！」

　直也は翠を貫き壁に突き刺さっていた備前長船を一息で引き抜く！

　翠の傷口から血が吹き出し、翠は激痛に叫び声を上げた。

「翠ぃっ！」

「おおお…っ！」

　刀を構えた直也がハジメに向かって突進する。

「この野郎っ！」

　ハジメは銃を連射するが、直也はことごとく弾き、躱す。

　一瞬で間合いを詰めると、直也は鋭い斬撃を繰り出した。

　ギイン！

　再びハジメは、その斬撃を銃身で受け止める。

　しかし今度は、銃身に備前長船の刃が食い込むことはなかった。

　翠の血がべっとりとついた刀は、いかな名刀とはいえ、その切れ味を大きく落としていた。

　しかし直也は構わず、力でギリギリと刀を押し込む。

　浅くとはいえ胸を切られていたハジメは腕に力が入らずに、後ろに押される。

　直也はハジメを突き放すと、傷を負ったハジメの胸に強烈な蹴りを入れた。

「ぐあっ！」

　ハジメは後ろに吹っ飛ばされ、床に倒れる。

「翠さん！　ハジメ！」

　直也に蹴り上げられた顔を押さえて、武士は立ち上がる。

　命蒼刃の力が働いて、ボタボタと武士の口から落ちていた血は直ぐに止まっていた。

「……命蒼刃！？」

　怒りに任せて行動してしまった直也は、回復する武士を見て、慌てて落ちているはずの命蒼刃を探す。

「これかよ？」

　ハジメの手に、その青く輝く短刀はあった。

　ちょうどハジメが蹴り飛ばされた先に転がっていたのだ。

「……渡せ！」

「うるせえ！　動くんじゃねえ！」

　ハジメはデザート・イーグルの銃口を命蒼刃の刀身に突きつける。

「さっき一回、こいつで弾を弾いてたよな。命蒼刃は戦闘用の刃物じゃねえ。五〇口径のマグナム弾に、こいつがあと何発耐えられるか、試してみるか？」

　ハジメの言葉に、直也は動きを止める。

「……そろそろ弾切れじゃないのか、その拳銃」

「そろそろなんて、とぼけるなよ。テメエのことだから数えてんだろ。弾倉にはあと二発。二発でこいつが破壊できるか、試すか？」

　ハジメは不敵に笑う。

「命蒼刃を破壊するというのか？　何もかも失われるんだぞ！」

「武士は今、致命傷を負ってるわけじゃねえ。てめえの思い通りにさせるよりはマシなんだよ！」

　直也とハジメは、膠着状態に陥る。

「翠さん！」

　肩から血を噴き出して崩れ落ちている翠に、武士は駆け寄った。

「芹香ちゃん！　お願い、葵ちゃんの傷を押さえてて！」

「……分かった！」

　武士の指示に慌てて返事をすると、翠は持っていた弓道具を投げ捨て、葵の傷口を両手で押さえた。

　武士の方も翠の出血を押さえようとするが、

「武ちん、あたしの傷はいいから……碧双刃を、拾って…私に持たせて…早、く……」

　とっくに気絶していてもおかしくない重傷を負いながら、翠はなんとか意識を繋ぎ止め、体を起こして武士に指示を出す。

　武士は急いで少し離れたところに落ちていた碧双刃の一本を拾い上げると、翠の手に握らせた。

「芹香さん……葵ちゃんから、離れ、て……」

「え？　は、はいっ」

　翠の大怪我を負っているとは思えない静かな気迫に、芹香も慌てて言うことに従う。

　翠はゴスロリ衣装のスカートの部分を、碧双刃で切り裂く。

　その刀身が淡い緑色の光に包まれると、服の裂け目から、緑色の葉に小さな赤い花がついた草が伸び始めた。

　その茎と根の部分が長く伸び、包帯状に変化し、葵の体と翠の肩に巻きついた。

「み、翠姉……」

　葵は喘ぐような声で、翠の名を呼ぶ。

「葵ちゃん、大丈夫…これは紅景天…チベットの高山植物で…止血効果に、植物の中で唯一、酸素補給効果がある薬草…これで、少しは…」

　そこまで言ったところで、翠の体力は限界を迎え、その場に崩れ落ちる。

「翠さん！」

　慌ててその体を武士は支えた。

「…大丈夫…意識は、失わない…碧双刃で増幅された紅景天の効果が、失われないよう…に…」

　翠はもはや、気力だけでその意識を保っていた。

　碧双刃の力で強化された紅景天という植物の効果もあるようだったが、傷が癒えるとまではいかず、現状維持が精一杯のようだった。

「……翠！」

　直也の背後に倒れた翠の姿を見て、ハジメは一瞬意識を逸らす。

　直也はその一瞬に、刀を閃かせた。

　キンッ！

　乾いた音を響かせ、命蒼刃がハジメの手から弾かれて宙を舞う。

「くっ…！」

　ガァン！ガァン！

　ハジメはとっさに、宙を舞った命蒼刃に向かって発砲した。

　二発の内、一発の弾丸は命中したが、命蒼刃は砕かれる事は無く更に弾かれ、床に突き刺さる。

　そこは。

「ははっ。おい九龍。俺は狙ったわけじゃねえぞ」

　そこは、翠の傍らで膝をついている、武士のすぐ目の前だった。

「命蒼刃の選んだ英雄は、予言の英雄は、やっぱり武士なんじゃねえのか？」

「……黙れ、御堂」

　直也は刀を突き出して、ハジメの太ももを貫く。

「ぐあっ…！」

　直也はすぐに刀を引き抜いた。

　苦痛の声を上げ、ハジメは血が溢れる太ももを押さえて踞る。

「お兄ちゃん！　やめて！」

「九龍先輩っ！　やめて下さい！……やめろ！！」

　武士は吠えると、命蒼刃を床から引き抜いて立ち上がった。

「これ以上、みんなを傷つけるのは……僕が」

「僕がなんだ？　田中」

　直也が静かに、武士を見て振り返る。

「僕が、許さない！」

　その意思が示された直後、武士の決意に応えるように、命蒼刃が爆発的な発光現象を起した。

「なっ……！」

　青い光が眩く輝き、命蒼刃は光とともに周囲に物理的な風を巻き起こす。

　そして短刀から伸びる光が、日本刀のような長い刃を形成した。

「まさか」

　直也は驚愕し、目を見開く。

「……霊波天刃」

　うつ伏せに倒れ伏した葵が、その青い輝きに照らされて呟いた。