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「復活の命蒼刃」

 葵は膝立ちの状態で、両腕を力なくだらりと下げていた。

 顎を上げて中空を見つめているその瞳からは涙が流れ、焦点も合っていない。

 半開きの口からは涎が垂れ流され、全身から汗が噴き出していて、長い髪が肌に張り付いている。

 虚ろな表情は、苦悶に満ちた表情にも見えた。


「さあ、これでおしまいだよ」


 神道使いの少年は、汗で装束が肌に張り付いた葵の胸元に、神字の刻まれた剣の切っ先を突きつける。


 手を伸ばせば届く位置に少年は近づいていたが、もはや葵に抵抗する力は残されていなかった。

 長時間、葵の精神は圧倒的な力の奔流に晒され続け、肉体的な体力も葵の体には欠片も残っていない。


「この神剣が、これからお前の体を貫く。ここまでの儀式で、お前の体と魂はもう引き千切れる寸前なんだよね。うまく田中武士の魂だけが神剣で切り離されれば、お前は助かる。失敗すれば肉体の方が貫かれて、お前は死ぬ」


(……どっちにしても、同じことだ)


 嵐のような力の波で砕け散る寸前の葵の心は、辛うじて聞き取れた少年の言葉に対して思った。

 自分から武士の魂が切り離されれば、命蒼刃の力は武士には届かなくなる。

 武士がいなくなった未来は、もう葵には生きる価値を見出す事は出来なかった。


「何か、言い残す事はあるかい?」

「…たけ…し、と…」

「うん?」


 かろうじて動く口が、言葉を紡ぐ。


「武士…と…話を…させ、て…」

「……ふん。まあいいよ」


 神道使いの少年は突きつけた神剣の切っ先を引いて、一振りする。

 途端に膝をついていた葵の体が、見えない拘束から解き放たれたように投げ出され、石畳の床に倒れ込んだ。


 神道使いの少年は倒れた葵から離れ、儀式場を取り囲んでいた勾玉の鎖の外に置かれていた麻袋から、葵が着ていた制服を取り出す。

 そのポケットから携帯電話を取り出すと、戻ってきて葵の側に投げ出した。


「儀式はあと一手で終わりだからね。今更、お前らに何ができるわけもない。土壇場で抵抗されるより、諦めがついた方が成功率も上がるかもね?」


 少年は嘲笑する。

 葵は力を奪われ震える手で、落ちた携帯電話に這い寄って拾い上げた。

 切られていた電源を入れて、画面を操作する。


【田中武士】


 表示された名前。彼女の中に魂が宿る男の名を、平凡な名前だ、と。

 名字すら持たない葵は思った。

 その平凡な名の少年に、葵は心を救われた。


 自分の存在価値は刃朗衆の任務にしかないと思っていた。

 その砂漠のように渇いた心を救ってくれた。

 本当は戦いたくないと。

 こんな渇いた人生で一生を終えたくないと思っていた自分を、認めてくれた。

 荒んだ自分を可愛いなんて言ってくれた。

 そんな事を言ってくれた男は初めてだった。

 一緒に生きていきたいと。

 彼が言っていたように、全てが済んだら夜中のファミリーレストランで普通の高校生のように、ただお喋りがしたいと思っていた。


 それなのに、自分はこんなところで惨めに地面に這いつくばり、むざむざと敵の手に落ちようとしている。


「た…けし…」


 何を言おうというのか。

 すまないと謝るのか。

 何も考えられない。

 だけど、ただ、ただ。声を聞きたかった。

 武士の声を聞きたかった。



「葵ちゃんの携帯からだ!」


 武士はディスプレイを見て叫ぶ。

 直ぐに通話ボタンを押そうとするが、


「武士、待て!」


 ハジメが制止した。


「なんで!」

「いいか、電話に出ても直ぐにお前は喋るな。罠かも知れないし、囚われた葵が敵の目を盗んでこっそり掛けてきているのかもしれない」

「もしそうだったら、武ちんが大声出したら敵にばれちゃうかもしれないでしょ」


 横から翠が、ハジメの言葉を補足する。


「翠さん、でも」


 電話は鳴り続けている。


「電話には出て。でも向こうの状況が分かるまで、武ちんは何も言っちゃダメ」

「わ、わかった」


 翠の早口の説明に武士は頷いた。


「御堂、柏原さんに連絡しろ! あの人なら」


 直也は鋭い口調で指示を出すが、


「携帯の逆探なら兄貴が出来る! 今連絡してる!」


 ハジメは右手は既に銃を納め、代わりに携帯電話を握っていた。

 ハジメは継と話す声が武士の携帯に漏れるのを避ける為、少し離れたところに移動する。


 翠が武士に向かって頷き、武士は通話ボタンを押した。


『…』

「…」


 武士達は息を飲む。

 電話からは何も聞こえてこない。

 しかしディスプレイには通話状態であること間違いなく表示されていた。


『……は…ア…』


 微かなうめき声が聞こえ、武士は携帯電話を握る手に力が込もる。

 武士は耳から電話を少し離して、顔を寄せる翠と直也にも声が聞こえるようにしていた。

 翠と直也もうめき声を確認し、顔を見合わせる。


『……た……たけ、し……』

「―!」

『武士……ご、ごめん……わ、私……武士と、は、離れたく……な……』


 武士の脳に稲妻が走った。

 感情とは、大脳生理学的には結局のところ、脳を走る電気信号による刺激の作用だという。

 ならば、携帯電話から伝わった葵の苦しげに名を呼ぶその声は、武士の脳神経を焼き尽くすほどの稲妻だった。

 稲妻は、ハジメと翠の警告という事前に打ち込まれた情報を、あっさりと破壊した。


「――葵ちゃん!!」


 息を吸えば、吐くように。

 刃を突き立てれば、血が出るように。

 極めて自然に、葵の声を聞いた武士は、叫んだ。


「待っていて! 必ず助けに行く。必ずだ!」



「――そんな馬鹿なっ!」


 神道使いの少年は驚愕の声をあげる。

 彼は信じられないものを見ていた。

 葵が手にした携帯電話から、あの一般人の叫び声が洩れ聞こえてきたその瞬間。

 鎖で繋がれ倒れている葵の近くに置かれた命蒼刃が、閃光のように強烈な青い光を放出始めたのだ。

 九色刃の力が発動している証拠だった。

 命蒼刃を介して葵と田中武士の魂が繋がり、その力が行き交っている。


「こんなこと、こんなこと、ありえない! ボクの結界は完璧だ! これほどの魂の力が繋がるなんて……!!」


 正当な出雲の末裔、古神道の秘術を扱う神童である少年の目には、衰弱し切っていた葵の体が青い光に包まれている様子がはっきりと映った。


「ウソだ! 命蒼刃の力が……管理者に作用するハズが……!」


 惨めに地面に這いつくばって携帯電話を手にしていた葵の足が、ザシュッと地面を踏みしめる。

 葵は立ち上がった。

 尋常ではない魂の力が、葵には注ぎ込まれている。

 その力の源は間違いなく命蒼刃。そして、命蒼刃から繋がれている先は。


「それか!」


 神道使いの少年は葵に駆け寄って、神剣を一振りする。

 体術がさほど得意でなかった少年だが、神剣の扱いには慣れていたようで、一撃で葵の手にしていた携帯電話が破壊された。


「そんなものが……携帯電話なんかが、ボクの古代の怨霊だって封じ込める結界を貫いて! 魂の距離を縮めたっていうのか!!」


 二千年を超えて伝わる古神道の秘術結界は、魂の力を遮ることはできても、携帯電話の電波である極超短波を遮ることはできなかった。

 ごく近くに携帯電話の中継基地があって、たまたま通路がある方向がよかったのだろう。

 携帯電話は繋がり、空間を飛び越えて管理者と使い手の心が繋がったのだ。


 距離と結界を超えて繋がった二人の思いは、遮るもの全てを貫いた。

 携帯電話は破壊されたが、一時的にせよ霊道が繋がって結界の効果が弱まった。

 命蒼刃は輝き続けていた。

 立ち上がった葵はギンッと神道使いの少年を睨みつける。


「くっ……!」


 少年はすぐに、葵を繋いだ鎖の長さ以上の距離まで飛び退る。

 下がり様、地面に置かれた命蒼刃を拾い上げた。


「ちっ…」


 手の中で光り続ける命蒼刃を忌々しげに睨みつける少年。


「たかが……携帯電話で……このボクの結界が……!」




 武士が携帯電話の向こうの葵に叫んだ瞬間、同じ九色刃の使い手である翠は、一瞬であるが確かに見た。

 武士の体が、燃えるような青い光に包まれたのだ。


「待て、田中……!…おいっ!」


 いきなり大声を上げた武士を直也は諌めようしたが、その声は途中で止まる。


「武士君!!」

「武ちん!!」


 芹香が悲鳴を上げ、翠も思わず叫んだ。


「……っ武士!!」


 兄に掛けていた電話を止めて、ハジメも慌てて駆け寄って来る。

 武士は口から大量の血を吐き、膝をついた。


 芹香は最悪の想像に、体中が冷たくなる。

 これまで武士は、苦しげに胸を押さえて踞っても、吐血するようなことはなかった。

 とうとう儀式が終わり命蒼刃の力が完全に途絶えて、武士の胸の銃弾はその心臓を破裂させたのだと、その場の誰もが思った。


「大丈夫か! おい、武士、武士っ!」


 だが、その想像は現実とはならなかった。

 武士は口の中に残っていた血の塊を吐き出した。


 カカッ……


 血の塊が玄関前のコンクリートに落ちる音とは、明らかに違う音が響く。

 転がったのは、血まみれの二発の銃弾だった。


「―武士、お前!」

「ハジメ。もう大丈夫」


 状況を理解したハジメの声が、喜びに上擦る。

 だが武士の表情はいまだ厳しく鋭い。武士は立ち上がって、手の甲で口についた血を拭う。

 そして真剣な表情をハジメ達に向けた。

 戦うことを決意した顔。


「ハジメ。みんな。……行こう、葵ちゃんのいる場所わかったよ。すぐ近くだ」


 言い放つと、武士は門に向かって駆け出した。

 すぐに翠が後を追い、直也も駆け出す。

 続いて芹香も駆け出そうとするが、ハジメが肩を掴んでそれを止めた。


「ハジメ君」

「芹香、もう大丈夫だ。武士の体は不死身に戻ったんだ。もう何の心配もいらねえ。だからお前はここで待ってろ」


 ハジメは今度こそ、芹香が何を言おうと置いて行くつもりだった。

 今度こそ戦闘になる可能性は高い。

 もし芹香が無理に付いて来ようとするのなら、ハジメは気絶させてでも置いて行くつもりだった。

 しかし。


「わかった。武士君は、もう大丈夫なんだよね?」


 芹香はハジメの予想を裏切り、あっさりと頷いた。


「……?……お、おう」

「わかった。ここで待ってる」

「よ、よし。じゃあ、俺も行ってくっから」


 ハジメの制止を素直に受け入れた芹香を不思議に思いながらも、武士達の姿を見失う前にハジメも駆け出した。

 ハジメ達の後ろ姿を見送った芹香は、ポケットから携帯電話を取り出した。



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