「コール」
「もう一度、名前を言いましょうか? 芹香・シュヴァルツェンベックです」
インターホン越しに、強気の口調で名乗る芹香。
インターホンから聞こえてくる男性の声は、「少々お待ち下さい」と言って、しばらく通話が切れる。
やがて。
「お待たせしました。それで、このような時間に、当家になんのご用でしょうか」
「だ・か・ら!何回言わせるの? ここは鬼島大紀の私邸でしょ? 私たちを中に入れて下さい。私はあの男の娘なの。それが分かってるから、話を聞いているんでしょ?」
「はあ…しかし、こちらも何度も申し上げているように、ここは鬼島さんという方の家ではないのです。そのようにおっしゃられても困ります」
「嘘言わないでよ」
「嘘ではありません。表札にも書いてあります。こちらは、天玲会館という建物です」
「だから! 天玲ってあの男の本妻の旧名でしょ? 私は知ってるのよ! ごちゃごしゃ言い訳してないで、とにかく出てきて下さいよ。夜が明けたら新聞社に駆け込みますよ?いいんですか?」
「はあ……。少し、お待ちいただけますか?」
再び、インターホンの通話が切れる。
かれこれ一〇分以上、こういったやりとりの繰り返しだった。
「話の通じない男ね。これじゃ囮にもならないじゃない。ハジメ君達、大丈夫かしら」
手にしていた弓道の弓と矢筒を持ち替えながら、肩を怒らせ息を荒くする芹香。
(そうだ……そういえば芹香ちゃんはもともと、押しの強い女の子だった……)
武士はなんとなく、初めて芹香に会った日のことを思い出す。
暁学園に入学した初日。
入学式で生徒会長として挨拶した直也を、武士は思わず「英雄ナイン」と呼んでしまった。
自分の兄を英雄と呼ぶ武士に反応した芹香は、周囲の目も気にせず、話をはぐらかそうとする武士に執拗に話しかけてきたのだ。
「もう、この門よじ登って玄関先まで行っちゃおうか?」
「……庭で取り押さえられたら終わりだよね」
「玄関まで、誰もいないじゃん」
「僕らが気づかないだけで、絶対いろんなとこから見てると思うよ」
鬼島邸は、正面の門から建物の玄関まで、二〇メートルほどはあろうかという広い敷地面積を誇っていた。
広い庭の芝は丁寧に管理されており、敷地を囲う赤い煉瓦のブロック塀のすぐ内側には、等間隔で木々が植えられている。
木々には、防犯カメラが取り付けられていた。
武士が確認できた物は手前の木に付けられた一台だけだが、複数台で監視されているのは間違いないだろう。
二人は車も通れる大きな通用門の前で、いきなり足止めを食っていた。
「お待たせしました。もう一度、お名前よろしいでしょうか?」
インターホンから、先程と同じ男性の声が響く。
「だ・か・ら・何・回・言・わ・せ・る・ん・で・す・か? 芹香・シュバルツェンベックです」
「それを証明するものは、お持ちですか?」
「……学生証ならあるけど」
「ではそれを、インターホンのカメラの前に出して貰えますか?」
話が進展しそうな様子だ。芹香はポケットの財布から、学生証カードを出す。
その時だった。
「なっ、なんだおま……っ!」
息を飲んだような音を最後に、インターホンからの声が途切れる。
「あれっ……ちょ、もしもし、もしもし!」
慌てて芹香は呼び出しボタンを連打して問いかけるが、反応はまるで無くなってしまった。
「どういうこと?」
「わからない。ハジメたちがやったんだとしたら、うまく潜入できたってことだと思うけど……」
作戦では、武士と芹香がまず建物に入り騒ぎを起こして、その隙にハジメと翠が潜入する予定だった。
しかし、二人はまだ玄関先にすら辿り着いていない。
この状況で、すでに二人は潜入に成功したということだろうか?
「どうしよう」
戸惑う武士の横で、芹香は意を決すると
「……行こう」
古風な門扉に足をかけよじ登り始めた。
「ちょ、芹香ちゃ……!」
「時間がないよ、このままじゃ武士君の心臓が……! 防犯カメラに映って警備の人が来たら、とりあえずそれで騒ぎは起こせるじゃない!」
「そ、そうじゃなくて……」
「なに?」
「み、見え……!」
両手の平を顔の前に挙げ、視線を逸らす武士。
高い門をよじ登った芹香のスカートの中は、当然、下にいる武士からはよく見える位置にあった。
「きゃ!……わ!」
事態に気がついた芹香は慌ててスカートを押さえる。
既に門の上によじ登っていた為、芹香はバランスを崩し、そのまま門の向こう側に落ちてしまった。
「だ、大丈夫!?」
慌てる武士に大丈夫、という風に首を縦に振ると、芹香は立ち上がって閂を外し、門扉を開けて武士を中に入れる。
「痛た……お尻、打っちゃった……」
「ご、ごめん、僕……」
「ああ、いいのいいの、気にしないで」
芹香は顔の前でパタパタと恥ずかしそうな表情を浮かべながら、掌を振る。
「けど」
「え?」
上目使いに武士の顔をのぞき込んでくるダークブロンドの美少女に、武士は思わずドキリとする。
「武士君、こんな時に余裕だね。女の子のスカートの中、覗くなんて」
「のっ、覗いてない!覗いてない!」
「見てないの?」
「み、見てな……いや、まったく見てないかと聞かれたら、その、不可抗力というか」
しどろもどろになりながら、バカ正直に答えようとする武士に芹香はくすりと笑う。
「ごめんごめん、冗談。こんな時に不謹慎だったね。急ごう」
芹香はそう言うと、パッと建物の玄関の方を向いて駆け出した。
「ちょ、ちょっと待って!」
慌てて駆け出す武士。
脇目も振らず走っていく芹香の後を、周囲を警戒しながら追いかける。
しかし建物の中からも脇からも、人の出てくる様子はない。
(どういうこと…? 秘密にされているっていっても、現役の総理大臣の私邸でしょ?)
武士は、例の北狼部隊が音もなく飛び出してくるのではとすら予想していたが、北狼はおろか、使用人の一人も出てこない。
いくら未明の非常識な時間とはいえ、あれだけインターホンを連打し、大騒ぎしていたのだ。
こちらに注意を向けていたのが応対した男性だけなどということがあり得るだろうか。
芹香が建物の玄関に辿り着いた。
建物は近現代の歴史教科書に出てきそうな古い洋館だ。
「すみません! あの! 入ってきちゃいましたけど!」
ドンドンと、意匠を凝らされた木製の大きな玄関ドアを叩く。
「ちょ、芹香ちゃん」
追いついてきた武士が、芹香の横に立った。
「どういうこと? これだけ騒いで、無反応って」
まるで怒っているような口調になる芹香。
「中で何かあったのかな? それとも本当に、ハジメたちがもう中に…!…く…!」
言葉の途中で、武士の心臓を激痛が襲った。
耐えきれずに、武士は胸を押さえてうずくまる。
「武士君!!……ちょっと! 開けて! 開けて下さい!」
ありったけの力を込めて、芹香はドンドンと扉を叩く。
「開けて、助けて! 武士君を助けて! 儀式を止めて!」
武士の痛みはまた治まりつつあり、とりあえず直ぐに命の危機というわけではなさそうだったが、それでも芹香は焦らざるをえなかった。
武士はあまりにいつも通りだったので、こんな状況で思わず忘れそうになってしまっていたが、彼はいつ心臓の血管が破裂して死んでしまってもおかしくないのだ。
武士の方も平気なわけでは勿論なかったが、あまりの事に現実感が湧かず、また自分以上に捕まっている葵が心配だったため、胸の銃弾のことを忘れてしまいそうになる。
しかしこうして武士の心臓を痛みが襲うと、本人も芹香も、絶望的な現状に引き戻された。
「開けて! 助けて! ……お兄ちゃん!」
思わず、これまで頼り続けてきた、この場にいない人物を名を芹香は呼ぶ。
応える声は当然無い。
……はずだった。
キンッ…! と、乾いた音と振動がドアから響いた。
続いてギギ…と重いドアが開いく。
ドアは木製でも仕込まれた錠は鋼鉄製のはずだったが、その錠は内側から、鋭利な切り口を残して切り裂かれていた。
「あ……----っ!」
「……え?」
そのドアの向こう。現れた人物に武士も芹香も意表を突かれる。
「……芹香」
右手にむき身の日本刀をぶら下げた、九龍直也だった。
「……お兄、ちゃん?」
「芹、香……どうして、ここに」
顔を見合わせ、互いに絶句する兄妹。
間に挟まれる格好になった武士は、直也に会ったのなら聞きたいことが山ほどあったはずなのに、声をかけるタイミングを逸してしまった。
そして武士以上に聞きたい事に溢れ、山が崩れそうな勢いだった芹香も、いざ直也を目の前にすると言葉がうまく出てこなかった。
「あ、え、ええと……わ、私がここにいるのは……」
芹香は直也から視線を逸らすかのように、横に立つ武士の顔を見た。
そして唖然としている武士の額に浮かぶ、痛みに耐えて浮かんだ脂汗を目にして、芹香は我に返る。
「……武士君を、助けに来たの」
真剣な表情を取り戻し、芹香はキッと直也の顔を正面から見据える。
(自分のことだけに、かまけている暇はないんだ。今は武士君の命を!)
生じた迷いを振り切った芹香に、ほんの刹那、直也はその瞳を翳らせる。
それに気がつくことのできた人物は、直也本人を含めてその場にはいなかった。
「お兄ちゃん教えて。葵さんはどこ? 命蒼刃を取り返さないと、武士君が死んじゃうんだよ! 武士君の心臓には鉄砲の弾が埋まってて、回復の力が止まったら大変な事になるの!」
「芹香……どうして、命蒼刃のことを」
直也は目を見開いて驚くと、横に立つ武士を見た。
武士は視線を逸らさず、しかし申し訳なさそうに詫びる。
「九龍先輩、すみません。芹香ちゃんを巻き込んでしまいました」
「違うよ武士君、巻き込んだのは私の方なのよ! お兄ちゃん、だから絶対に武士君を助けないと!」
「……ああ、そうだな」
直也は少しの沈黙の後に頷くと、芹香の頭の上に手を置く。
「芹香、体調は大丈夫か」
「だから! 私の事より武士君を!」
叫ぶ芹香の頭を撫で、直也は芹香のダークブロンドくしゃりとする。
武士は今の二人のやりとりに、微かな違和感を覚えた。
「……九龍先輩?」
思わず呟いた武士の疑問符に、すっと視線を向ける直也。
その今まで向けられた事の無い鋭い視線に、武士の背筋に冷たいものが走る。
その時。
「武士! 九龍から離れろ!」
建物の中からハジメの声が響いた。
両手で拳銃を構え、正確に直也に狙いを付けている。
手にした拳銃はこれまで武士が目にした事のある彼が携帯していたものとは違う、大型のものだった。
デザートイーグルと呼ばれるIMI社製の大型拳銃。
五〇口径のマグナム弾が使用できる強力な拳銃だ。
「そいつは『北狼』に手を貸して葵を連れ去った、裏切り者だ。離れろ!」
「御堂か」
直也は振り返らずに、声の主の名を呼ぶ。
「裏から侵入してきたのか。気付かなかったな。なら、建物の中を見ただろう。俺は鬼島の味方なんかじゃない」
「……これは、テメエがやったのか?」
「見たら分かるだろう」
直也は手にした刀を持ち上げて、チャリ…と鍔を鳴らす。
「動くな!」
「待ちなって、御堂ハジメ」
遅れて、翠の声が響く。
ハジメの後ろからゴスロリ衣装に体のあちこちに包帯を巻いた少女が現れた。
両手に二本の曲刀・碧双刃を持っていたが、直也に武士、芹香の姿を確認すると、ヒュンと回して二刀を腰の金具に刃を納める。
「九龍ちゃん、本当に『北狼』の味方じゃないみたいね」
「ああ」
頷くと、直也は芹香に背を向けて、ハジメと翠の方に振り返った。
「……ちっ」
ハジメは舌打ちをすると、腰の後ろに下げているホルスターに銃をしまった。
「なに? どういうこと?」
事情が飲み込めず戸惑う武士に、翠は説明する。
「建物の中の敵、みんな斬られてたの。刀に血も残さないなんて、大した腕だねん」
「……」
無言で直也は、手にした刀に視線を落とす。
「え……」
斬ったという言葉に、芹香は顔を青ざめさせる。
「お兄ちゃん……?」
「殺した訳じゃない」
少なくとも表面上は、直也は冷静だった。
「全員に峰打ちというわけにはいかなかったが、致命傷を負った敵はいないはずだ。そんなことより」
直也は武士の顔を見る。
「どうしてここが分かった? 鬼島の私邸は公開されていないはずだ。それとも田中、ここに葵さんがいて、前みたいに命蒼刃の力を感じたのか」
「い、いえ……ごめんなさい。葵ちゃんの場所はわからないんです」
「なら、どうしてここに」
「私が思い出したのよ、お兄ちゃん。子どものころ、お母さんにアイツの家がここだって連れて来られたことがあるでしょう?」
芹香が口を挟む。
「あ、ああ。そうか……」
落胆したように直也は呟いた。
ここが分かったのは芹香の言う通りの理由だったが、それ以前に吉祥寺に目星をつけたのは、直也の仲間である柏原が、御堂継とともに、同じく直也の仲間であるはずの新崎結女の居場所を探知したからだ。
しかし翠もハジメも、そのことについては何も言わなかった。
「九龍先輩、葵ちゃんの居場所を知りませんか。ビルから一緒に移動したんですよね」
武士が問いつめるが、直也は首を振る。
「あの後、俺は葵さんと引き離されて、この建物に軟禁されたんだ。葵さんはどこかに連れ去られて、あの神道使いの子どもに儀式をさせられている。田中、君の魂を葵さんと命蒼刃から引き剥がす心霊手術だ。鬼島は命蒼刃の契約を解除して、自分が不死の力を手に入れるつもりなんだ」
「そんなことは知っている」
ハジメが強い口調で吐き捨てる。
「柏原さんから聞いたのか?」
「ああ。九龍、テメエ本当に、葵がどこに連れて行かれたのか知らねーのか」
「お前達こそ、調べられなかったのか」
沈黙が場を支配する。
お互いに答えはない。
それはつまり、儀式の場所を特定する手がかりが途絶えたことを意味していた。
直也が持っていた刀の切っ先が、ほんの僅か動く。
その瞬間。
ハジメの右腕が常識を超える速さで銃を抜き、デザートイーグルの銃口が直也の心臓に突きつけられた。
「ハジメ、なにを」
「九龍! テメエ今、何をしようとした!?」
戸惑いの声を上げようとした武士を遮って、ハジメが怒りの形相で叫ぶ。
直也の表情は変わらない。
変わらずに、冷徹だった。
「御堂、田中。俺はここで鬼島のデータを調べていたんだ。だが、儀式の場所は分からなかった。もう方法はこれしかない」
「ふざけんな」
ハジメは直也の発する攻撃の気配を逃すまいと、直也の持つ日本刀に意識を集中する。
直也は自らに銃口を向けるハジメを無視して、鋭い眼差しを武士に向けて語りかける。
「田中。前のように傷を負えば、命蒼刃の力を感じ取れるだろう? 葵さんの居場所を感じてくれないか」
その静かな言葉の圧力に
「九龍先、輩……?……」
武士は直也の提案に是か非か考える前に、ただ圧倒される。
「お兄ちゃん、なんてこと言うの!」
芹香が、二人の間に割って入った。
自分の体を盾にして、武士を守るように直也の前に立つ。
「武士君はもう、いつ心臓が保たなくなるかわからないの! 今大怪我なんかしたら」
「芹香、時間がないんだ」
「だからって!こんなやり方----」
「鬼島が命蒼刃の力を手に入れたら、間に合わなくなるんだ!」
叫ぶ直也に、芹香は言葉を遮られる。
しかし、少しの間の後。
少女は直也の目を正面から見て、静かに聞いた。
「……何に?」
静かな問いかけに、今度は直也が黙り込んだ。
「何に間に合わないって言うの? お兄ちゃん、それは武士君の命がって意味じゃないよね」
「……芹香」
呻くように、直也は妹の名を呼ぶ。
「お兄ちゃん……もしかして、お兄ちゃんは」
ピリリリリ…
張り詰めた空気を引き裂くように、武士のポケットから携帯電話の着信音が響いた。
 




