「再契約」
結女から渡されたフラッシュメモリをUSBポートに繋ぐと、ログインパスワードが自動で入力された。
現首相、鬼島大紀の個人使用のパソコンが立ち上がるのを確認すると、直也はマウスとキーボードを操作し、特定の語彙でファイルに検索を掛ける。
キーワードは「九色刃」「命蒼刃」「儀式」「契約」「解除」……
複数のウインドウを開いて、それらの言葉に関連するファイルを一斉に検索する。
「九色刃」などのキーワードはともかく、「契約」「解除」などの言葉では多数のファイルが検知され、膨大な量のファイル名が表示され始める。
同時に、ネットワークから国防軍の主要サーバへのアクセスを試みる。
データ量は膨大で、すべてを一人で調べることはとてもではないが不可能だ。
しかし直也はかつて、北狼部隊の兵士だった人間だ。
限られた権限だったが軍のデータベースにアクセスした経験はあり、「どこに秘匿される重要なデータが置かれているか」には心当たりがあった。
直也が忍び込んだ鬼島の私室は、華美な装飾物や豪奢な家具などはない、簡素な一室だった。
広さこそ充分だが、大きめのベットにパソコンと電話が置かれたデスク、チェア、壁一面には備え付けの本棚があり、和書、洋書がズラリと並んでいる。
家具類は木製の歴史を感じさせるもので、それなりの価値はありそうだったが、それとて実用性に重きを置いたシンプルなもので、初めに直也が軟禁されていた一室にあったものの方が、アンティーク家具としての価値は高いだろう。
唯一目を惹くものがあるとすれば、洋室の壁にやや唐突に掛けられ飾られている、長短二本の日本刀だ。
しかし、それらの部屋の家具や蔵書の類を見て、部屋の主人の人となりに思いを巡らす余裕は直也にはない。
猛烈なスピードで複数のウインドウに表示されるファイル名を、直也は驚異の動態視力でチェックしていき、関連がありそうなファイルがあれば開き、中身をチェックする。
同時に国防軍のサーバに繋ぎ、秘匿レベルの高いデータファイルにアクセスする。直也が少年兵だった時にはとても入り込めなかったデータベースに、鬼島のID、パスワードを使用したログインでさくさくと入り込むことができる。
この好機に確認しておきたい情報は山ほどあったが、とにかく今は時間がない。
命蒼刃と、儀式を行うのであろう神道使いの少年、および九色刃の契約解除に関する情報だけを検索する。
「これか……?」
せわしなく動いていた直也の手と瞳の動きが止まる。
開かれたファイル名は、「BoNiCs再契約の可能性」というものだった。
「BoNiCs」という言葉は、「Blade of Nine Colors」、つまり九色刃のことだろう。
表題は「再契約の可能性」と日本語表記だったが、外国の研究機関の手でも借りていたのか、ファイルを開いてみると中身は英文表記の論文形式のレポートだった。
しかし直也はなんの苦もなく、専門用語も多用されているレポートを読み進めていく。
「そうか……そういうことか……」
レポートでは、九色刃およびその管理者から、古神道の儀式によって使い手の魂を解放し、「使い手」を再契約できる点について言及していたが、儀式そのものの詳細については記されていなかった。
だが、直也にとって同等以上の価値がある情報を見つけることができた。
それは、「管理者の再契約」についてだ。
通常、管理者が死亡した場合には、当然使い手も九色刃の特殊能力を使用することができなくなる。
その場合には、新たに管理者を立てる必要があった。
〈管理者〉となる為の儀式は、対象者の大量の生血が必要となる。
一度の儀式で終わらせる為には致死量を遥かに超える血液が必要となるため、断続的に長い年月をかけての儀式となるのが通常だ。
期間が長くなるほど大量の血が必要な為に、身体に影響の出ない範囲での血液の採取では、儀式はおおよそ五年を必要とする。
しかし。
レポートでは過去の管理者となる儀式の際に取られた、契約完了までの期間の長さと、使われた血液の総量とのデータから、その相関関係を調べられていた。
結論。
充分な体力を持つ成人男性が管理者となるのであれば、最短2年で、契約を完了することができる。
ただし、儀式中は完全管理された病室でほぼ寝たきりとなり、また、脳に送られる血液(それによって運ばれる酸素)が長期間減少することにより、生命維持はともかくとしても、正常な脳の活動に不可逆なダメージを負う可能性が高い。
レポートでは、管理者は生きてさえいれば魂の力は九色刃に送られ続けるとし、使い手はその能力を使用することができ、問題はないとしていた。
「……結女さんが言っていたのは、これのことか」
直也は結女と交わした会話を思い出した。
鬼島はこれから、大規模な軍事改革を行うという。
おそらく有事法案を改正して、戦争の際の国防軍の行動優位性を上げるつもりだろう。
そんなことをすれば、内部の人間のみならず、CACC(アジア大陸中央国家連合)を含む諸外国の手による暗殺の危険性が著しく増大する。
平和的な意味合いとはまるで逆の意味で、日本に戦争が出来る国になってもらっては困る国は、数多くあるのだから。
その為に鬼島が考えたのは暗殺を防ぐことではなく、暗殺そのものを無意味にすること。
暗殺に怯え行動を制限していては、進む改革も進まない。
例え撃たれても、爆殺されても、毒殺されても、死なない体を手に入れること。
その為に、不死の力を持つ命蒼刃を鬼島は欲した。
鬼島は今後の大胆な政治活動の為に、一刻も早く命蒼刃の力を手に入れたいはずだ。
その為に、魂をコントロールする方法を知る出雲の神道使いを手に入れたり、また、儀式に失敗した際の保険として、こういった『管理者』の再契約にかかる時間を短縮する方法を研究していたのだろう。
直也は考える。今後の自分の取り得る選択を。
一つは、神道使いの儀式をあえて成功させること。
そして命蒼刃を『使い手』の契約がすぐに行える状態にして、鬼島が新たな『使い手』となるその前に奪い取ることだ。
しかしこれはリスクが大きい。
儀式成功の直後、すぐに命蒼刃の奪還に成功しなければ、鬼島が不死の力を得てしまう。
使い手の契約は簡単で、管理者が命蒼刃で相手に致命傷を与えるだけだ。
僅かな時間で済んでしまう。
葵がおとなしく鬼島を刺すとは思えなかったが、神道使いが北狼部隊に行っていたような秘術を使えば、本人の意に沿わない行動を行わせることも可能なはずだ。
新崎結女は、鬼島が儀式の場所に向かうようなら足止めすると言っていたが、成功するとは限らない。
一度鬼島の手に不死の力が渡ってしまえば、それを取り戻すのは困難を極めるだろう。
鬼島はおそらく、北狼部隊に葵と命蒼刃を守らせ、当の葵は神道使いの少年の秘術で支配する。
その状態になられてしまえば、直也が再び命蒼刃の力を手に入れるチャンスがあるとは思えなかった。
で、あれば。
もう一つの取り得る選択は。
(儀式の途中であろうとなかろうと、とにかく一刻も早く命蒼刃を取り戻す)
そして、その後に。
(二年……。二年だったら、間に合う)
直也の真の目的の為に。
そのためには、手段を選んでいられない。
直也はチラリと壁に掛けられている日本刀に目をやった。そして、すぐにパソコンに向き直り、データの検索を再開した。
どちらにせよ、一刻も早く儀式の行われている場所を突き止めなければならない。
自分の輪郭がぼやけていく感覚。
それは、催眠術などという生やさしい感覚ではなかった。
自分と外界を隔てる壁が圧倒的な圧力で侵され、崩されていく。
(負けるもんか! 私は私は刃朗衆の、刃朗衆の……何?……何って、そうだ命蒼刃の管理者、管理って何を? ……何をってだから、命蒼刃を。その不死の力を英雄に。英雄は武士、田中武士、武士は英雄じゃないけど英雄、私の英雄、私って誰? 誰ってだから刃朗衆の人間だ! 刃朗衆なのに、普通ノ人間を英雄ダなんて、駄目ダメ駄目、英雄は九龍ナオヤだったのに、私は失敗した。シッパイいや違うチガウ武士は失敗じゃないシッパイじゃないカラ、離さないハナサナイ逃げないで行かないでドコ、どこに行くここはドコ、違うココは敵のいる場所テキって誰ダレ敵は神道使いツカイ子ども黙れ何ナニ思考が崩れる崩れクズレチクチョウ負けない……!)
ゴン! と石畳の地面を強く拳で打つ。
その痛みを頼りに、葵は混濁する意識を何とか覚醒させようとする。
「意外にしぶといね」
神道使いの少年は詔の詠唱を中断する。
「……ぷはぁっ……!」
トランス状態に引きずり込まれようとしていた葵は、大きく息を吐き出す。
長く水中に引きずり込まれていた人間が、ようやく水上に顔を上げることが出来たかのように、葵は荒く息をつき、自分自身が刃朗衆の「葵」であることを確かめる。
「さすがに九色刃の管理者。魂の力は強いってことか。おとなしくボクの式に身を委ねれば、早く楽になるってのに……」
「……はっ。私の魂委ねるのに、あんたみたいなガキじゃ。力不足ね」
石畳の床に両手を付き髪を振り乱し、文字通り心身ともに疲弊しきっている葵は、それでも神道使いの少年に向かって挑発の言葉を吐く。
「この女……」
少年は憎しみの目を葵に向けるが、それでも決して倒れ伏す葵の側には近寄らない。
近づいて、葵に蹴り倒されることを警戒している為だ。
(くそっ、このガキ……!)
葵は心の中で悪態を吐く。
今のところ、なんとか神道使いの少年の儀式に対して抵抗が出来ているようだったが、それも時間の問題のように思えた。
少しでも気を抜けば自我を破壊され、自分と命蒼刃の内に宿る武士の魂が持って行かれてしまうことを、葵は半ば本能的に察していた。
「これ以上術式を強くすると、お前を殺しかねないんだけど。大人しく抵抗を止めてくんないかな」
少年のふざけた口調の提案に、
「鬼島みたいなクソ野郎に命蒼刃渡すなら、死んだ方がマシよ」
葵は吐き捨てる。少年は口元を大きく歪めると、
「……言ったね」
足下に突き刺さっていた神字が刻まれた神剣を引き抜いた。
神字は淡い光を放ち続けており、少年はその刀身を顔の前に立てて構える。
「まあいいよ。たとえ儀式が失敗してお前が死んでも、それで田中武士の魂も解放される。管理者の再契約をすればいい話さ。少し時間はかかるけど、司令も承認済みだしね」
神道使いを中心とした空間に、不自然な空気の流れが生まれ始める。
緩やかな風が、淡く光る神剣を中心に巻き起こっていた。
「天つ地の、風の中を行き交う荒御魂、速地の神、野辺に棲む獣までも、暗き闇路も迷わざらまじ、鎮め給え」
少年が詔をあげると、呼応して風が強くなる。
「かっ……は!」
再び葵は意識が持って行かれそうな圧迫感を覚え、胸を押さえる。
その自分を圧力は、これまでとは比べ物にならないほどに強力だった。
猛烈な吐き気を催し、胃液を吐き出す。
「や、やめ……」
それでも、拒絶の言葉を吐き出す。
やめろ、やめてくれ
この魂を奪わないでくれ
私を救ってくれた魂を、優しい魂を




