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「下卑た微笑みの女」

 武士達が行動を始める、数時間前。

 直也は、広大な敷地面積と多数の部屋数を持つ、鬼島大紀の私邸にいた。

 その中の、豪奢な洋室の一室に閉じ込められていた。


 頑丈なドアには外側から鍵が掛けられ、窓には鉄製の格子が嵌め込まれている。

 さすがの直也も、持ち物すべてを取り上げられ、脱出は容易ではなかった。

 室内には華美なテーブル、ソファなどの家具が並んでいたが、いずれも壁や床に固定されている。

 その他、脱出に使えそうなものは何もない。

 筆記用具ひとつ無い状況では、潜入、脱出訓練を受けたことのある直也でも、どうしようもなかった。


 もともとこの一室は要人を軟禁する為のものであるらしく、でなければ、私邸にこのような部屋があること自体、異常だった。


(それでも……この部屋から出るだけなら、やりようはある。けど、その前にするべきことがある)


 直也は格子越しに中庭を見て、今後の行動を思案する。

 中庭には、黒いスーツを姿の男が一人、巡回していた。

 その懐には拳銃を下げているのだろう。

 隙のない歩き方から、彼が普通の警備員やSPではないことがわかった。


 ふと、直也は気配を感じて振り返る。

 ドアの向こう、廊下からドサリと人が倒れる音が聞こえた。

 続けてカチリと鍵が開く。


 身構える直也の前に、小さく開いたドアの隙間から滑るように入ってきたのは、ビジネススーツをかっちりと着た女性だった。


「直也クン。お待たせ……大丈夫?」


 直也が組織した反鬼島情報共有ネットワークの主要メンバー、新崎結女。


「大丈夫です。……もう少し結女さんが遅ければ、自力で脱出していましたが」

「直也クンなら本当に出来そうね」


 結女は相変わらず氷のように冷たい微笑みを浮かべる。


「それで、神道使いの儀式はどうなりました? まさかもう終わった?」

「焦らないで。時間から考えて、今頃ようやく準備が終わったくらいよ。あと1、2時間ってところかしら」

「行きましょう。儀式が終わってすぐにでも鬼島が契約してしまったら、すべてが水の泡だ」

「それが……ごめんなさい」

「……なんです?」

「儀式の場所がわからないの」


 直也は結女の言葉に息を飲む。


「あの神道使い、いつの間にか葵さんを連れて行方を眩ましてしまったのよ。建物の外には出ていないはずなのに、どこにも見あたらない」

「そんな馬鹿な」


 直也は血相を変えると、ドアへ向かおうとする。

 結女は慌ててその腕を掴んだ。


「待って。闇雲に探しても駄目よ。屋敷の中には北狼部隊がまだいるのよ」

「そんなこと言っていられない。奴の手に命蒼刃が渡ったら……」

「手がかりはあるの。これよ」


 結女はスーツのポケットから部屋の鍵とメモリースティックを取り出して、直也の手に握らせる。


「鬼島司令の私室の鍵と、私用パソコンのログインキーよ。これで何か情報が掴めるはず。鬼島はまだここには帰ってきていない。調べるなら今よ。鬼島は首相業務は官邸で、北狼のデータは国防軍のサーバで管理しているけど、彼の私用パソコンからなら、簡単に入り込めるわ」

「結女さん…こんなもの、どうやって」


 手にした物の価値に直也は絶句する。

 用心深く人を信じる事をしない鬼島の、私室とパソコンの鍵など、簡単に手に入るものではないはずだ。

 結女は再び薄く笑う。


「司令は私を信用している。長い間、彼の側にいた成果よ。褒めてほしいわね」


 直也は、北狼の非正規少年部隊で訓練を受けていた時に、父の秘書をしていた結女と知り合っていた。五年前の話だ。


「これを使って俺が奴のデータを調べて、結女さんは大丈夫なんですか?」

「足がつくようなヘマはしないでしょう? 直也クンを信用してるわ」


 最初は、結女の方から直也に近づいてきた。

 結女はまだ歳若い直也と話をする内、父親への反発心を抱く直也に共感したと言い、彼が北狼を抜け反鬼島ネットワークを作る際、協力を名乗り出たのだった。


「確かに、私が直也クンに協力していることが司令にバレたら、命はないでしょうね。でも大丈夫。うまくやるわ。直也クンは自分の目的だけを考えて」


 結女は感情をほとんど表に出さず、常に相手に冷たい印象を抱かせる微笑みを浮かべている。

 何を考えているかわからないところはあったが、それでも古くから直也の相談に乗り、力を貸している彼女は直也にとって、姉のような存在でもあった。


「結女さん……どうして、ここまでしてくれるんですか。結女さんはもともと鬼島の秘書で、奴の政治的なイデオロギーに、必ずしも反対ではないんでしょう?」

「直也クン」


 結女は一歩前に進み、直也のすぐ目の前に立つ。

 背の高い直也に対して、結女の顔は胸の高さで、そこから彼女は上目使いに直也を見上げる。結

 女の使っている妖艶な香水の香りが、直也の鼻腔をくすぐった。


「結女さん?」

「大事なのは、直也クンの本当の目的を果たすこと」


 結女は、その長い指を直也の厚い胸板に這わせる。


「あなたのお父さんを倒す事ではない、本当の目的」

「……結女さん」


 直也は結女の肩を掴んで、自分の体から引き離す。

 結女は笑って、肩を掴まれた直也の手を掌を握る。

 ひんやりと冷たい感触が直也の手の甲を包んだ。


「あのビルでも言ったけれど、私は今回の件に責任を感じているわ。私が命蒼刃の管理者にもう少しうまく情報を渡して、その行動をコントロールできていれば。直也クンは当初の計画通り、未契約の状態で命蒼刃とその管理者を手に入れることができた」

「それは結女さんだけのせいじゃない。俺が御堂ハジメに監視されている間に、もう少し刃朗衆側にうまく情報を流せていればよかった。御堂ハジメがあそこまで何も知らされていないとは思っていなかった」


 結女は直也の手を握ったまま、自分の胸の前に持ってくる。

 そして、より力強く握りしめた。


「ありがとう。でも、私は直也クンの力になりたい。君の事が好きなのよ」


 結女はまっすぐな視線を直也に向ける。

 直也はその視線を受け止めるが、どんな言葉を返していいか分からなかった。

 結女は微笑む。


「直也クンが、彼女の事が一番大切なのは知っているわ。だから、私は協力する。君の役に立ちたいのよ」

「……ありがとう、結女さん」


 礼を言う直也に向かって、結女は更に一歩近づく。

 そして背伸びをして、その唇に自らの唇を軽く重ね合わせた。


 ゆっくりな動きだったが、直也は拒まなかった。


 身の危険を顧みずに、報いることもできないその想いだけで自分に協力してくれる結女を、拒む事は直也にはできなかった。


「司令の部屋への侵入、気をつけてね」


 結女はゆっくりと直也から離れる。


「ああ、それから。勝手だとは思ったけど、柏原にも動いてもらっているわ」

「柏原さんに?」

「ええ。御堂組の跡取りに協力するようにって。たぶん御堂ハジメやもう一人の刃朗衆も、葵さんの行方を捜しているでしょう。柏原にそれを手伝わせれば、そちらのルートでもしかしたら儀式場が分かるかもしれない」

「そうか……。柏原さんなら、九色刃のことにも詳しい」

「ええ。ごめんなさい、連絡には直也君が捕まったときに取り上げられていた、直也君の署名キーを使わせて貰ったわ」


 結女は、先に渡したものと別の、もう一つのメモリースティックをポケットから取り出す。

 直也が、ネットに繋いで結女や柏原と連絡を取り合うときに使っていたものだ。北狼に捕まり身体検査で取り上げられていたのだ。

 差し出された自分のメモリースティックを、直也は受け取る。


「どうして、俺のキーを?」

「北狼に中身を調べられる前に、取り返す必要があったでしょう? ああ、それともうひとつ。ビルで話していた、二年で九色刃の新たな管理者になる方法だけど」

「…!」


 意図的に直也の問いの真意を外されたことに気づきながらも、結女の言葉に直也の顔色は変わる。


「司令のデータの中にあるはずだから、探してみて。もし神道使いの儀式が終了して、司令が再契約を終えてしまっていたら、必要になるはずよ。あの神道使いが直也クンに協力することは、おそらくない。そうなったら、葵さんを殺して、新しい命蒼刃の管理者を立てるしかなくなるわ」


 結女の言葉に、直也は苦悩の表情を浮かべる。

 葵を殺す。

 できればそんな事をしたくはない。

 真の目的を別にすれば、刃朗衆とは鬼島を倒すという考えを同じくする同志なのだ。


 直也の苦しむ表情に、結女はほんの一瞬、恍惚の表情を浮かべる。

 それは、つい先に直也とキスしたときとは比べ物にならないほど、悦楽に浸ったような顔だ。


 しかしすぐにいつもの微笑に戻った結女は、直也の肩を叩く。


「直也クン。そうしないで済むように私は私で動いてみるわ。すぐにここを出て、司令の所に行く。もし彼が儀式の場所に向かうようなら、足止めをしてみるわ。直也クンはまず司令のパソコンデータを調べて、儀式の場所を探して、そこ向かって」

「わかった。結女さんも気をつけて」


 今、その時のことについて深く考えても仕方がないと直也は頷いた。

 今はとにかく、儀式の場所を特定し、そこに向かうことだ。儀式が終わっていても、終わっていなくても、とにかく命蒼刃を押さえないことには、話にならない。


 直也は、結女が既に鍵を開けたドアのすぐ側に立ち、廊下の気配を探る。

 見張りが無いと感じると、一切の音を立てずに軟禁されていた部屋を出て行った。

 部屋には、結女が一人残される。


 もし、残された結女の表情を見るものがいれば、それがつい今まで直也と話していた女性と同一人物とは思わないだろう。


 そこに浮かんでいたのは、ひどく下卑た微笑み。

 口が耳まで裂けているかのように錯覚するほどの、笑い顔。


「ふふふっ……はははっ……あははははっ!」


 笑う。

 この世のすべてを嘲笑するかのように笑う。


「好きよ……大好きよ、二人とも。もっともっと、すれ違えばいい!苦しめばいい…!私の掌の上で皆……!あはは…あはははっ!」


 狂った悦楽に、新崎結女は酔いしれていた。



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