「侵入」
翠は西側に立つビルから、芹香が捕われているビルの三階に侵入した。
携帯電話の通話を妨害する敵の周到さから、窓に警報機でもつけられているかと用心したが、そのようなものはない。
どうやら携帯電話の妨害は、芹香の外部との連絡を遮断する目的だったようだ。
それなら芹香の携帯を取り上げるほうが早いように思えたが、物的な証拠を残したくなかったのだろう。
それに今は、電源が切られていても居場所が分かるGPS機能を持った携帯電話もある。
用心深い連中なのだろう。
「そのくせ、このガードの甘さ…」
敵のレベルはそんなに高くはないと、翠は踏んだ。
翠が侵入した部屋はさして大きくもない部屋で、机も棚もなにも無かった。
完全な廃ビルで、まさに取り壊される寸前だったのだろう。
「隣の部屋…か」
翠は目星をつけていた妨害電波の発信ポイントに向かう。
用心しながらドアを開き、廊下に誰もいないことを確認すると、隣の部屋のドアの前に立った。
耳をそばだてると、中から数人の気配がする。
(うーん……九色刃の力は見せずに、敵を無力化するのが理想なんだけどにゃー)
翠は腕組みをして考える。考えるが、その結果は
(……面倒くさい!後処理は御堂のおじいちゃんがしてくれるでしょう!)
という結論。
翠はバタン、と勢い良くドアを開けた。
「!……ああ?なんだ?」
「女の子?」
部屋の中にいたスーツ姿の二人の男が、突然現れた翠に困惑の表情を浮かべる。
部屋の中心にはテーブルが一台置いてあり、その上にはアンテナ状の棒が立ってる黒いアタッシュケースが置いてあった。
「…ビンゴ♪」
翠は腰から二本の曲刀を抜き放つ。
人気のない廃ビルに場違いな服装で突如現れ、怪しげな刃物を抜き放った少女に唖然としている二人の男。
その距離を一瞬で詰めると、翠は体を回転させて碧双刃を振るった。
男達のスーツが鮮やかに切り裂かれる。
「なっ…!」
何が起こったのか把握できない男達は、その後に起こる現象に、更に男達は困惑することになる。
切り裂かれたスーツ。
その下に着ていたシャツ、そして肌着も切り裂かれて、そこから白い綿がモコモコと膨れ上がったのだ。
「な…ななななんだ、なんだ!」
「なんだこれは!」
その白い綿の中から、緑色の葉と茎が伸びてくる。そして無数に長く伸びた茎がぐるぐると男達の体に巻き付いた。
「な……なんなんだー!こんなっ……むごっ!」
男たちは身動きが取れなくなるほど緑の茎にがんじがらめにされ、悲鳴を上げようとした口には球状の綿の実が放り込まれた。
「むごっ……むごごっ!」
唸る事しかできない男達は、簀巻きのような状態で床に転がった。
「にゃははー。ごめんねー。」
「むごっ!むごごっ!」
「んー?なんだこれはって?」
翠は碧双刃の先で、男達を縛る茎を指す。
「これはアオイ科ワタ属の多年草。まあ、木綿の素材になる草だね。男の人の肌着って、大抵が木綿素材なんだよね。その肌着を、体に傷をつける事無く切り裂くことのできるあたし。天才。そー思うっしょ?」
翠は床に転がる男達にニッコリと笑いかける。
「さてと」
翠は碧双刃を腰に戻すと、テーブルの上のアンテナ付きアタッシュケースに手を伸ばす。
パチンと金具を外すとケースは開き、携帯電話の妨害電波を発している器具の操作盤が現れた。
「古っ。何年前の使ってんの? あんたら実は金無い? 不況の波はこんなところまでー」
翠はぶつぶつと独り言を呟きながら、機械の電源ボタンをオフにしようとする。
その直前。
「なっ…誰だ!」
開きっぱなしだったドアから部屋の中を見た男が、廊下で声を上げた。
「やば」
男は植物でぐるぐる巻きにされ床に転がっている仲間を確認すると、懐に手を入れ、素早く銃を取り出す。
「げ…」
翠は反射的に碧双刃を抜くが、テーブルを挟んでドアの向こう、廊下までの距離は駆け抜けるにはやや遠い。
男の銃を構える速さに、翠はとっさにテーブルの手前の足を二本同時に叩き切る。
テーブルは手前側にガタンと倒れ、翠はその影に身を隠した。
妨害装置も斜めになったテーブルから手前に滑り落ちるが、アタッシュケースの角から落ちた装置は、廊下から狙っている銃の射線上に転がり出てしまう。
「げ」
「動くなガキ! なんだ貴様は!」
男は銃を構えたまま、体の半分をドアの端の壁に隠して叫ぶ。
「今、ガキって言った…?…」
翠は妨害装置の電源を落とそうとテーブルの影から手を伸ばすが、バスッというくぐもった音とともに、手前の床を銃弾が爆ぜる。
「動くなと言っている!」
銃が消音器付きだったのは、翠にとって幸運だった。
敵の仲間が呼び寄せられるのを防げる。
ビルの近隣に無関係の人がいる場合に備えていたのだろう。
それにしても正確な射撃に、翠は思わずヒュウ!と口笛を吹く。
「なんだ。結構できる奴いるじゃん」
翠は碧双刃の一本を床に置くと、ヒラヒラの付いたゴスロリ服のどこに収納していたのか、直径十センチ弱の木製の球をふたつ、片手で取り出す。
「もがっ! ももがっ!」
翠と同じくテーブルの影に隠れる形で床に転がされていた男が、翠に向って何事か唸る。
「ん?これは何かって?」
翠は片手でふたつの木球をポンポンとお手玉のように玩ぶ。
「これはね、檜で作られた、ただの木の球だよ。でもこれがあれば、たとえ植物のないこんなビルの中でも…」
言葉の途中で、翠はふたつの木球を大きく上に放り投げた。
素早く床に置いた碧双刃を拾い上げると、空中でそのふたつをカカッと真っ二つに叩き裂いた。
テーブルの影から姿を見せた翠に、銃を構えた男はその狙いを定めた。
しかし、引き金が引かれるよりも速く。
ズアアアッ!
表現し難い音を立て、四つの木片となった球から樹木が四本、男に向かって超スピードで伸びていく。
ゴガンッ!と男が半身を隠していたコンクリートの壁を削り取り、四本の樹木は男の体を吹っ飛ばした。
「があっっ!!」
男は勢いよく背後の廊下の壁に激突し、壁と木に挟まれる形で気を失った。
「……あたしが使うと、伸縮自在・最強のヒノキの棒に早変わり♪」
翠はヒュンヒュンと碧双刃を振り回し、そのまま足もとに転がったECМ装置を切り裂いた。
ゴゾンッ…と鈍い音を立てて二つに割れた装置は火花を散らすと、電源が入っている事を示していたランプの明かりが静かに消える。
「ミッション・クリア〜」
楽勝だねこりゃ、と翠は軽い足取りで部屋を出た。
綿の草にがんじがらめにされた男二人と、樹木と壁に挟まれた男一人を置き去りにして。
碧双刃の有効距離は、およそ二〇〇メートル程度である。
翠がこのビルを出て離れるまで、可哀想に彼らはこのまま放置されることになった。
「先生。車は既に裏手に止めてあります。すぐ出発できます」
「分かった」
灰島議員は二人の私設秘書兼ボディーガードの男を連れて、エレベーターで一階に下りる。
秘書の二人のうち、一人はインターホンで正面口の見張りと連絡を取っていた眼鏡の男。もう一人は引き締まった巨躯の男、深井だ。
三人が一階に降りると、ビルの正面口の方から、先に階下に降りていた義和が何か叫んでいる声が聞こえてくる。
「なんだあいつは。ただのチビだと自分で言っていた相手に、何を大騒ぎしとるんだ」
灰島議員は聞こえてくる息子の余裕の無い声に、顔をしかめる。
「様子を見てきましょうか?」
眼鏡の秘書が言ったが、灰島議員は首を横に振る。
「二人、正面口には配置していたんだろう?」
「はい」
「なら充分だ。あいつも少しは頼りにできるようになって貰わなければな」
言い捨てると、灰島議員らは裏口へと歩みを進めた。
誰もいない警備員室の前を通り抜け、ビルの裏手の通用口から外に出る。
少し離れた道路に車が止まっているが、車の外に出て灰島を待っているはずの、運転手の姿が見当たらなかった。
「運転手はどうした?」
「は…?…す、すみません。待っているはずなのですが…」
眼鏡の秘書が慌てて道路に出る。
車の反対側に回り影に運転手の姿がないか見ようとしたところ、唐突に彼は車の影に倒れこんだ。
「なっ…!」
「どうした!?」
驚愕の声を上げた灰島議員を庇うように、深井が車との間に立つ。
「先生、下がってください、車の影に誰かいます」
「深井、なんだ、なにがあった?」
深井は懐から銃を取り出して構えると、車の影に向かって声を掛ける。
「誰だ、そこにいるのは?出て来い!」
少しの沈黙の後、背の高い高校の制服を着た男が、車の影から姿を現した。手には剣道の竹刀袋を持っており、倒れこんだ秘書はそれで鳩尾を突かれ、気を失ったようだった。
「……学生?」
深井は現れた男にいぶかしみの声を上げる。
「なんだ?義和のクラスメイトは正面口にいるんじゃ……ま、まさか!」
その背後で直也の顔を覗き込んだ灰島議員は、悲鳴に近い声を上げた。
「そ、そんな……どうしてここに……く、九龍直也が!」
灰島の言葉に、直也は口角を上げ不敵に笑った。
「灰島義一郎先生、よく俺のことなどご存知で」
直也は車を迂回し、深井と灰島義一郎の前に立つ。
その距離は5メートル程度。
「灰島先生ともあろう方が、こんな方法を取るなんて、民自党も地に落ちましたね」
直也は鋭い目つきで、義一郎を睨みつける。
その冷徹な視線と無言の気迫は、とても普通の高校生が持ち得るものではなかった。
「ひ、ひい……」
義一郎は蛇に睨まれた蛙のように、あえぎ声を漏らし立ち尽くす。
「先生、何者ですか、こいつは?」
「な、なにをしている! 深井、撃て、はやく撃て!」
「は?し、しかし…」
深井の銃にもサプレッサーが装着されており、発砲してもただでさえ人気のない区画であることから、特に騒ぎが大きくなることはないだろう。
しかし、見る限り相手はただの高校生だ。
しかも、ビルの中で聞いた話の流れから、おそらく目の前に立つ人物は、灰島義一郎の息子と同じ高校だろう。
その彼に向けて銃を撃つというのは、後に問題にならないのだろうか?
「先生、本当によろしいのですか?相手は高校生ですよ」
だが深井はそう思う反面、直也があっさりと眼鏡の同僚秘書を気絶させ、また普通ではない気迫を放っていることから、警戒は怠らない。
銃の照準は彼に付けたまま、義一郎に確認を取る。
「いいから早く撃て!その男は鬼島大紀の息子で、元『北狼』の非正規少年兵だ!」
バスッ…!
元『北狼』の非正規少年兵。
その言葉が引き金だったかのように、深井の銃が火を噴いた。
サプレッサーにより消音されたくぐもった音が響く。
しかし、確実に直也を照準に捕らえていた深井の銃から発射された弾丸は、直也の体を捕らえることはなかった。
直也は深井が銃の引き金を引く刹那に発した殺気に反応し、最小限の動きで体をずらし、その射線から身を避けていた。
「……この距離で避けるか。鬼島総理の息子というのはどうか知らんが、北狼の元少年兵というのは間違いないようだな」
深井は、殺傷目的の銃撃セオリーである二連射をあえて行わず、ニヤリと笑う。
その顔と深井という名に、直也は見覚えがあった。
「フランス外国人部隊の元エース、深井隆人ですか。なんでこんなところに?」
「俺を知っているとはね。まっとうな人間じゃないな、君は」
深井は十八年前のEU動乱の際に活躍した、フランス外国人部隊で戦った傭兵の出身だった。
裏の世界では名の知れた人物で、四十代も後半に入り落ち着いた職場を求めた彼は、灰島義一郎議員のボディーガードという職についた。
そんな彼だったから、北狼の少年兵、という存在を知っていたのだ。
『北狼』は、国防軍東北方面第二陸戦大隊所属の特殊部隊の通称で、鬼島元司令官の私兵集団とも言われる存在だ。
そのイリーガルな存在の中に、さらにイリーガルで機密中の機密である存在があった。
少年兵だ。
過去に専守防衛を旨とする自衛隊が、他国の戦争にも参加が可能となる国防軍に組織再編されたときでさえ、国が割れるほどの議論があったこの日本国である。
当然少年兵など絶対にあってはならない存在だった。
しかし、鬼島は陸戦最強の部隊創設を目論み、極秘裏に身寄りのない幼子を集め、幼少の頃から特殊な訓練プログラムを行わせていた。
それが北狼の非正規少年兵だ。
北狼には大人の隊員もいる。逃避行を続けていた葵や翠を襲撃したのは、その大人の隊員たちだ。
しかし、もっとも恐ろしいのはその非正規少年兵たちである。
飲み込みの早い幼少期に、科学的根拠に基づきながらも常識では決して許されないレベルの訓練を受けた彼らは、常軌を逸する戦闘力を持っているとされる。
鬼島は、その非正規少年兵部隊に自分の息子を入隊させていたのだ。
「噂では聞いていたが、まさか実在していたとはな」
深井は、無意識のうちに乾いてきた唇をなめる。
「灰島義一郎」
直也は銃を構える深井から視線を外さないまま、義一郎に声を掛ける。
「一年ほど前か。お前の息子が芹香に手を出した時。貴様は俺の素性を調べたな」
「ひっ……」
「その時、俺が鬼島の子だと知ったな。北狼の元兵士だということも、その時に調べたのか?」
義一郎は怯えきった表情で何も答えることができない。
その沈黙を、直也は肯定と受け取った。
「だったら何故、芹香ではなく俺をターゲットにしなかった。俺なら、鬼島の隠し子というだけじゃない。非合法な少年兵の存在を暴くという点でも、鬼島の弱点を握るカードになったはずだ。どうして、こちらの世界にまったく無関係だった芹香の方を選んだ!」
「ひっ…ひいいっ!!」
直也の尋常ではない気迫に、義一郎は立っていることすらできず、その場に座り込んでしまう。
「元北狼である俺を恐れて、芹香の方を狙ったのか。貴様のような腐った政治家を一掃したいと考えたところだけは、あの男に賛同したくなる」
直也は吐き捨てる。
「まあそう言ってくれるな。そんな腐った男でも、俺の大事なクライアントなんでね」
深井が横から口を出す。
「ふ……深井! 深井! なにをしてる、早くこいつを殺せ!」
腰を抜かしてへたり込んだ義一郎が喚く。
「…そんな簡単に言わんで下さいよ。元北狼が相手だ。ボーナスはたっぷりもら」
バスバスッ!
自分の言葉の途中で、深井は唐突に直也を狙い銃を連射した。
殺気を抑え、虚を突いたタイミングだった。
しかし直也はそれすら避ける。
体を回転させて一射目は避け、二射目はなんと手にした竹刀袋で銃弾を受けた。
ギンッという鈍い音がして銃弾が弾かれる。
その音と銃弾を弾いた事実は、竹刀袋の中身が決して竹刀や木刀でないことを示していた。
銃撃で破けた袋からその中身を抜きながら、直也は背面飛びのように背後の車の屋根に背中から飛び乗る。
そのまま後方に回転して車の裏側に回り込み、深井の銃の射線から身を隠した。
直也は銃弾によって一部が砕かれた鉄拵えの鞘から、日本刀を抜き放つ。
「はっ! 銃撃を弾くか! 面白い奴だな、北狼の少年兵!」
深井は心の底から楽しそうな声を上げた。




