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「約束の夜と朝」

 部屋に入った武士たちが見たものは、病的な顔色で床に伏す、白霊刃の管理者・白坂キヨウだった。


「おばあちゃん……!」


 芹香が膝をつき、その手を握る。

 皴だらけの手は冷たく、氷のようだった。


「黙っていてすまない、シュバルツェンベックさん」


 己自身、普通なら動くこともできない重傷の身でありながら、征次郎は気丈にキヨウの枕元に正座し、芹香に詫びる。


「実は君と話した時から、キヨウは既に限界だったのだ。本来ならば、病院で安静にしていなければならなかった」

「そんな……!」

「ごめんなさいね……芹香さん、私の……我儘……未来を託す子ども達の、一人に……どうしても直接会って、話をしたかったのよ……」


 目と口だけを動かして、弱々しく語るキヨウ。

 老人の命の灯がまもなく消えようとしているのは、誰の目にも明らかだ。

 芹香は、決戦の前に自分と会話をした時のキヨウがいかに無理をしていたのか、まったく察することができなかった己の鈍感さが恨めしかった。


「キヨウさん!」


 武士が歩み寄り、キヨウに向けて掌を差し出す。

 しかし、その掌が蒼く輝く前に。

 征次郎が武士の腕を掴んで、静かに首を横に振った。


「やめなさい」

「どうしてですか!? 命蒼刃の力なら」

「武士君。君はこの先ずっと、出会う人すべてを死なせないつもりかね。病気で、老衰で、寿命が尽きる人の全てを死なせないつもりか」

「! ……それ、は」

「だとしたら、それは傲慢だ。君は神にでもなったつもりかね?」


 静かな征次郎の問いは、武士の心を抉る言葉だった。


「いいのよ……武士君」

「キヨウさん」

「どのみち……私には、命蒼刃の力は働かない……征次郎や継君と同じ、自分の意志で運命を捻じ曲げ……理から外れた、人間だから……」


 芹香に握られていたキヨウの手が、微かに動いて武士の方に伸びる。

 武士は両掌で握りしめた。


「キヨウさん、本当の事を言って下さい。僕が白霊刃の使い手になって、最後にキヨウさんの魂もたくさん使ってしまったからですか? だからキヨウさんの命は」

「違うわ」


 弱いけれど、ハッキリとした口調でキヨウは否定する。


「魂の力は無限よ。その意志がある限りは、ね。……私は、ようやく、自分の役割を終えることができたの。だからこのまま……静かに眠らせて頂戴」

「キヨウさん」

「……けど、その前に」


 キヨウの視線は、武士の背後に移った。

 そこに立つ者は、葵、翠、灯太、そして紅華。


「詫びて済むことでは、ないわ……これは、私の、自己満足……けれど、言わせてほしいの」


 葵たちは、一様に無言だった。

 彼女たちは、何を話せばいいのかわからない。

 目の前にいるのは、予言という操り糸により自分達の運命を支配してきた張本人なのだ。


 孤独を強いられて。

 非道な人体実験をされて。

 外国に攫われて。

 祖国から見放されて。


 苦難の半生を歩ませた予言を齎した、まさにその人なのだ。

 その人物が。


「あなた達の……人としての幸せを奪ったのは、私。この国の為など……言い訳にも、ならないわ……。本当に……ごめ」

「許さない」


 最後まで言わせず、断じたのは紅華だった。


「ちょ、姉貴」


 紅華がまた激昂して暴れ出すのではないかと焦る灯太だったが、翠がその両肩に手を当てて抑える。

 驚いて灯太は翠の顔を見るが、翠は大丈夫、とでもいう風に口の端を僅かに持ち上げた。


「許さない、白霊刃の管理者。お前のせいで、私たちがどんな地獄を生きてきたのか」

「……そう、ね」

「あまつさえ、己の最後にそれを詫びて、許されて逝こうなどと、絶対に許さない」

「許してもらえるとは……思っていない、わ」

「詫びることも許さない、と言っている」


 紅華は激昂などしていなかった。

 静かに、けれど深く、想いを吐露する。


「お前は私を、パパとママを、灯太を見捨てた張本人だ。憎い相手なんだ。だから最後まで憎ませてくれ。憎む相手まで、私から奪わないでくれ」

「……姉貴」


 紅華なりに、気持ちを整理しようとしているのだ。

 それが分かった灯太は、それ以上口を開くのを止める。


「そうね……。わかったわ、紅子ちゃん」


 本当の名を呼ばれ、紅華は拳をギュッと強く握る。

 そして、キヨウの視線を受け止める。


「あなた達が麒麟に攫われたのは、この世界に戦乱を起こさない為だわ。仕方のないことだったのよ」


 キヨウが改めて吐いた言葉を受け止めると、紅華は表情を変えず背を向けた。そして静かに部屋を出て行く。


「待て、姉貴」


 追って、灯太も部屋を出て行った。


「……葵ちゃん、翠ちゃん」

「はい」

「はい」


 キヨウの声掛けに、返事をする二人。

 刃朗衆である彼女たちの心境は、更に複雑だった。

 その二人に、かけたキヨウの言葉は。


「水原葵。篠崎翠」

「えっ?」

「はっ?」

「……貴女たちから奪ってしまった、本当の名前、よ……」


 苗字を奪われ、名前だけの存在だった彼女達。

 その家族の名が伝えられる。

 予想外のキヨウの言葉に、葵たちは絶句した。


「……白霊刃の管理者である、私が死ねば、予言の力は失われるわ。それで、葵ちゃん、翠ちゃん、貴女たちの未来は、解放される……」


 キヨウは言葉を重ねる。

 彼女に残された体力は残りわずかだ。それでも、これだけは自分の口から伝えなくてはならない。

 幼い子ども達を血と刃の世界に引きずり込んだ、罪人として。


「この国を守る、刃朗衆の役目は終わらない。でも、貴女たちの未来は自由よ。これから先は……あなた達が選択なさい」


 その後、キヨウは話すこともままならなくなり、武士たちは征次郎に促され退出する。

 入れ違いで白坂剛志が入ってきた。

 「ばあちゃん……!」と男泣きする剛志の声を背に、武士たちは長く刃朗衆のトップを務めた老婆の元を後にした。


 ――この数日後、白坂キヨウは眠るように安らかに、息を引き取った。


  ***


「ベリーストロングチョコレートパフェジャンボ、ご注文のお客様」

「待ってた! 俺、俺!」


 ウェイターに手を挙げて告げると、ハジメは顔と同じサイズがあろうかという巨大パフェを受け取り、スプーンを手に嬉々として食べ始めた。


「あんた、そんなに甘いモノ好きだったっけ……?」


 チーズケーキを小さく切って口に入れながら、翠は呆れたように呟く。


「ハジメ、隠してた。男が、甘い物好きとか、みっともないって」


 継はラージサイズのステーキをギコギコと切りながら答えると、かなり大きく切った塊肉に、ガブリと豪快に噛みついた。


「お兄ちゃんの方が、意外に肉食……!」

「そふ言ふ翠ふぁ、意外と喰ふぁねえな」

「口に物入れて喋んないの。ああもう、零れてるホラ」


 ハジメの服に落ちたパフェのクリームを、紙ナプキンで拭う翠。


「……既に所帯じみてるね、二人とも」


 直也がおかわり自由のコーヒーを飲みながら呟く。

 そして何度目かのウェッという顔をして、カップをソーサーに戻した。


「お兄ちゃん、コーヒーやめたら? 美味しくないんでしょ?」


 自分はカフェオレを啜りながら、上目遣いに直也を見つめる芹香。


「そうだな。まあ、何杯でも飲めるファミレスのコーヒーに文句を言ってもしょうがない」

「そうよ。それにお兄ちゃんが自分で淹れるコーヒーに比べたら、どの名店のコーヒーだって勝てるはずないんだから」

「ありがとう芹香。帰ったらまた美味い奴、淹れるからな」

「楽しみ!」

「あー、はいはい。ブラコンにシスコン、仲良くてなにより」


 翠が呆れたように手をパタパタと振る。

 そしてふと、目の前の堅い表情をしている葵に気が付いた。


「……葵ちゃん?」

「ふぁいっ! ……あ、あ、ごめん。なに? 翠姉」


 ビクンとして、葵は慌てて翠にぎこちない笑顔を向ける。


「いや、元気ないなーって思って」

「そんなこと、ないよ?」

「武ちん、フォローしてー。葵ちゃん緊張しているよ?」


 葵の隣に座る武士に振る翠。

 武士はドリアを食べながらビクンと身を震わせる。


「熱っ! チーズ熱い……え? 何、翠さん。あ、葵ちゃんが? 葵ちゃん、大丈夫?」

「う、うん。ほら武士、お水」

「あ、ああ、ありがとう……あっ」

「あっ、ごめん!」


 葵に差し出された水を受け取り損ね、武士は盛大に零してしまう。


「ごご、ごめんなさい! すみません、店員さーん」

「……日本を救った英雄……なのに……武ちん……」


 慌てて卓上のピンポンを押す武士に、翠は嘆息した。


 日本を救った英雄たちは、かつて武士が皆と約束した、念願の深夜のファミレスに集まっていた。

 言いだしっぺの武士は舞い上がり、こういった場に慣れていない葵が緊張で固くなっていたが。




 太歳星君システム阻止戦の後。

 大陸に残されたままだったハジメと翠を迎えに行った、武士と葵。そして直也と紅華が帰国した日本で待っていたものは、怒濤の事後処理だった。


 サイバーテロによる、CACC共和国軍のミサイルシステム暴走。

 これが国際社会に発表された、今回の事件のあらましだった。

 事実、CACCのサーバを経由した大規模ハッキングにより一時間程の間、世界中のネットワークが単一の端末から支配されている。

 黄雷槍の能力を使った御堂継の仕業だったが、それを見抜けるものなど極一部を除いて存在しなかった。

 ITに強い国家であるほど、表向きの発表は信用性をもって受け入れられていた。


 あと少しで、地球が滅亡するかもしれなかった危機。

 最も大騒ぎとなったのは、首都の直上で核ミサイルが爆発した日本だった。

 あと少しで何千万人という人命が一瞬で消滅していたのだ。

 鬼島首相は今後しばらくの間、事後処理だけで公務の殆どを費やすこととなるだろう。

 だが今回の一件で、多少のスキャンダルや失態など吹き飛ばすレベルで鬼島政権の支持率は跳ね上がり、その政治基盤は盤石となった。


 何しろ、野党が総力を挙げて反対していた鬼島首相の国防政策の柱、弾道弾ミサイル迎撃システムのおかげで、日本は救われたのだ。

 日本を狙ったミサイルはすべて、J-ABMシステムにより迎撃されたと発表されている。


 そうして鬼島が表の世界の混乱収拾に努める中。

 御堂組は裏の世界の混乱収拾を担当した。

 表の対応で手いっぱいとなった鬼島には、とてもではないが御堂組と事を構える余裕はなくなっていたのだ。

 それどころか、混乱収拾の為には御堂組の力を頼らざるを得ない状況だった。

 そして両者は休戦を約定し、協力体勢へと移行する。

 武士たちも手伝うことが多く、ようやく落ち着きを取り戻してきたタイミングで、深夜のファミレスに集まる事ができたのだ。




「納得いかねーよな。武士の頑張りが全部、鬼島の作ったシステムの手柄になっちまってよ」


 ハジメは大きなグラスの底に残った生クリームをスプーンで掬いながら、愚痴った。


「ハジメ。僕のじゃないよ。僕たちのでしょ?」

「おう。そのとーりだ」


 武士の言葉に、ハジメはニッと笑う。


「仕方ない、だろ。弾道弾ミサイルの、迎撃、なんて。他にどう、言い訳、するの?」


 継は固い肉を噛みきれずに、いつも以上に途切れ途切れのフレーズで話す。


「そりゃそうだけどよ。結局一番得したのは、鬼島じゃねーか。テレビじゃあいつ、英雄扱いだぜ」

「そうでもないよ、御堂」


 直也がハジメの言を否定した。


「どうしてだよ」

「確かに鬼島は、今回の件で劇的に支持率を上げて国内の支持基盤を不動のものにした。これで、奴の目的である国防強化も進めやすくなるだろう」

「だろ? 俺達がミサイル止めた手柄を奴に譲っちまったから、こんな事になったんだ」


 スプーンの先を直也に向けて、口を尖らせるハジメ。


「でも、考えてみなよ御堂。俺たちはその鬼島を、いつでも倒せるんだ」

「あん?」


 ニヤリと笑う直也。


「<真の英雄>が誰か、俺達は知っている。迎撃システムが撃ち漏らした東京を狙った核が、本当は誰によって防がれたのか」

「……僕っ!?」


 直也の視線を受けて、素っ頓狂な声を上げる武士。


「他に誰がいるのよん」


 翠がわしゃわしゃと武士の頭を撫でた。

 直也は笑って、話を続ける。


「柏原さんが言っていたけど、鬼島はJ―ABMに相当の自信があったらしい。だけど、実際は三発のうち一発を撃ち漏らしている。迎撃システムは完璧な存在なんかじゃない。そしてそのデータは、柏原さんがしっかり入手している。もちろん御堂組もね。そうでしょう? 継さん」

「まあね」


 鬼島が支持を得る要因となったシステムが、欠陥のある代物だという証拠を握っているということだ。


「そして、そんなことより。こっちの方がもっと重要だな。九色刃だよ」


 直也が口にしたその単語で、一瞬テーブルの空気が張り詰める。


「結局、鬼島は九色刃をひとつも手に入れることができなかった。それどころか、北狼が管理していた<黄雷槍>まで失っている。よりによって、御堂組の幹部の手に渡ってね」


 直也の視線を受けて、継は頷く。


「まあね。正直、アレはどんな九色刃より、強力な力だった。なんで鬼島が、さっさと北狼の誰かに、契約させなかったのか、わからない」

「慎重だったんだろう。あれは現代社会においては、世界を支配できるに等しい力だ。契約者選びは慎重にならざるえない。鬼島には、黄雷槍を任せられる人間がいなかったんだろうな」


 直也はコーヒーを啜り、また眉を顰めて戻した。


「とにかく。鬼島は九色刃を何一つ手に入れられず、逆に彼と思想を異にする者に力は集まった。もう鬼島は、その者の意向を無視することはできない」

「……また僕っ!?」

「だから他に誰がいるっつーんだよ」


 ハジメはニヤニヤと笑いながら、武士の肩に軽くパンチする。


「すげーな武士。お前、日本の首相を牽制する立場になっちまったぞ」

「冗談はやめてよハジメ。大体……九色刃の力は、皆に返したでしょう?」


  ***


 武士の身に異変が起こったのは、キヨウとの最後の会話を終えて病室を出てすぐのことだった。

 先に部屋を出ていた紅華と灯太。そして外で待っていた継と直也と合流して、これからの事について相談しようとしていた矢先。

 武士を中心に繋がっていた九色刃の契約者たちの念話リンクが、唐突に途切れた。そして、武士の身から魂の力が流出し始めたのだ。


「武士っ!?」


 異変に最初に気が付いたのは葵だった。

 膝をついた武士が、両腕を抱えて震えていた。


「武士っ、大丈夫か、おい武士! ……葵、どうなってやがる!」

「これ……多分、武士が皆の魂を支えられなくなってる!」


 唯一、武士と葵の間のリンクだけは切れずにいた。

 だから、葵には武士の状況を理解することができていたのだ。


「……九色刃の重複契約が、できなくなってるんだ」


 元朱焔杖の管理者として、魂の力を視ることができた神楽にも、武士の状況を判断できていた。


「このままじゃ、田中武士の魂は崩壊する」

「どうしてだよ!? 武士のおふくろさんが、アーリエルの魂があるから大丈夫なんじゃなかったのかよ!」

「ボクに分かるもんか!」


 動揺するハジメに、灯太は叫んだ。


「ただ、メフィストと戦っている時には視えていた異界の魂。あれはもう、ボクには視えなくなってる」

「はァ!? なんで!」

「だからボクには分からないってば!」

「……アーリエルさんが、消えたの」


 心を繋げていた葵は、アーリエルと武士の最後の会話を聞いていた。


「最後のミサイルを止める為に、アーリエルさんはすべての力を武士に渡して消滅してしまったのよ」

「……んだと……? じゃあ、武士はどうなっちまうんだよ!? このままじゃあ、九色刃の重複契約で武士は!」

「落ち着け御堂、方法はある」


 鋭い声を発したのは直也だった。


「お兄ちゃん……?」

「九龍?」


 その周囲には、黒壊刃の欠片たちが浮いている。


「まだ、黒壊刃による武士との繋がりは切れていない。今ならまだ、『魂を断つ』黒壊刃の力を使えるはずだ。これで武士と他の九色刃の契約を解除する!」


 異変の原因が九色刃の重複契約なら、武士が契約解除すればいいはずだった。


「……やって九龍直也! 武士を助けて!」


 葵が叫ぶ。

 即座に、黒壊刃の欠片たちは、武士の周囲を鋭い軌道を描いて飛翔した。


  ***


「……あの後で九色刃の契約は、全部もとの契約者に戻ったでしょう?」

「そうだ、ね」


 武士の言葉に、翠はケーキを食べていたフォークを置き、自分のお腹を撫でながら答える。


 黒壊刃が断った九色刃と契約者たちとの魂の繋がり。

 驚くべきことに、その繋がりはすべて、元の契約者たちに復元したのだ。


 碧双刃は、翠と体内の胎児様腫瘍に。

 朱焔杖は、紅華と灯太に。

 黒壊刃は、直也と芹香に。

 白霊刃は、キヨウと剛志に。

 黄雷槍に関しては、継との繋がりも断たれ、もとの無契約状態に戻った。

 唯一維持されたのは、命蒼刃の葵と武士の繋がりだけだった。


「あれ、なんでだろうね」

「これは推測だが」


 翠の当然の疑問に、直也が答える。


「やったのは武士、君だな?」

「…………え?」


 全員の注目が、武士に集まる。

 いや、葵だけは黙って目の前のジュースを飲んでいた。


「な、ななな、なんのこと? ぼぼ僕にそんな事、でできるわけが」

「武ちん。演技下手過ぎ」

「おい武士。どういうことだよ」

「待って、待ってよ翠さん、ハジメ。九龍先輩、どうしてそんな事」


 慌てる武士は、直也に問い詰める。

 直也は笑った。


「……勘」

「勘って!?」

「でも武士。さっき君は、『九色刃の力は返した』って言っただろう?」

「あ」

「あの表現は、武士が自分の意志で戻した認識でないと、出てこない言葉だ」


 武士は口をパクパクさせるが、やがて葵以外の視線に耐えられず、観念した。


「あの時は、お騒がせしました……母さんの、アーリエルの力はまだ僕の中にあります。消えたのは『アーリエル』としての存在だけで、魂のエネルギー自体は残ってるんです」


 武士は説明する。

 その気になれば、九色刃の重複契約は維持できたことを。

 しかし、武士にそのつもりはなくなっていた。

 きっかけは、キヨウの命を救おうとした時に征次郎に投げかけられた言葉。


『君は神にでもなったつもりか』


 そして思い出された、アーリエルと武士が同一の存在になっていた時に、アーリエルと呉近強が交わしていた会話。


『神にでも、させるつもりか』

『武士が? 神様? そんな筈ないじゃない。私はただ、この子に自分自身のことはすべて自分が決められるように、そうなってほしいだけよ』


 自分のことを自分で決める。

 その為にしては、武士が手にしてしまった力は過剰だった。

 だから、武士は決意した。

 アーリエルの力を眠らせることを。


「……決めた途端に、いきなりあんな状態になっちゃうのは予想できなかったけど。あの時は心配かけてごめんなさい」

「いや……それは良いけどよ」


 頭を下げる武士に、ハジメが改めて問う。


「武士がわざと重複契約できない状態になったのは、わかったけどよ。それでどうやって、九色刃を元の契約に戻せたんだ?」

「うん。……九龍先輩と同じことができたんだ」

「俺と同じこと?」


 武士の言葉を受けて、直也は反問する。


「先輩、メフィストに憑りつかれて魔術を使ったから、魂の力の使い方を覚えることができたって言ってましたよね?」

「ああ」

「僕も母さんのお蔭で、なんとなく魂の力の使い方がわかったんです。それぞれの九色刃には、血によって元の魂が強く記憶されてた。ほんの少し流れを操作するだけで、九色刃の契約を元の形に戻せたんです」


 淡々と語る武士だったが、それがどれだけ異常なことか。

九色刃の契約は絶対普遍でどうにもならない。かつてそう苦悩していた彼らには、痛い程に分かっていた。


「なんつーかお前ら。ビックリ人間博覧会、ギネス級の超人類だな」


 ハジメは呆れかえって、ソファの背もたれに身を預けた。


「うーん……否定したいけど。でもそれ、僕の場合は母さんのせいだから。僕が悪いんじゃないからね」

「べつに、お前が悪いなんて言ってねーよ」


 ハジメは笑う。

 そして、葵も薄く微笑みを浮かべていた。


『母さんのせいだから』。親のいる子どもとしては、ありふれた台詞。

 武士が何の気なしに話した言葉遣いに、葵は安堵していた。


「まあでも、元通りは良かったねん。紅華なんか、灯太とまた繋がれたって狂喜乱舞してたよ。……思い出した。灯太、あの浮気者めー」

「ああ、紅華と灯太。一緒に行っちまったな」


 翠に関しては、契約が元に戻ったことへの想いは複雑だろう。

 ハジメはそれが分かったからこそ、別の話題に振った翠に乗っかった。


「結局あいつら、どこ行ったんだ? 今日も誘ったんだろ? 武士」

「もちろんだよ。だけど紅華さん、『私は刃朗衆になった訳ではない』って言って。そんなの関係ないよって言ったんだけど……」


 落ち込む武士に、まあまあと翠が肩を叩く。


「焦らなくていいよ武ちん。灯太が言ってた。『姉貴はだいぶデレてきてるから、後は時間の問題だ』だって」

「デレる……の? 紅華さんが?」


 想像できない武士は、首を捻った。


「紅華は、あえて俺達と距離をとっているんだろう」


 少し厳しいトーンで、直也が口を開いた。


「呉近強が失踪し、麒麟は解体したも同然だ。紅華と灯太は組織に敵対したわけだが、追手を掛けられる心配はなくなった。だけどそれは、CACCと関わりがなくなったわけじゃない」


 トントンと、直也は指でテーブルを叩く。


「灯太はともかく、紅華は日本とCACCの間でまだ揺れている。気持ちが定まるまでは、片方に肩入れしたくないんじゃないかな」

「紅華がまた、敵対するかもしれないってことかよ」


 ハジメの目つきが鋭くなる。


「それはないんじゃないかな……」


 ボソリと呟いたのは、これまで静かにしていた芹香だった。


「灯太クンは、絶対に紅華さんにそんなことさせないと思う。けど灯太クンは、複雑なお姉ちゃんの気持ちも大事にしたいんだよ。だから、見守っててあげよう?」


 芹香の言葉に、テーブルがしんとなった。


「あ、あれ? 私、何か変なコト言った?」

「……芹香が、空気を読んだ……だと?」


 ハジメがわざとらしく、カランとスプーンを落とす。


「ちょっとハジメ君! それどういう意味!?」


 憤慨する芹香に、一同は大いに笑う。


「――ていうか、なんか違うこれ! 確かにみんな大事な話だけど! 灯太君と紅華さんも心配だけど! ねえ武士君。武士君がイメージしてたファミレスでおしゃべりって、もっと違う感じだよね!?」


 憤慨した勢いのまま話を振られ、武士は慌てる。


「え、あ、それは」

「麒麟がどうとか、CACCがどうとか、九色刃がどうとか、敵だ味方だって、もうお腹いっぱいだよ! もっと高校生らしい話をしようよ!」

「僕は、高校生じゃ、ない」

「あたしもー」

「そこうるさい」


 継と翠のツッコミを封殺する芹香。


「もっとこう……恋バナ、そうだ恋バナしよう! ……御堂ハジメ!」

「ういひ!?」


 ビシィっと指を突きつけられ、妙な声を上げるハジメ。

 途端にマンガのように、脂汗をダラダラとかきはじめる。


「説明してもらおうじゃないの。いつ! どこで! いつの間に! 翠さんと!」

「な、なん、なんのことだ芹香、おお俺は何も、翠とは何も」


 泡を食うという表現はまさに今のハジメの為にあった。

 あわあわと誤魔化そうとして何も誤魔化せていないハジメに、


「何も? 何も何かな?」


 と、追い打ちをかけたのは当の翠だ。


「み、翠……?」

「あたしとハジメは何も、何かな?」


 しっとりとした上目づかいで、色っぽくハジメを見つめる翠。

 回りは「おおー」と感嘆と冷やかしの声を上げる。


「あたしのあられもない姿をマジマジと見たくせに」

「ええええええ!?」

「はあああああ!?」

「うそおおおお!?」


 しなを作って爆弾発言をする翠。

 感嘆と冷やかしの声は、即座に驚愕と錯乱の声に変わった。


「は、ハハハハジメ? まさか、まさか、君まさか」

「ハジメ君、ダメ、それは、ダメ、私たちまだ高校生、あれ? でも結婚って女子は十六から? でもハジメ君はまだダメだよね?」

「翠姉……嘘でしょ、翠姉が……(私より先に)」


 武士は驚愕、芹香は錯乱。

 何故か葵は、精神に深いダメージを負っていた。

 (私より先に)と最後に小さく呟いた声を武士は拾ってしまっていたが、その言葉の意味を認識してしまっては絶対にダメだと、思考を放棄する。


「ちょ、ちょちょちょ待て、あれは、翠、あれは、お前、ふ不可抗力というか」

「見苦しいぞ御堂。男なら責任を取れ」

「黙れ九龍! テメエ面に出ろ!」

「……ハジメ、もしかして、あの時、そうか、あの時にか、……不潔」

「兄貴!!??」


 ニヤニヤと冷やかす直也に銃を抜きかねない勢いで怒鳴り、そして妙に納得した後に何故か葵と同レベルで凹む継に困惑する、ハジメ。


「忘れちゃったの? ハジメ」

「み、みみ翠! お前、どっちの味方だ!?」

「あたし? あたしはいつでも、あたしの味方。つれなくされると、いじけるなー。あーあ。そんな冷たくするなら、神楽君のとこ行っちゃおうかなー」

「……神楽?」


 朱焔杖の力を暴走させ、メフィストと自爆しようとした神楽。

 その神楽を、翠は身を挺して庇った。

 その後からだ。生意気な神道使いの少年が翠を姉と呼び、懐いていたのは。

 それはすべて、過去の愛情不足による反動。

 灯太が奇しくも得られていた他者からの親愛の情を、神楽は得る事がなかった。だから、少年は己の能力以外に自己肯定をする手段がなかったのだ。

 周囲もそれが分かっていたから、神楽が自分を認め受け入れてくれた翠に懐くことを、ことさら冷やかしたりしなかった。

 翠の方も、自分の境遇と共通点の多い神楽のことを受け入れていたから。


 神楽は今、鬼島の指示もあり出雲に戻っている。

 また東京に帰ってくると、翠に言い残して。


「……い、行きたかったら、行けばいいだろ。俺はべつに」

「え、ハジメ君。妬いてるの? 神楽君に妬いてるの? あの子可愛いもんね!」

「……芹香、テメエ……」

「そうそう。黙ってたら顔は灯太と同じだもんね!」


 キャアキャアと、芹香と翠が嬌声を上げる。


「成長したら、絶対イケメンになるよあの子たち」

「そうだね。少なくとも御堂組のダブルイーグルよりはね!」

「……翠姉」


 騒ぐ翠たちに、ボソリと葵が呟く。


「ハジメ、泣いてる」

「うっせえ。ほっとけ。遊んでるだけなんだろお前ら。……てか葵。お前らはどうなんだよ?」

「……私?」


 翠と芹香はピタリと騒ぐのを止めて、葵に注目する。


「どうなんだって、なにが?」

「何がって決まってんだろ。武士とだよ」

「……!」

「ハジメ、何言ってるの?」

「俺だけ玩具にされてたまるか、武士も道連れだ」


 武士に向かってハジメは舌を出す。


「道連れってどういうこと? ハジメ達と違って、僕と葵ちゃんは何もないよ?」

「またまた」

「文字通り心が一つになった二人じゃん! 葵ちゃん、そろそろ照れてないであたしにも報告してよん。どーなったのよ二人は!」

「……翠姉……」


 ニヤニヤ顔のハジメと翠に迫られる武士と葵。

 しかし当の武士は、ポカンとしていて本当に意味が分かっていない。

 そして葵の方は、なにやら深刻そうな顔をしていた。


「……武士君」


 神妙な声を出したのは芹香だった。

 芹香は空気が読めない(読まない)。しかし、恋愛事情に関してはその限りではなかった。

 なにしろ正真正銘、普通の花の女子高生。

目の前に揃っている異常な友人たちではない、普通の学校の友達たちとの話題の中心は、いつだって恋バナだったのだ。


「何? 芹香ちゃん」

「咽喉が乾いたの」

「へっ?」

「カフェオレ飽きたの。ドリンクバーで作ってきてくれないかな」

「う、うん……べつにいいけど」

「炭酸とアイスティーとミルクを3対4対1ね。正確に測ってね」

「えええ?」


 細かいオーダーに武士は混乱する。

 芹香の意図を察した翠が手を挙げた。


「あ、武ちんあたしも! あたしはオレンジジュースのカルピスソーダ割り! あ、仕上げにメロンソーダも混ぜてね。5対4対1だよ!」

「ああ、それは俺も貰おうか」


 何故か直也も乗っかった。

 武士はしぶしぶ頷いて席を立つ。


「……なんだよ、もう……」


 ブツブツと武士がテーブルを離れた後。

 葵に向かって、芹香と翠が激しく詰め寄った。


「どういうこと葵さん!?」

「葵ちゃん、武ちんと心が繋がってるんだよね?」


 葵は悲壮な表情を浮かべている。


「……念話のリンクはね、武士と話して、普通の時には止めようって話になったの。そんなのは不自然だから」

「ま、そりゃそうだわな。年頃の男子高校生がいつも女に心を読まれてたら堪んねーよな」

「あんたと一緒にしないでエロハジメ」

「エッ……エロッ……!?」


 翠の無慈悲な一撃を喰らい、沈黙するハジメ。


「でもでも葵さん、その前は繋がってたんだよね? そりゃあ、戦ってた時とかミサイルの時とかはそんな余裕なかったと思うけどさ、その他のときは」

「そうだよ葵ちゃん! ダムに落ちて武ちんとリンクした時、葵ちゃんは武ちんの過去とか全部分かったんだよね? 武ちんの方も、葵ちゃんの体術を覚えちゃうくらいにシンクロしたんでしょ?」

「う、うん……」


 怒濤の芹香・翠コンビの追及に葵は頷く。


「だったら! お互いの気持ちは通じ合って!」

「もうラブラブなんでしょ、二人は!?」

「……………………………」


 葵は沈黙する。


「武士が一つ目のドリンクを作り終えた。時間はあまりない」


 直也がドリンクバーの武士の様子を見て、冷静に報告した。


「何のミッション? これ」


 継は呆れて呟く。


「葵さん!」


 芹香が促すと、葵は決心して口を開いた。


「……武士は私のこと、すごくすごく、想ってくれてる。大事に考えてくれてる。これからもずっと一緒にいて、楽しい人生を取り戻させたいって考えてくれてる」

「うんうん」

「そうだよね。そうだよね」

「ノロケかよ。ごちそうさまーって痛え!」


 翠の無慈悲な一撃を喰らい、沈黙するハジメ。


「……それだけ、なの」

「へっ?」

「それだけ……って?」


 葵の言わんとすることが分からない、翠と芹香。


「だから武士の想いは、それだけなの。私が大事。私を守りたい。僕が守るんだーって。すごく嬉しい。胸が張り裂けそうなくらい嬉しい。でも武士、そこから先はないの」

「そこから先って……」

「つまり……」


 翠と芹香は顔を見合わせる。


「……恋愛感情を」

「自覚してないってこと……?」


 葵は恥ずかしさに真っ赤になって、両掌で顔を押さえテーブルに突っ伏した。

 そして、そのままの状態で声を出す。


「私だって……私だって分からないよ! 男の人を好きになったのなんて初めてなんだから! だけど、武士は……少なくとも武士は、私と『そういうこと』になりたいなんて、一度も考えたことない……と思う……!」


「武士君……」

「武ちん……」

「……小学生か、アイツは」


 想定外の武士の感情に、芹香と翠とハジメは絶句した。


「武士が二つ目のドリンクを作り終えた。あと一つ」

「だから、なんのカウントダウン? それ」


 直也は冷静に状況を報告する。

継は我関せずだった。


「武士は……武士は優しいんだよ。武士は芹香のことだってすごく心配してた」

「えっ、私っ?」


 葵の口から唐突に自分の名前が出て、芹香は目を丸くする。


「黒壊刃の管理者に戻してしまって。これから先、芹香は自分と同じように裏の世界に足を踏み入れてしまうんじゃないかって」

「武士君……」

「そんなことは俺がさせない。心配無用だと武士に伝えてくれ」


 真顔で応じる直也。

 翠は頭を押さえてため息をついた。


「今大事なのそこじゃない。九龍ちゃんも少し黙ってて」

「了解した」


 直也は素直に口を閉ざす。


「葵ちゃん、可哀想に……。武ちんはハジメ以上の朴念仁だったのねん」

「なんでいちいち俺を引き合いに出すんだよ」

「否定できるの?」


 そこへ武士が帰ってきた。


「なに? なんで僕を仲間外れにして盛り上がってるの? って……葵ちゃん?」


 テーブルに突っ伏している葵に驚いて、武士は慌ててドリンクを乗せたトレイを置き、横に座る。


「葵ちゃんどうしたの? 大丈夫? ……ハジメ、何があったの!?」

「何がって、お前」


 どう説明したらいいか、ハジメは困惑する。

 翠がため息をついて、口を開いた。


「……ねえ、武ちん」

「翠さん、葵ちゃん急にどうしちゃったの?」

「自分の胸に手を当てて考えてみなさい」

「へ? ……ああ、念話を使えってこと?」

「バカ武ちん!」


 武士にとっては不条理な叱責を受けて、彼はますます混乱する。


「……平和、だ……」


 継はボソリと呟き、武士が持って来たジュースを取ってズズズと飲んだ。


  ***


 空が白んできた。

 朝の四時を過ぎ、始発が動き出した時間。

 少年少女たちは会計を済ませ、ファミレスを出る。

 渋谷もこんな早朝では、人も少なくまばらだ。

 武士は数か月前、この街を突然いなくなった葵を探して駆け回ったことが、何年も前の事のように感じられた。

 念願の朝までファミレスを叶えられ。夢のようだった。

 とはいえ後半、葵の様子が普通じゃなかったことが気がかりだ。


「葵ちゃん、本当に大丈夫? 具合悪いんじゃないの?」

「大丈夫。心配かけてごめんね。……ねえ武士」

「なに?」

「……しばらくの間、本当に、念話は使わないでね?」

「え? うん、もちろんだよ。絶対に使わないから安心してね」


 年頃の女の子が、男に心の中を覗かれるのは堪ったものではないだろう。

 武士は葵の言葉を文字通りに受け取り、葵を安心させるために『絶対に』と強調して頷いた。

 後ろで翠と芹香が深いため息を吐いたことにも気が付かないで。


「武士、葵さん、それに芹香。この後、少し付き合ってくれないか?」


 そう声をかけたのは直也だった。


「お兄ちゃん?」

「先輩? いいですけど……どこにですか?」

「学校だよ。暁学園。少し話があるんだ」


 直也の言葉に、ハジメが眉を顰める。


「なんだよ九龍、話があるならさっきすればよかったじゃねーか。それとも、俺達の前じゃ話せねーような内容なのか」

「ハジメ。あんたそれもう反射なの?」


 直也につっかかるハジメを、翠はどうどうと落ち着かせる。


「今更、九龍ちゃんが武ちん達をどうこうする理由ないっしょ?」

「そんなんわかんねーだろ。コイツには前科があるんだぞ」

「ハジメ君、それはメフィストが……」


 ハジメの辛辣な言葉に、芹香が兄を守ろうと反論しかける。

 しかし、当の直也が芹香の肩を押さえて止めた。


「芹香、いいんだ。御堂の言う通りだ。悪魔に操られたなんて言い訳にならない。俺が武士を疎ましく思っていたのは事実で、そこをメフィストにつけ込まれたんだから」

「でもお兄ちゃん」

「だから……少しだけ、武士を借りたいんだよ、御堂」

「は?」


 直也は真剣な表情で、ハジメを見る。


「決着をつけたいんだ、俺は。自分のこの気持ちに」

「九龍お前……決着って、どういう」

「ハジメ」


 真意を問いただそうとしたハジメを制止したのは、継だった。


「わかった。ここで、別れよう。武士と葵は、それでいい?」

「はい。葵ちゃんは大丈夫? 眠くない?」

「私は平気だけど……」

「ちょっと待てよ、兄貴」


 話を先に進める継に、ハジメは戸惑う。

 翠がポンポンと、その頭を優しく叩いた。


「ハジメ、大丈夫だよ。武ちん達が心配なのは分かるけどさ。九龍ちゃんは、武ちんと葵ちゃんを一緒に誘ったんだよ。多分この二人、人類最強だよ?」

「まあ、そうかも知れねえけどよ」

「それに、最強のお目付け役がいるじゃん」


 翠は、直也の横に立つダークブロンドの少女に視線を向ける。


「私のことだねっ!」


 快活に笑って、芹香はピースした。


「まかせてよっ! きっとお兄ちゃん、武士君達にゴメンねって謝りたいだけだよ!」

「芹香……」


 相変わらず、男のプライドの機微を読まない芹香らしい発言。

 ハジメは憐みの目で、諦めたように笑っている直也を見た。


「……わーったよ。武士、なんかあったら連絡しろよ」

「大丈夫だよハジメ。先に寝てて。今日は葵ちゃんと御堂のビルに帰るから」


 そして武士と葵、直也と芹香は、始発が動き出した駅へと歩いていった。


「……じゃ、俺達は帰るか。俺もう、眠いよ」

「ああ。ハジメ、僕もちょっと、用事があるから、ここで」


 継はぱっと手を挙げると、スタスタと歩き出す。


「は?」


 御堂組のビルは、ここから徒歩で十数分だ。

 それなのに継は、反対方向へとずんずん歩いていく。


「ちょ、兄貴。こんな時間に用事ってなんだよ」

「……せっかく、歩けるように、なったから、散歩したいだけ。御堂組の仕事も、ようやく少し、落ち着いたから」


 振り向きもせずに話すと、継はハジメと翠を残して一人、去っていった。


「……継君に、悪いコトしちゃったかな」

「え?」

「ハジメ」

「なんだよ翠」


 翠がすっと近づき、自分より背の高いハジメをじっと見上げる。


「もう眠い? 帰る?」

「眠……くは、ねえよ。ああ。眠くねえ」


 にっこりと笑う翠。

 恥ずかしそうに横を向いているハジメの腕に、自分の腕を絡ませた。


「約束、だったねん」

「……翠」

「なに?」

「篠崎翠」

「! ……はい」

「俺は、テメーが好きだ」

「うん。あたしもアンタが好きだよ、御堂ハジメ」


 二人は寄り添い、歩き出した。


  ***


 暁学園。

 まだ午前五時を過ぎたばかりで、学校に人の気配はない。

 守衛に早朝練習だと断り、暁学園の生徒である四人は剣道場へと入った。


「全部、ここから始まったんだな」


 直也は感慨深げに、剣道場を見回す。

 葵はかつて、自分の焦りからこの場所で武士を刺してしまったことを思い出し、表情を暗くした。


「そんな顔しないで、葵ちゃん」


 たとえ念話など使わなくとも、彼女の考えていることは顔を見れば分かる。

 武士は柔らかく笑い、葵に声をかけた。


「葵ちゃんがあの日、ここに来てくれなかったら。僕はあのまま剣道部を辞めていた。あのとき逃げ出していたら、きっと僕はもう何者にもなれなかったと思う。感謝してるんだ葵ちゃん。君に会えて」

「武士……」


 武士の言葉に、葵は胸が熱くなる。


「もう、武士君。そういう事はサラッと言えるのに……」


 ブツブツと呟く芹香だったが、流石に声を大にして文句を言うほど空気を読まないわけではない。

 なにしろ、恋愛沙汰ではちゃんと空気を読む芹香さんなのだ。


「それに。ここが始まりじゃありませんよ、九龍先輩」

「うん?」

「忘れてたでしょう? 僕の父さんが働くビルの屋上で。先輩が僕と柏原さんを助けてくれた日のこと」

「ああ、あれか」

「僕にとってはあの日が始まりです。九龍先輩、あなたに会ったことが、僕の運命を変えたんです」


 武士の言葉に、直也は頷く。


「そうだな、武士。君に会わなければきっと、俺は英雄になっていた。そして葵さんと一緒に実の父親を殺して、悪魔が嘲笑する混乱の世界を齎していたんだろうな」

「お兄ちゃん……」


 芹香に心配されながら自虐的に笑うと、直也は剣道場の片隅に置かれている竹刀立てから、竹刀を二本抜き取った。


「先輩?」


 そのうちの一本を手渡される。

 武士は半ば予想していたものの、直也の意図を確認した。


「どうしても、やらないといけませんか?」

「そんなに身構えないでくれ。剣道の練習だよ、朝練だ」

「防具もつけないで、ですか?」


 その問いには答えず、直也は素振りを始めた。

 ヒュン! と音がして、竹刀は空気を斬り裂く。

 前進面と呼ばれる、基本中の基本であるただの素振り。

 直也がそれを行うと、美しい演武のようにすら見えた。


「……戦いたいんだ、武士。ちゃんと決着をつけたい。誰に操られるわけでもなく、お互いに自分の意志で。力で」


 素振りを続けながら、絞り出すように話す直也。

 ゴクン、と武士は唾を飲み込んだ。


「……ごめんなさい先輩。僕はもう、自分一人の力では戦えないんです」

「命蒼刃の回復の力のことかい? べつに殺し合うわけじゃない。一本取ればそれで終わりだ。それなら不死身は関係ないだろ?」

「違うんです」


 武士は申し訳なさそうに続ける。


「僕の体と魂には、葵ちゃんが修行してきた戦いの技術が刻み込まれてるんです。母さんの……アーリエルの力は封印したとしても、身体能力は葵ちゃんと同じになってしまって、自分の意志でどうにもならないんです」

「構わないよ」


 素振りを止めて、直也は武士にまっすぐに向き直った。


「葵さんとの絆は、武士の意志と覚悟で築いた結果だ。それもお前自身の力だよ。……それに」


 直也は少し間を開けて、続ける。


「俺は勝ちたいわけじゃないんだ」

「えっ?」

「勘違いしないでくれ、負けるつもりじゃない。全力を出す。その為に芹香にも葵さんにも来てもらったんだ。この二人の前で、無様な姿を晒したくはないからね。兄としても、英雄になるはずだった男としても」


 そう言って、直也は笑顔を見せる。


(ああ、なんだ)


 武士は安堵する。


 ————この人は、もう乗り越えていたんだ。

 ————自分の弱さを。犯した罪を。

 ————だからこれは、儀式のようなものなんだ。


 勝ち負けではなく、形式が必要なだけだと武士は理解する。

 武士はすっと竹刀を中段に構えた。


「やりましょう、先輩」

「ありがとう、武士」


 直也も中段に構える。

 剣道場の空気が、引き締まった。


 向き合う二人を見つめて、芹香は息を飲み、拳を握る。

 葵もまた、二人の男を真剣な眼差しで見つめた。

 止めない。

 止めてはいけない。

 見届けなくてはならない。


「ヤァァァァァ!」

「オォォォォォ!」


 先に動いたのは直也。

 小手先の技など使わない。

 真正面からの、神速の面打ち


 パァン!


 斜め後ろに僅かに下がりながら、武士はその一刀を打ち払った。

 かつて反応すらできなかった直也の初太刀を、武士は捌く。

 直也は即座に切り返し、胴を放った。

 竹刀を振りかぶりながら後方に避け、武士は面を打ち下ろす。

 胴を打ち抜いた勢いのまま体を捻り、直也は面を躱した。

 そのまま巧みな脚さばきで、直也は一瞬で武士の背後に回り込む。

 そして再びの神速の面打ち。

 パァン!


 即座に反応した武士は、振り向き様に打ち払った。


 パン! パァン!


 剣道場に、竹刀の打ち合う音と踏み込む足が床を叩く音が響き渡る。


「……葵さん」

「なに?」

「私ね。武士君と会えてよかった」

「……」


 突然の言葉に、葵は思わず武士たちから目を離し、芹香を見てしまう。


「な、な、なにを急に」

「だって。あんな楽しそうなお兄ちゃん、久しぶりに見た」

「楽しそう……?」

「うん。お兄ちゃんにとって、戦うことは全部、私の為だったんだと思う。私の為っていうか、私のせいというか。とんだシスコンとブラコンだよね」

「う、うん……」


 打ち合う男達の姿を見ながら、ダークブロンドの少女と黒髪の少女は静かに語り合う。


「でも今のお兄ちゃんは、心の底から自分の為に戦ってる。……よかった」

「……こんな勝負に意味はない。だけど二人には必要なんだと思う。区切りをつける為に」

「……ねえ、葵さん」

「なに?」

「私たちも勝負しようか」

「はっ?」


 芹香の唐突な申し出に、葵は戸惑った。


「葵さんは、ちゃんと武士君に言ったの? 好きだよって。付き合ってって」

「な、なな、なん……」


 畳み掛けられる芹香の言葉に、葵はさらに混乱する。


「あはは。その調子だと葵ちゃん、言葉では何にも言ってないみたいだね」

「わ、わた、わたしは……」

「心が繋がったって言っても、そういう事はちゃんと口にして伝えた方がいいと思うよ。武士君はきっと、葵ちゃんの気持ち分かってたとしても、自分からは言ってくれないと思うから」

「……なんで芹香が、そんな心配をするの?」

「心配? 心配なんか全然してないよ」

「へ?」


 芹香の答えに、間抜けな声を出す葵。


「ねえ葵ちゃん。どうして葵ちゃんは武士君を好きになったの?」

「え、わ、私は……」

「まあね。あんな風に必死に、自分の命を投げ出して助けようとしてくれたら。誰だって惚れちゃうよね」

「……芹香?」


 男達は打ち合っている。

 少女たちは見つめている。


「でも葵ちゃん。私もね、武士君には助けてもらったんだよ?」

「……っ!」

「私のことも、すごく心配してくれてるんでしょ? 武士君」


 ダークブロンドの少女は薄く笑う。

 その笑みは、戦いの時に笑う直也の顔ととてもよく似ていた。


「芹香、あなた……やっぱり」

「勝負だね、葵さん」


 パァン!


「ヤァァア!」

「オオオ!」


 男たちの竹刀が交差する。

 女たちの想いが交差する。


「……負けないわ。芹香・シュバルツェンベック」

「私もだよ。水原葵さん」


 少年少女たちの戦いはこれからも続いていくのだろう。

 刃と人生が交錯する、まだ何も決まっていない運命の中で。

「現代魔剣のタングラム」、これにて完結です!

長い長いこのお話しに、最後までお付き合い頂きありがとうございました。

心から、深く深く御礼申し上げます。


「カクヨム」さんの方でも、改題して掲載しています。

『KNife / Life』というタイトルです。

もし、「完結したし読み返してみようかな」なんて思って頂ける(涙が出るほどありがたい)方がいらっしゃいましたら、あちらでも是非。

推敲・校正をし直してます。


それでは! これまで本当にありがとうございました!

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