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「指が月をさすとき、愚者は指を見る」

「鬼島、国防軍のスパコン、使わせろ。御堂のだけじゃ、追いつかない」

「好きにしろ。柏原、御堂組にパスを送ってやれ」

「えええ!? しゅ、首相、なんで私が軍のコードを知ってると……」

「私の元を去った後も、何度も侵入していただろう? 時間が惜しい。いいからさっさとしろ」


 継のパソコンの他、北狼が持ち込んだ機材、麒麟のヘリから降ろされた電子戦装備が広げられている。

 ここメフィスト・フェレスとの激戦の跡地は、太歳星君システム攻略の為の最前線と化していた。


 目標は、CACCからあと一時間弱で全世界中の主要都市に向け発射される、核ミサイルを止めること。

 鬼島は移動の時間を惜しみ、この場で携帯電話とノートパソコンで各所に連絡を取り、指示を出している。

 そして、天才ハッカーにして電子戦のスペシャリスト・御堂継を筆頭に、日本国首相鬼島大紀によるトップレベルの情報伝達によって、今や世界各国の最高頭脳が、各地から閉鎖されたCACCの軍サーバへ侵入を試みられていた。


「なんか……あたしらの出る幕、無さそうねん」


 翠は地面に胡坐をかいて座り込み、継や鬼島、征次郎に時沢、麒麟、北狼の生き残りといったメンバーが奔走している様を眺めてぼやいた。


「仕方ねえだろ。相手はCACCの核ミサイルだ。局地戦でしか戦えねえ俺達が何の役に立つよ」


 ハジメもその横で座り込み、今こそが戦場とキーボードを叩いている兄を眺めながら、ボソリと呟く。


「……俺はいつも、兄貴の役に立てねーなあ」

「ハジメ、あんたそれ本気で言ってる?」


 ハジメのいじけた発言に、翠が反応して問いかけた。

 責めるようなニュアンスを察したハジメは、笑ってパタパタと手を振る。


「冗談だって。俺と兄貴は役割分担してるだけだ」

「あ、これまったく冗談じゃないパターンだ」

「……てめえ」

「あはは。わかるっつーの。どんだけの付き合いよ」

「たった数ヶ月だろうが」

「濃いい数ヶ月だったね。だから、分かるよ」


 見透かしたような翠の笑顔に、ハジメは照れくさくなって視線を逸らした。


「かわいいねえ、ハジメ君?」

「バカ、からかうんじゃねえ、こんな時に」

「もうすぐ世界が終るかもしれないって時に?」

「そうだよ」

「だからこそ、言いたい事はちゃんと言っておかないとね?」


 それは、誰が、誰に対しての事なのか。

 翠の言わんとする事を図りかねて、ハジメはその笑顔を見つめ返した。


「……それに」


 翠の目つきが急に鋭くなって、口調が変わる。


「私たちの出番、本当にもう終わったのかな?」

「は? どういう意味だ」


 鋭い視線の先では、二国間のトップクラスの非常会談が険悪な雰囲気で行われていた。




「進捗はどうだ? 鬼島首相。我が国の攻性防壁『長城』を、僅か一時間足らずで突破することなど、不可能だと思うが」

「やってみなければ分からん」


 パソコンを操作しながら、鬼島は呉の忠告を無視する。

 呉自身も自らの端末を操作しながら、食い下がった。


「無駄な事に時間を使うなと言っている。仮にCACCの軍サーバに侵入できたとしても、太歳星君を止めることはできん。システムは起動と同時に物理的にネットから切断され、独立したネットワーク内で動いているのだ」


 手を止めて、鬼島は呉を睨みつける。


「そんな事は分かっている。やろうとしているのは、CACCのABM停止だ」

「ミサイル迎撃システムを……?」

「ホワイトハウスがCACCのミサイル基地先制攻撃を承認した。既に米軍のCPGSがアラスカで発射体勢に入っている」

「CPGS……通常型即応グローバルストライク、米軍が誇る世界中のあらゆる地点を一時間以内に狙い撃てる極超音速兵器か……!」


 呉は唾を飲み込み、拳を握りしめる。

 自らの国の軍事基地を攻撃すると宣言された訳だが、自国を悪魔に操られて世界を滅ぼした主犯にする訳にはいかない。


 しかし。


「……だったら問題はないだろう。流石は米軍、既に我が基地の場所も特定されていた訳だ。極超音速兵器を迎撃できるシステムなど、CACCにはない。米軍とリンクしている日本のレーダー施設も併用すれば、命中精度も問題はあるまい。さっさと撃つがいい」


 呉が吐き捨てた瞬間、鬼島は立ち上がり呉の顔面を殴りつけた。


『呉大人!』


 自らも卓越した兵士である呉近強をして、避けることのできない一撃だった。

 飛鴻が叫び、銃口を鬼島に向ける。


『貴様、いったい何の真似――』

「ふざけるな呉近強! この危機において、自国の覇権をまだ図るか!


 飛鴻を無視して放たれた鬼島の一喝に、呉は視線を逸らした。


「確かに十六の分散されているミサイル基地の殆どは、CPGSの迎撃など不可能だろう。だが少なくとも三ヶ所、米軍も把握できていない発射基地がある筈だ! 貴様ら麒麟のデータベースにすら登録されていない、秘匿された基地だ!」


 作業に没頭していた継が、チラリと視線を呉と鬼島に向けた。

 CACCへのクラッキング目的を、ひそかに鬼島に告げられていたのだ。

 飛鴻に突きつけられた銃口を無視し、鬼島は吠え続ける。


「そしてそこには、極音速兵器の迎撃も可能な、我が国を凌駕する新型防御システムも存在しているはずだ!」

「驚いたな。首相、どうしてそれを……」

「知ることはすべて話すと、そう言った筈だ! 今更謀ることなど無意味だと分からないか!?」

「……その三ヶ所のミサイルが狙っているのは、米国と在沖の米軍基地のみだ。この際、すべての被害を食い止める必要はないだろう。何しろこれは、異世界の悪魔が引き起こしたテロなのだから」


 殴り倒された呉は立ち上がり、そのまま一瞬で銃を抜き突きつけた。

 それは、鬼島をして反応すらできない驚異的なスピードだ。


「……呉近強、貴様」

「鬼島首相。対応がそこまで進んでいると分かれば十分だ。後は米国が太歳星君と刺し違えてくれるだろう。ここであなたが死んだところで、最悪の事態は回避される」


 気づけば、周囲を麒麟の武装兵士に囲まれている。

 今この場で、もっとも人数の多い戦力は麒麟だった。

 北狼はメフィストに使い捨ての兵士として利用され、ほとんどが再起不能にされている。


 呉は不敵に笑う。


「米国主要都市と在日米軍基地は核の炎に包まれ、代償としてCACCもまた軍事基地の大半を先制攻撃により失うことになる。だがそれは、人類が初めて接触した異次元の敵性知的生命体による陰謀だ。CACCの意志ではなかった」

「こんなオカルトじみた話を、国際社会が信じるものか」


 鬼島の反論を、しかし呉は意に介さない。


「証拠ならつい先程、充分に収集している。あの映像記録はインパクトがあるだろう」

「さっきのモンスターどもの映像か? 華那国製のふざけた映画だと笑われるだけだ」

「確かに映像だけではな。だが、実際に他の異世界生命体を捕獲していたらどうだ?」

「なんだと?」


 鬼島の視線の先には、麒麟の戦闘員に囲まれ、銃口を突きつけられて立っている武士がいた。


「……<偽りの英雄>、か」

「その通り。メフィスト・フェレスと同じ世界から生まれ変わったそうだな? 転生など信じられるものではないが、あれだけの異能を目の当たりにしたのだ。こちらで保護し、存分に研究させてもらう」


 実験動物を見る目で、呉は武士を一瞥する。

 武士は、蒼く発光していた髪と瞳は元の色に戻り、霊装も解かれて着替えたツナギ姿で、静かに立っていた。


「僕はアーリエルの生まれ変わりではありませんよ。生まれ変わりは、僕の中にいる母さんの魂です」


 無数の銃口に囲まれながら、彼の物腰は落ち着き、冷静そのものだった。

 武士に銃が突きつけられ、いつもなら即座に暴発しているであろう葵もまた、離れた場所に立って厳しい視線のまま、静かに状況を注視している。


「<偽りの英雄>田中武士君。君はまだ人間のつもりかな?」


 呉が近づき、武士の脳天に銃を突きつけた。


「どういう意味ですか?」

「母親の魂がどうとか、そんな事は問題ではない。重要なのは、君が九色刃も凌駕する超常の力を振るう魔人だということだ。そしてその存在が、メフィストの実在を証明する」


 武士の肩を強く掴んで、呉は顔を近づける。


「君にはCACCに来てもらう。メフィスト事件の重要な証拠品だ。そして麒麟にとっての切り札となる」


 ハァ……


 ため息が漏れた。

 その音は、麒麟がその他の人間ことごとくに銃口を向けている緊迫した現場において、やけに印象的に響き渡る。

 呉には、そのため息が目の前の少年が漏らしたものだと、すぐ認識することができなかった。


「……継さん」

「何?」


 武士の不意の呼びかけに、継はキーボードを叩く手を止めないまま応える。


「調子はどうですか?」

「芳しくない。曲りなりにも、一国の軍事拠点の、ファイアウォール。そう簡単に、破れたら、苦労しない」

「おい、小僧」


 呉を無視して継と話す武士に、飛鴻が声を荒げた。

 肩を乱暴に掴まれるが、武士はなおも無視する。


「核ミサイルの基地の場所って、分かってますか?」

「それは、麒麟のデータにあったから。でも、鬼島も言った、十六ヶ所だけ。米国と日本の米軍基地を狙ってる、秘匿された三ヶ所は、まだ分からない」

「小僧、勝手に話しをするんじゃない」

「だったら、優先して調べて貰えますか?」

「どうして?」


 一瞬だけ手を止めて、継が聞き返す。

 武士は周囲の視線を集めながら、落ち着いた表情で答えた。


「その基地。僕が潰します」


 その一言の意味を解するのに、大人たちはかなりの時間を要した。

 一方で、ああやっぱりなと納得し、既に影ながら動いている存在もある。


「……笑えない冗談だな、<偽りの英雄>」

「それはこちらの台詞です、呉さん。メフィストが嘲笑った愚行を敢えて犯そうというんですか?」


 およそ武士らしくない語彙は、おそらく母親アーリエルの意識も混ざっているからだろう。

 ほのかに瞳の色も青みがかっている。

 その変化を認めた瞬間、呉が動いた。


「そこまでだ、田中武士君」


 銃口を武士にではなく、一人の少女へと向ける。


「……なんの真似ですか?」

「その力を使うことは許さない。君は異能の力を使う際、目と髪の色が変わるな? 次に蒼く色が変わった時には、パートナーの命はない」


 葵に向けた銃口を光らせ、呉は冷徹に言い放った。

 とうの葵は、未だ表情を変えることはない。


「命蒼刃の力で不死身となった君に、端から銃による脅しが通用すると思っていない。だが、管理者が命を落とせば話は変わってくるだろう?」

「それがあなたのやり方ですか? 呉大人」


 非情の脅迫に、反発したのは武士ではなかった。


「灯太か。ご苦労だったな、お前が思い通りに動いてくれたおかげで、事は計画通り進んだよ」

「泳がされていた訳ですね……そんなこと、今はどうでもいい」


 灯太が歩み出て、呉を睨みつける。


「呉大人、人類が結束してメフィストの残した脅威に対応しなくてはならない今、あなたはまだ自分の覇道に拘るんですか?」

「子どもが語りそうな事だな。だが今は論じている暇はない。紅華とともに麒麟に戻りたまえ。それが君達の為でもある」

「ボク達の為? まだ姉貴と俺を道具として使いたい、貴方の為だろう?」

「日本に残りたいなら好きにするがいい。米国の後ろ盾と鬼島大紀を失うことになるこの国に、未来などありはしないがな。……さて」


 呉は麒麟の銃口に囲まれている、鬼島と御堂征次郎に視線を移した。


「鬼島首相、それに御堂征次郎。メフィスト討伐ご苦労だった。最後に予期せぬ事態となったが、米軍が太歳星君の大半を止めてくれるとの事だ。我が国の被害も無視できぬが、メフィストの所業で米国も壊滅するとなれば、差し引きで十分な結果と言えるだろう」

「……そして、この場で我らも消すか?」


 征次郎が問いかける。


「その通りだ。日本の表と裏のトップも消え、私はCACCで九色刃と異世界の力を独占し、盤石の地位を得る。安心するといい、あなた方はメフィストを倒した英雄として、歴史にその名を語り継いで差し上げよう。……まずはあなたからだ、鬼島首相」


 呉は銃口を鬼島に向ける。


「最後に言い残すことはあるかな?」

「言い残すこと? そうだな……貴様の国の諺だ。『指が月をさすとき、愚者は指を見る』。知っているか?」


 それは呉にとって、最大級の愚弄だった。


「……死ね、鬼島大紀」


 ガァン!!


 呉の引き金が引かれ、銃声が木霊し、山々に響き渡った。


「……な……」

「どうした? 呉大人」


 鬼島は傷一つ負っていない。

 その眼前に浮かんでいるのは、呉の銃弾を弾いた一欠片の黒い刃。


『撃――!!』


 ザアアアアアアアア!!


 呉が華那国語で麒麟に発砲を指示する前に、地面から無数の樹木が屹立した。

 麒麟の兵士達の視界は悉く遮られ、包囲網が崩れさる。

 その隙に。

 彼らは、彼女たちは、同時に動いていた。




「ハァッ!!」


 葵の蹴撃が疾風の如き速さで、麒麟兵士の頭部を、鳩尾を、首筋を、次々と捉える。




「くだらねえ男だな、麒麟のトップよぉ!!」


 隻腕の深井隆人が、片腕で構えられた銃ごと兵士達をなぎ倒していく。




「魄破!! ……司令に銃を向ける愚かさを悔やめ!!」


 勾玉の鎖が兵士達に巻き付き、神楽の神道術で打ち倒されていく。




「組長! 継さん! 伏せて下さい!」


 ガン! ガン!

 時沢が征次郎と継を庇いながら、負傷した体で銃を連射する。




「ふんっ!!」


 鬼島が背後に突きつけられていた銃を一瞬で奪い取り、兵士たちを次々と無力化していく。


『おのれ! させるか!!』


 しかし、もっとも警戒されていた鬼島には多くの麒麟兵がついていた。

 背後から華那国語の叫びとともに、小銃が連射される。


 ギンギンギンギンギン!!


 しかし、その雨のような銃弾はことごとく、鬼島を捉えることなく弾かれた。

 自由自在に宙を飛び廻る黒曜の刃たちによって。


「礼を言うべきかな、直也」

「無用だ。芹香の目の前でお前に死なれては、あいつがショックを受ける」

「芹香は無事に避難したか?」

「でなければお前を助けになどこないさ」


 直也のつれない言葉に、鬼島はふっと笑った。




 ガンガンガン!!


「残念だよ飛鴻! テメエは見どころある奴だと思ったのによぉ!」


 ハジメのダブルイーグルが火を吹く。


「舐めるな日本人!!」


 飛鴻は驚異的な反射神経で横っ飛びに避け、ハジメに向けて銃を連射する。


「おわっと!?」


 至近距離からの射撃を躱されると思っていなかったハジメは、すんでのところで飛鴻の反撃を避けるが、大きく体勢を崩した。

 その隙に飛鴻は地面を転がり、膝立ちに銃を構えてハジメを正確に捕捉する。


「死ね!」

「甘ぁい!!」


 ゴスロリ衣装の双剣の少女が、屹立した樹木の上から落下し、飛鴻に向けて斬撃を振るう。


 ギィン!


 飛鴻を斬り飛ばす筈の左右からの斬撃は、しかし構えられた銃身によって弾かれた。


「げっ!? これも受けんの?」

「コイツも紅華並みかよ!? 翠ッ!!」

「最強の檜の棒ッ……縦横無尽の刑!!」


 林立している樹木から砲弾の如きスピードで枝が伸び、四方八方から飛鴻を狙う。

 飛鴻はいずれも躱し切るが、即座に伸びてきた枝葉に身体を絡め取られ、身動きを封じられた。


「どうよパワーアップした翠さんの力! 今日は相手がみんな化け物過ぎただけなんだから!」

「相変わらずネーミングセンスねえ!」

「今それカンケーある!?」


 ドヤ顔の翠に、ハジメはズレた感想を叫んだ。


『クッ……化け物どもが! 紅華、この邪魔な木を全て焼き払え!!』


 飛鴻の華那国語をハジメたちは理解できなかったが、『ホンファ』という響きだけは聞き取った翠は、ハジメとの掛け合いを中断して周囲を見回す。


『紅華! ……紅華、どうした何をしている!』


 返事のない紅華に、飛鴻は叫び続けた。



 朱焔杖を手にした紅華の前には、紅葉が立っている。

 紅葉の手には拳銃が握られているが、銃口は下を向いたままだ。

 紅華は牽制され、動きを止めているわけではない。

 自らの意志で、その場を動けずにいた。


「呼んでいるぞ紅華。行かなくてよいのか?」


 紅葉の問いかけに、紅華は短い沈黙の後に口を開く。


「貴女が目の前に居ては、動けないだろう。九色刃相手にナイフ一本であれだけ戦えた貴女だ。銃を手にした今の戦闘力など、想像もつかない」

「私を言い訳にしたいのなら構わないよ。……そうだ、もう一つ言い訳を作ってあげよう」

「何?」


 紅葉は困った顔をしている紅華に向けて、薄く笑う。


「灯太の行動は呉にすべて把握されていた。今更CACCに戻っても、待っているのは依然より更に過酷な生活だろう」

「く……」

「呉と敵対した灯太は日本に残らざるをえまい。とはいえ、戸籍もない子どもがこの国で生きていく為には、刃朗衆や御堂組を頼る他に道はない」

「……貴女は……」

「だが紅華、お前は違う。呉の指示に従って動いてきた。堂々とCACCに帰るといい。灯太の事は私たちに任せろ。葵に翠もいる。『お姉ちゃん』達がいれば灯太も安心だろう」


 わざとらしい、煽るような紅葉の物言いに、紅華は思わず笑った。

 紅葉の真意など、確認する必要もない。


「……卑怯だぞ、刃朗衆」

「ああそうだ。紅華、日本人は狡猾なんだ」


 紅華は朱焔杖を手に、紅葉の横をすり抜けて駆け出した。


『紅葉、どこへ行く!!』


 周囲を取り巻き、状況を見ていた麒麟兵が慌てて銃を向ける。


 ガァン!!


 紅葉の銃が火を吹き、麒麟兵の腕を撃ち抜いた。


「お前達の相手は私だ。灯太を攫ってくれた礼は存分に返してやろう」


 刃朗衆の一員にして、北狼の部隊員にまで潜入してみせた戦闘のプロである紅葉は、麒麟兵を次々と無力化していった。




「してやられたよ。刃朗衆と九色刃の力、私は低く見積もり過ぎていたようだ」

「……そのようですね」


 呉の訥々とした語りに、武士は静かに応じている。

 周囲では激しい戦闘が行われているが、翠が発生させた樹木によって隔離された空間で、武士と呉は一対一で向き合っていた。

 呉は既に銃を降ろしている。

 不死身の武士を相手に、この状況で戦いを挑む無意味さを知っているからだ。


「正直、超常の力を持つ君一人を抑えれば問題ないと考えていた。九龍直也にしても、まさか敵対している父親を守るとは思っていなかった」

「そうですか」


 武士の声のトーンは落ち着いており、かえって百戦錬磨の呉近強の方が浮足立っているように見えた。


「ひとつ聞いていいかな、<偽りの英雄>」

「なんです?」

「この状況で、どうして君は動かなかった? 私が認識している君の性格なら、管理者の少女が人質でなくなれば、その超能力を使って自分一人で我らを無力化してくると思っていたが」

「僕一人なら、きっとそうしたでしょうね」

「どういう意味かな?」


 武士の瞳の色が、髪の色が、静かに黒から蒼へと変化した。


「メフィストの償いは私がする。けれど人間同士の対立は、人間の力で乗り越えなくてはいけない。だから、武士には悪いけれど抑えさせてもらったわ」

「!! ……アーリエル、か」


 呉は異世界生命と話をしていることを確信する。

 それは口調や目と髪の変化だけではない。

 彼が纏う空気が一変したことを、この至近距離で肌で感じたからだ。


「……我が国に来いアーリエル。そうすれば貴女の望む全てをやろう」


 目の前に、未だかつて人類が得た事のない巨大な『力』がある。

 それを手に入れんとする欲望を、持たない人間の方が少ないだろう。

 麒麟の長にしてCACC評議会議員。

 いずれ国のすべてを掌握し、世界に覇を唱えんと野望を抱く呉近強であれば、なおさらだ。


「その体は貴女の息子なのだろう? CACCは、田中武士の安全と裕福な未来を約束しよう。この国に残っても、鬼島大紀や御堂征次郎の道具に成り下がるだけだ」

「そちらに行っても同じことでしょう?」


 呉の誘いを、アーリエルはあっさりと切り捨てた。


「私の望みはたった一つ。息子たちが、自分達の意志と努力で運命を開いていける世界。メフィストが操る運命でもなければ、一握りの権力者が定める運命でも、九色刃が予言する運命でもない」

「それがこの国で叶うのか?」


 呉は大きく手を広げ、説得を続ける。


「白霊刃と刃朗衆は健在だ。メフィストによる妨害が無くなった今、白霊刃の絶対の予知能力を用い、刃朗衆と御堂組は貴女の息子を手駒として利用し続けるだろう」

「そうでしょうね」

「ならば!」

「だからと言って、それが日本を離れる理由にはならない。この子は、武士は決めている。血塗れの予言に絡め取られて、逃れることができなくなった少女を助けることを」


 アーリエルは胸に手を当て、息子の心に思いを致す。


「九色刃にこの子と彼女たちが翻弄されるというのなら……この子が、九色刃を統べる者になればいい」

「九色刃を統べる、だと? それは……」


 不死の体に、未来の予知。

 炎を操り、植物を支配する。

 そのような力を独占するなど、それはつまり。


「神にでも、させるつもりか」


 思わぬ呉の言葉に、アーリエルは小さく噴き出した。


「武士が? 神様? そんな筈ないじゃない。私はただ、この子に自分自身のことはすべて自分が決められるように、そうなってほしいだけよ」

「わかっていないようだな、異世界の精霊よ」


 アーリエルの言葉を、今度は呉が嗤った。


「……すべて思い通りになどならないこの世界では、そのような存在を神と呼ぶのだ」


 呉は銃を持った方とは反対の手をすっと上げる。

 その腕には、紫色に輝く腕輪がひとつ、嵌められていた。

 細かい意匠が施されたその腕には、外側に向けて極小の刃が突き出している。


「? それは……!……まさか!」

「紫界刃転輪という。切り札は、最後まで取っておくものだよ……飛鴻!」




「はぁっ!?」

「なんだ!? どういうことだ!!」


 翠とハジメが、ありえない現象に驚きの声を上げる。

 目の前で、大樹の枝に絡め取られていた飛鴻の姿が突如、消失したのだ。


「消えた……? おい翠、これお前の力か?」

「そんなはずないでしょ!?」

「翠姉!!」


 動揺している二人の元に、麒麟の部隊員をほとんど片づけた葵が駆け寄ってきた。


「葵ちゃん」

「翠姉! すぐにこの樹を戻して! 武士が、呉近強に!!」

「どういうこと?」

「いいから早く!」


 武士とリンクしていた葵の要請に、翠は慌てて応え、屹立させていた大樹をすべて地に帰した。


 視界が開け、葵がキッと睨んだ視線の先には、三人の男が立っている。


 一人は青い髪を輝かせ、霊波の風を纏っている武士。

 相対するように立っている二人の男は、呉近強と飛鴻だ。


 呉と飛鴻の周囲には、紫色の光が陽炎のように揺らぎ、二人の姿をおぼろげにしていた。


「く……あなたは!!」


 想像もしていなかった事態に、武士が叫ぶ。

 呉は腕を高く掲げると、腕輪の刃を回転させた。

 紫の陽炎は、揺らぎながら武士を取り込もうと迫ってくる。

 しかし、武士を中心に巻き起こっている蒼い風がそれを拒んだ。


「やはりダメか。白霊刃の量子サーチをも遮断する紫界輪転刃ならば、或いはと思ったのだがな」

『呉大人。<偽りの英雄>の魂の力はもはや人を超えています。いくらやっても、無駄でしょう』


 呉の独白に、飛鴻は華那国語で応じる。

 そこに、開けた視界に突然湧き上った紫色の陽炎を見て、時沢に支えられた征次郎が近づいてきた。


「呉よ! 貴様その力、九色刃か!?」

「無論だ、御堂征次郎。<命蒼刃>、<碧双刃>、<朱焔杖>、<白霊刃>、<藍染ノ刃>改め<黒壊刃>。そして貴様の孫が持っている未契約の<黄雷槍>。合わせても六色だ。残り三色、その内の一つ程度、手に入れられないでどうする?」


 陽炎に包まれている呉が、悠然とした表情で応える。

 対して征次郎は愕然としていた。


「バカな……紫、だと……」

「ジジイ! 奴のあれはなんだ!? 本当に九色刃なのか?」


 駆け寄ってきたハジメが、言葉遣いを気に掛ける余裕もなく問い質す。

 征次郎は頷いた。


「間違いない。<紫界刃転輪>。転移能力を持つ九色刃だ。既に契約もされておる……あの男が、管理者か」


 呉の傍に控える飛鴻を見て、征次郎は呟く。


「転移能力? テレポートってことかよ……」


 信じられない思いのハジメだが、目の前で飛鴻が転移したのを目の当たりにしており、その力は既に証明されている。


「我が隊は全滅か……。見事だ、日本人たちよ」


 呉は周囲を見回し、素直に賞賛した。

 今、呉と飛鴻は武士を含む刃朗衆、御堂組、鬼島と北狼部隊の生き残りに囲まれている。

 ここから状勢の逆転は不可能だと、呉は判断した。


「……御堂継君。『長城』は突破できそうかい?」


 一人離れた場所で、パソコンを叩き続けている継に向かって呉は叫んだが、継はこちらを一瞥することもなく、無視して作業を続けている。


「……まあ頑張りたまえ。我らはここで失礼しよう。来い、紅華」


 呉は包囲網の中で灯太の横に立つ、紅華に向かって呼びかけた。

 紅華は口を真一文字に結んだまま、答えない。


「何をしている紅華。お前の生きる場所は、この国にはない。灯太は置いて行くことになるが、九色刃の契約を解除する方法がない以上、お前が朱焔杖を使い続ける事に問題はないだろう」

「……呉大人。一つ、聞かせて下さい」


 短い沈黙の後、紅華は口を開く。


「貴方にとって、私はなんですか?」

「……決まっている。麒麟の優秀な兵士だ。私とともに、憎いこの国を倒すのだろう? お前の恨みはまだ果たされていないはずだ」


 呉の答えを聞き、また短い沈黙の後で紅華はゆっくりと首を横に振った。


「……私の怒りは、メフィストと貴方の筋書きに乗せられたものでした。私はもう一度、自分がどうすべきか考えたい。……私が生まれた、この国で」

「私の敵になるということだね?」


 呉の瞳がスッと細くなり、冷徹な視線が紅華を刺す。


「違います! 私は……!」

「もういい、分かった。次に会う時は容赦しない。……いくぞ、飛鴻」

「はい、大人」


 飛鴻が応えると同時に、紫界刃転輪が輝きを増す。


「行かせるな! 武士君! 翠! 九龍!」


 モニターから視線を動かさず手も止めないまま、継が叫んだ。


「太歳星君のミサイル基地、残り三つ、見つけられない! 呉から、聞き出せ!」


 武士の手にした命蒼刃から、蒼光の刃が伸びる。

 翠の手にした碧双刃が、緑の光を輝かせる。

 直也の刀から黒曜の刃が弾け飛ぶ。


「……霊波天刃!!」

「檜の棒!!」

「行け! 黒壊刃!!」


 蒼い烈風と、地から生えた樹木、黒い刃の欠片たちが立て続けに襲い掛かるが、いずれも呉と飛鴻に届くことはない。


「無駄だよ。紫界刃転輪の力は結界ではない。この陽炎は空間を無限に引き延ばした湾曲空間だ、如何に凄まじい力でも、届かなければ意味はない」


 呉は余裕の表情を浮かべたまま、飛鴻とともに姿をゆっくりと消していく。


「待て呉近強! 貴様、これからどうするつもりだ!?」


 黙していた鬼島が叫んだ。


「……麒麟の本部は、これから米国に潰される基地の一つにある。私と麒麟は一時、表舞台から姿を消すことになるだろう」


 陽炎の中から、呉の声だけが響く。


「だが忘れるな。すべての九色刃を手に入れ、異界の力も手にし、この世を制するのは我々だ。それまでせいぜい、無駄な足掻きをするがいい」


 やがて陽炎も完全に消滅し、呉近強と飛鴻の気配は完全に断たれた。




 一同に、重い空気が流れる。

 だが、停滞している余裕はなかった。


「……武士君。あなたにお願いがあります」


 呼びかけたのは、御堂組の白坂。

 ハッキングに集中している継の横に立っている。


「白坂さん? ……いや、キヨウさんですか」


 その口調の違いから、武士は自分に呼びかけているのが白霊刃の管理者だと理解する。

 白坂は頷き、言葉を続けた。


「そうです。田中武士君。そしてアーリエルさん。先程の言葉、信じてよいですか? この世界を滅亡から救わなくてはなりません」

「……はい、勿論です」


 武士も頷き、白坂をまっすぐに見つめた。


「核ミサイルは全部、僕が止めます。キヨウさん、白霊刃の力で僕たちを導いて下さい」


 タイムリミットは、刻一刻と迫っていた。


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