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「九龍覚醒」

「直也さん、直也さーん! 聞こえませんか!? 直也さん!!」


 暗黒の竜巻は、もうニ十分近くは吹き荒れているだろうか。

 周囲には物理的な暴風も起こり、柏原は飛ばされないように巨木にしがみ付いているだけで精いっぱいだ。

 もともと非力な柏原の腕は痺れて感覚を失い、いつ吹き飛ばされてしまってもおかしくない。


「うう……いったい何が起こってるんだ……直也さんはどうなって……」


 芹香を乗せここに来るまでの車中で、直也が異世界の悪魔に憑りつかれているという話を聞いたが、それが御堂征次郎が言った事だと知っても、柏原には俄かに信じられなかった。


 芹香の弓矢が射抜いた直後、直也から巻き起こったこの異様な竜巻を目撃するまでは。


(黒い風なんて……こんなのは、絶対に自然現象じゃありえない……)


 更に、柏原は暴風で吹き飛ばされた芹香が、蒼く輝く翼をはためかせた武士に空中で掬い上げられたのを目撃している。


(武士君に羽根が生えて? 空を飛んで?)


「あああ! もう何がどうなっているんですか!」


 離れた場所では一同の情報共有が行われていたが、一人取り残され(忘れられ)ていた柏原には、状況を理解できるはずもなかった。


 ゴゥン!


 竜巻の中で、黒い稲光が轟く。


(またっ……!!)


 物理的な風は、竜巻から外へと吹き飛ばすように吹いている。

 しかし断続的に風向きは、漆黒の稲妻とともに真逆に変化していた。

 周囲を吸い込むように。


「ひぃいいいいぃぃぃぃ!!」


 なけなしの力で、柏原は巨木を抱きしめる。

 柏原は、竜巻のすぐ近くにあった岩が吸い込まれ、暗黒に触れるや否や粉々に破砕されるのを見ていた。

 あれに吸い込まれたら、一巻の終わりだ。


「だ、誰か助け……」


 ゴガン!


「あひゃあ!?」


 突如、巨木が大きく斜めに傾く。

 下を見ると、巨大な樹の根が引き剥がされるように地面から抜き取られようとしていた。

 このままでは、巨木ごと柏原は竜巻に吸い込まれる。


「ぎゃああああ! や、やめ、た、助け」


 ボゴンッ!!


 とうとう巨木は暴風に煽られ、大地から完全に引き剥がされた。

 柏原は瞬間的に無重力状態を感じ、そして予測される自分の未来に絶望する。


「おかーさーん!!」


 三十路過ぎの男の情けない悲鳴もろとも、暗黒に吸い込まれたと思われたその時。


「霊波天刃!!」


 蒼の閃光が閃き、柏原の横で宙を舞っていた巨木が断ち切られた。

 目を瞑り死を覚悟していた柏原は、訪れると思われた全身粉砕の時がいつまでもやってこない事に気が付き、ゆっくりと瞼を開ける。


「ごめんなさい柏原さん! 忘れてた訳じゃないです! 絶対に忘れてた訳じゃないです!」


 髪、瞳、服、そして翼。すべてを蒼く輝かせた武士が、その超常の力に似つかわしくない罪悪感に満ち満ちた表情で必死に謝罪しながら、柏原を抱えて空を飛んでいた。


 絶対に忘れていた。


  ***


 武士がバリアのように巻き起こした蒼い風で、自然の暴風はシャットアウトされた。


 地面に降ろされた柏原は、状況を理解できずに腰を抜かし、呆然としている。


「柏原さーん! 大丈夫ですか?」


 そこに、芹香が駆け寄ってきた。

 御堂組の4WDである程度近づいてから、徒歩で接近してきていたのだ。

 芹香の横には、葵と翠とハジメ。

 その後ろからは、紅華、神楽、飛鴻が駆けつけている。


 ほかの面子は、もう少し離れた場所で待機していた。

 高齢の征次郎や体が不自由な継など、俊敏に動くことのできない者も多い。

 万一の為の護衛に、紅葉と時沢、白坂が張り付いている。


 鬼島と呉は、更に別の場所で事態を見守っていた。


「せせ、芹香さん……! 無事で良かった! 武士君、これはいったいどういう事です? その姿はいったい」

「ごめんなさい、説明は後で……飛鴻さん」


 武士は麒麟の霊能力者、飛鴻に声を掛ける。


「僕があの中に入ったら、この風のバリアは消えてしまいます。本当に皆はここで大丈夫なんですか? もう少し離れた場所で待っていた方が」

「何度も同じことを言わせるな、<偽りの英雄>」


 飛鴻は相変わらず、淡々とした冷たい口調で応じる。


「あの中に入った貴様が長く無事でいられる保証はない。少しでも近くで、管理者が黒壊刃を受け取る必要がある」

「だけど……」


「心配ない。物理的な風なら朱焔杖の炎盾で防げる」


 飛鴻の代わりに、朱焔杖を持ち上げて紅華が答えた。


「ちょっと熱いのを我慢すれば、倍の強さの暴風になったところで問題ない」

「おいおい大丈夫かよ! 武士が黒壊刃を拾って出てきたら、芹香は俺達と一緒に焼け死んでたとか冗談じゃねーぞ」


 ハジメが騒ぐが紅華は無視する。

 翠に肘で突かれ、ハジメは渋々黙った。


「風の心配はしていません。問題は魔力の竜巻の方です」


 武士は真剣な眼差しで問う。


「僕が九龍先輩の魂が入った黒壊刃の欠片を拾った後で、メフィストが今度は管理者を――芹香ちゃんを襲ってきたらどうなりますか? これだけの魔力、朱焔杖で防げるとは思えません」

「その時はお前の出番だ、神道使い」

「うるさい。そんなこと分かってる」


 飛鴻の言葉に、神楽は忌々しげに吐き捨てた。


「ボクの結界術で耐えてやる。巫婆フーポウの魔力を神威結界で抑えることができるのは、実証済みだ」

「だけど、これだけのエネルギーは……」


 武士の不安を、神楽は鼻で笑う。


「ボクを誰だと思っている? 出雲最強の神道使いだよ」

「でも神楽君。さっきはメフィストの分身一体を相手に、朱焔杖のエネルギーを借りても封じ切ることはできなかったじゃないか。こいつのエネルギーはその十倍以上はあるんだ!」


 葵の感覚を通して、神楽の戦いを武士は見ていた。

 だからこそ、絶対的な力の差を武士は理解している。


「だったらあたしの力も貸すよ、武ちん」


 翠が神楽の肩に手を置いて、言った。


「……翠さん?」

「碧双刃の力もこの子に伝える。どう? できる? 神楽」


 にっこりと笑う翠。

 一瞬驚いた顔をした神楽は、すぐに自信たっぷりに頷いた。


「当然だ。ボクを誰だと思っている」

「……俺の見立てでは、もって数十秒だ」


 飛鴻が冷静に指摘する。


「なんだと? どうしてそんなことが分かるんだ」

「華那国の霊術は、相手の力を測ることに長けている」


 プライドを刺激され喰ってかかる神楽に、落ち着いたトーンを崩さずに飛鴻は答えた。


「朱焔杖と碧双刃の力、お前の霊力とこの土地の神霊力。すべて合わせても、あの膨大な破壊の魔力には一分ともたないだろう。だから……一分以内だ、<偽りの英雄>」


 武士をまっすぐ見据えて、飛鴻は断言する。


「貴様が九龍直也の魂が入った黒壊刃の欠片を手にして、もしあの竜巻がこちらを襲ってきたら。這ってでも一分以内に戻ってこい。でなければ、ここで俺達は全滅する」

「……分かりました」


 口を真一文字に結んで、武士は頷いた。


「武士君」


 芹香が武士の手を取る。


「ごめんなさい、こんなことになって……。私たち兄妹の為に、武士君を危険な目に合わせることに」

「芹香ちゃん違うよ。巻き込んだのは、わたし(ヽヽヽ)達の方」


 武士の瞳が蒼く輝く。


「……武士君?」

「ごめんね。メフィストの魔力に対抗する為には、アーリエル(わたし)がどうしても前に出る必要があるの」


 武士の口調が変わり、雰囲気も女性的な柔らかいものに変化する。


「……まさか、アーリエル、か?」


 ハジメががらりと雰囲気が変わった武士に驚愕し、呟く。


「その通りよハジメ君。たった今は意識のほとんどを武士と変わらせてもらっているわ。武士の母です。いつも息子が世話になっているわね」


 武士、いやアーリエルは深く頭を下げる。


「すべての元凶は、わたしの世界にいた悪魔メフィストよ。こちらの世界に迷惑を掛けて本当にごめんなさい。芹香ちゃんにも……葵ちゃん。あなた達にも」


 これまでずっと黙していた葵に、武士アーリエルは静かに語りかける。


「……アーリエルさん」


 葵は、武士がダムに落ちて覚醒してからずっと、武士と心を繋げてきた。

 だから武士の中にいるアーリエルとも、心を通じている。

 死してなお我が子を案じ、そしてまた、自分がいた世界の悪魔が子どもたちの運命を捻じ曲げてきたことに心を痛めている。そのことを知っている。


「アーリエルさんの――」

「お母さんのせいじゃありませんよ! 悪いのはあの悪魔です」


 芹香が驚異の順応性を示し、謝罪するアーリエルに葵より先に応えた。

 その芹香が放った何気なく放った単語に、三人が猛烈に反応する。


「お母さん!?」

「今、お母さんって言った?」

「……!!」


 ハジメ、翠、そして葵が目を見開いて驚愕する。

 翠があわあわと、葵の腕を掴んで揺すった。


「芹香・シュバルツェンベック……なんて恐ろしい子……葵ちゃん、負けないで!!」

「…………!!!」


「え? え? なに? 翠さん」


 何を言われているのか分からない芹香。


「この子は既成事実を作ろうとしているのよ! 引いちゃダメ葵ちゃん! アーリエルさんを『お母さん』と呼ぶのは、葵ちゃんのはずでしょう!?」

「…………!!!!」

「えええ?? ちょ、ちが、違うよ? 翠さん! 葵さん! 私はそんな意味で言ったんじゃ……」


 泡を食う芹香を、後ろからハジメが冷やかす。


「芹香、卑怯だぞ~。 親を先に狙うとか、お前意外と策士だな?」

「ハジメ君! こんな時にからかわないで!」

「負けないで葵ちゃん! 呼ぶのよ『お母さん』って! ほら早く!」

「…………!!!!!!!!!!!!」


 翠に押し出される形で、葵は芹香と武士の間に割って入った。

 葵は顔を真っ赤にして俯いていたが、まるで戦場に向かう戦士のように、勇壮な面持ちで顔を上げ、正面から武士を見つめた。


「……た、武士のことは、私が必ず守ります。だからお願いします。今は、力を貸して下さい……お母さん」


 翠とハジメがガッツポーズする。


「よっしゃあ!」

「よく言った葵ちゃん!」

「もう! なんなの!?」


 発端となった芹香が訳が分からないと、悲鳴のような声を上げた。


「あははっ……あははははっ……」


 武士は、いやアーリエルは笑った。

 心から笑える時が来るなんて、息子の目の前で死んでしまったあの時から、彼女は考えた事もなかった。

 けれど、今は笑える。

 安心できる。


「武士は……いい仲間を持ったわね」


 ボソリと呟いた一言。

 その言葉を聞いたハジメは、翠は、芹香は、葵は、胸の中に暖かいものを感じる。

 それは誇りだ。


 ォオオオン!!


 武士の髪と瞳が蒼く輝き、蒼光の霊装も輝きを増した。


「じゃあ行ってくる、みんな。必ず九龍先輩を助けてくるから」


 武士《ヽヽ》の力強い言葉に、仲間たちは頷いた。

 葵は祈るように手を組んで、目を閉じる。


「ブースト……!」


 葵の魂の力が、武士に注がれ始める。


「紅華さん、お願いします」

「任せろ……待ちくたびれたぞ」


 武士が風のバリアを解いた直後。


「炎盾!」


 暴風が入り込む間もなく、朱焔杖が紅く輝き半球状の炎のバリアが展開した。


「神道使い、結界の準備だ」

「うるさい、お前が指示出しするんじゃない」


 飛鴻に反発してから、神楽は神職服の懐から右手に呪符を、左手に勾玉の鎖を引き出す。


「行ってこい武士!!」


 ハジメの声を背に武士は駆け出し、暗黒の竜巻に突入していった。


   ***


 ――クソが!

 ――クソが!

 ――クソが!


 ――魔力も碌に扱えない下等生物風情が!

 ――上級悪魔たるメフィスト・フェレスによくも! よくもこんな屈辱を!


 ――一刻も早く肉体を取り戻さなければ!

 ――何年かけて、理想の魂と肉体を育ててきたと思っている!?


 黒曜の刃に封じ込められた憑代の魂を狙って、メフィストは既に十回目を超えた突撃を仕掛ける。

 しかし、結果は同じだった。

 使い手の魂を取り込んだ黒壊刃の欠片を、砕くことは叶わない。


 ――クソがぁぁ!

 ――ファウストの末裔ごときが作った玩具が、なんで壊せない!?

 ――退魔攻性防壁だと!? これではまるで、我を相手にする為に改造されたようなものではないか!!

 ――おのれぇぇぇ! 御堂征次郎ォォ!!


「惨めね、メフィスト・フェレス」


 ――!!

 ――アーリエルゥゥゥゥゥ!!


 悪魔の体内とも呼べる空間に突入してきたその存在は、武士の体に投射される立体映像のように精霊の姿が強く顕現し、蒼く輝く美しい女性の姿をしていた。


「たかが人間と見下した存在に、してやられる気分はどう? この世界で魔術は、確たる存在である物質から放たれて初めて効果的に発動し得る。肉体も持てず荒れ狂うだけのお前は、いくら膨大な魔力総量を持っていたとしてもそれを集束することができない」


 文字通りこの世ならざる美貌をもった精霊が、美しい音色の楽器のような声で告げる。


「この世の人が作り上げた叡智の結晶を破壊することなど、できるはずがないわ」


 その美しさが。声の、風貌の、麗しさが。

 悪魔の癇に障る。ヘドロのような嫉妬を苛烈に煽る。


 ――黙れ黙れ黙れ!!

 ――この玩具は、かつて我が契約した男に戯れに与えてやった技術が伝えられて、造られたものだ!

 ――叡智の結晶だと? バカバカしい

 ――これはこの世界のクソ人間どもが作った、戦争の為の道具だ

 ――互いを殺す為に、醜い共食いをする為に作られた軍事兵器だ!


「その通りよ。お前が言う通り、人は互いに殺し合う愚かな生き物。九色刃もその為に作られた兵器に過ぎないわ。けど、この世界の人間は欲望の為だけに戦う人ばかりじゃない」


 ――はあ?

 ――何を言っている?


「守る為に戦う人がいる。救う為に戦う人がいる。生きる為に戦う人がいる。そうすることでしか、自分の存在を認められない人がいる。九色刃は、そんな人たちの願いが形になったもの。お前のような下種な悪魔に壊せるものじゃないわ」


 ――黙れェ!

 ――ドロドロのグチャグチャの薄汚い人間どもの欲望を、そんな美辞麗句で着飾ってなんになる?

 ――これは我の玩具だ

 ――思い通りにならぬのなら、壊してやるだけのことよ!


「やらせない。これ以上、お前のような薄汚い悪魔がこの世界を弄ぶことは許さないわ」


 ――近寄るなァァァ!!


 暗黒の魔力が、圧倒的な奔流となってアーリエルに襲いかかる。


 ――貴様のような下等精霊に、魔力の集束など必要なものか!

 ――このまま圧し潰してくれるわ!!


「ぐっ……!!」


 ――クカカカカカカカカカ!!

 ――見ろ! 魂ごと砕ける寸前ではないか!!

 ――小賢しい木っ端精霊め!

 ――あの時もそうだった!

 ――ファウストがようやく我が手に堕ちようとした時に、貴様とシルフが余計な真似を!

 

「グレートフィンを喪った悲しみを、私たちはほんの少し和らげてあげただけよ」


 圧倒的な力の差に、霊装を削られダメージを負いながらも、精霊は微笑む。


「その後でグレートフィンが彼を救ったのは、彼女自身の選択。哀れな悪魔。お前は何も分かっていないのね」


 ――黙れェェェ!! 潰れろ! 潰れてしまえェェェェ!!


(母さん――ッ!!)

(武士――ッ!!)


 「えっ……?」


 黒髪の少女の祈りが、霊装を砕かれ今にも滅んでしまいそうだった風精霊に力を与える。

 それは、少年の身を案じる少女の魂の力。


 ――何だ、その光は!!


「……メフィスト。わたしはただの一精霊じゃない。この世界の一人の子どもの母親で、その子を愛する仲間が、わたしに力を貸してくれる」


 破壊の力の奔流に抗い、風精霊は一歩ずつ近づく。

 暗黒の中で一際黒く輝く、黒曜の刃に。


 ――させるかぁぁぁぁ!!


 無数の黒雷が、精霊を穿つ。

 しかし、その歩みは止まらない。


「そうね。九色刃が人類の叡智だとか、この世界を救うとか、そんなことはどうでもいい。もっと話は単純だったのね」


 霊体が傷つき、力が失われても、注ぎ込まれる魂の力が精霊を即座に癒していく。

 風の精霊の歩みは止まらない。


「……大事な息子の友達を返しなさい。このクズ」


 ――グォォォォォ!! ほざくなァァァァ!!!


 悪魔の咆哮を無視して、精霊は目的の黒曜の刃まであと数歩のところまで迫った。


 ――しゃらくさい!!

 ――こうなれば、なんとしてでも!!


 吹きつけるだけだった暗黒の魔力が、無数の塊に集まっていく。

 その殆どは集束に失敗し、霧のように掻き消えていくが、そのうちの幾つかは、蛇のような長細い生物に変化して定着した。


「な……! 膨大な魔力に飽かせて、強引に受肉を!!」


 ――クカカカカカカカカカカ!!!


 二匹の漆黒の大蛇が、風精霊に巻き付きその動きを封じる。


 ――終わりだアーリエル! このまま我の体内で、破壊の魔力を浴び続けて塵になるがいい!


「く……このままじゃ……!」


(母さん! 任せて!!)


「!? 武士!?」


 精霊の意識の底から、少年の声が響く。

 右腕が持ち上がり、暗黒の暴風の中で倒れている青年の向こう、黒く輝く刃の欠片に掌を伸ばす。


 ――カカカカ! 届くものか! 人間如きに!


(九龍先輩! 九龍先輩!!)


 少年は思念で叫ぶ。

 人は、人の力で勝たなくてはならない。

 悪魔に屈することなく、己自身の力で。


(九龍先輩、目を覚まして下さい!! 寝ている場合じゃありません!!)


 ――無駄だ! 無駄だ!

 ――憑代の魂は、完全に刃の内に閉じこもっている!

 ――我の魔力も届かない防壁の中に、人間ごときの思念が届くものか!


(先輩! いいんですか? 芹香ちゃんは僕の母親を『お母さん』って呼びましたよ?)


 その為には、手段を選んではいられない。


(このままだと……芹香ちゃん、僕が貰っちゃいますよ!?)






<ふざけるなぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!>






 ――なァァァァァにィィィィ!?


 黒曜の刃が跳ね飛んだ。

 精霊に向かって凄まじい勢いで飛翔し、首元に突き刺さる寸前で武士の掌に収まった。


 ――バカな! バカな!

 ――こんなことが!?


(やった! どうだメフィスト、先輩のシスコンを舐めるな!)


 武士が考え抜いた、直也に絶対に届くだろう言葉。

 効果は絶大だった。

 しかし。


(……でも先輩。今、僕を殺そうとしてたよね? 首に飛んできたよね!?……悪魔メフィストはもう憑りついてないはずだよね!?)


「武士……友達は選んだ方がいいかもしれないわね」


 母子の魂の会話に、ふと右手に握りしめた黒壊刃の欠片から、ふわりと皮肉げに笑う気配を感じる。


(九龍先輩……?)


 拳を開くと、刃で浅く裂かれた手のひらから流れる血が少し、黒壊刃の欠片に付着している。


(……もしかして)


 ――グァァァァァ!!

 ――許さん! 許さんぞアールエルァァァ!! 人間ェェェン!!

 ――もう二度と、獲物の魂を奪われてなるかァァァァァ!!


「!! まずい!!」


 いまだ精霊の体に巻きついている二匹の大蛇に、更なる魔力が集中する。

 エネルギーの変換効率は著しく低いものの、漆黒の大蛇は徐々に膨れ上がり、融合し、一匹の邪龍への変化していく。


「く……ああっ!!」


(ぐぅ……母さん!!)


 破壊の力が具象化した邪龍は、触れるだけでも存在を消失させるエネルギーを持って、精霊をギリギリと締めつけた。

 そして。


 ――こォなればァァァァ!! 管理者を潰してやるァァァ!!

 ――魂の行き場を無くしてしまえばァァァ!!


 邪龍を顕現させ、残った魔力が別の場所に集まっていく。

 暗黒の竜巻は消失していき、その代わりに現れた最悪の存在は。


  ***


「なんだコイツらはっっ!!」

「決まっているッ! 悪魔メフィストだッッ!!」


 神楽の絶叫に、さすがの飛鴻も叫び声をもって応じる。

 柏原などは声も出せずに腰を抜かして、金魚のように口をパクパクさせるのみだ。


「これが……? こんなのが!? 怪獣映画じゃねえんだぞオイ!!」


 ハジメは銃を構えるが、目の前のそれ(ヽヽ)に通じるはずもないことは、一目瞭然だった。


 暗黒の竜巻の勢いが徐々に減じて、待機していたハジメたちが武士の成功を期待しかけたとき。

 唐突に収束した竜巻の後に存在したのは、とぐろを巻いて蒼い輝きを封じている漆黒の邪龍。

 そしてその横に、邪龍を遥かに上回る巨体を誇る一匹の魔獣。

 それは蝙蝠の翼に鷲の足、毒蛇の尾を持った狼のキメラだった。

 五階建てのビル一棟分はあろうかという巨体を震わせ、咆哮を上げる。


――邪龍ニーズホッグに、魔獣ヴイーヴル! いずれも我そのものである!

――溜めに溜めた多くの魔力を、こんなにも浪費させてくれた報いだ!

――矮小な人間ども! 我が怒りを買ったことを後悔して滅んでゆけ!!


「!! なにこの声っ!!」


 翠が耳を塞いで悲鳴を上げる。

 その悪魔の咆哮は、物理的な音ではなかった。

 直接精神に捻じ込んでくる、不快な思念そのものだ。


「あ……あ……」


 魔獣ヴイーヴルと目が合ってしまった芹香は、身動きひとつ取れなくなってしまう。

 それは、生命の根源に根差す恐怖。

 喰う者と喰われる者。絶対の死を予見させる破滅の権化の姿に、芹香の精神は容易く凍りつき、狂わされる。

 膝が震え、思考が停止した。


 ――見つけたぞ小娘。貴様があの忌まわしい黒い九色刃の管理者だな?


 芹香は失禁寸前になる。


「あ、う……」


 辛うじて僅かに一歩、後ずさることに成功した芹香の足は、何かにぶつかった。


「あ……葵さん?」


 そこには膝をつき目を閉じて、命蒼刃のブーストをかけている葵がいた。

 武士の感覚を通じて、この非現実的な状況を把握しているはずだが、葵は動く気配がない。


「……あ」


 その姿に、芹香の思考は現実に引き戻された。

 魔獣の横で、武士は邪龍ニーズホッグに絞め上げられている。

 ブーストを解けば、潰されてしまうのだろう。


「……!!」


 芹香は跪く葵の上に覆いかぶさるように、彼女を庇う。

 芹香の動きを見て、ようやくハジメたちは魔獣を目撃した非現実感から感覚を引き戻された。


「葵と芹香は動けねえ! 神楽、早く結界を!!」

「分かってる! お姉ちゃん、紅華、打ち合わせ通りにっ……! 魂の力を絞り尽くせ!!」


 仕込みを既に終えている神楽は、想像を絶する敵の顕現に腰が引けつつも、やることは変わらないと気勢を上げる。


「……オッケー……お姉ちゃん張り切っちゃうよ……」

「……わかった……獣風情など、燃やし尽くしてくれる」


 さすがの翠と紅華も、ここまでの人外と戦った経験はない。

 冷や汗をかきながら、心を折られてはここで終わりだと虚勢を張る。


 護符は既に配置している。

 結女に操られている時に設置していた、山々に置いた結界の要は生きている。

 神楽は一同を囲むように勾玉の鎖を敷き、中心に神剣を突き立てた。

 そして右に紅華が、左に翠が立ちそれぞれの九色刃を神剣に交差させる。


 ――臓物をブチ撒けろ!

 ――魂ごと挽き肉になり地獄の餓鬼どもに喰らい尽くされ、永劫に終わらぬ苦しみの中で永遠に我を怖れるがいい!!


 魔獣ヴイーヴルが蝙蝠の翼をはためかせ、空を飛ぶ。

 そして鷲の鉤爪を鈍く光らせ、芹香たちに向けて急降下をかけてきた。


八木早やきはやの十握の剣、此れをもって焔産魂ほむらむすびとなり其を薙ぎ払わんっ……『神威結界』!!」


 勾玉の鎖が回転して宙を舞う。

 赫と碧の輝きが半球状に芹香たちを包み込み、迫る魔獣の爪の前に壁となる!


 ギャギャギャギャギャギャギャギャギャギャギャギャ!!!!


 金属同士が擦れあい削られるような大音響が起こり、結界がスパークを起こした。


「ぐおおお!」

「きゃあああ!」

「くッ……くうう!!」


 神楽と翠、紅華が苦悶の叫びを上げる。

 想像を絶する圧力に、あっという間に神楽が膝をつき、吐血した。


「神楽ッ!!」

「構うなっ! お姉ちゃんもっと力をっ……! 押し負けた瞬間に死ぬぞ!!」


 もともと力を加減する余裕もない。

 この結界強化で神楽の負担がもっとも大きいことは分かっていたことだ。


(お願い……お姉ちゃん!)


 翠は自分の体に眠る姉妹を思いながら、あらん限りの力を振り絞った。


「この化け物がっ!!」


 ガンガンガン!!


 結界の中から、ハジメのデザートイーグルが魔獣ヴイーヴルに向けて火を噴く。

 せめて弱点の可能性のある場所をとハジメが狙った射撃は、魔獣の眼球にすべて着弾する。

 しかし魔獣ヴイーヴルにとっては豆鉄砲と呼ぶにも値しない攻撃のようで、反応らしい反応すらまるで無い。


「ちくしょうがっ!」

「御堂ハジメ!」


 毒づくハジメに、飛鴻が叫びかける。

 背中に背負っていたケースを開けて、取り出したのは折り畳み式の大口径ロングライフル。


「こいつを使え! 奴が実体化したのなら通じるはずだ!」

「今のを見てたか!? 銃が通じる相手かよっ!」

「装填しているのは麒麟製の呪符を織り込んだ霊弾だ! 対メフィスト用に持ってきている!」


 飛鴻は手早くライフルを組み立て、ハジメに差し出した。


「俺は結界強化に回る、貴様はコイツを試せ!」

「っ…了解!!」


 ハジメはライフルを引っ掴むと、こちらも慣れた手つきでボルトハンドルを操作し薬室チャンバーに霊弾を装填。仰向けに倒れ込んで地面に背中をつけ、銃身のブレを抑える。


「くらえ!!」


 ガォン! ガォン! ガォン!


 ――どうした坊主、くすぐるな

 ――もうすぐ仲良くグチャグチャのミンチだ

 ――お前が懸想している女と文字通り一つになれるぞ

 ――楽しみにしているがいい、クカカカカカカカカカッ!!


「まるで効かねえじゃねーか!!」

「弾ならそこに腐る程ある! 文句を言う暇があるなら、銃身が焼け付くまで撃ち続けろ!!」


 飛鴻は顎で背負っていたケースを指しながら、自分は神楽とは異なる様式の呪符を取り出し、結界内の四方に配置する。

 朱雀、白虎、青竜、玄武。四方を司る霊獣の図案が描かれたものだ。


『四道霊縛……妖滅陣!』


 華那国式の結界が作動し、神楽の結界に上乗せされる。


「クソッタレ!! 獣風情が人間様に刃向うんじゃねえ!!」


 ガォン! ガォン! ガォン! ガォン!


 ハジメのライフルが連射される。

 しかし、魔獣ヴイーヴルにとってはいずれも蚊が刺すほどの痛みもない。


 ――クカカカカカカッ!!

 ――心地よい! 心地よいぞ人間ども!

 ――絶望から必死に目を逸らし、無駄な抵抗を続ける貴様ら!

 ――分かっているのだろう?

 ――人間に我は倒せぬ!

 ――頼みの綱の木っ端精霊(アーリエル)は、ほれ、ニーズホッグが戯れておる


 (武士君……!)


 結界内でブースト中の葵を抱きしめ、恐怖に震えている芹香。

 涙目になりながら、邪龍ニーズホッグが巻き付いている蒼い輝きを見つめる。


(青い光が……消えちゃう……このままじゃ……!)


「ぐはっ……!」

「神楽! しっかりしてっ!」


 繰り返される神道使いの少年の吐血に、神楽が悲鳴を上げる。


「何? この化け物っ……遊んでるの!?」


 その気になれば、魔獣ヴイーヴルの鉤爪は一瞬で結界を握りつぶせるのだろう。

 翠は、碧双刃と通じて伝わってくる結界へのプレッシャーが、破壊寸前で弱まる気配を幾度も感じていた。

 弄んでいるのだ。


 ――クカカカカカカカカカカカ

 ――決まっているだろう

 ――すべて、遊びよ

 ――我が快楽の為の戯れよ

 ――貴様が人間が、己の娯楽の為に生き物を殺すのと同じよ!

 ――強者が、弱者を弄び愉悦を得るのは当然であろうが!

 ――クカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカッ

 ――なんだ、そろそろ楽にしてほしいのか?

――ほれ


 バシュゥゥン!


 赫と碧の光が消失し、紅華と翠は九色刃からの手応えを失う。

 神楽の張った神威結界が消滅したのだ。


 「神楽!」


 神道使いの少年が意識を失い、地に倒れる。

 目から、耳から、鼻から、口から、夥しい量の血が流れ出し、誰が見ても瀕死の状況だ。


「神楽! しっかりしなさいアンタ! せっかく……せっかくあたしが! あんたの姉弟に!!」


 翠が少年の体を抱え叫ぶが、神楽の幼い体はピクリとも動かない。


 ――さあ、残っているのは薄い薄い皮一枚だぞ?


「く……!」


 飛鴻が滝のような脂汗を流している。

 ハジメもすでに、弾倉の霊弾を全て撃ちつくしていた。


「クソが……ここまできて……終わりかよ……」


 ――諦めたか?

 ――絶望したか?

 ――クカカ、まあ、それなりに愉しませてもらったぞ

 ――では、そろそろ


 迫る死の気配に、芹香は葵を強く抱きしめる。


(武士君……お兄ちゃん!)






 行き場のない、ダークブロンドの髪の少女の願い。

 祈り。

 魂の力。

 それは、抱きしめた腕から黒髪の少女に伝わる。


 黒髪の少女は、ただただ祈る。

 蒼い刃を通じて、魂を通わせた少年の力になることを。

 己の魂に祈りを込めて、その力を送りこむ。


 精霊の母の力を内に秘めた、蒼髪蒼眼の少年。

 契約の刃によって心を繋いだ少女から、祈りの力を得る。

 しかし。

 それでも。

 その身を縛る邪龍の戒めを解くことは叶わない。

 愛する者たちの危機にどれほど力を振り絞っても。

 絶対的な力の差を、超えることができない。

 少年はそれでも抗おうと、握りしめた拳に力を込める。

 その拳の中には。


 黒曜の刃。

 そのうちに眠る、若き剣士の魂。


(――助けて! お兄ちゃん!)


 彼に、その叫びが聞こえないはずはないのだ。






 ――ん?

 ――なんだ、今更、無駄な足掻きを


 武士の腕が、ギリギリと邪龍ニーズホッグの戒めに抗う。

 ほんの少し束縛が緩むが、身動きができないことに変わりはない。

 しかし。


「……行け」


 ――なに?


「行け、九龍直也。……行けぇぇぇ!!」


 ドシュン!!


 武士の叫びとともに、それ(ヽヽ)は弾丸のように放たれた。


 ――ガッ……!?


「なんだ?」

「え?」

「……お兄ちゃん?」


 ニーズホッグの身体の一点が、突然爆ぜる。

 魔獣を撃ち貫いた黒い欠片は、鋭角な軌道を描き、今度は狼の頭をこめかみから撃ち抜いた。


 ――グギャアアアアア!


 魔獣の悲鳴が轟く中、再び折り返して飛来した黒刃が、今度は蝙蝠の羽根を撃ち抜く。

 蛇の尾を撃ち抜く。

 鷲の足を撃ち抜く。


 ――グウオオ! バカな! バカな! なんだこの力は!?


 魔獣ヴイーヴルは地に落ち、倒れ、巨体を暴れさせる。

 やがて魔獣にダメージを与えた黒曜の刃は、少女の目の前に緩やかに飛来し、目の前の空中に浮かび動きを止めた。


「!……お兄ちゃん!」


 胸を押さえる芹香。

 魂の力が通い合う。

 管理者と使い手。九色刃・黒壊刃を通して契約が為される。


「ひゃっ!」


 魔獣を撃ち抜いた黒壊刃の欠片は、ヒュン! と曲線を描いて飛び、芹香が腰につけたケースを撃ち抜いた。

 零れ落ちた黒壊刃の他の欠片たちが、そのまま後を追うように宙を跳ぶ。


「俺は、いくつも罪を犯した」


 高速で飛び回る黒壊刃の欠片たちは、今度は複雑な軌道を描きながら、四方八方から邪龍ニーズホッグを撃ち抜く。


 ――ガアア! ガアアア!!


「痛ててっ……先輩! 今、僕にも当たりましたよ!」


 ようやく解放された武士は、ニーズホッグごと撃ち抜かれた腕を回復させながら苦情を叫ぶ。


「俺の弱さが、嫉妬心が、独占欲が、多くの人を傷つける結果を招いた」

「って聞いてない……」


 苦痛に喘ぎ暴れまわる魔獣と邪龍の間に立ち、懺悔の言を述べる一人の剣士を、武士は苦笑いを浮かべながら眺める。


「今更、許しを請いはしない。ただ、俺が招いてしまった悪魔を滅ぼそう。……この黒壊刃をもって。芹香の魂とともに」


 キンキンキンキンキンキン……!


 掲げた日本刀・備前長船に、黒壊刃の欠片たちが刀身を覆うように張り付いた。

 鋭い無数の黒曜の刃によって形成された、若き剣士が揮う新たな刀身。

 それぞれ異なる角度で突き出している刃は、敵の肉体と魂をズタズタに斬り裂く斬撃となるであろう、罪人の剣。


「……決着をつけるぞ、メフィスト・フェレス」


 九龍直也が、覚醒した。


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