「それができるのはお前だけだ」
ブーストを解除した葵が、仲間たちに武士が向かった先を指示する。
魔力の集約地点で起こった闇の竜巻に困惑していたハジメたちが、指示された場所で合流したのは、武士の他は意外な人物たちだった。
「武士っ!! 無事だったか!!」
「ハジメ! 葵ちゃん、みんな!!」
「!! 鬼島の隣にどうしてジジ……組長が?」
「あれれ?? 九龍の妹ちんが、なんで来てるのん?」
訝しがるハジメたちに、
「落ち着け、ハジメ、翠。今は、説明している、時間も惜しい」
車椅子の上から継が宥める。
そして、ハジメや翠より更に、どんな顔をしていいか分からず動揺している少年がいた。
「……司令、ボクは……申し訳ありません! ボクは司令を裏切るつもりは……!」
「神楽」
鬼島は、地面に膝をつき額を擦りつける勢いで頭を下げる神道使いの少年に、落ち着いた声で呼びかける。
「は、はい」
「新崎に憑りついていた悪魔は倒したのか」
「はい! ……ここにいる刃朗衆の力は、借りてしまいましたが」
「そうか。紅葉、貴様は刃朗衆の人間だったのか」
鬼島は、神楽の後ろに立っていた零小隊の小隊長だった女兵士に視線を向ける。
「とっくにご存知で、泳がせていただけだったのでは?」
「まさか。この老人の老獪な企てなど、私の知るところではない」
「よく言う」
しれっと答える鬼島に、不機嫌そうな顔で征次郎が応じる。
「だああっ! 腹芸やってる場合じゃないんじゃねーかなあ!?」
ハジメは空気を読まずに叫ぶと、背後の離れた森で轟音を上げて渦巻いている暗黒の竜巻を親指で指した。
「アレはなんだ? 九龍の野郎はどうなってる? メフィストは?」
一同を見回して、今もっとも重要な問題について問い質す。
今この場に集まっている者は、
武士と芹香。
刃朗衆の葵と翠。そして紅葉。
御堂組のハジメと継。そして御堂征次郎と時沢。白坂剛志。
麒麟の紅華。
日本国首相の鬼島に、北狼部隊の日野神楽。
この十三名だ。
それぞれに持っている情報が異なり、この切羽詰まった状況で、短時間での情報共有は困難に思えた。
その時。
「――何者だ!!」
紅華が唐突に振り返り、続けて反応したハジメが銃口を向けた。
「――呉大人! どうしてこちらに!?」
森の中から近づいてきた人影は、部隊員一名のみを随行させた、CACC評議会議員にして地下武装組織<麒麟>のトップ、呉近強だ。
紅華は、敬愛する所属組織のボスの突然の登場に驚き、慌てて膝を付き首を垂れる。
『大人! 申し訳ありません、この度は勝手な行動を……』
『紅華、よく働いてくれた。礼を言おう』
華那国語で詫びる紅華に、呉が淡々と応じたところで、
「待て待て待て! これ以上混乱させんな! テメエ! 麒麟の呉近強だな?」
ハジメが銃口を呉に向けたまま割って入る。
「さっきのヘリで降りてきたのはテメエらか。介入しない筈ねえと思ってたぞ。やっぱりテメエら九色刃が目的で――!!」
ギィン!
叫ぶハジメの背後から、朱焔杖の打突が襲った。
直前で一撃を受け止めたのは、翠の振るった碧双刃。
「御堂ハジメ、大人に不敬な口をきくな。銃を下ろせ」
「紅華テメエ……やっぱそっち側につくのかよ」
「日本人の仲間になった覚えはない」
「ちょちょ、待ちなって紅華! ハジメも冷静になりなさい!」
間に入った翠が必死で取り成す。
「話を聞いてハジメ、僕は麒麟の人たちに助けられ――」
武士も慌てて仲裁に入ろうとしたその時。
「喝!! 浮足立つでないハジメ!!」
征次郎が、老人とは思えない迫力で一喝した。
ビクッとするハジメ。
「……す、すみません、組長」
素直に謝罪すると、ハジメはバツが悪そうに銃を収めた。
「紅華、君もだ。杖を下ろしなさい」
「……是、大人」
呉に日本語で諭され、紅華も素直に朱焔杖を引いた。
それでも張り詰めた空気が緩むことはない。
それぞれの陣営同士、互いを敵として長く警戒し続けてきたのだ。
共通の敵が現れたとはいえ、それだけで容易く協調路線に思考を転換できるものではなかった。
「役者が揃ってもこれでは埒が開かないな。ご老体、よければ私がこの場を進めたいがよろしいか」
鬼島が一歩前に出て、征次郎に声を掛ける。
「鬼島っ! なんでテメエが」
ゴン!
「痛て…… 何すんだ翠」
「単細胞のバカハジメ。黙ってなさい」
碧双刃の柄尻で額を小突かれ、ブツブツと小声で文句を言いながらも、ハジメは押し黙った。
武士は、葵がその横で刺すような視線で鬼島を睨んでいる事に気づく。
(葵ちゃん……)
刃朗衆で予言に従い生きてきた葵にとって、日本国首相・鬼島大紀は人生を賭けて斃すべく追ってきた相手だ。
因縁の相手を目の前にして、今が予言どころの状況ではないことを、頭では理解できても感情がついていかないのだろう。
「各々、それぞれ敵対してきた因縁もあるだろう。しかし今は、日本だけでなくCACCも含め国家を混乱させてきた怨敵を打倒できる希少な機会だ。共通の敵を前にして、ここは共同戦線とさせてもらいたい。……まずは、ウチの馬鹿息子の状況についてだ」
黒壊刃に射抜かれた直也を中心としているであろう黒い竜巻は、収まる気配もなく轟々と唸りを上げ、黒い稲光までも放っていた。
***
さすが政治家としても一流である鬼島大紀は、手短にそれぞれの情報を聞き取り、重要な点だけを簡潔に纏めてみせた。
結果、僅かな時間で全員は現状の共通認識を持つことに成功する。
「しかし、さすがは御堂老。悪辣な企てに関しては、私など足元にも及びませんな」
「……お父さん?」
鬼島は状況をまとめながら、芹香がいつの間にか<黒壊刃>の管理者とさせられていたことを知り、感情を押さえながらもギリッと歯を食いしばり呟く。
芹香は、これまで数える程しかない会ったことのない父が垣間見せた人間らしい感情に、意外な思いを感じた。
「では、たとえ命蒼刃を手に入れていたとしても、重複契約となって、芹香を不死身にすることはできなかったということか」
「お嬢さんには申し訳ないことをした。この御堂征次郎、すべてが片付いた暁には必ず償いをさせてもらおう」
征次郎は深く頭を下げるが、鬼島はすっと視線を逸らした。
「そんなことはいい。他者を犠牲にしているのはお互い様だ。……芹香」
「はっ、はいっ」
名を呼ばれ、まるで教師に当てられた生徒のように背筋を伸ばす芹香。
兄が悪魔に憑りつかれ、祓うために心臓を射抜いてしまった。その兄の安否を気遣うだけで、芹香にはキャパシティオーバーだった。
そこに、かつての鬼島自身や深井に神楽、新崎結女もメフィストに操られていただとか、鬼島も御堂組も麒麟も目的は最初からメフィストだったとか、挙句の果てには武士の母が異世界の精霊の生まれ変わりで、武士はその能力を扱えるだとか、突拍子もない情報がこれでもかともたらされる。
もう芹香の脳みそはフリーズしかかっていた。
更にどんな状況が降って湧いてくるのか。芹香はパニックで叫び声を上げたい衝動を懸命に抑え、鬼島の言葉を待った。
「黒壊刃で、間違いなく直也を射たのだな」
「はい、それは僕も確認しました」
ギリギリの精神状態である芹香を案じ、武士が代わりに答える。
「では契約は為され、直也は黒壊刃の使い手となったはずだ。どうだ芹香、直也の魂を感じることはできるか?」
「えっ? お兄ちゃんの魂? ええと……」
助けを求めるように、芹香は武士の顔を見る。
「心を落ち着けて、芹香ちゃん。目を瞑って、黒壊刃を手に持って気持ちを集中してみて」
「う、うん……」
武士の言葉に頷き、芹香は腰に下げてきた御堂組が用意した特別製のケースから、黒壊刃の欠片の一つを取り出す。
「それが<黒壊刃>?」
「破壊された元<藍染ノ刃>ってやつか。粉々じゃねーか」
翠とハジメが覗き込み、およそこれまで見た九色刃と様相の異なる黒壊刃の感想を漏らす。
「しっ。集中させてあげて」
葵が手を挙げて二人を遮る。
「芹香。刃の先に見えない糸がついているイメージ。そこを辿っていったら、自分じゃない誰かに触られる……そんな感覚があるはず」
「うん……わかった」
同じ九色刃の管理者である葵のアドバイスを受け、芹香は意を決したように目を閉じて、黒壊刃の欠片一つを強く握り込んだ。
掌に刃が食い込み、ポタポタと血が流れ落ちる。
「芹香ちゃ……!」
「武士!」
思わず手が出そうになった武士を、小さいが鋭い声で葵が止める。
祈るように目を閉じて集中する芹香。
十数秒の沈黙が流れる。
「……ダメ。なんにも感じないよ」
はあっと止めていた息を吐き出して、芹香が目を開ける。
「そう……。かなりハッキリ自覚できる感覚のはずだけど」
「では、直也との契約は成っていないということか」
葵の言葉を受けて、鬼島が冷静に尋ねる。
「そんな……じゃあ、私に心臓を射られたお兄ちゃんは」
死んでしまったのではないか。
そんな考えに、芹香の背筋は凍りつく。
「司令、これは推測ですが」
黒い竜巻をずっと注視していた神楽が、鬼島に向き直って発言する。
「言ってみろ、神楽」
「はい。<藍染ノ刃>を改造した<黒壊刃>は、確かに九龍の魂を取り込んだと思われます。けど……おい、奴を射抜いた欠片はまだあの竜巻の中にあるんだろう?」
「……うん。たぶん」
神楽に問われ、現場を目撃していた武士が頷く。
直也の心臓を射抜いた黒壊刃の鏃は、芹香の手元に戻っていない。
そのまま直也の近くに落ちているはずだ。
「通常、魂の力や繋がりに距離は関係ありません。ですが、その間に九色刃の力を阻害する悪魔の魔力が渦巻いているとなれば話は別です」
そこまで話すと、神楽は芹香を指さした。
「おそらく、黒壊刃と九龍直也との<使い手>契約は為されても、それが<管理者>とまだ繋がっていない。黒壊刃に九龍の魂を奪われたメフィストが妨害している。そういう状況だと推測します」
『おそらく、それで間違いないでしょう』
華那国語で口を挟んだのは、呉が連れてきていた麒麟の隊員だ。
「おい、誰だお前。なんて言ったんだ?」
「その通りだ、と言ったんだ。神楽君」
華那国語が分からない神楽が聞き返すと、呉が代わりに答えた。
「紹介が遅れたが、彼は麒麟でもっとも優れた霊能力者だ。おそらく大陸でも五本の指に入るだろう。CACCで朱焔杖の研究もしていたから、彼の判断に間違いはないはずだ。……飛鴻、日本語で話したまえ」
「分かりました、呉大人」
飛鴻と呼ばれた男は、即座に日本語に切り替えて答える。
有能な人物なのだろう。
大陸でも優秀な霊能力者と聞いて、神楽が密かに不愉快そうに男を睨んでいた。
飛鴻は続ける。
「あの黒い竜巻は、この世界でベースとなる肉体を失った巫婆の本体を含んだ魔力の塊でしょう。現世に留まる為に、九龍直也を取り返そうとしています」
「どうしてそんな事がわかる?」
問いかける神楽に、見て分からないのかとでも言いたげに飛鴻は視線を向ける。
「奴の魔力は何度も中心に収束しようとして、果たせずにいる。渦を巻いているのはその為だ。黒壊刃から魂を奪い返せないのだろう。オリジナルの魂が入っていない肉体に憑りついても、待っているのは殭屍化だけだからな」
「……難しいことはいいんです! お兄ちゃんは、お兄ちゃんは生きているんですか!?」
黙って話を聞いていた芹香が、堪えきれずに声を上げた。
「生きている」
飛鴻は即答する。
「死んだ体に憑りついても意味はないはずだ。巫婆が肉体を取り返そうとしているということは、九龍直也は生きているということだ」
一番聞きたかった言葉をようやく聞けた芹香は、気が抜けたようにその場にへたり込んだ。
「安心している暇はないぞ、芹香」
鬼島が芹香の頭にポンと掌を乗せる。
「あの悪魔はまだ直也を狙っている。黒壊刃との契約を完全なものにして、バカ息子の魂を確保しなくてはならん。そういうことだな?」
「その通りだ、鬼島首相」
鬼島の確認に、飛鴻の代わりに呉が頷いた。
鬼島は芹香の手を引いて、立ちあがらせるとハッキリと告げる。
「それができるのは芹香、お前だけだ。やれるな?」
「お父さん……はい!」
強い意志を込めて、芹香は答えた。
「でも、どうやって……?」
しかし気合いの入った返事の直後に、芹香は情けない戸惑いの表情を浮かべる。
「飛鴻」
呉は信頼する部下の名を呼んだ。
飛鴻は自信に満ちた声で応じる。
「はい。九龍直也の魂を取り込んだ黒壊刃の欠片は、巫婆の攻撃から契約者の魂を守る為に、自閉モードに入っていると考えられます。管理者が直接手にすれば、自閉モードは解除され魂は繋がり、完全な契約となる筈です」
CACCで朱焔杖を研究し、九色刃を知り尽くしている飛鴻は断言した。
「あの魔力の竜巻はどうするんだ?」
同じように北狼で九色刃を研究してきた神楽が、飛鴻にお株を奪われ不愉快そうに口を挟む。
「あんな高密度のエネルギー体に、生身の人間が突っ込んだら魂ごとバラバラにされるぞ」
「いや、生身はおろか装甲車で突っ込んだところで結果は同じだろう。この世の物質で、あのエネルギーに耐えられるものは存在しない」
「だったら!」
淡々と答える飛鴻に苛立ち、神楽は声を荒げる。
しかし飛鴻は冷静な口調を変えることはない。
「この世の物質でないものに身を包んでいる男が、この場にいるだろう?」
蒼く輝く異世界の霊装に身を包んだ少年に、一同の視線が集まった。
「……武士君、手伝ってくれる?」
ダークブロンドの少女の懇願に、蒼い髪の少年の答えを予期できないものはいなかった。




