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「黒曜の刃」

 蒼い翼を輝かせながら、地面に膝をつく武士。

 その目の前で、黒い羽根を生やした直也が黒鬼の魔剣(オゥガ・デーゲン)の切っ先を突きつけ、見下ろしていた。


 つい先程のまでの激しい空中戦が嘘のように、二人の間には奇妙な沈黙の帳が降りている。


「……九龍先輩」

「黙れ。勘違いするな」


 先に口を開いたのは武士だったが、即座に直也が制した。

 

「今の俺はメフィスト・フェレスそのものだ。貴様がアーリエルであることと同じようにな」


 直也は徹底して無表情だ。

 武士はなんとかその昏い眼差しの奥に、真なる直也の魂を見出そうとする。

 しかし、どんなに覗き込んでも彼の意志を読み取ることはできない。


「僕は、アーリエル(母さん)じゃない。乗っ取られているわけじゃありませんよ。……先輩と同じです」

「なんだと?」


 だから、言葉で揺さぶる。

 なんとか取り戻さなくてはならないのだ。

 日野神楽と、新崎結女と、同じように。

 九龍直也のこころを、忌まわしい異界の悪魔の手から。


「先輩は、メフィストが新崎結女さんの体に危害を加えた瞬間から、僕への攻撃を止めました。だから僕は、葵ちゃんに力を送ることができたんです」

「……ヒトの体など、俺の魔力でいくらでも回復できる。事実、結女さんは鬼島や御堂に脳天を撃ち抜かれても平気だった。いまさら彼女を庇う理由がどこにある?」

「それは人間の手による危害の場合じゃないんですか?」


 メフィストの魔力は、回復の力を阻害する。

 だとするならば。


「メフィスト自身の魔力で傷つけられれば、新崎さんの体は回復しないんじゃないですか?」


 直也は答えない。

 武士はそのまま言い募った。


「神楽君に斃される直前に、新崎さんに憑いていたメフィストが言ってましたね。『この女の体を諦めれば、結界は敗れる』って。あっちのメフィストが彼女を犠牲にすると決めた瞬間、先輩は戦いを止めた」

「……」


 直也の表情からは、何も読み取ることができない。

 そして、突きつけられた魔剣の切っ先も動かない。


「それに、先輩自身も言っていました。『俺を倒さなければ、分身は何度でも甦る』って。だったらどうして、あちらのメフィストは、甦らないんですか?」

「……」

「甦らせれば、今度こそ新崎さんの体が危ないからでしょう? 先輩は新崎さんを人として助けたいんだ。だから――」


 唐突に、直也が手にした魔剣が黒く輝いた。


「……天蓋を砕く(ツェアシュティーレン)黒き(シュバルツ)破滅の(フェアデルベン)太陽(フェーブス)


 ガォン!!


 分子を崩壊させる黒光の爆発により、武士の全身が爆散し塵と化した。


「……それ以上、ふざけたことを抜かすんじゃない。どうしてこの俺が、たかが人間の女ひとりを助けなければならない」


 一人残される直也。

 その呟きに応えるように、ゴウッ……と蒼い風が吹いた。


「……ちっ」


 風は渦を巻き、その中心に蒼光の粒子が集まり、収束する。


「……芹香ちゃんだって、その『たかが人間の女ひとり』ですよ」


 光の粒子が少年の姿を形作り、武士は復活する。

 その身には、度重なる戦闘でボロボロになっていたカーキ色のツナギの代わりに、東欧風の青く輝く長衣ローブが纏われていた。


「……元の世界(・・・・)の装備を、召喚したのか」

「そちらもやっていることでしょう、メフィスト・フェレス」


 ふわりと大地に降り立つ武士。


「異界からの召喚は膨大な魔力が必要なはずだ。貴様ごとき下等精霊に、そんな力はない筈だ」

「葵ちゃんの魂の力です、先輩。今、葵ちゃんは全力でブーストしてくれてる……これでもう僕は、負けない」


 武士はギッと、相変わらず無表情な直也を睨みつけた。


「もう一度言います。目を覚まして下さい先輩。こうなった僕を滅ぼすことは、もうできない。……諦めろ、メフィスト」

「……俺ももう一度言おう。これ以上、ふざけたことを抜かすな」


 直也の姿が唐突に消える。


「!!」


 人と魔の領域を軽く凌駕するスピードで地を駆けた直也は、武士の背後を取って黒鬼の魔剣(オゥガ・デーゲン)を振り下ろした。


 ギィン!


 霊波天刃の閃きが斬撃を受け止める。

 続く漆黒の連撃。

 剣先は既に音速を超え、周囲に衝撃波をまき散らしている。

 武士は反応速度で劣るものの、質量の無い光剣の捌きで、直也の斬撃を受け流していく。


「無駄です、先輩!」


 技量でも劣る武士は、先程までの戦いと同様に直也の斬撃のすべてを受け流すことはできず、傷を負う。

 しかし、今度は防御力と回復力が違った。


 アーリエルが命蒼刃を介し受け取った葵の魂の力で、異界から召喚した武士が纏うローブ。

 それは魔を払う破邪の力を持つ加護を受けた(エンチャント・)(アーマー)の一種だ。

 それは黒鬼の魔剣(オゥガ・デーゲン)に付与されている回復を阻害する魔力を無効化する。

 直也の斬撃を受け傷を負ったところで、瞬時に回復できるのだ。


「先輩、聞いて下さい、先輩は自分の手を小さいと思い込んでいるんです」

「黙れと言っている」

「芹香ちゃんに、新崎さん。九龍先輩はどんな犠牲を払ってでも二人を助けたいって、覚悟している。その為に人を殺めても、自分の手を血で汚しても」

「うるさい」

「その覚悟を、メフィストに利用されている。つけ込まれているんです。目を覚まして下さい先輩。先輩の手は、そんなに小さくない。芹香ちゃんと新崎さんだけじゃない、もっと多くの人達を助けられる。本当の英雄は九龍直也なんだ! あなたが自分をそう信じれば、命蒼刃の有る無しなんて関係ないでしょう!!」

「聞こえないのか!! それ以上喋るな!!」


 強烈な黒鬼の魔剣(オゥガ・デーゲン)の一閃。

 直撃を受け、武士は吹き飛ばされる。


 ――そして、事もなげに再生する。


「……いいだろう。認めよう、アーリエル。田中武士。お前達はこの世界で、無視できない強大な存在だ」


 髪とローブを蒼く輝かせ、燦然と立つ武士を前に直也は認める。


「この俺、メフィスト・フェレスも……力を分散させたままでは勝てないようだ」

「……なんだって!?」


 武士の反問に直也はニィと笑うと、片手を天高く掲げ、掌を空に向けた。


「零小隊。そしてこの国の多くの要人たちに埋め込んできた、呪いの力。すべて回収しよう……貴様を倒す為に」


 武士、いやアーリエルは、直也の口から語られるメフィストの言葉に、本能的に危機を悟る。


「させるかっ!!」


 一瞬で間合いを詰め、霊波天刃で斬りつけた。

 だが直也は片手で構えた魔剣で、いとも容易く斬撃を受け止める。


「くっ……!」


 武士の全開での波状攻撃。

 直也は片手を天に掲げたまま、それを受け止め、躱し、捌き、弾き返す。


「クカカカッ……! どれだけやり合ったと思っている? もう既にアーリエルの力も含めて、お前達の剣は見切った」


 余裕を見せながら、直也は嗤う。


「さっきの言葉を返してやる。お前にも、俺を倒すことはできない」


  ***


「なんだ?」


 呉近強は、突然バタバタと倒れ込んだ零小隊に困惑する。

 これまで歴戦の麒麟実戦部隊をもってして、足止めが精いっぱいだった相手が、突然動きを止め、その場に崩れ落ちていったのだ。


「……大人ターレン。奴の力が、連中の体から抜け出ています」


 麒麟のメンバーで、霊能力に長ける隊員が零小隊から抜けていくメフィストの魔力を視認し、呉に告げた。


「どういうことだ」

「奴はどうやら北狼部隊を操ることを止め、力を全て自分に集めて……なんだこれは!?」


 報告の途中で、彼は天を見上げ身震いする。


「おい、どうした」

「信じられません……四方八方から、恐ろしい闇が集まって……これほどの呪力が、この国に散らばっていたなんて……」


 隊員はガタガタと震え、自分自身の腕を抱く。

 夜の闇の中でも、顔色が真っ青になっていることが見て取れた。


「おい! それは巫婆フーポウのものなのか?」

「は、はい。間違いありません」


 呉の問いに、動揺を隠せないまま頷く隊員。


「奴は自分の力を半分以上……いや、九割以上を割いてこの国を操っていたのです。それを今、一つに集めようとしています」

「なんだと、それでは……」


 力を集めた巫婆フーポウは十倍の力を持つということではないか。

 呉は自分の想像にぞっとする。


(あの青い光を纏う少年……<偽りの英雄>が勝てるのか?)


 呉は無線で、隊員に集結の指示を出す。

 勝てない相手ならば、余計な犠牲を出す前に撤収する必要があった。


   ***


「クカカカカカカカカッ……!!」


 メフィストは嗤う。

 果敢な武士の攻撃も、直也の剣術と融合したメフィストの前に一撃たりとも通らない。

 そうしている間にも、頭上で星が、月が消えていく。

 不透過の闇が、悪魔の魔力の霧が上空を覆い尽くしているのだ。


「……こんなっ……!!」


 アーリエルの存在を取り込んだ武士は、上空に集う魔力総量を把握し、それが常軌を逸した規模のエネルギーであることを悟る。


(これだけのエネルギー……! 九龍先輩に融合したら、とてもじゃないけど倒すことなんてできない!)


 まだ魔力は空に渦巻いているのみ。

 直也と一つになる前ならば、倒し切ることは可能だ。

 しかし霊波天刃は悉く弾かれる。

 もともとアーリエルは風の精霊であり、癒しを司る存在だ。

 戦闘に長けた魔族相手に、防御に勝るとしても攻撃手段で大きく劣っている。

 そして憑代たる武士と直也の間に(葵の身体能力を得ているとはいえ)絶対的な技量の差がある以上、その差を埋めることは不可能だった。


「クカカカカ……感じるだろう、アーリエル。この絶対的な力を。お前の言った通り、人間の魂の力は素晴らしいよ!」

「なんだと!?」

「俺は多くの呪いをばら撒いてきた。呪いは人を操るだけではない。その者の負の感情を糧として、魔力を大きく増大させる。人を操り人形とし、そして俺自身の魔力をも強化する。一石二鳥というやつだ」


 渦巻く魔力の雲に、黒雷が轟く。

 アーリエルの蒼光の天敵と呼べる、破滅の魔力の顕現だ。


「もっともっと闇を育て上げ、この国を負の感情に満たしてから喰らうつもりだったが……。まあいい。お前を葬り去れば、俺の邪魔をできるものはいなくなる。計画をやり直し、今度こそこの国を戦乱の火の海に沈めてやろう」


 渦巻く黒雲の中心が、ゆっくりと球状に沈み始める。

 直也と融合すべく、地に降りてくる。


「そうなったら……芹香ちゃんが幸せに暮らす、この国が無くなるんですよ! 九龍先輩!!」


 ギィン!!


 霊波天刃を叩きつけながら、武士は叫んだ。

 黒鬼の(オゥガ・)魔剣(デーゲン)で受け止めた直也は、しかしピクリとも表情を変えることは無い。


「目を覚ませ、九龍直也!! あなたはいったい、何の為に戦ってきたんだ! 英雄になることが目的じゃなかったはずだ! 何の為に英雄になる必要があったんだ!」


 それでも構わず、武士は叫び続ける。


「クカカカカ……無駄だ無駄だ! もはやこの男は俺と同一の存在だよ。俺は、妹を守る為に人生を捨てて戦ってきて、ようやく妹とこの国を救う英雄となれるはずだった。その直前で、お前のような凡人に力を横取りされたんだ。嫉妬に狂うなという方が無理な話だろう?」

「黙れメフィスト、先輩は……僕が憧れた九龍直也は、そんな小さい男じゃない!」

「お前に何が分かる!!」


 掬い上げるような魔剣の一撃。

 武士は逆袈裟に斬り上げられ、跳ね飛ばされた。


「俺の手は小さいんだよ、田中」

「……先輩?」


 一瞬、武士には直也が元に戻ったかのような錯覚を覚える。

 しかし。


「……クカカカカカカカカカ! だから!! 俺には力が必要なんだ!!! 俺の邪魔をするお前を殺す為になぁぁぁぁぁ!!!!」


 頭上に迫っていた黒雲の球体。強大な魔力の塊が、直也に向けて落ちてきた。




 リ……ン……




 魔力と融合し、圧倒的な力を手にする寸前。


 直也は目前の武士のさらに背後から、自分の胸に迫る小さな光を目撃する。


 それは黒く輝く、小さな刃だった。


(なんだ?)


 それはやじりだ。

 黒曜の刃を先端に輝かせる一本の矢が、直也の心臓を目がけて放たれていた。


(弓矢? いったい誰が……)


 刹那の時間の中で、直也は矢が放たれた場所をその目で見る。

 武士との激闘の中で地形を大きく変えた森の中。

 へし折れた巨木の横に立ち、凛とした佇まいで和弓を構えていた者は。


(どうして……お前が?)


 意識を飛来する弓矢に戻す。

 そして、やじりとなっている黒曜の刃の正体を、メフィストは悟った。


(マズイ! これを喰らったら……!)


 身を翻し、射線から避けようとする。

 しかし。


(……!!)


 直也の体が動くことはなかった。


(どうした!! なぜ避けない!!)


 ――避ける必要がないから。


(何を言っている! あれはただの弓矢ではない! 射ち抜かれたら俺の加護が失われ、お前も死ぬぞ!!)


 ――構わない。


(バカな!)


 ――俺は既に一度、あの子に弓で射られている。

 ――バカなことを繰り返したものだ。

 ――これは罰だ。

 ――嫉妬に狂い、貴様のような存在を受け入れてしまった、俺への罰だ。


(何を言っている! ……バカな、お前は完全に俺が支配している筈だ、なのにどうして)


 ――メフィスト、お前は俺の弱さにつけ込んで、俺を支配しているんだろう?


 ――あの子に罰して欲しいというのは、俺の弱さだよ。


 ――弱さだ。


 ――だから、お前は逆らえない。


 ――人の弱さにつけ入ることでしか生きていけない悪魔。


 ――お前は俺の負の欲望に逆らうことはできない。


(バカなバカなバカなバカなバカな!!!)


 ――すまない。お前に二度もこんな真似をさせて……

 ――俺はダメな兄だな、芹香。





「お兄ちゃん!!」


 ダークブロンドの髪の少女が叫ぶ。

 芹香・シュバルツェンベックの放った弓矢が、直也の心臓を射抜いた。


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