「葵の刃」
「葵!!」
「葵ちゃん!!」
ハジメと翠の叫びが響く。
「くっ……!」
心臓を狙って繰り出された紅葉のナイフは、咄嗟にガードした葵の腕に食い込み、止められていた。
「師、匠……」
「葵……すまな」
「師匠!!」
ナイフを握る紅葉の拳を握り、腕から引き抜く葵。
そのまま紅葉の体を蹴り飛ばし、距離を取った。
右腕から夥しい出血をさせながら、葵は仁王立ちで紅葉をまっすぐに見つめ、叫ぶ。
「師匠、あなたにどんな想いがあったとしても! 幼かった灯太を! 私たちを! 道具のように扱った過去は変わらない!」
血に染まった右腕で、命蒼刃を引き抜き構える。
「……葵ちゃん?」
吠える葵に、違和感を覚える翠。
葵は構わず命蒼刃の切っ先を、紅葉に向けて突き出した。
「そして今も、悪魔に操られて私たちに刃を向ける……懺悔の想いがあるというなら、この場で今、私があなたを終わらせてみせる!」
「……わかった。来い、葵。私を殺してみせてくれ」
師弟は同時に、地面を蹴った。
紅葉の鋭い刺突を、手負いを感じさせない俊敏な動きで葵は掻い潜る。
背面から逆手に構えた命蒼刃による攻撃。
しかし紅葉は屈みこんで躱し、そのまま足払いを仕掛ける。
葵はバク転でローキックを回避すると、そのまま体を捻って紅葉の頭部を狙って足刀蹴りを放った。
スウェーバックで紙一重で避ける紅葉。
逆立ち状態の葵に即座にナイフを突き出すが、空振りに終わった足刀蹴りがそのまま一回転し、ナイフを持つ紅葉の手を横から弾く。
紅葉が体勢を崩した隙に跳ね起きて、葵は命蒼刃による斬撃を繰り出した。
ギィン!
鋭い軌跡を描いた一閃は、しかし紅葉のナイフで受け止められる。
「葵ちゃん……どうし、て……」
「クソ……動けねえ……ヤツの力かよ……!」
得体の知れない力で動けない、翠にハジメ。
横に立つ紅華と灯太も同様だった。
ハジメは忌々しげに、宙に浮かぶ蝙蝠のような翼を広げた人影を睨みつける。
「メフィスト……? チッ、悪魔の力だってんなら……どうして葵だけ、動けんだよ?」
当の悪魔は、人間たちを見下ろし自らの二の腕を押さえながら、ニタついていた。
「カカカ……ッ! あの管理者、私のプレッシャーを受けても動けるのは、あの女の小細工ね……! いいわよ、すっごくイイ! 想いがすれ違った人間たちの悲壮な殺し合い! 盛り上げてくれるじゃない、アーリエル!」
葵と紅葉。二人の壮絶な殺し合いを眺めながら、身悶えする程の快感に震える新崎結女の体で、愉悦に浸るメフィスト。
「さっさと管理者の女を殺しちゃいたいトコロだけど……やっぱりこういう凄惨なのが堪んないわねぇ! 最後にはキッチリ殺してあげるから、もう少し魅せて頂戴!」
だが、同じ戦いを見つめている翠には、「凄惨な殺し合い」をしている二人の小さな変化が見えていた。
「……そこの蝙蝠女! 高見の見物なんて……いい御身分ね!」
悪寒、恐怖感、絶望感、ありとあらゆる不快感のプレッシャーを浴びせかけられ、身動きが取れなくなっている翠が、精一杯の叫び声を上げる。
「……はァ?」
「アンタ……異世界の悪魔だって? 人を操って……争わせて悦ぶとか……いい趣味してんじゃん……元の世界じゃ、さぞかし居場所がなかったんでしょうね」
「……」
玩具でしかないと考える下等生物に突然罵られ、メフィストは眉をひそめる。
翠は震えながらも、ニヤリと笑った。
「わざわざ……違う世界にきて、こんな遊びしかできないとか……そっちの世界で、友達いなかったんじゃ、ないの?」
安い挑発だ。
翠の方も、乗ってくれば儲けものくらいのつもりだった。
しかし、メフィスト・フェレスはあっさりと挑発に乗った。
新崎結女から表情が消える。
「……殺せ、紅葉」
葵と互角の戦闘を繰り広げていた紅葉が、魔女の呟きとともに突如踵を返し、身動きの取れない翠に向かって駆け出した。
――葵と、互角の戦いをしていた、紅葉が。
「……翠ぃッ!!」
翠のピンチに、自らの体が動かないハジメは絶望的な叫びを上げる。
だが。
(……え!?)
ハジメは、翠の口の端が薄く笑みの形に吊り上ったことに気が付く。
紅葉が振り抜いたナイフは、翠の咽喉を掻き切った。
「―――ッ!!」
「うわああああっ!! 翠姉ッ!!」
葵が絶叫をあげて駆け寄り、血の海に沈む翠の体を、無防備な背中を晒して抱え上げる。
その背中に。
「殺れ」
「……バカが。戦闘中に仲間の死を悲しむ奴があるか」
無慈悲な刃が振り下ろされ、兇刃は葵の胸を貫いた。
***
「師匠……あんた、化け物っすよ。ホントに人間なんすか……」
碧双刃を腰の留め具に収めると、翠は疲労のあまり地面に倒れ伏した。
その横で、体術を駆使して戦った葵もまたへたり込む。
「ふざけた事を言うな、翠。お前らが未熟すぎるだけだ」
素手で二人の連携攻撃をいなし続け、息ひとつ乱していない紅葉が吐き捨てる。
「つったって師匠、異常っすよ。葵ちゃんの蹴りを避けながら、碧双刃を発動する暇も貰えないとか……コレの使い手になって一年経つっすけど、いつまで経っても師匠に勝てる気しないっす」
碧双刃を指さしてから両手を上げる翠に、
「諦めるな、バカが。……ったく」
呆れたように紅葉は呟く。
「……そうだな。お前ら相手じゃ、私と互角に戦うことは一生無理だろうな」
「それは、私たちに戦闘の才能がないということですか」
生真面目に問う葵に、紅葉は薄く笑う。
「そうじゃない。お前らには私がイチから教えたからさ。特技も、癖も、戦術も、全部読める。私が衰えない限り、お前らが私に勝つ日は来ないさ」
「すっげえ自信。ムカつく。師匠、もっかいやりましょう。子が親を超える日は必ず来るってことを、あたしらが教えてあげますよ」
チャリンと碧双刃を鳴らして、挑発に乗り翠が立ち上がった。
葵も頷き、拳をギュッと握りしめて立ち上がる。
珍しく、紅葉は声を上げて笑った。
「何度でも相手をしてやるさ。演技でもしない限り、私がお前達と互角に戦う日は絶対に来ないよ」
紅葉の言葉とともに、三人は戦闘訓練を再開した。
***
「クカカカカカッ!! よかったねえ? 刃朗衆の葵に翠! お前らの人生はこの女に支配され、この女に終わらされた! 一ミリの価値もない、無駄で無意味で無価値な人生だったねえ!! クカカカカカカ!!」
夜の空から蝙蝠の翼を羽ばたかせ、地に舞い降りるメフィスト・フェレス。
新崎結女の氷の微笑は醜く歪み、けたたましい嗤いに変わる。
「どうだい紅葉! お前にとっても娘のような子どもたちを、自分の手で終わらせて満足だろう!? カカカカカカ!!」
折り重なるように倒れる葵と翠の横に、立ち尽くす紅葉。
その横に歩み寄り、弟子たちをその手に掛けた女の表情を堪能しようと、メフィストは紅葉の顔を覗き込んだ。
「クカカカカカ…………カ!?」
紅葉のナイフが、吸い込まれるように新崎結女に突き刺さる。
「ようやくお空から降りてきたな、下種な蝙蝠」
ギンッと紅葉が、睨みつける。
「グガガガッ!?」
同時に無音で迫っていた樹々の枝が、一瞬でメフィストを背後から捕え、締め上げた。
「葵ちゃん!!」
いつの間にか碧双刃を握りしめていた翠が、叫ぶ。
「グガガ……バカな……バカな!?」
常人なら一瞬で五体を引きちぎられる力で締め上げられているフィストが見たものは、血塗れになりながら命蒼刃を構える葵の姿。
血塗れではあるが、胸に貫いた筈のナイフの傷跡は、完全に塞がっている。
「武士、もう少しだけ力を貸して……『霊波天刃』!!」
葵の身体から蒼いオーラが吹き出し、命蒼刃に収束して光の刀身を形成する。
「バカな……バカな!! 人間ごときが私の呪いを!?」
「どれだけ零小隊にいたと思っている。貴様の術に抵抗する方法くらい覚えたさ。人間を舐めるな」
紅葉の呟きとともに、葵の霊波天刃が振り下ろされる。
「滅びろっ……!! メフィスト・フェレス!!」
蒼い剣閃が、新崎結女を縦一文字に斬り裂いた。
***
黒鬼の魔剣が、武士の胸を貫く。
しかし笑みを浮かべているのは武士で、憎々しげに顔を歪めているのは直也だ。
「バカな、どうして葵さんが不死に……霊波天刃まで!? どうして管理者が、九色刃の力を使えるんだ!?」
直也はそのまま刀を上に振り抜き、武士は胸から肩にかけて切り裂かれる。
「うおおおおっ!!」
そして今度は、力任せに 黒鬼の魔剣を横薙ぎに振り抜いた。
武士は回復を後回しにシールド状にオーラを収束させ、追撃をガードする。
勢いは止められずに弾き飛ばされるが、体を三等分される事態は防ぐことはできた。
「く……田中! お前は……」
武士の回復のスピードは低減し、戦闘力も下降している。
直也の剣を躱すことも受けることもできなくなり、切り刻まれる一方になっていた。
だが同時に、武士は防御にも転用できる蒼光のオーラを扱うコツも掴み始めていた。
決定的に戦闘不能になりそうな斬撃はギリギリで受け止め、直也の黒鬼の魔剣を凌ぎ続けている。
「何故だ田中!? いったい何が起こっている!?」
余裕を無くしているのは直也であり、メフィストだった。
「九龍先輩。気づきませんでしたか? 深井さんと僕が戦っているとき。僕が受けたダメージが、僅かに葵ちゃんにも届いていたんです」
それは狂戦士と化した深井隆人との戦いの時。
黒獣の爪が武士を斬り裂いたのと同じ場所に、葵の体にも裂傷ができていた。
「それで気付いたんです。ダメージが葵ちゃんにも伝わってしまうなら、その逆も絶対にできるはずだって」
「そんな力が、九色刃にあるはずがない!」
「メフィスト・フェレス、人間は進化する。アーリエルの魂の力も取り込んで、武士たちは進化するんだ。あちらの世界の魔術を持ち込んで、進歩もなく遊んでいるだけのお前に、分かるはずもない」
まっすぐに直也を見つめて言い放つ武士。
ギリッと歯を食いしばると、直也は黒鬼の魔剣を振りかざした。
「黙れ! 人間に下等精霊風情が!!」
「霊波天刃!!」
ギィン!!
振り下ろされる魔剣を、武士は再び発生させた蒼の光剣で受け止める。
「葵ちゃん達は勝った! 次はこっちの番です先輩!!」
***
「翠姉、拘束を解いて! 新崎結女の体が潰れる!」
葵の叫びを受けて、翠は慌てて碧双刃の力を解除する。
「ど、どういうこと? 葵ちゃん」
「彼女も、奴に身体を乗っ取られているだけだったの。霊波天刃でメフィストだけを斬ったから、もう大丈夫だと思う」
霊波の輝きが収まった命蒼刃を鞘に納めて、感覚を共有している武士が知った事実を説明する葵。
話しながらも、今まで武士の力を受けていた葵は、こちらから魂の力を送り返している。
「おい翠! 葵! 説明してくれ! お前らマジで死んだかと思ったんだぞ!?」
悪魔のプレッシャーが消え、紅華と灯太、そしてハジメも自由を取り戻していた。
ハジメが血相を変えて問い質してくる。
「にゃはは~。ハジメたん、愛する翠さんが死んだかと思った? ビックリした? ねえビックリした?」
翠は駆け寄ってきたハジメの胸元に飛び込み、顔面蒼白になっていた彼を茶化す。
「テメエふざけんな! 俺がどういう気持ちで……」
肩を掴んで掴んで翠を引き剥がし、怒鳴りつけようとしたハジメは途中で息を飲んだ。
翠がハジメ以上に血の気を失い、震えていたからだ。
「葵ちゃんの刺された腕が、回復してるのが見えて……あ、これ武ちんの力だなって思って……それに、師匠と葵ちゃんが互角に戦ってたから……ああこれ、師匠も正気に戻ってて、葵ちゃんと演技してるんだなって分かって……」
震えながら、翠は説明する。
死の恐怖には、慣れたつもりでいた。
しかし。
「だから、あの蝙蝠女の隙を作ろうと思って……」
「無茶だ翠。もし葵が他人を回復する力までは持っていなかったら、どうする気だったんだ?」
紅葉の問いに、翠は目を丸くする。
「だって、師匠は正気に戻ってたでしょう? だからマジで斬ってくるとは思わなくって……」
「あの悪魔の隙を作る為なら、本当に斬るさ。実際に殺っただろう?」
あっさりと言い放つ紅葉に、翠は今は傷ひとつ残っていない自分の咽喉に手を当てて絶句する。
「師匠、脅さないで下さい! 翠姉、大丈夫だよ。見てて分かったけど、ホント首の皮一枚、頸動脈には届いてなかったから!」
「それフォローのつもりかよ……恐ろしい師弟だな、お前ら」
あんまりな言い方に、呆れかえるハジメ。
「葵ちゃんは恐くなかったの?」
「え?」
「だって、葵ちゃんだって胸を刺されて……」
震えながら問う翠。
葵は笑う。
「大丈夫だったよ。武士の力はずっと感じてたし、師匠も重要な血管は避けて刺してくれたから」
「だからお前ら……」
「うん。異常だよね、ハジメ」
翠はハジメの手を取り、自分の額に押し当てる。
「翠……?」
「翠姉」
「怖かった……マジで、死んだと思った。武ちんは、こんな怖い思いを何度も何度も、味わってきたんだね……」
死にそうになったことは、何度もあった。
だが、瀕死になって甦ったことは無かった。
初めて実感した『死の恐怖』に、改めて翠は震えていたのだ。
「ハジメ、葵ちゃん……こんなこと、早く終わらせよう。武ちん、まだ戦ってるんでしょ?」
「うん。メフィストの半身が憑りついた九龍と、戦ってる」
葵は頷く。
ハジメも、翠の肩を抱いて頷いた。
「ああ。武士の加勢に行くぞ」
三人が頷き合ったその時。
「――避けろっ!!」
紅華が叫んだ。
「何!?」
突如、複数の漆黒の槍が中空に出現し、襲いかかってきた。
ハジメと翠、葵、紅葉は身を翻し、辛うじて回避に成功する。
だが、地面に突き刺さった漆黒の槍は黒い光の線を描き、彼らを取り囲むように魔法陣を形成した。
「なっ……コイツは!」
「逃げて皆っ!!」
灯太の叫びは間に合わず、巨大な魔法陣が彼らを取り囲み完成する。
黒の稲妻が結界内を駆け巡る。
「ぐあああ!」
「きゃあああああ!」
「がああ!!」
先のプレッシャーと比べ物にならない重圧が、その場の全員に襲いかかる。
『……核を直也クンに移していなければ、消滅するところだったワ』
倒れ伏した新崎結女の体から、ゆらりと黒い影が立ち昇る。
そして影に持ち上げられるように、結女の体も宙に浮かんだ。
『残念だったネエ人間! ワタシを謀ってくれた罪は、死を超える恐怖をもって支払って貰いまショウ!!』
闇に抱え上げられて浮かんだ新崎結女の体から、この世ならざる者の声が響き渡る。
いまだメフィスト・フェレスの半身を滅ぼすこと能わず。
葵たちの苦境は続いていた。




