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「異世界最強」

「坊ちゃん……パソコンやめて、ちゃんと掴まって下さい! 落としちゃうっす!」


 白坂に背負われて移動しながら、継はノートパソコンのキーボードを叩き続けている。

 北狼部隊の資材から見つけた九色刃・黄雷槍も白坂が持っている。

 白坂は黄雷槍と継を抱えて、足場の悪い夜の森を苦労して移動していた。


「頑張って下さい、白坂さん。とにかく鬼島と呉に、合流します。あいつらが、メフィスト打倒の為に、水面下で手を組んでいたのは、間違いない。なんとか、こちらとも手を組んで、ハジメ達を助けに……くそ、通信が繋がらな……うわ」

「わっ!?」


 突然、白坂が倒れる。

 当然継も投げ出され、したたかに腰を打ってしまった。


「痛た……白坂さん、何してるんですか」

「け、けけけ、継坊ちゃん……」


 同じく地面に倒れている白坂が、指を指しているその先には。


「心外だな、御堂継君。この国の首相である私が、敵国の情報組織トップと手を組むことなどありえん」

「……鬼島首相」


 戦闘区域を離脱してきた、鬼島大紀が立っていた。

 片手に銃を下げ、もう片手は体を支えるように樹の幹に当てている。

 麒麟の戦闘部隊も相手にしているとはいえ、全体で意思統一されている零小隊から逃れてくることは至難の業だっただろう。

 こうして離脱できているだけでも、鬼島の一兵士としての卓越した技量を示していた。


「首相、無様ですね。大事な部下を、みすみす敵に奪われて。その部下に、銃を向けられ、みっともなく逃げ出した気分は、いかがですか?」

「ぼ、坊ちゃん? そんな……」


 挑発するような継の言動に、白坂は目を丸くする。

 ついさっき、鬼島と手を組むと言ったばかりではなかったのか。

 そんな相手を怒らせてどういうつもりなのだろう、と。


「継君。君は私と交渉するつもりなのだろう? まず私を怒らせ、交渉相手のの真意を探ろうとするしたたかさ(ヽヽヽヽヽ)は、さすがあの老人の孫だ。だが今は時間が惜しい。腹の探り合いは別の機会にしてほしい」

「……わかりました」


 落ち着いたトーンの鬼島の言葉に、継は素直に頷く。

 こちらの意図を瞬時に悟られ、目の前の男に小細工は無駄だと思い知ったのだ。


「では、さっそく。先程、麒麟とは手を組んでいない、と言いましたが。本当ですか?」

「ああ。直接コンタクトを取ったことなど一度も無い。だが奴の行動を分析し、その目的がCACCで巫婆フーポウと呼ばれている魔女であること。そして九色刃を餌に魔女を炙り出し、始末することだと分かった。だから私は奴の動きを黙認していたのだ」

「黙認? さんざん利用してきたでしょう。紅華が来日して、僕達が動いた隙に、御堂組の足場を切り崩した」

「君たちが麒麟の紅華をあっさり抑えてしまえば、混乱は起きずに魔女を誘き出すことができない。これでも君たち御堂組の力を、私は高く評価しているのだ」

「そんな事を、信じろと、言うのか。貴方は、自分を殺すと予言している、命蒼刃を奪いたい、だけではないのか」

「信じてもらうしかない。繰り返すが、今は時間が惜しい。あの魔女……メフィストは、私と御堂組共通の敵ではないのか」

「……わかった。これ以上は、もういい」


 継の鬼島のやり取りについて行けず、白坂は目を白黒させている。

 そんな彼に、鬼島はふと目を向ける。


「彼は?」

「御堂組の人間だ。あなたには関係ない。それよりも、ここに来ているのは零小隊だけなのか?」

「……もっとも近い武蔵野駐屯基地に、いつでも動ける北狼部隊を予備兵力として残している」

「そうか。なら、すぐ呼び寄せろ。ダム向かいの森に、命蒼刃の管理者がいて、一緒にいた零小隊の兵士一人が、メフィストに操られ、戦っている」

「紅葉か」


 鬼島はすぐに、継の告げた一兵士の名を言い当てる。

 あの夜の混戦の最中、零小隊のメンバーの中で不在だった兵士を記憶していたのか、それとも刃朗衆の潜入をそもそも黙認していたのか。

 命蒼刃の管理者と共にいるというだけで、紅葉の名が出てきた事を考えれば、おそらく後者なのだろう。


「そうだ。他に碧双刃の使い手も、紅華も、御堂組の戦闘員もいるが、おそらく勝てない」

「まずいな。そこにはメフィストも向かっている」

「だからすぐ、増援を向かわせろ。命蒼刃の管理者が死ねば、武士君が……アーリエルが、九龍に殺される。アーリエルはメフィストに対抗できる、おそらく、唯一の存在だ。殺させるわけには、いかない」

「なるほど。さすが御堂組の跡継ぎ。状況をほぼ把握しているのだな」


 感心している鬼島に、継は舌打ちする。


「跡継ぎは、ハジメ。僕じゃない。……そんなこと、どうでもいい。分かったら、早く予備兵力を」

「それはできない」

「なんだと?」


 予想外の鬼島の答えに、継は目を見開く。


「メフィストは新崎結女だった。奴は人を操る。推測だが、呪いの種のような者を対象に仕込むのだろう。新崎は私の秘書だった女だ。どこまでの人間に呪いが仕込まれているか、見当もつかん。迂闊に戦力を呼び寄せて、また操られれば敵の戦力を増強させるだけだ」

「……チッ」


 アテにしていた戦力が使えないと知り、継はまた舌打ちする。

 次の手を考えるべく継が思考し始めたところで、鬼島が意外な依頼をしてきた。


「継君。御堂組の力を借りられないか」

「は?」

「メフィストに汚染されていない戦力が必要だ。新崎の手が入っていない可能性は、そちらの方が高いだろう」

「ふざけるな。御堂組の力は、すでに貴様の手で、奪われている。今は、組織の防衛で、手いっぱいだ」

「それは誰からの防衛だ? 私からのだろう。今はその必要はない」

「信用できるか。メフィストとの戦いに、御堂組をぶつけて、戦いが終わって、疲弊したところを、潰すつもりか」


 鬼島を睨みつける継。

 御堂組と鬼島大紀の因縁は浅いものではない。継はそんな場合ではないと頭で理解していながらも、感情の問題で鬼島を信用することができずにいた。


「仮に、あなたを信用するとしても、御堂組には本当に、戦力は残されてない。無理だ」

「そんな筈はない。必ずある」

「どうして、そんな事が分かる?」

「あの男が、この程度で手札を失うほど可愛げのある老人だったら。今頃私はすべての九色刃を手に入れていた」

「……ジジイのことか」

「必ず、切り札は残しているはずだ」

「あ、あの、二人とも落ち着いて……」


 厳しい表情で互いを睨む鬼島と継の間で、白坂はオロオロとするばかりだった。

 だが次の瞬間、白坂の瞳からふっと意志の光が失せる。


「……白坂さん?」


 様子が変わった白坂に、継は声を掛ける。

 白坂は無表情のまま、ポケットから自分のスマートホンを取り出し、鬼島に向かって差し出した。


「白坂さん? どういう……」


 継の問いかけを遮るように、スマートホンが振動し着信を伝える。

 白坂は画面をタップすると、再び鬼島につき出した。

 スマートホンの画面には番号非通知の表示。

 鬼島は黙って受け取ると、ためらうことなく電話に出る。

 彼にはもう、電話の相手が誰なのか分かっていた。


「……御堂征次郎か」

『久しいな、鬼島』


 黒幕二人は、数年ぶりに言葉を交わした。


  ***


 もう、何度目かの再生だろうか。

 斬り飛ばされた右腕が、蒼い輝きとともに復活した。

 広げた掌に光が収束し、再び刀身が形成される。

 だが。


「どうした。再生速度が遅くなっているんじゃないか? 葵さんに何かあったのかもしれないな」


 武士の動揺を誘うように、冷たく言い放つ直也。

 そこに武士が良く知る暁学園の先輩、生徒会長にして剣道部主将、田中武士が憧れたかつての九龍直也の面影は、まったくなかった。


 目の前に立つのは、漆黒の魔剣を手に彼の五体を切り刻むことに愉悦を覚える、残酷な剣鬼。


「……くっ!」


 武士は間合いのはるか遠くから、霊波天刃を振り抜く。

 蒼の斬撃が文字通り閃光のように放たれ、直也を捉えた。


「くだらん」


 だが、直也の呟きと共に無造作に振られた黒鬼の魔剣(オゥガ・デーゲン)により斬撃はあっさりとかき消される。

 直後、揺らぐように武士の視界から直也の姿が消えた。


(また……!)


 武士は背後を振り返り霊波天刃を構える。

 しかしそこにも直也の姿はない。


「遅い」


 円を描くように高速移動した直也が、更に武士の背に回り込んでいた。

 脇構えから逆袈裟に斬り上げる。

 魂に刻まれた葵の反射神経で反応し、武士は霊波天刃で受けようとする。

 しかし、直也の斬撃はうねるように変化した。

 霊波天刃は黒鬼の魔剣(オゥガ・デーゲン)を弾くことなく空を切り、振り抜かれた直也の剣は武士の頭上で反転し、霊波天刃を持つ武士の右腕を叩き斬った。


「ぐっ…!」


 後方に跳躍し、武士は腕の回復に力を回そうとする。

 しかし、直也はその隙を与えない。

 武士が間合いから離脱するより早く、直也の魔剣は横一文字に薙ぎ払われ、両脚が容赦なく斬り飛ばされた。


「ぐああっ!」


 着地する術を失い、武士は無様に地に転がされる。

 そして、治癒の輝きが武士の手足を再生させるより早く。

 直也は転がる武士の胸を踏みつけ、黒鬼の魔剣(オゥガ・デーゲン)を武士の胸を突き刺した。


「……!!」


 心臓を貫かれることこそ避けられたが、闇のオーラは切っ先から武士の体内へと浸食していく。

 抵抗するように武士の体も蒼光を放ち始めるが、メフィストの魔力は纏わりつく蛇のように絡みつき、回復の力を阻害した。


「く……そぉぉ!!」


 武士は残った左手で、突き刺された黒鬼の魔剣(オゥガ・デーゲン)の刀身を直接で握りしめ、力を集中させる。

 黒と蒼の光がせめぎ合い、火花が散る。

 必死の形相の武士に対し、直也は口を歪め笑みを浮かべていた。


「どうした田中。それともアーリエルと呼んだ方がいいか? さっきからまったく俺の剣を読めていないじゃないか」


 突き刺した刀を捻じり込み、武士に更なる苦痛を与えて直也は嗤う。


「がああああっ!」

「どうした、どうした? 結女さんの魔槍(ランツ)を破ったように、俺の魔剣(デーゲン)も破壊してみせろよ。このままだと、結女さんが葵を殺した瞬間に、お前は死ぬぞ?」


 否。これが直也であるはずがない。

 魔剣を通してメフィストの意識と一体化してしまっていると、武士は確信する。


(くそっ……メフィスト(ヤツ)の魂が混じっているせいで、先輩の剣の先読みができない!)


 武士はこれまで、命蒼刃の力で相手の魂の力を読むことにより、攻撃の軌道を先読みしていた。

 そこに更に葵の身体能力が加わり、武士はようやく直也と互角に戦うことができていたのだ。


 そしてアーリエルの力を上乗せすれば、如何に戦闘の天才である直也を相手にしても勝利することは難しくない。武士はそう思っていた。


 だが、直也にも魔女メフィストの力が与えられ、形勢は逆転する。


(けど……この魔力は異常だ!!)


 九色刃の力を無効化するメフィストの魔力は、新崎結女が放った魔術よりも、直也の方が明らかに強いのだ。


 傭兵・深井隆人の義手に仕込まれ、ダムに突き落とした武士から回復の力を奪い続けた漆黒の杭。

 メフィスト・フェレスの本性を顕在化させた新崎結女が幾度となく放った黒魔術。

 いずれも武士は、命蒼刃にアーリエルの力を上乗せすることにより打ち破ってきた。

 しかし今。直也が持つ黒鬼の魔剣(オゥガ・デーゲン)による同種の力を相手に、武士は苦戦を強いられている。


「くくく……不思議そうな顔をしているな? アーリエル。なぜ俺が結女さんより強大な力を使えるのか」


 全身から噴き出す闇の力を刀に収斂させ、突き刺した武士の体に注ぎ込む直也は、ニタリと見下した笑みを浮かべる。


「答えてやろう。この九龍直也(おれ)は深井や神楽などいった一時的に操った人間とは違う。新崎結女と同様に、このメフィスト・フェレス(わたし)がこちらの世界で活動する肉体ベースとする為に、長い年月を掛けて魂を馴染ませてきた第二の本体とも呼べるものだからだ」

「なっ……!?」


 直也の言葉に、武士は衝撃を受ける。

 それは、直也がメフィストに乗っ取られかけている事実にではない。

 新崎結女もまた、操られた人間だったということ。

 武士は、灯太がCACCにおいて巫婆フーポウと呼ばれた存在が老婆だったと言ったことを思い出す。


「メフィストっ……貴様、精神体でこの世界の人間を渡り歩いているのか!?」

「その通りだアーリエル」


 カカカカ……と笑う直也。


「貴様のように真っ当に転生し、この世界の住人になる気など更々ない。私は元の世界で得た魔術の力をもって、この原始的な世界で思う存分遊ばせてもらうのだ!」


 心底愉しそうに、メフィストは直也の体でけたたましく嗤う。


「知っているか? この国で若者に好まれる虚構小説では、こういうのを『異世界転生で俺最強』とか言うらしい。おっとアーリエル、それは貴様の事だったな。異世界転生で息子の体を乗っ取って、こちらの世界で無双する気分はどうだ? 最高だろう??」


 ブチン、と武士の中で何かが切れる音がした。


「母さんと貴様を……一緒にするなぁぁぁ!!」


 武士は握りしめた黒鬼の魔剣(オゥガ・デーゲン)への抵抗を止め、その代わりに斬り飛ばされた両足の再生に力を集中させる。

 高速で再生した勢いそのままに、覆いかぶさる形だった直也の体を強烈に蹴り飛ばした。


「くっ! しまっ……!」


 直也は黒鬼の魔剣(オゥガ・デーゲン)を手放し、後方に蹴り飛ばされる。

 魔剣に対して抵抗を止めた為、武士は一気に浸食されかけたが、直也の手から刀が離れたことにより流れ込む闇の力が激減し、事なきを得る。


「メフィスト! 異世界だか何だか知らないけど、僕たちの世界は貴様のような奴の遊び場じゃあない!! ……九龍先輩、目を覚ましてください!!」


 旨に直也の刀を突き刺し、片腕のまま武士は叫ぶ。

 この世界の人間として、叫ぶ。


「そんなクズに! 遊ばれたままでいいんですか!? 新崎結女さんもメフィストに体を奪われているんです! 先輩は、結女さんが大切なんでしょう!? だったら助けないでいいんですか!? それに芹香ちゃんが生きるこの世界を、メフィストが悪戯に弄ぶふざけた世界にしていまってもいいんですか!?」


 魂の叫びが、直也の心の深淵を揺さぶる。


「結女さん……芹香……?」


 それは彼にとって、この世でもっとも大切な者の名。

 かつて大罪を犯してでもその命を救おうとし、そしてそんな自分が唯一信じられる味方であった者の名前。


 武士が発した二人の名が、魔剣士の胸を抉る。


  ***


「軍に入るなんて嫌だ! 父さん、僕は人殺しの訓練なんかしたくない!」


 幼い少年は、必死に抵抗する。

 だが抗えるはずもない。

 相手は父親でありながら、心を通わせた記憶など一度も無い、冷徹で残酷な絶対の存在。

 幾人もいる妾の一人でしかない少年の母は、とうの昔に彼に逆らうことを諦め、息子を守ることなどありえない。


「ならば直也。お前たちの安全は誰が守る。芹香の未来は誰が守る? 自分以外の誰かが、他人が血を流して傷ついたとしても、自分の手さえ汚れなければいいと、そんな浅ましい精神の持ち主なのかお前は!」

「そんな事は言ってない! 僕は芹香を守る。大事な妹は僕が守るんだ! だからこそ、僕は芹香の傍にいるんだ。軍になんか入っていたら、誰が芹香を守るっていうんだ!」


 精一杯の気迫を込めて少年は叫ぶ。

 しかし眼前の巨人の如き男の胸に僅かな風を起こすこともできず、無力な少年の絶叫は欠片も響くことはない。


「笑わせる。お前のような小僧に何ができるというのだ」


 圧倒的な暴力が、少年を襲う。

 鍛え抜かれた肉体と戦闘技術を持つ父の拳を、まだ幼い少年が防げるはずもない。


「ああっ!」


 無様に床に転がり、額から血を流す少年。

 母親は目を背け、やめてと懇願することすらしない。


「明日、迎えを寄越す。私の直轄部隊で存分に鍛えられるがいい。この父を超える実力を身につけなければ、この先に必ず訪れる戦乱の世で、大切な妹を守ることなどできるはずがない」

「……戦争はっ……あなたが起こすんだろう! 僕は知っているんだっ! 父さんはこの国の実権を狙っている。軍の力を強大化させて、近隣国を刺激しているのはあなただ! この平和な日本で! 戦乱のドイツから逃げてきた芹香が暮らす日本で! 戦争を起こそうとしているのはあなただ!」


 背を向けた男を、少年は流れる血が視界を赤く染めるのも構わず睨みつけて叫ぶ。

 男は一瞬立ち止まるが、振り返ることも反論することもなく、立ち去っていった。


「お兄ちゃん!」


 振り返れば、ダークブロンドの美少女が泣きながら立っていた。

 直也は駆けより、少女を抱きしめる。


「芹香、大丈夫だ。僕はどこにも行かない。ずっと一緒だ。あんな悪魔のような男は、父親でもなんでもない。僕がいつまでも君を守る。ずっと、ずっとだ」

「うん……ありがとうお兄ちゃん! ずっと私を、守ってね。そばにいてね」

「当たり前だ! 芹香!」


 ダークブロンドの少女は嬉しそうに、愛らしく笑う。

 しかし。


「……芹香?」


 ふいに、抱きしめていた幼い妹の姿が闇に溶けるように消えてしまう。


「カレイド型……慢性骨髄白血病?」


 空を抱いた少年の手が絶望に震える。


「治らない……そんな」


 混乱する少年の目の前に現れたのは、暖かい見る者の心を和ませる微笑みを湛える女性。


「直也クン」

「僕は……僕はどうしたら」

「大丈夫、芹香ちゃんを助ける方法は必ずあるわ。私が必ず見つけ出す。信じて」

「結女さん」

「だから直也クンは、お父様の期待に応えられるように頑張って」

「結女さんまで、そんな事を言うのか! あの悪魔みたいな男に従って、人殺しの訓練を受けろと言うのか!」

「違うわ。直也クン、あの人にはあの人の考えがあるの。今は分からなくてもいい。そんな歳で軍に入れだなんて、酷いことを言っているのは分かってる。でもね、直也クン。力が必要な時は、この先に必ず来るの」

「結女さん?」


 暖かい笑みの女性は、少年を優しく胸に抱きしめる。


「その時に後悔しないように。芹香ちゃんを自分の手で守れるように、直也クンは強くならなくちゃならない」

「……あの男より?」


 女性はクスリと笑う。


「そうね。お父様より強くなったら、英雄になれるわね」

「英雄?」

「芹香ちゃんを守る英雄。戦争からも、病気からも、芹香ちゃんを守ってあげられる英雄」

「なれるかな?」

「絶対になれるわ。信じて、強くなって。その間に私は、必ず芹香ちゃんの病気を治す方法を手に入れるから」


 女性は小指を差し出す。


「約束よ」


 少年は頷き、小指を絡ませた。


「うん、わかった。約束」


 過酷な訓練も。

 孤独な戦いも。

 血を流し、血を流させる悲惨な戦場も。

 あの優しい微笑みの女性との約束と、愛らしい妹を守り抜く未来を想えば、耐え抜くことができた。


 苦難も。別離も。孤独も。絶望も。

 ただただ、あの女性と妹の為に。

 新崎結女と、芹香・シュバルツェンベックの為に。


  ***


「……た、田中……!」


 直也が苦しげに、声を漏らす。

 片手で胸を押さえ、片手を武士に向かって差し出して、よろよろと歩み寄ってくる。


「先輩!!」


 助けを求めるかのようなその手を取る為に、武士も手を伸ばした。

 直接、直也の手を取ってアーリエルの力を流し込み、魔女の呪いを打ち消す。

 その武士の思惑は、しかし果たされることはない。


 二人の手は触れ合うことなく交錯する。


「えっ?」


 直也の手が、武士の胸に突き刺さったままの黒鬼の魔剣(オゥガ・デーゲン)の柄を握りしめ、一気に引き抜いた。

 

「――っ!!」


 噴水のように武士の胸から血が吹き出し、急激に大量の血を失った武士は意識を失いかける。


(……死んでる暇はないっ!!)


 武士は瞬時に傷口を塞ぎ、魂のエネルギーを失った血に変えて全身に回し、なんとか意識を保った。


 直也は抜いた刀についた武士の血を、手の指でゆっくりと拭う。


結女さん(あのひと)との約束の為に……芹香の為に。俺は必ず英雄にならなくてはいけないんだ。その為には、田中。お前が邪魔なんだ」


 ここにきてようやく、武士は悟る。

 メフィストの呪いにより、芹香を守るイコール武士を殺す事になっている直也の認識は、崩すことはできない。

 いくら武士が呼びかけ、直也の意志がメフィストの意志に勝ったところで、彼の芹香や結女への思いが強ければ強い程、武士への殺意は膨れあがるのだ。

 当の武士が、直也のいるべき場所を奪った本人なのだから。


「だけど……僕だってはいそうですかと、先輩に負けてあげるわけにはいかないんだ」


 武士は右腕を復活させて、霊波天刃を発生させて構える。

 切っ先を目線の高さに上げる、正眼の構え。


「僕だって葵ちゃんを守りたい。それに……芹香ちゃんだけじゃない、皆が暮らすこの世界を、悪魔の手から取り戻さなきゃいけないんだ!」


 応じるように、直也も黒鬼の魔剣(オゥガ・デーゲン)を構える。

 正面から大きく振り被った、上段の構え。


「やってみろよ田中。ちょっと力を手に入れただけの一般人に過ぎないお前が、あの地獄を一人で生き延びてきた俺に勝てるものか」


 もう、何が真実かは関係がなかった。

 これは、二人の男の意地と意地のぶつかり合いだ。


 遠く麒麟と北狼の銃声が響く、僅かな沈黙の後。


 先に動いたのは武士だった。

 裂帛の気合いとともに、最短距離で霊波天刃を突き出す。

後の先を取り、上段から黒鬼の魔剣(オゥガ・デーゲン)を振り下ろす直也。

 蒼の黒の剣閃が交錯する直前。


 武士の脳裏に、命蒼刃を介して魂が繋がった少女のビジョンが弾けるように浮かんだ。


(――葵ちゃん!)


 黒髪の少女の身に、紅葉の持つ兇刃が迫っている。


(させない!!)


 武士は自分の体を黒鬼の魔剣(オゥガ・デーゲン)が斬り裂くのも構わず、命蒼刃の力を(ヽヽヽヽヽヽ)逆流させた(ヽヽヽヽヽヽ)


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