「血を悦ぶ魔女は戦場で嗤う」
「師匠らしくないっすよ! 止めて下さ……っとお!」
上体を反らした翠の目と鼻の先を、紅葉のナイフが閃いて空気を斬り裂く。
その刹那の隙を狙い、ナイフを振り抜いた紅葉の背後から葵の蹴りが飛ぶ。
「師匠ごめんなさ――」
だが、背中に目が付いているかのような動きで紅葉の体は沈み込み、逆に旋風のごとき後ろ回し蹴りが葵の体を捉えた。
「ぐっ…」
「このっ!」
今度こそ体勢を崩したかに見えた紅葉の体に、翠は碧双刃の柄尻を叩き込もうと動くが、紅葉は葵を蹴り飛ばした脚を力点に宙に跳びバク転。
碧双刃の攻撃を躱し、そのままオーバーヘッドキックの要領で翠の頭上から蹴りを叩き込んだ。
「くうっ!!」
辛うじて脳天への一撃を避けるが、鎖骨を折られんばかりの一撃を受けて、翠はその場に倒れ込む。
チャキン! とナイフを逆手に持ち替える紅葉。
ダンダン!!
ハジメの銃が火を噴いたが、予期していたように紅葉は飛び跳ね、銃弾は地面に爆ぜるのみ。
「ち……どいつもこいつも、鉄砲の弾ってやつはフツー避けらんねえもんだけどな!?」
毒づきつつハジメは、油断なく銃を構える。
紅葉も腰を落とし、いつでもハジメの殺気に反応して跳躍できる構えだ。
「し、師匠……」
「師匠、目ぇ覚まして下さいよ!!」
葵と翠も立ち上がり、ハジメと三人で紅葉を囲む。
紅華は疲労の極致にある灯太を抱え、やや離れた場所で朱焔杖を構え状況を見守っていた。
(師匠ほどの人まで操るなんて……メフィスト・フェレス!)
葵は歯噛みする。
遠くダムの堤体の反対側から響いてきた、おぞましい悪魔の嗤い声。
紅葉の様子がおかしくなったのは、その後からだった。
進化した命蒼刃の能力で武士の状況を把握していた葵は、新崎結女=メフィスト・フェレスが復活し、そして零小隊を操っていたものが神楽の秘術ではなく、メフィストだった事を知る。
北狼部隊に潜入し、零小隊の隊員となっていた葵たちの師匠、紅葉もメフィストの毒牙に掛かってしまっていたのだろう。
「お前達……私から、離れろ……」
苦しげに呻いた後、紅葉は腰からコンバットナイフを引き抜き、襲いかかってきたのだ。
「柄じゃないっすよ? 魔女に呪われるとか、いつからそんな大人しい繊細キャラになったんすか! ゴーイングマイウェイの男勝りで鈍感オレ様キャラだった筈っしょ!?」
すっかり昔の口調に戻り、碧双刃を構えながら翠は叫ぶ。
「翠姉、無理よ。零小隊に潜入していた師匠は、神楽を通してメフィストの術を根深く受けてる。支配を解くにはメフィストを斃すしか――」
「……ざけ、んな……翠、誰が……女じゃないって……?」
逆手に構えたナイフはそのままに、紅葉が途切れ途切れに応える。
「えっ……?」
「師匠! やっぱり呪いなんか師匠に……てうぉわ!!」
虚をついた動きで間合いを詰め、紅葉のナイフが翠に襲いかかった。
「ちょ、師匠、これもしかしてワザとやってません!?」
「まあ……お前達の、成長を……確かめる、いい機会……だからな……」
ぎこちなく口は動き、なんとか自分の意志で話せる紅葉。
だがその言葉と連動しないタイミングで、彼女の手足は容赦ない連撃を翠に繰り出す。
翠はそれを辛うじて躱し、碧双刃で弾く。
「くそが!」
ハジメは援護しようと銃を構えるが、紅葉は戦いながら巧妙に位置取りし、翠の体が常にハジメの射線に入るように立ち回る。
「翠姉っ! 師匠!」
翠の援護に飛び込む葵。
とにかく動きを止めなくてはならないと葵は攻撃を仕掛けるが、かつての弟子たちの動きを完全に見切っている紅葉を前に、二人の攻撃は掠りもしない。
「なんなんだ、あの女……バケモノ化した深井並みの動きじゃねーか……おい! 翠!」
ハジメは葵と翠を相手取りながら、こちらにも一切の隙をみせない紅葉に苛立ち、叫ぶ。
「なんで碧双刃の力を使わねえ!? 森ん中じゃテメエの独壇場のはずだろ?」
「やろうとしてんのよ! さっきから!」
「んだと?」
怒鳴り返す翠の言葉に、驚くハジメ。
「……無駄だ……碧双刃を使うお前と……どれだけ戦闘訓練してきたと、思ってる……」
「クッ!」
脂汗を掻きながら、碧双刃の力を解放する為に翠は距離を取ろうとする。
だが、引いた分だけ紅葉は間合いを詰め、背後からの葵の蹴撃を躱しつつナイフの刺突を繰り出す。
「直接、斬らなくても……植物を操れるように、なったみたいだが……集中する暇を……与えなければ、同じ事だろう?」
碧双刃で植物を操る為には、魂の力を流し込む必要がある。
翠は訓練を経て、極僅かな集中でそれを可能にした。
だが、敵の銃のトリガーを引く指先にすら反応できる紅葉にとって、その僅かな集中を止めるタイミングで攻撃を仕掛けることは、容易いことだった。
「碧双刃を使う時間を、稼ぐのは……お前の仕事だ、葵。もっと……攻撃を工夫しろ」
弟子二人に説教しながら、紅葉は葵の蹴りを避けつつ翠にナイフを繰り出し続ける。
「余裕あんじゃないですか、師匠! さっさと正気に戻って下さい!」
「それが、無理だ。体が、言うこと聞かん。お前らが……私を止めるしかない」
「なんでちょっと嬉しそうなんすかぁ!!」
笑みさえ浮かべている紅葉に、翠は悲鳴のような叫びを上げた。
「……訂正。深井以上のバケモンだ、あの女」
師弟たちのやり取りの最中、なんとか銃の射線を確保しようとハジメは駆けまわるが、紅葉は常に翠もしくは葵を挟む形で、ハジメを相手に位置どってる。
紅葉が真に警戒しているのはハジメであって、弟子二人の相手はまるで呼吸するのと同じなのだ。
戦闘が膠着状態に陥った、その時。
「紅華!?」
いつの間にかハジメの対面に立っていた紅華が、朱焔杖を構えた。
ジュォォン!!
熱線が走り、地面と空気を斬り裂く。
葵も翠もまとめて薙ぎ払わんばかりの軌道。
「ちょっ……!」
「っく!」
飛び退く葵と翠。
紅葉もまた大きく飛び跳ね、辛うじて熱線を避けた。
「今だ!」
紅華の叫びに応え、紅葉から大きく距離を取ることができた翠は、碧双刃に魂の力を注ぎ込む。
「アンタに借りを作るのシャクだけどっ……かませ! 碧双刃!!」
翠は裂帛の気合いと共に、二振りの碧双刃の刃を重ねる。
呼応して、周囲の森の木々が一斉にうねりを上げ、四方八方から砲撃と同じ速度で伸びる枝々が紅葉に向かって襲いかかった。
「師匠っ! ……翠姉っ!」
「大丈夫だって葵ちゃん。ちゃんと直撃は避けて……」
土煙があがり、紅葉の姿が遮られる。
その煙の中から。
「私を相手に手加減か、余裕だな……翠」
無傷の女兵士が現れ、翠へと突進してくる。
「げっ!? 躱した!?」
「ちっ」
「翠姉っ!」
「翠ッ!」
不意を突かれ、反応が遅れる翠。
葵が駆け寄るよりハジメの銃口が捉えるより早く、舌打ちしながら紅葉と翠の間に割って入ったのは、紅華。
ギィン!
繰り出されたナイフは、朱焔杖によって受け止められる。
「紅華っ! テメエなんで――」
「ここは姉貴に任せて」
ヨロヨロと歩み寄ってきた灯太が、背後からハジメに声を掛ける。
「灯太、お前大丈夫なのか?」
「まだシンドイ。だからお兄ちゃんがボクを守ってよ、御堂ハジメ」
冗談めかして依頼する灯太だったが、実際に極度の疲労で足が震えていた。
ハジメは今にも再び倒れ込みそうな灯太の腕を掴んで、支える。
「大好きな紅華お姉ちゃんに守って貰えばいいじゃねーか」
「あの紅葉という女兵士。葵お姉ちゃんと翠お姉ちゃんじゃ相手にならない。完璧に動きを読まれてる上に、お姉ちゃん達は本気で戦えてない」
「なら俺が相手をするさ」
「ほとんど弾は残って無いのに?」
疲労困憊でありながら、ハジメが発砲数を絞って戦っていることに気づき、また葵たちの戦い振りを冷静に分析して状況を把握している灯太に、ハジメは舌を巻く。
「この後、人外の化け物と対決しなくちゃいけない。戦力を無駄に消耗させる訳にはいかないんだ。アイツの相手は、ウチの姉貴が適任だ」
「……というわけだ。大人しく下がっていろ、刃朗衆」
灯太の言葉を引き継いで、朱焔杖を構えて紅葉と対峙する紅華。
葵と翠は困惑しながら、顔を見合わせる。
「……冗談言わないで。これは刃朗衆の問題よ、麒麟には関係ない」
「葵ちゃん」
険しい顔つきで言い返す葵に、反論は意外な方向から来た。
「いや……下がっていろ……葵」
「師匠?」
ナイフを構え紅華から視線を外さないまま、紅葉は呟く。
「甘い貴様たちでは、私は止められん……相手をしてくれ、麒麟の紅華」
「請われるまでもない。私は、借りは返す」
告げた直後、朱焔杖から容赦のない熱線が紅葉に向けて放たれた。
***
「チッ……あの女。人間風情が生意気に、半端に意識を残しているのね」
黒い翼で宙に浮かびながら、新崎結女は舌打ちする。
直後、蒼い剣閃が下方から飛んできたが、漆黒のオーラを纏った翼がそれを防いだ。
「メフィストッ! 紅葉さんを操るのを今すぐやめろっ!!」
葵と意識をリンクさせ、ハジメたちの状況を把握している武士が叫ぶ。
つむじ風を起こし、飛翔してメフィストに攻撃を仕掛けようとするが、
「破滅の魔雹!!」
即座にメフィストが突き出した掌から無数の黒弾が打ち出され、武士が生んだ風は無効化される。
「なっ…!?」
「撃ちなさい」
飛翔を阻止された武士は、メフィストの呟きとともに背後から零小隊に一斉射撃される。
「ぐ……!」
無数の銃弾を受けて倒れる武士。
『やらせるな! <偽りの英雄>を守れ!』
華那国語での叫びとともに、武士を狙った零小隊に向けて麒麟が発砲する。
即座に散開し対応する零小隊。
夜の森の中。
メフィストが操る零小隊と、呉近強が率いる麒麟は、激戦を繰り広げていた。
陸戦に長けた両者の戦いのさなか、武士は敵の根源たるメフィストを抑えようとするが、自身の魔力と零小隊を組み合わせたメフィストの狡猾な戦術にまともに戦うことができずにいた。
「ふん。覚醒したばかりで、まだまだ精霊の力を使いこなせないアンタに、何百年もの間こちらで遊んできた私の相手が務まると思わないことネ」
体中を蜂の巣にされ、血を吐き地面に這いつくばる武士に向かい唾を吐くメフィスト。
両手を広げ、黒いオーラを頭上に集約させる。
巨大な球体となったそれは、この世ではありえない黒い光の稲妻を纏って、大気を震わせた。
「大きいのをくれてアゲルわ……♪ アンタ程度に受け入れられるかしらネ?」
「っ!!」
「虚無より産まれし滅亡の檻!!」
黒い雷球が轟音をあげ、武士に叩きつけられる。
漆黒の閃光とともに爆風が巻き起こり、収束した後には直径数メートルのクレーターができあがっていた。
「あはははははははははっ……くははははははっ……クカカカカカカカッ……!?」
ヒトの笑い声から悪魔の嗤い声に変わりながら、愉悦に浸るメフィスト。
だが、クレーターの中心に蒼いオーラを纏った人影が立ち上がるのを目撃し、顔色を変える。
「……やっかいね」
忌々しげに呟くメフィスト。
武士は命蒼刃の力で一瞬で銃撃のダメージを治癒し、アーリエルの力で悪魔の大魔術を防いだのだ。
「無駄なことはやめろメフィスト。僕は死なない。お前の魔術もこの世の弾丸も、僕を滅ぼすことはできない」
「ククク……確かにそうね。けどアーリエル、その不死の力はアンタのモノじゃあない。こちらの世界で生まれた九色刃の、命蒼刃の力よ?」
「……」
悪魔が何を言いたいのが分かり切っている武士は、拳を握りしめ睨みつける。
「そしてそれが九色刃の力である以上、管理者を殺せばアンタの不死性は失われる」
「葵ちゃんには手を出させないっ!!」
「紅葉とかいう女。なかなかどうしてうまく動かない……こうなったら直々に、アンタの愛しい息子のオンナを、私が縊り殺してあげるワ」
頬まで口が裂けたかのように錯覚させる、文字通り悪魔の笑みを浮かべたメフィストは、ダムの向こうまで飛翔しようと背を向ける。
「行かせるかっ!!」
武士は後を追おうと風を纏う。
しかし。
「それはこちらの台詞だ――田中!!」
背後からの剣撃。
メフィストに集中していた武士は反応しきれずに、袈裟切りに斬り倒された。
「九龍先輩……!」
闇を纏わりつかせた日本刀を手に、九龍直也が武士の前に立ち塞がっていた。
「直也クン、後は任せたワ。すぐに管理者を殺してくるから。それまでの間、アーリエルを思う存分切り刻んであげてね」
「ま、待て……」
武士は体を治癒させながら立ち上がろうとするが、それを待つはずもなく直也は斬りかかる。
武士は掌から霊波天刃を発生させ、辛うじて直也の狂刃を受け止めた。
「弾けない!? なんで!?」
触れれば大きく刃を弾くはずの霊波天刃が、しかし黒く発光する霧を纏ったような直也の刀を弾き飛ばすことができない。
「<黒鬼の魔剣>。直也クンの日本刀に私の魔力を付与したワ。あなただけ超常の力を使うのは不公平でしょ、武士クン?」
心の底から愉快そうに嗤うメフィスト。
「その魔剣を通じて、直也クンの魂と私は繋がっている。せいぜい愉しませてねアーリエル。じゃあサヨナラ」
『――行かせるか、巫婆』
華那国語の呟きと共に、自動小銃が火を噴く。
その弾丸はすべて、大陸の符術が練り込まれた外道を降す霊弾。
「人間を舐めるな、魔女が」
冷静な日本語の呟きとともに拳銃から放たれた弾丸は、古くから欧州に伝わる退魔の術式が施された、銀の弾丸。
ガガガガガッ!!
ガンッ! ガンッ!
それらはすべて、メフィストの体を正確に捉える。だが。
「呉近強に鬼島大紀。いろいろと玩具を仕込んでいたようだけど、こちらの世界の魔術など、子どもの遊びよ」
「くっ……」
傷ひとつ負っていないメフィストを、人間の王二人は憎々しげに睨みつける。
その周りに、またも零小隊が展開しようとする。
「人間は人間同士で遊んでいなさい?」
麒麟がそれを阻み、状況は再び混戦状態に突入する。
ケタケタと笑い、悪魔は背を向ける。
「待て! ……く、呉大人!」
『分かっている! 麒麟、まずは零小隊を駆逐する!』
「……メフィストぉぉぉ!!」
叫ぶ武士を見下して嘲笑って、悪魔は漆黒の翼を広げて夜闇へと姿を消した。
「死ね、田中。今度こそ殺してやる」
憎しみと異世界の魔女に心身ともに支配された直也が、ギリギリと魔剣を押し込む。
武士の霊波天刃と直也の黒鬼の魔剣が、蒼と黒の火花を散らせてせめぎ合う。
「やめて下さい、九龍先輩!」
「俺たちは戦う運命だ、田中。葵を助けに行きたければ、今度こそ俺を殺すしかない」
カカカカカカカカカカ……
夜の闇を飛ぶ魔女の嗤い声が、この世界すべてを侮辱していた。




