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「メフィスト・フェレス」

 カカカカカカカカカカカカカカカカカカ!

 カカカカカカカカカカカカカカカカカカ!

 カカカカカカカカカカカカカカカカカカ!


 それは、もう「音」と呼ぶのも生温い空気の振動。

 魂そのものを揺さぶられ、細かく砕かれたガラスの海に身を沈められる方がまだマシな程の、不快感と苦痛。

 意志の弱い者であれば、それだけで発狂しかねないだろう。


 それを、闇を固体化したような黒い翼を現出させた一人の女が、四方八方へとまき散らしていた。


「クソが」


 大音響をものともせず、鬼島大紀は両手で銃を構え、正確に発砲する。


「やめっ……!」


 ガガガン!!


 直也の制止も間に合わない、三点バーストによる速射。


「……チッ、まさしく人外か」


 しかし銃撃は、持ち主の身を守るように折り曲げられた黒い翼であっさりと防がれた。


 カカカカカカカカカカカカカカカカカカ!

 カカッ……………

 ………

 …


 唐突に悪魔の笑い声が止み、再び静寂が夜を支配する。

 正確には空から間近に迫ってきている三機の大型ヘリコプターの音が近づき、静寂などではまったくないのだが、先の悪魔の大音響に比べては、木々の葉鳴りと変わらない涼やかなものだ。


「……結女、さん?」


 直也がボソリと呟く。

 黒い翼の女。かつて「新崎結女」と呼ばれてた存在は、彼が漏らした小さな声にグルンと首を回し、直也の顔を見た。


「直也クン」


 ゾワッ――


 政界の魑魅魍魎を相手にして泰然とした態度を取り続けてきた鬼島をして、全身を総毛立たせた魔女の微笑は、怖気と呼ぶのも生やさしい感覚を与える。


「結女さん、生きて……」

「ありがとう直也クン。あなたの心が、愛が、わたしを死の淵から甦らせてくれた。忌まわしいアーリエル(その女)に操られた、あなたのお父様の弾丸から、わたしを救ってくれた」

「良かった、本当に……」


 直也は惚けた表情を浮かべ、かつて新崎結女だった者を嬉しそうに見つめている。


「……巫山戯(ふざけ)るなっ!!」


 武士の叫びとともに蒼い霊波の風が吹きつけ、黒い翼の魔女を包み込むように渦を巻いた。

だが魔女からも漆黒のオーラが噴出し、その風を容易く弾く。


「――!」


 しかし悪魔の呪縛は弱まったのか、直也の瞳に意志の光が戻った。


「鬼島首相っ! 今の内に先輩を!」

「……直也!」


 鬼島は銃をホルスターに収め、直也に駆け寄る。


「鬼島!? ……がっ!!」


 鬼島の拳が、直也の顔面を捉えた。

 吹っ飛ばされた直也は、しかし自分の意志で後方に飛んでおり鬼島の突きの威力を減じている。


「目を覚ませ直也! 俺の息子が、いつまでもいいように化け物に操られるんじゃない!」

「!? この期に及んで息子呼ばわりは止めてくれ。操られているのはどっちだ! 田中に……アーリエルに騙されているのはアンタの方だ!」

「お前は今の新崎を見て、本気でそう思っているのか!?」


 武士が巻き起こすオーラの風が、魔女を抑え込んでいる。

 闇と蒼の鬩ぎ合いの中で、女は心底愉しそうに、直也を見て笑っていた。


「……もし、仮に」


 迷いを振り切るように頭を振り、直也は武士を一瞥した後、父である鬼島を睨みつける。


「仮に結女さんが、人間でなかったとして」

「仮にではない。まさしく悪魔だ」

「悪魔であったとしても! それだけで田中やアンタを信じて、結女さんを敵と断じる理由にはならない! 軍に入れられて、芹香の病気が分かって、俺が一人苦しんでいる時に助けてくれたのは、結女さんだ!アンタじゃない!」


 自らに言い聞かせるように言葉を絞り出す直也。

 鬼島は一瞬顔をしかめるが、それは他者には分からない程に、極々小さな感情の揺れ。

 娘を自らの手で助けられず、息子を一人にしてきた事実には変わりがない。

 鬼島は落ち着いた口調で、息子に語りかける。


「芹香の病は、田中君が治してくれたのだろう? 信じるに足る行動だ」

「命蒼刃を奪われなければ、俺が救えていたんだ」

「他者を治癒する力は、本来の命蒼刃にはない。おそらくアーリエルの力があってこそだ」

「関係ない! 芹香を使い手として不死身にする方法だってあった! ……貴様だ、田中武士。貴様さえいなければ……」


「九龍先輩……!」


 その時。アーリエルの力を宿す武士の瞳は、刀の切っ先を突きつけ憎しみの篭った視線を突き刺してくる青年の魂から、仄暗い霧のような闇が立ち上る様を捉えた。


「……カカカッ……アハハハッ……!」


 魔女から噴出する黒いオーラの圧力が、爆発的に跳ねあがる。


「何ッ!」


 霊波の風は吹き飛ばされ、武士の体もまた地面に転がされた。


「グッ……」

「!!」


 同時に、離れた所に立っていた鬼島の体にも、物理的なプレッシャーが襲いかかる。

 さすがに倒されることはなかったが、腰を落としその場に踏みとどまるだけで精いっぱいだった。


「クカカカカッ…… アーリエル。四大精霊の一角、シルフにも劣る下等精霊が、この大悪魔たるメフィスト・フェレスをいつまでも抑え込めると思わないことね」


 悪魔メフィストは嗤い、そして艶めかしい表情で直也に視線を移す。


「直也クン、本当にイイ子。大丈夫よ、私があなたを、本来あるべき運命に戻してあげ――」


 ガンガンッ!


 メフィストの戯言を遮るように放たれた鬼島の銃弾は、しかし何事もなかったのように闇のオーラにかき消される。


「人が話している時に、無粋な真似をしないで下さいね? 首相」

「人? 薄汚い蝙蝠が人間様の振りをするんじゃない」

「……下等人類が、言ってくれる」


 魔女の瞳が妖しく光る。


「――首相っ! 避けて!」


 ガガガガッ!!


 武士の叫びが一瞬遅ければ、彼の体は蜂の巣になっていただろう。

 驚異的な瞬発力でその場を飛び退いた鬼島は、森の中から放たれた小銃の連射をすべて避ける事に成功する。


「……あいつらは!?」


 驚愕したのは直也だった。

 ダムの堤体の方角から現れたその集団は、斬られ、撃たれ、手足や首をあらぬ方向に折られた姿のまま小銃を構える、陸上部隊。


「零小隊……なんで!? 神楽君の呪縛は解いたはずなのに!」


 武士も驚きを隠せない。

 それは、つい先程まで死闘を繰り広げていた北狼・零小隊だったのだ。


「アハハハハ! あんなガキが、本当にヒトの魂を鎮めて意識を繋ぎ操るなどという秘術を使えると思っていたのかい? 呪いとともに私が神楽に力の一部を貸していただけ。人間如きにできる技じゃあないんだよ!」

「……なんだと?」


 メフィストの言葉に、鬼島が反応する。


「首相……本当に愚かですわね。私が進言した、出雲の秘術を使った北狼の強化案。まんまと乗って下さいましたわね。偽りの術とも知らずに」


 愉しげに鬼島を嘲笑するメフィスト。


「いずれCACCに攻め込む時に、麒麟に対抗する力として使うつもりだったのでしょう? そしてあの国が独占しているカレイド型白血病の治療薬、その原料を奪う計画だった」

「黙れ」

「なん……だって?」


 思わぬところから出た病名と計画に、直也は鬼島を見て驚愕する。

 その様を見て、メフィストは更に嗤う。


「計画は必要なくなったのだから、玩具は返してもらって構わないでしょう?」

「……なるほど。確かに田中君が娘を助けていなかったら、私はあの国に零小隊を送り込んでいただろう。そして目的を達成しそうになったところで、貴様は小隊の主導権を神楽から奪い、更に状況を混乱させていた……そんなところか」

「正解よ。滑稽だったわ! 偽物の技術とも知らずに、あんな子どもに大切な子飼いの部隊を預けて、薬の原料を奪う計画を練るあなたの姿は! アハハハ……!」


 冷たい嘲笑が木霊する。

 鬼島は侮蔑を浴び続けるが、表情は変わらない。


「滑稽なのは貴様だ新崎。いやメフィスト」

「……なんですって?」


 落ち着いたトーンの鬼島に、メフィストの笑いが止まる。


「神楽が普通でないことには気づいていた。出雲神道についてはすべて調査済みだ。人を操るような術は存在しない。だからこそ私は、神楽を泳がせて行動を監視していたのだ。秘術の出所を探るためにな」

「まさか……」

「そして貴様は、まんまと釣り上げられた。さて、滑稽なのはどちらかな?」


 鬼島は人を喰ったような顔で、ニヤリと笑う。

 対してメフィストはつい先程までの愉しげな様子からは一転し、醜く顔を歪ませた。


「……楽には死なせてあげないわ、鬼島大紀」


 メフィストが文字通り操り人形となっている零小隊に命令を下そうとした、その瞬間。


「させないっ……霊波天刃ッ!!」


 蒼い剣閃が飛び、まさに鬼島に向けて引き金を引こうとしていた兵士たちに炸裂した。

 しかし。


「黙っていろアーリエルッ!!」


 メフィストの叫びとともに、空中に四本の漆黒の槍が出現する。


真なる(エヒト・)破滅を齎す(フェアデルベン)四黒の(・フィアトシュバルツ)魔槍(・ランツ)!!」


 弾けるように槍が射出され、武士の体を次々と貫いた。


「がああああっ!!」


 武士は立ったまま、四本の槍に地面に縫い止められてしまう。

 脚を、腹を、腕を、胸を貫かれ、武士はおびただしい量の吐血をする。

 命蒼刃の力で致命傷にはならないものの、槍に貫かれたままで回復の力は阻害されている。

 ダムの戦いで深井の義手から放たれた漆黒の杭と同じ能力だ。


「貴様など、本気を出した私の敵じゃあない! 見るがいい!」


 炸裂した霊波天刃が起こした砂煙の中から、黒いオーラに包まれた零小隊が飛び出し、散開する。


「が……はっ……そんな、霊波天刃が、確かに……」

「私が操る零小隊のスペックは、神楽の坊やが操った時の比じゃないわ。思い知るがいい!」


 一瞬で零小隊は、鬼島を囲む形で陣形を完成させる。


「チッ……見事だな」


 自身が歴戦の兵士である鬼島をもってしても、その包囲網を突破することは不可能に思えた。


「ま、待って……待ってくれ! 結女さん!!」


 呆然と状況を見守ることしかできなかった直也が、なんとか声を上げて結女の前に立ち塞がる。


「結女さん、あなたは本当に……」

「すべて貴方の為なのよ。私の大切な、直也クン」


 メフィストは氷の微笑を浮かべて、直也に囁きかける。

 直也の魂から滲み出る暗い情念が、悪魔の闇のオーラと結びつこうとしているのを武士は知覚する。


「ダメだ、九龍先輩! メフィストの声を聴かないで!!」

「直也っ!!」


 武士は漆黒の槍に貫かれ、鬼島は零小隊の銃口に囲まれ、動くことができない。


「俺の為……?」

「私は、貴方が真の英雄となる運命を変えてしまった。これでも反省しているのよ? 直也クン。だから戻してあげる。貴方はこの国と、大好きな妹を救う真の英雄になるの。そして悪の宰相である父親を斃すのよ。それがあるべき姿。それが本当の未来。その為に、命蒼刃と芹香はあなたの手に戻らなくてはならない」

「結女さん、俺は……」


 直也の瞳から光が喪われ、メフィストに向かって一歩、歩みを進める。


「……黙れぇぇぇ!!」


 バキィィィン!!


 武士の叫びとともに空気を引き裂くような音が響き、漆黒の槍は砕かれる。

そして再び武士の周りを、蒼い風が渦を巻く。


「零小隊! 撃――」


 メフィストが兵士達に銃撃を命じようとした瞬間。


 ザザザザザザザッ!!


 突如、上空から割って入る形で降下してくる無数の人影。

 それは零小隊と異なる兵装の、武装集団。


「なにっ!?」


 いつの間にか、輸送ヘリ三機がすぐ上空に迫っていた。

 そこから途中までロープを下ろし、零小隊とほぼ同規模の兵団が一瞬で降下してきたのだ。


 鬼島は、ふっとため息を吐く。


「……領土侵犯だ。即刻退去を要求する」

「よく言う。こちらの介入を予測してなかったとは言わさんぞ」


 鬼島の言葉に応えたのは、最後に降下してきた司令官らしき男。


「きっ……貴様! なぜ!?」


 メフィストは男の顔を見て、憎々しげに歯ぎしりする。

 男は悪魔の姿を認めると、ギッと鋭い視線で睨みつけた。


「――ようやく見つけたぞ、巫婆フーポウ。さんざん我が国を弄んでくれた報い、我ら<麒麟>が必ずくれてやる」

「おのれ……呉近強!!」


 CACC連合評議会議員にして、地下武装組織<麒麟>のトップ。

 呉近強が、悪魔に向けて宣戦を布告した。



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