「九色刃と予言の英雄」
「なんだ……これ」
ハジメは目の前にある巨大な木の枝に触れる。
窓から飛び込んできた枝は、剣道場の周りの緑地にある樹から伸びていた。
床から生えている樹は、どう見ても剣道場の割れた床板から変化して伸びている。
目の前の風景が、現実のものとは俄かに信じられなかった。
「CG……じゃねえよなあ」
襲撃者たちを押さえつけ気絶させた樹の枝をさすりながら、ハジメは呟く。
翠は肩から下げていた小さいバッグから救急グッズを取り出し、葵の肩の傷の応急手当てを始めていた。
「うん。弾は残ってないね。大丈夫」
「翠姉、よかった、無事で……」
「だから死亡フラグなんて立ってないって、言ったっしょ?」
「良かった……」
「ごめんね、来るのが遅くなって。あたしも情報がなかなか掴めなくってさ」
武士はその場に座り込んだまま、呆然としている。
目の前で起きたファンタジーな出来事を、現実として処理するのに時間が掛かっているようだった。
「君は、葵さんの仲間なのか」
直也が声を掛けると、翠はぐっと顔を近づけて直也の顔を覗き込んだ。
「おっ! あんたが九龍直也だね? 上半身裸なんてセクシーでサービス満点だねえ」
翠はむき出しだった直也の裸の胸筋を、指でついっとなぞる。
「なっ」
慌てて下がる直也。
武士を切ってしまった際に出血を抑えるため道着を脱いでから、ずっと上は裸のままだった。
「にゃははー。うぶな英雄さんだねえ。葵ちゃん、〈契約〉はもう済んだの?」
笑顔で振り返った翠に、葵は思わず目を逸らしてしまう。
「え? なに、どうしたの?」
「翠姉……実は……」
「翠さん、っていうんだね?」
言い辛そうにしている葵に代わり、直也が話しかける。
「うん。葵ちゃんの仲間。植物を操る九色刃『碧双刃』の使い手だよ」
「どこから、こちらの様子を見ていた?」
「そんなに長く見てないよ。この建物の周りにも敵がいてさ。始末してたんだ。中を覗いたら、葵ちゃんがあのヤローに押さえられてた。」
「そうか。〈契約〉っていうのか? 命蒼刃の不死の力は、発揮されたよ」
「お! なんだよー葵ちゃん。とうとう任務達せ……」
手を打って笑顔を見せる翠の言葉を、直也は遮る。
「不死になったは俺じゃないけどね。そこにいる彼だ」
翠は、直也の視線の先に座り込んでいる、武士の呆然とした顔を見た。
「……は?」
「翠姉ぇ……ごめん……」
葵が俯いたまま声を絞り出す。
「どういう、こと」
「ちょっとしたトラブルがあったんだ。実は……」
真顔になった翠に直也が説明をしかけるが、そこにハジメは割って入った。
「おい九龍。のんびり話してる時間ねーぞ。そろそろ警備員が巡回に来るし、おい、そこのゴスロリのガキ。このデタラメな木、いつまでこのままなんだ」
乱暴な口調で尋ねられ、翠はむっとする。
「ガキじゃない。翠」
「はあ」
「あんた……御堂組跡継ぎの、御堂ハジメだね?」
「……よくご存知で」
「御堂家の当主から、英雄の情報を聞いた」
「あのジジイ、俺にはなんも言わねえで……」
「あんたさっき、葵ちゃんごと敵を撃とうとしてなかった?」
翠は腰の曲刀の柄に手をかけて、ハジメを睨みつけた。
「おいおい、あのシチュエーションじゃ仕方ねえだろ。関係のないあいつを、武士を巻き込むわけにはいかねえんだ」
「関係ない? 関係のない人が、なんで命蒼刃の力を」
「そこの女が説明もしないでとち狂って、九龍を刺しにきたから庇ったんだよ。武士が」
翠は葵に振り返る。
「ごめん、わたし……ずっと奴らに襲われてて、焦り過ぎて……」
「……そっか」
翠は軽くため息をつく。
「ごめん。わたし……」
葵は先程までのきつい印象が、翠の前で気が緩んだのか年相応の少女のように緩んでいた。
「わたし……とんでもないこと、してしまった……」
「とんでもないことしてしまった、じゃ済まねえんだよ」
落ち込む葵に追い討ちをかけるハジメを、翠は再びキッと睨みつけた。
「あんたに何が分かるの! 刃郎衆の、仲間を失ってひとりで戦ってきた葵ちゃんの何が!」
「それを言うなら、お前らに武士の気持ちが分かんのかよ! 突然こんな世界に巻き込まれてよ」
「二人とも、やめるんだ」
険悪な雰囲気になった翠とハジメの間に、直也が割って入る。
「とにかく、いつまでもここに居たらマズい。翠さん、この木は……」
「碧双刃がある程度離れたら、異常成長した部分はすぐに腐って落ちるよ。可哀そうだけどね」
翠は腰の曲刀を指して答える。
「そうか。証拠は……まあ、こいつらが消すだろう」
「全員、殺してはないからね」
「ならよかった。御堂、すぐにお前の家に行きたい。迎えを寄越せないか」
「仕方ねえな……連絡入れるよ。おい武士、立てるか、大丈夫か?」
直也の提案に不承不承頷くと、ハジメは武士に声を掛ける。
「うん……」
武士は、これまでの会話を聞いていたのかいなかったのか、無表情のまま立ち上がった。
ハジメが携帯電話を掛けている間、直也は服を着替える。
翠は落ち込んでいる葵から、これまでの詳しい経緯を聞いていた。
木の枝だらけになった剣道場を出た武士たちは、さすがに正面口から学園を出ることは避けて、運動場の端にある裏門へと向かった。
「武士、大丈夫か? 悪いな、こんなことになっちまってよ」
ハジメは横をとぼとぼと歩く武士に声を掛ける。
「なんでハジメが謝るの?」
「あ、いや……」
「不思議な力を持ってきたのはあの女の子たちで、目的は九龍先輩だったんでしょ? ハジメは関係ないじゃん」
「……ま、そりゃそうだけどよ……」
「違うの?」
「……」
「……ハジメ、僕を利用した?」
ハジメは息を呑む。
それはハジメが一番恐れていた言葉だった。
「よくわからないけど……ハジメはもともと九龍先輩に近づくのが目的で、そのために僕と友達になったの?」
「それは違う! 俺はマジで、お前とダチになりたくて、お前を応援したくて……」
言葉が上滑りする。
口に出せば出すほど嘘くさく、武士には届かない気がした。
「全部聞かせてよハジメ。もう隠す必要無いよ。そうだよね、誰も好き好んで僕なんかと友達になるために、同じ学校選んだりしないよね」
虚ろな目のまま自分を卑下する言葉を吐く武士に、カッとなったハジメはその胸ぐらを乱暴に掴んだ。
「武士! 僕なんか、とか言うんじゃねえよ!」
ハジメは声を荒げながら、武士を引き寄せる。
「俺のことが信用できないなら、今はそれでいい。後で全部説明する。だけど武士、自分のこと『なんか』とか言うんじゃねーよ!」
立ち止まって武士に怒鳴るハジメに、先を歩いていた葵に翠、直也は驚いて振り返った。
「武士、お前はすげー奴だよ。入学式の日には芹香を庇って、さっきは九龍の野郎を……いや、あの女の方を庇ったのか。とにかく、自分を顧みないで人を助けるなんて、普通の奴にはできねえよ。俺は……俺には、あの命蒼刃ってやつの力がお前のところに来たのは、実は意味があるんじゃねえかって思えんだよ」
武士は、シャツの襟を掴むハジメの手をゆっくり掴む。
「苦しいよ、ハジメ」
「あ……悪い」
ハジメは手を離した。
武士はハジメから目を逸らして歩き出す。
二人を振り返って見ていた直也に声をかける。
「行きましょう、九龍先輩。間違って僕のところに来た力を、先輩に返さないといけないんですよね?」
「あ、ああ……大丈夫だ。絶対に、田中は普通の高校生に戻そう」
「よろしくお願いします」
武士は裏門への道を進んでいく。
追って直也たちも再び歩き出すが、最後尾のハジメの表情は暗くなってしまった。
裏門の影で待っていると、グレーの大型のバンが門の前に急停車した。
窓は黒いシールドガラスで中が見えなくなっている。
運転席から、長身でスマートな二〇代前半の、スーツ姿の男性が降りてきた。
短髪の鋭い目つきの男で、海外のブランドものであろう、そのやたらと仕立てのいいスーツからもその筋の人間であることが一発で分かる外見だった。
さらに、スーツ以前にその頬に走るどう見ても刃物によってつけられたであろう傷跡が、彼の正体を主張していた。
傷の男の姿を認めたハジメは、門の影から道路へと出る。
「時沢さん、面倒掛けるね」
「ハジメさん、どうしたんですか、その血は」
低い枯れた声で、時沢と呼ばれた男はハジメに声を掛けた。
ハジメの制服は武士の大量の返り血でかなり汚れており、そのむせかえるような血の匂いに時沢が不審がるのも無理はなかった。
「お怪我はないですか」
「ああ。これは俺の血じゃない」
「いつもみたいに派手な出入りでもあったんですか。……でも、学校で?」
「後で説明するよ。今は急いで、こいつらをジジイのところに連れて行きてーんだ」
門の影から、武士たちが出てくる。
その中に直也の顔を認めてた時沢は、思わず声をあげた。
「九龍……」
「はじめまして」
直也はしれっと頭を下げる。
「どういうことですか、ハジメさん」
小声で問う時沢に、ハジメは頭を掻く。
「どう説明していいかわかんねーんだけど、とにかく監視とか言ってる場合じゃなくなったんだよ。詳しいことは後で話す。とにかく車を出してくんねーかな」
「わかりました」
時沢は短く答えると、バンの後部座席のドアを開けた。
「どうぞ」
質素な外面とは異なり、バンの中には革張りのゆったり座れるシートが向い合せに載っており、武士達五人が乗り込むには十分なスペースがあった。
「乗れよ。VIPをこっそり送迎するための車だ。乗り心地はいいし、防弾処理もされてる。外見はただのバンだから目立たねーし、安心して休めるぜ」
ハジメは武士たちを車に促すと、自分は助手席にさっさと乗り込んだ。
後部座席に葵と翠が並んで乗り込み、向かいに直也と武士が座った。
時沢はドアを閉めると、周囲を見回してから、運転席に乗り込んでエンジンを掛ける。
車はスムーズに発進した。
車内の空気は重かった。
葵は任務のミスを悔い塞ぎ込んでいて、翠はそんな葵の肩を静かに抱いている。
武士は無表情で外を眺めていて、ちょうど背中合わせに座っている形になる助手席のハジメも、普段の軽口は鳴りを潜め黙り込んでいた。
「過ぎたことはともかくとして、だ」
さながら火葬場に向かう霊柩車のようだった車内の空気を破り、直也が口を開いた。
「今後の為に、整理しておきたいことがある。こうなった以上、田中君にも説明はすべきだしね。俺も知らないことはかなりある」
「そうだね」
翠は直也の提案に頷く。
「だったらまず、お前が正体明かせよ。お前が敵である可能性だってあんだからな」
ハジメが助手席から振り返らずに声を上げた。
「九龍直也は予言された救世の英雄だ。敵のはずがない」
葵は顔を上げて、シート越しのハジメの背中を睨む。
「それが分かんねえんだよ。予言ってなんだ。ノストラダムスか?」
「あんた、御堂組の跡取りのくせに何にも知らないんだね」
翠がからかうように口を挟む。
「本当に御堂ハジメなの? あんた。あんたこそ偽物の敵なんじゃないの? 予言のことも知らされてない跡取りなんて、信用できな」
「うるせえ」
翠の台詞を、ハジメは低いトーンの声で遮った。
武士の肩がピクッと震える。
ハジメの声が滅多にない、本当に怒ったときの低い声だったからだ。
「なに? マジで怒った? あたしから見たらあんたの方がよっぽど怪しいわ」
幼い顔立ちに似合わないふてぶてしい笑みを翠は浮かべ、腰の曲刀をわざとらしくカチャリと鳴らす。
「なんだガキ、やんのか? 車ん中に木はねえぞ?」
ハジメも振り返らないままに、殺気立つ。
いつのまにか右手はカバンの中に入っていた。
「試してみる?」
挑発する翠。
「二人ともいいかげんに……」
直也が声を上げようとすると、車が突然急停止した。
時沢が急ブレーキをかけたのだ。
車がガクンと大きく揺れるのに合わせるように、ハジメと翠が狭い車内で同時に動いた。
ハジメは銃を抜き振り返り、翠に銃口を向ける。
翠は狭い空間で器用に曲刀の一本を抜き立ち上がり、振り返ったハジメの首筋に切っ先を突き付けた。
素人には動きが追えないほどの、一瞬の動作だった。
そのはずだったが。
二人の間に座っていた武士が、左腕を上げている。
その左腕はハジメが銃を撃てば当たり、翠が曲刀を突き刺そうとすれば湾曲した刃で腕が切れる位置に、掲げられていた。
「えっ……?」
「武士……?」
翠とハジメは思わず言葉を失う。
「あ……ええと」
「二人とも、それ以上やんなら、表に出てくだせえ。車ん中でチャカとヤッパ抜くなんざ、周りの人間に迷惑ですよ」
運転席の時沢が、大人の落ち着いた声で二人を抑える。
急ブレーキが殺気立った二人の得物を抜くきっかけになったのだが、ハジメは何も言わずに
「悪い」
銃をしまった。
「そうね。大人げなかったわ」
翠も曲刀を腰に戻し、座席に座る。
武士は腕を下ろして、ほっと溜息をついた。
「いや、大人げなかったのはハジメさんの方ですよ。子どもの安い挑発を真に受けるなんて、修行が足りませんよ」
「わかってんよ、時沢さん」
「子どもぉ? 誰が!」
翠がムキになって目の端を吊り上げる。時沢はやや狼狽したように、
「だって…お嬢さん、いいとこ中一くらいでしょ?」
翠の頭から足までを見て、呟く。
「なっ…、あ、た、し、は、十七歳! 葵ちゃんのいっこ上だ!!」
「「「「ええええっ!?!?」」」」
直也、武士、ハジメ、時沢が同時に驚愕の声を上げた。
翠はその反応にがくんと肩を落とす。
「……みんなあたしを幾つだと……」
「十二歳」
「十歳」
「五歳」
「ちょっと待て!!」
口々に言う男たちに全力で突っ込む翠。
「誰だ五歳って言った奴は!」
「翠姉、そんな格好してるから」
暗い顔をしていた葵がほんの少し、くすりと笑う。
翠はその顔を見て、少し安堵した表情を浮かべた。
「これはあたしの戦闘服なの。なによ、葵ちゃんだって、自慢の足見せびらかすみたいにスカート短くしてさ。女子高生の色気アピールですか」
腕組みをしてツンと拗ねたようなポーズをとる。
葵は照れたように、確かに短いスカートから露出している太ももを隠そうと手を置いた。
「わ、わたしはただ、動きやすいように……」
「いーや。葵ちゃんの無意識の女子アピールだね。そりゃあ、そんな葵ちゃんに比べたら、あたしは幼く見えるかもしれないけどさ」
腕組みポーズのまま、葵の体をじろじろと見る。
「服とか足のせいじゃねえだろ。誰かつるぺたってはっきり言ってやれよ」
ハジメが遠慮ない発言をし、翠をからかった。
確かに葵の適度にボリューミーな胸の膨らみに対して、翠の胸はかなり、いや非常に、ささやか過ぎる曲線だった。
「なっ……」
思わず腕組みを解いて葵の胸と自分の胸を見比べてしまった翠は、
「あんた、とことん気に喰わない」
ハジメの後頭部を穴が開くかと思うほど睨みつける。
「気が合うな。俺もだ」
「はいはい。仲直りしたところでまた車動きますよ。もう暴れないで下さいね、お二人さん」
時沢がアクセルを踏み、車はゆっくりと動き出す。
「時沢さん! ……ちっ。わかってんよ」
「……はーい」
二人はともに子供扱いされ互いに納得していなかったが、これ以上争うのもより子供っぽいように感じられ、不貞腐れたながらも時沢に従うことにした。
ただし、このドタバタは沈みこんでいた車内の空気を変えるきっかけになっていた。
「ねえ、田中、武士くんだっけ?」
「え? あ、はい」
翠は目の前に座る武士に声をかける。武士の名前は葵に聞いていた。
「君、さっきのアレ、すごいね」
「さっきのアレって……?」
「ばっと、手を挙げてさ。アイツとあたしの間に」
「ああ……喧嘩を止めようって、とっさに」
「なかなか早い反応で驚いたよ。ホントに一般人?」
「……」
「彼は普通の高校生だよ」
横から直也が口を出す。
「だけど……田中君、君はときどき、予想のつかない動きをするね。今もそうだけど、剣道場で葵さんに刺されたときも、御堂より早く動いた。そういえば去年の屋上でも」
直也は、一年前の春に柏原という男が自殺しようとしたのを、武士が驚異的な早さで駆け寄ってとり押さえたことを思い出した。
「よくわからないですけど……僕は本当に、なんの力もない一般人ですよ」
武士はボソボソと答える。
「武士はさ」
助手席のハジメが口を挟んだ。
「人を助けるときに力を出すタイプなんだよ。俺はそう思うぜ」
ハジメの口調には、どこか誇らしげな響きがあった。
「……そんなことないよ」
しかし静かにそれを否定する武士の声には、どこか諦観の響きがあった。
「話を元に戻そう。予言っていうのはなにか、だったね」
少しの沈黙の後、直也が車内の場を仕切った。
その喋り方は、学園での彼の役職である「生徒会長」のような雰囲気だ。
「予言というのは……」
葵が説明を始める。
「九色刃を管理・守護する私たち刃朗衆に伝えられている予言。九色刃のひとつ、未来を予知する力を持つ白霊刃によってもたらされた。予言は刃朗衆の戒律となっていて、私たちはその戒律通りに九色刃を使わなければならない」
「それで、その具体的な予言の内容は?」
「いくつかあるけれど、最も重要視されているのが、今回の……英雄に関する予言」
葵は、これまで何度も心の内で諳んじていたのだろう、予言にある英雄譚を詠うようにスラスラと口にする。
「日の本の国乱れ、安寧秩序の世が再びの戦禍に淪落せんとする刻。九つの力束ねし救世の英雄を必要とす。その者即ち破軍の王。彼の者の魂を蒼刃に捧げよ。さすれば英雄、寵愛せし者が為、災禍招き宰相打ち滅ぼさん。其れ即ち親殺しなり」
物騒な言葉で締め括られた予言だった。
「なるほどね」
直也は長い足を組み直し、腕を組んで考え込むように眉間を指で押さえた。
「なにが『なるほどね』だよ。胡散臭えなあ。なんで予言ってやつは、どれもこれもあいまいな物言いなんだよ?」
「ノストラダムスに比べれば、具体的すぎる位に具体的だよ」
ハジメの疑いに、翠が言葉を返す。
「別に難しくない。日本がおかしくなって、また戦争が起こりそうな時に英雄が必要になる。その英雄を命蒼刃の力で不死にすれば、戦争を招くような大臣を倒してくれるっていう話だよ」
「それで? なんで九龍が英雄だって話になるんだよ。九つの力がどうとか言ってたけど、まさか苗字だけが理由じゃねえだろうな」
「今、この国はおかしくなっている」
葵が、目の前に座る直也をじっと見つめながら、静かに言葉を紡ぐ。
「ずっと続いていた穏健派の政権が瓦解して、国防軍出身の鬼島が総理大臣になって極端に強硬派の政権が軍備を進めている」
「政治の話なんて、あんま興味ねーんだけど」
「そんな態度が、今の危うい国を作ったんだ!」
軽口を叩いたハジメを、葵が厳しい口調で諌めた。
「政治に無関心な人間が多数を占める民主主義が、今のこの国の暴走を許しているんだ! 今、CACC(アジア大陸中央国家連合)と日本がどれだけの軍事的緊張に陥っているか、知っているのか!」
「……なんだよ、急に」
予想しなかった葵の剣幕に、ハジメは押し黙る。
「御堂。テレビでは報道しないけど、今の日本とCACCは一触触発の状態だよ。前政権の日和見主義で許してしまったCACCの軍事的台頭。その後の鬼島政権による急激な国防軍の軍備拡張に、導火線にもう火が点いてしまっているような状態だ。『安寧秩序の世が再びの戦禍に淪落せんとする刻』っていうのは、まさに今のことを指し示していると思う」
「……知らねえよそんなの」
直也の静かな語り口に、ハジメは気圧された。
「まあ、予言の時が今だっていうのはともかくとしてよ、どうしてそれでお前が英雄だってことになるんだ」
「予言では宰相、つまり鬼島総理を倒すのは親殺しだと言っている」
葵は再び九龍を見つめる。
その瞳に促された直也はゆっくりと口を開いた。
「現日本国内閣総理大臣、鬼島大紀は俺の父親だよ」
黙って聞いていた武士は、驚愕の言葉に目を見開いて隣に座る直也を凝視する。
「九龍先輩が……総理大臣の息子……?」
「苗字が違うじゃねえか」
ハジメも驚きを隠せずにいた。
「母方の姓だ。俺は妾の子なんだよ。鬼島は正妻との間に子供はいない。だから、君たちは俺を見つけるのに時間がかかったんだろう」
「そうだったみたいね」
翠は素直に頷く。
刃朗衆の諜報部隊は優秀だったが、鬼島は自分の家族などの個人情報を公開情報以外徹底して隠匿しており、隠し子の存在は早い段階で認識していたものの、その特定には時間を要していた。
「鬼島はこの国を掌握すると同時に、刃朗衆の里を特定して襲撃した。九色刃の存在とその力を知っていたみたいね」
翠は確認を取るように、直也に問いかける。
「俺が直接確認したわけではないけれど、多分そうだろう」
「彼は九色刃の力を、軍事に利用しようとしてる。刃朗衆は、それを絶対に許すわけにはいかない」
「だろうね」
「あのー……」
武士が恐る恐る手を挙げる。
「なんだい?」
「そもそも、九色刃って、なんなんですか?」
「そうだね。すまない。当事者になった君に、きちんと説明していなかった」
直也は頭を下げた。
「あ、いや……」
「そもそも九龍。なんでお前は知っているんだよ。親父のソーリダイジンから聞いてたのか? お前本当は、親父の手先なんじゃねえのか?」
ハジメは挑発的な物言いをするが、
「御堂。いちいち突っかかってくるのはやめろ。話が先に進まない」
「けっ」
直也はそれを軽くあしらう。
「俺は親父の敵だよ。親父のやり方を俺は認めない。あいつを止める為に、いろいろ調べていたんだ。その調べた中に、九色刃の情報があったんだよ。不完全な情報ばかりだったけどね」
「そういうことだったの」
葵は納得した。
いくら予言の英雄とはいえ、刃朗衆でも支援組織の人間でもない直也が、中途半端とはいえ九色刃と刃郎衆のことを知っている様子だったことが、葵には不思議でならなかったのだ。
諜報部から渡された資料には、直也は私生児であり、父親との接点は一切ないと記されていた。
直也がもともと鬼島総理と相対する立場にいて、こちらのことを知っていたのであれば、何も焦って問答無用で襲いかかることはなかった。
正体を明かして短く説明をすれば、契約はなんのトラブルも起こさずに行えていただろう。
焦りのあまり自分が起こした短絡的な行動が、力を与えるべき相手を間違えることになった。
葵は悔やまれてならなかった。
「それで、九色刃がそもそもなにか、ということだけど……翠さん、話してもらえるかな? 俺も確認したい」
「うん。いーよー」
翠は消しゴムを借りてもいいか、という問いかけに答えるような軽さで応じる。
「失われた古代の超文明から発掘された、伝説のオーパーツか何かなんだろ?」
ハジメは細目でニヤリと笑う。茶化された翠が言葉を発する前に、
「ハジメ。ウザい」
武士が短く冷たく言い捨てた。
「……わりい。笑いごとじゃなかったよな」
車に乗り込む前の武士とのやり取りを思い出し、ハジメはシュンとなってしまう。
その二人の様子を見ていた翠は、思わずくすりと笑った。
「……なんだよ」
翠の笑いを見咎めたハジメが突っ込むが、
「いや。べつに」
翠はそれを受け流した。
「そんなファンタジーでロマン溢れる素敵グッズじゃないよ。九色刃は」
「じゃなんなんだよ」
「軍用兵器」
「はあ?」
「九色刃は、第二次大戦の末期に旧日本軍と旧ドイツ軍の科学者達が共同開発した、軍用戦術・戦略兵器。日本古来の神道・降霊術とヨーロッパの魔術・錬金術、インドの失われた製鉄技術の粋を集めて開発された超常兵器よ」
「……充分ファンタジーじゃねえか」
ハジメは翠の言葉を飲み込んで理解するのに時間がかかったが、ボソリと感想を漏らす。
「開発に関わったのは、旧日本帝国軍の欧州方面軍、独立近衛第九連隊ですね」
それまで黙っていた運転席の時沢が会話に入ってきた。
「……さすが御堂組。よくご存知ですね」
翠は感嘆の声をあげる。
「時沢さん、知ってんのか?」
「ハジメさん。あなたのお祖父さん、現御堂組の当主、御堂征次郎の実の兄が、その部隊に所属していた研究員でした。終戦後、お兄さんは事故でなくなられたそうですが、征次郎さんがその遺志を引き継ぎ、九色刃を管理する刃朗衆の創設に関わったそうです」
「だから、御堂組は……」
「はい。刃朗衆の支援組織として存在しています。もっとも、直系の組員一千人のうち、この事実を知る者は何人もいません。警察のマル暴ですら、前政権の民自党と癒着を持つ、経済ヤクザとしか認識していないでしょう。刃朗衆の存在はトップ・シークレットですから」
「だから俺にも、詳しいことは聞かされていなかったのか」
「……本当に、この件を知っているのは極僅かなんです」
「俺はジジイに、いまでも信用されてないってことだな」
「そんなことはありません。であれば、九龍直也の監視は任されなかったでしょう」
「ジジイは九龍が英雄だと知っていたのか」
「確信はなかったんでしょうね。だからあなたに調査をさせていた」
「結局、何も見抜けなくてこういう事態になったけどな」
淡々とした口調だったが、武士にはハジメがひどく落ち込んでいることが分かった。
(家族に期待されていないのは、俺も一緒だ)
過去に、〈ワンワン〉がチャットでそんなことを言っていたのを思い出した。
武士はハジメに何か言おうとしたが、車に乗る前に気まずい空気になっていたことも手伝って、何も言葉が出てこない。
仕方なく、武士は話題を元に戻した。
「それで、九色刃の力って、具体的にどんなものなんですか? 軍用兵器って言われても、ピンとこなくて」
「そりゃそうだよね」
翠が答える。
「九色刃は、〈管理者〉と〈使い手〉、二人がセットになって初めて力を発揮できるの。〈管理者〉は、長い年月を掛けて九色刃と儀式を行い、刃と契約を交わす。そして〈管理者〉の魂は、力を行使する為のいわばエネルギー源になるのよ」
「エネルギー源?」
「例えば、葵ちゃんが管理する〈命蒼刃〉。これはちょっと特殊な九色刃なんだけど、持っている力は〈不死〉と〈回復〉。〈使い手〉…この場合は田中君ね。命蒼刃は田中君の魂を吸い取り、葵ちゃんと繋げた。そして田中君の体が傷を負った場合、葵ちゃんの魂をエネルギー源として使用して、その肉体を回復させるの」
「葵さんの魂を使って……」
武士は、剣道場で撃たれたところを手で押さえ葵を見た。
葵も武士を見ている。
その瞳は吸い込まれそうなほどに深く、そして今は暗かった。
この時、武士は初めて葵の顔を落ち着いてまじまじと見た。
――綺麗なひとだな。
そんなことを考えている場合ではなかったのだが、思わず武士は見惚れてしまう。
切れ長の瞳。整った目鼻立ち。唇は薄く、ともすればキツそうな顔立ちなのに、どこか儚げでもあった。
すれ違う車のライトに照らされて浮かぶ彼女の姿は、確かに美しかった。
「なに見つめあってんの?」
翠の言葉に武士はハッとする。
「いや、ごめんなさい、そんなつもりじゃ……」
武士は狼狽するが、葵の方は黙ってついっと視線を逸らした。
「そう、二人の魂は今、命蒼刃を通して繋がっていてラブラブな状態ってワケ。きゃー! ロマンチック!」
翠は胸の前で手の平を合わせて、同級生を冷やかす女子のような声を上げる。
「ちょ、そんな……」
「やめてよ、翠姉」
武士は動揺するが、葵は視線を窓の外にやったまま冷静に否定した。
「そんなの、わたしも彼も望んだわけじゃない。彼も迷惑でしょう」
葵の表情は見えなかったが、あの美しい顔はさぞ迷惑そうな表情をしているのだろうと、武士は思った。
「まあ、〈契約〉で使い手の魂を吸い取っちゃうってのは、九色刃の中でも命蒼刃だけだけどね」
「あのー、さっきから魂を吸い取るって言ってるけど、僕、別にいつもと変わらない普通な感じなんだけど……?」
武士は葵のことを考えるのを止めて、翠に質問を投げかける。
「君の精神はちゃんと魂に繋がっていて、君の中にあるからね」
「え? どういうこと…?」
「うーん。説明難いな。ざっくり言うと、魂は人間の本質だけど、それが精神と繋がっている限り、魂が別のところにあっても……異常な状態ではあるけど……特に問題はないのよ」
「よくわからないけど、そういうものなの?」
「そういうものなの。あたしもこれ以上うまく説明できる自信ないから、今はこれで納得して?」
翠は小首を傾げる。そう言われては、武士は頷くしかなかった。
「その、〈回復〉の力なんだけど」
直也が問いかける。
「即死になるような傷でも大丈夫なのか?」
「そのはずだよ。葵ちゃんの体力は消耗するけど、魂がなくならない限りは無限に回復すると思う」
「思う?」
「例がないの。これまで、命蒼刃に使い手が現れたことは一度もないから」
「なるほどね。外傷以外でも……たとえば、病気とかにも効果はあるのか?」
「あるはずだよ。回復は、その魂が記憶する健全な状態に肉体を戻すから」
「回復の力を使い過ぎて、葵さんの魂が無くなってしまうようなことは?」
「それも大丈夫。あたしの知る限り魂の力に際限はないよ。例えばあたしが〈使い手〉の碧双刃……て言うんだけど、これ」
翠は腰の曲刀に手をかける。
「これは、植物を異常成長させて、意のままに操る力があるんだ。さっきみたいに、建物の建材にまで効果があって、完全に『死んで』いる植物まで復活させる力がある」
武士たちは、剣道場で襲撃者たちを一網打尽にした床から生えた樹の枝を思い出した。
「じゃあ、それだけの植物が育つのに必要な養分をどこから持ってきているかというと、管理者の魂なのよ。あたしは碧双刃を短期間に相当使ったことがあるけど、パワーが落ちるようなことは、今まで一度もなかったわ」
「……そうか。なら、不治の病だって命蒼刃は治せるということか」
「まず病気にならないでしょうね」
「すげえな。武士、お前みすみすこの力、手放す必要ないんじゃねーか?」
ハジメは助手席から身を乗り出してきて軽口を叩くが、返ってきたのは全員からの一様に厳しい顔だった。
「冗談だっつーの……」
「御堂。この力を手に入れるということは、この国と戦う必要があるということだ。そうしなければ、戦争が起きて何万人も死ぬことになる。軽々しくそんなことを言うな」
直也が厳しい口調でハジメを諌める。
「冗談だって」
ハジメは唇を尖らせながら、助手席に戻り前を向く。
「冗談、だけどよ……」
そのまま前を向いたまま、ハジメは言葉を続ける。
「なんだ」
「もし仮に、そうなったとしてもよ……武士ならなんとかするんじゃないかって、俺は思うぜ」
顔を見せないまま言ったハジメの言葉に、武士は何か言おうとするが、立ち上がって反論した直也の声に遮られてしまう。
「お前は何を考えてるんだ! 田中は普通の高校生だ。俺やお前のような、裏の世界で戦ってきた人間じゃない! 田中のことをよく知っているお前なら、彼がこちらの世界で生きていけるはずがないことくらい、分かるだろう!」
「や、だから死なねーんだって」
「そういうことを言ってるんじゃない」
直也はハジメの肩を掴んで、珍しく声を荒げる。
「分かったから、放せよ」
ハジメは直也の腕を掴んで、引き剥がす。
直也は思わず声を荒げてしまった自分に気づき、素直に手を引いた。
ガクンと大きく車が揺れる。
気づくとバンはビルの地下駐車場のような場所に入っていた。
時沢は器用にハンドルを回し、スムーズに駐車スペースへと大型バンを納める。
「着きましたよ、皆さん。御堂組の本家です」
時沢は車を降り、ハジメ、武士たちも続いて降車する。
「へえ。ヤクザの本家って、日本家屋って印象があったけど。こんなビルなんだ」
翠は決して狭くはない駐車場を見回す。
「このビル全部、御堂組の持ち物ですよ。セキュリティも完璧です。安心して下さい」
時沢は翠と葵に説明しながら、武士たちを案内する。
近代的なビルで、エレベーターも二台あった。
テナントも入っているようだったが、時沢はそのすべてが御堂組のフロント企業であることを説明する。
一行は地下2階の駐車場から、エレベーターで十五階へと向かう。
エレベーターの階数ボタンに十五階はなかったが、時沢が慣れた手つきでパネルの下にある引き出し式のテンキーを出して、暗証番号を打ち込むと、ドア上部の行き先階表示に十五階が新たに表示され、エレベーターが動き出した。
「そういえばよ」
エレベーターに乗っている間、ハジメは隣に立っていた翠に声をかける。
「なに」
「お前、九色刃の使い手の方だって言ってたよな」
「そうだけど」
「じゃあ、管理者って奴はどこにいるんだ? セットになってんだろ?」
「……」
ハジメの問いかけに、翠は無言、無表情だった。
「おい」
返事をしない翠にハジメが迫ると、前に立っていた葵が振り返り、口を開きかける。
翠はその葵の胸に軽く手の甲を当てて制すると、ハジメの方に顔を向け、ニコリと笑った。
「内緒♪」
「なんだそれ、大事なことだろーが」
「大事なことだけど、内緒♪」
「んだよ……」
文句をいいながらも、ハジメはこの場でそれ以上追及することを止めた。
翠は、葵とは対照的に明るく快活な印象の少女を持てる少女だった。
車の中で真面目な話をしている時も、基本的に明るい顔で話しており、今、ハジメに向けた笑顔も同様に朗らかな表情だった。
しかしハジメは、今の笑顔にどこか胸の痛むものを感じて、深く追求することを止めた。
そんな繊細な神経などとは無縁のハジメにしては、珍しい。ハジメは自分でもそう思った。
ポーンと音がして、エレベーターのドアが開く。
「着きました。御堂組当主の住むフロアです」
時沢がエレベーターのドアを押さえて、武士たちを促した。




