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プロローグ

 秋の夜。

 鈴虫の鳴くのどかな田舎町に、異形の集団が蠢いていた。

 国防軍も使用している自動小銃を持ち、迷彩柄のボディアーマーを纏った屈強な男たちが、効率的な動きで夜の闇を駆け抜ける。


 古い家屋の玄関を破り、民家に侵入。住民を問答無用で撃ち殺す。

 銃声は、町のいくつかの場所で同時に響いた。

 

 眠りについていた少女は響き渡った銃声に跳ね起き、呟いた。


「89式? 三個小隊……ちがう、もっといる」


 掛け布団を跳ね飛ばして少女が立ち上がると、時代劇にでも出てきそうな着物の裾から、すらりと伸びた健康的な足が、窓から差す月の光を弾いた。


 少女は長い黒髪を手早くゴムでまとめると、枕元に置かれていた蒼い柄と鞘の短刀を手に取る。


 露になったその顔は、目鼻立ちの整った美少女。

 切れ長の瞳がややもするときつい印象を与えるが、同時に清楚で凛とした雰囲気を持つ乙女だった。

 十代半ばに見える少女が、灰色の薄い着物を纏い、短刀を握りしめている。

 そこだけ切り取れば、江戸か戦国かといった情景だが、そこに襖がタンッと開いて、現代が飛び込んできた。


「葵ちゃん、今の音、マジ?」


 土足のまま飛び込んできたのはまた別の少女。

 こちらは完全な洋装で、黒のワンピースに白いレースが縁取りされた、ゴスロリと呼ばれる格好をしている。

 靴は厚底のレースアップのブーツだ。日本家屋のこの家に異様なことこの上ない。

 そして、さらに異様なことに、腰には二本の曲刀を下げていた。

 目はくりくりと大きく、愛らしく快活そうな顔立ちに、ショートカットの髪。

 身長は低く、葵と呼ばれた着物の少女よりも幼い雰囲気だ。


「たぶん。翠姉、とうとう見つけられたんだね……」


 しかし葵は、その少女を姉と呼んだ。


「逃げなきゃヤバいね」

「わかってる。でも、みんなを助けなきゃ」

「そんな余裕ないって。連中、ぜってー本職だよ?」

「でも……」

「葵ちゃん、わかってる? 他の何を奪られても、葵ちゃんのそれだけは守らなきゃだかんね?」

「翠姉……」


 翠は葵の手を掴むと、玄関に通じる襖へと駆け出す。

 しかし、襖を開けようとする直前。

 銃声とともに玄関から扉が割れる音がした。


「ちっ」


 翠は舌打ちすると、部屋の反対の窓へ駆け寄ろうとする。

 だが、家に侵入してきた男たちの動きは素早かった。

 葵と翠のいる部屋の襖が開け放たれる。


「目標確認!」


 侵入してきた兵士は二人。

 まだ年若い少女二人相手に躊躇う様子はみじんも無く、兵士たちの自動小銃が火を吹いた。

 兵士たちは弾け飛ぶ女の姿を予測したが、現実は違った。

 葵と翠は信じがたい反応速度を見せ、小銃の射線から飛び跳ね無数の銃撃を避けたのだ。


「なっ……!」


 互いに反対の方向に飛び跳ねた二人に、兵士たちは一瞬どちらを狙うべきか惑う。

 そして、その隙を葵は見逃さなかった。

 疾風のような早さで兵士の一人の懐に飛び込む。

 その勢いのまま上半身を倒れ込ませると、着物からはだけた、白くしなやかな脚が跳ね上がり、鞭のようにしなって兵士の首を打ち据えた。


「うげぇ……」


 蛙の潰れたような声をあげると、兵士は頭と足が天地逆になるほど半回転し、倒れ込む。

 銃弾を防ぐボディアーマーも、少女の旋風のような後ろ回し蹴りの衝撃を止めることはできなかった。


「こ、この……!」


 もう一人の兵士が小銃を構える。

 しかし引き金を引く一瞬、男は躊躇った。

 男はプロだったが、猛烈な蹴りを繰り出した少女の素足に、思わず目が止まってしまったのだ。

 乱れた和服が大きくはだけ、白い太ももが露になっている。

 健康的な色気に熟練の兵士の思考力がほんの一瞬奪われる。

 それほどに、少女の素足は美しかった。


「なに見蕩れてんのよっ……!」


 その隙を、今度は翠が見逃さなかった。

 腰に下げていた二本の曲刀を抜き放つ。

 体を半回転させながら右手の曲刀で小銃を肩から下げているベルト叩き切り、「同時に」柄尻で小銃を地面に叩き落とした。

 刀身が大きな半円を描いている曲刀でしかできない芸当だ。

 そのまま流れるような動きで、左の曲刀を兵士の首筋に突きつける。


「このスケベ」


 翠は足下に落ちた小銃を蹴り飛ばした。

 それを葵が拾い上げ、慣れた手つきで兵士に銃口を向けて構える。


 ほんの数秒の出来事。

 十代の、片方は小学生にも見えかねない程に幼さが残る少女二人に、銃器とボディアーマーで完全武装した屈強な兵士二人が制圧された。

 一般人の動きではない。


「貴様ら……〈使い手〉か?」


 曲刀と小銃を突きつけられた兵士は、両手を挙げながら喘ぐように呟く。


「確証もないのに、うら若き乙女に発砲してきたの? 大した忠誠心だねん♪」


 翠は兵士の首筋を曲刀の背でパタパタと叩きながら、笑顔で軽口を叩く。


「……それで、それは誰に対する忠誠? あなたたちこそ何者なの?」


 葵の方は、小銃を突きつけながら真剣な顔で詰問した。


「あなた、日本人みたいね。さっき目標確認って言ったでしょう。それは私達が目標っていう意味? それともこの村の住人全員のこと? それとも……」

「葵ちゃん」


 更に何かを言いかけた葵を、翠が制する。

 兵士の口元がほんの僅かに、歪んだ。

 突然、翠は曲刀の柄尻で兵士の顎を打ち据える。

 的確に脳を揺らされた兵士は、そのまま崩れ落ちるように昏倒した。


「翠姉、なんで、まだ聞くことが」

「しっ!」


 翠は唇を人差し指で押さえると、しゃがみ込みこんだ。

 兵士の顎を押さえ口を開かせ、口の中に手を突っ込む。

 パキンと小さな音がして、抜いた指先には、小さな機械が摘まれていた。


「翠姉」

「発信器だね。こいつ、舌でスイッチ入れたんだ。あー、やられた」


 翠は発信機を放り投げると、曲刀を一閃。

 一センチ四方の機械は鮮やかに破壊された。


「すぐにここを離れなきゃね」

「翠姉、ごめん。私のせいだ」

「葵ちゃんは悪くないよ。凹むなって。そんな暇ないよ」


 気付けば、外で散発的に響いていた銃声は止み、沈黙が夜を支配していた。


「……まずいね。葵ちゃん、裏口から逃げよう」

「みんなを助けないと」

「葵! あたしらが、あんたとその刀が捕まったら、終わりなんだって!」


 声を押さえながらも、翠は葵を叱咤する。

 葵は懐に入れた短刀を握り、ギリッと歯を食いしばった。


「みんなも素人ばっかじゃないんだから。葵ちゃん、あたしらの戒律は?」

「……九色の刃を守って、予言の〈英雄〉に力を与えること」

「ザッツライトっ。東京から、〈英雄〉の可能性がある人を見つけたって報告があったみたい」

「本当!?」

「今朝聞いた話だよ。とにかく今は、村を脱出して……」


 グオォォォン!


 家のすぐ外で唐突に響いた機械の嘶きが、翠の話を遮った。


「やばっ!」


 翠は葵を突き飛ばし、自分も部屋の隅へと飛び退る。

 直後、巨大な鉄板の塊が轟音を上げて土壁を破壊し、家の中へと飛び込んできた。

 鉄塊は部屋の真ん中に倒れていた兵士二人を、容赦なく踏み潰す。


「装甲車……っ!こんなものまで!」


 鉄板の塊の正体を葵は把握し、驚愕する。

 軍用兵器の車両が投入されている以上、集落を襲った集団は、国家レベルの巨大組織としか考えられない。

 しかも、部屋に残されていた仲間の兵士も巻き込んだその突入方法から、まっとうな正規団体とも考えられない。

 そして、その狙いは葵と、葵の持つ短刀。


「……!」


 葵は懐に手を入れ、あるべきものがないことに気がつく。

 慌てて周囲を見渡すと、突入してきた装甲車のすぐそばに、青い短刀は転がっていた。

 翠に突き飛ばされたときに落としていたのだ。

 手にしていた敵の小銃を捨て、葵は短刀に駆け寄り拾い上げる。

 その葵を狙い、装甲車に搭載された重機関砲の砲身が動いた。


「葵ちゃん!!」


 砲身の動きに気づき、翠は曲刀を抜く。


「『碧双刃』!」


 翠は素早い動きで、足下の畳に二本の曲刀を叩きつける。

 直後、畳の切り裂かれた部分から、緑色の光とともに井草が猛烈な勢いで伸び始めた。


「……行けっ!!」


 装甲車により破壊された家の畳からいっせいに草が伸び始め、装甲車に下から襲いかかる。

 それは超常の現象だった。

 装甲車の車体は大きく傾き、直後に火を噴いた重機関砲の射線は、葵から逸れた。

 だが、機関砲の威力は凄まじく、あちこちの壁は破壊され、家はもはやその体をなしていなかった。


「葵ちゃん逃げるよ!」


 葵と翠は破壊された壁から外へと駆け出す。

 古い樹木が植えられた庭に出ると、しかしそこにも完全武装の兵士が五人、小銃を構え待ち構えていた。


「くっそ!」


 翠と葵はとっさに一番大きな木の陰に飛び込む。

 銃撃は樹木によって防がれるが、兵士たちはすぐに散開し、挟み撃ちの形で葵たちを狙う。


「『碧双刃』!」


 翠はふたたび曲刀を振るい、今度は樹木の幹を突き刺した。

 刀身が淡く緑色に輝くと、樹木の枝がまるで怪物の触手のように動き出す。

 左右に散開した兵士をなぎ払い、次いで、木陰から走り出した翠と葵を正面の兵士達の銃弾から守るように、枝葉を伸ばした。


「超常現象確認!」

「ターゲットはソード・パワーを使用!」


 葵は走り去りながら背中から、兵士たちの叫び声を聞く。

 兵士達は間違いなく自分たちの正体を認識して、襲ってきている。


「翠姉……」

「こんなレベルの襲撃は初めてだね。もうアタシらに残された時間って、ほとんど無いんだ」


 和服の少女と、ゴシック・ロリータの格好をした少女が、闇夜を走る。

 ゴスロリの翠は黒いブーツを履いているが、和服の葵は素足だ。

 正体不明の敵から逃げる為、集落を外れ、山道を逸れ、森の中へと入っていく。

 葵の美しい脚は、すぐに傷だらけになっていった。


「ちょっと待って」


 二十分ほど走った後、翠が立ち止まった。


「翠姉?」


 葵も立ち止まり振り返る。

 翠はしゃがみ込み、ブーツの紐を解き始めていた。


「なにしてるの?」

「葵ちゃん。アタシと靴のサイズ同じだったよね? アタシより背が高いくせに。うらやましー」


 翠は両足のブーツを脱いだ。


「翠姉やめて。それじゃ翠姉の足が」

「あ、アタシここに残って、あいつら足止めをするから」

「何言ってるの! 一緒に脱出を……!」

「あいつら、明らかに軍人だよ。アタシらがこんなにあっさり村から脱出できたのだって絶対おかしい。罠だって」


 その通りかもしれないと、葵も感じてはいた。


「アタシが派手に動いてあいつら引きつけるから、葵ちゃんはその間に逃げて。はい、足出して? 履かせてあげる」

「翠姉、わたしも一緒に戦う」

「葵ちゃん。何度も同じ事言わせないで」

「だけどわたしは!」


 ピシャリ。

 柔らかい頬が叩かれる音が響く。


「お姉ちゃんの言うことを聞きなさい!」


 リリリ……ン……


 鈴虫の鳴き声が帰ってきて、秋の風が森の木々を揺らす。

 叩かれた葵の頬に、一筋の涙が伝った。


「私は、翠姉の妹なんかじゃない」

「分かってるよ。ほら、足を出して」


 葵は近くにあった岩に座り、傷だらけになった素足を差し出す。

 翠はまるで姫に従う侍従のように跪き、葵にブーツを履かせ始めた。


「厚底で慣れないと動きにくいけど、裸足よりましでしょ」

「……」

「泣くなって。ここをどこだと思ってるの? 森の中だよ。コイツの独断場だって」


 腰に下げた二本の曲刀に目をやる。


「ねえ、葵ちゃん。確かにあんたは本当の妹じゃない。本当の姉妹は……」


 翠は、自分の脇腹を手のひらでさする。

 葵はその様子を目にして、再び俯いた。


「でも、あんたと会って仲良くなって、アタシを姉って呼んでくれて、嬉しかったよ」

「今、そんなこと言わないで」

「死亡フラグ立っちゃうって? ないない」

「フラ……グ? なに?」

「なんでもない。葵ちゃん、これから東京で潜入活動とかしなきゃなんだから、今時の言葉も覚えてね。はい、できた」


 翠はブーツを履かせ終わると、剥き出しになっていた葵の太ももをペロリと舐めた。


「っひゃうっ!」


 思わず素っ頓狂な声を上げてしまう葵。


「な、な、なにするの翠姉!」

「うーん。やっぱりいい脚だ」


 翠は奇声を上げて立ち上がった葵の全身を見た。


「……でも変な格好」


 乱れた和服に厚底ブーツは、確かに異様極まりない。


「翠姉が無理矢理」

「にゃははー。仕方ない仕方ない」


 翠はケタケタと笑った。


「その靴、海外ブランドのレースアップで高かったんだからね。東京で合流した時にちゃんと返し」


 タンッ……


 乾いた音とともに翠の肩に赤い血の花が咲き、翠は弾けるように倒れた。


「翠姉ぇっ!」


 駆け寄る葵。

 しかし直ぐに翠は起き上がり、葵を突き飛ばした。


 一瞬前に葵の体があった場所を通り過ぎた銃弾が、地面で爆ぜる。


「行けっ! 走れ、葵! 約束を守って! お姉ちゃんの言う事を聞きなさい!」


 翠の必死の叫び声と見据えられた瞳に、葵は弾けるように駆け出した。

 慣れない厚底の靴で転びそうになるが、鍛えた脚力とバランス感覚で持ち直し闇夜を駆ける。


「行かせるなっ!」


 闇に紛れていた兵士達が、葵の背に銃口を向ける。


「『碧双刃』!」


 緑の光を放つ曲刀が煌めき、森の木々が植物から動物へと変化したように、兵士達へと襲いかかった。

 尋常ではない量の出血を自覚しながら、翠は自らを鼓舞するように叫ぶ。


「行かせないのはこっちなんだよっ! テメエらが探してる力はこっちだ。かかってこい、このヘタレ野郎どもっ! 物陰からコソコソ撃ってんじゃねえよ!」


 何度も転びそうになりながら、葵は夜の森を駆けた。

 蒼い短刀を握り締めながら。

 麓の小屋に緊急脱出用の荷物一式を準備してあるが、敵の周到さを考慮すると、近寄らない方が無難だろう。

 となると、一気に山を越えた隣の集落まで行き、朝を待って車を調達し、いったん近場の都市のセーフハウスに逃げ込むしかない。

 頭で冷静に今後の行動計画を立てながらも、心の方はぐちゃぐちゃだった。


 見捨てた。

 見捨てた。

 同じ組織の仲間を見捨てた。

 姉妹同然に育ってきた、親友を見捨てた。

 自分一人生き残ろうとしている。

 仕方ない、仕方ない!

 戒律の為だ。私の役目なんだ。この力が世界を壊してしまわない為だ!

 違う。言い訳だ。

 見捨てた自分を正当化したいだけだ。

 違う! 私は……

 犠牲を払った。確かに私はみんなを捨てた。

 だからもう、迷わない。

 九色の刃のうち、最も重要な力を持つこの刀を守り、英雄に力を与える。

 その為に私は、この刀の部品になるんだーー


 葵は正体不明の武装集団の襲撃から逃れ、無事に里を脱出した。


 助かった命の代わりに重い宿命を背負い、東京へと向かう。


 田中武士が私立暁学園に奇跡的な合格を果たして、夢と希望を胸に新しい制服に袖を通し、学園に入学する半年前の出来事だった。


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