夏休み、鬱屈した少年による三つの人間命題の証明
命題0
~暑い。~
ただただ暑い。
空はそんなぼくを嘲笑うかのように青く、雲は白かった。蝉もうるさかった。
大体、晴れ晴れしてるのに、ジメジメしてるとはどういうことだ。
けしからん。
と、ぼくは憤慨して宿題するのをやめた。
サボタージュだ。労働者の立派な権利である。
まぁ、天候がぼくの雇用者というわけでは無いのだけれど。
――それにしても、夏休みって暇だよなぁ
暇。って、今この瞬間、生きてる意味、ないよなぁ。
生きる意味?それって。。。
命題1
~人の生きる意味とは何なのか?~
大抵の人間はこう答えるだろう。
「子孫を残すため」と。
結論から言おう。
答えは"No"だ。
この解答は不適だ。正しくない。というか間違っている。
人に生きる意味など、無い。
子孫を残す為に生きてるだなんて、どう考えてもオカシイではないか。
中学校でダーウィンの進化論を学ばなかったのか?
そんなことはないはずだ。
ダーウィンという名前なら誰しもが知っていることだし、ガラパゴス諸島なんて常識だ。
「ガラケー」だなんて言っている奴にガラパゴスや進化論を知らないなんて言わせない。
それほどに世界の常識である進化論を、知っているにもかかわらず、なぜ人は『生きる意味を見いだせない』だなんていう譫言をぬかすのだろうか?
そんなものはないだろう。どう考えても。
ましてや「子孫を残すため」だなんて、知識人が聞いて呆れるわ。中学校をやり直せ。
それは、原因と結果を完全に取り違えた妄言でしかない。
子孫を残すために生きるのではない。子孫を残すから生きるのだ
進化論。
初めは単細胞だった。
植物が生まれた。
菌類。
昆虫類。
魚類。
両生類。
爬虫類。
鳥類。
哺乳類。
連綿と進化していく中に、絶滅した種もある。しかし、人類は生き残っている。
そこに意味はあるか?――ない。
では理由は?――――ある。
ソレは何か。
子孫を残すから。だ。
子孫を残せない種は絶滅する。
それならば、子孫を残す種だけが生き残るのは当然だろう。
原初、"何か"が誕生した。そのことに意味なんて物は一つとして存在しなかった。ソレは祝福されるでもなく、怨嗟されるでもなく、ただソコに在っただけ。
ソレが増えなければそこで終わった。否、始まらなかった。と言うべきか。
しかし、偶然に。まったくの奇遇で。そこに意図や意思が介入するはずも(できるはずも)なく、ソイツは増殖したのだった。
ソイツは生きる意味を持ったのだろうか?
ソイツが増殖して出来たモノは?
明白だ。
あの誕生に意味など無く、この道程に価値など無く、その死滅すら必要性は無い。
どの生命だろうと、無価値という観点に立ってみれば平等で、その全ては等しくガラクタだった。
こうして世界には"増殖"し易いものが溢れる。
増殖しない者は自然淘汰されるからだ。
故に、増殖しやすい遺伝子を持つ者の割合が増え、濃縮され、次の世代で凝縮され、それ以外は絶滅する。
そう。
子孫を残すなんて言うのは、今自分が生きていることの理由にしかならない。
決して、意味なんかにはなり得ないのだ。
∴生きることに意味など無い。Q.E.D.
命題1.5
~なんということだ~
ぼくが暑さに負けて宿題をしまいと思っただけで、人類の生きる意味が無くなってしまった。
いや、元から無いのか。
ところで、問題集の代わりに、これを宿題として出したらどうなるかなぁ……
良くて生徒指導室、最悪精神科かな。
夏の暑さのせいで根性がひん曲がってしまったようだ。
折角真っ直ぐにしたのに。ぼくの根性は形状記憶合金なのか。合金と言えるほど固くないけど。……形状記憶豆腐?
まぁ、そんなことはどうでもいい。
本当に。
大事なのはそう。
僕はまだ暇をもてあましている。ということだ。
これは如何ともし難い。また哲学者でも気取って、意味もなく、意味のないことでも考えるか。
意味のないぼくにとって最高の皮肉でもあるが、な。
命題2
~無価値な人類は"子孫を残す"べきか?~
残さないべきか。
因みに、この日本語はおかしい。
よく"~ないべきだ"の形で、否定語と"べし"をセットで使っている人がいるが、元来"べし"は"~するべし"の形で使うものであり否定したい場合は"~すべきでない"とするのが正しい。
はずだが、パソコンの校正機能に引っかからないので、もしかしたら正しい日本語なのかも知れない。
違和感凄いけど。
閑話休題。
果たして、残すべきなのか。
そうでないのか。
ぼくの場合は残すべきでは……残してはいけないのだろう。
ぼくのような内面も外見も雰囲気すらも嫌悪の対象となる腐りきったゴミは早々に死んだ方が良いので。
それに、進化論的立場から言えば、ぼくのような劣等個体の遺伝子は後世に引き継ぐべきではないのだ。
というか、引き継げないようになっている。
現にぼくは、女性から好意を向けられたことがない。モテたことがない。ということだ。
(余談だが、ぼくは男性からも悪意を呼び寄せるようだ。だれからも愛されないのです。)
そう。ぼくが劣等だから子孫を残してはいけないのではなく、ぼくは劣等だから子孫を残せないのだ。
そして滅びる。自然淘汰。
より人気のある、より生存に適した、より繁殖しやすい個体だけが生き残るシステム。
ではその優良個体とはどんなものなのか。
一言で言えばイケメンである。
もしくは美女である。
何故か。それは人気があるからだ。人気がある。つまり、愛されやすい。即ち、繁殖に有利である。
そう。
子孫を残すには、自分以外の誰か。が必要不可欠なのだ。
だから、ぼくには一生子供なんてできだろう。お前なんて一生童貞だ、ばーかばーか。
……閑話休題。
では何故、人々は子供を作りたがるのか。
それは、繁殖行動の中心。つまりは性交そのものに快楽が生じるからである。
快楽というのは脳にすり込まれた命令だ。
苦痛が逃避を生じさせるように、快楽は人を駆り立てる。
人はそれを得ようとする。
例えば、性交によって生じる物が、身を裂かれるような痛みだけだったとしたら、人はそれをしようと思うだろうか?
快感が付随したことによって、人間の繁殖能力は飛躍的に伸び、結果、この世界に卑しくも君臨しているのだ。
もちろん、これもまた"偶然"の産物なのだろうが。
そうして、自らが楽しむために、人間の男女は子作りに励むのだ。
励みやがるのだ。
「子供が欲しいね。」なんてぬかしおって。
お前らは、子供のことを考えたことがあるのか?
ぼくは毎日思う。
産まれて来たくなかった。と。
死にたい。ではない。産まれてこなければ良かった。でもない。
ただ、産まれて来たくなかった。と。そう、思うのだ。
ぼくの親が酷いとか言うわけじゃあない。
というか、できた親だとすら思っている。
でも、そういう問題じゃないのだ。
ぼく。
つまり子供は、いわば、性産業という一大市場の、産業廃棄物だ。
だから、この辛い世の中を懸命に生きなければならない。
辛いのに。苦しいのに。泣きたいのに。
産まれてきてしまった以上、生きねばならない。
「じゃあ、産まれてこなければ良かった。」とそう思っても無駄だ。
こちらの意思なんて関係なく、ぼくらを決定するのは親なのだから。
ぼくらは親に願ったわけでも、ましてや頼んだわけでもないのに、親のエゴイズムで、勝手に、この世に排出されたのだ。
もし此処で、ぼくが性格も容姿も雰囲気も言動も口調も所作もイケメンな奴であったなら、話は違ったろうが、残念なことにぼくはそれらの対極を行く存在なのだ。
∴子供は作るべきだ※但しイケメンに限るQ.E.D.
命題2.5
~心も蒸し暑くなってきた~
なんという天候でしょう。
悪夢のようだ。しかも、まだ日は暮れていない。
三つ目の証明も出来ちゃいそうだぜ。
その頃には、ぼくの心は八つ裂きになっているかも知れないがな。
どうして自分の考えた結果で自分が傷ついているのか。
微妙に納得がいかない。これは新手の自傷癖か?
それでもぼくは、考えることをやめることは出来なかった。
なぜなら、夕食前に眠ってしまうと、夕食を食べ損なう危険性が高いからだ。
ぼくは起きてなければ。
命題3
~無価値な僕らは死ぬべきか?~
果たしてそうなのだろうか。
ぼくは、これも否定する。
散々生きることに意味など無いと言って、どうして死を否定するのか。
生きることは"義務"だからだ。
日本国憲法には、国民の三大義務として「勤労、教育、納税」が定められている。
が、これには。これを行うには、より上位の義務が。大前提が。必要条件が、存在する。
それは生きること。
生きていなければ働けない。
死んでしまっては教育を受けさせることは出来ない。
この世に存ないと税を納められない。
つまり、日本国民は"健康で文化的な最低限度の生活を営む権利"を有すると同時に、"三大義務を全うする為に生きる義務"を負っているわけだ。
そう。
人間自体が生存する意味はなくとも、人間社会の中で存在は価値を生み出せるのだ。
或る工場で、人員が欲しいとする。
それは別に誰でもいい。人間であれば、老若男女問わない仕事だ。この仕事をするために生まれてきた者は居ない。しかし、誰かがやらなくてはならない仕事だ。
この仕事に就いた者に絶対的な意味はないが、この仕事に就くことで、会社に貢献するという相対的な価値が付与されたのだ。
それが生きる義務。死んではならない、価値。
学校で虐められている人間は無価値か。
違う。
集団が平穏でいる為には、必ず一人の生贄が要る。
その、集団がまとまる為の、絶対悪としての人。
労働力としての人。経済活動を活発にさせる為の人。税を納める為の人。親に恩を返す為の人……
人間社会で、自分以外を幸福にするとき、その人には価値が発生する。
言い換えれば、義務をこなしたときに得られる報酬は価値である。
∴だから死んではいけない。Q.E.D.
命題3.5
~そしてぼくは~
死は、義務を放棄して、価値を消失させる現象だ。
辛くても、苦しくても、嫌でも、縋りたくても、救われなくても、自分が大嫌いでも。
生きねば、ならない。
自分は生きているだけで、価値を得ているのだと。
その暗く寂しい孤独こそが、世界を幸せにしているんだと。
自分の幸福を消費して、世界は回っているんだと。
そう自覚して、生きるほか無い。
血の一滴残らず、人間に搾り取られるまで。
きっと人間は弱い生き物だから、自分が生きていく意味が欲しくて、こんなシステムを構築したんだろうなー
結局の所、我々が問うべきなのは「どうして生きているのか?」ではなく「どうして生きなければならないのか?」なのだ。
こうして価値を得たって、それは人間社会の中でしか通用しない話で、結局の所、本当の価値などぼくらには最初から無いのだから。
ほぼ、作者が思ったことを書く。という評論(エッセイ?)70%、小説30%くらいの作品でした。かなり救いもないような酷いことを言って、現代社会批評をしたつもりですが……できてましたか?これからもよろしくお願いいたします。