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ヴェスバーナ暦1998年秋期2月5日 昼 終端平原
戦況は人類側に傾いていた。1000年前の英雄の存在と強者がいたこと、備えていたことが幸いしたと言える。また、魔族側に有力な将がいないことがあげられる。かつての戦の際、勇者御一行様が有力なのを倒していたのだ。
ただ、それでもいないわけではない。次世代というのは魔族にもいる。だが、残っている英雄には及ばないようであった。そのため、人類側は魔界への侵攻口を作ることに成功していた。
トモエと戦っていたキョウスケ・シノミヤは、容易くトモエを魔界に吹き飛ばした後、その戦鎚を振り回していた。その一振り一振りで、魔族が塵のように吹き飛んでいく。
そんな快進撃。1000年前では考えられなかったことだ。1000年前はまさに絶体絶命だったのだ。残った国は2つだけ。よくもまあ、勝てたものである。それだけ勇者という存在が大きかったともいえる。
だが、この状況も長くは続かないだろう。キョウスケは思案する。明らかにおかしいのだ。こんなに敵は容易かっただろうか。いや、そんなわけがない。何かがある。そんな予感がする。そして、それは的中することになる。
それは、移動要塞クリカランがやってきた頃だった。
「来たか。あの頃みてぇで懐かしいじゃねえかよ」
空を飛ぶ、妻がいるであろうクリカランの街を見てそう呟いたその瞬間、閃光がクリカランを貫いた。堕ちてゆくクリカランの街。
「なに!?」
驚愕した。確かに、何かしらあるだろうとは予想していたがこれは予想外だ。何せ、あの街は自分と妻の2人で作り上げたのだ。ほとんどが野宿が面倒くさいという理由ではあったが、手は抜いていない。より快適に過ごすために手を惜しんでいないという意味ではなく実用性という意味で。
魔族の魔法に対する防御は完璧だ。何よりユリアーヌがあそこにいるのだ。その2つが合わさることで、キョウスケですら突破できないほどの防御力を持つに至った。それを貫通させ、撃墜することが出来る者など勇者と同程度の実力者だけだ。ユリアーヌがいる限り魔の付く者にはあの都市は落とせない。つまり、魔族にはどうあがいても落とすことはできないはずなのだ。
だが、現実は落ちている。何が起きたのか。それはわからない。いや、わかりたくなどなかっただけだ。落とした原因が目の前にいる。それはありえるはずのない存在だったのだから。
「よお、久しぶりだな。1000年ぶりか。なあ勇者よ」
そんな重く軽い口調の言葉を目の前の変わり果てた勇者に向けて放つ。ユリアーヌの事すら頭の中からは抜けている。
「ああ、久しぶりだなリア充」
「おいおい、どういうつもりだよ。てか、なんで、ここにいんだよ」
「まあ、色々とあってだな」
「そうかい。で、今回は敵ってわけなのか?」
彼は肩を竦めただけだったが、勇者――ケイ・イトウは剣を構え殺気を放ってくる。特異点が持つ異常なる覇気。まさしく次元が違うと実感させられる。かつて、1000年前から感じているあの時の威圧感よりも数段上。これは、もう詰んだ。長年の経験が、これは終わったと、本能的にわかってしまった。
冷や汗が流れ、喉が渇く。からからの喉にせめてもと唾を呑み込んだ。その瞬間、風が通り抜けて行った。なに、それだけだ。柔らかな風。なんら問題などありはしないはずのそれ。
だが、キョウスケは辛うじて感じ取った。その風に込められた尋常なる斬気を。気が付けば血の雨が降っていた。ケイから目を離さずに少しだけ後ろを見る。そこには生きている者などいなかった。全てが血の海に沈んでいた。仮にも精鋭、そんな簡単にやられるはずなどない。
しかし、実際は認識すらできぬうちに刈り取られていた。精鋭などそれは人間の範疇での話だったというだけのこと。勇者は文字通り次元が違うのだ。ただの人間如きが勝てる相手ではない。
それは無論、キョウスケにも言えた。不老の呪いを受けて修行をし座を上り詰めたとはいえ、それが限界。本来の勇者の座は人間が到達できる神の座とは隔絶した場所にあるのだ。上位座、神座を超えたその先、超越座。理すら超えた存在だけが至れる極地。
勇者とはつまり外れた存在なのだ。世界の理にのっとり、世界の理から外れた存在。それが勇者。それに対抗できるのは魔王くらいだ。そして、魔王は敵だ。これは、詰みだった。
「だがな、俺は、これくらいで諦めるほど諦め良いわけじゃないからな」
「ああ、わかってるよ。だけど、もう終わってる」
腕が飛んでいた。防御することもできなかった。急激な失血で意識が途絶える。
「悪いな、また、あの頃みたいにお前と馬鹿やりたいから、少しだけ眠っててくれ」
ただ、最後に聞こえたのは差殺戮の悲鳴だった。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
「クキキ、カハキハ」
「フン」
デウス・エクス・マキナを破壊したマリアージュ。首だけになったそれを踏みつぶす。だが、おそらくは死んでないだろう。そんな予感がする。どうにも倒したという手ごたえがないのだ。こういうのは直感が正しいことが多い。おそらくは、また戦うことになるだろう。
「さて、でうちの王様はいったいどこに――」
最後まで言い終わることはなかった。ぞくりと、自身の感覚に従って、背後へと全力の一撃を叩き込む。気が付くと腕がなくなっていた。痛みはない。もとより、この肉体は人間のそれではない。自然に溶けている。自然そのものがマリアージュと言っても違いない。
ゆえに、腕などというものがなくなったことに対しては何一つ思うところはない。問題は、視線の先にいる存在。その存在すら伝説の中でしかお目にかかれない存在。そう勇者――ケイ・イトウ。
伝説が目の前に現れていた。本能が警鐘を鳴らす。全力で逃げろと叫んでいる。だが、理性は違う。逃げられない。逃げても無意味だと悟っている。この勇者は違う。この世界に生きとし生けるものとは根本から違うのだ。
どうして、ここにいるのかなど考えることはしない。何かがったのだ。理解の及ばない何かが。ともかく、今理解すべきことではない。今理解すべきことはただ一つ。この目の前の存在が敵であるということ。
だが、どうすることも出来やしない。彼から放たれる気は神聖にして荘厳。それは重い。彼はただそこに立っているだけなのだ。自然体。自然体だからこそのこれともいえる。自然体だからこそマリアージュは立っていられる。
もし、彼が本気であったなら、目の前に立つことすらできない。彼が意識を向けた瞬間に叩き潰されている。その覇気によって。
そこで、初めて気が付いた。周りに動くものがいないことを。終端平原が赤く染まっていることを。怒りは沸いてこない。もとより、魔族との戦争は犠牲を覚悟して臨んだ。だが、これはない。こんなことでは浮かばれない。
だから考える。この状況を打開できる術を説得という、選択肢はない。そんな選択肢があるのなら、マリアージュの腕は飛んでいない。この様子だとキョウスケの方もやばいだろう。空を飛んでいたクリカランが落ちている。
聖女の援軍も期待するだけ無駄だ。だが、それでも諦めるわけにはいかないのだ。
「あああああああああ―――!!」
半ば叫ぶように息を吐いて勇者へと突っ込む。無策にではない。デウス相手に使った本気で。それを勇者はただ見ているだけ。
拳が勇者に触れる。その瞬間、拳が溶けて消えた。マリアージュの身体が解け、再構築される。休ませる気はないとでも、マリアージュは勇者へと突撃を続ける。強大な壁を殴っているようにも思える。それ以上に彼が展開している領域が厄介だった。
勇者が展開している領域。それは拒絶の法。■が与えた加護にして、枷。世界を滅ぼす魔王と、世界を救う勇者。彼を殺せるのは魔王だけであり、魔王を殺せるのも勇者だけである。つまりは、そういう理。これはそういう法則なのだ。
勇者は魔王にしか倒せない。つまりは、そういうこと。魔王でも、ましてや勇者でもない存在には彼に干渉することすら不可能。
それを完全展開している。マリアージュの拳が溶けたのはそれ。干渉できないモノに干渉しようとして拒絶反応で自壊しただけのこと。
「ああ、くそ、本当にどうしろってのよ」
「まあ、あいつ連れてこい。俺のどうにかできるのってそれくらいだ。まあ、無理だが。それに、希望なんて、それだけなんだから」
勇者の手に炎が集まる。炎の精霊が奪われた。マリアージュに従っていた精霊が全て彼の手に集まっている。それは赤から、蒼、そして白く染まり、透明になった。空間が歪むほどの熱量。文字通りに空間が歪み軋んでいる。
無造作にそれは放られた。マリアージュは水の精霊を集める。だが、集めたはたから蒸発していく。ならば、風を纏い、全力で離れる。背後でそれが着弾した気配。その瞬間、世界が白に染まった。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
一方で、打ち落とされたクリカランであったが、ユリアーヌ自身にダメージはない。前提として打ち落とされることも想定してためだ。街中がクッションのように柔らかくなっている。これも、実際は寝るときに楽だろうという理由で悪ふざけも合わさった結果こんな機能が付いているのだが、今回はこれに助けられた。
そんなことを多少混濁した頭で考えたのちに、ユリアーヌは先ほどの砲撃について思いを巡らせる。
先ほどの閃光にしか見えなかった砲撃であるが、まさしくあれは勇者の技だ。つまり、敵に勇者がいることに違いない。そこまでは一気に行く。問題はそこではない。
問題は、勇者が生きているという事実。それともう一つ。どうして向こう側にいるのか。ユリアーヌの知る限り、生前? と言ってもよいのかわからないが、昔の彼は正義感にあふれる男であったことは確かだ。住んでいた世界からヴェスバーナに召喚され、本来なら怒っても、恨んでもおかしくないところをこの世界のために戦うことを選んでくれたのだ。
キョウスケもそれは同じ。そんなケイが敵側に寝返り、人類を滅ぼそうなどとするはずがない。何か理由があるはずなのだ。
思考に埋没していたが、それを続けることもできない。圧倒的な圧力をユリアーヌは感じていた。とても懐かしい圧力。だが、荒々しく暴力的。遠慮なく敵意を叩き付けてくる。
キョウスケならば構えただろう、マリアージュも同じく構えるだろう、おそらくはキョウスケ以上に真面目に。いつものだらしない雰囲気とは大違いだ。意識の違いと言っても良いだろう。
いや、今はそのような場合ではない。ユリアーヌはゆっくりと振り返った黄金の瞳が捉えるのは予想通り勇者ケイ・イトウの姿。あの頃と寸分変わらぬ姿だった。あの時のまま時間を止めてここに持ってきたようだ。
懐かしさが込み上げてくる。わかっていたとはいえ、本当に懐かしい。しかし、彼の手にある殺意がこのままおしゃべりをし始めることを拒否している。そのことに少し悲しくなりながらも、ユリアーヌは構えず自然体のまま問う。
「あの人は無事ですか?」
「無事って言っちゃあ無事かねえ。腕吹っ飛んでるけど、生きてはいるよ」
「ああ、それを聞いて安心しました。あの人は殺しても死にませんから、腕が吹っ飛んだくらいじゃ大丈夫ですね。今頃、あなた如きに腕を飛ばされたことを悔やみながら腕をくっつけてる最中でしょう」
「うわ、ヒデー」
まるで、あの頃のような会話。在りし日。あの懐かしき日々。黄金の記憶。そういえば、かつての魔王との戦いに挑む前もこのような会話をしていた気がする。また同じことをしている可笑しさに少し笑いが漏れた。それと同時に理解した。
それにケイが咎めるように言う。
「おいおい、この状況わかってんの? <神座>っつっても、本物じゃないから、勇者の攻撃、防げないでしょ」
「ええ、わかってますよ。あなたが、本当に勇者であるのなら、私は終わりですね」
「うはー、痛いとこつくね」
「ええ、だって、貴方薄いですから」
そう、薄い。今目の前に立ってはっきりした。薄まっている。それも極限まで。今目の前にいるのは間違いなく勇者ケイ・イトウであろう。それは間違いない。
だが、その純度は限りなく低い。おそらくは、わかれているのだろう。予測でしかないが、今、世界中にケイ・イトウが出没しているに違いない。偏在ともいう分身の最上位。自身の中にあるものを分けているのだ。ただ、それをここまでの密度でできるのは勇者くらいのもの。
やはり別格と感じるが、ユリアーヌにとっては脅威ではないだろう。ただ、他の者からすれば脅威に違いない。ここで消しておくのが相手の力を削ぐという意味においては正解なのだろうが、それはやらない。
他者全てを救わなければと思うほどユリアーヌは聖人君主ではない。聖人ではあるのだが、その愛はただ一人だけのものであるのだ。
見知らぬ他人を救うことに傾倒はしているが心酔はしていない。そもそも、戦場、いわゆる死地において、なぜ他人に縋っているのかという話になる。
己だけを信じ、己だけの力で何かできないのなら到底生き残ることなど不可能。戦場においては己以外を信仰などしてはならない。
それは枷となる。そのことをユリアーヌは理解している。聖人である前に、彼女は戦場で生きる者であったのだ。
あの時代は、そうでなければ生き残れなかった。だからこそ、死者を想う。死者を想い、己を想って勝利を目指す。
己の信念が、直感が、ここでケイ・イトウの残滓ともいえる偏在を滅すべきではないと確信している。
それ以上に必要な根拠などはないし、それ以外が必要とも思えない。例えるなら神託だ。理屈ではないのだ。
「用は済んだのでしょう? ならば、お帰り下さい。私、実は貴方のことが嫌いなんですよ。だって、あの人が目立ちませんもの」
「このリア充め、女じゃなかったら殴ってるとこだぞ、くそう」
「貴方だって似たようなもんでしょうに。あの人とはうまく言ったのでしょう?」
「1000年前に愛想つかされたわ、ぼけえ」
「あらあら、それは貴方の甲斐性がなかったからでしょう。生憎、その点においてはあの人の方が数倍は素晴らしいですし」
「おーおー、惚気てくれちゃって。はあ、まあいいや。確かに言われたことは終わったし? 俺がやるべきことは本当のところ、これじゃないわけだし。素直に引いときますかね。むしろ、これからだしな。
……なあ、あの子は、俺を斬ってくれるかな」
「さあ、私もあの子には会ったことありませんから。でも、あの子が決めることですから。それに、あの人と私の子ですよ?」
「そうか、なら期待できそうだな」
見慣れた術式でケイ・イトウは転移していく。妨害などせずユリアーヌはそれを見送った。
とあるゲーム音楽を聴きながら執筆したらこうなりました(笑)。
さて、あとはもう一方の戦いを終わらせたら主人公のターン。
空気になりつつある主人公ですが、ここから巻き返してほしいですね。
では、また次回。




