5-11
ヴェスバーナ暦1998年秋期2月1日 深夜 カルリス
鬼に向かう冒険者と共に、リオンは駆ける。背後に広がる魔法陣には目もくれず、否、目を向ける余裕などない。ただ、目の前の鬼に向かうばかり。見ず知らず。実力もまちまちな冒険者。それでも、数は、力だ。
グレースの放った強化魔法が、冒険者を強化する。
「行くぞ!!」
地を揺らすほどの大声を上げて、冒険者たちは走る。剣を構えて、槍を携えて、盾を手に、得物を手に、心に勇気を以て、冒険者共は行く。
鬼の動きは鈍い。冒険者たちには本能でわかる。侮られている。取るに足らないと思われている。それならば、それでよい。侮っていろ。すぐに、悲鳴を上げさせてやる。
第一陣が鬼へと接触する。斬る。突く。そして、走り抜ける。
鬼が振るう巨剣。受けることなど出来ない。避けたとしても死ぬ。だが、心配などしない。
そこに飛び出す影がある。剣と盾を携えた、ああ、それは間違いなくこの街の冒険者の一人だ。それが真正面から、鬼の巨剣へと飛びついた。持ちこたえたのは一瞬だ。一瞬もない、いや、刹那だ。
だが、それで十分。男はバラバラになりながらも笑っていた。
振り切った剣。すでに第一陣は離れている。すでに、第二陣は目の前にいる。
さあ、突け、さあ、斬れ。
第二陣の冒険者が斬る。戦技を放つ。
世界の理に従って、法則を超えて、その刃は鬼へと届く。
数は力だ。如何に力の強い化け物であっても、数には勝てない。殺しても、殺しても、冒険者は減らない。
そこにリオンが加わる。力の強い者。警戒すべきもの。鬼に対抗できるかもしれないもの。この街でおそらく最強の一角。
剣を交わす。
何のことはない。ただの人間。
「舐めるな!」
だが、次の瞬間には、腕が飛んでいた。そんなことがあるはずがない。何が起きたのかわからない。何が起きた。何が起きた。
鬼は、見る。リオンの剣に纏う魔力を。魔法。そう、魔法だ。斬撃を強化する魔法だ。それも数百も重ねがけされた異常な。ただ、そこまで鬼がわかったかどうかは確かではない。
ただ見る。更に背後、そこにいる女の影。ハーフエルフの女グレースの姿。
潰さねばやられる。単純な鬼の思考は。リオンとグレースに向けられる。
だが、それこそ好都合。数百を超える冒険者たちが、自分たちに敵意を向けられなくなった途端に大攻勢に出る。一陣、二陣と、交代しながら休む間もなく攻撃を加える。
鬼の攻撃は、リオンが受ける。グレースがいなければ、とっくに死んでいるようや一撃ばかりだ。それでも、持ちこたえる。そうしなければ、皆が死ぬ。そんなことリオンは許さない。
魔法が降り注ぐ。それは、グレースの魔法。絶大な威力を持った氷の槍が、鬼へと向かう。鬼が、それを打ち落とせばその隙にリオンの戦技を鬼の肉を抉り斬っていく。
それに対して、鬼が追撃をしようとすれば、魔法が降り注ぎ、それを防げば、リオンと他の冒険者が襲う。理性のない、本能に従う獣など相手にするのは、冒険者は慣れている。
数は、力だ。
力のある英雄は圧倒的な数の暴力の前には膝を屈する。強大な力を持った個は、群の飽和攻撃にその翼をもがれる。
例え、鬼にとってその攻撃が蚊に刺された程度であっても、それが数百、数千ともなれば話は別だろう。そして、その中には別格もいる。鬼の防御力は低い。幾許か強靭ではあるものの鬼の強度は人間と大差ない。圧倒的な力は持っている。
しかし、それだけ。それ以外は人間と変わりはない。硬質な鱗も、鋼のような皮膚も持たない。ただ、再生能力が高いだけだ。
だからこそ、数の暴力はその効果を十全に発揮する。
堪ったものではない。普通ならば逃げているだろう状況。だが、鬼の本能は逃げることを許さない。鬼の本能は、ただ壊すだけに特化している。鬼は戦いの中で生きる種族だ。常に戦いを求め、そして、強きものを求める。
だから、鬼は逃げない。そして、それが仇となる。
どんなに力が強くても、化け物は人間に殺される。英雄は数の軍勢に負ける。数は力だ。そして、ここには数に屈しない生誕の勇者がいる。
負ける道理などあるはずもなかった。
そう、あるはず、なかった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「やりますね」
四方から飛んでくるナイフ。それをアリエッタは躱す。よく躱している方だ。気が付いた瞬間にはすでに四方から投げられている。明らかに人間業ではない。かといって複数人の仲間がいるというわけでもない。
アリエッタの索敵範囲内にはいない。ということはまず間違いなく一人なのだ。では、このナイフの量と、ナイフの投擲場所。どうして、一度に四方からの攻撃ができるのか。
それらすべてを総合して考えると、
「――っ!!」
目の前に銀閃。文字通り目の前。躱せない。ならば。
「ほう」
掴みとる。
水音をしたたらせて血が垂れる。深く刺さったそれ。手の平に深く刺さった。そのまま動かすと、指が落ちるだろう。
だが、アリエッタは落とさせない。無事な方の腕、右手の袖に仕込まれた針。それをメイドに向かって突き出す。
外れるだろう。そんな予感があった。きっと、当たりもしない。ナイフを手離して、きっと離れた場所にいるだろう。
その予感は当たる。
「あなた、本当に神官ですか? 思えないのですけれど?」
「わかった」
やはり、遠くにいた。一瞬で移動したとは考えられない距離に。
ナイフを捨ててアリエッタは回復する。傷は直ぐにふさがった。そして、相手の力の答えはわかった。
「何がですか?」
「あなた、時、止めてる」
「おや、気が付きましたか。はい、そうです。私は、時を止めるギフトを持っています」
ギフト。
それは、世界からの贈り物だ。特殊な才能とも言う。特異な力とも言う。それは、人智を超えた力。技能ではない。戦技ではない。実力も階梯も座も関係ない。
それは純粋な贈り物。遥かに便利で、遥かに強力な異能。それが、ギフト。誰が与えるのかも分かっていない。わかっていることは、それが例外なく強大な力だということ。
「便利ですよ。これ。盗みをするのも。誰かを殺すのにも」
「…………」
メイドが消える。いや、時を止める。そして、目の前に。
アリエッタは蹴り上げようとする。ナイフを。
だが、メイドは時を止める。今度は横。アリエッタの右側。首筋。そこに銀の軌跡。蹴り上げた足の勢いのままにアリエッタは飛んでそれを躱す。実力と鍛え上げた身体能力がそんな無理な可動を可能にしていた。
「やりますね。ですが」
「ガッ――」
叩き付ける。
叩き付けられる。
「時を支配する私に、そんなもの意味がありません」
ナイフが振り下ろされる。
転がってをそれを躱す。その状態のまま懐に隠していたナイフを投擲した。だが、やはり一瞬消えたかと思うと、投擲したナイフは全てメイドの手の中にあった。
投擲されるナイフ。それを弾き落とせば、真後ろから別のナイフが迫っている。避けきれず突き刺さる。
痛みが走る。次は、右。次は左。また、前。後ろ。ほぼ同時にナイフは迫る。急所以外を手でたたき落としそれ以外無視する。ナイフだらけになるアリエッタ。もはや、動けないのかフラフラとそこに立っているだけになっていた。回復もまずはナイフを抜かなければ不可能。血は、床に赤いシミを作っている。
そんなアリエッタのようすにメイドは無感情に無感動に、無表情で笑う。
「いい姿ですね。子供を殺すのは、とても楽しいです」
「……そう……でも、わかった」
「何がですか? まあ、関係ありませんね。団長の命令を遂行するためおしまいにしましょう」
メイドが消える。そして、首に銀の刃。
これで終わり。
がらり、と何かが崩れる音が響いた。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇
風切音が響く。赤の軌跡が走る。地面を引き裂いて、リーへとそれは迫る。
フッ、と笑ったリーは、篭手を纏ったその手で、それを掴みとった。ギリッ、と篭手ごと執事はリーの手を指を細切れにしようと鋼の糸を引くがピクリともそれが動くことはない。逆に、リーが腕を引く。
浮遊感。執事がそれを感じた瞬間には、鋼の拳が顔面に迫っていた。糸をつむぐ。それが拳を防ぐ。すかさず糸を手繰り、張り巡らせてその上に立つ。そこから、糸を放つが、リーを捉えることはない。
「この糸で捉えられない相手は、いつ以来でしょうね。やりますね」
「あら、それは光栄ね」
「ですが、これではどうです」
周囲の建物が切断される。大量の瓦礫がリーへと降り注ぐ。巻き上がる砂煙。それと共に高速で糸が走る。全方位を囲む拘束の檻。そして、一気にそれはリーへと。
「無駄ね」
一言。それと共に、砂煙が消し飛び、瓦礫が粉みじんになる。糸の全ては切り裂かれ、そしてその中心で無傷のリーが立っていた。
「なんだ、お前は、どうなっている、お前は!」
「ふう、ようやく回復したってことよ。あの時に使えればよかったんだけど無理だったのよねえ。まあ、ユーリと出会えたのだから、良かったのだけれど」
「何を、言っている」
「こっちの話よ。さあ、早くそこをどいてちょうだい。素直にどいたら生かしてあげるわよ」
無表情を偽って執事は歯をかみしめる。ここまでコケにされたのは久方ぶりであった。執事として、ここで生活して以来だ。ああ、そうだ。この男は強い。ふざけた態度と口調だが、強い。こんなのがいるとは思わなかった。
「私も、老いたか」
もう少し若ければと、思わなくもない。既に身体のキレは昔ほどもない。人の身である自分が恨めしい。人間としての誇りはあるが、それでもと思う。
だが、それでも勝てぬとは思わない。苦戦はするだろう。それでも、死ぬ危険すら存在する。本当ならば、計画に従って、ここの領主に帝都を攻め込ませる手筈であった。それはもうすぐのはずだった。
だが、領主は死にそれは不可能になった。命令に従う義理はすでになく、死ぬ危険すらあるのなら逃げても良いだろう。しかし、団長の命令はいまだ切れてはいないのだ。
「だが、ここを放棄するわけには、行かぬのだ。アレを、失うわけには行かないのだ。ここを通すわけには行かぬのだ。あの盗賊のように失敗するわけには行かぬのだ」
執事が手を上げて、
「来い、アジ・ダハーカ」
そっと、何かを呼んだ。
来る。何かが来る。ぞわりと、感じ取った。リーは、その予感。そして、その予感は的中する。
3頭3口6目の竜。アジ・ダハーカ。それは、咆哮を上げる。全てを貪る暗黒竜。それがリーの目の前にいた。
「これぞ、我がギフト。団長の命令だ。喰らえ、アジ・ダハーカ」
「あら、竜とは、驚いたわね!!」
リーが腕を振るう。すると、なんということか、アジ・ダハーカの鱗が切り裂かれる。だが、そこから異形が這い出してくる。
「これは……」
「さあ、どうする? このアジ・ダハーカは攻撃すればするほど異形を生み出すぞ。そして、こいつは人に殺せない! 死ぬがいい」
咆哮を上げてその牙を、その爪を、リーへと。
『GRRRRR……』
「五月蝿いわ、喚かないで」
首が飛ぶ。アジ・ダハーカの首が、一つ飛ぶ。普通ならば、異形が這い出すであろうそれは、ただただ消えた。
「なん……だと……」
何が起きたのか、執事は目の前の事実に認識が追い付かない。そんなことがあるわけがないのだ。アジ・ダハーカは、神話にすら残る竜なのだ。それが、ただの人間に。ただの冒険者に。倒せるはずがないのだ。
「人間に、人間に、それが倒せるはずがない!!」
「現実を見なさいな」
リーの言葉が、涼しげな声が、響く。それとともに、歯車が回るようなそんな奇怪な音が響く。重く、低く、地の底から響いてくるような、そんな音。それは、リーの背後から。歪み。そこにあるのは歪み。そこから、鋼の腕が姿を現す。鋼の身体が姿を現す。鋼の人が姿を現す。
鋼の身体が動くたびに、それは音色を奏でる。さながらリュートの如く、金属音を響かせる。それをリーが人形を操るように手繰る。騎士のようにそこに佇む。
「なんだ、なんなんだ、お前は!! 殺せ! アジ・ダハーカ、早く!」
『GRRRRR……!!』
だが、アジ・ダハーカの爪も牙もリーを殺すには至らない。竜の攻撃は、ただ振るわれるだけで人を殺す。その速さは人間の避けれる限度を超えている。だから、殺せるはずだった。仕留めたはずだった。
だが、リーはそこに在る。変わらずにそこに在る。完全なる姿のまま、そこにリーはいたのだ。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇
竜人族が武竜人、火の一族メルラシュトレイン・サンゼイロス・エル・ライエル・フラム。彼女は眠っていた。この大参事の中で彼女は、眠っていた。竜人族の中では、これくらいの喧噪は起きるに値しないのか。それとも、単純に気にしていないだけなのか。
「五月蝿いですわね」
だが、気が付く。流石に、うるさかったようだ。
「ああ、血なまぐさいと思ったら。なんだか、楽しそうなことが起きているんですね。私を除け者にするとは……」
メルラは立ち上がる。こきりと、肩と首を回して。
「さて、行きましょうか。だいぶ遅れましたが、まだ、残って」
「おお!!」
「ん」
外に気を取られ過ぎていたのか、そこに人がいたことにメルラは気が付かなかった。学者然とした女。研究者と名乗った女だ。
「竜人族か。初めて会う。なるほど、身体の構造が人と違うのだな。道理で、そんな細い身体であれだけの出力を出せるわけだ。感心する」
「誰なのかしら、あなた?」
「何、しがない研究者だ。それよりもだ、服を脱げ。もっと、その身体を見せろ」
「いや、私は」
研究者は聞く耳を持たずメルラに組み付いて、服を剥きにかかる。その痩せ細った身体のどこにそんな力があるのか、メルラでも引きはがせなかった。
どうやら、竜人の参戦は無理のようであった




