間章2-2
ヴェスバーナ暦1998年夏期2月6日 朝 エストリア王国 王都リバーナ
道楽好きの無能王ヴィンセントのせいか年中お祭り騒ぎの王都リバーナであるが、この時期だけは別、夏期2月の王都はとても静かだ。
別に嵐の前の静けさというわけではない。この夏の暑さでヴィンセントがダウンしてしまうからだ。年がら年中欲望でギラギラしているヴィンセントも、この時期だけは、魔導具による空調のきいた部屋に閉じこもって出て来ない。
国政はどうなっているのかと言えば、もとからあまり関わっておらず優秀な宰相任せなので問題はない。いや、実際は問題ばかりだが、国の運営は問題ないという意味である。
そんな王都であるが、暑いからと言って人通りが少ないわけではない。いつもよりもは少ないが、それでも様々な人が通りを歩いている。
そんな通りを、美人の女性が歩いている。誰もが、その美貌を注視しているが、女性は気にしていない。むしろ注視されていることにも気が付いていない。
艶やかな輝きを放つ亜麻色の髪、真っ直ぐな輝きを放つ白銀の瞳。シミひとつない白磁の肌。体つきは非常にスレンダーであるが、女性の象徴とも言えるその双丘は、かなり大きい上に形も見事である。
人々の視線が釘付けになるのもよくわかる美女である。その上、夏期ということもあり、女性は薄着だ。身体のラインが強調されることになり、更に視線は集まる。
そんな女性は、かつて浮き風の楽園亭という名であった宿屋へ入る。客といった感じではなく、自分の店に入る主人や関係者という感じであった。
中に入る。そこは宿屋と言うよりは雑貨屋のようであった。陳列棚が所狭しと置かれ、奥にはカウンターと階段がある。
そのカウンターにいた1人の少女が女性を迎える。栗毛の利発そうな少女だ。かつては絶望の底にいた彼女だが、今ではそんな影は見えない。
「おかえりなさいエレンさん」
少女は、女性に向けてそう言った。
そのトレードマークであった、耳と尾は今ないが女性は、ユーリの命の恩人であり、一時期ながらも旅を共にした行商人のエレンであった。
「ただいまタリア」
エレンは、タリアに返す。そんなやりとりをしている間に中から、屈強な男達が顔を出す。
彼らはエレンが現在経営中の宿屋『黒剣と銀商の荷馬車亭』に泊まっている新人冒険者たちである。王都襲撃事件の折りに冒険者認定された者達で、ようやくそれらしくなって来ている有望な若者達だ。
「おっ、姐さん、お帰りなさいっす」
男達の1人がエレンに言った。エレンは、その性格から姐さんと呼ばれている。
「ああ、ただいま、君達は今から仕事か?」
「はいっす」
「油断しないようにな」
「はいっす!」
ぞろぞろと男達は出て行く。静かになるが、まだまだ奥からは多少の声が聞こえる。
「あ、そうでした、エレンさん、ラプハット商会のリシヤム・ハルシブさんから手紙が来てますよ」
「狸から?」
「これです」
タリアは、蝋で封をされた手紙をエレンに渡す。エレンは封を解き中身を見た。
手紙には簡潔に、今度リバーナのラプハット商会本店の方に異動になったので、よろしくというようなことが書いてあった。
「あの狸め。こっちに来るのか」
別に商売敵というわけではない。逆に贔屓にしている商会だ。
だが、エレンはリシヤムが苦手なのだ。長い付き合いだが、未だに底が知れない。話していると化かされているように思えてしまう。
それだけやり手でエレンが未熟ということなのかもしれないが。まあ、苦手意識があることには違いない。
そんな奴が同じ王都に来るのだ。四六時中顔を合わせることはないだろうが、行商人時代と違い、成り行きとはいえ今は店を構えてしまっている。顔を合わせる確率は高い。
「まあ、言っても仕方ない。せいぜい精進するとしよう。じゃあ、タリア、あとは頼んだ」
「はい」
手紙を処分して、エレンは奥の扉に入る。一階部分は雑貨店と食堂があり、エレンとタリアの居住区もある。二階以上が宿泊部屋だ。二階は、大部屋が主で三階が個室となっている。
知り合いの武器屋兼宿屋のドワーフ、アルク・ゴルゾノビッチ、メアリ・ゴルゾノビッチ夫妻に改装を頼んだのでかなり綺麗だ。
廊下を抜けて中庭に出る。中庭を横切って自分の部屋へ。鍵を閉めて、エレンは首にかけていたネックレスを外す。
「ふう、やはりこちらの方が動きやすい」
エレンの獣人としての特徴、耳と尻尾のもふもふが戻っていた。
「だが、エルシア殿には感謝だな。姿変えの遺物のおかげで人間の街で普通に生活出来る」
「おー、それはよかったのう」
「なぜ、ここに?!」
誰もいないはずの部屋に14歳程のえらく古風な話し方をする、小柄で緋色の髪をツインテールにした薔薇色のドレスに身を包んだ少女がいた。
「遊びにな」
「…………」
エレンの姿を変えていたのは、エルシアから貰った遺物のおかげである。
手紙を届けに来たエルシアとシスターアルカに一瞬で獣人とバレ。タリアを何とかしないといけないという事情と様々に絡みあった複雑な事情により、エルシアから与えられたものである。
そのおかげで人前で顔を隠す必要がなくなった。本人に自覚はないが、エレンはかなりの美人である。そのため、宿屋はかなり大繁盛した。
今では落ち着いたが、雑貨屋の方にはエレン見たさで何度も通い詰め、その度にお金を落としていく男達は後を絶たない。
しかし、良いことばかりでは勿論ない。エレンが見目麗しい美女という噂はその騒ぎのせいで王都中に広まった。王都には様々な人が住む。そこには貴族や王族も含む。
悪いことに噂はそこまで広まってしまったのだ。どうなったかというと貴族が押しかけて来た。
様々な身分の貴族共がエレン欲しさにやって来たのだ。ある者は金に物言わせようとし、ある者は権力に物言わせようとし、ある者は武力に物言わせようとした。
遺物のお陰で自分から外さない限りは変化し続け、絶対に見破られることはないため、寵愛を受けたり、行為に及んだりとは出来る。だが、エレンにその気は一切なかった。
しかし、貴族に逆らうのは平民にとっては死を意味する。断る事は不可能。ならば、とエルシアに頼んだが、エルシアにはどうすることも出来ない。
エルシアの身分は、エレンを欲しがっていた貴族よりも上であったが、騎士と貴族は明確に区別されているためエルシアが介入することは越権行為にあたってしまうのだ。
教会は行政、もとい世俗事には関われない。そのためシスターアルカもどうすることも出来なかった。
それを何とかしたのが、何を隠そう今エレンの目の前でソファーにだらりと座ったルーデンシアである。
ルーデンシア。ルーデンシア・L・エストニア。
あの無能王の41人の子供の1人で王位継承権13位。正真正銘の王族である。41人の王族の中では、比較的、そう比較的良い評判を持った女好きで有名な少女である。あと、あの無能王の娘とは思えないほど容姿が整っている。
かなりの美女であるという噂を聞いた女好きのルーデンシアは、これは見に行かなければならない、と思い至った。即決即断即行動がモットーのルーデンシアは、邪魔な稽古係兼お目付役を騙し出し抜き、罠に嵌めて颯爽とエレンの所へ行ったのだ。
結果は勿論、一目惚れである。美しい亜麻色の髪に月のような銀の瞳。スレンダーながらその立派な双丘。
ちっぱい幼児体型なルーデンシアからすれば、理想に近かった。惚れない方がおかしい。
そこでエレンが貴族に言い寄られているということを知ったルーデンシアは、すぐさまその貴族を外様に飛ばして一発解決。それを知った貴族共は尽く撤退を余儀なくされた。貴族は王族には逆らえない。常識だ。
ちなみに一番問題になるはずのヴィンセントは引きこもっていてまったく噂を知らなかった。そのため問題にならなかったようである。
その問題解決以降、ルーデンシアはエレンが獣人と知っても時折遊びに来るようになった。むしろ獣人とバレてからの方がよりアプローチされるようになったように思える。
閑話休題。
遊びに来たルーデンシアを追い返すなど出来るはずがないので、自由にさせることにする。お許しが出たとわかるとルーデンシアは、エレンの尾を撫で回し始めた。
「やはり良いのう。上質な絹以上じゃ」
「そうか? 私にはそうは思えないが」
「やはりお主は少しは自分の価値を自覚すべきじゃ。まあ、良いわ。そこもまた、お主の美徳よ。
それより妾の寵愛を受ける気になったかえ?」
「悪いが興味ないんでね」
「ツレナイのう。良いではないか。今よりも贅沢な暮らしが出来るのじゃぞ? あの娘っ子が心配なら一緒に妾の宮に来れば良い。あちらもなかなか好みじゃ」
しかし、何を言われてもエレンの答えはNOであった。誰かに養われて過ごすなど商人としての誇りが許さない。
「まあよい。高嶺の花は、高嶺で咲いてこそじゃ。摘み取ってしまっては、それはもはや高嶺の花ではないからの。見て愛でるだけにするわ」
そんなことをルーデンシアが言っていると、バンバン、と扉を叩く音と声が部屋に響いてきた。
「エレンさん、ルーデンシア様の稽古係兼お目付役のシュナイテットと名乗る方が、いらしたのですけど」
「チッ」
シュナイテットの名前が出た時点で殊更嫌そうに舌打ちするルーデンシア。
「お目付役が来たようだぞ?」
「帰らん。なぜ、妾があんな女でもない男に従わなければならん」
「心配していると思うが?」
「いーや、じゃ」
そういうとルーデンシアはエレンの尻尾もふりを再開する。やれやれ、と、少しの間旅を共にした少年の口癖を内心で呟きながら、エレンはタリアにルーデンシアは来ていないと伝えるように言った。
********
「――というわけなんですが」
「な、何ですとーー!?」
ルーデンシアはいないというタリアの説明に稽古係兼お目付役のシュナイテットは、頭を抱えてそんな声を上げた。
貴族にあるまじき行動にタリアは引く。王族の稽古係兼お目付役ならば、かなり高い地位だ。そんな人物が頭を抱え、床をのたうち回りそうになっているのはどういうことなのか。
「ヤバい、ヤバい。今度、こんなことしてるって、父上にバレたら…………ああああああああああ!?」
声にならない叫びと奇声を発するシュナイテット。そして、奇行にドン引きで顔をひきつらせたタリアに、シュナイテットはすがりつき、
「お願いします! 姫様の、姫様の居場所を!」
恥も外聞もかなぐり捨てた行動に、タリアはドン引きを通り越して呆気にとられた。
このシュナイテット、フルネームは、シュナイテット・ドリット・ディーナー。
ディーナー侯爵家の三男である。ルーデンシアの稽古係兼お目付役を言い渡されているが、何か失敗があればすぐさま取り替えられる立場だ。それほど王族の稽古係やお目付役は誰もが狙っている役職なのである。
もしも取り替えられでもしたならば、シュナイテットの父親が黙っていない。その父親というのがローレンシア戦役という戦争の立役者だったりするから大変なのだ。父親は、誰もが認める奇人変人ではあるが、息子達にしてみれば竜よりも怖い存在だ。
実力的な意味でも、精神的な意味でも。
(わ、私はどうすれば……。というか、すがりつかないでー)
すがりついて懇願しまくるシュナイテットにタリアはどうすれば良いのか悩んだ。ルーデンシアの居場所は知っているが、それを教えても良いものかと。
結論。男と接するのも限界なので、それとなくいたような、と曖昧に伝えた。
「ありがとうございます!!」
シュナイテットは、そのまま奥へと走って行ってしまった。
「これで、良かったんです、よね?」
********
「ふむ、やはり旅の話は面白いのう。妾も旅に出たいものじゃ」
「王族が旅に出たまずいのではないか?」
「わかっておるよ。何、冗談じゃ」
『姫様ーーーーー!!!!?』
エレンとルーデンシアが話をしていたら、扉を乱暴に叩く音と叫び声が飛び込んで来た。
「やれやれ、やはり来たか」
「しつこいのう。二重、三重の罠を張ったはずじゃが、まさか突破してくるとは」
『ひーめーさーまー!!!』
「出た方がいいんじゃないか?」
「い~やじゃ」
聞こえな~いというように耳を塞ぐルーデンシア。エレンは、扉が破られた時に備えて遺物をつけておく。
「むう、やはり隠すのか。勿体無いのう。女の獣人は珍しいというに」
『ひーめーさーまー!!』
瞬間、シュナイテットが扉を突き破って部屋の中に転がり込んでくる。そして、盛大に背中を打ち付けていた。
「ぐぼあっ」
「見苦しいのうシュナイテット」
しかし、即座に跪いた姿勢に戻るシュナイテット。
「姫様! さあ、早く城へ戻りましょう! 稽古のお時間ですよ!」
「嫌じゃ。何が楽しうて男のお主と何時間も一緒に同じ部屋で退屈なことをせねばならんのじゃ」
「姫様~」
「妾に言うことを聞かせたいなら、女にでもなってこい」
そんな無茶なとエレンは思うが何も言わない。目の前の惨状をどうにかする気もない。とにかく早く終わってくれと祈るばかりだ。
「のう、エレンからも言ってやってくれ」
「エレンさん~」
こちらに回って来たか、さて、どうしたものか、とエレンは考える。
「(フフッ、やはり退屈はしないな)」
そう口の中で呟きながら、エレンは、言葉を紡いだ。
エレンは、首都リバーナに腰を落ち着けた。遺物によって、種族を誤魔化しながらも、親切な隣人たちと、ほっとけない同居人、お転婆姫様などなど訪ねてくる人々が後を絶たない。
その日常は、割と騒がしい。だが、エレンはどこか、満足している様子であった。
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