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ヴェスバーナ暦1998年夏期1月28日 朝 職人都市グランディア
翌朝、部屋の鍵を預けたユーリは、朝一番でアリスに聞いた魔導鎧を扱うローエン工房へと向かっていた。
リオンのクランについても考える必要があるが、その前に左腕を切られた斑鳩の修理をしなければならない。あれほどの破損は流石に自己修復の範囲外らしいためだ。幾らかかるかわからないが見せるくらいはしておいた方が良いとの判断だ。
「えっと、ここだよな?」
大通りから外れてはいるが、場所はあっているらしい。それっぽい音が目の前の建物から響いてきている。
しばらく建物を眺めてから、ユーリは工房の中へ入った。入った瞬間、むあっとした空気がユーリの顔を叩く。それに併せて鉄臭さ、汗臭さ、むささが鼻をつく。
中は混沌としている。と表現するのが正しいほど煩雑としていた。床も壁も油や煤で黒く汚れており、机などの上は羊皮紙の束が乱雑に積み上げてあった。高い天井からは何に使うのかわからないものがぶら下がっている。
信じがたいが、そこが一番マシな受付カウンターのような場所で、奥は更に酷いと言わざるえなかった。だが、カウンターに人はいないため、行くしかないようである。息を吸おうとして、匂いやらがキツいことを思い出し、寸前で止めて、奥へ進む。
奥へ進む毎に匂いや熱気、炉が燃える音と金槌の音が大きくなっていく。それと共に重低音の怒声が響いてきた。
『オラッ! もっと腰入れて叩きやがれ!』
『ウスッ!!』
『そっちは、丁寧にやれ言うただろうが!』
『すんません!』
『お前ら! なにサボッてやがる!』
『子供が生まれそうで』
『今回で100人目だな!』
そんな感じの怒声が響いていた。
とりあえず、ここの親方にあわなければならないので奥へ。
「すみませーん! 親方はいませんか!」
「何だ!!」
答えたのは立派な髭のドワーフ。一目で親方だとわかった。仕事で培われた一切の無駄のない肉体からは、積み重ねられた時間が滲み出ていたからだ。
「少々、見てもらいたいものがあって」
「こっちだ!!」
怒鳴るように言って個人部屋か何かに案内される。
「で、何だ!!」
どうやら怒鳴るのが癖なようだ。
「魔導鎧を見て――」
「出しな!!」
起動鍵を出して渡す。それをジロジロと親方はあらゆる方向から見ていく。
「こっちだ!!」
ひとしきり見たあと起動鍵を返され、工房の端の空いているスペースへ案内される。他の場所には巨人が横たわっていた。整備士たちが仕事している。
「呼び出しな!!」
それをゆっくり観察する暇など親方は与えてはくれなかった。言われるままにユーリは、魔導鎧『斑鳩』を呼び出す。
隻腕の漆黒の巨人が現れた。
「また、酷くやったな!!」
親方はそう怒鳴るように言って、斑鳩を見ていく。
「野郎共!!」
「うす!!」
親方の呼びかけで、ここにいた親方の弟子たちが集まった。
「仕事だ!! 生半可な仕事じゃねぇ、特上だ!! 伝説級だぞ!!」
「マジっすか!?」
「ヤフー、待ってました!」
「今ある仕事は?」
「今、終わらせた」
「よし、OKだあ」
「親方、やりやすぜ!」
「そういうわけだ!! 一週間後にまた来い!!」
何がそういうわけなのかまったくわからない。あれよあれよという間に、弟子たちが斑鳩に群がって行く。狂気と薄ら寒さすら感じる、喜々とした表情で、作業をし始めていた。もはや、止められる空気ではない。むしろ止めたら殺されるとすら感じた。
仕方なくユーリは、一週間後にまた来ることにして工房を出る。熱気が薄れて、新鮮な空気が上手い。深呼吸してから、ギルドに向かうことにした。ついでに市場を通って色々と情報収集をする事にした。
********
市場で軒を連ねる様々な商店を覗きながらユーリは、ギルドへと歩を進める。多くの商店はは装飾品や魔導具、武具などを扱う店であった。品質はどれも良いものばかりで、流石は職人都市と感心する。
「でも、欲しい物はないな」
装飾品などは、あまりする気はない。麻痺や毒防止効果のあるアクセサリーなどがあるが、効果の良いものは割高で、斑鳩の修理に幾らかかるのかわからない今、買う気が起きない。
何も買わずにユーリが、ある程度広く、空いた広場についた時、
「御主か」
ユーリは、流れるような黒赤色の髪に鋭い朱い瞳の、赤い紐で括られた刀を二本腰に差した赤と黒の着物を着た美女に声を掛けられた。
始めて間近でみる東方の人間に、多少目を奪われる。だから、反応が一瞬遅れた。
シャラン、という美しい音が抜刀音だと気がついたのは、目の前の女が背後に移動して刀による斬撃を繰り出そうとしている時だった。
「斬ればわかる」
そんなヤバめの言葉と共に背後で風の動き、即ち攻撃の気配を感じる。言葉と気配からわかるのは、明らかな攻撃の意思だ。捕縛や街中であることなどまったく考慮していないことがわかる。
気配から攻撃は、背後左側から来る横の斬撃。背後に移動した後に抜刀した居合いだろうとユーリは判断した。
ユーリは、腰の剣は抜かずに背中側のベルトに付けていた短剣を左手逆手で抜き、刀の軌道上へ置く。それと同時に背後へと、女に密着するほど大きく踏み込む。
刀は高い切れ味を誇るが故に繊細で脆い。刀に短剣でも当てれば刃こぼれするか、生半可な物なら折れる。
確かに達人ならばそんなこと関係なしに斬鉄をやってのけるだろう。しかし、ユーリが女に密着するほど接近したことによってそれはほぼ不可能になった。引くことによって斬る刀は引く距離なければ斬れないためだ。
それでも、女はそのまま振り抜いてきた。女に常識という言葉が通用しないことがわかった。または、余程の自信か、腕のどきらかがあることがわかった。
だが、予想に反して、短剣と刀がぶつかる鈍い音は響かない。響いたのは力任せに短剣が切断される鋭い音。
その瞬間、咄嗟に役に立たない短剣の柄を捨て、右に思いっ切り跳ぶ。少しでも斬られる範囲を小さくするために。
女は更に一歩踏み込む。そのまま刀を振るう。狙うは変わらずユーリの胴。現在は鎧を装備しておらず、阻むものは何もない。
ユーリの左側から銀閃が迫る。ユーリは、なんとか剣を半ばまで抜き、刀を受ける。今度は、短剣と違い断ち切られることはなかった。流石はドワーフ製。
しかし、鍔競り合いにはなることはなかった。
「ガッ!?」
ユーリは、女の有り得ない馬鹿力に吹き飛ばされたからだ。そこで初めて女の気配が純粋な人間ではないことに気がついた。
だけれども、それがわかったところで、考える暇などユーリには与えられなかった。
一旦、刀を鞘に収めた女が鋭い踏み込みで接近して来たからだ。鯉口を切って刃が大気を斬る。
ユーリは、前転で刃をかわす。頭上を刃が通り過ぎ、髪の毛の先端を少し刈り取る。前転の勢いで立ち上がり剣を抜き放つ。青眼に構え、女を見据えた。
「何なんだよお前は!!」
「言葉、不要。斬ればわかる」
妙に片言で喋る女には、言葉が通じないことがわかった。会話が成立しない。
「シッ!!」
「ああくそ!!」
女が踏み込む、ユーリは併せて踏み下がる。そして、反転、そのまま駆けだした。背後では、追ってくる気配がある。
「とにかく街の外でだ――っおわ!」
背後を見ると、女が跳んでいて刀を振り下ろそうとしていた。跳ぶようにそれをかわす。地面に小さいクレーターができる。非常に喰らいたくない。というより、よく刀が保つというものである。
その事実にユーリは速度を上げる。せめて追って来にくいように人混みに突っ込み、大通りを走り抜ける。ユーリの予想通り攻撃がやんだ。その間に大通りを走り抜け、門から外へ出る。その時、何やら衛兵からの生暖かい視線を感じた。またやってるよ、的な感じの。
それについて考えることは、やはり出来なかった。背後からの一撃をかわし、相対する。
仕掛けるのは女。下段に構えた刀を振るう。
下段からの斬り上げ。それをユーリは、迷いなく受ける。先程、街中の相対で、ドワーフ製の愛剣は刀を受けれることがわかったためだ。金属と金属のぶつかる音が響く。
女は、すかさず左手で柄を押す。同時に踏み込む。刃と刃が滑り、そのまま突きとなりユーリへと突きが迫る。
ユーリは、突きの点から身体を逸らし、剣を寝かせ、刃を女に向けて身体を回すように振るう。突きを放ち、ユーリへと突進するような体勢の女に刃が迫る。技後の硬直。突きの姿勢のままの女にはかわせない。
だが、女はかわしてみせた。全身の力を一気に抜き、そのまま重力に逆らわずに身体を落とす。刃が空を切る。剣が頭上を通り過ぎた瞬間、力を抜いていた女は、背筋と腹筋、足全てを使い倒れる前に姿勢を起こす。そして、身体を起こした勢いのまま刀を振り下ろす。
「なろっ!」
ユーリは、流れを止めず、更に身体を回転させて剣を振るう。
剣と刀がぶつかり火花が散る。剣閃の応酬。その度に火花が咲く。
互角。そう見える。確かに、互いに無傷であるところを見るとそう思うのもわかる。しかし、互いに未だ手札は残っている。ユーリはまだ魔法を使ってはいないし、女はまだ二本目を抜いてはいない。つまり、2人は共に本気ではないのだ。そして、本気になったのなら、負けるのはおそらくユーリだ。
なぜなら、手札の相性が悪い上に、ユーリの手札が現状魔法のみであるのに対し女は更に鬼札を残している可能性もあるからだ。また、女が速いこともユーリが不利な理由だ。
魔法の発動までには、術具に魔力を流し込み魔法陣を起動、魔法陣の展開、魔法の発動という三工程が必要だ。女が魔法範囲外に逃げるには十分すぎる時間だ。
剣戟の応酬が終わりを告げて互いに距離を取る。
「……ふむ」
一瞬の間のち、女が地を蹴る。地面が爆ぜ、爆音にも似た音を響かせて女がユーリへと突撃する。
その一撃をユーリは受ける。一瞬で弾き飛ばされそうになるのを腰を落とし、足に力を入れて耐える。それでも両手で全力でやらねば耐えられないほどの力を掛けられる。しかも、ユーリはスロー再生のように見た。女がもう一本の刀を逆手で抜くのを。
二本目の刀の刃がユーリに迫る。芸術品のように美しい刃紋を浮かび上がらせる鋼色に輝く刃がはっきりと見て取れる。
乗り切るには、
「戦技『三段斬撃』!!」
世界の理に通ずる法則を超えて、発動した瞬間、三度の斬撃が同時に女を襲う。一撃目は、迫る刃を弾き、二撃目は、鍔競り合う刀を弾き、三撃目は、女の胴を斬る。それを同時に行った。
しかし、ユーリに伝わったのは肉を切る柔らかな感触ではなく、硬質な感触。それは、防がれたと思うには十分な感触。現に女は、吹き飛ばされただけでユーリの目の前にいる。斬られた様子は見られない。ユーリの斬撃は、女が着込んだ鎖帷子によって防がれていた。
「…………」
その事実に女は止まる。しばしその事実を確認したのち、キンッ、という鯉口の鳴る音を響かせて、一本の刀を鞘に収める。残した刀は立てる。
そして、ユーリと同じ様に戦技を女は使った。
「……戦技一刀流『鬼焔斬』」
炎鋼色の一閃が、空に斬り咲いた。
********
「終わった、で御座るか?」
女、名前は鬼伏奏、アグナガルド風に表記するならばカナデ・オニフシ。彼女は呟く。彼女の目の前には炎の壁が出来上がっている。彼女が放った戦技が原因だ。草が生い茂った場所に火を放ったのと同じで燃え盛っている。黒々とした煙が天に立ち上っていた。風が流れ空にカーテンをかけていく。
天候が変わって行く中で、奏は手応えを確認していた。確かに何かを斬った手応えがあったように感じていた。そのような感触はあった気がする。しかし、それは本当に狙いのユーリを斬ったのか。はたまた別な物を斬ったしまったのか。奏はわかっていなかった。目視しようにも炎の壁と黒煙が邪魔になっていた。斬った瞬間は、戦技によって生じた爆炎のせいで見えなかった。
それらは強力な切れ味を生み出す戦技による弊害だ。奏が放った戦技は、あまりにも斬れすぎた。あまりにも斬れすぎて、熟練者であっても斬ったものがどんなものであっても、熱したナイフでバターを斬ったのと変わらない感触しか感じないのだ。
まあ、奏の場合はそれどころの話ではないのだが、ユーリを斬ったのかわからないのは確かである。その為、気配を探ろうとする。
しかし、ユーリの気配を捉えることが出来ない。奏は気配察知を不得意としているではないのだが、本来の感覚器官を出していないためできない。単純に倒した可能性もあるが、剣を交えた奏からすれば、ユーリが死んだとは想像しにくい。ならば、どこかで反撃のチャンスを狙っているはずだ。
実のところそれはありがたい。元来、奏は自分から攻めるタイプの剣士ではない。眼でもって見て返すタイプの剣士だ。
先程までは相手がほとんど攻めて来なかったからやりにくかった。その点に関してのみやりやすくはなった。しかし、
「うむ……」
……面倒くさい。
ユーリがどこで反撃を狙っているのかを考えなければならない奏は、あろうことか考えることをすっぱりと放棄する。もとより考えることは苦手中の苦手なのだ。それは、ユーリを街中で襲ったことに通じる。相手の強さを考えるのが面倒、というか無理だったのだ。斬ってしまえばわかる。それが彼女の出した結論であった。
……ある程度は、把握した。問題は、ないだろう。
一応、ユーリは自身が戦ってもある程度は大丈夫だったのだ。問題はないと判断した。
そういうわけで、力を計るのが目的なのであって、相手を殺すわけにはいかないため本来の力を出すわけにもいかない奏は、ユーリの生死確認および探索をすっかりきっかりと未練も何もなく諦めた。
刀に纏わりつく炎を払う。その瞬間に刀は原型もわからないほどにばらばらに細切れになってしまった。戦技を使った弊害その2。並み刀では、刀の方が耐えられないのだ。その点、あの刀はよくもった方である。
興が完全に削がれた奏ではグランディアの街にさっさと躊躇いなく戻って行ってしまった。
********
「ええー…………」
草陰に身を潜めていたユーリは、何の躊躇いもなく帰ってしまった奏を見て、そんな声をあげた。一気に虚脱感やら疲労感が襲って来た。唐突に襲って来て、唐突に帰るとか、意味不明過ぎて笑えない。
殺されないように必死に抵抗して、先程の一撃だって受けれたのは偶然だ。偶然、刃の軌跡に剣が当たり軌道をほんの少しだけ、ズレたおかげで今も首が繋がっている。生き残ったのだ。
しかし、そのせいでせっかくエレンに買って貰った剣がもうポッキリである。剣の長さが半分になってしまった。また新しいのを調達しなければならない。愛着が出ていただけにこれは最悪だ。
だから、せめてその仕返しに一撃決めてやろうとした時に奏の躊躇いのない撤退である。怒りとか、その他、色々とかが来る前に呆然驚愕とした。
「……はあ……」
言葉では表せないほどの虚脱感と虚無感と疲労感がユーリを襲った。ドカッとその場に座り込む。何だかこの場を動きたくない気分だった。
ユーリは、とりあえず落ち着くまで座っていることにした。ひとまずは折られてしまった剣をどうするか考える。剣士を自負しているユーリとしては、代えの剣がいる。あとで武器屋に行くとして、ギルドで奏について報告すべきかどうかを考える。
だが、報告したところで何の意味もないことはわかりきっている。ユーリは無事なのだ。襲われた本人が無事なら冒険者ギルドは何もしない。してくれない。全て自己責任だ。
「でも、せめて弁償くらいはさせたい。……弁償って、概念あるのか? てか、弁償させれるか?」
酷く微妙な感じだ。剣が折れた原因は奏にあるが、結局のところ様々な事象の積み重ねによる結果だ。また、武器は所詮消耗品なのだ。それがどれだけ思いれのあるものだとしても、消耗品である事実は変わらない。
「無理だよなあ……はあ」
消耗品の弁償など無理だろう。いつかは壊れるのが、早くなっただけなのだ。理不尽であるが仕方ない。世界は理不尽で溢れているのだ。
いつもならば、諦めないのだが、旅の中でアリスに諦めることを覚えさせられたための言動である。
「そうは言っても、納得できねぇ……」
未練たらたらなユーリのセリフが空に木霊した。その瞬間、雨が降って来た。土砂降りだ。
「今日は厄日だ。コンチクショー!!」
叫び声は雨音に掻き消されるのであった。
アルファポリス「第5回ファンタジー小説大賞」が開催されました。
このホテルの向こうの異世界へもエントリーしてます。稚作ではありますが、よければ、投票お願いします。




