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ホテルの向こうの異世界へ  作者: テイク
第4章護衛と出会い編
55/94

4-3

 ヴェスバーナ暦1998年夏期1月20日 朝 アグナガルド帝国国境付近街道


 翌朝、朝食もそこそこに、見たこともないほどの赤い朝焼け空を見ながらアリスたちは馬車に乗り込む。

 昨日の分の日当を貰いやる気になったユーリもだ。話があるからと乗るように言われた。

 ちなみに馬車は四輪で、扉や窓まで備え密室度が高く、二頭の馬が引いていた。

 そして、馬車とは思えないほどゆったり揺れることなく出発する。それからは徐々にスピードをあげていく。それでも揺れは小さかった。

 御者はニタニタと笑うだけの男。かなり怪しかったが、悪意は感じなかったのでスルー。イカレた帽子屋(ザ・マッドハッター)が相手をしている。

 ユーリは周囲を警戒しつつ、対面に座るアリス・イン・ワンダーランドに注意を向ける。

 アリスは今は多少の揺れをものともせず読書に興じている。本の題名はわからない。革表紙のしっかりとした分厚い本だ。どこかアリスの様子は楽しげであった。

 それは良いことなのだが、ユーリとしては早く本題に入って欲しいところだった。護衛なら馬車の中にいるより外で、御者台にでもいた方が良いだろうと思うのだ。

 話が遅くなればそれだけ危険になるのだ。最悪の事態も考えられる。

 ユーリは、それだけは避けたかった。今度こそ守るなら最後まで守り通したかった。

 だから、


「話って何だ」

「読書中よ。それに話しかけるなら、もっと気の利いた言葉から入って欲しいわね。レディーに対して無粋よ」

「呼んでおいて読書に興じるのは失礼と思うんだが?」

「クスッ、あらあら、これは一本とられたわね。

 フフッ、そうね、確かにわたしから呼んだのだから、すぐに話をしなければ失礼よね。ごめんなさい。

 でもね、これからも護衛の依頼(クエスト)を受けるようなら、忍耐力をつけることよ。

 まあ、わたしの安全を考えてくれているのはわかるから何も言わないけど、みんなみんな、わたしみたいだと思わないことね」


 もっと酷い奴がいっぱいいるわよ、と暗にアリスは語っていた。そんなのを相手にするなら、もっと気をつけろといいたいらしかった。

 それは理解したが、今は今で話を聞くことにする。


「話っていうのはなに、簡単よ。目的地」


 なるほど、と納得する反面、それならわざわざ中に入る必要なかったんじゃないかと思う。

 だが、それを言葉にはしない。まだ出会って1日ほどであるが、アリスの性格は嫌なほどわかった。

 おそらくユーリが言えば、「だって、面と向かって話した方が面白いじゃない」、と言うだろうことは想像に難くない。

 わかりきったことを聞くほどユーリは馬鹿ではない。


「どこなんだ?」

「あらあらあら、驚いた。あなたなら、――それなら面と向かわなくても話せただろう? ――とか聞くと思っていたのだけど、あてが外れたわ。

 クスッ、まあいいわ。それはそれで面白いもの。

 目的地はワンダーランド家の領地にある街よ。グランディアというの。

 ここからなら馬車で約1週間といったところかしら。歩きなら、そうね約2週間半かしら。まあ、関係ないわね。

 何か質問は?」


 1週間。日当は5,000ロクーナなので最終的な報酬は35,000ロクーナだ。なかなかの金額である。

 また、グランディアは大都市と言える街なので、物を初めとして人や金、情報が集まる。アグナガルドという国を知るには良いかもしれない。


「ないな」

「それは上々、ああ、今は良いけど、グランディアに着いたら言葉遣いはきちんとした方がいいわよ。わたしは気にしなくても、周りが気にするわ」

「了解した。じゃあ、御者台に行っとく」

「ええ、ありがとう」


 イカレた帽子屋と入れ替わり御者である男の隣に座る。ニタニタ笑うだけの男で特に挨拶もない。

 ユーリは空を見上げる。

 視界一杯に広がるのは、どこまでも高い深蒼の夏空。どんどん過ぎ去っていく切れ雲。遠くには帝都があるという巨大な浮島が見て取れた。

 視線を戻す。景色は昼を越える頃には、山岳から平地の森へと変わって来ている。

 気配を探ると魔獣の気配がちらほらとある。馬車に備え付けられている魔導具(ソール)『魔獣避けのランタン』のおかげか近寄っては来ない。

 盗賊の気配も今のところない。しかし、いつ出てくるかわからないので警戒は怠らない。腰の剣の柄を撫で、投擲用ナイフのホルダーに触れる。もしもの時に備えて魔法陣を起動し待機状態にしておく。


「さて、このまま何事もなければいいんだが」


 そんなわけないか、とすぐに思い直す。

 認めたくはないが行く先々で結構トラブルに見舞われるユーリだ。今回も何かしらのトラブルに巻き込まれるかもしれない。それを言うなら、アリスと出会った時点で巻き込まれているようなものだが。


「なるようにしかならないか」

 そう呟き、ただ前を見るのであった。


********


 ヴェスバーナ暦1998年夏期1月20日 夜 ハリナリスの街


 日が暮れる頃。街に辿り着いた。エストリア王国では、珍しい魔導灯が街中を照らす明るい街。明るいと言っても現代の明るさには程遠く夕闇の明るさと言った感じだ。

 アグナガルドでは、大抵このような感じらしい。石造りの街で夕闇のような淡い明るさだと、十九世紀辺りのロンドン的な街並みを想起させる。


「ほかの国と違って魔晶が豊富に採掘されるから、夜でも明るいし、魔導具(ソール)も多いのよ」


 馬車から顔を出したアリスは、自慢気にクスリと笑いながら言った。

 魔晶。簡潔に言ってしまえば高濃度魔力の結晶のことだ。人工的に作り出すのは不可能。それ自体が魔力を生み出す性質をもち、魔導具や街灯などに使われる。


「確かに、エストニアでは夜は暗かった」

「フフフ、そうでしょう、そうでしょう。何てったってアグナガルドですもの。これくらいは当前。

 むしろ、驚くのはこれからかもしれないし、そうでないかもしれないけれど、それはわたしには関係ないわ。いえ、関係あるのかしら? あら、どっちかしら」


 おかしくなって、クスクスクス、と無邪気に笑うアリス。ユーリは、それを背中に受けながら、薄闇に目を凝らすのだった。

 馬車は、街の大通りを通り過ぎ、反対側の門から街を出る。夜通し走り続けるのだ。

 エストニア王国であれば、馬鹿な行為以外のなにものでもないが、このアグナガルドでは、街道には一定間隔ごとに、弱い魔獣を防ぐ魔獣避けも兼ねた光源がある。

 そのおかげで夜も街道は少ないながらも人が行き交う。魔晶が豊富なアグナガルド帝国特有の光景だ。

 淡い灯りが照らす街道を馬車が行く。ただ、その淡い灯りは、魔獣は防ぐが、もう一つ厄介なのを引き寄せる。

 ある気配があたりに漂って来る。


「何か来たな」


 腰の剣に手をかける。柄を握り、何時でも抜けるようにし、魔法陣の展開の準備も進める。

 ユーリが捉えたのは盗賊の気配であった。数は20人程。だが、馬は10頭。2人乗りをしているらしい。


「盗賊だ」


 ニタニタ笑う御者の男とアリスに盗賊の襲撃を伝える。

 御者はニタニタと楽しそうに笑うばかりで、話を聞いているようには見えなかった。話を聞いていたとしても、笑っていられる状況ではないというのにだ。

 アリスはというと、


「クスクス、盗賊ねえ。フフ、お兄さんの力を見る良い機会というべきかしら。それとも、危機(ピンチ)というべきかしら。

 クスッ、おもしろいわね。ねぇ面白いでしょう? 帽子屋さん」

「さあ? アリス・イン・ワンダーランドにもわからないことを、私がわかるはずないでしょう?」

「あらあら、本当かしら? 本当はわかっているのでしょう? 帽子屋さんともあろうものが、わからないなんていうはずないものねえ?」

「まさかまさか、そんなそんな。私ですぞ?」

「いえいえ、あなただからこそよ?」

「いやいや、いえいえ、そんなそんな、ありえませんねぇ。彼のアリス・イン・ワンダーランドがわからないはずないでしょう?」

「フフ、さあ、どうかしら。案外わからないかもしれないわ。だって、私ですもの。だって、帽子屋さんのことですもの。

 クスッ、いいわ、お兄さん、御自由に好きにしなさいな」


 内心で、やれやれ、と全く緊張感のないアリスたちに呆れながら、了解、と答える。

 顎に手を置き、さて、どうするか、と考え始める。

 次の街まではまだまだ遠い。街に逃げ込むことは出来ない。戦っても良いが、1対20。まともに相手をするのは厳しいのは明白だ。

 ならば、足止めをして逃げ切るのが定石だろう。

 そこまで、考えた時、アリスの言葉が降って来た。


「ああ、言い忘れていたわ。もし、やるなら、手加減なしで、徹底的やりなさい。肉片の一つも、残しては駄目よ。

 逃がすなどもってのほか、叩き潰しなさい。

 見敵必殺。

 わたしからの言い忘れていたのは、ただ、それだけよ。

 じゃあ、頑張ってね。クスクスクス」


 容赦のない言葉であった。残酷な言葉であった。的を射た言葉であった。


「……とりあえず、あの数なんて相手にしてられない。

 全力で逃げろ」

「…………」


 ニヤニヤと笑ったまま男は頷き、馬車はスピードを上げる。


「さて……」


 ユーリは、御者台から馬車の屋根に跳び上がる。自身に強化魔法をかけて目を凝らす。馬に乗った盗賊達が迫って来ている。接敵するのも時間の問題だろう。

 ユーリは、魔法陣を展開する。属性は土、形状は壁だ。発動時間は、魔力を込めている間。かなりの魔力を込めて魔法を起動する。極めて単純な魔法だ。

 後方、地面に展開された魔法陣から土の壁が姿を現す。高さ5m、全長は約1kmを超える巨壁は、盗賊たちの行く手を塞ぐ。盗賊たちは次第に諦めたのか戻って行った。

 約1kmもある壁を迂回して、追うような馬鹿な真似は、流石にしなかったようだ。そんなものを迂回しようものなら、陣形は崩れる、その間に逃げられる。諦めて別の相手を襲った方が得だ。


「ふう、これで良しだな」


 盗賊の気配が、気配察知の技能(スキル)効果範囲から完全に消えたのを確認したユーリは息を吐きながら御者台に戻った。

 だが、決して安心したわけではなかった。ユーリは警戒を緩めない。ここで油断しない。油断が死を招くことを、彼はしっている。

 空を見上げれば、三つの三角形に並んだ月が、変わらぬ輝きを放っていた。


********


「フフフ、及第点と言えるかしらねぇ」


 アリスがクスリ、と笑いながら、呟いた。

 ユーリが、それくらいできることは最初からわかっていた。わかっていることを評価することはない。予想と同じなら及第点で十分である。


「おやおや、手厳しいですねぇ、アリス・イン・ワンダーランド?」


 それにイカレた帽子屋が呟き返す。


「フフ、何を言っているのかしら帽子屋さんともあろうものが、何を言っているのかしら」

「さあ? 私はただ聞いてるだけかもしれませんし、独り言かもしれませんよ。いえいえ、聞いていますよ」

「クスクス、簡単よ。考えなさいな。待ってあげるわよ?」

「おやおや、あのアリス・イン・ワンダーランドが? ただの帽子屋の為に、時間を無駄にすると? いやいや、あり得ませんねぇ」

「あら、ありえるがもしれないわよ。だってわたしだもの、兎さんじゃないのだから、時間には追われていないもの」


 わかる? とアリスは問う。イカレた帽子屋は、いつものようにはぐらかし答えない。

 会話は、終わり、馬車の揺れと道行く音だけが響く。


「ふぁ」


 それを聞いていると、アリスが唐突に可愛らしい欠伸をする。揺れと音が心地良く眠りを誘う。

 目をしぱしぱさせ、目をこする。そして、もう一つ欠伸。


「……うーん、わたしは寝るわ」

「おやおや、あのアリス・イン・ワンダーランドがもうお休みですか? まさかまさか、そんなことはありませんよねぇ」

「あらあら、何を言っているのかしら帽子屋さん。よい子は、とっくに寝る時間よ?」

「おやおや、さしものアリス・イン・ワンダーランドも子供ということですか」


「あらあら、本当に何を言っているのかしら帽子屋さん? わたしは子供よ? ただの、無邪気な子供。アリス・イン・ワンダーランドが子供でなくて、どうするの?」


 不思議の国に行くのも、統べるのも、読み解くのも、全ては子供でなくてはならないのよ。

 アリスは、そう言って、荷物の中から大きな兎の人形を取り出す。それを抱きかかえ、席に寝転がると目を閉じた。

 すぐに、可愛らしい寝息が聞こえてきた。


********


 アグナガルド帝国浮島にある古城。

 そこには人形のように可愛らしく、美しく、氷のように冷たい少女が座っていた。

 美しい少女であった。

 髪は金糸のようにサラサラと揺れ、月の光を浴びて輝く金髪。それを金の髪留めで二つにとめられたそれは静かに揺れる。

 瞳は金の色を宿した、ルビーよりも鮮やかで血よりも濃い紅。その濃紅の双眸は妖しく光を放っていた。

 身に纏うは夜、闇のベールを集めて作ったかのような漆黒のドレス。夜空のようなドレスには星のようなフリルと赤いリボンがあしらわれている。

 ドレスの合間から見える白磁器のような美しい肌は、雪よりも青く白い。

 人形のような少女それはまさしく至高の芸術品と言っても過言ではない。見る者を例外なく圧倒する至高の芸術品のような孤高の雰囲気が少女にあった。


「やっぱり……私を助けてはくれないのね……」


 もう何度目に、いや、何十、何千、何万になるであろう呟きを少女の瑞々しい赤い唇は漏らした。

 それでも、目の前の扉は、開いてはくれない。ジャラリ、と見えない鎖が音を立てる。

 今宵もまた、孤独の夜が過ぎ去る。


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