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ヴェスバーナ暦1998年夏期1月19日 昼 アグナガルド帝国国境関所
「その点は、問題ないわ」
そう、アリスが切り出し、一枚の紙を取り出した。
羊皮紙や、その他動物の皮などで作られたこの世界一般の用紙ではなく、この世界では珍しい現代日本でも用いられていた真っ白な、植物繊維性の紙であった。
ギルドでよく使われるタイプの紙だ。しかもギルド印が押されており、正式な依頼書の体裁を整えたものである。
「永久依頼書よ。これ一枚あれば何度でも冒険者を雇うことができるというわけ。きちんとしたギルド発行のもの、これなら良いでしょう?」
「ああ」
正式な依頼書があるなら問題はない。むしろ喜ばしいとも言える。金は必要なのには変わりないのだから。
「なら、契約成立。早速条件面のお話をしましょうか。そうね5000ロクーナでどうかしら? ちなみに日当よ」
ロクーナ。アグナガルドの通貨単位だ。ロクーナは紙幣で、1ロクーナ紙幣から10万ロクーナ紙幣まである。補助通貨単位にルブルーがあり硬貨だ。1ルブルー硬貨から500ルブルー硬貨まである。
1ロクーナは日本円にしてだいたい100円ほど。1ルブルーはだいたい1円だ。
つまり5000ロクーナは日本円にして50万円に相当する。
アグナガルドの騎士の日給が約60ロクーナであることも考えれば破格の値段だろう。
「破格すぎじゃないか?」
「フフ、あら、ご不満?」
「まさか、そういうことじゃない」
「不満でないなら、良いじゃない。わたしが払うと言っているのよ? ここは受け取るのが礼儀でなくて?」
「……なら、ありがたくもらっておく」
「ふふ、契約成立ね。出発は明日にしましょうか。では、行きましょう」
永久依頼書に魔法インクで署名し契約完了。
アリスは上品な動作で立ち上がると食堂を出て行こうとする。
ユーリはもう少しゆっくりしたいので、立たなかったのだが、
「何をしているの? あなたも来るのよ?」
「何?」
「護衛の契約はした。護衛は契約した瞬間から開始よ。
まさか、このような鍵もないような関所の見窄らしい宿に、わたしのような可憐な美少女を泊まらせる気?」
「……わかった」
「上々、さあ、行きましょうか」
ユーリはアリスについて食堂を出る。その後ろをひょこひょことイカレた帽子屋がついてくる。
端から見れば奇妙な一団だ。
その事実を考えないようにしながら、食堂を出て階段を上る。
アリスが二階の宿屋で部屋をとる。
「ねえ、宿屋さん。部屋は開いてるかしら?」
「ガキに貸す部屋なんざねえよ」
宿屋の主人はアリスを一瞥してからそう言った。
それにアリスはクスリと笑う。
嘲笑だ。
「クスリ、あらあら、これが見えないのかしら」
アリスは自身の服にある刺繍を見せる。
描かれているのはトランプをモチーフにした紋章だ。おそらくは家紋であろう。
それを見た宿屋の主は、見る見るうちに顔を蒼くした。
「も、申し訳ありません、貴族様!?」
平伏する宿屋の主人。
この国の貴族がどれだけの権力を持っているかがよくわかる。
「クスクス、あらあら、あーあ、いやねぇ。まったく、いっつもこれよ。ねえ、お兄さん」
「知らん」
「フフ、お兄さんのそんなとこ好きよ。貴族相手にも物怖じしないところ。
でも、護衛なら、もっと気の利いた言葉をかけないと」
「なら、善処する」
「フフ、良い子ね。さあ、部屋に行きましょう」
どこまでも年相応でない少女だ。
「この部屋がいいわね」
宿屋の部屋はとても簡素であった。あるのはベッドのみで、完全に寝るだけの部屋だ。そのベッドも良いものとは言えず、寝心地は悪そうである。
……貴族なのにこんな部屋で大丈夫なのか。
ユーリは思うが、対するアリスはまったく問題ないようであった。
ベッドに座り、まあ、寝る分には問題ないわね、と勝手な評価を下している。
「じゃあ、俺は別の部屋に泊まるから、何かあったら呼んでくれ」
幼い少女と言えども、まだ会ったばかりの初対面の女の子と一緒の部屋で一晩明かすなどユーリの選択肢にはない。
だというのに、
「何を言っているの? あなたもこの部屋よ。護衛なら常に護衛対象と一緒にいるようにしないと」
何を言っているのかしらこの子は、という雰囲気ありありで言ったアリス。
その言っていることに一理あるためユーリは断るための言葉を探すことができなかった。
まあ、ユーリには特殊な性癖、幼女趣味や幼女性愛があるわけではない。
ユーリが熟睡できるかできないかの問題だけで、特筆して一緒の部屋で問題があるわけないのだ。
「……わかりましたよ」
「フフ、上々。さて、部屋も確保したし、どこか外でお茶会をしましょう」
アリスは、ベッドから立ち上がり、スカートの皺を伸ばしてから、部屋を出ようとする。
できれば部屋でゆっくりしたかったユーリであるが、それを言ったところでどうせ意味を成さないのは明白なので、黙ってついていく。
そして、やはりその後ろをひょこひょことついてくるイカレた帽子屋。いつの間にかその手にはバスケットが握られていた。
********
宿屋を出てアグナガルド側に出る。何か言われるか、止められるかと思ったが、誰にも止められることなく外に出れた。貴族の力だろう。
そんなことを考えつつ周りに気を配る。近くには関所を除いて人はおらず、魔獣もいない。
まあ、関所の近くに魔獣がいたら、それはそれで問題か。
そんなユーリをよそにアリスとイカレた帽子屋――主にイカレた帽子屋――は良い感じの木漏れ日の下で、お茶会の用意をしていた。
と言っても、特に何か特別なことをしているわけではない。ただ、椅子とテーブルを用意しただけだ。さながらシルクハットから手品のように取り出していたが、魔法があることを考えれば不思議ではない。
場の用意ができたら次は菓子と紅茶だ。これがなければ始まらない。
イカレた帽子屋がバスケットからティーセットを取り出すと、紅茶を煎れだした。その動作に淀みはない。流れるような動作で紅茶がいれられていく。
見事なそれをユーリが見ていると、
「あらあら、お兄さん、座らないのかしら? 帽子屋さんのお菓子と紅茶はなかなかよ」
「俺は護衛だぞ」
「フフ、そうね」
合格、とアリスは口の中で呟き、
「でも、お茶はみんなで楽しむものよ。1人で飲んではお茶会にはならないわ。
さあ、座ってちょうだい。わたしのお茶会に招待するわ」
依頼人の意向には従うこと。アリスはそう言った。ならば従うしかない。ユーリは対面に座った。
満足そうな笑みを浮かべるアリス。そこにケーキがおかれる。そして、ティーカップに紅茶が注がれた。
「ナリアリーの一番茶です。アリス・イン・ワンダーランド。おやつは同じくナリアリーのミルクケーキです」
「フフ、やっぱりこの時期はナリアリーの葉の紅茶が一番ね」
注がれ紅茶に口をつけてアリスは言う。
確かに、とユーリは心の中で同意した。
一口飲めば爽やかな味が口の中に広がる。ハッカなどのような清涼感ではない、もっと優しく柔らかい爽やかさだ。
紅茶などペットボトルの紅茶くらいしか飲んだことのないユーリでも、今飲んだ紅茶が良いものであることはわかった。
「フフ、気に入ったようね」
アリスがユーリの様子を見て言う。特に否定する理由もないのでユーリは頷いた。
「十分楽しんだのならミルクを入れてみなさい。また、違った味を楽しめるわよ」
そう言われたらやって見たくもなると言うもの。早速ミルクを足してみる。
澄んだ色にミルクが入り濁る。かき混ぜ、それに口をつける。
まず、驚きが迎えた。
先ほどまでの柔らかな爽やかな味は一切なく、激しい攻撃的な爽やかさがユーリを迎えた。
思わず噴き出しそうになったが耐える。ここで噴き出せばどうなるか。笑い事では済まない。
「これは!?」
「クスクスクス、ナリアリーの紅茶はね、ミルクを入れると途端に攻撃的になるのよ」
「先に言ってくれ」
「あらあら、何を言っているのかしら。それじゃ、面白くないじゃない。
でも、おいしいでしょう?」
「ぐっ……」
確かにそうだ。
驚きはしたが、おいしいのだ。そう言われたら二の句はつげない。
はあ、と内心で溜め息をつく。
どうやら、舌戦というか、口ではアリスの方が上らしい。もとより口での戦いは苦手だがちょっと悔しかった。
「フフ、お兄さんって意外に可愛いわね」
「悪かったな」
「クスッ、拗ねない拗ねない。
……それにしても、あなた綺麗な帝国語を話すわね」
「えっ……あ、ああ」
一瞬、何を言われたのか、いきなりで、しかも、今更過ぎてわからなかった。
何とか答えれたが、アレで良かっとは到底思えない。
現に、
「あなたの言葉は、訛りの一切ない帝都近郊の言葉よ。帝都から少しでも離れれば訛る。離れれば離れるほどに訛りは酷くなっていく。
クスクス、ねえ、お兄さんわかるかしら? 他の国から来たあなたが、何でそんなに綺麗な帝国語を話せるのかしらね」
心臓をつまれるとは、まさにこのことだろう。
言い逃れようにも生半可では言い逃れは不可能だ。
貴族に習った?
平民がなぜ貴族に師事できる。
実はアグナガルド帝都出身?
ならなぜ他国で冒険者なんてやっている。
言い訳は無理そうだった。
言葉に関しては、何も気にしていなかったせいで、何も考えていなかった。
シィの加護があるからだ。
だが、それが問題だ。
アグナガルドで信仰されているのはトルレアス神教ではない。
無論、シィはトルレアス神教の神ではないが、トルレアス神教には言語の加護があるため通せる。トルレアス神教徒は、異国でも布教するからだ。
だが、アグナガルドで信仰されている七柱神教には言語の加護がない。
七柱神教にあるのは、世界を作り出したとされる七柱の神の生来の祝福と加護だけだ。
それぞれ、
『豊穣と豊作を司る農神』
『死と戦を司る武神』
『美と芸能を司る女神』
『生と医薬を司る医神』
『造酒と食物を司る食神』
『性と官能を司る女神』
『技と創作を司る学神』
この七柱の神が祝福を授ける。どこにも言語に関するものなんてない。
ふと、そこまで考えて、別に慌てる必要や考える必要はないことに気がついた。
冒険者には宗教の自由が与えられている。
例えトルレアス神教を異端としている国に入っても冒険者ならば裁かれることはない。心象は圧倒的に悪くなるが、別に命をとられるわけではない。
ならば問題はない。
アリスの物言いにすっかり呑み込まれていたようだ。
「トルレアス神教の加護のおかけだよ」
「…………クスッ、へぇ、便利ね」
妙な間と笑いが気になるが、どうやら問題ないらしく、アリスはミルクケーキを味わいつつ紅茶を飲むことに戻った。
ユーリはこっそり息を吐く。
こんな調子でこの先大丈夫かと。
どう見積もっても心労を感じそうである。また、この少女にやりこめられそうであった。
********
その夜、深夜にユーリは目を覚ました。
「……何だ? この感じ」
背を預けていた壁から離れ、立ち上がる。
ベッドを見ればアリスはスヤスヤと眠っていた。寝ている間は年相応の少女のように見える。異変があったようには見えない。
「外、だな」
耳をすませる。音は聞こえない。
目を閉じて集中する。
自分を中心に気配を感じる。殆どが兵士のものだ。何も起きてないように思える。
気のせいか、と思い、寝直そうかと再び壁に背を預けた瞬間、
『魔獣だー!!』
「!?」
兵士の怒号が関所中に響き渡った。
飛び起き、背中側に回していた剣の柄に手を伸ばしたままの姿勢で状況を探る。
気配からして何かの魔獣の群れが襲って来ているようだった。関所の門はしっかりと閉じられているようで、魔獣が中に侵入してきた気配はない。かなりの大群であるが兵士たちは統率のとれた動きで撃退しているようだった。国境に詰めている兵士だから流石の練度ということだろう。
ユーリは柄から手を離し警戒を解く。
「俺が出る幕じゃないな」
ユーリは壁に背を預けて座る。
兵士に加勢するつもりであったが、その必要はなさそうだと判断する。
物語の主人公のように正義感が強ければここで問答無用で加勢にいくだろう。
だが、ユーリは動かない。
必要ないのが大きいが、今は護衛中だからだ。護衛中ならば、最優先すべきは護衛対象だろう。それをほっぽりだして必要のない加勢に行くのは気がひけた。また、見た目幼い少女を1人残していくのも同様に気がひけたのだ。
最低限の警戒をしつつユーリはまた軽い眠りの縁へ入っていった。
「(フフフ、“合格”)」
そんなユーリに背を向けながら寝ているはずのアリスが口の中で呟いた。それはユーリには聞こえてはいなかった。
そして、再び、アリスは目を閉じた。
今日は、これで終わり、とその表情は語っていた。
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要望など随時受け付けてます。こんなキャラ出してや、こんなことしてほしいでも良いです。
では、また次回、お会いしましょう。




