3-12
ヴェスバーナ暦1998年春期3月25日 朝 王都リバーナ王立闘技場
ユーリは通常よりも多少重い身体を引きずり走っていた。自分が何に加担しているのかはわかった。わからない方がおかしいだろう。
王の暗殺。そのためにこの高実力者を動けなくする圧力を発生させるのがあのキューブ。
ならば、それを破壊する。場所はわかっている。問題は――。
「やっぱりいたか」
――キューブの前に1人。それを守る獣人がいた。ヤクミと同じ黒翼の獣人だ。腰に剣を吊っている。
キューブの数は20個。ヤクミの拠点にいたのはヤクミを含めた21人だ。気配を探った結果わかったこと。
ヤクミは今、闘技場。ユーリが何かしてもエレンに危害はいかないかもしれない。可能性だけでわからないが、ここで動かなかったらどうする。
「……自分のケツは自分で拭くさ」
ユーリは剣の柄を握り締め、物陰から飛び出した。
技能『気配遮断』を発動し、気配を消して素早く近づく。
獣人の男がユーリに気がつくが、もう遅い。獣人の男が剣を抜くより先にユーリの剣が獣人の首を切った。
キューブを破壊し、ユーリは次のキューブへと向かう。休む暇などない。急がなければ王が危ない。
「おっと!」
物陰から人が出て来たので構えるが、出て来た人物を見て構えを解く。出てきたのはマコトだ。
「ユーリ君か。何か体が重いし獣人もいるしで、オチオチ寝てもいられないし。何かしってる?」
「……ああ」
ユーリは一瞬躊躇ったが、仲間がいた方が効率が良いことは明確なので話す。
「なる。リョーカイ。んじゃま、行ってくんよ」
「頼む」
マコトは反対側に走っていった。
「俺も行くか」
ユーリもキューブに向けて走る。
途中、ハザードやウィンカーたちにも出くわしたが、実力が高すぎて満足に動けないため、キューブ破壊に参加させることはできなかった。
そんな状態でヤクミと戦っているエルシアとジンクスは、流石英雄と言うべきなのだろう。
また、話によればアサオ、エリーニア、アルジェンドは既に闘技場を離脱しているらしい。逃げ足速すぎである。
そんな間に2個目のキューブの場所に到着した。そこは本戦出場選手以外入ることのできない浴場だ。
浴場ということで、日本人であるユーリにはかなり魅力的だったのだが、全て黄金でできているという悪趣味極まりない造りだったためキューブ設置以外は訪れていなかった場所である。
非常事態のためそのまま中に突入する。
水蒸気がユーリを迎えた。濃い水蒸気のせいで何も見えない。だが、ユーリの気配察知の技能が敵の気配を捉える。すかさずエレンお手製のナイフホルダーから投擲用のナイフを取り出しそちらに投擲する。
投擲すると同時にユーリも駆け出す。水のせいで滑るがバランスをとりながら浴場を駆け抜ける。相手もわかっていたのか、キンッキンッ、とナイフを弾く音が響く。
水蒸気を切り裂いて敵と、そいつが振るう剣が姿を現す。
その瞬間、床が滑るのを利用し回転。その勢いのまま薙いだ。剣と剣がぶつかり合う。ユーリはそのまま力任せに剣を押し込んだ。ポキンという音を響かせて、相手の剣が折れる。流石はドワーフ製。普通の剣よりも丈夫だ。
基本的な剣は刀と違ってその重量と丈夫さで押し込み切り裂く武器だ。引くに対して押し込む。繊細に対して剛健。まったく対称的だが、どちらも斬るという結果を残す。不思議なものである。
獣人が動く気配がした。逃げる気らしい。通路と違って浴場は天井が高く、また窓がある。空に逃げることが可能だ。
だが、ユーリは逃がす気はない。新たな戦技『電斬り』を放つ。雷を斬り伏せる程の速さを持った一撃が逃げる獣人を切り裂く。
キューブを破壊し、剣の血を拭いユーリは次なるキューブを目指す。
残りキューブ数18個。
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「破っ!!」
壁事マコトは獣人とキューブを破壊する。身体は重いが、これくらいはできるんだなとマコトは頭の隅で考えながらキューブを潰していく。なかなかに楽しそうである。
破壊したキューブは2個。次に向かう。
ユーリに教えられた場所は厨房だ。騒ぎでコックはいない。好都合とばかりに入る。キューブは奥の食材保管庫の中だ。
敵の姿は見えない。気配もないためマコトは食材保管庫の中に入る。その瞬間、食材保管庫の扉が閉まる。
「ヒヒヒ!! これで貴様は終わりだ」
扉の向こう側から声が響いてきた。罠だったようである。食材保管庫には魔法がかけられていて、中の温度を下げる。謂わば現代の冷蔵庫だ。
ただし、電気を使わず、殆ど瞬間的に中の食材を氷付けにする代物である。マコトの格好もあり状況は最悪。何もしなければすぐにでも凍りついてしまう。そんか状況でもマコトは笑っていた。
食材保管庫の温度は瞬きする間にはもう落ちている。吐く息は既に白い。最早寒いなんてものではなく痛い。体中に針でも刺されてるんじゃないのかというくらいの痛みであった。
「スウウウゥゥゥ……」
マコトはドンッと拳を突き合わせる。そして、冷めた空気を胸一杯に吸い込んだ。ハリセンボンか、はたまたハリネズミでも飲み込んだかのように体の内部も痛む。
だが、マコトはニカッと笑った。そして、そのまま目を閉じた。
心頭滅却すれば火もまた涼し。
何事も超越していれば苦痛にはならないという諺であるが、マコトがやっているのはこれである。要は我慢である。
はっきり言って馬鹿である。大馬鹿である。壁でも壊せば速い。
だが、それはできないのである。魔法が付与されているこの食材保管庫は途轍もなく堅牢なのだ。守りに関して言えば王城の宝物庫クラスはあるだろう。物理防御に関してだけだが。
ゆえに魔法防御は低い。しかし、魔法が使えぬマコトではどう逆立ちしても破壊は不可能。
だから、我慢しかないのだ。ひたすら耐えて耐えて耐え抜いて、勝機を待つ。しばらくして、扉の開く音が響いた。
その瞬間、マコトは拳を突き出した。
戦技【気弾】『無』と呼ばれるものが放たれ、マコトが死んだだろうと決めつけ油断していた獣人の頭を貫いた。
マコトはさっさとキューブを破壊すると、食材保管庫からゆっくりと時間をかけてでた。あまり早く出ては心肺機能に負担がかかってショック死する可能性があったからだ。
残りキューブ数15個。
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ユーリとマコト以外にも動く者はいた。
幼児体型の騎士見習いカノン・エアスト・クラディアは自慢の足を使い闘技場を疾走していた。その速度は誰よりも速かった。体が重いというのに流石である。
自身の得物である、穂先は翼のように広がり、石突きの部分も刃のような形状に作られている槍を持つ手にも力が入っていた。
石突きが鋭利な形状の槍は扱いづらい。下手をすれば自分自身や騎乗している馬、味方さえも傷つける可能性がある。見習いであるが技量は確かなのだ。
そんなカノンはうろたえながらも王であるヴィンセントの下へ向かう。その途中の通路でカノンは獣人に遭遇した。あからさまに何かを守っているような獣人だった。
カノンはすぐさま加速する。そして、相手の目の前まで来るとそのまま躊躇いなく首へと穂先を突き刺した。躊躇いななどない。
「えっと、この圧力の原因はこれですかね?」
キューブ。
それを穂先でつつく。特に危険は無さそうなので、さっさと壊してしまう。圧力が軽くなった。
「それにしても、おかしいですよね」
カノンは思う。おかしいと。現におかしいのだ。
王を暗殺するにしても手際が悪い。わざわざ衆目の前に姿を現して、尚且つ先ほど破壊したキューブのような手間のかかることをしている。これは明らかにおかしい。
暗殺とは、誰にも気付かれることなくひっそりと行うものだ。その為に暗殺者という人種は溶け込む。民衆に、闇に。そして、一撃必殺で任務を遂行する。誰かに気付かれることなくだ。そのためなら何でもする。
傭兵だったからというのも考えられるが、カノンはその考えを振り払う。それにしたって手際が悪い。なぜリーダーがわざわざ表に出て来る必要がある。なぜ、エルシアやジンクスという規格外の相手と戦う。割に合わないではないか。
「なら、何か別の狙いがある?」
考えられることとしては、陽動だ。この場で騒ぎを起こし、其方に目を向けさせることで、別の場所から目を逸らさせる。しかし、そうなら何を狙う。仲間を犠牲にしてまでの狙いとはなんだ。
考えても答えは出なかった。
残りキューブ14。
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「……分身」
ボフン、という音と煙と共に5人の黒尽くめが現れる。冒険者選抜試験終了後東へと向かったアカネだ。
彼女は王都で路銀稼ぎと、国の裏を知るためにエルシアによって至極個人的に雇われていたのだ。ユーリが来ていたことも知っていたが、反乱を起こしそうな貴族、または集団を調べるのに労力を費やしていたためにそちらに対しては何もすることができなかった。
そして、襲撃は起きた。ふがいないことに後手に回ってしまったのだ。それも、相手に同業者がいたためになかなか尻尾が掴めなかったことが原因である。
だが、起きてしまった以上、その対応に走る。原因であるキューブの破壊へ分身を向かわせる。
分身をすると実力が分散されるが、敵と戦う時は不意打ちの一撃必殺のみだ問題はない。実力が分散していれば、それだけあの空間の中で動きやすくなるというもの。問題はないに等しい。
そして、その間に本体は城へと向かう。この騒ぎに違和感の気が付いているのだ。
(……ワタシを撒くほどの手練れがいる。なのにこの計画の杜撰さ。十中八九搖動。だとすると狙いは城)
屋根を飛び越えつつ城へと走る。もう少しで城というところで、1人の男が立ちふさがった。アカネは止まる。
アカネの記憶では、大通りの屋台で大食いをしていた東方の男だ。今も団子を食っている。
(確か名前は伊藤慶介)
「やあ、かわええ子やなあ。すまへんけど、これ以上先行かせへんのや。ワイのためにもうちっと、待ってくれへんか?」
「……できるとでも?」
忍者刀を腰から抜き逆手に構える。
「うん? まあ、ワイ如きや無理やろな」
「だったら」
「ああ、ちゃうちゃう。ワイならって話や。ワイでないなら、十分可能や。ちょうど、条件もそろってるからな。まあ、さすがにユーリに会うのはもちっと先になりそうだがな」
「……!?」
巨大な何かを慶介の背後にアカネは見た。
その瞬間には、宙を舞っていた。
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――王城
闘技場襲撃により騎士は出払っており、城の中には一部の文官と侍従のみが残っているだけになっていた。王の危機ということで、まったくと言ってよいほど人はいない。
そこを1人のメイドが地下に向かって歩いていた。髪を血で染めたかのような朱色の髪のメイドだ。しかし、メイドは居てもおかしくはない。誰も気に留めず彼女は王城の地下へ降りていった。
「ふ~ん、ここか」
最下層に降りたメイド。途中、見張りの兵士がいたが、頭と胴体を切り離して眠っている。彼女の手袋は赤くなっていた。
彼女の目の前にあったのは、巨大な扉だ。見上げるほどに巨大な扉。所謂宝物庫の扉なのだが、些か巨大過ぎだ。
噂では1,000年前の秘宝が納められているらしいが、彼女の目的はそれではない。彼女の目的はただ、中に入ること。それだけだ。
「さって、入るとしましょうかね」
彼女は扉を押す。到底彼女の細腕では開くことなどありえない扉は、ゴゴゴと音を立てながらゆっくりと開く。
その瞬間、彼女の足を何者かが掴んだ。見れば、足を掴んでいたのは骸骨だ。スケルトンと呼ばれる魔物だ。
魔物。魔獣と同じ存在。呼び方が違うだけである。しいて違いを上げるなら、魔物は人型の魔獣につけられる総称だ。魔獣はそのまま獣型の総称である。
メイドは振り払う。それだけでスケルトンは崩れ去る。だが、うじゃうじゃと有象無象が湧いてくる。
「はあ、全く、苦労して雇われたと言うのに……はあ、ツイてない。アリッサちゃんでも泣きそうだよ」
嬉しくて。メイド――アリッサの呟きは聞こえなかった。轟音が鳴り響いたのだ。次の瞬間にはスケルトンはバラバラになっていた。
アリッサの手には巨大な欠けたハルバート。それを肩に乗せてはあ、と溜め息を吐く。
「本当、ツイてない」
そう愉悦に顔を歪ませながら言いながらアリッサは巨大なハルバートを振るうのであった。スケルトンがバラバラになる音がしばらく響きわたった。
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あれほど人で溢れていた大通りからは考えられないほど人がいなくなっていた。
「むあ~、うまうま」
その通りを団子を食いつつ歩く女性が1人。
凛とした美しさを持つ、肩を大きく露出させた薄紫色の着物を着た美女だ。髪は赤と紫、青のグラデーションのかかった髪に簪をさしており、着物と合わせ東方の人間ということがわかるが、その手には禍々しい鎌を持っていた。明らかに普通の人間ではない。
そこにアリッサがやって来た。
「いた。まったく、こっちが苦労してるというのに何をしているのかしら」
「おおー、アリッサちゃんオツカレ~。その様子だと手に入ったようだねぇ」
串を銜えた女性の目はアリッサの背に背負われている巨大な石版に向く。
「苦労したわ」
「のようだねぇ。そんなのを引き連れて来たようだし」
女性の言葉にアリッサが振り返る。人がいなくて良かったとしか思えない光景が広がっていた。大通りをスケルトンが覆い尽くしていたのだ。
「人払いしといて正解だったねぇ」
ニカカッ、と笑う女性に対しアリッサはそうもいかない。
「どうすんのよ! アレ死なないのよ!!」
そう、このスケルトンは死なない。特殊な加工が施されているこのスケルトンは核を壊さなければ止めることはできない。
この場合の核は石版だ。破壊などできない。これが目的の品なのだから破損などもってのほかだ。スケルトンは弱いが数で来られるのは厄介なのだ。如何に強い英雄でも数の暴力の前には屈する。
「やれやれ、あたいも舐められたもんだねえ」
だが、女性はニヒルに笑い、そっと、軽く鎌を一閃した。フワッと風が起きる。それだけのことなのに、スケルトンは全て崩れ落ちた。彼らが動くことはもうない。
「さあ、行こうか」
そう言って笑う女性の表情は嘘のように朗らかだった。
「団長!」
そこにかかるはずのない声がかかる。そこには格闘系踊り子のネリアがいた。
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「団長!」
ネリアが異変に気がついたのは偶然であって当然であった。
闘技場から偶然お金を忘れて一座のテントに戻ると団長を含め自分以外がいないことに気がついた。一座のテントには必ず人がいなければいけない決まりだ。これは何かがおかしいと気づくと、後は芋づる式に異変に気がつく。
人っ子1人いない街通り。何かが起きているのは明白だった。とりあえず団員を探している時に禍々しい大鎌を持ったただならぬ雰囲気の団長と巨大なハルバードを持ち石版を背負った女性を見つけたのだ。
「あちゃー」
大鎌を持った団長と呼ばれた女性は忘れてたという風にオーバーリアクションをとる。
それに構わずネリアは聞く。
「団長、一体何をしているんですか」
だが、それは無視される。
「ねえ、話してなかったの?。稀少なギフト持ちなのに?」
「あー、すまんアリッサ。忘れてたよ。ほら、あたいって忙しかったし」
「いっつも舞台はサボって表に絶対にでないようにしてたのに?」
「うくっ」
「団長!」
「あ~、もう、面倒臭い。ネリア、少し寝てろ」
気がつくと目の前にいた同期で一座の幹部の少年がネリアの頭に手を置く。一瞬のうちに抵抗する間もなくネリアの意識は闇に沈んだ。
「危ない危ない、あのギフトだってこと忘れてたよ」
頭をかきながら団長が言う。
「次はないわよ」
「あいあい」
「じゃあ、行きましょう」
「あいよ」
2人は王都を出る。喧騒は次第に戻っていった。
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「ふふふ」
少女が笑う。オペラグラスで王都での事態を観察しながら笑う。
「あらあらあら、まあまあまあ」
心底楽しそうに、心底驚いたように。どこか偽りを醸し出しながら少女は笑う。
見るもの全てを虜にしそうな可愛らしい容貌の少女は王都での展開に一喜一憂。
「楽しいわね。ええ、楽しいわね。ねぇ楽しいでしょう?」
少女は問う。
「そうですね」
「あら、楽しくなさそうね」
「そうですね」
「そうね、いつも同じ答えね」
「そうですね」
三月兎は気が違ったかのように同じ答え。そうですねが、三月兎の言葉。それが全て。
「ふ~ん、じゃあ猫さんは?」
「…………」
チェシャー猫はニヤニヤとニタニタと楽しそうに笑うばかり。何も喋らない。沈黙がチェシャー猫の言葉。
「帽子屋さんはどうかしら」
「おやおや、私に聞くのですかな。いやいや、まさかまさか。あのアリス・イン・ワンダーランドが? 私に? まさかまさか、それはありませんよねぇ?」
イカレた帽子屋ははぐらかす。そして、逆に問う。自分からは答えない。言葉を解す狂った帽子屋。彼との会話は成り立つようで成り立たない。
「さあ? わたしよ? 聞くかもしれないわ。だって、わたしですもの」
「そうでした。そうでしたね。あぁ、そうでした」
「で、アレ、いえ、彼、良いと思うんだけど?」
「そうですね」
「…………」
「いえいえ、そうそう。さあ、どうでしょう?」
「まあ、あなたたちには聞いてないのだけど」
「そうですね」
アリス・イン・ワンダーランドはオペラグラスを覗く。そこに映るのはただ1人。
「ふふふ、ねぇねぇ、あなたはどんな声で鳴いてくれるのかしら」
アリス・イン・ワンダーランド。
不思議の国のアリス。
その名を冠する少女は笑う。猫と兎と帽子屋を引き連れて、彼女はただ、笑みを浮かべる。物語の朗読を楽しむように。
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