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ヴェスバーナ暦1998年春期3月23日 昼 王都リバーナ
闘技大会は順調に4日目を迎えた。闘技大会も4日目。
すでに3人の本戦出場選手が出ている。これからもまだまだ強い奴らが上がってくる。そうなるとそいつらの戦い方を知るための偵察は欠かせない。敵を知ればおのずと自身のことも見えてくる。
孫子も言っている、敵を知り己を知れば百戦危うからず。厳密には違うかもしれないが、敵を知り己を知れば負けることはないということだ。
だというのにそのユーリは闘技場に観戦にもいかずに活気あふれる大通りをゆっくりと歩いていた。以前屋台をはしごした時と違い、目的があるのか屋台には目もくれずある1点を目指して歩いている。その目的地とは大通りにある寂れた宿屋であった。
そう、ユーリが闘技大会へと出場する原因であるヤクミのいる拠点で、彼と旅をしている仲間で、今は人質となっている獣人のエレンのいる場所だ。目的は近況報告だ。
宿屋『浮き風の楽園亭』。それがその宿屋の名前だ。しかし、そこが宿屋だとわかる人物は少ない。
大通りに面しているという最高の立地条件であり、闘技大会という一大イベントで多くの見物客が国中から集まっているというのに、浮き風の楽園亭には全く人がいない。
更に看板すらない。これで宿屋だとわかるのは以前から宿屋だと知っている人物か、よほど勘の鋭い人物だけだろう。
ユーリは人混みを掻き分けて浮き風の楽園亭へ入る。その瞬間、パァンという音が響き、彼の頭に紙吹雪のような何かが降りかかった。
それから火薬のような匂いも。そこには相変わらず、胡散臭さ全開のニヤリとした笑みを浮かべるヤクミがいた。手には現代日本でいうところのクラッカーのようなものが握られている。
「本戦出場おめでとうございます。いや、すみませんねぇ。祝うのが遅れて。こちらにも仕事があったもので。まあ、あなたなら笑って許してくれますよね。
そうそうお詫びと言っては何ですが、ミートパイを用意しました。大丈夫、私の手作りですから安心して下さい」
クラッカーのようなものを投げ捨てると、どこからともなく無駄に美味そうなミートパイを取り出したヤクミ。
ニヤニヤと笑みを浮かべる男と無駄に美味そうなミートパイという組み合わせは恐ろしいまでにミスマッチだった。違和感しかなくて気持ちが悪いレベルだ。
それにヤクミにはユーリを祝おうなど全く思っていないように感じられる。そんな奴から貰うものなどありはしない。
「いらん」
「あら、それは残念」
ヤクミは、その答えは予想通りだと言う風に肩を竦め、ミートパイをポイッと投げ捨てた。べちゃりと床に落ちる。
感慨も何もないらしい。勿体ないことこの上ないがユーリは何も言わない。言ったとしても気にしないだろうし、下手に刺激したくない。エレンが人質なのだ。慎重にならなければ。
「じゃあ、あなたのお仲間は2階にいるので、会うならご勝手に。
ついでに次の指令ですけど、ありません。キューブの設置は終わったみたいですし。まさか、第一グループとは思いませんでしたから予定が早まりそうですよ。ありがとうございます。
あ、でも、我々の仕事が終わるまでは大人しくしといて下さいね」
「ああ」
ユーリは捨てられたミートパイを踏まないようにしてから、軋む良い音がする階段を上って2階へ上がる。部屋は聞いていないがエレンの気配が一番奥の部屋からしているので、そこへ向かう。途中の部屋を開けるなど余計なことはしない。
中にはユーリ以上の実力の者たちがいたりしているので、こちらも下手に刺激しない方がよいとの判断だ。
「さて……はあ」
1番奥の部屋の前でユーリは1度深呼吸をする。何とも言えない緊張感を紛らわすためだ。旅をしていた時は毎日それこそ四六時中一緒にいたが、王都に入ってからは4日振りに会う。どういうわけかユーリは緊張していた。
例えるなら長期休暇明けの学校に行くときのあの何とも言えない緊張感と同じだ。それでも中に入らないことにはここに来た意味がない。
意を決して中に入る。そこには、裸で楽しそうに服を選ぶエレンがいた。ユーリの視界は真っ黒になった。
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「はっははは、ククク、いや、まさか今更裸くらいで気絶されるとは思わなかった」
「笑わないでくれ」
耳ともふもふの尻尾がなければ綺麗な町娘で通るような格好のエレンが快活に笑う。ユーリはうなだれる。エレンの言う通り今更裸くらいで気絶するというのはかなりの汚点だ。というか恥ずかしい。見られた方ではなく見た方が恥ずかしいという珍しいのはことこの上ない。
それからひとしきり笑ったエレンはどうかしたのかと聞いてきた。
「……ちょっと、近況報告しとこうかなって思ってさ」
「君が本戦に出場することは知っているよ。それ以外に、何か……いや、何でもない。君が闘技大会に出た感想とか、この4日間何をしていたか気になっていたところだ。喜んで聞こう」
事実、ユーリにはエレンに報告するようなことは殆どない。特筆して何かあったわけでもない。ただ、話をしたかっただけなのだ。腹を割って話せるのは今のところエレンだけだから。
ユーリはゆっくりと話し始めた。
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「なるほどな。うん、おっと、もうこんな時間か」
話し終えると外はもう夕日が落ちかけていた。天気は雲が流れてきて少し悪くなっている。だが、ユーリの心は幾分晴れていた。
話をしたのが大きい。それについて何も言わないエレンには本当に感謝した。
だが、そろそろ最終戦。最悪これだけでも見る必要があるので、ユーリは戻らないといけない。
「っと、戻らないと」
「最終戦だけでも見るのだろう。なら、一緒に見よう」
「いや、だけど」
「大丈夫だ、問題ない」
ベッドの下に押し込められていた袋をエレンが取り出し、がさごそと探る。そして、出てきたのは映像水晶板だった。携帯用に小型化されたものだが、十分に使えるものである。
「これで見れるだろう?。さあ、一緒に見るとしよう」
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4日目、最終試合。まず、闘技場に入って来たのは、動きやすいように改造された修道服に身を包んだ金髪のシスターだ。
王都リバーナでは一部から不良シスターとして有名な武装神官クローネ・セイドリッヒ・ラグーン。通称はシスタークローネ。腰に遺物双銃『クリミノル』を持つ。出場目的は金である。
その対戦相手も遅れて闘技場に入って来る。フード付きマントにすっぽりと包まれた人物。完全にマントで覆われているために男か、女かすらわからない。武器が何かもわからない正体不明の人物だ。
「テメェで最後だ。金の為にさっさと死ねよ」
「…………まったく、予想通り過ぎて笑えませんわシスタークローネ」
「あ゛? 何だって?」
「笑えない、そう申しましたシスタークローネ。
金儲けや人を傷つける行為は神の名において絶対禁止、と私はあなたに申したはずですが、理解できませんでしたか? ねえ、シスタークローネ?」
「――げっ!?」
鈴の音のような女の美しく声が響いたかと思うとマントの人物は今まで脱ぐことのなかったマントを脱いだ。
それを見たシスタークローネの表情が驚愕に染まる。マントの下にあったのは、全く改造されていない修道服を身に纏った、一分の隙のない完璧なシスターであった。
「シスター……アルカ……」
冷や汗を流しながら完璧なシスターの名を呟くシスタークローネ。口の中がカラカラになっている。否応なくシスタークローネの全身は緊張していた。
思い出されるのはシスターアルカに与えられた数々の教育。それらを振り払うように頭を振り、シスターアルカを睨む。
それに対してシスターアルカは、どこからか取り出した革張りの聖書を胸に抱きながら冷ややな視線をシスタークローネに向けているだけだった。
殺気すらこもっていそうなシスタークローネの睨みを涼しげに受け流している。踏んできた場数が違うのだ。
『試合、開始!!』
そして、試合は始まる。
「シスタークローネ、私は仕事もあります。ですので、早く終わらせましょう。今度という今度はきっちりと教育してあげましょう」
「はっ! 冗談じゃないよ! いくらあんたの命令でもそれだけは聞けないねえ」
バックステップで距離と取り、クリミノルをホルダーから抜く。警戒して腰をかがめながらも双銃の銃口をシスターアルカに向ける。
遺物。それはまだ神々の時代に作られ、人々に与えられた遺産。神のために振るわれるべき兵装。
その威力は剣や槍などとは比べものにならないくらい強い。引き金を引けば十代にしか見えないシスターアルカの細い体に風穴を空けるだろう。
「双銃『クリミノル』。銃弾と呼ばれる弾を高速で撃ち出す遺物でしたか。特性は弾丸の自動生成と追尾でしたね。使用者の魔力が続く限り弾丸を撃ち出す遺物」
「わかってんならいうんじゃねえよ。これを生身で防げるわけねえのはあんたが一番よく知ってるはずだろクソババア」
「ええ、よく知っています。何せ、私がまだ現役時代に使っていたものですからね。ただ、何の対策もしていないとお思いですか?」
「なに?」
「それと何十年付き合ってきたと思っているのです。それに、神が作りし物が神を傷つけることができるとお思いですか? 愚かですね」
「なら、防いでみせろよ!!」
引き金を弾く。弾丸がシスターアルカへと飛翔する。
「聖書第三節『悪害は敬虔なる使徒に触れれず』」
だが、その弾丸はシスターアルカの体に風穴を空けることはなかった。弾丸はシスターアルカを避けた。何度も引き金を引き弾丸を放つが、結果は変わらない。
1つとして、クリミノルの弾丸はシスターアルカにかすることさえしなかった。放たれた直進するだけの弾丸はシスターアルカの前に到達するとその軌道を捻じ曲げあらぬ方向へと飛んでいく。
「なっ!?」
「この程度で驚くとはまったく修行不足ですねシスタークローネ。あなたが見向きもしなかった法術ですよ」
「何言ってやがるクソババア! そんなもんが法術なわけねえだろうが」
「おや、よくできました。はい、正解です。私が今行っているのは法術ではありません。一般の神官には教えられない上位の術です」
「おいおい、良いのかよ私なんかに使ってよぉ」
「ええ、構いませんよ。許可はとっていますし。この場で使っても何をしているのか正確に見えている人なんていませんよ」
シスターアルカが聖書の新たなページを開く。
「聖書第五節『神の行いを人は見てはならない』
これにより、私が行った全ての行為を他人が正確に見ることはできません。
では、始めます」
そういうとシスターアルカの左手に銀の剣が現れる。
「右手には聖書を、左手には剣を。我、敬虔なる使徒にして、主の意思を代行する者なり。
我らが主よ、愚者を正し、道を示すため、剣をふるうことをどうかお許しください。
……では、始めましょう」
「なめるな!!」
だが、シスタークローネになすすべはない。シスタークローネ自身が弱いとは言わない。ただ、少々クリミノルに頼りすぎていた。
それが効かないとなればもうあとはどうにもできないのだ。格闘術の心得はある。だが、剣を持っているシスターアルカの方が有利であるし、不可思議な術もあるのだ。これで勝てとは無茶である。
だが、それでもシスタークローネは諦めない。
金のため諦める訳にはいかない。引き金を引く。弾丸はシスターアルカに向かうが、一定の領域に入ると明後日の方向に飛んでいく。
その間シスターアルカは悠々と距離を詰めて来る。その距離、あと5歩。再び、シスターアルカが聖書のページを開く。
「聖書第四節『敬虔なる使徒は神の前に跪く』」
「ガッ!?」
突如、凄まじい力でシスタークローネは地面に叩きつけられ、押さえつけられる。何かが上に乗っかっているかのような重みがシスタークローネを襲い、その体を縫い付ける。
「神の前では頭を垂れる。基本的なことはできるようですね」
シャラン、という音を響かせて、銀の剣がシスタークローネの首筋に当てられる。不可視の力云々の前にシスタークローネの動きが止まる。どのみち動けないのだが。
「さあ、降参ですか?」
「誰がするかよ!」
その瞬間、シスターアルカは盛大に吹き飛ばされた。その表情は驚愕一色に染まっている。
シスタークローネに何かされたところで何も自身には影響はないと思っていただけに驚愕は大きい。それはシスタークローネを見た瞬間、更に膨れ上がる。
なぜならシスタークローネの体からはホワイトピンクの甘ったるいオーラが湧き上がっていたからだ。
それは糖気。アルジェンとが使っていた不可能を可能に変えるオーラ。究極の甘党7人だけが持つ唯一無二のもの。
状況、形勢は、今まさに変わったのだった。
「クッ!」
一転して追い詰められるシスターアルカ。曲がるはずの弾丸は曲がらず、跪くはずのシスタークローネは跪かない。
原因は糖気だが、模造複製品とは言え神法まで無効化されるのは予想外だ。
神法とはまさしく神が布いた法だ。神が布いた方は絶対のものであり、それは逆らうことができないことを示す。教会が保有する秘匿すべき術の第一位に属するものだ。複製品ではあるものの、効果は変わらない。
例えそれが一割に満たない効果しかないとしても効かない相手となると、限られる。
(噂に聞く糖気ですか。噂もバカにはならないのですね。神の布いた神法、その模造複製品ですら無効化するとは)
「オラオラ! どうしたよクソババア!」
「っ!」
悠長に感心などしている暇ではなかった。
シスターアルカは射線から外れるように走り回る。追尾する弾丸はなんとかそらす。弾丸が当たることはないが、問題はシスターアルカの身体が保つかどうかである。
一見すると見た目は若く見えるシスターアルカであるが、中身はそうではなかったりする。何せ、1000年前の大戦に参加した記録があるくらいなのだ。外見はそうでも、中身はそうでもない。
なので、持病がいつ来るかわからない。本来なら神法でシスタークローネを無効化した後に連れて帰るつもりだった。
だから、そんなに動くつもりもなかったのだが、ここに来て完全にあてがはずれた。模造複製品とは言え神法すら抗う糖気に脱帽だ。
ならばどうするか。シスターアルカとしては超短期決戦を臨む他道はないのだが。ある程度シスターアルカの事情を知るシスタークローネは長期戦の構えだ。
持久力という点では、圧倒的にシスタークローネの方に分があるため妥当と言える。
(さて、どう致しましょうか。このまま負けてしまうのは主への宣誓を破ることになります。それだけは何としても阻止しなくては。仕方ありませんね)
逃げ回っていたシスターアルカが立ち止まる。何をするのか警戒するシスタークローネ。場の空気が変わった。歓声でうるさかった闘技場がどういうわけか静まり返ったように感じる。
「異聖書『神は人が作りし虚像ならば、人は神と同格である』」
シスタークローネが気がついたら地面に倒れていた。視界に赤紫色の空が広がっていた。何をされたのかわからない。
いや、それ以前に何かされたのか。何もされていない。気がついたら自分は地面に倒れていたのだ。しかも、指一本動かせない。
「さあ、帰りましょうか」
アイアンクローでズリズリとシスターアルカによってシスタークローネは闘技場の外へ運ばれていく。依然として体は動かず抵抗はできなかった。
そして、試合はシスターアルカの勝利で終わった。
だが、彼女は試合終了が、敗者であるシスタークローネを引きずりながら本戦出場権を放棄。これにより4日目のグループからは本戦出場選手なし。という結果となった。
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「ふむ、何が起きていたのかまったくわからなかったが、なかなかに面白い試合だったといえる」
「そうだな」
シスターアルカの神法によって偽装されているためユーリたちも試合の中で何が行われていたのか、正確には認識できていない。ただ、何やら凄いことが起きたとしか認識できていない。
しかも、それがおかしいと思えないようにもしているため、疑われることはない。観客もなんだかよくわからないが、満足という状態になっている。
「ふむ、しかし、これでライバルは1人減ったな。優勝する可能性も出てきたというものだ」
「いや、1人減ったところでなにか変わるか?」
「さあ? それはわからないが、何、君なら大丈夫だろう」
肩を竦めながら言ったエレン。どこからその自信が来るのか聞いたところ、勘だそうだ。
「さて、じゃあ、俺はそろそろ行くよ」
「ああ、頑張れよ」
「わかってるよ。……今日は、ありがとうよ」
「ふっ、それはこちらの台詞だ」
ユーリは部屋を出る。そして、浮き風の楽園亭を出たのだった。
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「やれやれ、まったく、シスタークローネと言ったら。聞いていますか? って、答えられるわけありませんか」
シスターアルカはシスタークローネを引きずりながら裏路地を歩いていた。シスターがシスターを引きずるという痴態を衆目に晒すのを躊躇ったからだ。
闘技場で引きずったのは偽装によってわからないようにしてある。そのため、今、この状況さえ人目にさらさなければ変な波風が立つこともない。
不意に、背後でコツリと足音が響く。シスターアルカは立ち止まる。誰かが通るような道は選んでいない。そうなると真っ当でない人間が近づいてきたことになる。
ゆっくりとシスターアルカは振り返る。そこにいたのは黒服に身を包み、黒の帽子を被った柔和で不気味な笑みを浮かべる男――ヤクミがいた。
「いや~、探しましたよシスター? てっきり教会にいると思ってましたが、闘技大会にいるとは思いませんでした」
「何者です。この国の人間ではありませんね。気配が鋭すぎます。それにその気持ちの悪い笑みを浮かべるのをやめていただけますでしょうか。虫唾が走ります」
「……ヘッ、そうかよ。まあ、いいか。こっちも仕事でね!」
ヤクミが一歩踏み出す。
「まさか、あなたは!?」
「気が付いたところでもうおっせええ!!」
「神法!」
裏路地にて白と黒の光が激突する。そして、全ては夜の帳の中に消えたのであった。




