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ヴェスバーナ暦1998年春期3月21日 朝 王都リバーナ王立闘技場闘技大会出場選手用観覧席
一歩、ユーリが足を踏み入れた歩数。たった一歩のはずだった。だが、呑まれた、圧倒された。圧倒的な熱気に、興奮に、狂乱に。
そこはまさしく戦いの聖地。ここは巨大な円形闘技場。圧倒的スケールの火傷しそうなほどの熱がユーリを迎えた。
ユーリは呼吸をすることすら忘れかのようにただ目の前の光景を見る。記憶に焼き付くようなそれは人、人、人。自身の小ささを、無知をユーリは実感した。
凄まじい、言葉では到底表しようのない衝撃と迫力がこの闘技場にはあったのだ。
「おや、ユーリさんじゃないですか。どうも、こんにちは」
圧倒されていたユーリに声がかけられる。つい最近聞いたばかりの青年の優しげな声。予想通り、そこにいたのはハザードであった。
ニコニコと柔和な笑みを浮かべたハザードは観覧席に座っている。そして、隣の空いている席をユーリに座るようにすすめた。ユーリは席を探す手間が省けたと感謝しながら隣に座った。
「どうも」
「まずは本戦出場おめでとうございます」
「まぐれですよ」
「いえ、実力ですよ。おっと、はなしている場合ではありませんね。試合が始まるようです」
ハザードに言われたので、色々な疑問はあとにして闘技場中央を見る。
端から選手が出てきた。
出てきたのは今朝ユーリが出会った、彼と同じく異世界から来た少女マコトと、対戦相手の彼女の二倍くらいの大きさはありそうな筋骨隆々の男だった。
********
マコトが出闘技場へ出ると一際歓声が大きくなり、闘技場がおおいに揺れた。マコトは慣れたもので、しきりに手を振ったり、ファンサービス(?)を行っている。余裕綽々のようであった。
「人気だなあ、小娘」
黙っていたマコトの対戦相手の男がマコトにいう。
「まね、おじさんって強い?」
謙遜も何もせず、ただ、興味ないという風に答え、どのくらい強いのかと聞く。そちらの方が遥かに重要だという風に。
「さあな」
「そっか、じゃま、がんばってね」
「そいつは、こっちのセリフだ!!」
試合が始まったのと同時に男がマコトに向かって突撃をかける。そのスピートはお世辞にも早いといえない。
だが、それを差し引いても、男の体躯の大きさと筋肉量は目を見張るものがあった。隆起する男の筋肉の鎧。女の細腕では到底ダメージなど与えることができないように思える。
拳を振り上げ男はマコトへとその拳を振り下ろす。受け止めるなど愚の骨頂。もとより体格差と筋肉の差により受け止めるなど不可能だ。
だが、マコトは余裕だ。
ニイィっと笑い、トンッと軽いステップで男の拳をかわす。轟という風切音が響いた。大した拳圧だ。まともに喰らえばただではすまないだろう。
そうとわかっていてもマコトは自身の表情が緩むのをわかっていても止めることができなかった。むしろ、彼女には止める気などない。それほどまでにうれしいのだから。
男が放つ拳をかわす。
それは舞踏のように鮮やかなものではない。ただただ洗練された体に染みついた当たり前。相手の拳を皮一枚でかわしきっている。男が丸太のような腕を薙ぐ。トンッ、と地面を蹴ってそれを飛び越える。
「そろそろいいかな」
ペロリと、唇を舐める。
ここで初めてマコトが動いた。両手足を使って着地したマコト。さながらクラウチングスタートも如く地を蹴る。一個の砲弾にでもなったかのようにマコトは駆けた。男の一歩手前まで一瞬のうちに移動する。
そこで、ドンッ、と地を揺らすかの如く踏み込み、その、ノーフィンガーグローブで包まれた左の拳を男の脇腹へと叩き込んだ。
ドンッ、という衝撃が闘技場へと伝播する。
ニヤリと笑うのは2人同時だった。
1人はお前の攻撃は効かないぞという相手への愉悦。
もう1人は良い対戦相手に巡り合えたことで楽しめるという期待の笑みであった。
「おらあああああ!!!」
男の気合い。
マコトが飛び退く。飛び退いた先で殴った左腕をフラフラと振っていた。
あれ程の一撃を受けても男にはさほどダメージが通っていなかった。逆にマコトの方にダメージが来ていた。
それほどまでに男の筋肉の鎧は固い。この異世界において筋肉の量=筋力というわけではない。細くてもユーリのように筋力が高い者はたくさんいる。筋肉の量が多いというのはスピードの低下につながる。
だが、それでも冒険者や剣奴、騎士など戦いに身を置く者は筋骨隆々の者が多い。
理由はそれだけ防御力が上がるからだ。鍛え抜かれた筋肉の鎧は剣すら防ぐとさえ言われている。マコトの対戦相手はまさにそれだろう。
生半可な攻撃では先ほどのようにまったくダメージが通らず逆に攻撃した方にダメージが来る。
だが、それがどうしたというのだろうか。
マコトは笑っている。楽しそうに。まるで新しい玩具をもらった子供のように。心底楽しそうに。振っていた手を握り締める。鍛えているのは相手だけではないのだ。
拳が通じないならば搦め手で行くまでである。正攻法だけが戦いではないのだ。別に正面から正々堂々と戦うことなどマコトは望んでいない。
望むのは戦いだけ。戦いの中に存在する快楽のみ。狂っているのだ。幼い頃から戦いに、命の取り合りに快楽を感じたのだ。
だからこそ、彼女はここに剣奴としている。戦うためだけにここにいるのだ。そのためならシュッツァーすら捧げてみせた。戦いこそが、彼女の生き甲斐である。
「もっと、もっとだよ」
「お望みならなあああ!!」
男が再度マコトへと突撃する。
やることは変わらない。当たれば男の勝ちなのだ。かすっただけでもかなりのダメージになるだろう。
ならば、当たるまで攻撃を繰り出すだけだ。三流のように攻撃を繰り出し続けて体力を消耗し自滅などありえない。それほど男はヤワではない。
マコトの攻撃も分厚い鍛え上げられた筋肉の前には意味を成さなかった。負けるなど微塵も考えていなかった。そして、それが男の敗因であもあった。
今度は男の蹴りがマコトに迫る。そこに籠るのは攻撃線、相手の攻撃意識。
圧迫感がマコトを襲う。その瞬間マコトはわずかに胴を後にずらした。それと同時に男の死角へと直線的に踏み込んで行く。男はマコトを一瞬ながら見失った。
それは「入身」と呼ばれる合気道の用語で相手の攻撃に対し、体をかわして踏み込み、相手の側面に入り込む体捌き。
その一瞬、マコトはフリーである。その隙にマコトはドンッと地面を踏み切り、相手の腕へと飛びつく。
踏み切りの勢いで腕をとったまま相手の背へと着地したマコトはすかさず抱きつくような姿勢のまま肘関節を可動限界まで伸展させる。体重と梃の原理を使い腕を折る気でやるが、男がそれで黙っているはずがなかった。
男は腕を折られまいと背後に倒れ込む。そのまま体重でマコトを押しつぶそうとしたのだ。さすがのマコトも男の重さなどに耐えれるわけがない。
腕を折れぬまま腕を離して飛び退いた。それを見計らい自由になった腕で地面に倒れるのを防ぎ、男も立ち上がる。再び仕切り直しであった。
(ふい~、どぉ~っすっかなー。おっさん強いし、体格差のせいで、関節技もかけずらいし。ん~、そうなるとアレしかないんだよなあ。いやだなー、相手だけの弱点利用ってさあ。
……でも、まっ、久しぶりに楽しかったからいいや。にひひ)
(ったく、恐ろしいガキだ。打撃が効かねえとなると、迷わず折りにきやがった。だが、まだまだだ)
息を吐き体勢を極限まで低く構えるマコト。対する男は待ち構えるように大きく構える。ドンッ、と引き絞られた弓から射られた矢の如く男に向かって疾走する。
男は予想する。マコトの狙いを。打撃も関節技も生半可なものでは効かないとなればとれる手段は限られてくる。だが、マコトの攻撃は武芸者としては予想外なものであった。
マコトは男の前で急ブレーキ、勢いを殺すかのように一回転し地がえぐれるほどに踏み込む。そして蹴りを放つ。
狙いは股の間。男の弱点、股間であった。くしゃりと何かの潰れる嫌な音が響き渡った。
「ぎゃあああああああああ!!!??」
闘技場に男の悲鳴が響き渡る。
堪らず股間を押さえる前かがみになる男。男ならば誰だってそうだろう。闘技大会を見に来ていた男たちは全員咄嗟に自分の股間を押さえるほどだ。
そして、それでマコトは終わらなかった。前かがみになり下がってきた頭を狙う。狙うのは顔面ではない。狙うのは人間の体の外で一番やわらかい場所であった。
それは目であった。左目をマコトの白魚のような指が貫いていた。指を引き抜くこうとすると、こんな状態でもまだやるのか男がマコトの腕を掴んだ。ボギリと嫌な音が響く。
確実に折られた。そして、掴まれて動けないマコトに左の拳が叩き込まれた。またはも、ゴキュリと嫌な音が響く。
それから、マコトが吹き飛び、まるでボールのように飛び地面をバウンドして壁に激突する。土煙が上がり、それを切り裂くようにマコトは現れた。
さすがに無事とは言い難い。左腕は折られ、叩き込まれた一撃によって肋骨も数本折れていた。普通に考えて戦闘を続けられるような状態ではないだろう。
だが、それでもマコトは笑っていた。笑っていたのだ。楽しそうに、心底楽しそうに。もっと、もっとと。貪欲に。
しかし、それが叶えられることはなかった。男が倒れていた。さっきの一撃が限界だったのだろうか。やはり股間を蹴りあげたのが効いていたらしい。
審判が駆けより男の意識を確認し、マコトの勝利を宣言した。あんなことがあってもショッキングであればあるほど観客は沸いた。
マコトからすれば消化不良とまではいかないが、不完全燃焼であるが、まだまだ試合はあるのだ。これからに期待である。折れた腕を無理矢理元の方向に戻す。
その時、指に男の目が刺さっていることに気が付いた。何を思ったのかそれをしばらく見てから口に含む。
「アハッ、まずい」
ペッっと、それを吐き出して折れていない方の手を観客に振りながらマコトは控え室に戻っていった。
*******
「狂ってる……」
マコトの試合を見たユーリの感想がそれであった。狂っているとしか到底思えなかった。現代日本で生きていた人間がどうしてあのような行為を平然とできるのか。
それが不思議でならなく、平然とやってしまうマコトが同じ日本人だったのかと疑い、人はこうも変わってしまうものなのかと恐怖した。
実際はこちらに来る前からマコトは狂っているのだが、ユーリはそれを知らないためこう考えた。知らぬが仏とはこのことだ。
「おや、どうかしましたか?」
ユーリの様子がおかしいのに気が付いたハザードが声をかける。ユーリはただ、なんでもないといった。そうですか、とハザードは次に始まった試合へと目を向ける。仲間が戦っているらしい。だが、そんなものは頭に入らなかった。
(ここではこれが普通って、理解はしているが、納得はできないな。同じ日本人らしいし。ハハッったく、昨日なんでもやるって覚悟しといてこれか。自分のことならがらどうかと思うよ、まったく)
だが、そう簡単に割り切れるものでもないのだ。それがユーリの性分なのだ。だとしても悩むことは良いことだ。
悩めない人が多いこの世界で、悩めるということは贅沢だ。悩み、考え、答えを出すこと。それができる人は少ない。少なくとも、悩めて答えを出そうとすることはそれはそれで良いことなのだろう。
(いや、俺も同類か。勝つために殺してきたんだ。それなのにあの行為をとやかく言う資格は俺にはない……)
第二試合はハザードの仲間の勝利ですぐさま終わった。そのあとも、試合は順調に行われていったのだった。
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闘技大会に合わせてお祭り騒ぎの中央通り。
東方からの旅人が伝えた屋台という文化のせいか出店が多く出ている。そこかしこから何かの焼けるジュウジュウという香ばしい音やソースやスープの芳しい匂いが漂ってくる。
ただここにいるだけで涎が止まらなくなりそうなほどだ。がやがやとした喧噪や時折響く叫び声は日本の縁日などを思わせる。
そんな通りを、手に串焼きを10本以降も持ち、それを頬張り幸せそうな満面の笑みを浮かべながら次は何を食べようかとキョロキョロとあたりを見渡し、スンスンと香ばしくも芳しい匂いを嗅いだり、シンシンと耳を澄ませて小気味の良い焼き音を聞く少年――伊藤慶介が歩いていた。
着ているのは東方由来の和服である。不思議な喋り方とたくさんの串焼きを持っていることでけっこう目立っている。
「いんゃ~うみゃいわ~。やっぱ、闘技大会参加してよかったわ~。ほくほっく、くぅ~、こん串焼きえろうタレ漬かってて、良い味しとるわ。
しかも、噛む度に肉汁がくちんなかで弾けよる。うまいで、ほんまに。いくつでもいけそうわ」
そういって食らうのは15本目である。いくらうまくても限度があろう。
だが、慶介にそれはないようで、全て食らいつくしてしまった。串は何に使うのか全部和服の懐にしまっている。全部食べ終わると、パンッ、と手を打ち鳴らして合わせた。
「ごちそうさまでした」
そう言って、また次の食べ物はないかと探す。肉系は粗方食べ終わったので、今度は甘いものもいいなあ、とか思っている。
目に留まったのはふんわかとしたスポンジケーキのようなもの。中にクリームが入っているので、シュークリームのようなものであろう。クリームの甘い匂いと、生地のふんわりとした匂いが甘味専用の別腹を刺激する。
「おっ! なんや、うまそうなんがあるやん! おっ、ええこと思いついたでユーリにも持っててやろ。あいつ驚くでえ~。
よし、おっちゃん! そのなんかふんわかしたの20個くらい包んでや!」
「あいよ!」
「店主、オレには30個だ」
不意に隣からそんな声が振ってくる。
慶介が隣を見ると、そこにはファーのついたフード付きの黒のコートを着た銀髪碧眼のイケメンがいた。慶介はイケメン爆ぜろと思った。そして、なんだか負けるのが癪と思ってしまった。
「おっちゃん、やっぱ、40個や!」
「50」
「60や!」
「75!」
「90や!」
「100だ!!」
「120!!」
「「いや、全部よこせ(や)!!」」
「す、すみません、もう、売り切れでして」
どうやら、2人が注文合戦をしている間に売り切れてしまったらしい。2人はこの世の終わりだという風に地面に膝をつきうなだれた。2人同時で、しかもそれなりのイケメン2人ということでかなり目立ってしまっていた。
しばらく、そうしていたかと思うと、2人は揺らりと何やら暗い雰囲気で立ち上がった。その様子は尋常ではない。2人とも目が据わっていた。それを遠巻きに見ていた人々は悟る。これはやばいと。
2人の手は腰に差してあった互いの得物へと手を伸ばす。そして、叫んだ。2人同時に。
「「お客様は神様だろうが!!」」
「やめろ、このバカ!!」
だが、2人が暴挙にでることはなかった。2人を――慶介にとってはかなり懐かしい――ハリセンの一撃が2人を襲ったのだ。それをやったのは少女だ。
若干ウェーブのかかった輝く金髪で、意思の強さが感じられる金の瞳を持った気の強そうな印象を受ける美少女だった。黙ってニコリと立っていればそのあたりの男は10人中10人は振り返るであろう美少女だった。着ているのは魔法使いっぽいフリルのあしらわれた服だ。
慶介は思わず見とれてしまった。
「公衆の面前で何をやってるんだぜ!」
「だが……」
「だってもへちまもねえ!!。そもそも、お前は……って、そういやあ、そいつ誰だぜ? 勢いで殴っちまったが」
「敵だ」
「そうか、なら味方だな」
ぼぉーっとしている慶介に少女が近づく。
「おい、大丈夫か?」
「あ、ああ、大丈夫だ、問題ないで!」
「いやあ、私の下僕――いや、連れ、いや盾が迷惑かけたな」
「それほどでもない」
なぜか誇らしげに胸を張るイケメン。馬鹿である。馬鹿にされているのに、気が付いていない真正のバカである。いや、アホである。いや、言葉では言い表せられない存在である。
「ほめてねえよ! ったく、私はエリーニア。エリーさんって呼んでいいぜ? そっちのバカはアルジェンド。気軽に盾か下僕って呼んでやってくれ」
「わかった、ワイは伊藤慶介。ああ、こっち風に言うならケイスケ・イトウやな」
イケメン改めアルジェンドの扱いについてはスルーの方向らしい。関西人みたいな慶介でもツッコミしたくないことがあるのだ。
「ん、東方の出身なのぜ?」
「ああ、闘技大会があるゆうから、来たんや」
「奇遇だな私たちもでてるんだぜ」
「おお! なら、当たるかもしれんな! 当たったらよろしゅうな」
「そっちもな。さて、そろそろ行くぞ」
「だが、甘味が」
「あとで作ってやるよ。何が食いたい」
「ヘルワ」
「また、マイナーなもんを。わあったよ。作ってやるぜ。じゃあ、またなケイスケ」
「おう!」
アルジェンドとエリーニアは去って行った。慶介は再び屋台めぐりに精を出すのであった。翌日以降金がなくなって泣きをみることを慶介はまだ知らない。
運命の邂逅はまだ先。されど、因果の再会はすぐそこに迫っているのであった。




