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ヴェスバーナ暦1998年春期3月6日 早朝 未だ名も無き迷宮第9層
そこはただの1本道だった。黒色の壁が覆った1本道。その先には階段が見えている。当然ながら、人が1人通れるか通れないかくらいの通路に魔獣なんているはずがない。安全だ。
だが、どういうわけか、その事実が感覚が常人とは一線を画す、異世界からやって来たただの少年ユーリと異世界からやって来た暗殺者の少女アカネ、ユーリが作った朝食にすっかり餌付けされたダークエルフの少女サザンカの3人の足を止めた。武装神官見習いの少女ミレイアが訝しげにユーリにどうしたのか尋ねる。
「どうしたのよ?」
「嫌な予感がする」
「…………(こくり)」
「あのー、ここから先は、やめた方が……」
そう、嫌な予感がした。ここから先、足を踏み入れた場合、取り返しのないことになるだろうという、そんな嫌な予感。むざむざ見殺しにする気のないユーリはミレイアだけでなくジェイルにもそれを伝える。
「何を言っている。何もないぞ。……そうか、怖じ気づいてのか。これだから平民は」
しかし、ジェイルは聞く耳を持たない。むしろそんなことを言うユーリたちをバカにしたように言う。
自分にはそんな気配が感じられない。感じられないものを恐れるなど彼には有り得ない。そもそもジェイルが自身を侮辱した平民や怪しい奴、都合の良い駒に従うはずがなかった。
「ならせめて1人で行け。行きたくない奴を連れて行く必要はないだろ」
「フン、もとより怯えるような奴など連れて行くか」
ジェイルが神託板を操作する。ジェイルとサザンカのパーティーが解散した。ジェイルはそのまま制止も聞かず、階段を下りて行った。そして悲鳴が響き渡る。
「ったく……はあ、行くか」
「……助けに行くのだな。了解した」
「はあ、お人好しね。あんたって」
「えっ?」
サザンカがユーリたちの言葉を聞いて驚く。てっきりこのまま行かないかと思っていたのだ。ダークエルフであるサザンカの感覚は獣人などには劣るが、確実に人間よりも優れている。
それがこれから先に行くは危険だと告げている。発言からしてユーリとアカネも気がついていることは確実。だというのになぜ行こうと言うのか。サザンカにはわからない。
「ん、どうした?」
「助けに行くんですか?」
「まあな。あんな奴でも見殺しにするのは忍びないし。目に見える範囲くらいは助けたいし。サザンカは行きたくないなら、ここに残って、もし戻らなかったら助けを呼んで来てくれ」
サザンカは純粋に驚いた。人間にもこんな人がいることに。そしてダークエルフとしてのプライドが、人間だけに行かせて良いはずがないと言っていた。
「あたしも行く」
「良いのか?」
「うん、あたし、あの人のお世話になったし。それに人間だけに行かせたんじゃお爺ちゃんに怒られちゃうし」
「わかった。いいか?」
反論はない。ユーリはサザンカをパーティーに入れる。そして、意を決してユーリたちは階段を下りて行った。
********
ヴェスバーナ暦1998年春期3月6日 朝 未だ名も無き迷宮第10層
そこは深淵の底であって、底でなし。
そこはほんの始まりであり、王の間だ。
ユーリたちの目の前でジェイルが倒れていた。幸いに怪我らしい怪我はない。ただ完全に気絶しているだけである。
ただ、その先には紅鱗の王がいた。
「竜、だと!?」
「うそ……なんで、こんなところに」
「ひぃぃぃ!?」
そこに横たわっていたのは紛れもない竜だ。ロールプレイングゲームにおいてはボスクラス、冒険ファンタジー小説にはほぼ必ずと言って良いほど登場する。あの有名な竜がそこにいた。
竜の蜥蜴などの爬虫類のような身体はかなりの巨大で、その身体を支える強靭な筋肉がその身体を包む鎧のような紅い竜鱗の上からでもわかった。
暗がりで松明のゆらゆらと揺れるかすかな光をうけて、鈍いくすんだ輝きを放つ不思議な波紋がある紅い竜鱗は、所々傷ついており竜の生きた時の長さを思わせる。
紅玉のようなその瞳は、まさしくその通り宝石に匹敵するだろう光を宿していた。頭に生えた2本の角は紅く輝きを放ち、自身の力の強さを誇示していた。
その鋭い爪は黒曜石のような艶と輝きを放っている。牙は大理石のように白く、ナイフのように鋭い。それが唾液でテカテカと輝いている様は酷く生々しい。そして吐き出される吐息は生々しく生臭い。
遠い過去に何者かと戦ったのか、その右腕と右翼は切り取られ、片目は抉られてそこにはない。だが、それでもその竜が放つ圧倒的な生命力や威圧感、紅玉の瞳から放たれる眼光は欠片も損なわれた様子はなかった。
むしろ傷ついてなおその王は輝いて見えた。傷ついてこそ、この竜は輝いているのだと思えた。思わず見とれてしまうほどに。
『なっ、竜だと!?』
『ふざけんなよ!?』
その時、他の受験者たちが、第10層に下りてきた。
徐々にその数は増えていく。その数はユーリたちを含めて200人ほど。今、残っている全ての受験者が揃ったことになる。期限が近いからと急いできたようだ。そして、例外なく皆一様に竜を見て驚きの声をあげていた。
それに竜がユーリたちに気がついたのか身体を起こす。まず頭が上がり、首が上がり、身体が起こされる。それだけで大地は揺れ、大気が震えた。竜が動く度にその骨の音が薄暗い第10層に響き渡る。それは死神を誘う詩のようであった。
紅玉の瞳がユーキたちを捉える。それだけでユーリたちは正気に戻るが、今度は一歩も動けなくなる。蛇に睨まれた蛙の気分であった。
竜の口がまるで笑うかのように開かれる。それから閉じられた。紅玉の瞳は吟味するようにユーリたちを見つめる。そして、その口を開いた。
『ようこそ人間。よく来た我が最後の領地へ。歓待はできんが、歓迎はしよう』
「「!?」」
竜が喋った。それは低く渋い、紛れもない人間の男の声であった。ユーリとアカネは驚いた。まさか竜が口を聞くとは思わなかった。
だが、ミレイアとサザンカ、他の受験者たちが驚いてないことから、これが常識であることがわかる。知性もある程度あるようなので、話し合いでなんとかならないかとユーリは考える。
だが、次の一言に、それは不可能であることを知る。
『私との戦いでな。我が名はエシェロン。さあ、闘争の時間だ! 武器を構えろ! 魔法を起動しろ! さあ! さあ!! さあ!!!』
竜――エシェロンの咆哮が響く。もはや考える前にここにいる全員の体が臨戦態勢をとっていた。だが、勝てる見込みなどほとんどありはしない。エシェロンの実力は角が2本であるから2000だ。数十どころの差ではない。約1900以上の差だ。
もはや、それは差どころの話ではない。壁だ。超えることのできない明確で圧倒的な壁。ここまでくればもはや格が違う。
しかし、だ。決して勝てないわけではない。例えば剣を竜の眼に突き立て、脳を傷つければそれでエシェロンを殺せる。200人もいれば、なんとかなるかもしれない。
だが、次の瞬間にはそんなものは儚く散っていた。
見えたのは、エシェロンの腹が膨れ、その口から放たれた紅の炎。それと振るわれる尻尾であった。咄嗟に、ミレイアとサザンカに結界を張る。更に剣も構える。それくらいの時間以外になかった。
視界が一瞬で暗転。しかし、それでも、はっきりと肉の焼ける臭いが鼻を突くのがわかった。何かが砕けるのがわかった。
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「……がはっ!」
ユーリが目を覚ます。最初に感じたのは全身が鈍く焼けたような感覚。主に鎧を付けてない部分。どうやら胸鎧と篭手には炎を防ぐ効果でもあったようだ。
あと自分の周りだけ焦げていない。鎧の能力のようだが、防ぎきれなかったようだ。しかし、そのおかげか、まだ体は動きそうであった。五体も幸いなことに満足である。
状況を確かめようとユーリが熱で朦朧とする中、痛む体に鞭打って起き上がる。視界が赤に染まっているが今は無視。そこにあるものを見ることに集中した。
そこに広がっていたのは絶望の地獄絵図だ。ほとんどの受験者が炭化して変わり果てた姿になっている。慌ててミレイアたちを探す。
見つかった。幸いに咄嗟にユーリが結界を張ったおかげで無事だったようだ。生きてはいた。特にミレイアは手に入れたばかりの竜骸の聖衣が炎を防いだのかほぼ無傷だ。
その後ろにいたサザンカと、倒れていたジェイルは危険な状態だが辛うじて生きてはいた。ただ、皆一様に危険な状態には変わりない。
そして、そこにアカネの姿はない。どこに行ったのか。死んだ、とは思いたくない。せっかく会えた同郷の人間だ。死んでいてほしくはない。
ここにいないのなら逃げたのかもしれない。逃げたのなら、それで良い。それで責める気はユーリにはない。むしろ生き残りがいて、この状況を伝えられるのなら、その方が良いに決まっている。
そしてやはりエシェロンはそこにいた。僅かに焼けた死体を喰らっていた。もともとエシェロンの目的はそれなので当然の行為である。
それを見たユーリは悟った。このままだと生き残った者も、いずれは全員喰われて死ぬだろう、と。
朦朧とする意識の中、体に鞭打ってユーリが立ち上がる。膝がガクンとなるが、気迫で立つ。せめてミレイアたちだけでも救いたかった。
生き残っている人たちだけでも救いたかった。目の前にいる人たちくらい救いたかった。
もう、これ以上目の前の人を亡くしたくはない。浮かぶのはスニアの村で焼けた子供たち。それが重なる。また、救えなかった。
だが、まだチャンスは残されている。それなら、やることは1つだ。
『ほうっ! まだ、立てる人間がいたか!』
エシェロンがそう声を上げるがユーリの耳には届いていない。
ユーリは黙って右手の剣を見る。
愛剣は無残にも根元からポッキリと綺麗に折れていた。もう役に立たない。
ユーリは残っていた柄を捨てる。この世界で共に戦ってきた剣だ。愛着はあった。それでも、今は必要なかった。邪魔にしかならない。所詮、武器は使えばいずれは刃こぼれする、欠ける。消耗品でしかないのだ。壊れた武器など今はいらない。
だが、今、必要なのは、こんな使えない剣ではない。今、必要なのは使える物だ。
剣は買える。命に比べたら安いものだ。生きてさえいればまた、やりなおすことはできる。いつもエレンが言っていた言葉だ。その意味がよくわかる。
次に、ユーリはポーチからアタリ部屋の宝箱に入っていた短剣を取り出した。同じアタリ部屋ででた装備が命を救ってくれたためにこの短剣を選んだ。
魔力が込められていた品だ、もしかすればこの窮地を脱することができるかもしれないと期待していた。すると――。
――災厄級魔族を感知――
――強制始動――
――魔力パターン初期化中……完了――
――魔力パターン新規登録中……完了――
――魔導鎧初期状態で起動可能――
――起動しますか?――
――そんなメッセージが表示された。それが何かはわからない
。だが、今のこの絶望的な状況をなんとかできるかもしれない。そんな希望からユーリは魔導鎧を起動した。
次の瞬間、そこに現れたのは巨大な騎士。
ごく平凡的な白を基調とした鎧姿の巨大な騎士が主に頭を垂れるがごとくユーリの前に膝をついた。そして、背を向ける。背部の装甲が開き、内部に入れるようになった。
そこはユーリを待ちうけるようであった。
ユーリにはそれが何だかわからない。だが、それがこの状況をどうにかできる唯一の方法だということはわかった。
だから、ユーリは魔導鎧に乗り込んだ。エシェロンはただ、楽しそうにそれを見ているだけであった。
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ヴェスバーナ暦1998年春期3月6日 昼前 未だ名も無き迷宮前
冒険者ギルドグータニア支部ギルドマスターである初老の女性イリアーナは数名のギルド職員と協力員合計6名を伴って冒険者選抜試験が行われている未だ名も無き迷宮の転移門前へとやって来た。
1パーティ6名のほとんど全員が武装しており、物々しい雰囲気をかもし出している。これから迷宮に潜ろうというのだから当たり前だ。
しかし、そうだというのにイリアーナの格好は普通に街に居そうな老人とまったく変わりの無い格好だ。違うところがあるとすれば、その腰に差された剣くらいのものである。これから迷宮に入る格好ではない。
「さて、お前、わかるかい?」
そんなイリアーナがパーティーの中にいたリナに聞く。リナは頷いた。
「はい、以前の調査の時はまったく感じられなかった竜の気配です」
リナは淡々と無感情に機械的そういった。そこからは感じ取れないが、彼女は非常に不可解と言った風に感じていた。
ちなみにリナの格好もギルド支部の受付にいた時のままのワイシャツにベスト、タイトスカートという受付ですよオーラ、全開の格好のままである。本当に迷宮に潜りに来たのだろうか。
「なるほど、そのような予感があったからこそ、私に協力を要請したわけですか」
透き通った声が響く。パーティーの1人である機能性だけを追求した鎧を着てがっちりと兜まで被った騎士鎧姿の人物が言った。
それから、ゆっくりとその兜を取る。その動作からは優雅さ、気品といったものが感じられた。何よりも洗練された輝きがあった。
光を受けて輝く金糸のような、風が吹くだけでサラサラと揺れる金髪。全てを見通しているかのようなエメラルドのように澄み切った碧の瞳。そして、色白の肌と尖った耳が晒される。
兜の下から現れたのは絶世の美女。彼女の名はエルシア・ノーレリア。1000年以上の時を生きるエルフにして、このエストレア王国最強の騎士である。
階位越えの実力5000を超えるとすら言われている。その昔、勇者と共に世界を救ったという伝説を持つ名実共に最強の名を関する女性だ。
そのエルシアの言葉にイリアーナは頷いた。
「そうさ。私らだけじゃどうにもならないような気がしたんでねぇ。なあに、昔の借りを返せるんだ良いだろうよ」
「あなたに借りを作るととんでもないですね。まったく」
そうやって微笑むエルシアとイリアーナ。
そんな2人を見ながら、彼女の同行者である、アレンジした和服のような黒の騎士服の上から胸鎧と篭手とすね当てを付けたどこからどうみても子供にしか見えない、しっかりと手入れされた金髪を三つ編みにして後ろで編み込み、瞳は翡翠のような碧色で大きなメガネをかけた幼児体型の少女カノン・エアスト・クラディア。
それと彼女のパートナーとなっている魔法ギルド派遣、女よりも女らしい、長く背中側でまとめられた黒曜色の髪で、人間離れした深淵の深さのある鮮やかで濃い紫水晶色の瞳をした美形というより美人と言った方がしっくりくるような顔付きのシオンはこっそりと顔をつきあわせた。
「(あの2人知り合いなんでしょうか?)」
「(さあ、オレにはわかりませんね。何かしらありそうですけど)」
「(それに、話からして私みたいな見習いが来るようなものじゃないと思うんですけど)」
「(それも知りません)」
「私の前でコソコソ話すんじゃねえ、殺すぞガキ」
動きやすいようにスリットなどが入った改造修道服を着たシスターが2人に言った。明らかにシスターの言動ではない。くちゃくちゃと何かを口に含んでいるようである。
彼女はクローネ・セイドリッヒ・ラグーン。ミレイアと階級と所属は違うが武装神官の1人である。今回の異常に対してギルドからの要請で派遣されたのだ。遺物双銃『クリミノル』が腰に吊られている。
「ひゃう!? すみません」
「ケッ! ったくよぉ、なんで、私がこんな仕事しなくちゃ行けないんだ。無償奉仕なんざ私の性にあわねえってんのに」
「それなら帰ってもいいんじゃよクローネ嬢ちゃん」
エルシアとの話を終えたのかイリアーヌがクローネに向かって笑いながら言う。しかし、表情は笑っていても、その眼はまったくと言って良いほど笑っていなかった。そんな状態で断ろうものならば、どうなるかは明白である。
「ケッ! 帰す気ねえくせによぉ! 行くならさっさと行くぞ」
「そうじゃの、では、殿は任せるぞ。先頭はエルシア殿に頼もうか」
「ヘイヘイ」
「了承いたしました」
「さて、行くか。ではさっさと第10層まで移動ようか。ひよっこどもが心配じゃからなあ」
心にもないことを、と思いながらリナやシオン、カノンたちは思いながらも、頼もしすぎる一団について転移門を潜ったのであった。
ということでありがちなボス戦です。どこぞの吸血鬼の旦那をリスペクトしてます。そして、冒険者候補程度のレベルでは勝てません。どうなるかは、次回をお楽しみに。
キャラ募集、ネタ募集実施中。
ではでは。




