懐かしい声
二十五歳の時、私は流産した。結婚してから二年目に授かった子供で、妊娠が分った時は夫もとても喜んでくれた。夫は結婚当初から子供を早く欲しがっていた。早く子供の顔が見たい。この手に抱きしめたいと、普段は口数の少ない夫が子供の話になると、目をキラキラさせて理想の父親像を語ったりした。
私も早く夫の気持ちに応えてあげたかったし、そんな夫が愛おしいと感じた。愛されていると思った。
だから妊娠した時は純粋に嬉しかった。幸せだった。夫の期待に応えてあげられた喜びと、女として母親になれる充実感。これほどの喜びは無いと感じた。自分が誇らしく思えた。
しかし、喜びの時は永く続かなかった。神様が存在するのだとしたら、私は多分嫌われているのだ。
妊娠4ヶ月目にして、私は流産した。
夫はひどく落ち込んでいた。見ているのが辛くなるほど動揺していた。私はひたすら夫に謝った。
何度も何度も謝った。もう涙が枯れてそれでも許しを乞う子供の様に、夫にすがり、ありったけの謝罪の言葉を夫にぶつけた。
夫は落胆していたが、決して私を責めるような事は言わなかった。
「大丈夫、大丈夫だからそんなに自分を責めるんじゃない。」
「今は自分の体のことを考えるんだ。ゆっくり休養して元気にならなきゃ」
そう言って、優しく私を諭した。
夫の腕の中で泣きながらその言葉を聞いていた私は、心の奥底で何かトゲのようなものが刺さった気持ちになった。そのとき夫に聞いてみれば良かった。
「もし、私に今後子供ができなかったら?」
「できたとしても、また流産したら?」
「あなたは、また優しく私を慰めてくれる?」
それから15年の月日が流れていた・・・・・・