お気に入りの時計店
放課後。
ホームルームが終わり、生徒たちは部活動に励んだり、教室に残って勉強に勤しんだり、友達と寄り道しながら帰ったり、みんな思い思いに過ごしている。
玲子はどの部にも所属していない、いわゆる帰宅部であったし、学校に居残ってまで勉強をしようというタイプでもなかったので、いつもと同じように帰路に着いた。
今までならこのまま道草を食うでもなくまっすぐ自宅に帰っていた。けれども玲子は普段家へと帰る道から斜めに伸びている、人が2人通ってぎりぎり対向できそうなくらいの細道に入っていった。
その道は、両側を周辺の民家のものと思われるブロック造りの塀にぐるりと囲まれていて、そこを通る者を外界から孤立してしまったかのように錯覚させる。
玲子は道をどんどん進んでいった。
しばらくして延々と壁の続いた景色が途切れ、視界が開けた。するとその広場の一角にレトロな雰囲気を醸し出している一軒の店があった。都会の喧噪から外れて建っているその少し浮き世離れした建物の存在は、ここに来る者にまるで異世界にでも迷い込んだかのように思わせた。
その店には、『佐藤時計店』という文字が刻まれた看板が掛けられていた。
玲子がこの店を見つけたのはほんの一週間ほど前だった。
その日の放課後、いつものように下校していたとき、ふと寄り道をしたい衝動に駆られた。そこでさっきの細道に入ってみることにしたのだった。玲子は以前からその道がどこにつながっているのか気になっていたし、少しいつもと違う道を通るだけでなんだか冒険をしているようでわくわくした。
そして細道を抜けてたどり着いた先で、この『佐藤時計店』を見つけたのだった。
それから玲子はこの時計店を気に入り、放課後毎日訪れていた。
玲子は木で出来た扉を開けて店の中へ入った。
「こんにちはー」
『佐藤時計店』という名前通り、店の中にはあの歌に出てきそうな大きくてごつい古そうな時計や、この店の落ち着いた雰囲気にぴったりな茶色い革のベルトの腕時計たちが、チクタクと心地よいリズムを刻みながら所狭しと並べられている。玲子はこのいつも生活しているものと別の時間を旅しているような、静かで温かい雰囲気をとても気に入っていた。
一番に彼女を出迎えたのは、雪のように真っ白な体で首に鈴の着いた赤い首輪をした一匹の猫だった。
「こんにちは、シロちゃん」
そう声をかけると、この店の看板猫であるシロはにゃーと一度鳴いてから、鈴の音を響かせながら店の奥へ行ってしまった。
「いらっしゃい玲子ちゃん。毎日よく飽きずに来るね」
シロと一緒に奥から出てきた男はこの店の唯一の店員であり、時計職人だった。名を時雨という彼は、まだ二十代真ん中から後半くらいに見えるのに、1人でこの店を切り盛りしているようであった。スラッとした長身で顔立ちも整っている。そして優しげな笑みをその顔に浮かべていた。
「今日もすばらしい営業スマイルですね、時雨さん!」
玲子がにっこり笑って元気いっぱいにそう言うと、途端彼の顔が黒さを帯びた無表情に変わる。
「大声でいうんじゃねえよ。ほかに客がいたらどうしてくれんだ、あ?」
「いいじゃないですか、別に。心配しなくてもいつも私しかお客さんいないんだから」
「そうか、そんなにしばかれてーか」
時雨はそう言いながら拳をポキポキ鳴らしている。口調だけ聞いていればどこの不良だよ、と突っ込みたくなる。今の時雨には先ほどまでの優しそうな笑顔と雰囲気が微塵も感じられない。本当に同一人物か疑いたくなるくらいだ。彼は店にお客さんがいるときは──とはいえ玲子が言ったように滅多に客など来ないのだが──、さっきまでの営業スマイルを顔に張り付けていかにも人が良さそうで爽やかな好青年を演じているらしい。
しかし、玲子に至っては油断でもしたのか彼女がこの店を見つけた次の日にはすでにばれてしまっていたのだが。
不意に時雨は玲子の後ろ、店の入り口である扉のある方を見つめた。彼だけでなくシロもその辺りをじっと眺めている。
何かあるのだろうか、と玲子も視線の先を見るべく振り返った。が、変わったものは何もなく、ただ入ってきたときと同じように扉があるだけだった。
「客が来なくても別にいーんだよ、この店は」
玲子はしばらく頭上にはてなマークを飛ばしながらきょろきょろと辺りを見回していたが、時雨が呟いたのを聞いて彼の顔を見た。
彼はいつも通りの無表情だったが、玲子には一瞬、彼が営業スマイルとは違い心から慈しむように微笑んでいた気がした。しかし次にはもういつもの表情に戻っていたのと、彼の性格からして程遠い表情だったため見間違いだろうと思うことにしたのだった。
「何言ってるんですか、お客さんいないと商売成り立たないでしょう!諦めちゃダメですよ!」
「諦めてるとかじゃねーし。つーかガキが商売語ってんじゃねーよ」
何となく沈黙に居心地の悪さを感じた玲子は、時雨の言葉をあえて冗談っぽく捉えてみた。すると彼がいつもの調子で返してきたので玲子は少し安心したのだった。
そうこうしているうちに時間も遅くなってきたので、玲子はそろそろ家に帰ることにした。帰り支度をして扉の前で時雨に声をかける。
「また明日も来ますね-。時雨さん、シロちゃん、さよーなら」
そう言って扉の向こうに消えた玲子を見送った後、時雨はしばらく扉を見つめてぽつりと呟いた。
「………寧ろこの店には客なんて来てくれない方がいい」
言った彼は声色こそいつもと変わらず淡々としたものだったが、その表情は痛みを我慢しているような、それでいてどこか淋しそうなものであった。
初めて小説書きました。拙い文章ですがよろしくおねがいします。
パソコン入力と話考えるのがマイペース、というか遅いので更新が停滞すると思われますがご了承ください。